◆
「行く先々で耳にはさんだ、民の抱く巫女の像というものは不思議なことにどれも恐ろしげだったぞ。巫女は先代の帝――父の命を受けて、地上の神より神器を取り返してくれた功績あるもの達だというのに……」
「左様でございますか」
「驚かぬのか?」
「把握しておりますゆえ」
「存外、淡々としているのだな」
帝の言葉に美鈴は苦笑を浮かべた。
「慣れておりますからね」
巫女に向けられるのは、恐怖にも似た畏怖の念。
神を『魂を食らう恐ろしいもの』と捉える一方で、彼らは未だに胸の奥で八百万の神々への親しみを持ち続けている。道祖神の地蔵、道の端の煤けた祠に時折供えられる餅を見るたびに、それが見て取れた。
そう、神は土地をうるおし、結果的に民に恩恵を与える。その神を使役し、時には滅しようとする巫女は、神以上に恐ろしいものなのだろう。一方では心の奥底でそんな巫女に反感を抱いているのだ。
かつて白い勾玉の所有者であり、一時的に月読の巫女であり、二ノ巫女の地位にあった美鈴はそのことをよく理解していた。
神狩りの巫女――神に背きし醜い巫女。
それが世に根づいた考え方。
要所に防衛の要として巫女を配置しているにも関わらず、民は巫女を避けている。
誰も、巫女が民を守るためにその心身をなげうっていることを知らない。外から来る敵に対しては防人がいることは知っていても、湧き上がるように襲い来る正体不明のあの黒い人影のようなもの達を、巫女が退けていることはあまり知られていないのだろう。巫女がこの、豊葦原と呼ばれる地の守りを担っていることを。
己が何をして、己の敵はいかなるものか。あの影の正体を神と呼ぶものもいれば、あれは神の穢れた姿と主張するものもいる。どうあっても神と結びつけたがり、不安定な世の中なのは神が天子から神器を奪ったからだと帝は主張した。そして多くの巫女を集め、先代の帝は神の住む神域へ攻め入り、一気に型をつけたいと考えていたようだ。どうせ、白藍の入れ知恵だったのだろう。
神狩りの巫女になっても見返りなどほとんどないに等しい。神を使役し、神を討つことに周りの人間からは冷たい視線を浴びる。
死ぬより苦しく、正気の沙汰ではとてもやり切れぬのだろう。それでも巫女は、喜んで戦地へと向かう。その嬉々とした様子は、美鈴には理解できないものであった。彼女たちが神狩りの巫女に選ばれた時の喜びの言葉を聞くたびにかつては背筋がぞっとしたものだ。
忘れ去られた本来の神を駆ることの意味。
神狩りの巫女に課せられた、重すぎる役目を、巫女は思い出すべきだと初めて会ったあの時月読は言った。
汝の敵を討て……。
「白藍はどこへ?」
年若い帝は、戸惑うように美鈴の耳元で囁いた。
「一の巫女でしたら、奥に控えてございます」
「ということは、白藍は一緒に立ってはくれぬのか」
「一の巫女は、下々の者どもにそのお姿を見せることを厭わしく思っていらっしゃいますから」
「そうか……。無理矢理、連れて来てはまずかっただろうか?」
意気消沈する若い帝を見て、美鈴は幼い、と思った。
上に立つものならば、一々そのようなことを気にしてはならない。いつだって、前を向いて胸を張らねばならない。己の下した決断に迷いを持ってはならぬのだ。
そうしなければ、他者に付け入る隙を与える。
「御所内のことは三矢に任せると言って出てきたが、やはり三矢にもついてきてもらった方がよかったな」
不安げに揺れる帝の視線を、美鈴は黙って受け止める。
「お気になさいますな。一の巫女は従い、ここまで付いてこられたのです。三矢殿も然り。あなたの命に従って御所に残って下さった。皆、あなたをお認めになっていらっしゃるのですよ」
「そうだろうか?」
僅かな期待をにじませる王の目を覗き込み、美鈴は頷く。
「一の巫女は、帝がこの日、巫女を人前に出すことを高く評していらっしゃいましたよ。どうぞ、自信をお持ちになってください」
「しかし本当に、巫女を表舞台に立たせてよいのだろうか……」
「今更、何をおっしゃるのですか?」
「巫女を人目にさらすことで、いらぬ混乱を招くかもしれぬぞ……」
「民は神狩りの巫女がいかなるものなのか、知るべきなのだと一の巫女はお考えですよ。帝と同じお考えなのです」
