第10話 親友
「そ、それで、日登美のお父さんは、僕になんの……?」
皆の姿が見えなくなってから僕は改めて日登美のお父さんに尋ねました。
「ハハハ……固くならなくていいよ。それから、私のことは傑でいいよ。私も君のことを存くんと呼ばせてもらうから」
そして声を潜めて耳打ちをするように僕に尋ねてきました。
「…………日登美はどうだい?」
「ひ、日登美サンですかっ? そ、それはもう大変な……じゃなくて、大変お綺麗な娘さんで……」
「いやいやいや。別に隠さなくていいよ。……私も昔は君と同じだったからね」
傑さんはなぜか遠い目をしました。
「同じ……ですか?」
「ああ。私が妻と出会ったのは……私が高校生になった初日だった。私の靴箱に手紙が入っていて、なんだろうと思い、それを開けると……」
傑さんは身震いしました。
「私の身長や体重、趣味や家族構成に交友関係……果ては私でも気付かなかったクセや動向を詳細に書かれていた」
「そ、それは……」
実際されたらと思うと、……僕なら卒倒してしまいそうです。
「私は思わずその手紙を破り捨てた。その直後だったよ。肩を叩かれたのは」
「……その肩を叩いた人が?」
「うん、聖美だ。その字の通り、聖なる美しさを秘めた女性だったからね。振り向いた瞬間に見惚れてしまったよ」
僅かに笑みを浮かべています。……しかしなぜでしょう。目元が光って見えるのは。
「彼女はメモ帳のような小さいノートに字を書いて私に見せてきた。最初の一文を見て私は冷水を浴びたような気分にさせられたよ。そこには[私の手紙、読んでもらえましたか?]と書かれていた」
つまり、さっきの手紙の差出人はこの人? そう思った傑さんはなぜこんなことを知っているのかを聞いたそうです。
[私はあなたのことならなんでも知っています]
笑顔でその文字を見せられたそうです。……うん。確実に日登美のお母さんですね。こんな人から生まれたのだからああなるのも仕方ない。
「私は恐怖で逃げ出したよ。……そしたら、同じ学校の生徒が一人、また一人と私に向かって走ってくるんだ。みんなが『ミツケタゾ!』と洗脳させられたような無機質な表情で追い掛けてくるんだ……!」
いつしか傑さんの口調は荒くなり、その目元から涙が溢れ出ていました。僕ももらい泣きです。
「しかもすぐには捕まえようとせず、なぜか私が着衣しているものを一つだけ取って逃がしてくれるんだ。制服、ズボン、シャツ、靴、靴下……パンツ一枚で私は外を逃げ回った。いや、そうするように仕組まれたのか。……逃げ回ってる間、私の姿はまるで変質者に見られただろう。もう外に出れないなと深く絶望し、泣いたところで……とうとう追い詰められた」
壁際に追い詰められる傑さん。そのとき多くの人の中から聖美さんが一歩前に進み出て、メモ帳を見せてきたのです。
[変質者として捕まるか。私と付き合うか、どちらがいいですか?]
ほとんど……いや、完璧脅迫です。
「私はそこで悟ったよ。全ては仕組まれたことだということに」
傑さんの答えは早かったです。
「あなたと付き合わせてください。……その一言で私の未来は決まったよ」
そしてその日の夜に…………いわゆる子作りに励んだそうです。お、お早いですね。
「……………………」
逃げることを諦めた傑さん。……それは、もしかしたら未来の僕の姿でもあるのかも知れません。
「なあ存くん……」
傑さんが僕の顔を真摯に見てきました。
「日登美も強引に迫ってきているだろうが、あの子は私の自慢の娘だ。可愛いし、性格は……まあ、良い。そんな子が君に好意を持っているんだ。付き合いたいとは思わないのかね?」
「……それは……」
僕は言い淀みます。
確かに彼女は僕にはもったいないぐらいに可愛い人です。好意も嬉しいです。付き合ってもいいかなとも思います。でも反面、僕なんかでいいのかと思ってしまうのです。
「すぐに答えは出さなくていい。ゆっくりゆっくり考えて出した答えをいつか聞かせてくれたら、それでいい」
そこで笑顔になります。
「これからも娘をよろしく頼むよ」
「…………はい」
僕はいつか答えを出さないといけません。それを僕はゆっくり探していこうと思います。その思いを込めて頷きました。
「それじゃあ、私達も広間に向かおうか」
「はい」
僕達は歩き始めました。……あ、と僕は立ち止まります。
「そういえば傑さん、聞きたいことがあるのですが」
「なんだい?」
「あなたが僕が八時までに来なかったら家を爆破すると言ったそうなんですが、違いますよね?」
こんな穏やかで良い人が物騒なことを言うはずがありません。そんな願いを込めて尋ねました。
「うん。言ったよ」
「えぇ!?」
「だって……」
ぼそりと、暗い笑みを称えて言いました。
「……私も昔は不幸だったんだ。君は私以上に不幸になってもらわないと」
「…………え? ……な、なんですかその個人的な理由はっ! やめてくださいよっ!」
やっぱり親子だ。僕は痛切に思いました。
……………………………
〔朱雀視点〕
存と親父さんの姿が見えなくなるまで歩くと、やはりと言うべきか、話しかけてきた。
「私もあなたに話があります」
ご立腹のようだ。
俺は肩をすくめて広間の扉を開ける。中に入ってから、如月と奥方を奥の部屋に行くよう促した。
しばらくして俺から口を開いた。
「改めて挨拶しようか。久しぶりだな、主君よ」
この前まで遣えていた相手に不遜な態度だが、別にそれを気にするような相手ではない。
「先に一つ聞こう。俺はお前と存が付き合ってると聞いて来たのだが、違うようだな」
