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第1話の3
 一方、フェンリルを自分の寝室に寝かせた後、京吾は一人ダイニングに立って

いた。備え付けのカウンターにてグラスを二つ用意し、それぞれに氷と酒を注ぐ。

それを持って隣のリビングへ進めば、そこには予想通り声楽の姿があった。

「意外に早かったですね」

 彼の顔を見るなり、声楽はにっこりと微笑んで見せる。彼女の向かいに腰を降ろ

し、酒の入ったグラスを差し出せば、彼女は一言、礼の言葉を述べてグラスを受け

取った。

「坊やは?」

「俺の寝室で寝てる」

「まだ九時じゃないですか。もう寝かせたんです?」

「子供は寝る時間、だろ?」

「……あなたでもマトモなことが言えるんですねえ」

「意外か?」

「ええ、とっても」

 すました顔でグラスを傾ける声楽に苦笑した後で、京吾は手に持っていたグラ

スをテーブルの上に置き、タバコに火を付けた。

「それで? 戻ってきたってことは何かしら収穫があったんだろ?」

「ええ、もちろん」

 相変わらず人好きのする笑みを張り付かせたまま、声楽は灰皿を京吾の方に押

しやり、深い色をした瞳を真っ直ぐに彼の顔に向ける。

「フェンリルくんの出身は現在のトルヤーナ帝国エストリアル地方。一時期、八

朔という国があった場所です。5年前にトルヤーナが八朔を攻め落とした際、生

き残ったお父様と一緒にアルテリアの龍都、ミナガルデ地方に来たようです。家

族は当時、三人。坊やのお母様はその時、亡くなっています。アルテリアに来た

直後に、お父様がアルテリア国民の女性と再婚され、龍都の役所で黄証を発行さ

れていました。その後に弟さんが生まれ、近所の方たちの話では仲の良い家族に

見えていたそうです」

「何であいつは家出なんかしたんだ?」

「それが……」

 一番気になっていたことを聞けば、彼女にしては珍しく視線を落として僅かに

表情を曇らせる。

「ご両親にも話を聞いてみたのですけれど、これといった理由は分からず仕舞い

でした。お父様のお話を聞く限り、あの時の彼はまるで別人のようだった、とし

か。普段はとても明るくて優しい、いい子で、四つ年下の弟の面倒をよく見る、

いいお兄ちゃんだったそうですよ。それが突然、太刀を振りかざしながら、支離

死滅なことを叫んだ挙句に、もう二度と帰って来ない、と」

「別人ねえ……」

「ええ。まるで何かに操られているみたいだった、とも言ってらっしゃいました

けど。お父様の考えでは、もしかしたら彼は一家の経済的な事情に気付いていて、

それで口減らしのために出て行ったのではないか、と……」

「おめでたい考えだな」

 声楽の言葉に、彼は堪え切れずに笑い声を上げていた。

「やっぱり京吾さんもそう思います?」

「当然だろ? 三つかそこらで母親を亡くして、その直後にいきなり見知らぬ女

を連れて来られた挙句に母親と呼べと言われても納得するはずがない。家族の前

でいい子を演じていただけなんじゃないのか? さすがにそれくらいの年じゃ親

元を離れて生きて行こうとは思えないだろ。別人のようだったというより、我慢

できなくなったと言った方がいいんじゃないのか?」

「まあ、普通はそうでしょうね。私もそう思ってはいましたけど、こればかりは

本人にしか分かりませんから」

 いつもながら、声楽はもっともなことを口にし、言葉を続けた。

「まあ、お父様も人には言えない苦労を重ねてらっしゃったようですから、あま

り悪く言わないであげてください。お父様、今現在ようやく25歳なんですよ?

