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第1話の5
「ずいぶん嫌われたものですねえ、京吾さん」

 雑踏の中を歩きながら、声楽はこれ以上ないほど幸せそうな表情で、

彼を振り仰ぐ。そんな彼女に、コートのポケットに手を突っ込んだま

ま、京吾は苦い顔を向けた。

「嫌われたのは声ちゃんも同じだろ?」

「まあ、それはそうですけどね。でも私は、人に嫌われるような性格

を自覚してますので、百戦錬磨の京吾さんが嫌われるのとはショック

の度合が違いますよ」

「百戦錬磨の意味こそ違うんじゃないのか……?」

「似たようなモンでしょ?」

 せっかくだから飯でも奢ってやろう、というつもりで、普段は寝て

いる昼間に町中に出てきたのが一時間ほど前のこと。目的の人物を発

見し、声をかけようと思った瞬間に逃げられた。肩を叩こうと伸ばし

た手は空しく宙を掻き、思わず唖然とした京吾が、声楽は楽しくて仕

方がないらしい。

「まあ、敵が何であれカンが働くのはいいことですよ。京吾さんがい

きなりあの坊やを仲間にすると言いだした時には、ついにトチ狂った

かと思いましたけど、今では納得してます」

「……敵じゃないだろ? 少なくとも、俺は坊やに危害を加えるつも

りはない」

 トチ狂った、という嫌味は聞き流し、敢えてそこだけを追及すれば、

彼女が至極、マジメな顔を向けてくる。

「何を寝ぼけたこと言ってるんですか。私が言っているのは人間とモ

ンスターの話ですよ。我々がどういうつもりかは別にして、その二つ

は基本的に相容れない存在でしょう?」

「……そうだったな」

 軽く息をつき、改めて雑踏に視線を向ける。用事が無くなってしま

ったので、正直な話、少しヒマだ。

「せっかくだから何か食って帰るか」

「いいですね、それ!」

 咄嗟に思い浮かべたのはスノーレイの名物、氷菓子だった。氷菓子

には、砕いた氷にハチミツから作ったシロップをかけたものと、ヤギ

の乳から作ったクリームを凍らせたものに、ウエハースを添えたもの

の二種類がある。店によって多少、味に差異はあるが、言ってしまえ

ば中身は大して変わらない。

「でも一人で行ってくださいね。私、あなたと恋人だと思われるのは

死んでもイヤです」

「……そこまで言うか?」

「言いますよ」

 一緒に来るかと思った瞬間に、この返答。予想していなかったこと

ではないにしろ、京吾としてもここで引き下がるのはおもしろくない。

「付き合えよ。話し相手がいないのは退屈だ」

「何を今更。ヒマ人が退屈を感じなくなったらヒマ人じゃなくなって

しまうじゃないですか」

「ホントに、ああ言えばこう言う……」

「それが特技ですから」

 声楽との付き合いは長い。それこそ、彼女が体の一部に感じるほど

長い時間、一緒にいる。しかし、この性格は出会った時から一向に変

わる気配を見せない。思わず溜め息を落としたところで、彼女が少し

ばかりマジメな表情で話題を変えてきた。

「でも、正直なところ、どうするつもりなんですか? あの坊や、ど

う考えても京吾さんになびくようには見えませんよ?」

 言われて、彼は少しばかり考えを巡らせた。最終的な結論はひとつ

だが、それに至るまでの道のりについては、未だにはっきりとした答

えを出せずにいる。

「……どうしようかな。まあ、時間はあるし、ゆっくり話してみるさ」

 結論を出せず、結果的に曖昧な答えを口にすれば、彼女はその肉感的

な唇に、意味深な笑みを乗せた。

「それが、そうも言ってられないかもしれません」

「と言うと?」

 無意識に彼女の顔に視線を向ければ、髪と同じ栗色の瞳と視線が交

わった。

「何から報告すればいいんでしょうねえ。とりあえず、氷都の冬軍を

統括している、コルネットという男を知ってますか?」

「コルネット?」

 混沌とした記憶の中を探り、京吾はその名を持つ男の顔と、簡単な

情報を引き出した。しかしながら、その男にはあまり興味が無かった

ので、ごく単純なことしか覚えていない。

