Word.46 訪ネビト (1)
アヒルたち安団と始忌の戦いが終わってから、三日の時が流れていた。
言ノ葉町、とある民家。
「ただいまぁー!」
黒いランドセルを背負った子供が、勢いよく玄関の扉を開き、明るい声を発しながら、家へと帰って来た。
「おかえり、六騎」
エプロン姿の優しそうな母親が、玄関先までやって来て子供、六騎を迎える。
「ただいま、お母さん。んっ?」
母親に笑顔を見せていた六騎が、履いている靴を脱ごうと下を向く。すると、六騎の視界に、玄関にきれいに並べられた、子供のものよりは少しサイズの大きい革靴が入って来る。その革靴を見つけ、六騎は少し眉をひそめた。
「お姉ちゃん、今日も学校休んだの?」
「そうなのよ。体調悪いって言うわりに熱もないし、急にどうしたって言うのかしらねぇ」
「……っ」
悩むように首を傾げる母親に、六騎はさらに表情を曇らせる。
「俺、ちょっと様子見てくる」
「あ、六騎!」
母親が止める間もなく、六騎は靴を脱ぎ散らかし、玄関からすぐのところにある階段を駆け上がっていく。二階には向かい合い、部屋が二つ。片方は六騎のもの、そしてもう片方は六騎の姉のものであった。六騎が少し躊躇いながらも、姉の部屋の扉の前へと立ち、コンコンと、扉を二回叩く。
「お姉ちゃん…?」
六騎がそっと呼びかける。だが、部屋の中から返事はない。
「お姉ちゃん、あのね…」
聞こえているのか、わからない。寝ているのかも知れない。だがゆっくりと、六騎は自分の言葉を続けた。
「あのね、俺…朝眠っちゃう前に、あの扇子の人からその、ちゃんと色々と聞いたんだ…忌とか、言葉のこと、とか…」
六騎が子供にしては、冷静な、大人びた声を発する。
「俺ね、あの日、タカシに忌っていうのが取り憑いてたことも、あの目つき悪男に助けられたことも、全部思い出した…」
―――六騎…!―――
靄がかっていた、夢だとばかり思っていた夜は、今、より鮮明な記憶として刻まれている。
「あの日、お姉ちゃんが五十音士になったことも…」
「…………」
六騎がその言葉を落とすと、扉の向こうから張りつめた呼吸のようなものが、確かに感じられた。
「それで、それでねっ…俺も五十音士になったって聞いた時、俺…その…」
「やめて」
「えっ…?」
扉の向こうから、懇願するように発せられた、その小さく弱い声に、六騎が少し戸惑った表情を見せ、言葉を止める。
「お姉ちゃん…けど、あのっ…!」
「聞きたくない」
六騎が必死に伝えようとするが、その声はまたしても、扉の向こうから遮られる。
「今は何も…聞きたくないの…」
「お姉ちゃん…」
弱々しいその声に、六騎はそれ以上、言葉を続けることが出来なかった。
言ノ葉町、何でも屋『いどばた』。
「ふんふふんふ、ふぅ~んっ」
うららかな午後、まるで客のいない店の中で一人、店に並んだ、統一感のない商品を並べ直しながら、為介はどこか機嫌良さそうに鼻歌を響かせる。
「こんにちは」
「いらっしゃ…あ、おっかえりぃ~雅クゥ~ン」
店の戸が開き、迎える言葉を発しようとした為介であったが、よく見知った顔が入って来ると、すぐにその言葉を変え、やって来た雅を出迎えた。
「今日は早いねぇ~」
「部活動が休みの日なので」
「ああ、オカルト同好会ってやつぅ~?」
「ええ」
為介と何てことはない会話を交わしながら、雅が店の戸を閉め、奥へと進んでいく。
「相変わらず、客気のない店ですね。やるだけ無駄なんじゃないですか?」
「世の中に無駄な努力なんて、たったの一つもないんだよ!雅クン!」
「正しい言葉ほど、あなたに似合わないものはありませんね」
冷たく言い放ちながら、雅が熱く語っていた為介の横を素通りし、店の奥から家の中へとあがる。
「高市君の様子はどうです?」
「あっ、忘れてたぁ。朝から一回も見てないやぁ~」
「はぁ…」
大きく広げた右手を口元へと当て、間の抜けた表情を見せる為介を見て、雅が深々と溜息をつく。
「あなたを人として頼った僕が、馬鹿でした」
「すっごい言われよぉ~」
落ち込むようにがっくりと肩を落とす為介を無視し、雅が勝手知った様子で屋敷の奥へと進み、右方にある客間の襖を開く。
「はぁっ…あれ?」
改めてもう一度、溜息をついていた雅が、顔を上げた途端、その眉をひそめる。客間の中央に敷かれた白い布団。掛け布団は少しめくれ上がっており、布団で眠っていたはずの保の姿は、なくなっていた。
「高市…君…?」
戸惑いながらも、いくつかある屋敷の部屋を回り、保の姿を探す雅。だが洗面所にも台所にも浴室にも、保の姿はなかった。
「い、為介さん…!」
