第1話の4
アイルーたちに見送られながらクレマチスを後にすると、そこには早朝
に独特の冷えた空気に満ちた町が広がっていた。まだ人が動き始める時間
には少し早い。石造りの町は、まるで廃墟のように閑散としていた。霜が
降りる季節ということもあって、ごくたまに通りがかる人は、誰もが襟を
掻き合わせ、俯きながら足早に通り過ぎて行く。本格的に町が目覚めるの
は、もう少し後だ。通行人たちに習うように、フェンリルも薄い服の襟を
掻き合わせて通りを進んでいく。
温泉宿ばかりが並ぶ北の通りを抜けて、役所のある南を目指す。ランタ
ンが灯されていない石造りの建物が見え始めれば、それらは呉服屋や飲食
店の看板を掲げていて、目的が近くなっていることを暗に示している。
店と店の間にある、ゴミの散らかる路地に入ると、そこには薄汚い姿を
した男が虫喰いだらけの汚れた毛布にくるまって眠っていた。フェンリル
が近くを通ると、一瞬だけ目を覚ましたが、すぐにまた目を閉じてしまう。
仮に身なりが良ければ、物乞いを始めるか、あるいは暴力で所持品を奪お
うとするのだろうが、自分と似たり寄ったりの服装をしている子供には見
向きもしない。
そしてフェンリルは、その先にある空き店舗のドアを開く。もちろん、
カギなどかかっていない。ドアの向こうにはホコリっぽい部屋が、ただひ
とつきり。その端の方に、痩せた子供たちが毛布にくるまり、小さな焚き
火の前に手をかざしていた。これが、フェンリルの仲間たちだ。
「フェンリル、生きてたのか」
戻ってきた彼を見るなり、毛布の中から声をかけてきたのはこのグルー
プのリーダーを務めるジェイドという少年だ。長い期間、風呂に入ってい
ないために、ホコリと泥を被ったまま、くすんだ色をしている金髪。翡翠
(ジェイド)という名をそのまま示すように、陽に焼けた顔の中心に輝く
緑色の瞳。彼のトレードマークは、額に巻かれた赤いバンダナだ。最年長
というだけあって、他の子供たちよりも一回り大きな体格をしているが、
まだ12歳かそれくらいだったと聞いている。彼は足の間に最年少の少女、
プリムラを抱いていた。
「おかげさまで。俺も入れてよ。寒いんだ」
毛布の端に寄って行くと、条件反射で彼らが場所を作ってくれた。その
恩恵に預かりながら、彼もまた目の前の焚き火に手をかざす。寒さにかじ
かんだ指先に、炎の熱が少し痛かった。
「野宿したんか? よく死ななかったな」
一息つく間もなく、ジェイドが予想通りの質問を投げかけてきた。北部
の夜は寒い。10月とはいえ、何らかの事情で日が落ちてもねぐらに戻れ
ず、外で夜を明かすことは、そのまま死を意味する。実際、そうやって凍
死した仲間は過去に何人もいた。
「変なお兄さんに会ってさ。泊めてもらったんだ」
「はあ?」
事実をそのまま言うと、ジェイドだけでなく身を寄せ合って寒さを凌い
でいる仲間たちからも不思議そうな顔を向けられた。そこでフェンリルは
事の次第を掻い摘んで説明する。
「バカ野郎!!」
フェンリルの話を聞き終えるなり、ジェイドが鋭く声を荒げた。その途
端、フェンリルの隣にいたローズマリーという小柄な少女がビクリと身を
竦ませた。ローズマリーは、どういうわけか大声を聞く度に、そうやって
身を竦ませるのが常だ。彼女の傍にはズーという名の小さな少年が、力無
く横たわっている。
「お前、プライドってモンがないのかよ!」
ローズマリーが怯えているにも関わらず、ジェイドは声を荒げたまま言
葉を続けた。自分一人だけが得をしたという後ろめたさのようなものは感
じていたので、フェンリルは用意していた言い訳を口にしてみる。
「いや……ごめん。なんか断ろうと思った時には連れて行かれてて……」
「そんなの知るかよ!」
すべて言い切るまでもなく、彼の拙い言い訳はジェイドに一蹴させてしま
った。
「何度も言っただろ!? 俺たちは確かに家なしさ! だけどプライドだけ
は捨てずにいようぜって! ただ物乞いするんじゃなく、ただ盗むんじゃな
く、俺たちをバカにしてるヤツらに一泡吹かせてやるのが俺たちの掟だろ!?
