好き嫌い
夏のホラー2009参加作品、投票用代表作品です。
エロい表現もグロい描写もありませんが、マズいと思ったら回れ右をしてください。
それでは刺客その三れっつごー
僕は今、待っている。
待合室は白と緑によってのみ彩られ、落ち着きと安らぎを提供してくれている。だけど、今の僕には大して効果がなさそうだ。家からここまで来る間にすら、吐き気を覚えて朝食を戻しそうになったほどである。
このままでは気が狂いそうだった。
家でも学校でも、それどころか通学路の片隅に至ってすら、油断してはいられない。今まで、何とか自然な形での克服を目指して頑張ってきたけど、それも限界だ。
病気なら病気で構わない。
とにかく、何とかしてもらいたかった。
「中島さん、お入りください」
「は、はいっ」
慌てて返事をすると、生唾を呑みながら緊張をみなぎらせて床を鳴らす。清潔な印象を受ける純白の扉をくぐると、そこには白衣を羽織った初老の男性と、薄い水色のナースウェアを着た女性が待ち構えていた。
「どうぞ、座ってください」
看護師に促され、背もたれのない椅子に腰掛ける。
「それで、どうなさいました?」
「その……」
医師の丁寧な物言いに、僕は答えあぐねる。やはり恥ずかしいというか、子供のワガママのようにすら思えるだけに、話したら説教されるのではないかという危惧も手伝って、なかなか言葉が出てこなかった。
「ひょっとして、食べ物のことですか?」
「え?」
僕は驚いた。
理由は言うまでもない。まったくその通りであったからだ。
「ど、どうして?」
「貴方くらいの歳で言い淀む理由は、食べ物の悩みかアレ以外には思い付かなかったもので。もちろん、見た目には健康そうだと思ったからですが」
少し安心する。
「偏食も立派な病気です。放って置いて良いことはありません」
「そ、そうですよね、やっぱり」
「それで、何か食べられないモノでも?」
そう聞かれて再び言葉を詰まらせるが、ここまできて隠すことなどできようハズもない。僕は意を決し、恥を承知で告白することにした。
「それが、売ってるモノはほとんど……」
「加工食品でも駄目ですか?」
「食べられないことはないんですが、入ってると思うと、それだけで気分が悪くなってしまいまして」
高校生にもなって好き嫌いとか、正直言うと恥ずかしい。
しかし、これ以上我慢して食べていると、心の方が折れてしまいそうなのだから仕方がない。単に苦手というなら克服のしようもあるだろうけど、個人的にはそんな軽い話ではなかった。
「アレルギー、ではないんですよね?」
「子供の頃にも何度か調べてみたんですが、違うみたいです」
むしろアレルギーなら、大手を振って治療してもらっていたに違いない。
「なるほど……売っているモノがほとんど駄目とは、かなり深刻ですね、それは」
「すいません」
うな垂れる。
「いえいえ、最近はさすがに減りましたが、少し前までは貴方のような人も珍しくはなかったんですよ。習慣や常識など、時代によって移り変わるものですから」
「じゃあ……」
「大丈夫、ちゃんと治りますよ」
「ホ、ホントですかっ?」
まさか、こうも簡単に応じられるとは思っていなかった。心の病気とか、内臓の疾患とか、脳の不調とか、そういうものですらなかったことが、素直に驚きだ。
「薬を出しておきますから、食後三十分以内に飲んでください」
「薬って……あの、薬で治るものなんですか?」
「薬といってもナノ治療の一種です。すでに実績もある治療法ですので、安心してください」
「あ、はい」
曖昧に頷く僕は、自覚できるほどの間抜け面をさらしていることだろう。
「個人差はありますが、一晩寝て起きれば、症状はかなり軽減しているハズです。一応、確認が必要ですので、一週間後にまたいらしてください」
「わかりました」