雅が為介の名を呼びながら、慌てた様子で店の方へと戻っていく。
「いないぃ~?高市クンがぁ~?」
「はい」
「そぉ」
保のいない状況を説明した雅であったが、為介は特に慌てる様子もなく、暢気なままに頷いた。
「まぁいいんじゃなぁ~い?三日も寝れば、体力的にも問題ないだろうしぃ」
「まぁいいって…」
軽い口調で言う為介に、雅が強く眉をひそめる。
「目が覚めて、お家に帰っちゃっただけじゃなぁ~い?」
「あなたに挨拶の一つもせずに、ですか?」
「それはまぁ、彼が礼儀知らずってことでぇ」
「……っ」
適当な答えばかりを返す為介に、雅が不満げに表情を曇らせる。
「彼の家へ行ってみます」
「まぁ、待ちなって」
「ですが」
止める為介に、雅がすぐに言葉を返す。
「始忌の例もあります。また彼に何かあればっ…」
「違うよぉ。彼がこっそり出て行ったのは、彼の意志」
「えっ?」
すべてを見通したように言う為介に、雅が戸惑うように首を傾げる。
「心の整理をつけたいのさぁ。自分の中に居る、波城灰示のことを認識して、過去も全部思い出して、とっても混乱してる」
「全部わかってて、行かせたわけですか…」
保の心情を見通した上で、保を行かせた為介に、疲れた様子で肩を落とす雅。
「それにしても…」
そっと瞳を細め、雅がどこか心配するような表情を作る。
「奈々瀬さんのこともありますし、戦いが終わってから朝比奈君も神月君も、少し様子がおかしいですし…」
雅が困ったように、一つ肩で息を落とす。
「何だか、安団がバラバラになっていくようですね…」
「そうだねぇ」
雅の言葉に、あまり興味のなさそうな相槌を返す為介。
「あの五人がこんな風になってしまうなんて、思ってもみませんでした…」
「……っ」
為介がそっと瞳を細め、手に持っていた商品を戸棚へ下ろす。
「ねぇ、雅クン」
「はい?」
為介に声を掛けられ、顔を上げる雅。
「この世の中に、解けることのない結び目なんて、たったの一つもないんだよ…」
「…………」
そっと告げられる言葉に、雅は表情を曇らせる。
「先の見えない言葉ほど、あなたに似合うものはありませんね…」
困ったように言いながら、雅は少し不安げな表情を見せた。
韻本部、重要機密書庫。
「はぁっ、やっぱり“阿修羅”なんて名前の五十音士はいないかぁ」
分厚い五十音士名簿と書かれた本を閉じ、エリザが目の前の机へと、力なく上半身を倒す。千ページはあるであろう、その本すべてに目を通していたため、エリザの疲労は相当にものであった。
「五十音士じゃないなら、一体っ…」
「衣の神」
「ん?」
呼ばれる名に、エリザが顔を上げる。書庫の入口から、韻の従者と見られる黒い着物姿の男が、エリザの座っている机の方へと、足早に歩み寄って来た。
「何?」
「言姫様から、ご伝言を預かって参りました」
「言姫から?」
「はい」
深々と頭を下げた従者が、エリザに一枚の小さな紙を差し出す。
「何?任務?えぇーっと、人探しみたいね」
「お願い致します」
「私まだ、受けるとは言ってないわよ?」
「言姫様も、断って良いとは仰っていませんでした」
「……っ」
きっぱり言い放つ従者に、少し不快そうに眉をひそめるエリザ。
「わかったわ。すぐに出る」
「お願い致します」
念を押すようにそう言い、深々と頭を下げると、従者は再び足早に入口へと向かい、書庫を後にした。従者が出て行ったことを確認すると、エリザが大きく肩を落とす。
「こんな時に、こんな遠くまで、わざわざ神である私に、人探しねぇ」
改めて紙を見つめ、エリザが眉をひそめる。
「慧、居る?」
「ここに」
エリザの呼びかけに応え、どこからともなく、エリザのすぐ横へと降り立つ忍服姿の少女。エリザの神附き、“計守”の慧である。
「言姫に任務喰らったわ。私をここから遠ざけようって魂胆みたい」
「では、間もなく言姫様が、何らかの行動を起こすと?」
「ええ、そう踏んで間違いないと思う」
慧の問いかけに、エリザが真剣な表情で頷く。
「君はこのまま、言姫を見張って。何か動きがあったら…」
エリザが少し迷うように、その間をあける。
「アヒル、それに恵に伝えて。わかったわね?」
「はい」
エリザの指示に、慧はしっかりと頷いた。
朝比奈家隣、二階、篭也の部屋。
「…………」
窓際の寝台の上に座り、分厚い本に集中している様子の篭也は、何やらとても気難しい表情を見せていた。
「宇の神…」
本に書かれている言葉の一部を目にし、篭也が小さく声を発する。
「旧世代の神以降、後任無し。現在は空席」
続くように書かれている文章を、口に出して読み上げる篭也。