何だ、それ! 金持ちの若い兄チャンの宿にタダで泊めてもらって、メシ食
わせてもらった挙げ句に、キチンと礼まで言って出てきた!? ふざけんな
よ、お前! 俺たちは生きてる間は仲間だろ!? 自分だけラクしてオイシ
イ思いしてんじゃねえよ! だから……」
一気に捲し立てたジェイドは、一旦そこで言葉を切り、痛いほどに真剣な
眼差しをフェンリルに注いだ。
「だから俺にも紹介しろ!」
ジェイドがそう言った途端、他の仲間たちも口々に紹介しろ、と訴え始め
る。そう言われるだろうとは予測していたのだが、ここへ来てフェンリルは
再び迷った。
「いや……紹介してもいいんだろうけど、なんか危ない人っぽかったんだよ
な。危ないって言うか、怖い。見た目はすごく……いい人って感じだったん
だけどさ」
「何だ、それ。さっぱり分かんねえ。分かるように説明しやがれ」
そう言われて、彼は再び悩む。フェンリルが京吾と声楽に感じたものは、
まさしく「直感」としか言いようのない感覚だった。それを人に分かるよう
に説明しろと言われても、なかなか難しい。夕べ、京吾に向って「人にもの
を教えるのが苦手」と揶揄したフェンリルだが、実は彼も典型的な教え下手
だったりする。
「ん~……何て言うか、そうだなあ……人殺しが大好き、とか? だから敢
えて、いい人のフリしてます、みたいな……。そんな感じがした」
何とか言葉を紡ぐと、途端にジェイドが顔色を変えた。
「そりゃあ怖えわ!!」
「だろ?」
どうやら分かってくれたらしい。心の中でほっとした時、ジェイドの隣に
座っている、焦げ茶色の髪をしたペーターという少年が緊迫したような声を
上げる。ちなみに、ペーターは歩くときにいつもペタペタと足音を立てて歩
く癖があるので「ペーター」だ。
「よく殺されなかったね、フェンリル!」
もっともな意見だが、さすがに、殺気を迸らせている相手と同じ屋根の下
で眠るほど鈍感ではない。どういうつもりだったのか知らないが、彼らは本
当に何もしなかった。
「確かにね。だけど俺なんか殺しても何の得にもなりそうにないって分かっ
てたんじゃねえの?」
「バカなこと言うな、バカ!」
短い言葉の中に「バカ」を二度も織り交ぜたジェイドが血相を変えて声を
荒げる。
「本物の殺人狂ってのはなあ、殺すことが好きなんだよ! 金になるとかな
らないとか、そんなことはどうでもいいんだ! 殺すことを楽しめればそれ
でいいんだよ! ただ血を見たいだけさ! それで? 何でお前は無事なん
だ? お前の面倒見てくれたっていう兄チャンが本当にそういうヤツだった
ら、お前は殺されてるのが普通なんじゃないのか? でもここにいるってこ
とは……」
ジェイドの瞳に、疑いの色が滲み始める。どう言い繕おうかと考えるまで
もなく、ジェイドに激しく指を突きつけられた。
「お前、死人返りなんじゃねえのか!?」
彼の言葉と同時に、隣にいたローズマリーを始め、仲間たちが一斉にフェ
ンリルから距離を取る。死人返りとは、いわゆる蘇った死者のこと。外国や
地方によっては「起き上がり」とか「ゾンビ」などと呼ばれたりするが、ア
ルテリアでは「死人返り」という言葉が使われることが多い。もちろん、フ