「確か、帝都の出世街道を外れて、五年くらい前に氷都に飛ばされて

きた男だろ? 名前くらいは知ってるさ。それが?」

「そのコルネットがですね、一年ほど前にシュレイド地方のアイスロ

ードという町に孤児院を建てたんですよ。しかも、自腹で」

「孤児院?」

 記憶にあるコルネットという男は、いかにも冬軍らしい「正義と猜疑」

に満ちた顔つきをしていた。その男と孤児院とは、あまりにもイメージが

かけ離れている。どう考えても、慈善事業など進んでやりたがる男には見

えなかった。

「ええ、間違いなく孤児院です。慈愛の女神フレイヤの名前にちなんでフ

レイヤ館と名付けられたそうですが。氷都の孤児だけでなく浮浪者もそこ

に集めて、孤児たちには里親を紹介したり、浮浪者には仕事を仲介したり、

三度の食事と寝床を提供したり、と、慈愛に満ちた施しをしているようで

すよ。しかも、これまたコルネットの自腹で」

 道理で最近のスノーレイでは浮浪者を見かけないわけだ。ただそこにい

るだけで毎度の食事と暖かな寝床を提供して貰えると聞いて、浮浪者がそ

こに群がらないはずはない。無論、中には本気で仕事を仲介して欲しいと

思っている者もいるはずだが。

「それで、ですね。七日後に氷都の城下町でお祭りがあるでしょう? ど

うやら、我がアルテリアの国王陛下と「獅子王」の異名を持つ現在の将兄

が見学に来るらしいんですよ。で、コルネットの考えを要約すると、高貴

なるお二人に見苦しいものをお見せするわけにはいかない。だから氷都の

汚物である家なし子や浮浪者を一斉に逮捕するべきだ、と。バカバカしい

話に聞こえますが、コルネットは「マジ」でそういうことを考えているワ

ケなんです」

「ふ~ん……」

 だとしたら、フェンリルも近いうちに、そのアイスロードの町にあると

いうフレイヤ館に連れて行かれる可能性があるわけだ。だが……。

「連れて行かれるだけなら問題ないはずだろ? それこそ、俺が里親にな

って引き取ればいい。わざわざ報告してきたってことは、何か裏があるん

じゃないのか?」

「ヤドロクの京吾さんが里親になる、という寝言は聞かなかったことにし

ておきますね。珍しく頭が働いてるじゃないですか。その通りです」

 いちいち嫌味だが、気にしていたらキリがない。ここは敢えて何も言わ

ずにおいた。

「こう言えば分かりますか? 今朝、そのフレイヤ館に行って来たんです

けど、とても可愛らしい子ばかりがたくさんいました。とても可愛い子ば

かりが、たくさん」

 意味深な瞳に、ひとつしかない答えを感じ取り、彼は視線を前方に戻す。

「……孤児たちを売っているワケか」

「正解です。今現在アルテリア、特に氷都は災害の影響を受けて非常に不

景気ですからね。一般家庭で孤児を引き取りたいなんて人は滅多にいませ

ん。そんな余裕があるのは、経済的に豊かな立場にある者に限られます。

どういうつもりかは知りませんけど、けっこうな値段で……場合によって

はオークションにかけてまで、気に入った子供を引き取りたいと言う金持

ちが後を立たないそうなんですよ。氷都だけでなく、帝都に他の都に……。

一部の人間の間では話題になってますね。まあ、こういう方法を使って、

コルネットはフレイヤ館にかけたお金を回収しているというワケです。お

金も戻って、町も綺麗になって、コルネットにしてみれば一石二鳥という

ところでしょうね」

 聞いているだけで溜め息が出るような話だが、地方の村ではよくある話

だ。まだ孤児院という看板を掲げているだけマシだろう。法が整備されて

いるのは、未だ帝都と各地方の城下町に限られている。法と秩序が届かな

いのは、なにも諸外国に限った話ではない。

「で? 売り物にならない連中はどうなるんだ? 北東のミラ鉱山か?」

「残念ながら違います。鉱山に送るより、もっと手っ取り早い方法があり

ますよ。ここは氷都。フラヒヤ山脈の麓です。フィールドに連れて行って、

置き去りにしてくれば、コルネットが言うところの「氷都の汚物」は、手

