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  神狩り 作者:闇友菜
流血表現があります。ご注意ください。
4章 神狩りの巫女
2.神狩りの巫女(2)
 夜の帳が下り、辺りは静寂な闇に包まれていた。大きな満月が空に昇り、雲を冷たい光で照らす。肌を撫でる夜風が冷たく、ざあっと全身に鳥肌が広がった。
 夜に包まれた里。まるで、何かに怯えているかのように息をひそめる人々。その光景が、不気味だった。不安な気持ちが私にも伝わってくる……。
 何をそんなに恐れているのだろうか? この、私の鳥肌も、ただの寒さからくるものではないと思う。見えない何かが、この辺りにはいる……そんな気がする。

 私の身震いに呼応するかのように千夜が急に震えだし、私の袖をギュッとつかんできた。驚いて見下ろすと、深紅の目を大きく見開き、闇の中の何かを追うように視線がゆれていた。

 前を行く燈火が突然立ち止り、腰に下げられた鞘に手をかけた。どうしたのかと声をかけようと口を開きかけた時、正面に黒い影が揺らめいた。夜の闇に紛れたそれは、音もたてずに、私たちの前に姿を現した。千夜は短い悲鳴を上げ、その場に膝をついてうずくまった。
 それは、人の形をしていたが、黒い靄がかかっているような、まるで影が実体化したような、気持ち悪いものだった。その存在感は薄いのに、そこにいるだけで不快だった。千夜が怖がるのもむりはないだろう。

「……影」
 それを、燈火はそう呼んだ。影と対峙する燈火の漆黒の瞳は、夜の闇の中で獲物を狙う獣のように剣呑な光を帯びていた。
 影が動く。その動きは肉眼では確認できないくらい素早い。目はいい方だと思っていたが、これではどっちに動いたのかがやっとわかるくらいだ。細かい動きはよくわからない。
 燈火の切れ長の目が、いつも以上に険しい光りを宿す。
「海鶴、今あれがどの方角へ移動したか見えたか? もし見えたのなら、教えてほしい」
「……大路地に向かったみたい」
 燈火の顔色が瞬時に青くなる。
「早く戻らないと!」
 突然燈火は太刀を抜き取り走り出した。彼女は悔しそうに舌打ちし、一瞬私を振り返った。
「……海鶴、千夜を頼んだぞ!」
「え、待ってよ燈火!」
 言いたいことだけ言って、走り出した燈火の耳には私の言葉など届いていないようだった。燈火の背中があッと言う間に小さくなっていく。
 こんなところで二人きりにされても困る。そして私に頼まれても困る。神をどうこうするとかできないし。千夜だって、こんなくその役にも立たないような巫女姿を真似したようなお姉ちゃんに一緒にいてもらっても、うれしくも何ともないだろう。
 とすれば、私がとるべき行動は決まっている。
 私は迷わずに千夜をおぶって燈火の後を追った。
「お姉ちゃん……嫌だよ……怖い、怖いよ……あの影……怖い」
 耳元で千夜が震える声をあげる。
「嫌……あれに近寄らないで……」

 燈火の異常なくらいの反応と千夜の怯えから、あれはよくないもの、何か不吉なものなのだと、私は理解した。


 ◇

「千夜、見てはだめ……!」
 もう遅かったのだろう。千夜はきっと見たのだろう。
 肩に手をおくと、湿っていた。おそらく千夜の流した涙で濡れたのだろう。千夜の体重が、私の背中にのしかかって、全身が石のように重たく感じた。 