ェンリルは死んでいない。
「違うって! ほら、生きてるよ、ちゃんと!!」
「お、おい……アイリス。触ってみろよ」
「イヤよ! ジェイドが触ればいいじゃない!」
ジェイドに小突かれた少女、アイリスは長い黒髪に手櫛を通しながら、心
の底から嫌そうな顔で否定する。そして、ジェイドが恐る恐ると言った態度
でフェンリルの首筋に手を伸ばして来た。
「どうなの、ジェイド?」
「うん。あったかい。生きてる。こいつ、死人返ってない」
アイリスの問いかけに、ジェイドは驚きを含む口調でそう答える。そして、
周囲の仲間たちが一斉にフェンリルを触り始めた。全員に首を触られ、無事
に生きていることが確認されると、ようやく彼らの顔に安堵の色が浮かび始
める。よくある話だが、田舎の住人と船乗りは、とても迷信深い。
「本当に向こうの気まぐれだったってか?」
「……たぶん、そうだと思う」
「へえ~」
ジェイドが何とも言えない顔をした時だった。ガラスの割れた小さな窓
の向こうに、規則正しい数人の足音が微かに聞こえてきた。
「ヤバい! 冬軍(警察)だ! 火を消せ!! 隠れろ!!」
「せっかくつけたのに~」
「うるせえ! 捕まりてえのか!?」
渋るペーターを急かして、ジェイドは手早く焚き火に土を被せ、仲間た
ちを先導して店に残されたままの中身の入っていない木箱の中に隠れ始め
る。当然、捕まりたくないフェンリルもそれに倣って、あちこち壊れた木
箱のひとつに潜り込んだ。元は酒屋だったらしい店舗。転がっている木箱
にはアルコールの匂いが強く染みついていた。
「ねえ、ジェイド。とうぐんって何?」
フェンリルと同じ木箱に隠れたのは、ジェイドとプリムラだった。プリ
ムラは幼いながらにも、ジェイドたちの緊迫した雰囲気を感じ取り、それ
なりに押さえた声音でジェイドの胸元を軽く引っ張っている。
「静かにしろ、プリムラ。冬軍ってのはなあ~……悪いコトしたヤツを捕
まえたり、俺たちみたいな子供を毒ガスだらけの鉱山に送ったり、ゴーモ
ンにかけて縛り首にしたりするする……よーするに、敵だ、敵! 分かっ
たか?」
「てき? うん、分かった」
真剣な瞳でプリムラが頷いた時、カギの壊れた木のドアが敵の手によっ
て開かれる、無気味な音が響き渡った。別の木箱に隠れた仲間たちも一斉
に息を殺して、やってきた敵に注意を注ぐ。ジェイドがプリムラの口元を
手で覆い隠し、力づくで押さえつければ、プリムラが僅かに身じろいだ。
(きた……)
壊れた木箱の隙間から見えた限り、やって来た冬軍兵は四人。三人の男
と一人の女だった。四人とも冬軍を意味する灰色の軍服をきっちりと着こ
なし、その手には松明を持っている。まだ薄暗い廃墟の床を、炎の光がゆ
っくりと薙いで行った。
(四人なら、何とかなる、か……?)
いざという時は殴り倒して逃げるつもりで、強く握りしめた拳に力を込
めた時、無意識に重心をかけた左足が鋭い痛みを訴えてきた。
(くそ……こんな時に……)
フェンリルはケガを負う原因となったアストの顔を思い浮かべ、内心で
激しく毒づく。鉱山に送られるのも、拷問の末に縛り首になるのも冗談で
はない。まだ、死にたくない。
(あいつら、何してんだ?)
