外伝その3 朱雀家訪問・一
「――――存!」
「あいたっ!?」
後頭部に鈍い衝撃。山羅存は前のめりに倒れそうになりながらも、目の前を……鼻先をも霞めて通り過ぎた『死』に、体を硬直させて堪えることができた。
……ここは横断歩道の前。
まだ歩行者信号は赤である。
「殺すつもりかァッ!?」
あともう少しで横断歩道ではなくあの世への一方通行を渡りかけた彼の怒りは尋常ではない。
「……あぁんっ?」
「なななんでもないでしゅ! すみましぇんでひた!!」
でも彼女のメンチの切り方ほうがよっぽど尋常ではない。彼は恐怖で舌を噛みながらも土下座をして謝った。
「……朝っぱらからなにをしている」
土下座をしている山羅存の頭を少女が踏みつけている光景……。まるで女王様と下僕だ。一般人がそんな二人を奇異の視線を向けながら避けていく中、無愛想な少年が歩み寄っていく。
「ん? ああ朱雀か」
「す、朱雀……!」
少女は気にもせず山羅存の頭を踏むをやめず、山羅存は助けを求めるべく潤んだ瞳を向けようとして頭が動かないことに気付き、愕然としていた。
「…………ふむ」
朱雀と呼ばれた少年はどうしようかと考えていたが、左腕をちらりと見て少し眉をしかめると、やがて魔法の言葉を呟いた。
「……あと五分で始業のチャイムが鳴るぞ」
「え、マジで!?」
「なにぃ!?」
少女の足の力が驚きで弛んだところで山羅存はガバッと立ち上がった。
「ヤバイ遅刻だ!」
「存! あんたのせいだからねっ!」
「なんでだよ!? そもそも泉水が僕を殺そうとしたからこうなったんだろ!」
「殺そうとしてないわよ! 事故に見せかけて殺そうとしただけよ!」
「どう違うの!?」
「まあ、うまくいけば完全犯罪だな」
「その通り!」
「その通りじゃないよっ!!」
「じゃあどの通り?」
「知らないよ!」
「遅刻するぞお前ら」
……あと一ヶ月で中学も卒業だ。
せめて三学期は無遅刻無欠席でいようと決めていたのに、こんなくだらないことで遅刻なんてイヤすぎる。
そんな想いがあってか、山羅存と泉水桐花は言い争いをしながらも全速力で学校へと向かっていく。
朱雀……俺は少し遅れて一緒に走りながら、そんな二人の後ろ姿を静かに眺めていた。
……………………………
……懐かしい夢だ。
俺は目を閉じたまま微笑した。
まさか過去の出来事を夢に見るとは、なかなか珍しい経験だ。夢というのは脳が記憶を整理しているときに見ると聞くが、ああもはっきりとした夢は明晰夢と同じ類なのだろうか。
確か明晰夢というのは自分で夢であると自覚しながら見ている夢のことだったな。脳内において思考・意識・長期記憶などに関わる前頭葉などが半覚醒状態のときに起こる夢だ。明晰夢の内容は見ている本人がある程度コントロールでき、思い描いたことを実現可能な範囲内で見れるらしいが…………うむ。長々としたが結論。夢だと気付かなかったから別物だろう。
俺は意味もない夢談義を早々に切り上げ、目覚めるために目を開けた。
………………………。
俺は何度か目を瞬かせると、天井を見つめたまま静かに口を開いた。
「なにをしている?」
そこには、どういう原理か、手足を天井に張り付けて微動だにしない少女がいた。
「……スパイダーマン」
無表情な顔をこちらに向けてそう一言。
「……つまり、お前はクモ“男”なのか?」
「………………、……(ふるふる)」
少女は少し考えるように黙り込むと、やがて首を振り、ぽつりとまた一言。
「……スパイダーレディ」
「……なんとなく悪役のような名前だな」
「……スパイダーウーマン」
「……近付いたような、遠くなったような」
そういえば昨日、こいつ映画を熱心に見ていたな。それの影響か。
「降りてこい」
「…………(こくり)」
「……俺に落ちてこようとするなよ?」
視線を俺に向けたまま頷いたので先に念を押しておく。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
しかし、無言のまま微動だにしない。
「……まさか落ちてくるつもりだったのか?」
「…………………」
無言。図星か。
俺はハァと溜め息を吐くと、ゆっくりと体を起こし、天井を見上げて両腕を広げた。
「受け止めてやる」
言い終えるや否や、少女は重力に身を任せ落ちてきた。俺はそれを優しく抱き止める。シャンプーの甘い匂いが鼻孔をくすぐった。
「……………」
「……………」
「……離れてくれないか?」
「……………」
今度は俺に張り付いて微動だにしない。
さて、どうしたものかと癖で少女の頭を撫でながら思案していると、扉の開く音が聞こえた。
「朝ですよー、起きてくだ……」
エセ外人が入ってきやがった。半開きの扉から顔を覗かせ、ぴたりと固まった。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
……朝、布団の上で二人の男女が抱き合ってる(ように見える)光景。……なぜこう勘違いされるような状況に限っていつもいつも誤解を広げる要因が来るんだろうな。
俺がうんざりしていると、エセ外人は不自然なほどゆっくり大きく息を吸い込むと、
「夜這……!」
俺は一瞬でエセ外人の側に近寄ると、怒声に近いその声を塞いだ。
「誤解だ」
