「大丈夫なのでしょうか? 選ばれなかったあの子は、何の力も持たぬ巫女ということ……。やはり、双葉を遣わせたほうが良かったのでしょうか? いくらこの里に伝わるものを守るためとはいえ……」
大巫女は不安げに里長に尋ねた。
海鶴が使者に連れられて、早朝春京を発ってから、半刻過ぎていた。大巫女と長は二人で頭をつき合わせて、これからのことを互いに話し合っていたのだ。
「大丈夫。仕方あるまい。勾玉を守るため……。誰かしらが犠牲にならねばならぬのだ」
里長は腕組みをして低く唸る。大巫女はそうですねと小さく呟くことしかできない。誰にも、どうすることもできないのだ。
苦渋の表情を浮かべる里長の横顔を、大巫女は心配そうに見つめた。
「しかし……連れて行かれたのは海鶴です。何かやらかさねば良いですが……。あの娘に都へ赴かせるのは、やはり無理があったのではないかと、今更ながら心中で後悔しているのです」
「大丈夫だ……」
二度目のその言葉は、自分自身に言い聞かせているようだった。
廊下を小走りで走る音がし、続いて少し息の上がった娘が静寂の間に飛び込んできた。髪はふり乱れて、目がすこし赤くなっている。
「父上!」
「何です、騒々しい。双葉、少しは自重して行動なさい」
双葉は、父だけではなく、そこに大巫女がいたことに慌てた。
「申し訳ありません、ですが、急を要することでしたので……」
「――どうした?」
双葉は一瞬ためらうように唇を噛み、それから戸惑いの声を上げた。
「それが……御魂鎮めの勾玉がないのです」
「なんだと……!?」
その場にいた大巫女も目をむいた。
「なぜです! あれは呉羽様が最期、自らの手で箱にしまわれたはず……!!」
「ですが、今まで誰もその箱の中身を見たものはいないはずです……」
誰も開けないその箱の中身を、誰かが知るはずもなく、最初から存在していたどうかも怪しい。
その場を見えない白い霧のようなものが包み込んでいくような感覚に誰しもが陥っていた。
「では……一体誰が勾玉を持っているというのだ……?」
◆
嫌な予感ほど昔からよく当たる。
見知らぬものが春京をうろつきだした辺りから、気を付けていればよかった。
それとなく耳に入ってきた噂では、怪しげな風貌のものが幾人ばかりか入り込んできていて、それは新しい神楽だとかで、それが巫女の一人を連れ去ったということだ。
巫女の一人など、二人に一人の確率。
どう考えても双葉か海鶴のどちらかだ。
気付いた時には、もう遅い――。
薫は途方にくれていた。海鶴がどこにもいない。そういえばなんだか今日の朝はいつもと違うような空気だった。それが原因かもしれない。
海鶴の屋敷は誰もいなかった。海鶴の乳母である沙苗もいない、浅羽もいなかった。誰も居ない屋敷はとても冷たかった。ひっそりと、主の不在を物語っている。それが妙な焦りを感じさせる。
何かが崩れる。平穏な日々が音を立てて消えていく。
どうしてこんなに不安になる。海鶴がいなくなったことで、何が変わった? それを薫は知らない。歌が聞こえない。声が聞こえない。温かみが、感じられない。
「どうして、いないんだよ……」
「誰かそこにいるのか?」
緊張と、懐疑を含んだ声で誰かが問いかけてきた。長だ。
長なら、海鶴がいない理由を知っているだろうか。
「薫……なぜここに……!!」
「長、教えて欲しい。海鶴はどうしたんだ?」
長は、海鶴の行方を知らなかった彼に少々驚いた。眉を寄せて訝しげに薫を見下ろす。
「知らぬのか。海鶴なら、旅立ったのだぞ。お前はなぜここにいる」
「都か……」
考え込む薫を尻目に、長は海鶴の部屋をうろうろと動き回り、家具の下やら間やら、引き出しの中やら箪笥の中身やらを開け閉めし始めた。何かを探している。その表情は必死であった。一つ一つ確かめていくたび、顔色が見る間に青ざめていく。
「ない……。ここが最後であったのに。なぜどこにもない!?」
長は一人、誰にもぶつけることのできない疑問を呟いていた。
拳を壁に叩きつけ、里長は海鶴の屋敷を出て行った。
何を探していた。海鶴の部屋で、何を……。
「深刻な顔してどうしたんじゃ?」
「誰だ……」
突然現れた老婆に薫はうろたえた。気配を全く感じなかった。怖すぎる。
そのことに全身が総毛立った。この老婆は只者ではない。
薫の視線を感じたのか、老婆は皺の寄った顔にさらに皺を寄せて懐かしむように薫を眺めた。
「お主を見たとき、すぐにわかった。この里で、一人異彩を放っておったからな。その髪、その瞳。わたしが記憶していたものそのままであった」
「…………」
「探していたんだよ。ずっと、お前だけを」
老婆が薫の手を握り、皺だらけの手で何度も何度も擦った。ここに、目の前に確かに在ることを実感しているようだった。
探していた……?