 千夜を背負ったまま、燈火の後を追って大路地に足を踏み入れた途端目に飛び込んできたのは、一寸息をするのも忘れるような光景だった。

 地獄を再現するとしたら、こういう感じなのかもしれない。
 断末魔の叫びが響き、助けを請う声があちこちから聞こえる。
 燃えるように熱い空気と、鼻をもぐような、焦げ臭いにおいと、血なまぐさい匂いが鼻腔に押し寄せる。それから、なんとも言えない甘ったるい香り。目をそらしても、瞑っても、見えるのは一瞬の惨劇。影と呼ばれるそれが、人の四肢を引き裂き、目を抉り、舌を引き抜き、頭を抱え、血まみれになったばらばらの身体を積み上げ、そこらじゅうを徘徊する姿。
 降り注ぐ血の雨。
 指先から垂れる、赤黒い雫。口元から垂れた生々しい血のあと。
 ただの、肉塊となり果てたものの山。
 
 人は神の前ではこんなにも無力で、簡単にその命を散らしてしまうのか。
 人なんて、殺そうと思えば簡単に殺せる神に、震えが止まらない。こんなものと、燈火や他の巫女たちは戦っているのだろうか。神の力で、その手にもつ勾玉の力で、神を押さえつけているのだろうか。
 そう思うと、足元から冷たいものが忍び寄ってきた。

 先に闇の中へ消えていった燈火の姿を探して、闇の中で目をこらす。彼女は路地の真ん中で冷たい月の光に当てられ、一人呆然と立ち尽くしていた。
「あの影は、人の魂を抜き取ってしまう、穢れた存在だ。あれが現れると、必ず焔が現れる……。私は何度もあの影のせいで、焔を取り逃がしている……。私の力が及ばないばかりに、里の人々を不安にさせている」
 燈火の背中は小刻みに震えていた。
「だから、今も……守りきれなかった……」
 鼻をすする音がする。泣いているのかもしれない。だけど、何と声をかけていいのかわからず、私はその場に固まったまま、動くことができなった。

 それからすぐに、闇に溶け込むようにして浮かぶ、青白い炎が現れた。 
 
「焔……」

 艶やかな夜の闇の色と同じ毛並み。揺れる青白い炎のような尾。じっとこちらを睨む付ける黄色い双眸。鋭い牙を剥きだしにし、焔の神は地面を揺らした。
 焔は低くくぐもった唸り声をあげた。

 ――今お前にかまっている暇などない。そこをどけ、三の巫女。

 焔の低い声が直接頭に響いてくる。
「退くわけにはいかぬ。楽秋の人々に手をだすことは私が許さぬ。この先、一人も死なせはしない」
 燈火は素早く鞘から刀を抜きとり、焔に素早く切りつけた。焔は瞳孔をかっと開いてひらりと身をかわし、燈火の頭上を軽々と飛び越え、そのまま影の群がる中心部へ向かって駆け出した。
 燈火のうつろだった切れ長の瞳に、光が戻った。胸元の、真紅の勾玉が強い輝きを放ち、燈火の体を真紅の炎が包み始める。燈火を包む炎は、今までみたどんな炎の色よりも、美しい色をしていた。

 これが、燈火を寄り代とした神の力なのだろう。

「私の後ろに隠れていろ!」
 燈火は私の体をかばうようにして焔と向かい合った。お互い、にらみ合ったまま動かない。
 先に口を開いたのは燈火だった。

「……今すぐこの影たちを連れ、神域へ帰られよ」
 焔は、喉の奥を低く鳴らすように不気味な笑い声をたてた。

――……巫女、お前は何も見えていないのだな。そこまで帝に、毒されてしまったのか……。

 焔の鋭い眼光が、燈火をとらえる。燈火は静かにそれを見つめ返した。
「毒されているのは、貴様の方だろう……。この辺りを守る地の神でありながら、貴様は人を襲い、その魂を取り込み、穢れた……。この黒い影が何よりの証拠ではないのか!? 人の魂を求めて彷徨うこの影が。その中心にいるのが焔、貴様だろう……! 穢れをまき散らす荒御霊よ! 神器は渡さぬ!」
 燈火の切っ先が、焔の体を掠める。焔は唸り声を上げて飛びのいた。

――そのような戯言を……。帝の洗脳はすさまじいな。巫女の思考を奪い、正常な判断を下せなくする。我が今まで何をしてきたのか、巫女には見えていなかったのか? 我は今、退くわけにはいかぬのだ!