際よくモンスターが始末してくれるという按配です」

 いかにも冬軍のエリートが考えそうなことだ。そんな風に思いながら、

京吾は脳裏にフェンリルの姿を思い描いた。

「だけど坊やは……」

「艶やかな黒髪に闇色の瞳! 上から見ても、下から見ても、右から見て

も、左から見ても、文句の付けどころがない美少年でしたねえ! 京吾さ

んが、ついに禁断の道に踏み込んだのかと思ってしまうくらい」

「あのなあ……」

 声楽の言葉に、彼は呆れて開いた口が塞がらなかった。

「節操がないことは認めるが、男と子供はムリだ」

「なに当たり前のこと言ってるんですか、あなたは」

 話を振って来たのは声楽なのだが、これ以上ないほどにマジメな顔でア

ッサリと流され、逆に返答に困った。

「ちなみに、私は女性と子供と、京吾さんが! ムリです」

「……」

 わざわざはっきり言われなくても、声楽は自分にとって恋愛の対象では

ない。しかしここで自分もムリだ、などと口走ろうものなら負け犬の遠吠

えに聞こえてしまう。世の中しょせん、早いもの勝ちなのである。

「で、話は逸れてしまいましたけど、私が心配しているのはですね、坊や

が大人しくフレイヤ館に残るかということなんですよ。ここ最近、彼の行

動を見ていましたけど、坊やの性格からして仲間と離れて一人だけ氷都に

残るとは思えないんです。おそらく、フレイヤ館の方もせっかくの金ヅル

を逃すまいとするはずですが……」

「その点は同感だな」

「それで、改めて聞きますが、これからどうしますか?」

「そうだな……」

 国王と将兄がこの氷都にやって来るのが7日後。だとしたらそろそろ冬

軍が動き出す頃合いだ。今のうちにフェンリルに話をつけようか、とも思

ったが、顔を見た瞬間に逃げられるようでは、さすがに望みが薄い。

「しばらくは傍観してろ。坊やが本当に孤児院に残らないとは限らないし

な。フィールドに送られた時に、助けてやればいいさ」

「……吊り橋の上の恋、ですか?」

 軽く笑って、彼は頷いた。世の中には、吊り橋に例えられる危険な状況

で出会った男女は、必ず恋に落ちるという例えがある。似たように、モン

スターが徘徊する危険なフィールドから助け出されれば、フェンリルも自

分たちの見方を変えるだろう。

「雪山の様子は?」

「……特に変わりありません。いつも通りです」

 フラヒヤ山脈に生息するモンスターと言えば、ギアノス系、ブランゴ系、

ファンゴ系、ラージャンに、時折ティガレックス、クシャルダオラ。

「楽勝だな」

「まあ、我々にとっては」

 喉の奥で笑う声楽に、彼は改めて念を押す。

「一応、坊やの様子を見ておいてやれ。万が一のことがあっても困る」

「承知してますよ、もちろん。一応、聞いておきますけど、他の子たちは

どうします?」

「わざわざ聞くことか? 俺が欲しいのは坊やだけだ。他のガキが生き残

ろうが野垂れ死のうが興味はない」

「でしょうね。まあ、後で文句を言われても困るので確認したまでです」

 そして、声楽は立ち止まる。

「では、私はこれから帝都の屋敷にいる陽菜ちゃんたちに連絡して、可愛

い坊やの歓迎会の準備をして参りますね。新しい仲間、景気よく迎えてあ

げたいですから」

「……子供が喜ぶようにしてやれよ」

「分かってます。プレゼントを山盛りにしておきますから、そのつもりで」

「分かった、分かった」

 暗に自分も何か用意しておけ、と言われ、彼は溜め息交じりにそう答え

る。そんな京吾に笑いかけ、声楽は雑踏の中に紛れていった。

「さてと、俺も何か選んでおくかな……」

 退屈な午後に目的ができた。さっそく、京吾は土産物や装飾品を扱う店

が立ち並ぶ場所に向けて歩き始めた。

「子供が喜びそうなものって、何だろうな……」

 世の中の女性が喜びそうなものにはいくらでも心当たりがある。しかし

小さな子供とは無縁の生活が長いため、なかなかこれだと思う物がない。

道中、彼は本当に「真剣に」頭を悩ませ続けた。

                 *

 灰色の空の向こうを、太陽が西に沈んで行こうとしている。

