挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマークする場合はログインしてください。

空葬の森

短編集「順列からの解放」に収録予定の短編です。
これ以外に表題作含め4作の収録を予定しています。
 最初にみたその顔を、私はいつか忘れることができるのだろうか。

 青くどこまでも透き通るような、羽衣のように薄い布を纏い、彼女は森の中の小さな泉に、片膝を立てて俯いていた。それが聖なる祈りだと知ったのは、少し後になってからだった。
 暗い森であったが、そこに獰猛さは感じられず、むしろ神聖な空気さえ漂っていたのは、ひとえに彼女の祈りの賜であったのだろうと思う。ただ、泉の周りだけが、ぼんやりと輝いていた。ほのかな光が漂っていそうなほど神々しい姿に私は一瞬戸惑い、そして考えることを止めた。
 彼女は水面を一心に見つめる。

「見ていたのですか?」

 あまりにも永い時間、私が見つめ続けていたのだろう、巫女は不思議そうに、そしてどこか罪悪感を匂わせる顔をしていた。
「申し訳ない。祈りが、神聖過ぎたものだから」
 こんな時に気の利いたひとことが言えたのなら、私は求道者にはなっていなかったであろう。
「不思議な人ですね」
 巫女は乏しい表情で浅薄な微笑みを浮かべた。泉の水面は微動だにしていない。
「弔っているのです」
 深く入り込むような女の声が、意識をはっきりと覚醒させた。
 聞くと、彼女はこの先の集落の生まれで、村に天災が起こって死んでしまった村人を弔い続けているのだという。片膝を立てるという不思議な姿勢が、神に尽くす証であるのだと。どうりで人気のない道だと思ったのだが、本当に人が少ないようだ。
「私も旅の求道者だ。手伝おうか」
 死者は放っておくと魔物になるという。夥しい死者が出たのなら、できるだけ早く弔った方がよい。そう思った。
「いえ、お気になさらず」
 弔いの方法は、その地によって異なる。私の手助けが、かえって魔物を呼び寄せてしまうこともあるだろう。
「そうか」
「はい。魔物に気をつけてください」
「悪いな」
「いえ」
 彼女は儀礼的な笑みと礼を返し、再び祈りに入った。その神聖さとは裏腹に、彼女の表情にはどこか鬼気迫るものを覚え、私は背筋に嫌な汗をかいたので、先を急ぐことにした。
 暫く上りが続いた。ここは大陸有数の山岳地帯で、近くの火山は過去に何度も噴火をしていたのだという。悪魔の棲む山とも言われており、独特の宗教が根付いているとは聞いていた。だが、まだうら若き巫女をただひとり、あのような泉に残したまま、村人をひたすら弔わせるのはどうだろう。いくら人が少ないからといって、余りに神に不敬ではないだろうか。私は徐々に憤りを感じた。それはいわば義憤と呼ばれるものであったが、しかし村人に説教のひとつでもしてやらなければ、彼女がかわいそうだとも思った。
 麓の村で買った鉄製の杖が少し重たく感じる頃、周囲の森が急に開けてきて、道が緩やかに下り始めた。大きな崖の下に集落が見える。粗末な木の小屋が数件並んでいるだけだったが、彼女の生まれはここだろう。ささやかではあるが教会と思わしきものも建てられている。道の全貌が見え、あの集落へと向かっていることを突きとめた。それからはすぐだった。崖を回り込んで、少し急な下りを進むと、朽ちた木の門が正面に見えてきた。看板に集落の名が書かれているのだろうが、かすれていて読むことは出来なかった。仮に読めたとしても、集落の名を知ろうとは思えないが。
 荒涼とした集落は、確かに人の気配はなく、ただただ静かだった。天災に見舞われたというのは本当らしかったが、しかしそれにしても静かすぎるし、ましてその痕跡は見あたらない。大火事のような焼け跡もないし、竜巻や大水だとしたら建物が損傷を受けた形跡が少なすぎる。地震にしても同じだ。一体どのような災害に見舞われたのか。私は少しだけ興味を持った。
 ほんの少し歩いただけで、その痕跡を見つけられた。
 民家の脇に、女が倒れていた。蝋のように白い身体には、あろうことか蛆がまったく湧いていない。あの巫女の話が正しければ、彼女はとっくに虫や鳥の餌となっていてもおかしくなかった。だからこそ残された村人は、怨念が魔物とならないように死者を弔う必要があるのだ。
 だが、この死者は未だに最期の姿を遺している。それは、この集落が呪われたことの証拠でもあった。
