2ndフレーズ
いつもの様に歩いていると、突然体が宙に浮いた。
腹に誰かが触れる、不快感。
着古しのシャツを着た腕が、俺の体を持ち上げていた。
何だコイツは。いつの間に。
ボロボロのシャツが似合う、酷い面をしたソイツは、俺と目が合うと、微笑みながらこう言った。
「今晩は、素敵なおチビさん。僕らは、よく似ていると思わないかい?」
何だそりゃ。ふざけるな。
俺は別に酷い身なりはして無いし、チビでもない。
第一、ベタベタするのは1番性に合わないんだ。
こういう手合いに会うのは、別に初めてじゃあない。
ヘラヘラ笑いながら、近づいてくる人間ってのはかなり多い。
対処法は、こうだ。
俺は、全力で不快感の原因、ソイツの腕を引っかいた。
案の定、ソイツは「うわっ」とか言って俺を落とした。
そのまま路地へと駆け込む。
それで、お終い。
の、筈だった。
だけど、ソイツはついてきた。
路地裏を駆け抜けても、塀の上を走っても、茨の植え込みをくぐっても。
ゴミ箱につまづきながら、落ちそうになりながら、擦り傷を作り、葉っぱを体中につけながら。
走っても走っても。何時間でも。
夕立が通り過ぎ、日が完全に暮れた頃、俺は諦めた。
負けたよ、この変わり者。お前みたいなヤツは初めてだ。
ソイツは俺を、自分のアパートに連れ帰った。
狭く、窓からは、明かりも風もほとんど入ってこない。
部屋の中は、休日明けの歓楽街みたいに散らかっている。
そこら中にカンバスや絵の具、筆が散らばり、テレピン油の匂いが漂う。
ソイツは、売れない画家だった。
初めは、こんな部屋とっとと逃げ出して、裏通りに帰ろうと思った。
だけど、別に帰る必要性が無い事も分かっていた。
ソイツは、事ある毎に俺を気にかけた。
初めて、俺のための餌を買って帰ってきた時は、大きな紙袋を2つも抱えていた。俺はその紙袋に何が入っているのか、最後まで見当もつかなかった。
気まぐれに、1週間ほど部屋を空けた時は、帰ってきた俺を見て、まるで大病の肉親が峠を越えた朝のような顔をした。
俺が部屋に居ると、スケッチブックを持ち出し、姿勢を変える度に俺の姿をスケッチブックに写し取った。
俺は好き勝手にやっていたが、いつの間にかソイツに触られるのは苦にならなくなっていた。
そして、夜。
眠る時に、ベッドに自分以外の温もりがある事の心地よさも知った。
ある日、ソイツは言った。
「素晴らしい夜を僕に与えてくれた、おチビさん。君の名前を決めたよ。君の名は――Holy Night。聖なる夜」 |