「マズイな……」

 そこかしらに闇が忍び寄る、細い路地。小さな窓の向こうで店員たちが

店じまいをしている様子を眺めながら、二人は冴えない表情でねぐらに向

かって歩いていた。今日一日、スノーレイの町を西へ東へと歩きまわって

さすがに疲れを感じる。それも、収穫がないとなればなおさらだ。

「なんかありそうだね……」

 前を向いたまま、呟くような声でそう言えば、隣に並んで歩くジェイド

が難しい顔のまま静かに頷いた。

「間違いないだろうな。民家の方もダメ。店舗の方もダメ。たまに使う温

泉宿の庭まで冬軍が先回りしてやがる。どうしたモンかねえ。とりあえず

今日のところはもう動けないし、朝を待っていっそのこと氷都を出るべき

かもしれない。いや、俺とお前はともかく、あいつらに長旅はムリだよな。

う~ん……」

 何の躊躇もなく氷都を出る、と言いだしたジェイドに、フェンリルは顔

色を変えた。 

「それは止めた方がいいよ、ジェイド。どこの都に行くにしても、途中の

荒野には盗賊が出る。野犬の群れだっているし、運が悪ければモンスター

だって降りて来るんだ。俺はあんな思い、二度とイヤだ」

 フェンリルの常にない必死の訴えに、ジェイドは軽く片眉を上げた。

「珍しいな、お前がそんなに弱気なんて」

「そりゃあ、ね……」

 フェンリルは冬軍官を相手にしても全く怯まないし、子供相手なら何人

いようが余裕でケンカに挑み、なおかつ勝って戻ってくる。ジェイドにし

てみれば、盗賊や野犬、そしてモンスターにフェンリルが弱腰になるのが

いまいち信じ難かった。

「龍都のミナガルデからここに来るまで、俺は本気で死にかけたんだよ。

野犬もモンスターも怖かったけど、何とかならないワケじゃなかった。で

も盗賊だけは、本当に怖かったし、どうしようもなかったんだ」

「意外だな。お前なら、戦って勝つんじゃねえの?」

「最初のうちだけは……」

 言いながら、フェンリルは記憶の底に捨てて来たはずの狂気に満ちた瞳

を思い出す。刀を振り上げ、馬に乗って追いかけ回し、捕えた獲物はすぐ

には殺さず、ゆっくりと嬲り殺しにしようとした。精神的にも、肉体的に

もひどく追い詰められ、恐怖で狂いそうになったことは、未だに忘れられ

ない。もう一度、同じ場所に行く勇気は、さすがに持ち合わせていなかっ

た。

「人間じゃないんだ、あいつら。ずっと笑ってるし、ヨダレ垂らしながら

喋るし、殺したいなら殺せばいいのにさ、俺が怖がるのを見て喜んでんだ

よ。わざと逃がして、また追いかけたり。目の前で別の人を……その、ひ

どい殺し方をして……次は俺が同じ目に遭うんだって……思わせたり……」

「ふ~ん。そういや、お前さ、俺と初めて会った時、ひで~顔してたよな」

「それは仕方ないよ。あの時はもう、今以上に生きるか死ぬかの瀬戸際だ

ったし、俺……」

「なるほどねえ~」

 フェンリルの心情とは裏腹に、ジェイドは相変わらずあっけらかんとして

いる。その態度に腹立たしいものを感じないではないが、ジェイドに言うだ

け無駄だと分かっているので、喉まで出かかった文句は大人しく飲み込んだ。

そしてふと、フェンリルは気になることを思い出した。

「そう言えばさ、最後に盗賊に追われた時のことは覚えてんだけど、そこか

らどうやってスノーレイまで逃げて来たのか、全く記憶にないんだよ。俺、

なんか言ってなかった?」

「はあ~? お前が覚えてないのに俺が知るワケないだろ?」

「そうだよな……」

 考え込むフェンリルを見ながら、ジェイドは心の中でほっと息をついてい

た。どうやら、疑ってはいないらしい。本人が忘れていることなので敢えて

話はしなかったが、実は初めて会った時、フェンリルは本当に「血に飢えた

狼」のような眼差しで、道端に座り込んでいた。それも、全身「血まみれ」

で。ひどいケガをしているのかと思えば、ほとんどが「返り血」だった。今

の話を聞くまでは野犬でも殺してきたのかと思っていたのだが、どうやらそ

うではないかもしれない。

(やっぱ、殺しちまったのかな……)