彼が生まれた時、お父様はまだ16歳。家族を養っていくのに、必死だったよう

ですから。アルテリアの女性と再婚されたのも、おそらく経済状態のことを考え

てのことでしょう」

「……そんなもんかな」

 確かに、声楽の推測はあながち間違っているとは言い難い。なぜなら、諸外国

からやってきた難民がアルテリアで仕事を見つけ、役所から朱証を発行してもら

うまでには、かなり時間がかかる。それに、難民に回ってくる仕事と言えば有毒

ガスの吹き出す鉱山での労働者だったり、奴隷同然の扱いを受ける農家の働き手

だったり、危険なフィールドに点在するギルドの管轄する施設の清掃係だったり

と、そんなものだ。ハンターという手がないわけではないが、ハンターになるに

は朱証が必要な上、二年間の訓練課程が必須だ。おまけに、一度クエストに出て

しまえば最低でも一週間は戻れない。幼い子供がいることを考えれば、アルテリ

ア国民と結婚して、朱証ではなく黄証をもらい、国に生活を保障してもらうのが

一番、確実だと思えなくはない。 

「まあ、それこそ余所の家の事情というヤツです。私たちにしてみれば、一目瞭

然な話ではありますが、ご両親にしてみれば彼の突然の行動がとても信じられな

かったようですね。ですから、龍都の冬軍に捜索願を出しているそうですよ」

「残念ながらここは氷都だ。龍都の冬軍の管轄じゃない。親が見つけるのは難し

いな」

 灰皿に押し付けたタバコから上がる煙に、彼はその秀麗な眦を不快そうに寄せ

た。

「そうですね。その点は心配ないかと。そして、ご両親の元を飛び出した坊やは、

名前をフェンリルと改めています。まさか名前を変えているとは思っていません

でしたので、調べるのに苦労させられましたが」

「確かに、フェンリルは親が好んで子供に付ける名前じゃないな」

 フェンリルとは、アルテリアに数多くある神話の中で、女神オーディナに牙を

剥き、ラグナロクと呼ばれる世界の終末まで地の底に封印された呪われた狼王の

名である。その神話が伝わっているのが、主に北方の地域であることから、フェ

ンリルは「北の狼王」と呼ばれることが多い。

「そしてフェンリルの父親は悪神ロキ……。アルテリアの神話はおもしろい」

 意味深に言う京吾に、グラスを空けた声楽が小さく笑い声を上げた。

「それで? 私からの報告は以上ですが、京吾さんの方はどうだったんです?」

「残念ながらフラれたよ」

「あら、まあ、それはまた珍しいことがあったものですね」

 残念そうな表情はしているものの、彼女の瞳には楽しげな色が隠されることな

く滲み出ている。軽く笑って、京吾はダイニングに立ち、酒にボトルをそのまま

持ち出した。

「どういうふうにフラれたんです?」

「うちに来るかと誘ったら、俺はどこからどう見ても悪い人だから遠慮すると言

われた」

 声楽と自分のグラスに酒を注ぎながらそう言うと、今度はあからさまに彼女は

爆笑した。

「京吾さん……ショックですねえ」

「否定はしない。それに、怖いとも言われたよ」

「あらあら。一応、聞いておきますけど、あなた、坊やに何かしたんですか?」

「あんな子供に何をするって言うんだ。怪我の手当をしてやって、風呂に入れ

て飯を食わせてやっただけ。坊やが怖がるようなことは何ひとつしてない」

「珍しく言ってることが妥当ですね……」

 グラスを傾けながら話を聞いていた声楽が、笑いを納めて彼の顔に視線を向

ける。

「まあ、冗談はさておき。坊や、私を見て顔色を変えましたよね? 思った以

上に見所がありそうじゃないですか。もしかしたら、あなたを怖いと言ったの

