休載を掲げていたわけですが、用事がとりあえず一個片付いたので更新できる分だけ更新したいと思います。
今回、割とほのぼの和やかな流れ。(あれ、いつもとあんまり変わらないじゃない)
葵上から外出しても良いと言われたはいいが、その笑顔と言葉に裏がありそうで怖かった。一人で歩いてもいいと言われても、どこに何があるのかも、何をすればいいのかも全くわからない。そういえば自分がここに来たのは何のためなのか、いまいちよくわからない薫だった。
戦えといわれて、戦えるだろうか。少なくとも「薫」には、今まで戦の経験はない。
平和なところで暮らしてきたんだと今更ながら思う。春京に何か攻めてきたら、あそこはすぐ滅びてしまうのではないだろうか。何かが攻めてきたことなどないからなんとも言えないが。
天月は、綺麗なところだ。真白な雪景色。輝く銀色の世界。だが、空気が張り詰めていて、自然と背筋が伸びる。緊張感のある空間。皆、何となくぴりぴりしている。仲間が死んだから、当然といえば当然か。薫は白い息を吐いて、縁側から空を見上げた。今日は、白い雲が太陽を覆い隠している。雲の隙間から光が差し込み、天から降り注ぐ光の梯子が美しい。
殺伐としているのは外だけで、屋形の中は至極平和なようだ。静まり返った月の屋形は、いつものような不気味さは感じられない。神聖な空間にさえ感じられる。……いつもあの不気味な歴代巫女の声が聞こえるからここは敬遠されているんだろうなと思う。
静けさを突然打ち破ったのは、どこからか聞こえる子どもの笑い声だった。月読の歴代巫女達の、気味悪い笑い声ではない。純粋な子どもの、無邪気な笑い声だ。この屋形のどこかにいるらしい。時々聞こえてはいたのだが、一度も子どもの姿は見たことがなかった。
神様にも子ども時代があるんだと思うと、何となく和む。まあ自分だって、子ども時代をすごしてきたはずだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが。
縁側に座って冬の光を浴びていると、背後からいきなり誰かに抱きつかれた。驚いて振り向こうとしたら、今度は小さな暖かい手で両目を隠された。
子どもだ……。手の大きさと暖かさで薫は推測した。
後ろで、くすくすと笑いあう声が聞こえる。絶妙な声の重なり具合だった。澄んだ高音だが、そこに微妙な高低の差がある。
「だーれだ?」
幼い声が楽しそうに聞いてきた。
全くわからない。天月に来てから子どもと一度も面識がないのだ。考えても出てこなかったので、薫は首を横に振った。
何故かその行為が残酷な気がした。
「薫兄さん、覚えてないんだ……」
声が沈んだ。高い声は女の子なのか、男の子なのか判別がつかない。
「ないんだ」
更に幼い声が、追い討ちをかけて繰り返してきた。
「私が誰なのか本当にわからないの?」
少女の声が更に沈む。申し訳なくなって、薫は頭を下げた。
「ごめんな」
空気が重くなる。薫は手に汗を握っていた。子どもといっても多分、傷つけていることには変わりない。
少女は呆れたようにため息をつき、両手を腰にあてて、薫を見下ろした。
「あーあ、変わってないね。そういうところ。すぐ謝って。別にあにさんが悪いわけでもないじゃない。眉間にシワ、よってるわよ」
真っ直ぐな茶色の髪を掻き揚げて、少女は、でもさ、と続けた。
「勝手にいなくなって、勝手に大きくなって……ずるいね」
両手が離されてゆっくり目を開けると、腕組みをした少女と、少女と同じ茶色の髪の子が立っていた。多分血縁者なのだろう。よく似ている。少女が真っ直ぐ薫を見上げる。意思が強くて利発そうな、漆黒の切れ長の瞳。対照的なのは、彼女の後ろに隠れる子。俯いてはちらちとこっちを見てくる。ふちいっぱいの黒目が小動物を彷彿させる。とろんとした目をしていて、どこか頼りなさそうだ。
「仕方ないから教えてあげる。いい、一度しか言わないから、ちゃんと脳裏に叩き込むのよ」
多分、まだ十歳前後だと思われる少女が、脳裏に叩き込むとかよくそんな言葉知っているなと変なところで薫は関心した。
「私は黎明。弟は浅葱。覚えた?」
え。今彼女はなんと言った。彼女の背後に隠れた子は、男の子……だったのか。衝撃を受けつつ、薫は頷いた。
「覚えた……と思う」
薫の言葉を聞いているのかいないのか、黎明は一人話し続ける。
「年は今年で十二になるわ。弟は十よ。薫あにさんとは三年くらい会ってないだけだったのよ。なのに、いきなり大きくなって帰ってくるのはずるいと思うわ」
「いや、ずるいって言われても……」