「しかしこのように大勢の民のいる前で、様々な憶測飛び交う巫女を引き出すのはやはり……」
「気が退けますか? 巫女の姿をご覧になり、帝も巫女を厭わしく思われましたか?」
白藍の命で巫女舎の奥の間にいる巫女を一人、連れてきた。
彼女は大分前に奥の間に連れて行かれたのだが、以前見たときよりも随分と青白い顔をしていた。誰よりも多くの神の依り代になった彼女。
運ばせた布団の上で全身脱力し、弱々しい呼吸にあわせて胸が上下する。指一本動かさず、瞳だけが虚ろに真上に昇った太陽を見上げ、時折音に反応して、黒目をぐるぐると回し、周囲を探索するようなその様。
意思を伝えることもできぬ、身体も自力で動かせぬ。
神の力を使うその代償。
彼女の初めての代償は、何だっただろうか。彼女の一番大切なものを喪ったのは確かだ。その次に大切なものも失って、そのうちに差し出すものがなくなって今の状態に至る。
この姿を見て民は、余計に巫女を恐れるだろうか。
本来なら神に愛でられるはずの巫女。
神の守りを受けて土地を守る巫女。
それが、このような無惨な姿であれば……巫女は神に呪われたとか、神を狩る罰なのだと言われても仕方ないのかもしれない。
「厭わしいだなどと……。民の巫女への不敬具合には、余も心を痛めるばかりだ。皆、もっと知るべきだろう」
「帝……」
「すまない。私はどうにも決断力にかける頼りない王かもしれない」
「……時には迷いも必要でしょう。そのように気落ちなさらず、どうぞ顔をおあげください」
俯いていた帝は、美鈴の言葉に顔を上げて言った。
「思うのだ。神狩りの巫女はその存在が曖昧で、見えない壁で幾重にも覆われていただろう? 不透明さが民を不安にさせているのではないだろうか。だから、今日この場で、巫女の本当の姿を知れば、民もきっとわかってくれるだろう。巫女を大切にすることは、この国を守ることと同義。巫女は決して、蔑まれるべき対象ではないのだ。できれば皆保護して大切にしたいところだが……」
「そのお気持ちだけで十分でございますよ。そこまで巫女に御心を砕いて下さるのは、帝だけです」
美鈴は微笑み、帝に頭を垂れた。
「なあ美鈴よ。これからも巫女は、民とこの国を守ってくれるだろうか? 私の治世となっても変わらぬ忠義を誓ってくれるか?」
◆
痺れるような寒さ。だというのに、通りを歩けば人々の熱気の波が押し寄せる。大通りを中心に碁盤の目状に並ぶ都。都人からしたら大変歩きやすい作りになっているのだろうが、どの通りに入っても似たような景色であり、歩き慣れない者にとっては今どの位置にいるのか少し把握しにくい。
現に黎明も今大通りから小路に入り込み自分が今どこにいるのかわからずに彷徨っていた。人に訊けばすぐにわかることなのだろうが、この格好で細い路地を走るたび、すれ違う人は皆怪訝そうな表情を浮かべるのだ。とてもではないが、聞ける状況ではない。
いかに何も知らないか思い知らされる。千夜がいなければ、何もわからない。
途端に、どこにもぶつけようのない怒りのような感情がふつふつと湧きあがってくる。
「ばっかじゃないの!」
どうしてあの少女は本当に勝手なことばかりするのだろう。馬まで手に入れておいて、勝手にいなくなった。馬は仕方ないから厩に預けて、黎明はただひたすら走りまわる。
確かに御所から逃げ出す時、千夜を身代りに置いていけばそれで遠くまで逃げのびられただろう。黎明だって一瞬魔が差した。
でも、できなかった。
全てを見透かすような目。迷いの一切ない視線。
千夜が新たな若い王の話をした時のことを冷静になって思い返してみると、「さあ、この機を逃さずに私を利用してお逃げなさい」とあの幼い少女に促されたような気がしてならない。真実は、千夜にしかわからないが……あの流れは、とても不自然だったような気がしないでもない。
一瞬でも、少女を犠牲に逃げようと思った自分がどうしようもなく醜く思えて仕方ない。いや、事実醜いのだ。
(何も、変わってない……)
もう、誰かを置いていくことは、二度としたくない。
それも、自分より年下の子で弟と同じくらいの年頃のあの子……。
肩で風を切って小さな小路を曲がる。小路といっても結構な道幅があり、ただ都の女衆が洗濯物の干し台やら鉢植えやらを置いているので随分と狭く感じた。
