第2話の8
声楽に連れられてやって来た宿屋は、店の一階が食堂で、上の
階が客室という、氷都ではよく見かけるスタイルの宿だった。深
夜が近い時間ということもあり、食堂には客の姿どころか従業員
の姿もない。規則正しく並べられた漆黒のテーブルとイスは、今
はしんと静まり返って朝を待っているように見えた。けれど、頼
めば簡単な食事を提供してもらえるらしい。
「何か食うか?」
「ううん。今はいい。それよりお風呂に入りたい」
「分かった、分かった」
ドアを入ってすぐ左手にあるカウンターには、中年の男が座っ
ている。宿泊の手続きをしているのは声楽で、フェンリルは京吾
と一緒に、食堂のイスに座って待っていた。物珍しさが先立って、
あちこち見渡しているうちに、部屋のカギを手にした声楽が戻っ
てくる。それを見て、京吾が立ち上がった。
「ねえ」
抱っこして、という意味を込めて腕を伸ばすと、あっさり抱き
上げて貰えた。
「とりあえずクツと服がいるな」
「そうですね。あり合わせでいいのでしたら、今から探してきま
すけど」
「明日の朝でいいよ。どうせ寝るだけだし」
何だか声楽に悪い気がして、フェンリルは慌ててそう言った。
今までずっと寝台で横になっていたということもあって、彼はハ
ダシのままだったし、服も今、着ている夜着しかない。もともと
着ていたはずの服はどうしたのかは記憶に残っていなかった。
「とりあえず明日、着る服だけでいいだろ。帝都に帰らないとロ
クな服がない」
「そうですね。氷都は何だかんだ言っても田舎ですし」
「着れれば何でもいいよ」
「俺がイヤなんだ」
「…………そう」
真っ当な意見を言ったつもりだったのだが、そう返されれば何
も言えなかった。
「ねえ、どこまで行くの?」
「一番上の階ですよ。疲れました?」
「ううん。大丈夫」
食堂から見える位置にある階段を登っていけば、途中に客室ら
しきドアが幾つも並んでいる廊下が見えた。廊下は町と同じく石
造りで、ドアだけが木製。そのすべてに、造り物の花が飾られて
いる。階段を上へ行けば行くほど、廊下に並ぶドアの数が少なく
なっていった。
「こんな時間ですから、大した宿屋が無くて……。一晩だけです
から、我慢してくださいね」
「ちゃんとしたトコで寝れるだけで充分だって……」
階段を一番上まで登った時、声楽にそう言われて苦笑いしてし
まう。これまでずっと野宿だったのだ。寝台に入って眠れるほど
ありがたいことはない。
「そこまでひどくないだろ」
「ええ。私のセンスに間違いはありません」
最上階の廊下には、それぞれ両側にドアが一つずつしか無かっ
た。つまり、これだけ長い廊下と同じだけの面積があるというこ
とになる。そう思うと、何だか気が引けた。
「さあ、どうぞ」
カギを開けた声楽が、ドアを開いてフェンリルを抱いた京吾を
先に部屋へ促した。ガラスのランタンに照らし出された明るく広
いリビングが彼らを出迎えてくれる。オーク素材のテーブルセッ
トに、煌々と炎が燃える大きな暖炉。天井にはガラスのシャンデ
リア。リビングの一角にはグラスや酒のボトルが並ぶカウンター
が備え付けられ、最奥には擦りガラスのドアが続いていた。
「すごい部屋……」
何だか場違いな気がして息が詰まりそうだ。あちこちを見渡し
ているうちに、ソファに降ろされた。
「寝室は一番、奥になっていますよ。病み上がりですからね、ム
リせずに早目にお休みになった方がいいです。着換えを持って来
ましょうか?」
「そうだな。頼む」
このまま寝かされそうな雰囲気を感じ取って、フェンリルは慌
てて隣に座る父親の袖を引っ張った。
「パパ、俺お風呂に入りたいって言ったじゃん」
(パパ!?)
