行方をくらましていたと思っていたのに、再び目の前に現れた飛景を、黎明はただ唖然と眺めることしかできなかった。
彼は相変わらず、ほんわかとした笑みを浮かべたままだ。変わらないその姿に黎明は何故か安心感を抱く。それは、あまりにも急激な変化を遂げていた弟に対して、唯一変わらなかった者に対しての安堵感なのか、黎明には分からない。
にっこりと笑みを張りつけたまま、飛景は双葉の前でへたり込む黎明に近寄る。腰が抜けて力の入らない黎明は、立つこともできず飛景を見上げた。
飛景の目は、相変わらず虚無だ。何の色も映さない瞳は、黎明を暴くこともなければ、攻めることもない。けれどその瞳は、ただひたすら、虚しい気持ちにさせる……。
――あなたは、変わらない。だから、憧れていたのだろうか。
黎明から視線を双葉へと移し、飛景は無言のまま彼女の身体を抱き上げて、肩に担ぐ。
双葉の身体からとめどなく流れていた血液は、夜の寒さも相俟ってかその量を減らしていた。それでも彼が双葉を担ぎあげた刹那、垂れた紅い液は、生々しく黎明の頬に落ちる。生臭い匂いが鼻腔を突き抜け、喉をせり上がる酸っぱい液体を呑みこむ。その瞬間、焼けるような痛みが走った。
死者は、重いのだと聞き及ぶ。しかし飛景は、およそ死者に対する扱いとは思えぬ手つきで、軽々と双葉を担ぎあげているのだ。あまりの不敬さに、さすがの黎明も眉をひそめた。
「その汚い手で、僕の双葉様に触れるな……!」
突然の乱入者に、それまで茫然としていた浅葱も意識を取り戻したのか、果敢にも飛景へと斬りかかる。
だが飛景は、無駄の一切ない自然な動きで、浅葱の手に握られた太刀を弾き飛ばすと、零れたそれを足蹴にした。その腕をひねり上げて、抵抗できないように後ろ手を縛りあげると、抵抗を続けていた弟も、解けない拘束に体力を消耗するのは無駄だと悟ったのか大人しくなった。
彼は、口元に笑みを浮かべたまま、事も無げに言う。
「外はまだ寒いね」
「お前は何者だ」
「いいから、ついておいで。双葉も暖かいところへ移そう。凍えてしまうよ」
一見穏やかながらも、飛景はなかば強引に黎明達を暗闇の屋敷の中へ追い立てた。何を考えているのか相変わらず分からず、足取りも重くなる。そんな黎明の心情を見透かすかのように、飛景は目を細め、黎明を面白そうに見下ろしていた。
居心地の悪さをおぼえ、黎明は飛景の外面だけは穏やかなその顔を見上げる。
「どうしたの?」
「……あの、飛景様は、何故――」
――何故、ここに現れたのか。
その問いを自らがしても良いものか、黎明は躊躇った。いつだってこの男は、核心を突く問いを避けてきたではないか。はぐらかすような笑みを浮かべ、巧みに話題を逸らすのは、この男の常套手段だ。過去を冷静に鑑みれるようになった今、飛景は決して黎明の問いに答えないだろうということを、彼女は悟っていた。
多分、飛景は黎明の思うように、かつてとちっとも変っていないに違いない。この人に突っ込んだことを聞くのは無駄なのだ……。
頭を振り、視線を逸らすと消え入る声で呟く。
「――変わらないの?」
「君は相変わらず、面白いことを言う子だね。変わらないなあ」
片手は浅葱を拘束したまま、双葉を担いで飛景はぼんやりと返した。その返しに黎明は何故か釈然としない。最も不変の男に変わらないといわれるのは、どう考えてもおかしい。何より、最後に飛景と顔を合わせた時よりも、確実に黎明は成長している。外見の変化だって否めない。
何となしに膨れていると、それまでずっと飛景に胡乱げな眼差しを投げつけていた弟が、割って入ってくる。
「姉様、これと知り合いなの?」
「そう……とも言えるわね」
「……姉様はもっと人を見る目を養った方がいい」
「なっ……!」
「どう考えてもこれは下種の類だ。見てよあの笑顔。感情の欠片も見せない面に、背筋が凍るね」
返す言葉もなく、黎明は肩を落とす。確かに、何を考えているのかちっとも分からない。笑っているとはいえ、浅葱の言うように、感情を露わにしているわけではない。どれだけ狭い視野だったのかと、弟に思い知らされるなど屈辱だ。それよりもたった今出会った男に対する弟の考察が、あまりにも的確で鋭すぎるのに黎明は内心動揺していた。普通、十代の少年が、初対面の相手にそんな穿った感想を持つものか。
一体、どんな環境で青春を送ってきたのだ。
黎明も大概、今思い返せば劣悪としか言い表せないような少女時代を過ごしたが、浅葱はその更に下をゆくとでもいうのか?
