Word.77 あリガトウ (3)
永遠の居城、中央塔。正面玄関部、上方。
「負けたのね、十稀…」
天井を見上げ、どこか遠くを見つめるような瞳を見せた長い青髪の少女、埜亜が、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。すでに場所を移し、囁と十稀の様子が見えることはなかったが、仲間の敗北は察したようである。
「けれど、大丈夫。あなたの分も、私が…」
埜亜が天井から、前方へと視線を移す。
「音士を倒して、文字の力を得てみせるから」
埜亜が見つめた前方には、鋭い表情で、薙刀を構えた七架が立っていた。
「な…」
大きく口を開き、七架が自身の文字を口にする。
「“薙ぎ倒せ”!」
振り下ろされた薙刀から、真っ赤な一閃が放たれ、まっすぐに埜亜へと向かっていく。向かってくる一閃を見つめ、埜亜はゆっくりと、白い言玉を持った右手を突き出した。
「“呑み込め”」
埜亜が言葉を口にすると、言玉から放たれた白色の光が、まるで巨大な口のように、埜亜の目の前で勢いよく開いて、七架の一閃を、あっという間に呑み込んでしまう。その光景に眉をひそめながらも、七架は素早く薙刀を構え直した。
「“変格”」
七架が薙刀を前へと突き出すと、赤く輝きを放ち、薙刀がその姿を、巨大な十字架へと変えていく。祈りを捧げるように十字を持ち上げ、七架が瞳を鋭く変える。
「“泣け”」
言葉と共に放たれる、十字からそのまま抜け出たような、十字型の光。
「“呑み込め”」
埜亜が先程と同じ言葉を使い、やって来た十字の光を、またしても呑み込む。
「“嘆け”」
「え…?」
間髪入れずに放たれる言葉に、攻撃を防ぎ、ホッと一息ついていた埜亜が、戸惑ったように顔を上げる。埜亜が前方を見ると、先程よりも強い十字の光が、こちらへと迫って来ていた。
「の、“呑み込め”!」
埜亜が再びその言葉を放ち、白い光が埜亜の前で大きく、口を開いたが、先程よりも強い十字の光は、あっさりとその口を打ち破る。
「ク…!」
埜亜が少し焦った様子で、言玉を突き出す。
「“逃れろ”!」
自身を白い光で包み、その場から高速で移動して、何とか十字の光を避ける埜亜。埜亜に当たることのなかった光が壁へと撃ち込まれ、壁に大きな十字型の穴があく。先の見えない、深いその穴は、七架の放った光が、いかに強いものであったかを示していた。
「私の言葉では、呑み込み切れない…」
突き出していた右手を下ろしながら、埜亜が真剣な表情を見せる。
「当たったら、一溜まりもなさそうね…」
その穴を振り返りながら、埜亜が少し感心するように呟く。
「さすがは、選ばれし音士だわ…」
埜亜がまた前を見て、どこか妖艶な笑みを、七架へと向ける。
「選ばれし音士の中でも、あなたはまた、特別なのでしょう…?」
試すように問いかける埜亜に、その言葉の意味が理解出来ず、七架が少し眉をひそめる。
「だって、ほんの一握りの神附きしか辿り着けないという、変格を超える変格を、使うことが出来るのだから…」
埜亜のその言葉に、表情にわずかだが、驚きを走らせる七架。
「なんで、そんなこと…」
「とってもよく、調べているのよ。あなたたち、五十音士のことは…」
戸惑った様子で問いかける七架に、埜亜はさらに、妖艶に笑う。
「とっても憧れていたから…あなたたち、五十音士に…」
「憧れて…?」
「ええ。私たち、もとは韻で育成された、五十音士の候補生だったの」
「候補、生…」
埜亜から告げられる事実に、少し驚いた表情を見せる七架。幾度と戦いを経てきたとはいえ、七架は五十音士になって、間もない人間。韻で、そのような者たちが育てられていることなど、知るはずもなかった。