 自分のグループだけでなく、アストのグループにいる子供たちも事情を抱

えた者ばかり。それぞれ涙ながらの身の上話は聞き慣れているジェイドだが、

フェンリルに関してだけは、少しばかり特殊だと思うことがあった。普段は

陽気で素直な優しい少年が、いったんケンカになれば別人のように相手を容

赦なく叩き伏せる激しい一面を見せることも一因かもしれない。

(俺はお前の方が恐いと思うことがあるよ、フェンリル)

 本音を言えば、そうなる。それに、初めて会った時、血まみれで道端に座

り込んでいたフェンリルに話しかけたのも、おそらくはそういう気持ちだっ

た。見ているだけで恐ろしいと感じるほどの者なら、いっそ味方に引き込ん

だ方が安全だ。そう思って、軽口を叩きながら彼に話しかけた。

(信じられねえよな。普通にしてりゃあ可愛いツラしたガキなのに……)

 彼に気付かれないよう、ジェイドは横目でその顔を盗み見る。何やら一生

懸命、考えているらしいフェンリルは、その視線に気付いてはいない。こん

な小さな体のどこにそんな力があるのだろう、と思いながら、ジェイドは小

さく溜め息を落とす。

「なあ、フェンリル」

 いつもの調子で、ジェイドは隣にいる小柄な少年に話しかけた。

「まあ、いろいろあるかもしれないけどよ、難しいコト考えるなって。忘れ

ちまったモン思い出すより、今は考えなきゃいけないことあんだろ?」

「へ? 氷都を出るんじゃないのか?」

 物思いにふけっていたフェンリルは、突然のジェイドの言葉に間抜けな顔

で彼を見上げた。

「バカ言うな! ケンカで負け知らずのお前が危険だって教えてくれたって

のに、わざわざそんな危ない場所に行けるかってんだ! 「仲間」の意見は

尊重する! それが俺のやり方だ! そうだろ!?」

「あ、うん……ありがと……」

 荒野には出ない、という結論をジェイドが下したことに、正直フェンリル

はほっとしていた。結局、問題は何も解決していないのだが、もう盗賊に追

われることはないと思うだけでも、気分的には随分ちがう。

「さあて……どうしましょうかねえ~。氷都を出るのもムリそうだし、ねぐ

らを引っ越すのもムリそうだし、こりゃあ昼間の兄ちゃんと姉ちゃんに宿を

恵んでもらいに行くしかねえんじゃないかな~? と俺は思うんだけど、お

前はやっぱりイヤだって言うよな?」

 言われて、フェンリルは頭を抱えた。ここまで八方塞がりだと、贅沢は言

ってられない。それこそ、ジェイドが言うように京吾に頭を下げて泊めても

らのが一番、安全だ。まさか冬軍も一級の温泉宿であるクレマチスの中まで

踏み込んできたりはしないだろう。贅沢、の意味が違う気がするが、これは

この際、関係ない。

「なあ、フェンリル。お前が何であの二人組のことが怖いって言うのか知ら

ねえけどよ~、利用できるモンは利用しようじゃねえか。それこそ、どうせ

観光客だろ? いずれは帝都なりどこなりへ帰るわけだ。その時ついでに俺

たちも連れて行ってもらうってのはどうだ? クレマチスに泊まれるくらい

の金持ちだろ? 荒野に出ても夜はキチンと宿屋に泊まるだろうし、護衛が

いないはずもない。しばらくはタダ働きになるかもしれねえけど、命を無く

すよりはずっとマシじゃねえか。どうだ?」

「う~ん……」

 ジェイドの言うことは正しい。普通に考えれば、そうするのが一番だ。何

度も思うことだが、彼らに敵意は無かった。関わりたくないと思っているの

は、ただの直感に過ぎないし、実際にしてもらったことは感謝するべきこと

の方が多いのだ。盗賊か、それともあの二人か。究極の選択を迫られて、フ

ェンリルはひたすら頭を抱えた。

「おいおい。何をそんなに悩んでんだよ、フェンリル」

「悪い、ジェイド。やっぱ、そうするべきだと俺も思う」

 結局、悩んだ末に出した答えは盗賊よりはマシ、というものだった。

「じゃあ話は決まりだな! さっそく話を付けに行って来ようぜ? あいつ

らを迎えに行くのは後でいいからよ!」

「うん」