飛景は黒い塊が最後に身体を滑り込ませるのを確認すると、浅葱の手を突き放した。弟は、双葉がぞんざいに扱われるのが許せないのか、飛景を無言で睨み続けている。
ぴったりと襖を閉めると、芳しい花の香りが冷たい屋敷の中に満ちているのに気付く。
海石榴だ。匂い立つ芳しい香りの正体に、黎明は鼻をひくつかせた。
「今、火をいれるからね。ちょっと待ってて」
(人の屋敷に無断で入り込んだうえに、勝手に火をおこすなんて……でも、わたしに止める謂れなんてない)
黎明は不安を隠せず、火鉢を掻く飛景の行為を見守った。浅葱は殺気を隠そうともせず、浅羽の心はここにあらずというように、ただ狼の背で眠る娘に視線を奪われていた。屋敷に入るときも、良識ある彼にしては珍しく全く抵抗しなかった。
確かに、目を奪われるほど美しい少女だ。
女性らしいまろやかさを損なわない、華奢な身体とほっそりとくびれた腰回り。触れれば消えるのではと不安になるほど透き通った肌が、薄い紅色の袖下から見える。漆黒の髪は闇の中でもなお、艶を失わず、しっとりとした質感を放っている。伏せられた睫毛は長く、すっと鼻筋の通った玉のように愛らしい顔が、黒髪の下から覗いていた。その艶美さといったら夢か幻かと疑いたくなるほどに、儚くて。僅かに開かれた唇は花弁のように紅く艶やかで、そこから洩れる吐息が、間違いなく少女は生きているのだという事実を知らしめる。
娘の胸は僅かに上下を繰り返しているが、双葉の体は微動だにしない。
これが、二人の決定的な差であった。
それでも触れれば双葉はまだ生温かく、これが浅羽の手によって斃れたと聞かされても、やはり黎明は実感がわかない。浅羽が双葉を切りつけた瞬間は、今でも黎明の瞼に焼き付いて離れないのに……。
飛景は灯篭に明りを灯した。密色の光が黎明と浅葱の瞳に差し込んで、両者の双眸を青く輝かせる。それをじっと見つめていた飛景は、それまでの穏やかな表情を一瞬消し、苦笑を浮かべる。
「そんなに海鶴が気になる?」
「海鶴……?」
「綺麗でしょう? 眠り姫様は」
黎明の視線を辿り、飛景は眠る娘に目を向けた。
海鶴――かの娘が、浅羽の大切な姫君なのか……。
改めて娘を見て、肩と膝の力が抜けた。この娘には、聞こえていないのか。末の姫を呼ぶ浅羽の声が。
多分、実物を見るまで、黎明は見ず知らずのその姫君に嫉妬を抱いていた。浅羽の心と、そして薫兄様の心も奪い続けるその娘が、うらやましくて仕方なかった。そして、それ以上に、常に彼女を思い続ける浅羽の気持ちに何故気付いてあげられなかったのかと、憤った。
目の前の眠る娘は、今にも消えてしまいそうなほど、儚い光を宿しているようだ。少なくとも黎明の目にはそう映る。ただ目を閉じて眠っているだけだが……この娘には勝てない。黎明は本能的にそう悟る。黎明では、何年かかっても浅羽も、薫兄様も、振り向かせることなんてできない。この眠りの姫ほどに魅力があるわけでもないし、誰かに愛される体質を持っているわけでもないのだ。
「――これが、弟姫だと言うのか?」
海鶴の名に反応したのは黎明だけではなく、双葉の傍で放心していた浅葱が、娘を初めて顧みた。次第に見開かれていく瞳には、動揺が浮かぶ。双葉と海鶴は、纏う雰囲気が似通っている。青白いほっそりとした輪郭が、余計に二人の相似性をひき立てていた。
黎明はぎゅっと片手で裾を掴み、もう片方は弟の手を握る。冷たくて、大きな手が、おずおずと黎明の手に指をからめた。
「生きているのか?」
「息はしてるよ」
その言葉に真っ先に反応したのは、浅羽だった。息を呑む音が静寂な館に響く。飛景はただ、それを見て笑う。
「全く動けないけどね……」