「率いる宇団、宇附も後任は無く、現在は実質、解散状態、か…」
その一文を読み上げると、篭也は顔を上げ、窓の向こうの景色へと視線を流した。
「だが…」
篭也がそっと、目を細める。
―――“貫け”―――
―――“睡魔”―――
思い出されるのはアヒルの兄、スズメとツバメが使っていた言葉。
「あの言葉は…」
「へぇ、宇の神…」
「え…」
すぐ傍から聞こえてくる声に、篭也が戸惑うように振り向く。
「さ、囁…!」
「篭也が“恋盲腸”以外の本、読んでるなんて珍しいわね…フフフ…」
篭也の座る寝台のすぐ横に立ち、大きくその腰を折りたたんで、篭也の読んでいた本へと視線を集めているのは、制服姿の囁であった。
「人の部屋に勝手に入るな」
「あら…?あなただって、いつも勝手にアヒるんの部屋に入ってるでしょう…?」
注意するように険しい表情を向ける篭也に、あまり悪びれた様子もなくそっと微笑んで、囁は寝台から離れ、机のすぐ横に置かれた椅子へと腰掛ける。
「どうしたの…?その本」
改めて篭也の持っている本を、指差す囁。
「見たところ…韻の重要機密書庫にあるはずの本みたいだけれど…」
「……檻也に借りた」
少し間を置いた後、篭也が少し不本意そうに呟く。
「和音がつい最近まで、よく読んでいた本らしい。僕なら、何かわかるんじゃないかと持って来た」
「そう、弟くんが…」
篭也の言葉を聞き、囁が納得したように頷く。神の中でも、昔から一際強い権力を持っている於の神、於崎家の人間であれば、韻の重要機密本を持ち出すことも可能であろう。
「で…?言姫様が何を考えているのか、わかったのかしら…?」
「いや…」
囁の問いかけに、篭也が暗い表情で首を横に振る。
「宇の神…そういえば、後は宇の神だけだものね…」
「えっ…?」
その言葉に、篭也が戸惑うように顔を上げる。
「安はアヒるん、以はイクラちゃん、衣はザべスさんで、於は篭也の弟くんでしょう…?」
囁が名前と共に一本ずつ指を折っていき、最後、小指だけが残る。
「後は宇だけ…宇の神が最後の神様ってことよね…」
「ああ…」
囁の残った小指の一本を見つめ、篭也がそっと目を細める。
「最後の神だからこそ重要なんだ…恐らくな…」
「……っ」
何やら考え込むように、厳しい表情を見せる篭也を見つめ、囁もその表情を曇らせた。
「で?あなたは一体、何の用で人の部屋まで入って来たんだ?」
「ああ、そうだった…」
本と閉じ、改めて問いかける篭也に、囁が思い出したように頷き、腰掛けていた椅子から立ち上がる。
「転校生くん、どこかへ行っちゃったみたいよ…」
「高市が?」
「ええ…さっき、美守の眼鏡さんから連絡が来たわ…」
「そう、か…」
俯きながら返事をする篭也は、特に焦った様子も見せなかった。
「驚かないのね…」
「え?あ、ああ。何となく、そんな気がしていたからな」
「そう…」
篭也の答えに、疑問を持った様子もなく頷く囁。囁自身も、保は一度、整理をつけに行くのではないだろうかと、そんな気がしていたので、篭也の答えにも、特に問いかけは入れなかった。
「七架は相変わらず学校休みだし、アヒるんもまだ、始忌のこと、引きずってるみたい…」
囁が少し困ったように、肩を落とす。
「今、攻め込まれたら…きっと全滅ね。私たち…フフフ…」
「楽しそうに言うな」
不気味に微笑む囁に、篭也が呆れた視線を送る。
「それで…?」
「えっ…?」
「うちの加守さんは、今度はまた何を、抱え込んでるのかしら…?」
「……っ」
心の中を覗き込むように問いかける囁に、篭也が表情を曇らせる。
「別に…何でもない」
「フフフ…まぁ、話してもらえるとは、最初から思ってないけれど…」
篭也の答えを予想していたのか、囁はそれ以上問い詰めようとはせず、楽しげに笑う。
「おおかた、あなたの戦った始忌に成りすましていた者のことかしら…?」
「…………」
「アヒるんには何者かわからなかったって言ってたけれど…あなた、本当は心当たりがあるんじゃ…」
「今回は本当に、今までで一番、話したくない…」
「え…?」
思いがけない篭也の言葉に、囁が首を傾げる。
「話さなくて済むなら、それが一番いい。真実を語らずに済むのであれば、このまま…」
「篭也…?」
まるで祈るように、言葉を呟く篭也に、戸惑いの表情を見せる囁。
「告げることが…今の僕には、一番怖い…」
「……っ」
篭也の表情が、事の深刻さを表しているようで、囁はそれ以上、言葉を発することが出来なかった。
千風のHP「千風のお部屋」へ!
+注意+
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