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理想の女
作:藤村香穂里


 長い髪をアップにした、長身のスーツ姿の女。
 胸元にダーツを取り、ウエストを絞ったタイプのジャケットは、見事に体のラインに沿っていて、素のプロポーションの良さを連想させる。
 ひざ上までの丈のタイトスカート。
 そこから伸びたストッキングに包まれた両足は太ももから膝にかけていったん細くなり、柔らかなふくらはぎのラインにつながると、足首でまたキュッと締まっている。
 白いうなじに後れ毛が垂れ、節目がちな目元に長い睫毛まつげ
 鼻筋が通っており、紅をさした唇は、口角に静かな笑みをたたえ、濡れて光っている。
 年の頃なら20代後半くらい。会社では、中堅どころだろう大人の女。
 女の名前は、悠里ゆうりと言った。

     ***

 一日の仕事を終えた俺は、満員電車に揺られていた。
 俺の名前は、佐山祐輔。28歳。
 事務用機器のメーカーに勤めている。
 身長は176センチ。
 かっこいいと言われた事はないが、親しみやすいとはよく言われる言葉だ。
 それは、今いる部署の営業職では大いに役立っている。
 営業も一日得意先や新規開拓に回っていたら、足が棒になる。
 それ以上に他人との交渉ごとは、これでなかなか神経を使うものだ。
 それでも慣れた仕事で、営業成績だって良い方だったから、別段今の仕事に不満はない。
 そう。今の暮らしにも不満はない。
 予定調和の日常。

 一人暮らしのアパートに到着すると午後9時を回っていた。
 食事は、帰りに会社近くの定食屋で済ませてきた。
 部屋の照明のスイッチを入れる。
 ぱっと明るくなった部屋のキッチンには、朝、コーヒーを飲んだ時の空のマグカップが置いたままになっている。
 コートと背広を脱いで、楽な格好になると、俺は、ポケットからタバコを取り出し、流し台の横にあったライターをカチリとならした。
 2〜3度カチカチやってみたが、火がつかない。
 ガス切れかよ……。
 いまいましい思いで、空のライターを放り出すと、流し台に取り付けられた引き出しをあけた。
 飲み屋のロゴの入った使い捨てのライターを見つけ、あらためてタバコに火をつける。
 そのまま深く吸い込んだ。
 フーッと煙を吐く。
 これで人心地ひとごこちがついた。
 一本を吸い終え、もう一本に火をつける。
 さてと……。
 後から吸い始めた一本を半分ほど吸ったところで、灰皿にぎゅっと押し付けると、俺はパソコンに目をやった。

 パソコンの前で胡坐あぐらをかくと、電源をONにする。
 それから立ち上がるのをじっと待った。
 ネットに接続すると、俺はブックマークの中から『仕事の疲れを癒しませんか』と言うタイトルの掲示板をカチリと開いた。

 画面にトップページの書き込みが広がる。




――自分一人の時間。
ここで息抜きして過ごしませんか? 
私は悠里。
会社にお勤めして5年目です。
仕事をしていると色々ストレスが溜まりますよね。
ここをなんでも語り合える場所にしたいな。
気軽に書き込みしてくださいね――




 この掲示板は、つい一週間前に出来たばかりだ。
 俺はざっと眼をやり、前回この掲示板を訪れた後の書き込みをチェックする。
 書き込みが一つ増えていた。




――悠里ちゃん。
毎日、仕事で遅いんじゃない? 
お疲れ様。
ところで、悠里ちゃんってどんなタイプかな? 
教えてよ。
 ケンジ―― 




 俺は、早速返信ボタンをクリックし、画面を開く。




――ケンジさん。こんばんは。
今日も帰りが9時過ぎてしまいました。
気を使ってくださってありがとう。
私のタイプですか? 
ええとね。
髪が肩よりもちょっと長くて、仕事のときは結っています。
身長は167センチでモデルっぽいねと言われます。
職場では、性格サバサバ系みたいに思われてるみたいだけど、本当は一人になったら、結構悩んだりしています。
だからこの掲示板を開いたんだけどね――





 一気にそれだけ書き込んだ。
 そうさ。俺が悠里なんだ。
 俺は、ネット上で悠里と名乗り、この掲示板を運営している。


   ***


 そこにネットに接続されたパソコン一台あれば、一人暮らしの身も退屈はしない。
 俺は、知人のサイトを覗いたり、時にはオークションで出品物を競り落としたり、オンラインゲームを楽しんだり、動画を見たり……そんなパソコンの楽しみ方をしてきた。