「だって考えてもみて。私と薫あにさんは一つしか年が離れていなかったの。背だってね、私の方がずっと大きかったんだから。それが何? どうしてこんなに大きくなって帰ってくるのよ。成長しすぎよ! まあ、悪くないけど。私につりあう男になって帰ってきてくれたからね」
いつ息継ぎをしているのか首を傾げたくなるくらい、黎明は一気に言った。
それは悪いことをしたような、結果的には良かったような。薫は、とりあえず口を開けば次々と言葉が飛び出す黎明に口を挟める状態ではなかった。
黎明の後ろに隠れながら、浅葱が小さい声で訊ねてきた。姉を嵐のようだとたとえるのなら、弟はそよ風のようだった。なんにせよ、嵐を止めてくれたことを感謝したい。
「薫あにさん、今までどこに行ってたの? どうして急に帰ってきたの?」
「外の世界に出てたんだ。春京っていう、春が綺麗なところで……」
外の世界っていうのも変な感じがする。つい先日までその世界しか知らなかった自分が、そこを『外の世界』だって。自分で言って、苦笑いした。
「私が先に話すんだから、浅葱は後でゆっくり話していいわよ」
薫の言葉をさえぎって、黎明が後ろの弟を睨みつけた。
姉にきつい口調で言われ、黙って俯く浅葱。おそろしく内気な子だと薫は思った。そういえば、春京に来たばかりの頃はこんな感じだった。年も同じくらいだ。昔の自分と、あの頃と重なって、思わず微笑を浮かべた。
「こっちにおいで」
薫が手招きすると、今まで毛を逆立てた仔猫のように小さくなっていた浅葱がひょこひょこ近寄ってきた。その動きはなんとも言えず愛らしい。浅葱はぎこちなく薫の横に腰掛けて、くりっとした大きな目で薫を見上げた。
「……薫あにさん、また一緒に遊んでくれるの?」
小首をかしげ、薫のよい答えを期待し瞳を輝かせる浅葱。
……何、この可愛い生き物。薫は頭をくしゃくしゃに撫でたい衝動に駆られた。弟なんていないが、いたら凄く可愛がってあげたいと思う。
「三年前もお前達とここで遊んだのか?」
「そうよ。私と浅葱と薫あにさん。それからね、おねえも一緒だったわ。いつも皆で内緒で集まって遊んだの。おじちゃんや葵上様に見付かると、大目玉食らうからって」
黎明は薫の背中に抱きつき、クスクス笑った。浅葱も懐かしむように目を細め、姉の言葉に何度も頷いていた。
「おねえっていうのは美鈴のことか?」
二人の子どもは、薫の言葉に同時に首を横に振った。
「美鈴様って薫あにさんの巫女さまでしょ? 美鈴様はいつも遠くから生暖かい目で見てるだけだったけど。時々一緒にかくれんぼしたりしてたわよ。いつも私達に優しくて、お菓子くれたりしたし、私が薫あにさんとべたべたしてると雰囲気とがって怖かった。子ども相手に嫉妬なんて見苦しいわよね?」
……美鈴という人物がますますわからなくなった。
雲が風に流され、隠れていた太陽が姿を現した。いつの間にか真上に来ていたようだ。そろそろ昼になるのか。
いつもは日が一番上にくるころに誰かが呼びにきてくれているのに今日はまだ誰も来てくれない。呼びに来るまで待っているものどうかと思うが、自分から行くのも、何だか食べることに執着しているような気がするし。……いや、腹は減っているんだ。食べることに執着することが悪いとも思わないが、何か……嫌だ。
延々と一人で話し続ける黎明をよそに薫はそんなことを考えていた。
そんな薫の思考をぶった切ったのは、さくさく雪を踏む音だった。
真っ直ぐにこっちに向かってくる。
「ああ、いなくなったと思ったら、こんなところで……。勝手に入り込んだらあかんと何べん言ったらわかるんや?」
「お母さん!」
と子ども達が声をそろえて叫んだのと、
「萌葱……?」
と薫が呟いたのは同時だった。
萌葱はぺこっと頭を下げ、お昼の仕度が整いました、と告げた。
どうやら、今日から萌葱が薫を呼びに来てくれるようになったらしい。
「お世話かけました。薫様、お疲れでしょうに。この子らが、お休みのところをお邪魔して」
萌葱は改まって頭を深々と下げてきた。黎明と浅葱は気まずそうに薫の前に立たち、お互いに顔を見合わせて苦笑いしている。
そんなに何回も忍び込んでいるのか、子どもたち。誰も近寄らないはずじゃなかったのかとちょっと虎彦の言動との矛盾を薫は感じていた。
萌葱が子どもたちに頭を下げるように促すと、子どもたちはそろって渋い顔をした。
「あんた達もちょっとは反省の色みせんと」
「だって、別に休んでなんてなかったわよ……ぼーっと空眺めてたからちょっと遊……」
黎明が小さく呟いたのを、萌葱は聞き逃さなかった。
「黎明」
萌葱は静かに娘の名前を呼んだ。怒鳴られたわけでもないのに、黎明は亀のように首を縮めた。浅葱も黎明の後ろで身を縮め、伺うように母親を見上げた。