「多くの候補生の中から、十稀と二人、桃雪様に目をかけてもらってね…それで、この文字を貰ったの」
その話を聞きながら、七架が浮かない表情を見せる。
「けど、そんなの…」
「ええ、わかっているわ」
七架が何を言わんとしているのかを瞬時に察し、その言葉を遮る埜亜。
「所詮、私たちは駒。十稀がわかってたかは知らないけど、私は、桃雪様に利用されているだけであることは、わかってる…」
埜亜が、そっと天井を見上げる。
「きちんと、理解してる」
七架へと視線を戻し、埜亜が笑う。
「そこまでわかってるなら、何故…」
「もっと、欲しいから」
戸惑うように問いかける七架に、埜亜が迷うことなく、すぐさま答える。
「他の文字も、他の言葉も、もっと知りたい。もっと見たい。もっと聞きたい」
埜亜が大きく、口角を吊り上げる。
「もっと、手にしたい」
向けられる確かな欲望に、七架が気難しい表情を見せる。
「ねぇ、だから私に、見せてくれない…?」
埜亜が誘うように、大きく首を傾ける。
「私に、変格を超えたという変格、その、あなたの言葉を…」
求めるように、七架へと左手を差し出す埜亜。そんな埜亜の様子に、七架はますます、戸惑いの色を深くする。
「罠…?でも」
警戒を強める七架の脳裏に、城の外で戦っている仲間たちや、前へと進んだアヒル、篭也の姿が過ぎった。この戦いに、すべての言葉の未来が懸かっているのだ。今は、戸惑っている時間すらも惜しい。
「罠だとしても、立ち止まるわけにはいかないの…!」
声を張り上げ、七架が勢いよく、十字を掲げる。
「“奈変”!」
七架が言葉を発したその瞬間、七架の掲げていた十字が、勢いよく上空へと舞い上がり、空中でさらに強く輝いて、七つに分裂していく。七つの十字が周囲を取り囲む中、その中央に立った七架は、空いた右手を掲げ、鋭い表情を見せた。
「“七光”!」
空中に浮かぶ七つの十字から、それぞれ違う七色の光が放たれ、空中で混ざり合いながら勢力を増して、一気に埜亜へと向かっていく。
「とてもじゃないけど、呑み込めないわね…」
先程までとはまるで違う規模の光に、埜亜がすぐさま悟った様子で言い放ち、冷静に言玉を突き上げる。
「“鈍くなれ”」
言玉を輝かせ、迫り来る七光の速度を、少し落とす埜亜。鈍化した七光を見ながら、埜亜が言玉を、自身へと向ける。
「“退け”」
自身へと言葉を向け、その場から移動する埜亜。七光の直撃コースから避けたところで、埜亜が立ち止まる。
「“嘆け”!」
一息ついていた埜亜へ、七架が手を緩めることなく、素早く次の言葉を放つ。七架の言葉を受け、七つの十字のうちの中央三つの十字から同時に、赤い閃光が放たれた。向かってくる新たな光に、埜亜が厳しい表情で、そっと目を細める。
「“鈍くなれ”」
埜亜がまたしても、向かってくる光の速度を落とす。
「“除け”」
遅くなった光へ向け、埜亜が新たに言葉を放つと、迫り来る光に、埜亜の居る場所だけを抜き取るように、穴があき、光は埜亜をきれいに避けて、後方へと過ぎていった。
「ふぅ…さすがは、抜かりないわね」
肩を落とした埜亜が、そっと微笑み、七架へと感心の言葉を向ける。
「初めてよ…?こんなに言葉を使わされたのは」
まるで七架を誉めるような、埜亜の言葉。
「まぁ、言葉で戦ったのは、あなたが初めてなんだけれどね…」
付け加えられるその言葉に、七架が表情を曇らせる。
「戦う気はあるの?」
険しい表情を見せたまま、七架が確かめるように、埜亜へと問う。
「どういう意味、かしら…?」
「さっきから避ける言葉ばっかり」
はぐらかすように聞き返す埜亜に、七架が鋭く、次の言葉を放つ。
「ただの時間稼ぎなら、私は、そんなものに付き合っている時間は…」
「大丈夫よ」
ずっと緩やかな口調であった埜亜が、珍しく強めの声で、七架の言葉をはっきりと遮る。
