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ホラーシリーズ

おかしいな? ハウマッチ

作者:あゆ森たろ

 小説家の男が居た。

 すでに年の いった彼は、おもちゃやアンティーク、お菓子が大好きで。鉄道、日本城下町、三国志や特撮、万博といった昔 懐かしシリーズなどのフィギュアを集めていたりする。している。おかげで彼の書斎や居間の棚は物の陳列で いっぱいだった。今も武将が ひとつ、棚から床に転がり落ちて放置されている。
 ある日、駄菓子を大きな袋詰めで買ってきて、ひとつの きれいな使用済みの折り詰め箱に袋の中身を全部バサバサと放り込んだ。
 それから彼は さて本業だと。書斎 奥の中央にドカンと堂々 所在い座る、横広の立派な文机に向かう。男の体も すっぽりと包み込んでしまいそうなほどの大きな背もたれのある事務用の椅子に どっかりと腰掛けた。
 机の上には仕事道具である筆記用具と、いまだ無情にも真っ白な原稿用紙の紙の束。
 7月10日と書かれた素っ気ない柄のカレンダーを、苦虫を噛みつぶしたような顔で見ながら そうも のんびりして いられないぞと。男は煙草に火を点けて、机に片肘をついて唸っていた。白髪 交じりで汗に濡れた毛をかきむしりつつ頭を抱えていた。
 一匹のハエが やってきて、男の周りで飛びまわり。手で払っても払っても しつこく寄ってきて男の神経を逆なでしている。
「……」
 扇風機の さわやかな風だけが男の味方だった。全開された両開きの窓の外ではセミが元気に鳴いている。
 増える煙草の吸殻が大きな灰皿に溢れるくらいになった所で。
 想像力の行き詰まりと睡眠 欲求のため。男は姿勢そのままに机で居眠りを開始した。……

 すると どうだろう。

 書斎の隅の陽光差す窓際に。細かい飴玉やスナックといった駄菓子が放り込まれ、適当に置かれた箱の中では!


 ひとつの『世界』が出来上がっていた……



 おかしな まち。おかしの くに。オカシナマチ……。
 みんな、お菓子の名前が ついている。それぞれ相手を、お菓子の名前で呼んでいる。
 あいつはチョコレイト。あのこはキャンディ。家が お隣さんであるサブレのサブさんと、愛犬のラスク。
 みんな、平凡な日常を好み、変わりのない生活をただ ひたすらに送っている。

 シャッター通りなんて呼ばせない。活気の よい売り出しの大声が行きかう商店街をひたすら走り。元気いっぱい半袖と短パン少年レイトは、アーケードの下、店と店との連なりで できている道を全力疾走。子どもの足で駆け抜ける。仕出し途中や買い物 途中、首から手書きで大きく宣伝文句を書かれた看板をぶらさげているサンドイッチマンや、時々 肉と呼ばれる鳩も数羽 見かける風景だった。

「サブさん、おはよう!」「やあレイト君。これから学校かい? 今日は遅いねえ」「ちょっと寝坊しちゃったんだ。じゃあね、今は急ぐから」「早く しなさいよレイト! 遅刻しちゃう!」「うわ、待ってよキャン! じゃあね おじさん」「そうかい。気をつけてな!」「ワンワワン!」 ……

 犬も歩けばポッキーくじに当たり、猿もグミの木から転落人生。猫のハンドクリームは食べられるが借りたくない。
 ありふれた日常。変わらない情景。
 こんな日が、毎日 続くものだと思っていた。思っていたかった。

 でも、そうは させてくれない。それが『運命』なのだから。


 学校の教室で名前が呼ばれる。出席者の確認だ。
 アの付く名前から順番に呼ばれて返事をする。マドレーヌ先生が出欠を確かめる。
 アイス君は ひと足お先に夏休み。しばらく学校には やって来ない。
 あんみつ坊やは白玉姫が そばに居なくて淋しそう。いつも君らは一緒に なって居るのにね。きっと白玉姫は気分屋だから、『一人で行きな』と叱られたんだろう。見てごらん、口をあんなに尖らせて。何も言わずに うつむいて座っているよ? きっと泣きそうになっているのを必死に耐えているに違いない。