「千夜が守る? 意味深すぎて、おちおち逃げられやしないわ!」
あの少女に限ったことではない。自分の周りの者たちは、皆勝手すぎる。
思えば、ここに来てからというもの、黎明は誰かを追いかけてばかりだった。
飛景の姿を目で追い、浅羽を追いかけようと決心し、浅葱を探そうと思った。
そして今は、千夜の姿を必死で探している。絹のような黒い髪。椿のように赤い着物。人の後ろ姿を目で追っては、これは違う、あれも違うと肩を落とす。
「わたしがいつ、あんたに守ってくれなんて頼んだのよ……!」
全てを見通して、全てを溶かすあの燃えるように紅い目。
沈む夕日より鮮やかで、体内を流れる血潮より深い色。きっとこの世が終わるときに、あの少女の瞳のような色で、世の中全部染まったら綺麗だろう。
ぶかぶかな緋色の華の刺繍された衣装は、本来ならば黎明のものだった。どこに行っても目立つ、あの衣装。今頃、本当に追手に捕まっていたら……そう思うと、戦慄が走った。
「まだあんたなんて、ちびで子どもなんだから!」
全部背負うみたいな風情を漂わせて、本当に何さまのつもりだ。
「今度会ったら許さないんだからね……」
喉の奥から熱いものがせり上がってくる。
迷いのない千夜の目はいっそ恐ろしく、黎明の脳裏に刻まれている。
何もない空間に向かって『千夜はどこに行ったのか』と訊ねても、あの娘の気配を追いかけるのは難しいという答えしか返ってこない。
「お願いだから、勝手にいかないでよ……」
泣くな。
どうしてだろう、涙が止まらない。
(涙って、熱いんだ)
こんな寒い日だから、涙なんて凍ってしまいそうだが、冷えた頬を流れる雫は暖かい。
まだ、泣くな。
だって千夜は、どこにいるかわからない。守るっていうのは、どういう意味なのかもわからない。
あんな小さな子に守ってもらわないと前に進めないのかと思うと、情けないのだ。
「わたし、今度はちゃんと……置いていかないから……!」
もう顔がぐしゃぐしゃだ。目の前はかすんでよく見えない。鼻水が上唇につく。
最低だ。
黎明は一気に狭い通りを駆け抜けた。冷たい風が肌を切りつけるようで、鋭い痛みに負けそうになる。
空気を吸うたびに鼻と胸の奥につんとした痛みがはしった。息が切れる。長い間幽閉され続け、持久力は随分落ちたかもしれない。
どうして千夜に追いつけないのだろう。
ここがどこなのかもわからない。
辺りには肉をあぶっている匂いや、魚を焼く薄い煙が漂っている。ここは、先ほどの通りとは随分雰囲気が違う。
(いい匂い……)
見れば通りに並ぶのは、食べ物をくれる屋形のようだった。ひっきりなしに人が出入りし、みんな満足げな表情を浮かべている。情けない音が自分の腹から響いて、黎明は顔を赤くして俯いた。
(……駄目よ。誘惑に負けちゃ。千夜が戻ってきたら、一緒に食べればいいじゃない)
指をくわえ、黎明は必死に耐える。
その時、おばさんが、黒い装束に身を包んだ数人の男に囲まれているのが視界の端に映った。
心臓がぎゅっと跳ね上がる。あれは、白藍お抱えの暗部だ。
もうこんなところにまで、追跡者の手が及んでいる。一歩間違えば捕まってもおかしくない状況に、背中に冷や汗が落ちた。今日は絶対運がいい。御所から出る時でさえ誰にも咎められず、こんなところまで逃げのびたのはどう考えてもついているからだ。
男の一人が黎明の方を向くような仕草を見て、慌てて小路に駆け込み壁に張り付く。
「はあ、女の子ねえ。そう言われても、十いくつの女の子なんてそこらじゅうに沢山いるじゃないのさ」
「特徴は、黒髪、赤い目、赤い着物の二人の娘だ」
おばさんは、ああと頷いた。
「その子たちなら、さっきまで一本北に向かった通りで大勢の人に囲まれてさあ。すごかったねありゃあ。たしか、真っ赤な着物で目立つ子だったから、多分その子のことだね」
「して、どこに?」
「さあね。気付いたらいなくなってたから……だけどまだそんなに遠くには行ってないんじゃないかい?」
おばさんの言葉に、男は小さく舌打ちした。
(まだ見つかってないんだ。だからあんなに必死で探してるのね)
黎明はほっと胸をなでおろし、じっと男を睨んだ。
(捕まってたまるものですか! あんたはわたしも千夜も見つけられず、一生そこで彷徨ってればいいのよ!)