容赦なく踏みこんで来ると思っていた冬軍たちは入口の辺りに立ったまま、
室内に入って来ようとはしなかった。そして室内に一通り光を向けた後、何
事も無かったかのようにドアを閉め、無言で立ち去って行ってしまう。
「何とかなったな……」
遠ざかっていく敵の足音に、ようやく詰めていた息を吐き出したジェイ
ドが脱力したように木箱に凭れかかる。周囲で、仲間たちが木箱から出始め
る音が聞こえてきた。
「ヤル気がない冬軍で助かったね。調べられてたらアウトだった」
木箱から這い出しながら、フェンリルは安堵に緩んだ顔をジェイドに向け
ると、彼にしては真剣な眼差しをしていた。
「どうだか。冬軍が何か企んでる気がする。なるべく早く場所を移動した方
がいいかもしれねえ」
「なんで?」
聞き返すと、ジェイドがニンマリと笑って見せる。
「俺は天下の予言者なんだ。不吉な予言が出てる。こういう時の予言は当た
るんだ。さっさと移動するぞ。だけどその前に……」
ジェイドは真剣な眼差しを、真っ直ぐにフェンリルに向けた。
「お前、昨日の兄チャンから幾らか貰って来たんじゃねえのか? 出せ」
「え…?」
「トボけるんじゃねえ! さっさと出せ、バカ!」
ここは黙っておいて、こっそり使おうと思っていたのだが、ジェイドの
目は誤魔化せなかったらしい。フェンリルはしぶしぶながら、今朝方、京
吾から貰った100zのユニオン鉱石をポケットから出してジェイドに手
渡した。
「お前、俺をバカにすんなよ。お前らにテクニックを教えたのは俺なんだ
ぜ? 考えることなんて手に取るように分からあ!」
「あっそう……」
軽く溜め息をついたフェンリルの肩を、豪快に笑いながらジェイドが力
いっぱい叩く。
「100zじゃねえか。久し振りに見たぜ! おし! ペーターとアイリ
ス! お前ら二人でプリムラを連れて買い出しに行って来い。プリムラを
ダシにしてしっかり値切るんだぜ! ローズマリーはズーの面倒を見てて
やれ。俺とフェンリルで仕事と偵察に出てくる。夕方までには戻って来る
こと。アストに見つかったら厄介だから、引っ越しは日が暮れてからにす
る。いいな!?」
「りょーかい!!」
ジェイドが放り投げた100z硬貨を受け取ったペーターとアイリスが
プリムラの手を引きながら駈け出していく。ローズマリーがズーの肩を引
き寄せ、石の床に広げた毛布の上に寝かしつけ始めた。慌てて砂をかけた
焚き火からは、まだうっすらと煙が立ち上っている。冬軍がそれに気付か
なかったのは、少し不思議だった。
「じゃあ、出てくるからな」
「……いってらっしゃい」
ジェイドに向って手を振ったズーは、熱のせいか顔が赤く、どこか虚ろ
な目をしていた。
*
ねぐらを出たフェンリルとジェイドは、いつも通り、真っ直ぐに南を目
指す。そこには氷都シュレイド地方スノーレイの町役場があり、そこに通
勤している大人たちから朝飯代を恵んでもらうのが彼らの日課なのだ。
ここでのポイントはいかにして相手の足を止めるかにある。足さえ止ま
れば、あとはジェイドの口八丁の餌食になるだけだ。
「ねえねえ、聞いてよ、オジサン! 俺、西のシドーニアって国から来た
んだけどさ、シドーニアの役人ってヒドいんだぜ? なんか役所と教会が
手を結んでるみたいでさ、女神ディーゼルを拝まない者は異教徒だ! 不
届き者だ! 女神の子孫である女王陛下への冒とく者だ! 魔女だ! 悪
魔の使いだ! なんて話になるんだよ。それで、その人が本当はディーゼ
ルをキチンと礼拝してるとか、そんなんはどうでも良くて、毎週日曜日の
礼拝で、教会に供物っていう名前のお金を出さないと、役人が捕まえて首
を落としちゃうんだぜ!? 教会も教会だけど、役所も役所だよ! オジ
サン、同じ役人としてどう思う? アルテリアのお役人さんはいい人たち
ばかりだから、まさか今日の食べるものに困っている可哀そうな子供を見
捨てたりしないよね?」
ただでさえ憂鬱な朝、それも時間が差し迫っている時に、延々とこの調