「今日は休みの子が多いわね。みなさん、夏バテや風邪には充分に注意して下さいね」

 先生が教室中に呼びかける。みんな『ハーイ』と声を揃えて手を挙げた。
 レイトが座る、廊下側の列の後ろから2番目の席。レイトの肩を、後ろの席に座るキャンディことキャンが軽く叩く。
「何だよキャン。まだ先生の話の途中だぞ。見つかったら怒られる」
 肩をすくめてキャンは愛嬌 振りまき、レイトの肩をツンツンつついた。
「ちょっとくらい いいじゃない。それより、あんたの事を言ってんのよレイト? あんた夏は いつもバテてんじゃないのさ。ダウンしないでよね〜」
 いつも口うるさいキャンの忠告に、レイトは もうウンザリだ。「わかってるよ」
「夏って嫌よねえ。あたし いつも肌が べたべた」
 キャンは ため息をつきながら、下敷きでパタパタと顔を仰ぐ。……

「お静かに! ……それでは転校生を紹介します」

 マドレーヌ先生は蝶の羽みたいな形のメガネをずり上げて、張り切って声を出していた。
「さあ入って!」
 促され、教室のドアが引き開けられた。
 背丈がレイトと そう変わらない細身の少年。目が鋭くて、クールで無愛想な感じを受けた。肩からスポーツバッグを掛けて登場する。
「ガムです。よろしく」
 簡単な あいさつだった。何だ こいつは、緊張しているのかと誰もが思う。
「はい、ガム君。席はレイト君の前の席ね」
 先生に案内されて、言われた通りにガム少年はレイトの前へと やって来た。
「よろしく。僕はチョコレイト。わからない事が あったら何でも聞いてくれよ」
 レイトは気遣い、ガム少年に話しかけてみた。
 しかし席に座りかけたガム少年はチラリと横目でレイトを見ただけで、それ以外に何の反応も しなかった。無視して席に着き、前を向く。
 当然、レイトはムッとした。
(何だ こいつ)
「それでは授業を始めますよ」
 マドレーヌ先生の高い声が よく響いて本日の授業は始まっていった。

 さて今日の1時間目は、と。
 社会科だった。歴史で ちょうど、第2次ヤサイ世界大戦あたり。
 マドレーヌ先生が説明してくれる。黒板に白いチョークで字を書きながら、始めから解説してくれていった。随分と大昔の事……

 集権秘密国家ブロッコリー国がスープ海を挟んでカイワレ・ダイコン国に侵攻し、それを機に第2次ヤサイ大戦が勃発した。ブロッコリー先導者ニガ・ウーリ3世は、『3K政策』と言われる強国カボチャ、キャベツ、コマツナと不可侵同盟を結び、物資を止め、カイワレ・ダイコンを窮地へと追い込んでいった。
 孤立化したカイワレ・ダイコンは、それまでに平和条約を結んでいた小国タマネギ、シメジ、チンゲンサイに援助を要請し、応戦する。しかしエリンギ率いるシメジ国家は これを無視しブロッコリーと不可侵同盟を結んだ。続けて3年の内戦の経過のあと、タマネギ、チンゲンサイも降伏する。
 そしてヤサイ元年8月31日。ついにブロッコリーはカイワレ・ダイコンにミカク兵器『アジ』1号を投下し、カイワレ・ダイコンは降伏した。
 カボチャ国のバレイショの地にてバレイショ平和友好条約を締結し、こうして第2次ヤサイ世界大戦は終わりを告げた。
 しかし『アジ』を投下されたカイワレ・ダイコンの土地や住民は壊滅的ダメージを受け、『ミソシルの悲劇』と言われ、2度と繰り返さないよう子どもや後世に伝えるべく童歌のように一般に語り継がれていく。