も、気付いている可能性があるのでは? もちろん、はっきりとは分からない

でしょうけど」

「俺もそう思うな。初対面で怖いと言われたのは、久し振りだ。声ちゃんの時

以来か」

「そうですねえ……でも私は大人になっていましたけど、あの子はまだ子供じ

ゃないですか。おそらく、私が坊やくらいの年齢だった時にあなたと出会って

も、なんてカッコいいお兄さんなんだろう、としか思わなかったと思いますよ。

末恐ろしいことで」

「違いない」

 二人は互いに含み笑い、グラスを傾ける。

「では、そういうことで私は坊やのために靴を用意して参ります。京吾さんは

せっかくですから、もう少し頑張ってみてくださいね」

「言われなくてもそのつもりだよ」

 再び煙草に火を付けながら、京吾は部屋を出ていく声楽の背中を見送った。

                    *

 真っ暗な夜空には月どころか星の姿さえ見当たらない。しかし、そんな漆黒

の空を焼き尽くすように、地上では炎が燃え盛っていた。

 逃げ惑う人々は、誰もが皆、知っている顔ばかり。炎に焼かれて崩れ落ちる

家屋の間を、ある者は一人きり。ある者は数人で連れ立って、必死の形相に顔

を歪め、走り回っていた。

 あちらこちらで、悲鳴が上がる。母親の姿を求めて泣き叫ぶ小さな子供の声

をかき消すように、馬のヒズメの音が聞こえてくる。続いて悲鳴。馬の背に乗

った男たちは全身を真っ黒な鎧で覆い、手には血の滴る刀を持っていた。

「逃げ…いと…! 早…!!」

 冬の夜は寒い。けれど、周囲は肌を焦がすような熱気に満ちていて、額から

は止めどなく汗が噴き出していた。自分を胸に抱いて走る母親の体温は常に無

く高く、早鐘のように打つ鼓動が肌を通りこして伝わってくる。まるで呪文の

ように「早く逃げないと」と繰り返しながら、母親は賢明に走っていた。

「大…夫だ…ら……丈夫だか…ね……」

 痛いほどの力で抱きしめられながら、彼は祈るような気持ちで悪夢の終わり

を待っていた。その時、馬のヒズメの音が聞こえてくる。続いて、走る母親の

行く手を塞いだ馬が高い嘶きを上げた。

「あっ…あっ」

 突然、動きを止めた母親の目が何を映しているのか、彼には鮮明に分かった。

頭の中が真っ白になる。言葉には出せない、息さえ止まるほどの恐怖が、全身

を駆け抜けていく。そして、急に視界が反転する。母親のものと思われる絶叫

を聞きながら、彼は地面に叩きつけられていた。

「ママ……っ!?」

 自分の声で、フェンリルは目を覚ます。真っ先に目に映るのは、見知らぬ部

屋の内装。一瞬、ここはどこだろうと考えた後で、そう言えば夕べ、おかしな

人に泊めてもらったのだと思い出した。

「………」

 鳥の声が聞こえる。カーテンの隙間からは、冬の柔らかな日差しが差し込ん

でいた。静かで、平和な朝。そこには焼け落ちる家屋も、燃えていく田圃も、

馬のヒズメの音も、悲鳴も無い。飛び起きた姿勢のまま、フェンリルは自分で

自分の身体を強く抱きしめていた。

(ママ……)

 母親の腕から落ち、地面に叩きつけられた後、トルヤーナの兵士に斬られて

自分の上に覆いかぶさってきた母親の体の重みは、今もはっきりと体に染みつ

いている。絶命した体は重い。刀に斬られた背中から溢れだす血液が、自分の

体を真っ赤に染めていった。思い出しただけで、体が震える。

(思い出すな……考えるな……)

 無意識に、フェンリルは自分を抱きしめる腕に力を込めた。

(今日を生き延びることだけ、考えていればいい……)

