第52話・トリプルデート?【百合編】 昔の記憶
《PM06:40》
ヤマランドパークの観覧車は日本一の大きさを誇る、まさにこの遊園地の象徴ともいえる乗り物です。三十分も掛けて一周するのは飽きがくると思いますが、それは眼下に広がる外の景色の素晴らしさが時間を忘れさせてくれるそうです。
「うわぁ……もうあんなに小さくなってる」
窓ガラスに額を押し当てて外を見下ろします。遠くに微かに見える入場ゲートから僕達が今まで立ち寄ったところまで全部見渡すことができます。ついでに至るところで走り回っているゾンビちゃんの姿も。
「……………………」
「……………………」
うーん……。
背を向けているので後ろの、向かいの席に座っているユーちゃんが気になって妙にそわそわしてしまいます。この観覧車に乗り込んでから十分ほど。僕とユーちゃんの間で言葉はまだ一言も交されていません。
なぜかずっとうつ向いたまま黙り込んでいるのですが、さっきの外にいたときの沈黙とは違い、この場での沈黙というのは少し気まずいものがあります。やはり時と場所によりけりなんですね。
「ね、……ねぇ、ユーちゃん?」
外を眺めるのをやめて席にきちんと座り、ユーちゃんと向き合う形になると、呼び掛けるように名前を口にします。
「……な、なぁに?」
少し赤くなっている顔を上げて反応してくれたのはよかったのですが、話題を考えていませんでした。あらかたのことはユーちゃんの部屋で聞いてるし……。
あ、そういえばと。気になっていたことがあったことを思い出し、僕はそれを聞きました。
「ユーちゃんって、歌手としてデビューしたのは十年前の五歳のときだよね?」
これでも少しはユーちゃんのことを調べています。それで一つ気になったことがあるのです。
「うん、そうだよ」
「デビューしてから一年に一曲ずつしか活動してなかったのに、去年の冬頃から活発に活動を始めたけど、それはどうしてなの?」
確か女優の仕事を始めたのもその頃だったはずです。歌って踊れて、新人女優賞を得るぐらいの素晴らしい演技力もあるし、まさに完璧なアイドルですね。
僕の疑問にユーちゃんはすらすらと答えてくれました。
「一年に一曲ずつしか活動してなかったのは、私の両親が所属している芸能プロダクションの社長にお願いしてくれたからなの。せめて中学校を無事卒業できるまでは、普通に学校生活を過ごさせてやりたいって。だから一年に一曲のペースだったんだ」
へぇ、と僕は感心するように頷きます。学業と仕事を両立させるのは大変ですし、少しでも娘に人並みの生活をさせたいという親心だったのでしょう。
でも、とユーちゃんは少し苦笑して続けます。
「社長もすぐにでも私を世の中に広めたかったみたいで、高校に内定が決まったら途端にハードスケジュールを組んだんだ」
確かに無事卒業するのは確定していますが……、なんともまあせっかちな社長さんですね。
「あ、それからもう一つ聞いてもいい?」
高校内定という言葉にもう一つ気になっていたことを思い出します。
「聖帝第一学園に“転校”してきたけど……、どうしてなの?」
転校ということは少なくともその言葉通りの意味だと思うのですが、なんでわざわざ聖帝に転校してきたのかが分からないのです。
「え、っとね……」
両手の人指し指をもじもじと合わせながら言葉を濁すユーちゃん。
「……あ、言いたくないなら別に言わなくてもいいからね!」
人には言えない理由だったらいけないのでそう言いましたが、ユーちゃんは僕と目をちらりと合わせると、すぐに目を背けポツリと答えてくれました。
「…………タモくんが、いるから」
「へ……?」
僕が、いるから……?
「ど、どうして? 僕達って初対面のはずじゃ」
「……まだ、思い出してくれないの?」
はぁ、とガッカリしたような深い溜め息が僕の耳元にまで届きます。
「……そーだよね。タモくんに期待するほうがおかしいんだよね」
そ、その言い方は傷付くなぁ……。
「……タモくんは覚えてないみたいだけど、私達、幼稚園の頃に一緒に遊んだりしてたんだよ?」
「えぇっ!?」
そ、そんな初耳です! まさか僕が天下のアイドルと昔から知り合いだったなんて!
「私と“いろいろ”約束してくれたことも、その様子じゃ覚えてないよね……」
え……? い、いろいろって、なに?
その疑問に、ユーちゃんは顔を湯気がでるほど真っ赤にさせて、泣きそうな表情で答えてくれました。
「大きくなったら、……わ、私と、その……×、×××(以下、〈ピー〉と略)する約束したのも……」
「……え、待って? なんで幼稚園の頃の約束にそんな卑猥な言葉がでてくるの……!?」
「ほ、他にも〈ピー〉や〈ピー〉〈ピー〉する約束もしたし!」
「だから待ってよ!? なんで幼い僕はそんな卑猥な単語を連発してるの!?」
それじゃあまるで日登美みたいじゃないか!
「だ、だってタモくん……一日に十以上は、その、そういうこと、言ってたんだよ?」
僕の人格を根本的から否定された気分だ。
「う、嘘だッ!! 僕がそんなことを言うはず……!」
い、いやでも、万が一の可能性があるにはあるけど……!