 山がちの集落では、邪な心を持った集落の民が、たびたびこのような形で山の神の怒りに触れ、石のように身体を固められてしまう呪いにかけられてしまうことがあり、私もいくつか目にしたことがある。大地と空があってこその民だ。それを忘れてしまった集落の人間が、それらを束ねる存在の怒りに触れることは造作もない。この石のようになる呪いは、この集落のように、辺りが高い山に囲まれている場所ではよく起こる。東洋の風水術では、そもそも四方を山に囲まれ、かつ川も通らない場所に家を建ててはいけないと聞いたことがある。神の怒りに触れやすい場所なのだろう。
 集落全体が呪いにかけられたのであれば、信心深い巫女が残ったのも、この中が異様に静かなのも納得がいく。呪いにかけられた人の身体は、動物たちにとっては毒にしかならないようで、食われないまま放置されつづけるという。だから集落は汚れないまま、荒涼としたままを保ち続けているのだろう。
 予想通り、ほんの少し歩みを進めれば、数人の村人が同じように蒼白な肌のまま事切れていた。全員、口を大きく開け、苦しそうな表情を浮かべているのも、呪いであるという私の推論を裏付けた。
 しかし、呪いが襲いかかったということは、他の村人は皆死んでしまったことになる。そうであるならば、あの森で見た彼女は、全ての村人を弔わなくてはならない。小さな集落とはいえ、それはとても大変だろう。
 巫女の無事を無人になった粗末な教会で祈っていると、どこからか、お告げが聞こえた。
「教会の裏に、山の上の祠へと繋がる参道がある」
 たった一言であったが、それだけで私は、神が言わんとしていることを理解した。
 すでに身体の一部のように馴染んだ杖が、どこか神妙に音を立てながら、ごつごつした岩が立ちはだかる参道を上っていく。ここまでほとんど休んでいなかったので、さすがに脚に響くが、彼女のことを思うと、そうも言っていられなかった。いや、私は彼女を救うということにかこつけて、この集落の醜悪さを知りたいだけであるということに、すでに気づいていた。しかしそれは神聖から遠ざかっているわけではなく、あくまで信仰の中で、神の力を知りたいという単なる好奇心の目覚めであるからこそ、神は道をお示しになられたのだと思う。そうでなければ、今頃私は地獄の涯で、罪人と化した亡者とともに力のない笑いを浮かべているに違いないだろう。
 果たして上り切った先には、巨大な岩が、鬼の犬歯のように地上から生えていた。茶色く錆びた鉄の鎖で幾重にも縛られ、鎖には所々、何かが書かれた木の札が掛けられている。恐らく、この山周辺の、独特の祈り方なのだろう。岩は私の身体のおおよそ倍くらいの背丈で、幅はゆうに三倍を超えていた。当然ながら、押しても全く動かないし、杖でつついた程度では傷すらつかない。かなり硬い岩だ。
 私は岩の周りをぐるりとまわってみた。岩は、それ自体は何の変哲もなく、ずっと前からそこにあったのだろうと思われた。しかし、岩の周りにだけ植物が全く生えていないのが、妙に気になった。
 ふと、私はまた妙なことに気づいた。岩の周り、植物が生えていないところのうちの一カ所だけ、杖でついた感覚が全く異なるのだ。まるでその下に空洞があるみたいに、乾いた音がする。
 まさか。
 私は乾いた音がする場所の周辺の土を少しずつ掘ってみた。すると、程なくして石が現れた。杖でつついてみると、中はやはり空洞のように思える。丁寧に土をどけていくと、人が入れるくらいの小さな四角形の穴を、石の蓋が塞いでいるのだろうということがわかった。蓋の端を杖でつつくと、少しずつ削れていく。あまり硬いものではないようだ。ここまできておいて、何も見ずに帰ることが出来ようか。この下に、おそらく集落が呪われた直接的な原因があるに違いなかった。この中にたとえ魔物が封印されていたとしても、すでに集落は死んでいるし、せいぜい死ぬのは私と彼女くらいのものだろう。そう思って、私は一心不乱に石の蓋を削り、穴をあけると、そこに杖を差し込み、手前に引いた。石のこすれる音がして、小さな穴の中が露わになる。見たかったものを目にして、私はその内容に思わず、「あっ」と声を漏らした。
 青くどこまでも透き通るような、羽衣のように薄い布を纏った骸骨が、片膝を立てた様子で座り込んでいた。生きていたときよりずっと細くなってしまったその両腕は、鉄の枷で繋がれており、首元にも細い鎖が掛かっている。生け贄となった彼女の纏う布に明らかに見覚えがあったことに、私は動揺を隠せなかった。背筋がぞくぞくと寒くなる。
 あれは。
 彼女は。

