火事だ! 火事だ!
ドンドンドン
ドアが三回ノックされた。
いつもの時間である。
「火事だ! 火事だ!」
二度、適量な声で叫ぶ。
小さくもなく、大きくもなく。
小さい声だと、俺の耳に届かない。
大きい声だと、近所迷惑だ。
真夜中、十二時丁度に出すには、適正な音量だ。
声の主がドアから遠ざかってゆく。
階段を下りる音が聞こえ、次に下からドアを開け閉めする音が聞こえると、それで終わりだ。
それから俺は眠りにつく。
俺はいつも夜の十二時に寝ている。
大学に入って三年目だが、入学したその日から一度も十二時以外の時間に眠りについたことがない。
その理由は簡単。
俺がそう決めたからだ。
なぜそう決めたのかは、入学初日にふと思い付いただけなのだが、そう決めた限りはそれを変えるつもりは、微塵もない。
二年と三ヶ月間、毎日それを守り通している。
ドンドンドン
ドアが三回ノックされた。
「火事だ! 火事だ!」
ほとんど毎日のように繰り返されている。
まれに、まるでフェイントのように来ない日もあるが。
やっているのは下の階の住人だ。
俺と同じ大学に通う三回生で、年齢も同じく二十一歳。
名前を内葉忍と言う。
しのぶと言う名前は女性を連想させるが、れっきとした男である。
俺が毎日十二時に寝るのを知っていて、その十二時にやって来てドアを三回叩き「火事だ! 火事だ!」と叫ぶのである。
俺と内葉が住んでいるアパートは四部屋しかなく、普通の一戸建てと大きさはさほど変わらない。
おまけに二部屋が空室となっているので、住んでいるのは一階の内葉と二階の俺だけだ。
ドンドンドン
ドアが三回ノックされた。
「火事だ! 火事だ!」
人間とは習慣とは不思議なものだ。
毎日十二時に寝ているために、その時間が近づくと眠たくなる俺だが、ここ最近は、三回のノックと二回の「火事だ!」を聞くと、今まで以上に睡魔が襲ってくるようになった。
まるで「今から寝る時間ですよ。はい、どうぞ」と言われているかのような。
催眠術にかけられたみたいな効果が現れてきたのだ。
下でドアを開け閉めする音を聞いた後、俺は一気に深い眠りについた。
ドンドンドン
ドアが三回ノックされた。
「火事だ! 火事だ!」
前はまれに来ない日があったが、ここんところは内葉がやる気満々なのか、絶えることなく毎日続いている。
もちろん俺は、そのまま眠りについた。
ドンドンドン
ドアが三回ノックされた。
「火事だ! 火事だ!」
内葉忍があんな事をするようになったのは、三ヶ月前からだ。
何故あんなバカげた事をやっているのかと言うと、理由は明白だ。
俺への嫌がらせである。
しかし嫌がらせのつもりが逆効果となり、俺の睡眠を促進してくれているとは、さすがに気づいていないようだ。
ほぼ毎日やってくれている。
ありがたいことだ。
ドンドンドン
ドアが三回ノックされた。
「火事だ! 火事だ!」
三ヶ月前、内葉は一年も付き合っていた彼女にふられた。
そのふられた理由が重要だ。
何故ならその女が内葉をふった原因が、この俺にあるからだ。
内葉の部屋に遊びに来る彼女を見て、俺はすっかり気に入ってしまった。
気に入ってしまったのなら、そこは行動あるのみ。
彼女にあの手この手でアタックを仕掛けた。
最初はそうでもなかった彼女も、そのうちにその気になり、俺と付き合うようになったのだ。
そうなれば内葉は彼女にふられることとなり、彼女は内葉の元カノで俺の現カノになった。
その日から内葉の「火事だ! 火事だ!」が始まったのだ。その声に引き込まれるように、俺は眠りについた。
――うん? なにか声がする。
夢うつつの耳に届いてくる声。
「火事だ! 火事だ!」
ドアの前からではない。
アパートの外から聞こえてくるようだ。
内葉の声のようでもあり、誰か別の人の声のようでもある。
だがその「火事だ! 火事だ!」を聞いているうちに、強烈な睡魔がうつつ状態の俺を再び襲ってきた。
本当に人間とは習慣とは、不可思議でおもしろいものだ。
俺はそのまま深い深い眠りについた。
とある地方で、学生の住む小さなアパートが全焼した。
火元は一階の部屋の台所である。
消防は「火の不始末である」との見解を発表した。
一階の住人は気づいて逃げ出したが、二階に住んでいた学生は、眠りについたままの体勢で、焼死したとのことである。
了