 そして深く呼吸を繰り返す。

「だいじょうぶ……俺は、強いから、だいじょうぶ……」

 自分に言い聞かせるように呟き、フェンリルは軽く頭を振って、寝台を降りる。

ふと気付くと、枕元に自分が着ていた服が洗濯され、綺麗に畳まれて置かれてい

た。誰が持って来てくれたのかは分からなかったが、人が来ても気づかずに寝て

いた自分に少しばかり驚いた。夜着を脱ぎ、服に着替える。そしてドアの方へ向

い、扉の前でもう一度、深呼吸をする。そして、銀のノブに手をかけた。

「おはよ~、京吾さ~ん!」

「おはよう、坊や。早いな」

 朝の眩しい光に満ちたダイニング。そこにいた人物を見るなり、作り込んだ

満面の笑顔で挨拶する。磨き込まれたテーブルの上には、朝だというのに酒の

注がれたグラス。その隣に置いてある灰皿には、吸いがらが山を作っていた。

「朝っぱらからお酒なんて飲んでんの~? 不健康だなあ」

「夕べからの続きだ」

「じゃあ本当に寝なかったんだ」

「まあな」

 こんな何でもない場所で夜にずっと起きていられるというのは、ある意味で

は、すごいことなのかもしれない、などと思いながら、フェンリルは京吾の向

かいの席によじ登る。大人にしてみれば丁度いい高さのイスも、どちらかと言

えば年齢の割に小柄な彼には非常に高く感じられる。

「ねえ、京吾さん。おなかすいた~」

 席に座るなり、にんまりと笑いながらそう言うと、向かいの席の彼が何とも

言えない呆れた表情をした。

「分かった、分かった。何がいいんだ?」

「食えるモノなら、何でも大歓迎っす!!」

「……ちょっと待ってろ」

 小さく溜め息を落とし、席を立った彼は、隣のリビングの方へと歩いて行っ

た。その背を見送りながら、フェンリルは改めて彼の姿を検分する。

(夕べも思ってたけど、すげ~カッコいいよなあ、京吾さん)

 朝の明るい光の中で見ると、より一層その姿が際立って見える。長身に、バ

ランスの取れた肢体。本人の派手な見た目と対照的に、白と黒のモノトーンで

纏められた服装。肌蹴られた首元と黒いホーズ(ズボン)の腰回りに輝いてい

るのは銀の装飾品だが、決して目立つものではない。最小限の装飾で、最大限

に自分の容姿を引き立たせる装いとでも言うのだろうか。

(服のセンスもいいし、金持ちだし、文句ナシじゃん)

 ただひとつ、問題があるとすれば、その性格。むしろ「内面」と言った方が

正しい気がする。改めて思うが、どう見ても彼が「いい人」だという印象は受

けないし、何かしら良くない予感のようなものを感じる。しかし、日々の食事

に飢えている彼の毎日を思うと、夕べの誘いには多少なりとも心が揺らがない

わけではなかった。

(京吾さんみたいな人が旦那さまだったら、それなりに楽しいんじゃないかな。

ここはいろいろと目をつぶって、昨日の話、受けた方が……。いや、でも声楽

って人がいるし、あんな殺人狂みたいなヤツと四六時中、顔合わせてたら、い

くら俺でも気が狂いそう……)  