「見てしまったのですね」

 数刻前に聞いた、諦めを含んだ声が、背後から聞こえる。
「君は、既に死んでいたのか……」
 私は振り返らずに、そう聞いた。
「そうです。村人に、生け贄として選ばれました。処女が、私しかおりませんでしたから」
 小さな集落ではよくあることだ。
 私はここで声のする方へ向き直った。泉の時と同じように、神聖な微笑みを浮かべた彼女は、正体が判ってしまったからであろうか、すこし空虚なようにも見える。
「私はここに閉じこめられた時、絶望し、村人を呪いました。そして、気がつけば、村人たちはあのようになっていました」
 喜びも、哀しみも感じさせることなく、彼女は淡々とそう語った。
「私の怨念が、そうさせたのだと思いました。だから、私はここにいるのだと。私が、最後まで、村人を弔うために、神が私を甦らせたのだと、そう思ったのです」
 彼女はここで清らかな笑みを浮かべようと思ったのだが、それは叶わなかった。清廉なその身体は徐々に赤く腫れ上がり、両手が槍の先のように鋭利に変化していく。
「貴方に出会ったのも、私の罰の一つなのでしょう……お願いしてもよろしいですか?」
 結果的に、またもや魔物を呼び覚ましてしまったのだと、私は小さくため息をついた。やはり、好奇心に引きずられるといいことがないなと、ほんの少しだけ求道者となった自分を悔やんだが、しかし、私は実のところこれ以外に何も、人のために働けないのだ。
「勿論。その為に神が、私を遣わしたのだから」
 私はゆっくりと彼女であったものに視線を向けた。それは、既に人の形をしていなかった。その細い身体からは無数の脚が生え、神聖さすら感じた白い肌は茶色く硬くなってしまっていた。
 百足。なるほど、聖職者の成れの涯には相応しい。私は鉄の杖を天に掲げる。
 地の神が与えた試練であれば、呼び覚ますのは風の神。山間を吹き渡るその化身は、私に力を貸してくれた。
 彼女は、魔物となっても自らの運命を受け止めているようで、私に襲いかかることはなく、ただただ、杖から放たれる風の刃を無心に受け続けていた。程なくして全ての脚が分断され、身も切り刻まれて、魔物は単なる塵へと還った。
 魔物は私の背丈をゆうに超えていたから、本気で襲いかかられていたら、無傷では済まなかっただろう。私は彼女の強い心と清廉なる最期に、祈りを捧げた。

 日もだいぶ傾いてきてしまっていたが、泉の中はまだ明るく、光が射していた。
 水面を見つめると、ぼんやりとした光の中に、彼女が一心不乱に祈っている姿が映し出された。
「ありがとうございました」
 その湖水のように清らかで柔らかな声が、私の中に入ってきた。どれだけ苦しんだのだろうか。痛くなかっただろうか。魔物を倒すとき、私はいつもそんなことを想う。
「どうか、お元気で」
 祈りを捧げていた彼女は、そう言って、湖水の光の中に消えていった。私は返礼をする代わりに、彼女の為に祈ることにした。

 夜になり、暗闇を静寂が満たした。私は片膝を立て、湖水に祈りを捧げた。湖水は鏡のようにぴたりと波を止め、いつまでも淡い光を放ち続けていた。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