子で話しかけられるのだ。たいていの場合、もう勘弁してくれ、という意
味を込めて1zを恵んでくれる。そんなものだ。ちなみに、シドーニア公
国は、小国が乱立する東と西の地域の中でも、比較的、長い治世と民主的
な政治を営むことで知られている国だ。女神ディーゼルなんてものも存在
しない。すべてはジェイドの作り話だ。
「まあまあの稼ぎだったな。さて、そろそろ温泉の方に回るぞ~、フェン
リル~」
「りょーかい」
朝の時間は役場前。そして昼が近くなれば温泉街に移動する。そして夕
方になれば、帰宅を急ぐ人間を目当てに呉服屋や飲食店などの商店街へ。
時間によって、金銭をねだりやすい人種が出没する場所は違うのだ。
ちなみに、アストたちのグループは朝方は商店街、夕方は役場前にいる。
ジェイドたちとエサ場が重なるのを意図的に避けた結果だが、どうしても
昼間の温泉街だけはお互いに譲れない。しかしながらエサが充実している
せいで、ケンカになることは少なかった。
「ズーのヤツ、具合悪いんか?」
そして太陽が天頂に届こうかという時刻、いつものように温泉街へとや
って来たところで、フェンリルは朝方から気になっていたことをジェイド
に聞いてみた。
「夕べからあの調子だ。最初は腹が痛いとか言ってたんだけどな、熱が上
がって今はあんな感じだ」
「ふ~ん」
いつも鼻水を垂らして、鼻をズーズーと吸い上げていることからズーと
呼ばれている少年の顔を思い浮かべ、フェンリルは少しばかり憂鬱な気持
ちになった。持ち直すだけの体力が無ければ、死を待つだけ。家なし子に
は、医者も薬もない。すべて本人次第なのだ。
「お前が気に病んでも仕方ねえよ。考えるな。死ぬ時は死ぬんだ。誰のせ
いでもない。自分のせいだ。生きてる間は大事な仲間。見捨てたりはしね
えけどな、何をどうこうしてやれるワケじゃない。ズーの気力にかけるし
かないんだ……って! あ! そこのキレイなお姉さ~ん!!」
フェンリルは複雑な思いで走り出すジェイドに付いて行った。アルテリ
アの町や村には、必ず療風堂(病院)が一軒はある。そこに盗みに入って
薬を奪うという手がないわけではないのだが、薬品棚に並ぶ薬は様々な種
類があり、どれも複雑な記号が書いてあるため、素人が思うように扱える
代物ではない。適当な薬を飲ませたら死んだ、という話も聞いたことがあ
る。それに、薬は高価なものなので、とても国からの補助を受けず、買え
るような値段ではない。ジェイドの言う通り、病気になったら本人の気力
にかけるしかないのだ。
「お姉さん、すっげ~キレイだよね! 特にシエンナ内海みたいに綺麗な
青い瞳がイカしてるよ! まるでサファイアだね! つーか、そのコート、
高いんじゃないの? でもお姉さんによく似合ってるよ、ホント! でさ
あ、ちょっと聞いて欲しいんだけど、俺たち、母ちゃんとはぐれちゃって
さ、朝から何にも食ってないんだよ。だからさ、パン一個でいいから買え
るお金、恵んで欲しいんだけど」
温泉街でのターゲットは主に若い女性だ。攻略ポイントは、まず容姿を
褒め、次に持ち物を褒めること。ここで重要なのは、持ち物だけを褒めて
はならないということだ。必ず女性本人を褒めて、その持ち物が本人に似
合っているということを強調する。決して褒めすぎてはならない。腹八分
目で止めておいて、金銭を恵んだら、もっと褒めてもらえるかもしれない、
と相手に思わせることが重要なのだ。
「ありがと~。やっぱ見た目がキレイな人は、心もキレイってホントだよ
ね! お姉さんのこと、一生忘れないよ、俺!」
満面の笑顔で女性の前を去るジェイド。いつもながら、彼の口車はよく
回る。
「いくらくれたんだ?」
「ん? 5zだ。まあ、役場のケチぃオッサンよりはカモり甲斐があるぜ」
「だな」
「さあ、次だ。次、行くぞ」
二人は少しばかり場所を移動する。今にも雨が降り出しそうな天気という
こともあって、町はいつもより人通りが少ない。稼げるうちに稼いでおかな