何処に何があるのか心得ているのか、飛景は真っ白な布団を引っ張りだし、そこへ双葉と、それから焔の背に乗った娘を寝かせる。すかさず二人の男がそれぞれ駆け寄った。浅羽は娘の白い手を固く握りしめ、陶器のように美しい手に頬をすり寄せた。浅葱は黎明に繋がれた手を放し、そっと彼の主に寄り添う。双葉に触れこそしなかったが、弟はその前に正座をしたまま、俯いた。双葉を見つめる浅葱の瞳は、虚無に近いものであった。
もう、双葉の瞼が開かれることはないと知りつつも、弟は彼の人に縋らずには居れないのだ。その心情を思うと、黎明は得も言われぬ切なさに襲われ、かける言葉を失った。
それぞれの行動が、何よりも二人の男の性を物語っているようだ。黎明は、そんな二人の男の姿を、胸が締め付けられる思いで見守ることしかできない。
「しかし思いきったことをしたね」
飛景はため息混じりにそう呟くと、心底呆れたという視線を浅羽へ投げて寄こした。
「そんなに、追い詰められていた?」
投げられた言葉に、浅羽の瞳が一瞬揺れる。だがその視線は娘に向けられたままだ。
「馬鹿だとは思っていたけれど、やっぱり馬鹿だったねぇ。白藍に言われたことを鵜呑みにして、実行に移す辺りが本当に救いようがないよ」
青白い炎を尾に纏った獣が、するりと飛景の影から躍り出た。焔の健在な姿を改めて確認し、黎明の目は霞む。
「全くだ。娘のことになると見境がないのか。娘の周りの男衆はろくな奴がいないな」
「それは、小生のことも含まれているのかい?」
「当然だ、愚か者。娘が哀れでならぬわ」
「焔から見たろくでなし筆頭は一体誰? 小生? それとも……彼?」
「知らぬ」
焔は湿った黒い鼻をひくつかせ、ふっと息を吐いた。鋭い目で飛景を一瞥すると、再び眠る海鶴の傍らに寝そべる。
「君の中の最優先は、この子だということは分かっていたよ。君と僕は、同じだからね」
浅羽は無言を貫く。いや、言葉が、出てこないのかもしれない。ただずっと、海鶴の手を握りしめている。
やがて、浅羽は静かに問いかけた。
「海鶴は……どうなった」
「君の希望で言えば……そうだな。一応、生きてるよ」
「何故、動けない」
「夢見の巫女がいないからね」
再び飛景の口から出たその言葉に、浅羽の瞳が開かれる。
黎明は、唇をかみしめた。
その一言で、全てが崩壊してしまうのか。末の姫を握る浅羽の手は震えている。
浅羽は、相当な覚悟で春京の一族をその手に掛けたはずだ。彼らを害することによって、末の姫に宿る女神の拘束は、解かれるはずであった。それなのに、未だに彼の姫は身動きさえ取れないのだ。
浅羽の鳶色の瞳によぎる絶望の色に、黎明は零れそうになる悲鳴を堪える。
「どのみち、海鶴は動けなかったんだ。君も分かってるだろう? 海鶴は、神狩りの巫女だ。あの子は、己がそうあるべきだと決めた……」
強いられたわけではないのだろうか。浅羽の口ぶりでは、海鶴は無理やり連れて行かれ、望まぬうちに神狩りの巫女になったという話のように聞こえたが……。
彼女は、巫女であることを自ら望んだというのか。
黎明は、じっと飛景の釣りあげられた薄い唇を見つめる。
「決められていた定めでも、己が選べばそれはもう、己が道。例え君であっても、あの子の選択を止めることは、難しかっただろう」
仕方ないのだ、と飛景は笑みを保ったまま淡々と呟く。
黎明は、飛景と浅羽を隔てる温度差に、身震いした。
それで割り切れれば、浅羽だって己が大切なものを秤になどかけはしなかった。最初から重きを置く方が決まっている秤ほど、馬鹿馬鹿しいものもない。
同じと言っておきながら、飛景は実のところ、末の姫をどう思っているのだろう。浅羽は、命をなげうっても惜しくないと……そう言っていたけれど。冷たい瞳に映る娘は、本当に飛景にとって一番大切だと言えるのか……?