 焔は夜空に向けて吠えた。四方から、黒い影が私たちに迫りきて、焼けつくような炎を吐き出した。
 燈火の腕からも、炎の渦が飛び出す。ふたつの炎が同等の力でぶつかりあい、その場に激しい爆発が起こった。

 勾玉が、また青く輝きだして、私の身体を青い光が包み込む。あの時と同じだ。最初に焔と出会ったときと。そして、咄嗟に千夜の身を爆風から守った。 

「邪魔な影どもだ……。くるなら貴様一人でくればよいものを、焔。貴様がそこまで腐っていたとは知らなかったぞ……。守り切れぬのは私の力不足かもしれぬが、落ちるところまで落ちたな……」

――戯言を!
 
 燈火は、強いと思った。
 こんな状況でも、焔に向かっていく燈火が……。心の奥底では、何を思っているのだろう。己の力不足を嘆いて、一人戦い続けるのだろうか。
 
 私は、何かできるのだろうか。
 こうして私が、燈火の後ろで隠れている間にも、一人太刀を手に奮戦している。
 黒い人影に燈火の刃が振り下ろされるたび、赤子の手首をひねるように、人がただの肉塊と化していくたび、私の体の中で唄うように誰かが囁く。

 ――……せ。……ろせ……。死を唄え。あれらを見殺しにするのか? 巫女の務めを果たさぬのか? 
 ――その力をふるえ。かわいい、かわいい、我が玩具。その声で、死を――。


「うるさい……!」 
 巫女であることを、望んでいるわけではないのに。
 胸元の勾玉が急に光り出し、輝きが私の体を包み込んでいく。
 
 ◇

「ねえ、何がうるさいの?」
「え?」
 鈴を転がしたような笑い声がする。
「こんなに静かな夜なのに、何が――うるさいの?」
 金色の瞳が、私を射るように見つめていた。
 白い髪を揺らし、唇を引き上げて少女が笑う。
「あなたは夕方の……。こんなところにいたら危ないわ。早くこっちに……」
「危ないって、どうして……? ここには、何もないのに……?」
「何を言って……!」
 私は、周りを見渡して言葉に詰まった。
「どういうことなの……? 私、さっきまで影に囲まれて……燈火と焔が向かい合って……ここは、どこ?」
 月の光に照らされた一面が銀色に輝いていた。足元がふわふわして、冷たかった。
「雪……? こんな季節に……」
 目の前の少女は、金色の目を細め、笑って囁いた。
「神様の、領域」
「え?」
「神様の領域なの。だからまだ、雪が残ってる……。おねえちゃんだけ、助けてあげたの」
 くすくすと、少女が笑った。
「おねえちゃんのことが、好きだから」
 何を言っているのだろう。そんなことよりも、千夜や燈火のほうが心配だった。もし、こうしている間に、あの二人が影の手で引き裂かれてしまったら……そう思うだけで震えが止まらない。
「ふふふ。おねえちゃんは、あの子が心配なんだ……?」 
 少女の声が、心なしか冷たく響く。
「あんなの、お腹がいっぱいになって、自分に合う身体がないとわかったら、すぐ戻ってくるのに。それまで放っておけばいいのに。おねえちゃんは、優しいね」
「あなたは……何を言っているの?」
 この、自分よりも年下の少女の言葉は、どこか残酷な響きがあって、恐ろしい。人がたくさん目の前で死んでいたのに、放っておけばいいなんて、死ねと言っているようにしか聞こえない。
「おねえちゃんは、助けたいんでしょ? じゃあいいことを、教えてあげようか?」
 少女は、私に近寄り耳元で囁いた。
 