わかったな? という意味合いを込めて告げる。エセ外人がニコリとして頷いたので、手を離した。
「分かりました。夜這いではなく強姦ですね?」
「……どこからそんな言葉を覚えてくるんだ」
もう呆れるしかない。
と、そこで俺はハッとして壁に貼ってあるカレンダーに目を向けた。……忘れていた。
「……曉、リュン、すまないがみんなを居間に集めてはくれないか?」
昨日はとにかく眠かったからな……と自らに言い訳しつつ二人に頼む。
「報酬は?」
「曉、頼めるか?」
がめついエセ外人にはデコピンという報酬を与え、いまだ抱きついて離れていない暁のを優しく撫でながら尋ねる。
「…………(こくり)」
曉はゆっくりと頷いた。
……………………………
円卓の机の回りに俺を含め六人の男女が座っている。と言っても、男は俺一人しかいないが。
「で、なんの用なの?」
机に突っ伏している少女が自慢の馬の尻尾を指でいじくりながら俺を見てきた。
「……いきなりですまないのだが、今日、俺の親友が家に来る」
「……え?」
馬の尻尾をいじくるのをやめて少女は目を丸くした。
「あんたって友達いたんだっ?」
「……友達いないと思っていたのか?」
失礼な奴だ。俺はムスッとした表情を浮かべた。
「そうですよ美姫さん」
美姫の隣に座っている長髪の少女がクスクス笑う。
「この人にだって一人か二人ぐらいは友達いますよ」
「……それは暗に一人か二人しかいないと言っているのか?」
俺は憮然とした表情を浮かべる。……まあ、当たっているわけだが。
「親友……ということは、戦神さんのことですか?」
「なにを言っている。人様と害虫を一緒にするな」
「何気にひどいわね……」
長髪の少女の言葉に俺は当然とばかりに返し、そんな俺に美姫が呆れた。
「……それで、お前達に一つ注意しておこうと思ってこうして集まってもらったわけだ」
俺は皆の顔を見ながら続ける。
「俺の親友がいる間は俺のことを『朱雀』と呼んでほしい」
「なんで?」
当然の疑問に真っ先に美姫が突いてきた。
「本名を知られたくないからだ」
「……それって親友って言えるの?」
「言えるな」
俺は事も無げに言う。
「……この名は特別だからな」
そんな俺を美姫はつまらなさそうに見てきた。俺はゴホンと咳をして続ける。
「……さて、もし朱雀ではなく本名を呼んでしまった場合に行使される罰を発表しよう。それは…………【この一ヶ月の間、美姫が食事当番になる】だ」
その俺の言葉に、
「それは私達に死ねと、仰るのですか?」
「撫子……?」
長髪の女性……撫子の真剣の物言いに美姫が口元をひくつかせた。激怒まであと五秒ってところだな。
「言い得て妙ですね」
「…………(こくり)」
俺の右隣に座る銀髪の少女も真剣にそう呟き、左隣にいる曉もこれまた真剣に頷いた。
「リュンに曉まで……」
……ふむ。怒りとやらは限界を越えると呆然に変わるようだ。新たな発見だ。
「……………」
「……え、あ……」
そんな美姫の視線が向けられた先に、まだ幼い少女がびくりと体を震わせていた。
「結羽ちゃん……?」
美姫がぞくりとするような響きで幼き少女に詰め寄る。
「脅すな」
ぱかんと美姫の頭をはたいた。
「っ! ……な、なにすんのよ!」
「お前こそ結羽を脅そうとするな」
「してないわよ!」
「自覚がないほど厄介なのはないぞ」
「だからしてないって――」
「あの……」
美姫が怒りを爆発させる前にリュンがおずおずと手を上げた。
「なんだ?」
俺が聞くと、リュンは真剣な眼差しで俺を見てくると、
「その親友とは、男ですか、……女、ですか?」
……気のせいだろうか。この場の雰囲気が少し鋭くなったような感じがした。
周りを見ると、皆真剣な顔で俺を直視している。
俺は少し気圧されながらも、正直に答えた。
「女……」
……いや、俺は、女、で区切ったわけではない。後の続く言葉までにちょっとした変化が少女達に起きたのでそれを説明する。
この一瞬の間に、美姫と撫子は目を見開き、リュンはぴくっと体を痙攣させ、曉は宙に浮き(ツッコミはなしだ)、結羽は溜め息を吐こうとしていた。
……言葉を続けるぞ。
「……もいるが、俺の親友なのは男の方だ。山羅存と言う」
途端に、鋭くなっていた雰囲気が和らいだ。ほっと息を吐く者、やれやれと首を振る者もいる。
「山羅存かぁ……」
元の雰囲気に戻ってすぐに美姫が口を開いた。
「なんとなく不幸そうな姓名だね」
「……それを本人に言ってやるなよ。頼むから」
俺はやがて来る親友に同情を禁じ得ない。
「もう一人の女性の方は誰なのです?」
撫子の疑問に俺は言うべき言葉が中々見付からなかったので、
「……存の、……いや、存と、付き合っている……とありたいと願ってる……女かな」
適当に言うことにした。
「はあ……」
よくわからないという表情をしている。当然だ。俺もよくわからない。
「…………それでは、最後に」
もうそろそろ来る頃でもあるので、俺はこの場にいる皆に向かって、最後にお願いをする。
「……この前の能無しみたいに“半殺し”にするようなことは絶対にしないでくれよ」
……存よ。
俺は皆の元気のよい返事に一抹の不安を感じながらも、心の中で先に謝罪しておく。
…………すまん。
何に対してなのかは、……いろいろありすぎて俺にもよくわからないが。
(つづく) |