飛景を凝視する黎明の視線に気付いたのか、飛景は黎明に向けて薄く微笑んだ。その笑みに、背筋がすっと伸びる。
浅羽は、怒りの滾る視線で飛景を睨みつけた。
「なんだよ、夢見の巫女って……。そいつのせいで、海鶴が起きないっていうのか?」
浅羽の責めるような口調に、飛景は頷く。
「そうだよ。君が倒した双葉が、夢見の巫女だから。海鶴は起きられないんだ。けれどこれは幸運だったね。双葉が夢見の巫女で、良かったよ」
至って穏やかな口調でそうのたまった飛景の胸倉をつかんだのは、浅羽ではなくて、弟だった。
「何を訳の分からないことを……! 双葉様は、双葉様は……!」
「あ。よかったね黎明。弟君、生気を取り戻したみたい」
どこかずれたことを言い始めた飛景に、黎明は顔をそむけた。何故同意を求めるのか。飛景は荒々しく揺さぶる弟の肩にそっと手を添えると、その動きを止めさせた。
何を見たのか、弟の視線が一瞬凍る。
「ねえ、黎明の弟君。夢見の巫女って、知ってる?」
弟の返答を聞く前に、飛景は続ける。
「夢見の巫女というのはね、簡単に言ってしまえば、自分の夢を世に反映させることができる巫女のことなんだ。人も、物も、環境も……全ては夢見の巫女の夢のまま……。
夢ってさ。要は記憶の断片なんだよ。
時には、思いもよらずに何かを生み出すこともあるけれど、それは基本的に変わらない。
だからね、夢見の巫女の夢は、現世で実際に起こったことばかり。過去の思い出を、もう一度再現しているだけだ。
ただ、場を作ることはできても、巫女は人の意思にまで介入はできない……。作りだされたものであっても、そこにある人やものは、本物だからね。
巫女は、己の見た夢を、客観的に眺めることしか、出来ないんだよ……。直接干渉することは、禁じられているからね」
唐突に始まった説明に、黎明は口を半開きにして聞き入っていた。
巫女が、自分の夢を世に反映させている?
双葉が浅羽の手によって倒された、それによって海鶴は昏睡状態となっていると飛景は言うが。
飛景の言っていることが仮に真実であるとして、双葉が斃れたことで海鶴の意識に関係するならば……海鶴は、双葉のみる夢に、少なくとも関係するのではないか。
黎明は、探るように飛景を盗み見る。
相変わらず薄く微笑んだその表情から、思惑を読み取るのは困難である。
では、双葉が生きている間は、海鶴も起きていた、ということか?
この中で、黎明だけが最も中立で、冷静に飛景の話に聞き入っていた。浅羽も弟も、最早それどころではない。ただ目の前の大切な人が目覚めないという事実が、思考力を奪っていたのだ。
それにつけいって、よもや飛景は全てをうやむやにしようとしているのか、黎明には分からない。
突如告げられた夢見の巫女の存在は、恐らく二人の男の耳には全く届いていないだろう。考える余力が、二人にはない。
「巫女は、夢を見続けている。ある誓約によって、巫女が夢を見続けている間は、巫女の命は保証されている」
「だが、双葉様は死んだじゃないか……。お前、いかれているのか」
弟が飛景の言葉の矛盾を指摘すると、飛景はくつくつと笑いだした。弟は何を言っても笑うことしかしない飛景を気味悪がるように、一歩だけ退く。
「いかれてる、か。なかなか辛辣だな、黎明の弟君は。この姉にして、この弟ありってこと?」
にっこりと笑いながら振りかえってきた飛景に、黎明は肩を竦めてみせる。
「いかした弟でしょう?」
「可愛いのに、勿体ないね」
さも残念だと言わんばかりに、飛景は眉尻を下げて続ける。
「さぞ不可解だとお思いだろうね」
「そうよ。夢をみている間だけ――そんなの、眠っている間しか命の保証はないってことじゃない」
「そうだよ」
「そうだよって……」
あっさりと首肯する飛景に、黎明は絶句する。
「夢見の巫女が目を覚ましたその時、この場はまるで灰のように、崩れ落ちてゆくよ」
飛景は、そう囁いて笑う。
あまりに突拍子もない話に、黎明は眩暈がした。大体、目を覚ますも何も、双葉は既に冷たくなっているではないか……。
飛景は浮かない表情をちらつかせた黎明を顧みた。
「夢見がいなくなるんだから、当然だろう?」
双葉が飛景の言う夢見の巫女であったとする。今、夢見はいない状態だ。しかし、未だにこの場所が崩壊する兆しは見えない。
飛景の真意を測りかね、黎明は黙りこむ。
双葉は、果たして本当に身罷ったのか?