 つい10日ほど前、会社の同期で新年会の時のこと。
 2次会にカラオケに繰り出した俺達。部屋に入ると一挙に5曲ほどが予約で埋まる。
 同期の仲間の歌をBGMに交わす軽い会話。
 こんなに音量のけたたましいところでは、しんみりした話も出来やしない。
 そのうち、結構好きな曲が流れてきて、俺は仲間の歌に聴きいるわけでもなく、ぼんやりとモニタ画面に映る歌詞を追っていた。

「これ、いい曲だよね」

 仲間が歌い終わり、次第に音量が小さくなってくると、俺は隣の恵理子に言った。

「そうね」

「この曲の作詞家は、男なのに女の立場でよく詞が書けるなぁ」  

「男の立場だから、女を綺麗に書くのよ。都合のいい理想。実際の女はもっとドロドロしてると思うな。でも本当のことを書くと歌詞として成り立たないでしょ」

「そんなもんかな」

 俺は、ちょっと納得が行かなかった。

「私は、そう思うよ。でもね。音楽は夢を与えてくれなくちゃ。私は、この曲好きよ」

 恵理子との会話はそこで終わった。


 翌日の営業での外回り。カラオケの時の恵理子との会話が思い浮かぶ。
 時間調整に喫茶店に入り、コーヒーをオーダーする。
 都合のいい理想か……。
 俺もそんな理想の女を書いてみたいなとふと思う。
 まぁ、俺には作詞のセンスなぞない。
 ましてや小説の才能はもっとない。

 そこで、俺は気がついたんだ。
 一人暮らしの退屈しのぎのパソコンの存在に。
 パソコンの中に住まう女。理想の女。
 これなら俺にも出来そうだ。
 どんな女がいいだろう。
 年齢は、俺と同じくらいがいい。
 仕事も俺と同じく営業をしている事にしよう。
 名前は、祐輔ゆうすけをもじって悠里ゆうりはどうだろう? 
 どんどんと想像が膨らんだ。 
 ネットの中で俺は女として認識される事だろう。
 悠里をどんな風に登場させようか。
 最初は、悠里の名前で今流行のブログを作ってみようかと思い立ったが、女として日記をアップし続けるのは、ちょっと苦しいかもしれない。
 それにブログを訪れる人間が出てくる保証があるか? 
 誰かが読んでくれなければ励みにならない。
 では手軽なところで、掲示板はどうだ? 
 立ち上げるのも簡単だし、2〜3日も待てば、きっと反応があるだろう。
 これは、いいかもしれない。
 ひそやかな試みを思いついた俺は、その日家に帰るのが楽しみで仕方がなかった。
 
 晩飯を済ませ、風呂につかると、俺は色々と構想を練りあげる。
 悠里のプロフィール。
 深夜になると、パソコンの前に向かった俺は、早速IDの取得にかかった。
 yuuriなんてIDは、星の数ほど存在する。
 だからIDをyuuri-illusionにしたらすぐに登録できた。
 この遊び心に気づく奴は……いるだろうか? 

 女同士の会話でボロが出ては困るし、理想の女の話し相手は男達がふさわしい。
 だから俺は、出会いのカテゴリに掲示板を立ち上げ、考えた挙句、無難な文面で最初の書き込みをした。
 餌をまいたら、後は乗ってくるのを待つだけである。
 明日、反応があればいいがと俺は眠りについた。

 翌朝、パソコンを覗いてみる。一つだけ書き込みがあった。





――はじめまして。
シンと言います。
俺は仕事で毎日残業で、女の子と話す機会がありません。
これからじゃんじゃん書き込みに来るよ。
よろしくです――




 いよいよだ。
 俺は、早速返信の画面を開くと、悠里になりきって返信の文面を書いた。





――シンさん。
はじめまして。
書き込みありがとう。
これから仕事とか趣味のお話とか何でも書き込んでね。
ちなみに私の趣味は――




 俺は、そこで少し考え込んでしまったが、『――旅行です』と書き加えた。
 俺自身、社内旅行で温泉に行く事もあれば、出張で県外に出る事もある。
 これなら、話も合わせられるし、違和感はないだろう。
 最後に『――じゃぁ、これからお仕事に行ってきます』と書いて締めくくった。
 明日までには、またシンの書き込みがあるだろう。
 それだけではなく、他の書き込みも。
 それを思うと俺は楽しみで仕方がなく、表情にもそれが出ていたようだ。