 そんなことを止めどなく考えていた時、リビングの方へ向かった京吾がその

手に子供サイズのブーツを抱えて戻ってきた。

「あ! それ知ってる! マフモフブーツだ!」

「声ちゃんからの贈り物だ。ほら」

 放り投げられたそれを、空中で受け取る。ポポの毛で作られたブーツは触れ

ているだけで手の平に暖かな温もりを伝えてきた。自分は寒くなるにつれてひた

すら凍えているしかないというのに、人間であるフェンリルを差し置いて、生ま

れながらに、こんな贅沢な毛皮を持っているとは、ポポのくせに生意気だ。

「ありがとう。えっと……声楽さんは?」

「出かけた。会いたいか?」

「いや、別にいい……」

 思わず本音を言ってしまった後で後悔したが、京吾が気にしている様子がな

いので、ひと安心した。

「もう少し待ってろ。朝飯、アシュリーに頼んできたから」

「どうも~」

 イスに座っているだけで食事を提供して貰えて、しかも温かい風呂と寝床ま

でもれなく付いてくる。これだけ考えれば、まさしく天国。これで目の前にい

る人物がまともそうな人だったら、それこそ文句なしなのだが。残念ながらフ

ェンリルには、そうは思えなかった。

「ねえ、その髪ってさ、地毛? それとも染めてんの?」

 カウンターに立ってフェンリルのために暖かいミルクを用意してくれている

京吾に、気になっていたことを聞いてみる。まるで血のような赤い髪。赤毛の

知り合いは多いが、こんなに鮮やかな赤い色をした者は見たことがない。短く

整えられているのが、いっそ惜しいほどだ。

「髪? 地毛だ」

「へえ~。珍しい色だね」

 何だか血を被ったみたいだ。あるいは、大量の血を浴びているうちに髪が血

の色に染まったような。そんな縁起でもない考えが浮かんで、フェンリルは慌

てて、その考えを打ち消す。そんなイメージがある人とは言え、現実にそんな

ことは起こらない。髪を染めるには、コチニールとか言う虫から取った染料が

ちゃんと存在している。もちろん、一般人の手が届くような値段ではないのだ

が……。

「ほら、とりあえずこれでも飲んどけ」

「どうもで~す」

 差し出されたミルクは夕べと同様に温かくて甘い。あんな夢さえ見なければ

実に申し分ない朝だと言えるだろう。そう言えば、声楽の顔立ちは母親によく

似ていた。だからあんな昔の夢を見たのかもしれない。まさか血縁だろうか、

と、今ごろになって思い至って当然と言えば当然の考えに辿り着く。だが、そ

うであって欲しくない期待の方が強かった。

「ねえ……声楽さんって、京吾さんの奥さん? それとも恋人?」

 聞く必要などないと分かってはいた。けれど、どうしても気になって堪らず、

フェンリルは戸惑いがちに聞いてみる。

「敢えて言うなら、仲間。どちらかと言えば、部下になるかな。間違っても恋

人じゃない」

「ふ~ん。そうなんだ……」

 意外と言えば意外。当然と言えば当然。そんな何とも言えない感想を抱きな

がら、改めて正面に座っている彼を見上げると、黄金のような金色の瞳がふっ

と笑ってフェンリルの方に注がれた。

「気になるのか?」

「え? いや、えっと……そう! 声楽さんって、なんか、俺の死んだママに似

てたような気がしたからさ。それで、ちょっと……」

「声ちゃんの出身はアルテリアだ。残念ながら坊やと血の繋がりはない。他人

の空似だろ」

「だよねー! 俺もそうじゃないかと思ったんだよ!」

 内心で、よかったと胸を撫で下ろす。あんな無気味な女と血縁だなんて冗談

ではない。そんなフェンリルを、京吾は楽しげに眺めていた。

「失礼しますニャ」

 その時、例によってコックスーツに身を包み、気取った顔をした5匹のアイ

ルーが料理の皿を手にやってきた。

「お待たせいたしましたニャ。本日のメニューはシュレイド産パンのロイヤル

チーズ焼き。マイルドハーブとウォーミル豆のスープ。スネイクサーモンのカ

ルパッチョ。デザートには氷樹リンゴと炎熟マンゴー、エメラルドリアンのフ

ルーツ盛り合わせでございますニャ」

「な、何この臭い……!?」

 うまそうだ、と言う前に思わず鼻を覆ってしまったのは、フルーツの盛り合

わせから立ち上る、何とも言えない臭いがあまりにも激しかったせいだ。

「エメラルドリアンの匂いは初心者にはキツイみたいですニャ」

 料理は食べたい。しかし、この匂いは耐えがたい。相反する二つの感情の板

挟みになっているフェンリルを、アイルーたちが、さも面白いものでも見たよ

うに笑いを洩らす。

「どうしますかニャ? よろしければ別のデザートを用意させていただきます

ニャ」

 アイルーたちが京吾にそんなことを言ったのを聞いて、フェンリルは憤慨し

た。

「冗談じゃねえよ! ゴハンを残すなんて有り得ねえって! いただきます! 