ければ、店舗に盗みに入らなければならなくなる。物乞いに比べて盗みは危
険が伴う。捕まってしまえば縛り首になるのが目に見えているし、死刑にさ
れないまでも、店主からヒドイ目に遭わされるのは分かり切っている。本当
に、盗みは最後の手段なのだ。ジェイド曰く、「盗むのは危ないからやるな。
それに人道に反する。だから恵んでもらおうぜ」というのが彼らの生きるポ
リシーである。
「ねえねえ、おばあさん。聞いてくれる?」
場所を移したジェイドは、さっそく次のターゲットである老婆に話しか
け始めた。
「俺さあ、東のピクトって国から来たんだけど、戦争で親が死んじゃって。
アルテリアにいるお祖母ちゃんを頼って来たんだけど、お祖母ちゃん、帝
都にいるらしいんだ。とても会いに行けなくてさあ」
この場合のポイントは、ターゲットが自分に同情しやすくなるシチュエ
ーションを作ること。この年の老婆には、ジェイドと同じ年齢の孫がいて
もおかしくない。「可愛そうな状況にある少年」ジェイドを老婆が自分の
孫の姿に重ねてくれることを狙っての作り話だ。しかし。
「お前さん、こないだは親が盗賊に殺されたって言ってたよ? 不思議だ
ねえ。いったい坊やには何人、親がいるんだい?」
過去に話しかけた人間の顔は一瞬で忘れるジェイド。このパターンの失
敗は非常に多かった。
「やっちまった……」
「気にするなよ。そろそろ、新しいねぐらの様子を見に行こうぜ。今日の
ところは充分だろ?」
「そうだな」
ジェイドは話しかける相手によって、あるいは日によって語る過去が違
う。出会ってから半年。それこそ何百という過去話を否応なく耳にして来
たのだが、未だにネタが尽きることはない。もしかしたら、その中に一度
くらい本当の話が含まれていたのかもしれないが、ウソが上手な彼のこと。
真偽を見極めることは到底できなかった。
厳しい環境で生きている子供は総じて大人になるのが早い。フェンリル
とジェイドは3歳ほどしか離れていないのだが、ジェイドの持っている生
き延びる知恵は、そこらの平和ボケした大人たちよりも多いことは間違い
なかった。尊敬していると言えば尊敬しているのだが、ジェイドのことを
カッコいいと思うかと聞かれれば、まず首を横に振る。けれど、親しみや
すい性格のおかげで、救われた部分も多い。今では、かけがえのない家族
であり、ジェイドは兄のような存在だった。
「あっ!」
民家が集中する西の方角へ向けて温泉街を進んで行くにつれて、豪華な
身なりをした観光客の姿は次第に減っていき、一目でそうと分かるスノー
レイの町人の姿が目立つようになる。そんな中、フェンリルは雑踏の中に
一際目立つ二人組の姿を目にして、足を止めた。
「なんだ? どうした?」
「あの人だ……」
突然、立ち止まったフェンリルをジェイドは不思議そうな顔で見つめる。
「ほら、さっき話しただろ? 殺人狂みたいだったって二人組だよ」
「へえ~。あれが……」
「行こうぜ。できれば二度と会いたくな……」
見つかる前に逃げようとしていたのだが、運が悪いことに京吾の視線と
ぶつかった。続いて声楽とも。フェンリルはジェイドの手を引っ張って、
全速力で雑踏の中に紛れ込んだ。
「……メチャクチャ目立つ二人だったな。夫婦モンか?」
「いや、女の方は部下のような立場だって言ってた」
「ふ~ん……」
二人からかなりの距離を取ったところで、ようやく走る速度を緩めて、
ほっと息をつく。一応、背後を確認するが、それらしい姿は見えなかった。
「まだ昼間なのに、何で起きてんだ、あの人……。夜行性じゃなかったの
かよ……」
「たまには昼でも動きたいんだろ? つーか、そんなにヤバいヤツらだっ
たか? 俺には普通の人間にしか見えなかったぜ? まあ、チラッとしか
見てないけどよ」
「どこをどう見たらあれが普通の人間に見えるんだよ……」
「ん~……サッパリ分かんねえなあ~」
頭を掻きながら、ジェイドはひたすら「分からない」と連発する。
「すっげ~カッコいい兄チャンだったし、女の方も優しそうな顔してた