心の中でそう罵って、男たちがどこかに行ってしまうのを息を殺して待つ。
しかし、黎明の期待を男たちは見事に裏切った。新たな追跡者が屋根を飛び越えて、彼らに近づいてきた。
「例の娘を見つけたぞ」
(……っわたし、見つかった!)
その言葉に、黎明は恐怖で震えた。
しかし、彼らは黎明の方角には目もくれなかった。
「既に捕らえた。ここは引き揚げる」
「待て。特徴は一致するのか?」
「ああ、確かに、赤い着物で、十いくつほどの娘だ」
「もう一人の娘はどうする」
「巫女が御執心なのは一人だけだ。残りの娘はいずれ隠すおつもりだったらしい。放っておけ」
(捕まった? 千夜が?)
唇が震え、息を吐き出すたびに歯のあたる不快な音がする。
「帝、帝だ! 帝が出ていらっしゃったぞ!」
誰かが、そう叫びながら脇を走り抜けていく。黎明は顔を上げて、人の波の先を見つめた。
精悍な顔付きの少年――いや青年かもしれない。黒髪をきちんとまとめ、紫色の、昇天する龍の刺繍された衣装。左腕を天高くつき上げ、人々の前に堂々と佇んでいる。黒曜石のような瞳は民の期待の籠る熱い視線を受け止めてきらきら輝き、自信と不安に揺れているようだ。
突如地鳴りのように大きく湧き上がる歓声に、黎明は身を竦ませた。
何だ、これは。
ただ呆然と、目の前で堂々と佇む青年に目を奪われる。
帝が崩御し、新たな王が立った。その、歓喜の声。
「今度の帝は、どんな治世をなさるのだろう」
「帝……?」
黎明の呟きに、隣の女将が顔をほころばせる。
「見て御覧。ああ、なんて神々しい。さすがはお天道様の血統でいらっしゃる。きっと今度こそ平和な世が訪れるだろうさ!」
「ああ、これまでは巫女だなんだと騒いでいたからな。余計な欲を出すせいで、先代は天の神に見放されたに違いない。今度こそ、天の神の御加護を――」
「今日はその巫女を引き出して下さるというが、どうなのだろうな」
ざわめきたつ民衆を前に、帝に付き添う文官が声を張り上げる。内容の半分くらいはぬけていくような長い文句を散々垂れたあと、文官は一言添える。
「帝からの、お言葉を賜る」
ざわめきがやまぬ通りの中、帝はすっと息を吸い込んで腹の底から張る様な声を上げた。
「皆のもの! これを見よ!」
水をうったように静まり返った空間に現れたのは、光のない虚ろな目をした女性だ。
二人の武官に引きずられるようにして、無理矢理立たされている、そんな印象がぬぐえない。
生きているのか死んでいるのか、土気色の顔色は到底血の通う人間には思えず、黎明は恐ろしくなった。
でも今、それどころではない。
千夜が捕まった。
……早くここを抜けて、探さないといけないのに。人の波が黎明の華奢な身体を押し寄せる。
「彼の者こそ、神狩りの巫女である!」
周囲がまたざわめきだす。
あれが、神狩りの巫女。まるで廃人同然だ。
「これが、お前たちの見たいと望んだ巫女の姿だ……! しかとその目に焼き付けるがいい!」
「なんということだ……。神に仕える巫女ともあろうものが」
あちこちで上がる、恐怖の滲む嘆き声。
「我が巫女は決してお前たちを害する存在ではない。巫女は民を守り、人々に平穏をもたらすのだ。しかしその平穏の代償として、巫女は己の大切なものを喪う。それがこの姿!」
そこに、突如空を切り裂くような悲鳴が上がる。
割れた人の間を、いかつい顔の武官が駆け抜けた。
(今!)
