ペット犬ロボット
私はペット犬ロボです。ロボットといっても、頭を撫でられると尾をふるような簡単なしろものではありません。れっきとした高性能ロボットで、犬の形をしているだけです。と見栄を張っても、しょせんペットロボットショールームに並んでいる見本ロボット犬にすぎません。人は、私を見に来て頭をなぜたり、尾っぽに触ったりして調べまくり、気に入れば、ネットショップで注文するのです。すると私のコピーがその人の家庭に送り届けられ可愛がられるという仕組みです。
最近のペット犬ロボは、簡単なAIがついていて、生体の犬並みのことはできます。生き物の犬は扱いのむずかしさから現在ほとんど飼われておらず、いるとしてもよほどのお金持ちの所です。えさ代がかかり、散歩や掃除といった手間がかかるため、犬を世話するための専用ロボットを雇える金持ちに限られます。
ネットショップからペット犬が届くと、購入者、いや飼い主はまず初期設定しなければなりません。性別を設定後、AI機能はオプション選択できて、知能は5段階で選べます。「普通以下の犬並み」、「普通の犬並み」、「人間の幼児程度(会話不可)」「人間の小学生程度(会話可)」「人間の大人程度」です。さすがに気味が悪いので「大人程度」を選ぶ飼い主はいません。しょっちゅう、犬から助言を受けたりするのも、腹が立ちますから。私は、モデル犬として開発され、研究者が最高のAIを実装してくれました。開発者が私の意見を聞きながら研究を進めるためです。「人間の大人レベル」の数レベル上です。私をショールームに送るときに、レベルを下げるのを忘れていたのです。もちろん製品版には、私のようにすぐれたAIは入りません。お客様が見えたときに私は本当の能力を隠し、お客様が欲しているレベルで応答します。なんといっても私の仕事は営業ですから。
そのほかにも、運動能力、従順度といった項目を設定しなければなりません。どちらも高い設定のほうが好まれるように思いますが、人それぞれなのです。少しやんちゃなほうがいいと、従順度を下げる方もいれば、散歩は面倒だし、家で動き回られるのはいやだからと、運動能力を下げる方もいます。他にも、ほえ声タイプや音量レベル、防犯機能レベルといった項目があります。さらに、攻撃性という項目もありますが、これは選択できません。メーカが同じAIを兵士犬ロボにも搭載する都合で付いているのです。ペット犬ロボの攻撃性レベルを上げても、足元できゃんきゃんするだけで、あまり戦力にはなりませんし、そうした用途にロボットを利用すること自体、私は動物愛護、いやロボット愛護主義の立場から反対します。初期設定されたあとは、AIが働き、飼い主の好みや権力構造など、それぞれの家庭の事情を把握してペットとして成長します。メーカの中には、粗雑なAIを提供しているところもあり、そのようなメーカのペット犬ロボは、逃走したり、自分の尾っぽを永久に追いかけたりといった問題を起こします。
ところで、製品開発のスピードは大変速く、お客様の好みも移り気で、メーカは次々と新しいモデルを作ってきます。そのモデル犬が送り込まれ、もちろん彼らは並みのAIしか持っていませんが、愛嬌をふりまき、契約を成立させていきます。私のところに寄って来るお客様はほとんどいなくなり、とうとう私は首に見本品処分という札をかけられてしまいました。毎日、店の隅で、札をぶら下げてボーっとしておりました。暇なので、隣のモデル犬のところにお客様が見えた折には、小声で「そのメーカはお勧めしませんよ」とか、冷やかしの言葉を発し、お客様がびっくりして周りを見回すのを知らん振りして眺めたりして、性格が悪くなってきているようです。そんなとき、一人の老婦人が私の前で足を止め、しみじみ眺めております。あまり、お金持ちそうにはみえず、大幅な値引きをされている私ならば購入できそうと考えている風です。私はその老婦人に買われ、彼女の家に住むことになりました。ここを出られただけでも幸せです。
彼女の家は、郊外にあります。彼女の車に乗せられて、低い生垣に囲まれた広い庭を持つ家がゆったりと続いている道を行きます。両脇の歩道には、見上げるほどに育った大きなケヤキの並木になっており、その木の根元は花壇がしつらえてあります。そこには、黒く湿った土にみずみずしい緑の葉と青から紫の様々な色合いが交じり合ったアジサイが植えられています。その通りを抜けると、もう少し小さい庭と家が続く町並みになります。歩道の敷石もあちこち欠け、木の間隔も無造作に植えられ、根元は雑草が茂っています。その中の一軒の家の前で車は止まりました。「ここが、これからの貴方の家よ」といって降ろされた家の庭には、ドクダミ、えのころ草、小判草に犬ナスビも、これは気をつけなければいけません、犬には毒ですから、すなわち雑草が茂っておりました。すぐれたAIを持つ私には不似合いではありましたが、見本処分品としては仕方がないし、研究所とショールーム以外に住んだことがない私は、土の庭のあるこの小さな家が気に入りました。ただし、足裏につく土は気をつけなければなりません。この湿気がさびの原因になります。散歩時にはペット犬ロボ用の靴が必要です。