だが、紛れもなく兄姫は、浅羽の手にかけられ、躯となったはずだ。全く動かない彼女が生きているなどとは到底考えられない。
しかし、目の前で朗々と笑う男は、考えなしで発言するような浅慮さはもちあわせていない。むしろ、慎重に事を運ぶような人物であったはずだ。軽はずみに混乱させたいだけとも思えない。飛景がここを訪れたのは、明確な目的があってのこと。
黎明は、虚偽の笑みに塗れた飛景の顔を見上げた。飛景の瞳が何か面白いものを見つけた少年のように、途端に輝く。
「何がしたいの?」
「気付かないふりは、もうやめたの? 黎明」
「何が欲しいの?」
「そうだね……君の力を貸してほしい」
「わたしに、何ができるの?」
真っ直ぐ、飛景を射る。闇の中で揺らめく瞳に、飛景は目を眇めた。
「今夜、双葉の側にいてあげてくれないかな」
「それだけ?」
「小生が望むのは、それだけだよ」
黎明は、ゆっくりと頷いた。飛景はそれを見届けると、海鶴を守るようにして寝そべる焔に目配せをし、縋る浅羽を振り切って、彼女の身体を抱き上げた。
「さあ、君はこっちだよ」
飛景は、軽々と姫を抱いたまま、奥の間へと消えていく。黎明は無言でその背を見送って、今度は弟へと向き直った。
黎明は震える手で浅葱の袖を引くと、冷たい床に座らせて、じっとその目を覗き込む。
「あんたも、一緒に」
「姉様……」
「今夜だけは、一緒に……――」
その先の言葉が見つからず、黎明は口を噤む。
弟も、その先を継ぐことはない。
こうして、弟と向き合ったのは幾久しい。懐かしさが胸に込み上げてきて、黎明の視界は涙で霞んだ。
二人は、暫く無言で座り込んでいた。動くはずのない双葉を凝視し、静かな空間に規則的に響く呼吸の音。その音だけが、今こうしてお互いの存在を確かめあうために、必要なものだった。
いつの間にかうとうとし始めた黎明は、知らずのうちに弟の肩へ頭を預けていた。さぞや重かっただろうに、浅葱は文句ひとつ言わない。
幾許か頭が弟に傾いた時。黎明は肩から背にかけての火傷の痕をなぞるように、触れる暖かな感触に瞼をあげる。
不思議に思ったが、再び瞼を下ろした。
どうでもいいではないか。ここにいるのは、黎明と浅葱と……。
「風邪をひきますよ、お二人とも」
その言葉に、黎明の目は今度こそ見開かれる。
間違いない。女性の声でそう進言された。
冷や汗を拭い、浅葱を見上げる。既に弟は起きていたが、茫然として闇の中で蠢くものを注視していた。
「狐につままれたような顔をしていますよ。浅葱」
確かに、その刃に貫かれ、その人は倒れたはずであった。
その場の誰もが、その人の絶命を信じて疑わないほどに、その人は深く傷を負った。どんなに浅葱がその名を呼ぼうが意識を取り戻すことはなかったのだ。
「おはようございます。黎明殿、それから……浅葱」
花咲くように微笑むのは、紛れもなく、双葉その人であった。
闇の戯言
←作者のブログです。小説裏話など微妙に更新中。よろしかったら覗いてみてください。
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←面白そうだったので登録してみました(笑)
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