表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

好き嫌い

作者: 栖坂月

夏のホラー2009参加作品、投票用代表作品です。

エロい表現もグロい描写もありませんが、マズいと思ったら回れ右をしてください。

それでは刺客その三れっつごー

 僕は今、待っている。

 待合室は白と緑によってのみ彩られ、落ち着きと安らぎを提供してくれている。だけど、今の僕には大して効果がなさそうだ。家からここまで来る間にすら、吐き気を覚えて朝食を戻しそうになったほどである。

 このままでは気が狂いそうだった。

 家でも学校でも、それどころか通学路の片隅に至ってすら、油断してはいられない。今まで、何とか自然な形での克服を目指して頑張ってきたけど、それも限界だ。

 病気なら病気で構わない。

 とにかく、何とかしてもらいたかった。

「中島さん、お入りください」

「は、はいっ」

 慌てて返事をすると、生唾を呑みながら緊張をみなぎらせて床を鳴らす。清潔な印象を受ける純白の扉をくぐると、そこには白衣を羽織った初老の男性と、薄い水色のナースウェアを着た女性が待ち構えていた。

「どうぞ、座ってください」

 看護師に促され、背もたれのない椅子に腰掛ける。

「それで、どうなさいました?」

「その……」

 医師の丁寧な物言いに、僕は答えあぐねる。やはり恥ずかしいというか、子供のワガママのようにすら思えるだけに、話したら説教されるのではないかという危惧も手伝って、なかなか言葉が出てこなかった。

「ひょっとして、食べ物のことですか?」

「え?」

 僕は驚いた。

 理由は言うまでもない。まったくその通りであったからだ。

「ど、どうして?」

「貴方くらいの歳で言い淀む理由は、食べ物の悩みかアレ以外には思い付かなかったもので。もちろん、見た目には健康そうだと思ったからですが」

 少し安心する。

「偏食も立派な病気です。放って置いて良いことはありません」

「そ、そうですよね、やっぱり」

「それで、何か食べられないモノでも?」

 そう聞かれて再び言葉を詰まらせるが、ここまできて隠すことなどできようハズもない。僕は意を決し、恥を承知で告白することにした。

「それが、売ってるモノはほとんど……」

「加工食品でも駄目ですか?」

「食べられないことはないんですが、入ってると思うと、それだけで気分が悪くなってしまいまして」

 高校生にもなって好き嫌いとか、正直言うと恥ずかしい。

 しかし、これ以上我慢して食べていると、心の方が折れてしまいそうなのだから仕方がない。単に苦手というなら克服のしようもあるだろうけど、個人的にはそんな軽い話ではなかった。

「アレルギー、ではないんですよね?」

「子供の頃にも何度か調べてみたんですが、違うみたいです」

 むしろアレルギーなら、大手を振って治療してもらっていたに違いない。

「なるほど……売っているモノがほとんど駄目とは、かなり深刻ですね、それは」

「すいません」

 うな垂れる。

「いえいえ、最近はさすがに減りましたが、少し前までは貴方のような人も珍しくはなかったんですよ。習慣や常識など、時代によって移り変わるものですから」

「じゃあ……」

「大丈夫、ちゃんと治りますよ」

「ホ、ホントですかっ?」

 まさか、こうも簡単に応じられるとは思っていなかった。心の病気とか、内臓の疾患とか、脳の不調とか、そういうものですらなかったことが、素直に驚きだ。

「薬を出しておきますから、食後三十分以内に飲んでください」

「薬って……あの、薬で治るものなんですか?」

「薬といってもナノ治療の一種です。すでに実績もある治療法ですので、安心してください」

「あ、はい」

 曖昧に頷く僕は、自覚できるほどの間抜け面をさらしていることだろう。

「個人差はありますが、一晩寝て起きれば、症状はかなり軽減しているハズです。一応、確認が必要ですので、一週間後にまたいらしてください」

「わかりました」

 こうして、僕の診察は終わった。

 アッサリと形容することさえ遠慮してしまいたくなるような、あまりに淡白な結末だったと、正直言って拍子抜けしている。これなら、あんなに悩む前にさっさと病院に行っておけば良かった。