 フェンリルが頷いた時だった。細い路地の先に、三つの影がまるで立ち塞が

るようにして、佇んでいる。一瞬、冬軍かと思ったのだが、つぎはぎだらけの

汚れた布を纏い、ボサボサの頭髪を伸ばし放題にしているその服装を見る限り、

どう考えても冬軍ではない。

「珍しいな。最近は見かけないのに」

 特に恐れる様子も見せず、ジェイドは三人の浮浪者に視線を注ぐ。

「そうだな」

 二人並んでその横を通り過ぎようとした時、浮浪者たちが彼らの行く手を塞

いだ。こうなると、彼らの「目的」と待ち受ける「結果」はひとつしかない。

「おい、ガキども。死にたくなきゃあ有り金、全部おいてきな」

 ひどく掠れた予想通りの声音が頭上に降り注ぐ。フェンリルは一応、ジェイ

ドの指示を仰ぐために、彼を振り仰いでみた。ジェイドが小さく頷いたので、

フェンリルは不敵に笑って見せる。

「死ぬのは、あんたらの方だよ」

 言い終わるか終らないかのうちに、フェンリルは正面にいた浮浪者のみぞお

ちに肘を叩きこんでいた。油断していたこともあり、急所にいきなり一撃を食

らった男は息を詰めて前屈みになる。その顎へ、間髪入れずに回し蹴りを当て

た。横にあった店の石壁に思い切り頭を叩きつけられた男は、口から泡を吐い

て気を失う。

「い~ぞ~。いけ~。やれ~。叩きのめせ~。フェンリル~。」

「たまにはお前も戦えよ、ジェイド!」

 無責任に応援して来るジェイドに向って文句を垂れれば、、別の男が激昂し

た様子で掴みかかってくる。身を屈めてその腕を逃れ、その勢いを利用して反

動を付け、思いきり男の顎に頭突きした。

「いや~、俺は頭脳労働者だから、こういうのはムリ~。だってパンチとかキ

ックとか、俺らしくないし~」

 始めから分かっていたことだったが、ジェイドははっきりと断言してくれた。

「このガキ……!!」

 頭突きを食らった浮浪者が鼻血を吹き、顔に血を昇らせながら振り下ろして

きた拳を、フェンリルはあっさりと避けた。

「遅えよ、ザコ」

 繰り出した拳を避けられ、バランスを崩して自然、前屈みになる男の顔に、

横向きに構えた肘を当てる。同時に、鼻の骨が折れる鈍い音が鼓膜を刺激した。

拳で相手の顔を殴れば、自分の手を骨折する可能性がある。幾度となくケンカ

を繰り返し、自分が受けるダメージを最小限に抑える方法を模索してきたフェ

ンリルは、普段のケンカで拳を使うことは滅多にしない。

「この……」

 鼻の骨を折られた男が短く呻く。その間抜けな表情に薄く笑い、今度は脛を

蹴り上げる。小さく叫び声を上げ、男は蹴られた脛を押さえて石畳に蹲った。

その男の背後に回り、フェンリルは後ろ向きに素早く距離を取って一気に駆け

出した。

「オジサンでラスト、だな」

 助走を付け、蹲る男の背を踏み台にして飛びあがったフェンリルは、その正

面で唖然としている最後の浮浪者の顎に爪先を叩きこむ。折れた歯と血が飛び

散るのを見ながら、そのまま空中で一回転して地面に着地した。

「カッコい~! フェンリル~! サイコ~!!」

「どうも~!」

 直立不動で拍手を送ってくれるジェイドに、フェンリルはわざとらしく拳を

握って天に掲げ、勝利のポーズを取って見せた。

「このクソガキが……!!」

 脛を押さえて蹲っていた男が、ゆらりと立ち上がる。

「おいおい、オッサン。まだ負け足りねえの? 三人がかりであっさりブチの

めされたんだぜ? 一人じゃ手も足も出ねえよ。諦めて有り金おいてきな」

 ジェイドがちゃっかり言った時、突然、夕闇に染められていた暗い路地を、

幾つもの松明が明るく照らし出し始めた。同時に響くのは、冬軍の履く皮靴の

立てる、せわしない硬質な足音。

「ヤバい! 冬軍だ! 逃げるぞ!」

 迫り来る冬軍に、慌てて元来た道を戻ろうと二人は踵を返す。しかし、振り

向いた先にも、松明を掲げた冬軍がいた。前方に数人。後方にも数人。挟まれ

ている。狭い路地に、逃げ場はない。

「ジェイド……」

「大人しく殺されてたまるか! 全力で戦うぞ!」