もちろん!!」

 そして、鼻を覆いつつデザートに真っ先に手を付けた。予想通りの激しい味

に、思わず涙が浮かんでくる。エメラルドリアンは、フルーツとは思えないほ

ど生臭い。深く味わってしまうと、吐き気を催しそうだ。こんなものがウマい

と感じるとは、金持ちも大変である。

「ムリしなくていいんだぞ?」

 涙目になりながらエメラルドリアンを口に運ぶフェンリルを、呆れたように

眺めながら京吾が助け舟を出してくれた。一瞬、その「お言葉」に甘えようか

と思ったが、食事を残すことは自分の主義に反する。

「イヤ! 意地でも食う!!」

「みあげた心構えですニャ」

 フェンリルの宣言に、アイルーたちが忍び笑いを漏らした。エメラルドリア

ンの味に顔を顰めながらも、フェンリルはアイルーたちの気取った顔を殴って

やりたいという衝動を何とか抑え込んだ。しょせんはデカいだけのネコにバカ

にされるのが悔しくて仕方ない。夕べのアシュリーもそうだが、何かと人を見

下すその態度が気に入らないのだ。ここは意地でもエメラルドリアンを完食し、

二度とバカにされないようにするしかない。それはまさしく根性と呼ばれるも

のだった。普段は決して発動することはない根性だが、こういう時にだけは発

動してくれるのがフェンリルの根性だ。もちろん、何の役にも立たないが。

「食った~……うえ~……気持ち悪い~」

 何とか問題のエメラルドリアンを完食した後、口直しの意味で他の料理に手

を伸ばす。幸いなことに、他の料理は非常に美味であった。

「ぼっちゃん、よくがんばったニャ」

 皿をカラにしたフェンリルに、アイルーたちが何とも言えない「笑い顔」を

向けてきた。決して「笑顔」でないところが、また腹立たしい。

「ごちそうさま~」

 アイルーではなく、あくまで食事を奢ってくれた京吾に向ってそう言ってお

く。当然だ。

「見かけによらず、よく食うな」

「育ち盛りですから」

「そうみたいだな」

 最後に京吾が作ってくれたハチミツ入りのミルクを飲みほし、フェンリルは

軽く息をついて立ち上がった。用事は済んだ。となれば、長居は無用だ。

「おなかもいっぱいになったことだし、そろそろ俺、帰るよ」

「もう行くのか?」

「まあね。仲間も心配してるだろうからさ」  

 事実だったが、そう言っておけば角が立たない。

「で、京吾さん」

 もらったばかりのマフモフブーツを履き、フェンリルは京吾の前に進み出る。

「あんたは俺みたいな家なし子に、おなかいっぱいゴハンを食べさせてくれて、

ついでに暖かいお風呂と布団まで恵んでくれるような、いい人だよね? とい

うワケで、形に残るお土産が欲しいんだけど」

 フェンリルの意図に気付いたらしい彼が、どこか楽しむように彼の履いてい

るマフモフブーツを指差して見せる。

「その靴は?」

「これは声楽さんからの贈り物だって、さっき自分で言ってたじゃん。できれ

ば、京吾さんからも何か貰って帰りたいなって思ってるんだけどさ」

「金を出したのは俺なんだけどな」

「でも、この寒い中わざわざ買いに行ってくれたのは声楽さんだろ? 選んで

くれたのは、とも言うべきかな」

「なるほど」

 納得したのかどうかは分からなかったが、薄く笑った京吾がホーズのポケッ

トから桃色の鉱石を取り出して、彼の方に投げて寄こした。

「どうも~。やっぱり京吾さん、いい人だね。夕べは悪い人なんて言ってゴメ

ンね」

 投げられた鉱石の値は100zのユニオン鉱石。にっこりと笑ったフェンリ

ルは、心にもないお世辞をもっともらしく口にし、踵を返した。

「じゃあ、お世話になりました~」

「フェンリル」

 さっさと立ち去ろうとしていた時、ドアの前で彼は呼びとめられ、内心でギ

クリとする。

「しばらくいるから、いつでも来い」

 顔には出さずに恐る恐る振り返った彼にかけられたのは、意外にもそんな言

葉だった。

「うん。ありがと。またね」

 正直、二度と会うつもりは無かったのだが、ここは本音を言うべきではない。

努めて明るく答えれば、京吾がにっこりと笑ってみせる。

「またな、坊や」

 何となく、その言葉が耳に焼き付いて離れなかった。


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