「お、お願いユーちゃん! 嘘だと言ってよ!? お願いだから!」
でも恥ずかしがるユーちゃんの様子から、それが嘘ではなく真実だと教えてくれます。
「そ、そんな……そんなバカな!」
身を震わせてダラダラと汗を流します。まさか昔の自分がなにも知らないことをいいことに純真無垢なユーちゃんにそんな約束を取り付けさせる鬼にも劣る畜生野郎だったなんて……!
昔の自分に想いをはせている間、ユーちゃんはまだ何事かを話していましたが、僕の耳にはまったく入ってきませんでした。
「――――ということで、転校してきたんだ」
結局最後のところしか聞き取れませんでしたが、僕に会いにわざわざ転校してきてくれたんだというのは分かりました。
……あれ? ちょっと待てよ。それって逆に僕から逃げるために遠くに行かないか? どうして卑猥な約束を取り付けさせた僕にわざわざ会いに来たんだ?
「…………!」
ま、まさか……! い、いいのか!? してもいいということなのか!? ……い、いや待て。落ち着け僕。素数を数えるんだ。素数は孤独な数字。素数は誰にも割ることはできない。……クソゥ……やっぱり数え方が分からない……!
「タモくんタモくん」
頭を抱える僕にユーちゃんが声を掛けてきます。その口調に含み笑いのようなものを感じ、僕は顔を上げてユーちゃんを見ました。
「さっきの、冗談だからね?」
「え、ホントにっ?」
よ、よかったぁ……。僕は安心して胸を撫で下ろします。そーだよね。僕がそんなことを言うはず……。
「半分だけど」
「……半分? え、なにが半分なの? どういうところが半分なの!?」
どうやら昔の自分に対して安心するのはまだまだできそうにないようです。
「……あーあ、タモくんに言いたいことがあったからこうして二人っきりになれるところまで来たのに、当分先になりそうだなぁ」
僕をちらりと見て溜め息をします。
「まさか完璧に昔のこと覚えてないとは思わなかったなぁ……」
また僕をちらりと見て溜め息を繰り返しました。
「そ、そんなこと言われても……」
あきらかに昔のことを一切覚えてない僕に落胆している様子です。
で、でも仕方ないじゃないですか!
僕だってできることなら思い出してあげたい! でも、できないんです!
だって、
だって僕は……!
昔の記憶が“ない”のですから。
……だから思い出そうにも、ない記憶を思い出すことなんてできないのです。
なにかの理由で幼稚園の頃の記憶だけがなくなったらしいのですが、詳しいことはよくわかりません。
ただ、父さん曰く、
『この、ドスケベ』
意味が分かりません。他にも『女たらし』とも言われましたが、まったくの意味不明です。いったいなにが言いたかったのでしょうか。
昔を知る桐花に聞いても『殺すわ』となぜか殺人宣言をされてしまうので詳しく聞くことはできません。
「え、えぇーと……い、言いたいことってなんでしょうか?」
思い出すことができない申し訳なさもあり、少し物腰低く尋ねます。なにを言われても仕方ないような僕なので、批判だとしても甘んじて受けます。
「……ううん、いいの」
しかし、ユーちゃんは目を瞑って首を振ると、僕の目を真っ直ぐに見ました。
「……まだ、私のこの気持ちを伝えるには早いみたいだから、もうちょっと一緒の時間を過ごしてから言うことにするね」
なにかふっきれたような笑みを浮かべてそう言います。もしかしたら、それを言おうか迷っていたから最初うつ向いて黙っていたのかも知れませんね。
「だから、そのときまで待っててねタモくん」
なにを言うのか分かりませんが、別に待つことぐらい全然構いません。
「うん、わかったよ」
と、僕が頷いたと同時にコンコンと扉を叩く音がしました。
「降りてくださーい」
振り向くと、係員さんが扉を開けてそう言っているのが見えました。どうやらもう一周したようです。
「……降りよっか?」
ユーちゃんが席を立ち、自然な動作で僕に手を差し延べてきます。
「うん」
僕はその手を握って立ち上がると、次の客と入れ替わるように一緒に観覧車から降りました。
……そして。
「タモくん、今日はありがとね。久し振りにとっても楽しい一日を過ごせたよ」
ユーちゃんの自家用ジェット機の前。観覧車から降りたあと、僕達は意見が一致して帰ることにし、こうして戻ってきたわけです。
「ううん、こちらこそありがとね。僕も久し振りに楽しい一日を過ごせたから満足してるよ」
まあ、それ以上に大変なこともありましたが。でも、楽しかったといえる一日でした。
「……………………」
「……………………」
名残惜しい空気が辺りを漂います。語るべき言葉はもう尽き、あとはもう帰るだけです。楽しい時間が早く過ぎるのと同じで、別れの時もすぐに訪れてしまいます。
「……それじゃ、タモくん」
ジェット機の出入り口の前で、ユーちゃんは僕にお辞儀をするとニッコリとした温和な笑みを僕に向けます。
「……また、明日ね」
そう言って手を振るユーちゃんに、僕も満面の笑顔を浮かべて手を振ります。
「うん。また、明日……」
ユーちゃんは扉を開け、中に入ると、最後にもう一度お辞儀をし、手を振りながら扉を閉めました。
そしてゆっくりとジェット機は動き出し、やがて加速すると、徐々に宙へと浮いていき、空の彼方へと飛び去っていきました。
「さて、と……」
小さくなっていく機体を眺めながら、僕はゆっくりと呟きました。
「…………僕はどうやって帰ればいいんだろう」
その場の雰囲気で乗り忘れた間抜けが一人、取り残されてしまいました。
【百合編・終わり】
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