薫は目の前の老婆に見入った。
「……」
「やっと、見つけた」
老婆が薫を見上げる。
誰だ。
――……知らない。
どうして俺を探していたんだ。
――……わからない。
生きていてはいけない存在なのに、どうして求められている。それは、生きていてもいいということだろうか。
「使者がきたのだろう? ここに。やつらは神狩りの巫女を求めてここまできた」
薫の目が鋭さを増す。なぜこの老婆はそのようなことを知っているのだ。
「何者だ、婆さん……」
「そうじゃな、御魂鎮めの巫女はこの里の勾玉を扱えるただ一人の人物じゃからな。荒れ狂う神の魂を沈めることのできる巫女は、やつらにとって重宝すべき巫女なのじゃな。巫女は二人いたが、使者は迷わず本物を選んだか」
「何を……」
「下準備を怠らなかったな、やつら。里の者が勾玉を守っているのをしっておった。姉姫の名前を出すことで、本物を引き出したか……。ずるがしこい奴が考えそうなことじゃ」
「……わけのわからないことをべらべらと」
「あー、無理無理。葵上は一度自分の世界に入りだすと、なかなか答えてくれないから」
見ると小柄な男が苦笑いしながらそこに立っていた。一見風変わりなその男。擦り切れた裾。伸び放題の髪。一番不思議なのは彼の瞳で、ぼさぼさの髪から覗くそれは琥珀色をしていた。
それだけではない。背後の威圧感を感じ振り返ると、見上げるほど背の高い二人の男がいつの間にか薫を囲んでいる。
「あんたら一体何なんだ……?」
その答えは、薫の想像の範疇にはないものだった。
「地の神一族だ」
誰かが聞き耳を立てていれば困るのか、周囲をよく見渡してから、老婆は低い声でうなるように言った。薫は絶句した。しばらく言葉が出てこなかった。
「でも、神の一族って……」
小柄な男が、薫の目の前で手を振って見せるが、全く反応が見られなかった。彼は呆れたように老婆を振り返った。
「固まってしまいましたけど。どうしましょう、葵上様。ちょっといきなり本題に入りすぎたんじゃないですか。かなり動揺してますよ」
むしろいきなりやってきた見知らぬ者から、『私たちは神です』と言われてすぐに信じろというのが無理な話だった。それを考えると薫の反応は極自然なものであり、動揺していることをとやかく言われる筋合いはないことを反論しようにも舌がうまく動かないのだから仕方ない。
第一、神というのはおいそれと人の前に姿を現すことはなく、人の前に姿を見せるときはその者の最期だと思えと言われているくらい、危険なものであると巷では言われていた。
「薫、よく聞いておくれ。お主があの巫女とどういう関係であったかは知らないが、あれは狩手だ。あれと関わってはならない。おぬしたちはいずれ分かたれる運命であったのだろう。わしも初め驚いた。狩手と一緒にいるお前を見て。巫女は都へ向かった。もう我々にはどうすることもできない」
「どうしてだよ……昨日のうちからわかってたんじゃないか。どうしてそれを俺に教えてくれなかったんだ!」
薫は老婆の胸倉を掴んで激しくゆすった。このときばかりは、あまりの怒りで、お年よりは大切にという精神も何処かへ吹き飛んでしまった。悔しくて、海鶴を生かせてしまったことが悲しくて何もできなかった自分に憤りを感じた。
「葵上様!」
「貴様、何をする! 葵上様、やはりこいつではないのではありませんか? 葵上様に手を出すようなやつなど言語道断! 問題外です」
貫くような殺気が薫にぶつけられる。
薫は自分と老婆の間に割って入ってきた男を見上げた。眼光がひときわ鋭く、高みから薫を見下ろしているようなその男は、鷹を連想させた。他の男も緊迫した面持ちで腰の太刀に手をかけたまま、薫を睨みつけている。薫が再度老婆をなじるような行為をしたならば、きっと容赦なく切りかかってくるだろう。そんな彼らを制して、老婆はどこまでも落ち着き払った様子で彼らをなだめた。
「そうぴりぴりするでないよ、お前たち。確かにわしはあの巫女を死ぬ気で引き止めることができたのに、それをしなかった。非はわしにあるだろう」
「しかし……それは我々がどうにかできることではありませんでした。なぜなら葵上、あなたはあの時――」
「それ以上は言うな」
そうだ、そんなことはわかっている。あれはただのあてつけだ。怒りのやり場がなく、老婆に子供のような癇癪をぶつけて。自分が情けない。
老婆を責めるくらいなら、自分のことを責めたい。
あの時――鏡池の祈りの日の海鶴は、何かに怯えていたのに。薫はそのことを気にも留めず七日も海鶴から目を離した。これが最後になるなんて思ってもみなかったし、まさか海鶴が遠くへ行くなどと思っていなかった。
(引き留めるべきだったのは、俺の方だ……!)