『(頭よ)煮すぎるな! アジが落ちるぞ!』と。

 レイトも うんと小さな頃から聞かされてきた教訓だった。誰もが知っている。
 しかしレイトは。授業が終わりに近くなる頃には すでに夢の領域に入っていた。夢の中で、先生の声は好き勝手に自分の頭の中で変換されたりして、思考で遊ぶ。いいじゃん、どうせ夢だから、と……。

 ……ミカク兵器『アジ』1号。1号という事は、2号、3号が あるという事か……?
 それなら第2次っていうのも悲しいな。第3次が あるかもしれない。第1次が すでに あった。

 僕らは、何の ために。



 次の日。前日よりも欠席者は増えていた。レイトやキャンは給食を食べた後、昼休みが終わっちゃうよと外へと急いで駆け出して行った。廊下でガム少年とレイト達は すれ違いになる。
 ガム少年は読書が好きらしい。ひとり、図書室を探しに出かけた。
 誰にも聞かず、案内板を見て目的の場所へと辿り着く。すでに1冊の科学の本を持っていた。
 家から持ってきた本。騒がしい教室を嫌い。だから避難してきたというわけだ。
 ガム少年は室内に入ると奥へ行き、目立ちにくい机の角隅へと。座って静かに本を開いた。

浮遊粉塵(ふゆうふんじん)/エアロゾール』

 本のタイトル。ガム少年はポツリと ひと言だけ、呟く。
「温暖化か……」
 氷河が溶けると何が起こる。ガム少年は それを知りたかっただけだった。
 ただの、好奇心である。


 僕らは、何の ために。



 数日後。
 ……やっと、レイト達は気がついた。

 本日の欠席者は15名。体調が悪いだの、風邪だの、食中毒だのと。原因は様々だが、数が日を追うごとに増えていくのだ。先生が最初ちゃんと注意していたにも関わらず。
 そして異常な暑さ。エアコンなど、校内の何処にもない。いや、エアコンって何だ? この世界には存在しない。地上は太陽に熱せられるがままだ。今日も太陽は雲に隠れる事もなく、明るくボウボウと燃えて休まない。
 レイト達は、暑くて暑くて机に突っ伏していた。下敷きで体を冷やそうとパタパタ仰いでいる生徒が ほとんど。教科書さえ汗をかいているかのように思えた。
「ほらぁ、みなさん、しっかりして! もう少しで授業は終わりますからね」
 パンパン、と。マドレーヌ先生は手を叩いて、だれている生徒を起こしにかかった。突っ伏していた生徒のうち数名だけ、何とか体を起こしている。
 教室の隅から、消えそうな声が……した。
「せんせぇ……気持ちわるい……」
 一番 後ろの席からの声……キャンだった。
 レイトは びっくりして振り向いた。
 キャンは全身、汗で びっしょりと濡れていた。額からもジットリと、腕や足からも。制服が濡れ、下着が透けている。毛穴という毛穴から吹き出た汗は、なんとスカートから染みて床に滴り落ちていた……。
「キャ、キャン!?」
「レイト、あたし、溶ける……」
 レイトはガタリと椅子から すぐに立ち上がってキャンの体を揺さぶった。「先生!」
 先生を呼びながら、キャンの肌に直に触れる……腕に触る……。

(え?)

 レイトは触れた手を離した。離した、が。
「……」
 自分の方へと手の平を向けて愕然とする。ど、ろ、り とした流体状のものが、レイトの手に付着していた。それは透明で指と指を動かせば間に糸をひき、広げていけば いくほど細くなっていく。とても ねばねばとしていて一筋……一筋と かなりのスローペースで流れていった。
 そして離したレイトの手とキャンの体の間にも糸は切れずに残っている。
 これは何。レイトの見ている手は大刻みに ふるえ出した。
「キャ、キャンン……せ、せんせ……」
 動揺したまま顔を先生に向けたレイトは。

 ガタン!