 僕は苦痛を噛み締めるように最後の夕飯を終わらせると、出された薬を飲んで早々に眠ることにした。

 世界が変わることを期待しながら。



 翌朝、起きた時の第一印象は、あまり変化を感じないということだった。強いて言えば、頭の中がスッキリしていたように思える程度だろうか。それとて、たっぷりと睡眠をとったからという理由の方が的確だろう。

 しかし、階段を下りてダイニングへと足を踏み入れた瞬間に、僕は実感する。

 多分、生まれて初めてのことだ。

 朝食を見て、心底おいしそうだと思ったのは。

 この時間、共働きの両親はすでに出ており、大学生の姉はまだ寝ている。だから、朝食を抜くことも珍しくはなかった。食べていたのは、ある種の義務感があったからだ。

 だが今日は、食べたくて仕方がない。

 この空腹も薬の効果かもしれないと思いつつ、僕は自分の席に座ってトーストされたパンを手に取り、ジャムの瓶を引き寄せる。

 今までほとんど口にしたことのない『蟻』のジャムだ。

 いつもは不快でしかない塗る時のジャリジャリした音も、たまらなく食欲をそそる。黒い粒々が行き渡るのを確認して、早速とばかりに噛り付いた。

 砂糖の甘味と、微かな苦味に紛れた旨味が、絶妙に絡み合ってたまらなく美味い。時々歯に当たるプチプチした食感が、巧妙なアクセントとなって味を演出していた。

「うめぇ……」

 知らなかった。今までこんな美味いモノを敬遠していたとは。

 続いて手を伸ばしたのは『蝿』のスープだ。

 うじから取った白濁色の出汁だしに、羽をむしった蝿が浮いている。胡椒の風味がスープのマイルドな香りを更に引き立て、鼻腔の奥まで突き抜けた。

 僕は我慢できずにスプーンで掬うと、一気に啜る。

 シンプルだが深い、そう表現するしかない味わいだ。不思議な甘さと塩加減が素晴らしいバランスを保っている。蝿は揚げてあるようで、サクサクという食感が見事だった。

「すげぇ……」

 今まで避けていた自分が、まるで馬鹿みたいだ。

 そして最後、個人的には最も苦手だった『ゴキブリ』のフライへと手を伸ばす。

 キツネ色の衣に包まれた黒い小判からは、油の匂いに混じって柔らかな香りが立ち昇っている。まだ揚げてから時間が経っていないのだろう。表面のカリカリが見ただけでも伝わってくる。

 僕は見ているだけでは耐えられず、丸ごと口の中へと放り込んだ。

 予想通りのサクサクした食感だったが、中身は意外にも柔らかかった。見た目からして煎餅くらいに固い印象があったのだが、それは偏見というものらしい。その味は旨味が濃く、想像していたよりジューシーだった。それが足や頭の独特なパリパリ感と相まって、更に高いレベルのハーモニーを奏でている。

「やべぇ……」

 それは、驚きの連続だった。

 そして短いながらも、今までどれほど人生を損していたのか、思い知ったような気がした。

「これは弁当も楽しみだ」

 テーブルの端に用意されているプラスチックの容器を引き寄せる。まさしく、地獄から天国へと昇ったような気分だ。憂鬱で仕方なかった昨日までの自分が、情けなくて仕方がない。

 僕は、心の底から感謝しなければならないだろう。


 現代の医学と、人類の食糧不足に。


むぐむぐ……おいしいですよ、コレ。

というわけで、見事に色物でした。

今回のラインナップに思ったより食べる系が多かった印象なので、想定していたほどのインパクトはありませんでしたね。

まぁ、一切グロ描写をせずに書けたので、個人的には満足しています。

さすがに正面からのガチホラー勝負では、勝てそうもありませんからね。

ともかく、こんな作品を読んでいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 すごく面白かったです。将来もしかしたらこういうことってあり得ますよね~。わたしだったら薬で治療されるのいやですけど、そうしないと空腹で死んじゃうし・・・価値観の問題?でもやっ…
[一言] とても面白かったです。 虫が苦手な人にはたまらない感じの作品でしたが素直に驚嘆しました。 特に最後の一行が効きましたね。 物理的恐怖等ではないホラーってそんなにないと思いますが、けっこう…
[良い点] 内容がよくなんだろう?と疑問を持ちながら読み進めていき、食事のシーンで「虐待?」と予想してみたりしましたが、最後の一行で「あぁ・・・」と感心させられました。 こういう最後の一行でひっくり返…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