「よい。薫はまだ若いのだ。感情が先走ってしまうことだってあろうが。お前たちにもそういった時期があったであろう?」
老婆は意地悪そうに微笑んだ。彼らは言い返そうとするが、そのすべもなく、言葉を詰まらせた。老婆はふっと満足げにため息をついて、薫のほうに向き直った。
「さて薫よ。お前だってそろそろ気付いているだろうか。お前とて馬鹿ではあるまい」
「何のことだ」
薫はむすっと答えた。老婆が片目を瞑ってみせる。
「お前の正体じゃ。ここにいて、お前は時々、自分は一体何者なのかと思ったことがあるじゃろう? お前は心の奥で感じているはずじゃ。自分は他の人間とは違うとな」
「……ない」
薫は一言そういって、目を伏せた。聞くのが恐い。知ったら最後、一体どうなるんだ。海鶴とは道を分かつって、何だ。
「何を迷うことがある。自分の正体を知りたくはないのか?」
老婆が問う。薫は深呼吸して口を開いた。
「俺は」
その場にいる全員が薫の次の言葉を待った。全身で心臓の鼓動を感じる。血潮が通うのを感じる。
この気持は一体なんだろう。
「お前たちと同属だといいたいのか?」
自分で言ったのに、衝撃だった。まさか自分の口から、自分が今まで考えもしなかった言葉が出てくるとは思わなかった。
「何を言っているんだ俺は。どうかしている」
笑おうとしたが上手く笑えない。薫を見る老婆の目は真剣だった。その身に纏う緊迫した雰囲気に、固唾を呑む。
「お主はこの戦局を左右する重要な男じゃ。記憶をなくしてこのようなところにいるとは、本当に驚いたわ、薫」
暫し呆然とする薫に、更に追い討ちをかけるように老婆が囁く。
「また、かつてのように共に戦おうぞ、友よ」
そんなこと、突然言われて、一体自分に何ができるというのだろうか。今まで普通の人として生活してきた男に。
薫はためらいがちに彼らを見渡した。誰をみても、自分のことを射抜く鋭い目つき。
まるで囚われた奴隷のような自分。
色黒で、二十歳前後の男。無精ひげを生やし、髪を後ろで束ねている。黒い髪と切れ長の黒目。黒い龍のようだった。
「私は龍邦、こちらにいらっしゃるのが葵上。その隣にいる小さいのは虎彦。私の隣にいるのが鷹峰」
龍邦は淡々とした口調で簡単な自己紹介をした。鷹峰の薫を注視する鋭い眼光に少々たじろぎながら、薫は口の中で小さく名前を復唱してみた。ぴりぴりした空気だ。おそらく彼らは幾多もの死線を潜り抜けてきたつわものだと感じた。言葉では何も言わなかったが、そんな気がした。
葵上と呼ばれた老婆が苦渋の表情を浮かべた。
「帝が近年、神狩りの動きを見せている。都に各地から寄せ集めたえりすぐりの巫女たちを住まわせ、訓練させているようだ。今度こそ吾らを滅ぼすつもりだ。吾らを滅ぼして、神器を手に入れるつもりだろう。
巫女たちはもはや帝の人形であろう。洗脳された彼女らを助けることはもはやできない……。本来の目的を忘れてしまった巫女たちは、今や我らの脅威。
ならば戦うしかないのだ。自らの平穏な日々を取り戻すには。この土地をこれ以上荒廃させないためには。人の手から、この大地を取り戻すしかないのだ。忘れられしかの都に隠れ潜んではや何世紀がたったであろうか。天月へ、帰ろう。薫」
失った八年間の記憶。自分の故郷だという都、天月。そこで生まれて、自分の知らぬ人々が自分のことを知っていて、ずっと探していた。すごく変な気分だ。
「さあ、われわれの手をとるか、薫。それとも、この里で世界が人の手によって支配され、朽ちていく様を黙ってみているか?」
「海鶴はどうなるんだ。俺が神の里に行ったら、敵対するんじゃないのか?」
「不安か――。ごもっともだな。そうじゃ、あの巫女はいずれ、必ずお前に仇なす存在となるぞ……それでもお前が望むのなら」
老婆の目が妖しく光る。
「その時は、あの巫女を奪い返すまでじゃの」
老婆が意外と白い歯を見せて笑った。
「……絶対奪い返してみせる」
薫は挑むように、含み笑いを浮かべた葵上を見下ろした。
海鶴は都の使者に連れて行かれた。神狩りの巫女として。
俺は、神の使者に連れて行かれる。人と戦うために。
これって、何の皮肉なんだろうな、海鶴。
「絶対に……取り戻してみせる。あの穏やかな時間を」
薫は一人呟いた。
あの頃に戻りたかった。穏やかなあの頃に。こんな形で今までの時間を失うなんて嫌だ。
そして薫の思いは春の風に乗って流される。遠く、遠く。同じ空の下に立つ、海鶴のもとへ。
闇の戯言
←作者のブログです。小説裏話など微妙に更新中。よろしかったら覗いてみてください。
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