 もっと驚き、前を向いたまま後ろへと。席と席との間で椅子を激しく突き動かし、自分は椅子から ずり落ちるような滑稽(こっけい)な格好で床にペタンと尻もちをついた。
 一体いつの間に近寄ってきていたのか、マドレーヌ先生はレイトを見下ろし こう言った。


「もうダメね……」


 とても疲れた顔。さっきまでの気力は何処へ いってしまったのか? 先生は柳を真似て肩をダラリと落とし、猫背になって がくん! と首を下げ、くしゃくしゃな毛の頭髪を見せた。頭を激しく揺り動かしたせいで、かけていた蝶の形のメガネは外れて床に落ちた……どうすればいいのか わからないレイトの目に飛び込んできたものは。
 みるみるうちに先生の服から出ている全ての肌――足や腕と呼ばれている全ての部位は、血色よい桃色から青か紫色へと心臓を中心に豊かな色彩グラデーションを描き動画 進行していくかのように変容した。床の蝶は、蛾に見える。
 うっすらとしていたと思った神経は濃く太く細く はっきりと浮き上がった。
 そして よろしくとレイトの方へと頭を上げた。白眼だった。「ギゃあぁぁぁあああ!」
 当たり前のように悲鳴を上げるレイト。こめかみを押さえて のどが裂けそうなほどの奇声を出した。
「あ、あうぅううう……」
 すぐ隣でキャンは苦しみながら先生の背後を見る。
 生徒は。
「苦しい……」
「助けて……」
 そして。

「 あ つ い ………… 」

 キャンディと同じく体が溶けかけ、密接していた机からはソースかマヨネーズにも似た流体状のものが遅く流れ出る生徒。汗かと思えば違い、透明だが艶々とし それは ゆっくりと溶け流れた。ひどくなると体ごと溶け始める。形をなくしていった。
 先生と同じく体の肌の色が変色し、血の気を失う生徒も。鮮やかだった肉と皮の色は寒々として青か青紫へ……中身が、侵されていく。白眼を向いて机に伏せるか ずるりと椅子から転げ落ちる。
「あああ……」
 立ち上がったかと思った生徒1名は体が砕かれたようにヒビ割れた。右肩あたりを中心にヒビが発生、徐々に広がり右の腕の関節から手の先の部分が お先に、と重さに耐え切れず体から離れゴトリと落ちた。石膏で出来た手のようだ。血は ない。
「げへぇえ……」
 異臭を放つ生徒も居た。臭い。
「溶ける……とけるよぉ……お」
 もはや元の形は何だった。
「あついよおおお……」
 止まらない。
 生徒は残らず全てが変で ある。もうレイトは声すら出すのを忘れてしまった。
 キャンは最期に見た。目に焼きつけた。消えていく薄い視界の中、レイトの姿を。
「れ、い、と…………」
 ぐにゃり……かろうじて『腕』に まだ見える どろりとしたキャンの『それ』は、レイトを指さした。「あんた……も」

 も?

 レイトは自分の体を見た。
 同時に、キャンの目の光が消える。そして そのまま ある程度に まで溶け続けていき おとなしくなった。
 隣で光景を横目といえど目撃したレイトは、自分の今後に来る末路を思った。
 溶けている。
 自分もキャンや、クラスメイト達のように なるのだと。
(たすけて! 先生!)
 先生はカマキリのように手足を折り曲げ仰向けに転がっていた。動かない。白眼のまま天井を見ている。
 レイトが脱出しよう、ここからと あがきながら何とか立ち上がろうと椅子や机に寄りかかってみた。しかし。
 ぐにょ。
 正しい関節の曲がり方を無視して有り得ない方に柔らかく曲がった。そんな。「っが……!」
 声に ならない声を発しながらも立ち上がった。支えが なくとも自力で。すると。