「佐山君。なんだかごきげんね。何かいい事でもあった?」

 経理係の由香利が尋ねてきた。
 標準的な背丈に肩まで伸ばした髪。丸い二重の目が可愛いタイプだ。
 由香利も恵理子と同じく同期だったから、経理に行く際はちょっと雑談をするのが習慣になっていた。

「いや、別に……」

 俺ははぐらかした。

「そうかなぁ? にこにこしてたけど」

「いい事と言えば、契約が一つ、まとまったがね」

「なぁんだ。てっきり彼女でも出来たのかと思った」

 由香利と軽口を叩いて、俺はまた外回りに出かけた。
 今日は、これで直帰である。
 彼女か……。
 悠里と言うとびっきりの彼女ならここにいるのだが。

 帰宅して、再び深夜にパソコンを立ち上げた。
 来た来た……。
 書き込みが3つ増えている。
 うち一人はシンだった。
 俺はほくそ笑んだ。




――こんばんは。
自分はヒロと言う45歳のオジサンです。
悠里ちゃんは、ストレスが溜まっているのかな? 
オジサンが何でも聞いてあげるよ――




 うわっ! スケベそうだなぁ。
 俺は辟易した。
 ともかく俺は、早速書き込みをくれた3人に返事を考える。
 悠里ならどうする? 
 目を閉じると俺の脳裏に悠里の映像が浮かんだ。
 仕方ないわね……。
 ふっと苦笑する悠里。
 営業のスーツ姿のままだ。
 キーボードに手を置く俺の指先に華奢な悠里の指先がオーバーラップする。
 いつしか、俺はキーを叩いていた。
 シンは、自分の趣味を書いてきたから、それに対しての話を。
 新規の書き込みのケンジは、どんな仕事をしているのか聞いてきたから営業をしている事を。
 ヒロには、オジサンのストレス解消は何ですかと尋ねてみた。
 書き込みを終えて、反映された事を確かめると、俺はパソコンの電源を切った。


 たくさんの掲示板がはびこる中、それでも俺の運営する掲示板は、少なくとも3人の常連がついた。
 後は、一回きりの書き込みや、女の子も時折現れた。
 男達に対して、俺は自分ならこんな返事が欲しいなと思う内容を書き込んだ。
 女の子は年下だったから、話を聞く立場で返信をした。
 俺が書き込みをする時は、いつでも悠里の映像が頭の中にあった。 
 ネットの中でのつながり。
 利害関係のない間柄ににじむ本音の部分。 
 掲示板のマナーは、おおむね良い方だった。





――悠里ちゃんは、どんな格好をして寝ているの?
3サイズも教えてよ
 ヒロ――




 このオジサンは、時折、こんな書き込みをしてくる。困ったものだ……。
 映像の中の悠里が苦笑いして、一つのヒントをくれた。
 俺は、頷くと通販サイトで女性用のパジャマを検索した。
 悠里が着ていそうなイメージのパジャマを選び、その色と柄を書き込んだ。
 そしてベタかな? と思いつつ、3サイズは秘密と。
 まぁ、45歳のオジサンだから、それで納得しているだろう。
 理想の女を演じ続けるのもなかなかどうして骨が折れるものだ。





――実は、来週彼女の誕生日なんだ。
悠里ちゃんならどんなものをもらったら嬉しいかな?
  ケンジ――




 俺は、ケンジさんからもらったものなら何でも……と今にも書きそうになったが、ちょっと待てよと思い、書き込みをとどまった。

 翌日、経理係に行った際、由香利にそれとなく聞いてみた。

「佐山君ったらやっぱり、彼女が出来たんじゃない!」 

「違うよ。男友達に聞かれたのさ」

「はぁ? なんで男友達が男のあなたに彼女のプレゼントに何が良いか聞くのよ。変じゃない」

 悠里の話をするわけにもいかない。

「変だろうがなんだろうが、本当の事だから仕方がないよ」

 俺は頑として言い張り、由香利の返事を聞きだした。

「女の子って結構こだわりがあるから、何が欲しいか聞いてみるとか、一緒に買い物に行って選んであげたらいいんじゃないかな……」

 結局、俺はこんな風に答えたが、大きく外れてはいなかったようだ。
 ケンジから、彼女と一緒に買い物に行ったのだとお礼の書き込みがあった。

 2月14日 バレンタインデー。
 俺はすっかり忘れていた。
 女子社員一同からとの義理チョコ。
 彼女もいない俺は、他にあてもなかった。
 経理に行くと、由香利が「義理だよ」と素っ気無く言ってチョコをくれた。
 きっと同期だからと思っての事だろう。