フェンリルが何気なく口にした単語に、声楽は珍しく本気で顔
色を変えた。だが、残念ながら本人たちは気付いている様子がな
い。何事かと思っている彼女を余所に、二人は普通に会話してい
た。
「着替えがいるだろ?」
「あ、そうか……」
後から詳しく問いただそう。そう決めて、声楽は着替えとタオ
ルの用意をしに、別室へ向かう。こういうタイプの宿屋では、夜
着などは寝室に用意されているのが普通なのだ。
「やっぱりさ、ここのお風呂も温泉ってヤツ?」
前にどこかで氷都は温泉の街だと聞いた覚えがあった。具体的
に温泉がどんなものなのか分からなかったが、とりあえず体を洗
えるなら何でも良かった。盗賊と出会って無駄に汗をたくさんか
かされたし、なぜか自分の体から強い血の臭いがする。気持ちが
悪くて仕方なかった。
「ここは残念ながら温泉じゃない」
「ええ!?」
「温泉が湧いてるのはシュレイド地方のアイスロードとスノーレ
イと……あとはホワイトタウンだったかな。役場の名前はシュレ
イド城だが、ここは正確にはシュレイド地方じゃない」
「そうなんだ……」
温泉とは、どうやら「湧く」ものであるらしい。てっきりお湯
の中に何か混ぜているのかと思ったが、そうではないようだ。
「行ってみたいな、温泉ってヤツ」
「これからいくらでも連れて行ってやる」
「ホント!?」
「ああ。でも、とりあえず明日は帝都に帰るぞ。仲間がお前を待
ってる」
「うん!」
顔を輝かせて頷く。そして、ふと「仲間」という言葉が気にな
った。彼に声楽のことを聞こうとした時、当の本人が戻って来た
ので口を閉ざした。
「ひとりで入れるな?」
「うん。大丈夫」
ソファから降りて、声楽が渡してくれた夜着とタオルを受け取
った。
「そこを出てすぐ右がお風呂ですよ」
「分かった。ありがと。それじゃ、行ってきまーす」
父親がタバコを取り出すのを見ながら、フェンリルは念願の風
呂を目指して部屋を出た。
*
「で、何がどうなっているのか聞かせていただけますか?」
フェンリルが部屋を出た後、ソファの向かいに腰を下ろした声
楽が、これ以上ないほど胡乱気な顔でいきなりそう切り出した。
「何が」
「とぼけないでください。何であなたのことをパパって呼んでる
んですか、フェンリルは」
「ああ……」
そのことか、と思いながら彼は灰皿に灰を落とす。フェンリル
の傍で吸うわけにもいかず、必然的に減煙しているせいで数時間
ぶりの煙草だった。
「どうなんだろうな。本人がそう思い込みたいようだったから、
放っておいた。俺もそのつもりだったし、こっちから話す手間が
省けたと思って」
「………京吾さん」
頭を抱えながら、声楽は盛大な溜め息を落とす。
「大丈夫なんですか?」
「何とかなるだろ。この年になって子供を持つのも悪くないしな」
「あなたが決めたことでしたら、私に文句は言えませんが……」
ひたすら笑っている彼に、声楽は呆れたような顔を向けてきた。
「坊や、記憶が混乱してますよね? 時間が経って思い出した時に
ショックを受けなければいいと思うんですけど」
「……そのことなんだけどな」
煙草を灰皿に押し付けつつ、彼は冗談を納めて真剣な顔で声楽を
見据えた。
「あいつの頭の中から、スノーレイであったことが綺麗さっぱり消
えて無くなってる。偶然、盗賊が攻めてきたのも一因かもしれない
が、ミナガルデからシュレイドに着くまでに俺と会ったと思い込ん
でるようだ」
「……つまり、雪山に連れて行かれたことも、そこで生き延びたこ
とも、家なし子のグループと出会ったことさえ覚えていないという
ことですか?」
「そういうことだ」
吸える時に吸っておこう。大半の喫煙者が考えることを、彼は無
意識に実行していた。
「最初は夢でも見てるのかと思っていたんだけどな、どうやらそう
でもないらしい。ムリに現実を押しつけても仕方がない。あいつが
好きなように思わせておいてやればいい」