「何かが来たぞ」

 声がした。誰か? それは……。
「ガム……」
 レイトの前の席でガム少年はレイトでは ない方向を見つめていた。教室の外を開けられた窓越しに見ている。何かが来たと言う。

「見ろ。真っ黒だ」

 落ち着いた声で平然とクイ、とアゴで見る先を示した。
 段々と溶けて体の足や腕がキャン達と類似してきたレイトは驚きギョッとした。

 黒い衣を羽織った黒い肌の兵隊。
 どれだけ居るのか、数知れない。
 ざ、ざ、ざ、ざ。
 足音は増えていく。教室の外、下から窓へ よじ登ってきた……奴らは どんどん室内に侵入して仲間を増やしていく。
 呆気に とられていると奴らは溶けかけた生徒達に近づき集まり、ボソボソと何やら話し合っていた。そのうち行動を決めたのか集団はバラバラになる。
 奴らの ひとりが落ちていた石膏みたいな手を持って来た道を帰っていった。
 他にも、奴らは崩れた生徒の体や一部を運びやすいものから順番に運んでいく。
 奴らは何を。
 そしてレイト達にと視線を向け始めた。
 一歩一歩と近づいて。「く、来るな!」
 短くなった5本指の手で空をかくレイト。溶けた一部が離れ勢いで飛び、後ろのロッカーに ぴちょりと付着した。
 もう長くは ない。
「来るな……!」

 ムダダ……

 頭から被っていた黒布で隠れた顔からは そんな発音の音が聞こえた気がした。

「やられてたまるかよ」

 言ったのはガム少年。机を持ち上げ、敵に放り投げた。
「むざむざ やられるか! 抵抗する」
 生徒の中でガム少年だけ。元気な彼は、触ったものから机や椅子を担ぎ出し投げていった。それでも黒い奴らは隙あらば近づいて、近づいて……。
(ガム……何で……)
 お前だけは平気なんだと。レイトは手をガムの元へと伸ばそうとした。だが。
「触んな! こっちも溶ける」
 そばの机ごとレイトを蹴った。非情だった。「……!」
 レイトの意識は途絶える。もう暑くもない、寒くもない、それどころか感じない、感じない……最期に感じたのは……。
(ひどいよ……)
 ガム少年だけに言った言葉では ない。
 ガム少年は戦った。もう教室を埋め尽くすほどの黒い侵入者を相手に立ち向かう。クラスメイトは手遅れだ。助けたって無駄だ。せめて自分を護るのだ、と。彼が非情なのではない。情は あるのだ。情が ないのは……『運命』。運命、なのか。


 僕らは、何の ために。

 どうして戦争が起きるの
 どうして温暖化が起きるの
 どうして助けてくれないの
 どうして運命のせいにするの

 ああ どれも そうか そうだった そうなんだ そうだよ

 どれも これも みんな みんな


 愚 か な 行 為 よ。 


 ……


「おいくらですか?」
「どれでしょう?」
「このキャンディ。ひとつ下さいな。あ、このクッキーも」
「はい。まいど」
「チョコは無いですね。やっぱり この季節」
「夏は置きませんね。すぐ溶けますんで。売り物に ならない」

 ……

 駄菓子屋の店主は、お客の女に袋に詰めたキャンディとクッキーを渡した。女から お金を受け取る。
 女は家に帰った後、旦那に駄菓子の入った袋を見せた。
「ただいま あなた。お菓子 買って来ましたよ。仕事は順調?」
 書斎に入ると、机で煙草を片手に肘をつきながらペンを走らせていた男は白い原稿用紙を前に奮闘していて、顔を上げはしなかった。扇風機は首を振りながら、男が指と指で挟んで持っている長い煙草の先から出ていた細い煙を、風で飛び散らしていった。8月15日と書かれたカレンダーの一番上の紙1枚だけ、ペラ、ペラ、と風で動いている。
 今日も開けっ放しの窓からは元気なセミの声が する。何十奏にも重なって やかましい。
「ああ。もう少しで出来そうだ。ちょうど糖分が欲しくなったところ。飴でも くれないか。お菓子は どっか適当に置いておいてくれ」
 紙からは目を離さずに、声だけで女に あれこれと指示を出した。顔中には じっとりと汗が浮かんでいる。来年こそはエアコンを買おうと密かに心に決めていた。
 女は箱が置いてある、部屋の隅へと目をやった。
 窓から入る直射日光をたっぷりと浴びて、『箱』の中では。
「きゃああ! 何ですか これ!」
 女は悲鳴を上げた。