けどなあ~」
「見た目だけは、だろ? なんか人間っていうより、どっちかって言う
とモンスターが人に化けてるような感じだよ。それも、伝説って言われ
る黒龍とか、すっげ~強い古龍とか……」
「お前、そういうモンスターを見たことあんのかよ」
「いや、ないけど……」
「だったら何の参考にもならねえな」
そう言われてしまえば返す言葉はないのだが、もしも黒龍などに出会
ったら、きっとこんな感じなのではないか、という気がするのだ。うま
く伝わないもどかしさに悶々とするフェンリルだったが、ジェイドの方
は、全く気にかけている様子がない。それどころか、何か思いついたら
しく、その緑色の瞳にあからさまにイタズラな色を滲ませ始めた。
「分かったぞ、フェンリル。あいつらの正体は、きっと鬼龍だ!」
「は? きりゅう?」
鬼龍、という言葉を口にしたジェイドは、飛びっきり無気味な顔を作
って、フェンリルの方に顔を寄せてきた。
「そうだ、鬼龍だ。ミラボレアス以上に伝説だけどな。何でも鬼龍は水
とか火とか、この世の森羅万象と時空を操れるらしいぜ? おまけにモ
ノによっちゃあ、時間の流れを変えたり、千里眼で遥か遠くのことまで
見えたりするらしい。怖えなあ~。人と同じ形をしたモンスターって言
えば鬼龍しかねえぞ。お前、鬼龍に会ったんじゃね?」
ひたすらビビらせようと、さも恐ろしげな声音で語ってくるジェイド
だったが、なにぶんジェイドなのであまり恐怖感が伴わない。
「森羅万象と時空を操るって、具体的には?」
「それは知らん! あいつらに聞いて来い!」
「できないからジェイドに聞いてんだろ!?」
「俺だって知るかよ! 時空を操るってことは、好きな時に好きな場所
にポンって行けるってことなんじゃねえの? 前にアルテリアの平和ボ
ケしたガキの間で流行ってたじゃねえか、モドリ玉! ありゃあ子供の
オモチャだけど、本物の鬼龍なら、それができるってことなんじゃねえ
のか!?」
モドリ玉のことは知っている。海賊ごっこやハンターごっこが好きな
子供たちの間で、敵陣に乗り込んだ際に状況が悪くなれば、モドリ玉を
使って一瞬で基地に帰れるというアイテムが一時的に流行したのだ。無
論、実際に瞬間移動で戻れるワケはなく、ボールを投げた子供が基地に
戻る間、敵の子供は手を出してはいけないというルールがあるというだ
けの話だが。
「脅すだけ脅しておいて、その程度かよ……」
「まあね。俺らしい、だろ?」
「はいはい。ジェイドらしいね」
「どんな時にも俺らしく!! それがモットー!!」
ジェイドは空に向って大声で宣言する。そして、二人は顔を見合わせ
て爆笑した。
「お! 着いたぞ」
西の集落が見え始めたので、二人はとりあえず頭の中から「鬼龍」と
いう言葉を消し去った。二度と会わないと決めた連中のことを、いつま
でも気にかけていても仕方がない。それよりも、目の前の現実の方が重
要なのだ。
「さてと、偵察~偵察~」
最後の温泉宿を通り過ぎれば、その向こうに民家の集落が立ち並ぶ。
石畳の道路に沿って、スノーレイの住居は隣家との隙間をほとんど取る
ことなく、敷き詰めるようにして建設されている。それも、狭い土地を
有効活用しようとして二階、三階と高層化してあるので、ひとつの建物
の中に幾つもの家族が暮らしていることが多い。いわゆる集合住宅が、
この周辺では一般的な住居のスタイルだ。
「冬軍がいるな……」
悪いことなど何もしていません、という顔をして堂々と道の真ん中を
歩きながら、ジェイドは周囲を見渡し、そう呟く。
「俺の予言、また当たりそうだな」
立ち並ぶ石造りの家の窓から、パンや肉を焼く香ばしい匂いが漂って
きていた。そういえば、そろそろ「ママ」が夕食の支度を始める時間だ。
しかしながら食欲を刺激する匂いに混じって、悪臭が鼻をつく。温泉宿
は別だが、民家では未だに下水が完備されていない。生活で出た生ゴミ
や排泄物は、そのまま窓から道に投げ捨てられ、激しい悪臭を漂わせな