「分かった!」

「大丈夫か、坊やたち!? ケガはしてないか!?」

 フェンリルが無意識に拳を握りしめた途端、進行方向からやって来ていた冬

軍の一人が、いきなり石畳に膝を付いて、そんなことを言ってきた。

「へ?」

 思わず唖然として間抜けな顔をした二人をよそに、集まった冬軍たちはフェ

ンリルに叩きのめされた浮浪者を後ろ手に縛り始めた。

「こんな小さな子供から金を脅し取ろうなど、人のすることではないな」

「まったくだ! いくら生活に困っているとは言え、やっていいことと悪いこ

とがあるだろう!」

「さあ、おとなしく立て。情状酌量の余地はあるが、お前たちのしたことは法

律に違反する。今夜は冬軍所でお休みだ。土府(司法)の裁可が下るまで、せ

いぜい女神に罪を悔い改めておくんだな」

 フェンリルとジェイドは、視線を交える。

「どうなってんの、ジェイド……?」

「そればっかりは、俺にも分からねえ……」

「何を言っているんだ、君たち。怖かっただろう? ひどい目に遭ったなあ?

もう大丈夫だからな。この寒いのに、そんな恰好で……。ほら、坊や。これを

着なさい」

 言いながら、目の前に膝を付いた冬軍官が自分の上着を脱いでフェンリルの

肩にかける。上着からはうっすらと煙草の匂いがした。後ろで見ていた若い冬

軍官も慌ててそれに倣い、脱いだ上着をジェイドに手渡して来る。

「ど、どうも……お兄さん……」

 苦笑いしながらも上着を受け取り、ジェイドは義理で羽織って見せた。

「いや、なんかよく分かんないんだけど、いったい何がどうなってんの?」

「話は後だ。とりあえず一緒に来なさい。温かいものをあげよう」

「え……?」

 一緒に来い、と言われて素直にうんと言えるほど世間知らずではない。親切

そうに見せかけて、激しい拷問の挙句に縛り首にする可能性だってあるのだ。

「心配するな。保護したいだけだ。君たちには人間らしい生活をする権利があ

る。アイスロードという町に、新しく孤児院ができたのを知らないか? そこ

に行けば、里親が見つかるまで三度の食事と寝床の面倒を見てくれる。物乞い

も盗みもする必要はないんだ。無論、君たちの境遇を思えば罪に問うことなど

できるはずはない。心配しなくていい。君たちのことは、ちゃんと国が面倒を

見てくれる」

「はあ……孤児院……。お国さま、ですか……そりゃあ、けっこうなことで」

 見上げた年配の冬軍官の瞳には、嘘をつく者に独特の「不自然な揺らぎ」も

「あからさまな視線」も全く宿っていない。信じていいものか、と疑いながら

も、冬軍官の口調からは告げられた内容以外の真実を読み取ることができなか

った。

「どうすんだよ、ジェイド」

 小声で聞いてくるフェンリルに、彼は少しばかり逡巡して頷いた。

「下手に騒ぐと面倒だから、おとなしくしてろ。話が本当なら、それはそれで

ありがたい内容だからよ」

「うん……」

 孤児院を紹介してやる。そこでは里親が見つかるまで食事と寝床の面倒を見

てもらえる。今までの軽犯罪を罪に問うことはしない。そう言われれば、抵抗

する理由がない。ましてや、あからさまに冬軍官がウソをついていないと分か

れば、なおさらだ。ただ、念のために他の仲間のことは喋らずにおいた。

「じゃあ、とりあえずお世話になりま~す」

「よし! さあ、こっちへ来なさい。さっきも言ったが温かい飲み物をあげる

から」

 二人に抵抗する意志がないと分かり、冬軍たちはその背を促して路地の先に

止めてある荷馬車へと促し始めた。

 実際、現場で浮浪者や孤児たちを検挙している冬軍たちは、アイスロードの

町に建てられたフレイヤ館で何が行われているのか、全く知らされていなかっ

たのだ。言葉通り、里親が見つかるまでの間、孤児たちの面倒を「氷都」が請

け負い、浮浪者たちには仕事の紹介を行っている。そう信じていた……。


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