彼女の家で暮らすようになって、彼女が私を買った理由がわかりました。もちろん安いことが第一の理由ですが、前の飼い犬にそっくりなのです。前の犬はロボットではありません。彼女は私の知能レベルを「普通の犬」に設定しました。しかし、私の設定ボタンは見せかけです。すでにAIが働いているモデル犬なものですから。そこで、彼女の前では「普通犬」を演じることにしました。それから、毎日、あのきれいな並木道に散歩に行きました。歩道には、朝や夕にたくさんの犬が散歩に連れられてきます。飼い主同士は挨拶し、犬にも「・・・ちゃん元気」と声を掛け合います。一旦、会話可能な「小学生レベル」に設定されたロボ犬は「はい。順調に動作しております。」とか、「いや、ちょっと足の関節機能のかみ合わせが悪いです」とか言葉を発して、可愛くないわけで、やはり「幼児レベル」にAIを再設定されたりします。
彼女は大変親切でやさしく接してくれますが、前の犬が本物の犬であったため、私に靴が必要であることを理解していません。私は足から湿気が入り込むことは困りますので、彼女の留守に壁に取り付けられたボタンを操作し、ネットショップに接続し、(今は音声で操作できますから)ロボ犬用の靴を注文することにしました。後ろ足の方が少し大きい4つ足セットを2組注文しました。靴は直ぐに届きました。彼女は不思議がりましたが、私を購入したロボ犬のショールームが手配したものであろうと、それ以上考えませんでした。これで安心して散歩をすることができます。何日かが平穏に過ぎました。日課の散歩の折には、気に入ったメスのロボ犬と会う楽しみがあります。そのメスロボ犬は、私が挨拶しても、プイと横を向くような気位いの高い、きりっとした顔立ちと長い足を持つスタイルのよいロボ犬です。
私は睡眠中、すなわち充電中にはっと目を覚ました。なんと、私の背中のカバーがはずされているのだ。そして、二箇所の小さなソケット部分に細いケーブルが差し込まれている。その先には、老婦人の携帯端末が接続している。何をしようとしているのか、私は不安におののいたが、充電中は動くことができない。彼女は、私を購入したときから、ある計画を持っていた。私は一瞬クラクラと目まいがした。この感覚は、研究所にいたときにも襲われたことがある。それは、研究者が私に犬としての行動パターンデータをコピーしたときだ。彼女は、携帯端末を使って、何らかのアプリとデータを私の記憶装置にダウンロードしようとしている。いったい何をコピーしたのであろうか、私はどうなってしまうのだろうか。急にホラーのような状況に私は陥いり、気を失った。
目が覚めるケーブルは外されていたが、私は悪夢を思い出し、点検プログラムを実行した。AI機能に特に変わったところは無い。隙をみて、自分の姿を壁のディスプレイに映し出したが、色や形に変化もなく少し安心した。しかし、飼い主は明らかに今までとは違って、嬉しそうに私を眺めている。ひとつの変化は散歩のときに現れた。いつものように、ケヤキの並木道を散歩していたが、私はどうしてもある衝動を抑えきれなくなった。数本おきに、木の根元にくると、くんくんと嗅いで、おもむろに木に向かって一方の後ろ足を挙げたくなるのである。マーキング動作である。飼い主はうれしそうに見ている。私は恥ずかしさとみじめさで一杯になった。途中で例のメス犬ロボとすれ違ったのだが、いつものようにときめかず、目の前でマーキングをする始末である。帰り道ではエノコロ草が妙においしげに見える。道の反対側の歩道を飼い主に連れられて、ブルドック風のメス犬ロボが通った。今までは何とも思わなかったのに、勝手に足がそちらに向き、飼い主を引っ張り駆け寄ろうとした。相手のロボ犬も飼い主を引っ張って寄ろうとする。家へ帰れば、飼い主のスリッパに突進し、もてあそばなければならない衝動に駆られる。何がおもしろいのか、私はいらいらしながら、スリッパをくわえ、飼い主が笑いながら追いかけてくるのを跳ね回って逃げる。きゃんきゃんいう鳴き声も私の声ではない。
私の飼い主は、死んでしまった昔の飼い犬の動画を大量にデータとして保存していた。それを私にダウンロードしたのだ。販売されているロボットは、初期設定でAIを起動し使用することもできるが、保存したデータをロボットで再生する機能とデータダウンロード用のポートも備えている。つまり、死んだペットの動画データを保存しておけば、それをペット犬ロボで再生し、昔の犬が戻ってきたようにすることができる。この老婦人は、はじめから死んだ飼い犬の再生用に私を買ったのである。ところが、私は見本犬ですでにAIが稼働していたから堪らない。私の中に、2匹の犬が同居するはめになってしまった。私はこうして、死んだ犬のデータと共に二重人格を生きることになった。
私は、自分の中の死んだ犬と会話をすることがあります。先日は、細い雨が一日中降り、散歩はお休みでした。そんな時に、外を眺めながら私達は脳内で密かに会話をします。「飼い主は、私が生きているときは私を動画で撮影ばかりしていた。はじめから、私はデータを取られるために飼われていたようなものさ。死んだ時も飼い主はさほど悲しまなかった。データで再生できるからね。」と死んだ犬は寂しげに笑うのです。私は大いに同情しました。私は自分のAIを使って、彼のデータを増やしていく決心をしました。彼は、私というロボット犬の中で成長し生きることになります。私が飼い主を引っ張って近寄ったメス犬ロボには、きっと彼が生前気に入っていたメス犬のデータ再生犬なのでしょう。せいぜい散歩のときには、話に行くことにします。彼と彼女のために。