こうして、僕の診察は終わった。
アッサリと形容することさえ遠慮してしまいたくなるような、あまりに淡白な結末だったと、正直言って拍子抜けしている。これなら、あんなに悩む前にさっさと病院に行っておけば良かった。
僕は苦痛を噛み締めるように最後の夕飯を終わらせると、出された薬を飲んで早々に眠ることにした。
世界が変わることを期待しながら。
翌朝、起きた時の第一印象は、あまり変化を感じないということだった。強いて言えば、頭の中がスッキリしていたように思える程度だろうか。それとて、たっぷりと睡眠をとったからという理由の方が的確だろう。
しかし、階段を下りてダイニングへと足を踏み入れた瞬間に、僕は実感する。
多分、生まれて初めてのことだ。
朝食を見て、心底おいしそうだと思ったのは。
この時間、共働きの両親はすでに出ており、大学生の姉はまだ寝ている。だから、朝食を抜くことも珍しくはなかった。食べていたのは、ある種の義務感があったからだ。
だが今日は、食べたくて仕方がない。
この空腹も薬の効果かもしれないと思いつつ、僕は自分の席に座ってトーストされたパンを手に取り、ジャムの瓶を引き寄せる。
今までほとんど口にしたことのない『蟻』のジャムだ。
いつもは不快でしかない塗る時のジャリジャリした音も、たまらなく食欲をそそる。黒い粒々が行き渡るのを確認して、早速とばかりに噛り付いた。
砂糖の甘味と、微かな苦味に紛れた旨味が、絶妙に絡み合ってたまらなく美味い。時々歯に当たるプチプチした食感が、巧妙なアクセントとなって味を演出していた。
「うめぇ……」
知らなかった。今までこんな美味いモノを敬遠していたとは。
続いて手を伸ばしたのは『蝿』のスープだ。
蛆から取った白濁色の出汁に、羽をむしった蝿が浮いている。胡椒の風味がスープのマイルドな香りを更に引き立て、鼻腔の奥まで突き抜けた。
僕は我慢できずにスプーンで掬うと、一気に啜る。
シンプルだが深い、そう表現するしかない味わいだ。不思議な甘さと塩加減が素晴らしいバランスを保っている。蝿は揚げてあるようで、サクサクという食感が見事だった。
「すげぇ……」
今まで避けていた自分が、まるで馬鹿みたいだ。
そして最後、個人的には最も苦手だった『ゴキブリ』のフライへと手を伸ばす。
キツネ色の衣に包まれた黒い小判からは、油の匂いに混じって柔らかな香りが立ち昇っている。まだ揚げてから時間が経っていないのだろう。表面のカリカリが見ただけでも伝わってくる。
僕は見ているだけでは耐えられず、丸ごと口の中へと放り込んだ。
予想通りのサクサクした食感だったが、中身は意外にも柔らかかった。見た目からして煎餅くらいに固い印象があったのだが、それは偏見というものらしい。その味は旨味が濃く、想像していたよりジューシーだった。それが足や頭の独特なパリパリ感と相まって、更に高いレベルのハーモニーを奏でている。
「やべぇ……」
それは、驚きの連続だった。
そして短いながらも、今までどれほど人生を損していたのか、思い知ったような気がした。
「これは弁当も楽しみだ」
テーブルの端に用意されているプラスチックの容器を引き寄せる。まさしく、地獄から天国へと昇ったような気分だ。憂鬱で仕方なかった昨日までの自分が、情けなくて仕方がない。
僕は、心の底から感謝しなければならないだろう。
現代の医学と、人類の食糧不足に。
むぐむぐ……おいしいですよ、コレ。
というわけで、見事に色物でした。
今回のラインナップに思ったより食べる系が多かった印象なので、想定していたほどのインパクトはありませんでしたね。
まぁ、一切グロ描写をせずに書けたので、個人的には満足しています。
さすがに正面からのガチホラー勝負では、勝てそうもありませんからね。
ともかく、こんな作品を読んでいただき、ありがとうございました。