「はい」
「どうしてここがわかったのかと言いたそうな顔やな。うちがあんたらの行動を知らんとでも思ってたんか? あんたらの行動なんて、お見通しや。うちに黙ってここに忍び込んでは遊んでたことなんて、とうの昔にわかっとったことや。毎日のように同じ時間に同じ場所に来てればな、誰にだって行動の予測くらいつくもんや。お母ちゃんを舐めたらあかんで」
二人の子ども達は勢いよく首を縦に振った。
「それで、言い訳はしてもええんか?」
萌葱はしゃがみこんで、黎明と目線をあわせ、真っ直ぐ見つめた。黎明は少しうろたえて、首を小さく振った。
「いいえ」
「そうやな、悪いことは認めんと。アンタはすぐ言い訳する。悪い癖や。自分の非は認めんとあかんのや」
口調は決して厳しくない。目をそらさず、萌葱は娘に優しく語る。黎明も母親を真っ直ぐ見返した。
そこまではよかった。何か微笑ましい光景だった。
「そやかて、お母ちゃんかて勝手にここに来てるやないの。お母ちゃんはええのに、何でうちらはあかんの? そんなん不公平や。誰かお母ちゃんをきつく叱る人がおるんならうちかて大人しくしてるわ。大体、お母ちゃんは人目につかんほうがええって葵上かていつも言って……」
黎明は口を開いた状態のまま、しまったという顔をした。どうやら彼女の言葉が萌葱の琴線に触れるものだったらしい。黎明は額に汗を滲ませ、黙ってじっと見つめてくる母親から視線をそらした。浅葱はどうしたらいいのかわからずにおろおろと、手を出したり引っ込めたりし始める。
突然、萌葱が腹を抱えて笑い出した。
「お、お母さん……? 怒ってへんの?」
黎明は明らかに狼狽し、しどろもどろに萌葱に声をかけた。薫も娘の言葉を笑い飛ばした萌葱に驚いて、とにかく言葉が出てこなかった。といっても、さっきから何も発言していないわけだが。
「そんなことくらいで怒るわけないでしょう。子どもの屁理屈に、子どもの戯言。ホンマにまだ子どもやなぁ、黎明。大人びた振りしても、薫様には伝わらんと思うけどねえ」
それまで大人しく黎明の影に隠れていた浅葱が、くすくすと忍び笑いをもらした。
「あはは、姉様、本当のこと言われたね」
「うるさいわね、あとで覚えてなさいよ……浅葱」
黎明は鋭く弟を睨みつけた。
「仲いいな……」
薫には、彼らのやり取りがとても微笑ましくて、顔がだんだん熱くなってきた。頬に手を当てると、自分が思っている以上の熱さに驚く。今絶対、知り合いに顔を見られたくない。浅羽とか海鶴がここにいたら絶対からかってくるところだろう。
それだけ、眩しかった。とても暖かかった。
――家族か。……何か今無償に海鶴をぎゅっと強く抱きしめたくなった。海鶴の体温を感じたくなった。今、海鶴はどこにいるのだろう。何をしているんだろう。駄目だ、一回海鶴のことを考え出すと、彼女のことで頭がいっぱいになってしまう。何かを思い返すたび、海鶴の影がよぎる。
それにしても。
子どもが何度もここに忍び込んでいたというのなら、一度や二度くらい萌葱に会っていてもおかしくないはずだ。それが今まで一度も会ったことがないなんて。鈍い薫でもわかるくらいの不自然さだった。
萌葱が突然苦笑いを浮かべた。
何だ、今思ったことがまさか筒抜けになったなんてことはないよな。薫は何故か焦った。
「そんなに見つめられては穴が開いてしまいます。綺麗な碧色の目で見られたら、恥ずかしくなってしまいますよ」
無意識的に萌葱の顔を凝視していたらしい。別に思考を読まれたわけではなかったことに妙な安心感を覚える。萌葱は悪戯っぽい笑いを浮かべ、薫の顔を覗き込んできた。
「うちのことが気になってるんですか? 何で今まで会ったことがないのか……とか?」
「え、ああ……まあ」
心中を当てられて、しどろもどろに答えた薫を見て、クスッと黎明が笑う。
「わかりやすい方ですねえ。さっき、黎明も言ってましたが。うちは外をふらついたらあかんことになってるんです」
「どうしてだ?」
「……うちは、この里の人たちと違って神域で育った人やないんです。うちだけ異質なんです」
意外な萌葱の答えに、薫は何と言ったらいいのかわからず、その場で固まってしまった。
えっと。この流れはただ和やかな様子を書きたかったわけではなく一応ある場面との対比のつもりで書きました。が、その場面はおそらくもっと後のほうになってしまうと思うので、何となく頭の片隅にとどめていただけたら嬉しいなーなんて思いました。
orz
闇の戯言
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