 無理も ない。
 飴、ソフトキャンディ、キャラメルなどは溶けかけており、べたべた だ。チョコレートは銀紙に包まれているから原型は あるが少しでも触ると ぐにょりと柔らかく曲がってしまう。
 パイ菓子やクッキー、クラッカー、せんべい などは上から追加される物の衝撃の せいかヒビ割れていたり粉々に。
 人から もらったのだろう、マドレーヌや最中はラッピングされては いるが、カビている。
 チップスやマシュマロなどは大丈夫そうに見えるが、賞味期限が切れている。
 さらに言うと、窓から箱までズラッと。アリが行列を作り お菓子に群がり運び出し、忙しそうに働いていた。
「何よこれ! こんな日当たりの良すぎる所に置いておくからでしょう! ああ もったいない」
 ガムは賞味期限も ないし溶けないので食べられるが。
「全部、捨てますからね!」
 容赦は ない。

 女は小走りで部屋を抜け出し、台所からゴミ袋を持って再び書斎へ やって来ると。箱ごと思い切って処分、処分へ。ひっついていたアリも、だった。
「買ってきた分は台所に置いておきますから! 開けて残すようでしたら、ちゃんと密閉して涼しい所に置くか、冷蔵庫に入れておいて下さいね! 全く もう!」
 女は怒りでカンカンだ。


 僕らは、何の ために。


「おじちゃん! 遊びに来たよ!」
 実は女と一緒に帰って来ていて、居間で おとなしく待っていた近所の子どもが居た。待ちきれなくて、書斎へ覗きに やって来た。
「おお、かりんちゃん。よく来たね」
 男は笑って手招きした。こっちへおいでと。
「ダメよ あなた。お仕事が残ってるでしょ。さあ、かりんちゃん。おじちゃんの仕事の邪魔をしないように、あっちの部屋に戻りましょう」
 女は部屋の入り口で、走り出そうとした子どもを手で制止し肩を掴んでクルッと方向を変えてやった。上目づかいに女の顔を見た子どもは「はあい」と残念そうだった。
 しかし出て行ってしまう前に男は もう一度呼ぶ。
「ホラかりんちゃん。これを持って お行き」
 男は今 封を開けて机の上にバラバラと置いて、自分も食べていた個包装の飴を1つ。子どもに手渡した。
 女の脇をくぐり抜けて男の横まで来た子どもは、とても嬉しそうな笑顔で受け取って男に お礼を言う。
「わあい。おじちゃん、ありがとう!」
 大喜びで包みをあけてパクリと口に放り込んで、子どもは また元気に駆け出して行った。
「さてと……」
 男は ふふ、と微かに笑い、子どもから元気を分けてもらった後。締め切りまで あと残日わずかという現実に引き戻される。原稿用紙の白い部分が小憎らしかった。
 ちょうど書きかけの物語はヤサイ戦争の中盤戦。人の行為の愚かさを、男はペンで力を加えて書きなぐる。
 自分の事を棚に、上げながら。


 僕らは、何のために 居るのかなあ?

 それはね、子どもの笑顔を見るためさ。

 うふふ。だったら ちゃんと保管して おいてね? お・じさん。


《END》



【あとがき】
 グロいミュージカルかと思いましたが、怖いらしく(そうか……遠)。
 ガムはチョコと食べると溶けるらしいですね。ほんと?
 ああ友達に なれない。すみません……。

 ご読了ありがとうございました。


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