「ありがとう」

 義理でも気にかけてくれていたのだと思うと、悪い気はしない。
 来月、返さないとな……と思う。
 3倍返しとは言わないまでも。
 
 俺一人に対し、常連が3人。
 毎日誰かからの書き込みがあったから俺の返信は毎日続く事となる。
 好きでやった事だが、仕事でだって、こんなにマメに文章を書くことなんてありゃしない。
 掲示板では、悠里ちゃんともてはやされたが、正直なところ、2ヶ月以上もやっていると、ちょっと疲れた。
 何故って、もともとがカラオケの歌詞を聴いて、突発的に思いついた事だったからな。
 考え付いた時は楽しかったが、さすがにこれをずっと続けていくのはきつい。


「ちょっと。佐山君。わかってるの?」

 不意に恵理子に呼び止められた。
 俺には、まったくもって何のことだかわからない。

「何のこと?」

 恵理子は、廊下の端に俺を引っ張ってくると、口元に手を当て、小声で言った。

「由香利。あなたに気があるのよ。気づかないの?」

「え?」

 俺にとっては、青天の霹靂だった。

「何でだよ。そんなそぶり全然なかったぜ?」

 チョコは、先に義理だと断ってからくれたしな。
 俺は首をひねった。

「佐山君があまりに鈍感なのよ!」

 恵理子は、私がこんな事を言ったって由香利に言っちゃ駄目よと言い、嫌じゃなかったら由香利をデートに誘うように言って、立ち去った。


 悠里は、どう思う? 
 俺は自分に問いかける。 
 由香利は、仕事も丁寧だし、ため口にも応じてくれる。
 話も合うし、決して嫌いなタイプじゃない。
 むしろ好きなほうと言ってもいいだろう。
 しかし、同期で好きになって、上手くいかなかったら、今後の同期会で顔を合わせた時、後々しこりが残る。
 だから、はじめから恋愛の対象外として仲間感覚でこれまで付き合ってきただけだ。 
 俺は、掲示板を開いた。
 悠里の独り言として、常連の誰に話しかけるでもなく書き込みをした。





――いつもため口を叩いてる同期の男の子が気になってて……。
チョコレートをあげたけど、反応ないんだ。
先に義理だって言ったからかな?――





 それだけ書き込むと、俺は風呂に入った。
 深夜に再び掲示板を開けて見る。





――悠里ちゃん。
ちゃんと気持ちを伝えなきゃわからないよ――


 俺は、悠里を意識しながら、再び書き込んだ。




――でもね。
前に女の子へのプレゼントは何がいいかなとか、聞いてきて――




 書きながら、自分の置かれている状況が整理されてきたようで、俺はそうか……! と思い当たった。

 
 翌日。
 俺は経理係に行き、由香利に話しかけた。
「ちょっと……」と、由香利の洋服の袖を引っ張り、廊下の端に連れ出す。

「何よ……」

「いやさ。チョコのお礼に何かプレゼントしようと思ったんだけどさ。わからないから一緒に買い物に行って選んでくれないか?」

 みるみるうちに俺を見つめる由香利の瞳孔が開く。

「別に……いいけど。私に選ばせると、高いわよ?」

「いいよ。いつも世話になっているし、何でも買ってやるよ……と言うか、プレゼントしたいんだよ」 

 俺たちは、そこで週末、会う約束をして、それぞれの部署に戻った。

 
 俺の掲示板に対する興味が急激に薄れていった。
 もう悠里を演じるのは終わりにしよう。


 3月。異動のシーズンだ。
 俺は、最後の書き込みを行った。





――異動があって、他県に行く事になりました。
この掲示板も閉めようと思います。
勝手を言ってごめんなさいね。
短い間だったけど、みなさん、どうもありがとうございました。
また会えたらいいな……。
さようなら―― 




 数時間後、驚きとともに元気でねとの書き込みを見て、俺はちくりと胸が痛んだ。

 でも、もう終わりだ。
 理想の女は、夢を壊さず、そっと去るのがふさわしいだろう。
 掲示板は、このままで。
 書き込みが無ければいずれ消滅する。
 さよなら。悠里。
 俺は、ゆっくりとIDを削除した。

                  終


長文でしたが、お読みいただきありがとうございました。
感想やご指摘など、是非お願いいたします。 













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