その後を追うように、黎明は走った。人だかりを抜け、黒い装束の男たちの姿を目で追う。
「か……、神の穢れだー!」
悲鳴の先。
黎明は我が目を疑った。
黒くて、もやもやした影のようなもの。頭みたいに突出した部分に、人の目みたいに青いものがぼんやりと浮かんでいる。
見る者に嫌悪感を抱かせるような存在。
それは、あの時里を徘徊していたものと一緒だった。
膝が笑う。恐怖で足元が凍る。ぎゅっと拳を握りしめ、正気を保とうと精一杯踏ん張った。
(神の穢れ……? 嘘だ。あれは、だって……!)
神の穢れであってなるものか。神域に現れたあれは、穢れなどではない。
その影の脇に、血を流し倒れる人の姿があった。
黒装束。追跡者だ。
「やめて……。お願いだから、そんなに怒らないで……!」
「千夜!」
絹のような黒髪を揺らし、振り返る少女。深紅の瞳に涙を溜め、肩を抱いて震えている。
「ごめんなさい。ごめんなさい……。千夜は、助けてあげられない……!」
うわごとのように繰り返しなにか呟く千夜の腕を掴み、黎明は自分の方へ引き寄せそのまま人ごみの中を抜ける。
「あ……あぁ……っ」
苦しげなうめき声が、虚ろに空を見上げる巫女から漏れる。
「っか……み……」
そして、黒い影めがけて生きているような動きの炎の渦が飛ぶ。影を絡め取るように、それは燃え上がった。
「消えた……神の穢れが消えたぞ! 巫女のおかげだ!」
「これが巫女の力なのか……!」
再度ざわめく大通りの中、帝は声を張り上げた。
「そうだ、これが神狩りの巫女の役目。我々を守る神狩りの巫女をたたえよ! 我々は、知らねばならぬ。この世が神によって蹂躙され、得体のしれぬもので、人を滅ぼそうとしていることを! 今こそ、我々はこの手に取り戻さねばならぬ! 神の虚偽と欺瞞に溢れるこの世を、我々の手に取り戻すのだ。我々の、明日のために!」
雷でも落ちたかのような歓声が、辺り一帯に響き渡った。
巫女の力を目の当たりにして、彼らは今、一つになったのだ。
なんて単純な人間なのだろう。今まで散々恐れて、罵っていたくせに。
揉みくしゃになる千夜をかばうように、盛り上がる民衆の間を縫って駆け抜けた。厩のおじさんは帝を一目見ようと出かけてしまったらしく、声をかけても誰も出てこない。仕方ないので勝手にたずなを引いて、荷物を括りつけた馬を引く。
目の前に、赤い門が見える。手の届く距離が都の出口だ。
「ほんとうはね、千夜を置いて逃げてほしかったの。そうすれば、千夜は黎明の身代りとして少しは時間を稼げたでしょう?」
千夜が呟くように言った。
「どうしてあの時、御所に千夜を置いて逃げなかったの?」
「あんたを置いて、逃げられるわけないじゃない……」
千夜はそこで立ち止り、ふと頬を緩めた。
「ありがとう」
勝手に涙が流れた。
千夜のありがとうは、切ない。
「ありがとうなんて、言わないで。早く、いいから早く来なさいよ……!」
千夜は静かに首を振り、そこを動こうとしなかった。
「千夜はいかれない。外に出してくれて本当にありがとう。すごく久しぶりで、楽しかったよ」
「何を馬鹿なことを言っているの!」
「千夜の言葉、覚えている? 千夜、『うけい』があるからどのみち出られないの。せっかくここまで探しに来てくれたのに、ごめんね」
意味がわからない。ここまでついてきて、何を言っているのだろう。
「黎明は、頑張ったよね。一生懸命自分を変えようとしていて、逃げなかったよね。だから、千夜も頑張るよ。まだ、皆を信じていたい」
やめて。
「帰ってきたら、その時はまた一緒に遊んでね」
その顔に浮かんでいるのは、悲しみでも苦しみでもなく、暖かな笑みだ。
やめて――。
目の前で、千夜の細い腕を奪われる。
追跡者は黎明には目もくれず、千夜を無造作に抱きかかえると、そのまま人ごみの中に消えてしまった。
今度こそ千夜は手の届かない場所に行ってしまったのだ。
闇の戯言
←作者のブログです。小説裏話など微妙に更新中。よろしかったら覗いてみてください。
web拍手を送る
←ぽちっと押していただければ作者のやる気につながります♪
小説家になろう 勝手にランキング
←面白そうだったので登録してみました(笑)
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。