「……それは、構いませんけど」
「帰る前に帝都の千鶴たちにもそう伝えておいてくれ。フェンリル
は俺の息子として育てる。ミナガルデの村から出てきたあいつを、
途中の荒野で見つけて盗賊から助けた。そういう感じだ」
「……分かりました。後でそう伝えに行きます」
重い溜め息を落とし、声楽が何とも言えない顔で彼を見つめた。
「でも寄りによって京吾さんが……パパになる日が来るなんて……」
「そんなにおかしいか?」
「ええ。雪山にヴォルガノスがいるくらい違和感があります。随分
懐いているなとは思ってましたけど……」
熔岩竜ヴォルガノスは、その名の通り、燃え盛るマグマの中でし
か生きられない魚竜である。雪山にいるはずはない。彼女の指摘に、
京吾は軽く笑った。
「あいつを見ていたら可愛くて仕方がないんだ。帝都に帰ったらど
こに連れて行ってやろうか、とかそんなことばかり考えてる」
「……そりゃ自分の子供だと思うからじゃないですか? 子育て経
験者として忠告させていただきますけど、甘やかし過ぎは子供のた
めになりませんよ?」
「肝に銘じておく」
「そうしてください」
声楽がそう言った時、ドアが開いて随分とさっぱりした顔をした
フェンリルが戻ってきた。その満足そうな顔を見て、自然と二人は
笑顔を浮かべる。
「気持ち良かった。あんなに大きいお風呂なんて初めて入ったよ」
「よかったな」
満面の笑顔で、フェンリルは真っ直ぐに京吾のところへ歩み寄っ
て行く。濡れた髪をタオルで拭いてやっている京吾に、激しい違和
感を覚えながらも、声楽は何も言えず、二人の様子を眺めていた。
「そろそろ寝ろよ。明日は早いからな」
「パパは?」
「もう少し起きてる」
「じゃあ、俺も起きてる!」
フェンリルの言葉に、京吾が僅かながら困ったような顔をした。
声楽には、それがおかしくて仕方ない。堪え切れない笑いをごまか
すために彼女はカウンターに立ち、フェンリルには湯上りの果汁、
京吾にはブランデーを用意した。
「たまには早く寝たらいかがですか? 早寝早起きは悪いことじゃ
ありませんよ」
「……そうだな」
一昔前なら、誰が何と言おうと自分がやりたいようにしか行動し
なかったはずの彼が、あっさり声楽の提案を受け入れた。グラスを
持つ手が震える。気付かれる前に、彼女は二人にグラスを手渡した。
「ねえ、パパ。一緒に寝てよ」
「分かった、分かった」
グラスを空けたフェンリルが京吾の手を引っ張りながらそう言っ
た。大人しく引っ張られていく彼の姿に耐えきれず、声楽はその場
で爆笑してしまっていた。
新しい生活が、幕を開けようとしている……。
ー継続ー
お疲れ様でした。
これにて第2話が終了です。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
何だか幸せそうでぬる~い展開が続いておりますが……続く第3話も実にぬる~い展開です(汗)
ただ、クシャルダオラと戦います。モンスター同士の戦闘シーンもあります。自然がいっぱい、おなかもいっぱい、もういいよ的な展開ですが……よろしければお付き合いくださいませ。
この場をお借りして、ちょっと宣伝を……。
ヴァナルガンドがぬる~い展開なので、新しく「妖乱舞」というモンハンの二次小説をアップいたします。
主人公の少年、中也と幼馴染のシヴァが、気がついたらいきなり樹海にいて、「あれ?」というかんじでスタートします。周囲には自分たちと同じ制服を着た少年少女が数人。なぜか(狙ってますが)美少女ばかり。サバイバルがメインですが、モンスターとの戦闘シーン、お色気シーンがたくさんあります(笑)
いろいろな意味で刺激を求めている方は……ぜひ!
妖乱舞をよろしくお願いいたします!
それでは!
失礼いたします!
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