がら、ネズミと害虫の温床となっている。5日に1度のペースで、春軍
(陸軍)の三等兵で構成された清掃部隊が道の掃除に来る
らしいが、人の汚物が道の上に普通に転がっているのは正直、気持ちの
いいものではなかった。
「ねぐらまで行くのか、ジェイド?」
フェンリルはなるべく鼻で息をしないようにして、ジェイドに話しか
ける。たいていのことでは心は揺らがないが、汚物系の臭いだけは、ど
うしても苦手なのだ。臭いを想像しただけで、吐きそうになる。
「遠くから見るだけはしとこうぜ。冬軍が話しかけてきたら俺が誤魔化
してやるからよ」
「うん」
悪臭の中でも平然としているジェイドを羨ましく思いながら、彼らは
目的地へ向けて足を進める。この集落の外れにある空き家を、彼らは新
しいねぐらにするつもりだった。
「やっぱ村外れに来ると無気味だなあ。まあ、贅沢は言ってられねえか
ら、仕方ないっちゃあないけどな」
「まあ、ね」
集合住宅が途切れ始めれば、荒れ地の間にポツポツと小さな家が並ん
でいる。その屋根には例外なく大量のカラスがとまり、気味の悪い鳴き
声を上げていた。それもそのはず。空き地の中に佇む大きな木の枝には、
縛り首になった罪人の死体が幾つも吊られていた。中にはどう見ても子
供としか思えない死体もあり、枝だけでは飽き足りないのか、周囲には
磔になった死体がズラリと並べられている。
「最近、死刑になる人……多いよね」
風に揺られ、カラスに突かれている死体を眺めながら呟けば、ジェイ
ドが小さく溜め息を落として見せた。
「仕方ねえよ。新しい氷都の冬軍統括……敵の親玉は、情け容赦ねえヤ
ツってもっぱらのウワサだからなあ。名前はコルネットだったかな。ヤ
ツが親玉になるまではそうでもなかったんだけどよ、最近は子供でも盗
みをすれば縛り首、人を殺せば磔だ。磔にされりゃあしばらくは呻きな
がら生きてるモンなんだけど、その姿が見苦しいってんで最初に心臓を
刀で一突きするんだとよ。まあ、殺させる側にとっちゃあ温情かもしれ
ねえけど、殺されることには違いねえ」
「ふ~ん」
「でも、どっちにしたって私は罪を犯しましたって自分でそう言うまで、
冬軍所の地下でさんざん痛めつけられるらしいから、あんまり意味ない
っちゃあ意味ないけどな。生かさず殺さず。惨いモンだぜ。プリムラく
らいの年のヤツが、何をどうしたら死刑になるような罪を犯せんだよっ
て聞きたくなるけどな、それは言っても仕方ねえ。氷都の冬軍統括がそ
う決めたんだから、そうなんだ。帝都とか他の都じゃあ違うみたいだけ
どな。ただ、どうやらコルネットってヤツは、生きるために盗みをする
っていう考えが理解できねえらしい。貧しいのは働かないからだってそ
んなふざけたことを平然と言ってくれるヤツだからな。そんなヤツが親
玉になったことを、諦めてバレねえように生きるしかねえんだよ」
「どうでもいいけど、なんでそんなこと知ってんだよ」
気になったことを口にすると、ジェイドがニヤリと笑ってみせる。
「そりゃあ、俺が天下に二人といない予言者だからに決まってんだろ?
過去も未来も現在も、俺さまに見えねえモンはねえ!」
「あっそう」
苦笑いしたところで、彼らは目的地の付近に到着した。
「やっぱり冬軍が見張ってる……」
目星を付けていた建物を見ると、そこには灰色の制服を着て腰に太刀
をぶら下げた男が二人、手持無沙汰に佇んでいた。
「何か、あるな……これは……」
偶然なのか、それとも意図的なのか。判断基準がない彼らには分から
なかったが、今朝の不可思議な行動に加えて、ねぐらとして使おうと思
っていた空き家に冬軍が先回りしているのを見ると、嫌でも警戒してし
まう。
「どうするんだ、ジェイド?」
「他のところも見て回るぞ。アストたちとカブるから避けてた、東の店
の方にも」
「うん」
一沫の不安を覚えながら、フェンリルとジェイドは踵を返した。
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