「桃雪様はどう、お考えか知らないけれど…」
さらに目を細め、埜亜が鋭く笑う。
「私だって、折角得たこの文字を、ただの時間稼ぎなんかにさせたりしないから!」
今まで以上に声を張り、埜亜が高々と言玉を掲げる。
「“伸びろ”!」
埜亜の言玉から、無数の糸状の光が伸び、一斉に七架へと迫り来る。向かってくる光を見て、七架は冷静に、右手を振り上げた。
「“薙ぎ払え”!」
七つの十字からそれぞれ、一閃が放たれ、七架に迫り来ていた糸状の光を、次々と払い落としていく。すべての光を払い落とし、七架が一瞬、安心したような表情を見せたその時、埜亜が妖しく微笑み、真っ赤な唇の塗られた口を開いた。
「“臨め”」
埜亜が言葉を放つと、七架が払い落としたはずの糸状の光が、近くに落ちたもの同士で繋がり合い、またしても長い糸を形成して突き上がり、勢いよく七架の体へと絡みつく。
「グ…!」
絡み付く光に動きの自由を封じられ、険しい表情を見せる七架。だがその表情に、それほど焦りは見られなかった。
「こんなの…!」
七架が言葉で、絡みついた糸を払おうと、大きく口を開く。
「“な…!」
「“呪え”…」
七架が言葉を放つ前に、放たれる埜亜の言葉。
「え…?」
埜亜の言葉が響いたその瞬間、七架は、全身から力が抜け落ちていくのを感じた。感じただけではない。実際に脚力も失い、七架がその場に力なく座り込む。一気に意識が薄れ、体がふらついた。
「な、何…?これ…」
自身の状態に、戸惑うように声を漏らす七架。座り込んでいることも辛く、すぐにでも倒れてしまいそうで、床に両手をつき、何とか体を支える。
「どう…?」
苦しみ、戸惑う七架へと、静かに問いかける埜亜。
「私の“呪い”は」
「の、ろい…?」
わずかに顔を上げ、埜亜を見て、その言葉を繰り返し、七架が険しい表情を見せる。
「そんな、の…」
「信じない…?」
七架の心の内を見透かすように、埜亜がそっと問う。
「言葉を信じないなんて、いけないわ…」
微笑んだ埜亜が、七架へと再び、言玉を向ける。
「誰よりも言葉を信じなければならない、五十音士である、あなたが」
埜亜の言葉に合わせるように、言玉が一瞬、強く光る。
「ううぅ…!」
埜亜の言葉を耳に入れた次の瞬間、七架の意識がさらに霞み、一気に体がぐらついた。ほんの少しでも気を緩めれば、あっという間に意識を失い、倒れてしまいそうである。力を保つことすら、ままならなくなり、上空の七つの十字は崩れ落ちて、もとの言玉の姿へと戻り、七架のすぐ傍の地面に落ちた。
「こんな、こんなの…」
悔しげに表情をしかめる七架であるが、その意志に反し、意識は徐々に遠のき、見つめる埜亜の姿も、どんどんと霞んでいく。
「皆…皆が戦ってる、のに…こんな、ところで…うぅ…」
必死に堪える七架であったが、薄れいく意識に、これ以上、抗うことは出来なかった。
「ダメ…もうっ…」
床についていた手が滑り、七架の体が、うつ伏せに倒れていく。
「朝比奈、くん…」
最後に静かにアヒルの名を呼び、そのまま七架は前へと倒れ込み、その瞳を閉じた。床に倒れた状態のまま、動かなくなった七架を見つめ、埜亜がそっと笑う。
「良き夢を、五十音士」
冷たく言い放ち、埜亜がまた、言玉を持った右手を振り上げる。
「“鋸”」
言葉により、埜亜の手の中の言玉が、その姿を変える。鋭く尖った刃を右手に握り締め、埜亜がさらに、妖しく笑う。
「願わくば我が手で」
倒れた七架へと歩み寄りながら、変わったばかりの刃を振り上げる埜亜。
「永久の眠りを…!」
「…………」
意識を失った七架へと、鋭い刃が、振り下ろされた。
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