 ――……し……うた……。……ば……きひめ……。

 頭に靄がかかっているような、不思議な気分だった。
 囁かれた言葉も、とぎれとぎれで、はっきり覚えていない。
 ただ、身体が勝手に動いている。
 口から、唄が紡がれる。韻を踏んだ唄だ。こんな歌、知らない。聞いたこともないはずなのに、勝手に唄う。私の身体なのに、誰かが勝手に……私の身体を使う……。

 青白い月が、じっと私を見つめているようだ。意識を手放しそうになっても、それだけはわかる。どうか代わりに、私が何か恐ろしい、取り返しのつかないことをしないよう見守っていてほしい。
 
 ――そして少女は、月の下で嗤った。
「月読、あなたの愛しい姫君は、わらわの手の内ぞ。――……あの力を持った巫女を、あなたは躊躇いなく殺す?」



 ◇ 

「海鶴……!」 
 海鶴は、燈火の叫び声を聞いた。焔は鼻の頭に皺をよせ、興味深かそうに目を細めた。
――その娘、唄うことで影を一瞬で消し去ったのか……。
 海鶴は、勾玉の光に包まれたかと思うと、突然その場に倒れこんでしまったのだ。そして、突然唄い出した。その直後、周りの影たちは全て消え去ったのだった。

 焔はくっくと喉を鳴らして笑い、燈火の背後に黄色い目を向けた。
――その上そこの男を引きずりだすとは、その娘は一体、何だ? 

 燈火は背後を振り返り、目をみはった。
「飛景……!? いつの間に……」
 燈火の質問には答えず、飛景は焔に向き合った。 
「やあ、焔。直接会うのは久しぶりだねぇ。今日は僕に免じて、ここまでにしてもらえる? ほら、燈火も疲れきってるみたいだし。海鶴に至っては意識がないみたいだし、千夜は泣いてるし。今日ここにいるのは、勾玉のためじゃないでしょ?」
 彼は穏やかな微笑みを浮かべた。
(勾玉のためではない……? では何故焔は、今日ここへ……。飛景、貴様何を知っているのだ……? いつも肝心なことを話さぬな……)
――ふん、相変わらず、胡散臭い笑みを浮かべおって……お前は何を考えているのかわからぬ。
 飛景は苦笑し、肩をすくめた。
「いやいや、今も昔も、僕の考えていることなんて一緒だって」
 わかってるでしょ? と飛景は首を傾げて笑った。
「僕は僕の願いの為に、動いている……それだけだよ」
「飛景、何を勝手なことを……!」
 飛景は、人差し指を燈火の唇に当てて笑った。
「無駄なことは、したくないんだ」

――まあよいわ。今日は一時退こう。今できることは何もない。
 焔は、青白い炎を残して闇の中に沈むように消えていった。

「腑に落ちない!」
 焔が去った後、燈火は唇をかみしめ地面をたたきつけた。
 ここで、焔を封じておけば、もうこのようなことを繰り返さずに済むのに。飛景は何故止めるのかわからなかった。
「どうしてだよ、飛景……!」
「燈火、君は何も知らなくていいんだ」
「なんだよそれ……!」
 食ってかかる燈火を無視し、飛景は後ろに控えた男に命じた。
「紅、海鶴を屋敷まで運べ。僕は少し、疲れた……」
「お前は何もしてないじゃないか!」
 燈火は我慢できずに、飛景の横っ面をひっぱたいた。飛景は、少し赤い手形のついた頬をさすり、肩をゆすって笑った。
「はははーひどいなー。ちゃんと助けにきてあげたでしょー? 僕が来なかったら、君たち今頃死んでたよ? 感謝してほしいくらいだよね、一の巫女にかけあってあげたんだから。あー怖かった」

 飛景は未だ眠りに落ちたままの海鶴の顔を眺めた。
 
 もうきっと、この運命からも逃げることはできない……。
 だからお願いだ。どうかその力を、願いのために貸してほしい……。
色々と詰め込みすぎたかもしれません。


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