「付き合っています」
いやに力を込めるので、俺は溜め息を吐く。
「……どうやら強引に迫っているようだな。その様子だと、俺が与えた情報を持ち出して脅迫でもしたか」
らしいと言えばらしいが、あいつは迫れば迫るほど逃げるタイプだからな。逆効果でしかない。
「それでは私からも聞きたいことが……」
俺は手で制すと、代わりに口を開いた。
「泉水桐花のことか」
こいつの聞きたいことの心当たりはそれぐらいしかない。どうやら図星らしく、黙って俺の言葉を待っている。
「さあな。俺が命じられたのは山羅存についてのことだけのはずだ」
……つまり、そう言うことだ。
「その通りです。『山羅存に関すること全ての情報を私に教えるよう命令した』はずです」
俺は主君……つまり諏訪日登美の命令で山羅存の近くにいたのだ。情報を集めやすい場所に。
まあ、それは存が高校生になったと同時に終わり、今では用済みだが。
「ふん。まったく無茶な命令だったな。当時十三歳だった俺を小学二年生に転入させるとは」
あのときほど主君を恨んだ日はなかった。そして容認した親父さんに奥方も。おかげで嫌な思いをした。
「そんなことどうでもいいです」
「……この野郎」
「女ですけどね。それでは聞かせてもらいましょうか。なぜ泉水さんのことを伏せていたのか」
「別に」
腕を組み壁にもたれかかると、淡々と答えた。
「なんの他意もない。ただ、俺が応援している相手がお前ではないだけさ」
「……他意じゃないですか」
「お前に対してではない。少なくとも、俺はお前に感謝しているからな」
その言葉が余程意外なのか、キョトンとして俺を見てきた。俺は一つ咳をして続ける。
「理由の一つとして、あいつを変えたことだ。たとえば、お前を日登美と呼び捨てていることもそうだ。あいつは泉水とは小さい頃からの幼馴染みであるのに、一度も名を呼び捨てたことがない。頑に名を呼ぶことをしなかったあいつが呼び捨てたんだ。正直、今日会ったとき少し驚いた」
同様に、泉水が少し哀れに感じたが。
「……そう呼ぶよう強要したかも知れんが、…理由はどうあれ、お前が変えたのは事実だ。確かに些細なことではあるが」
些細な変化はやがて大きな変化に転じることがある。それを良くするも悪くするもこいつ次第なのは釈だがな。
「ま、これからも振り回してやれ。苦労することで人というのは変わりやすいからな」
「……なんとも無責任な発言ですね。友達ですのに」
それを聞き、
「友達……だと?」
俺は鼻で笑った。
「俺はあいつを友達だと思っていない」
……………………………
…………そっか。
僕は呆然として扉の前で立ち尽くします。
傑さんとの話が終わり、早く広間に行こうと着いた途端、僕は聞いてしまったのです。
『さあな。俺が命じられたのは山羅存についてのことだけのはずだ』
『その通りです。山羅存に関すること全ての情報を私に教えるよう命令したはずです』
どういうこと? 僕は思わず聞耳を立ててしまいました。
そして知ってしまいました。朱雀が日登美の命令で僕の近くにきたことに。そのことにショックを受けて、以後の会話がほとんど耳に入りませんでしたが、……次の朱雀の言葉が、はっきりと僕の耳に入ってきました。
『俺はあいつを友達だと思っていない』
「……………!」
その言葉に僕はこの場から走り去ろうとしました。
しかしグッと腕を掴まれる感触に立ち止まります。振り返ると、傑さんが苦笑した表情を浮かべていました。
「……もう少し、聞いていなさい」
立ち聞きはよくないけどね、と穏やかに言っていましたが、僕は逃げ出したくて仕方がなかったです。……涙が、溢れ落ちそうでした。
そうこうしているうちに、また朱雀の声が聞こえてきました。
『なぜなら俺は、あいつを友人だと思っているからだ』
え? 友人……。それは朱雀が僕に対していつも使ってる言葉でした。
『友人? 別に友達でもいいのではないですか?』
『どうも俺は友達というのは複数の人を表しているとしか考えられなくてな。俺が存に……たった一人に対して使うとしたら友人しか思い付かないんだよ』
『それなら……』
『そうだな。お前が考えている通りの言葉を使いたいが……その言葉は、互いが認め合って初めて意味を持つ。だから使えない。ま、もちろん俺はそう思っているけどな……』
扉越しでもはっきり聞こえる声で、朱雀は断言しました。
『親友、だと』
……僕も、そう思っているよ。
僕の目から涙が溢れ落ちます。それは悲しみからではなく、嬉しさからです。
『歳は離れているが、相手を友だと思うことにそれは関係ない。対等だ。……そう思わせてくれる相手と出会わせてくれたことにも、俺はお前に感謝している』
……だとしたら、僕も感謝しないと。僕と朱雀を会わせてくれた日登美に。次からはもう少し優しく接しようと思いました。
『……そうですか』
息を吐く音が聞こえました。
『許したわけではありませんが、あなたに感謝されるという不可思議な現象を見られたのでここまでにしておきます』
……まるで珍しい動物を見たような反応です。
『でも、メイド服を着てそんな真面目な話をされてもギャグにしか聞こえないですね』
『……ふん』
それきり、会話はなくなりました。
「…………良かったじゃないか存くん」
優しく肩を叩かれます。見ると、傑さんが穏やかな表情を浮かべていました。
「……良い『親友』がいて」
傑さんの言葉に、僕は大きく頷きました。
「はい…………っ」
でも僕は、少し訂正したいところがありました。
僕は溢れ続ける涙を拭おうともせず、広間の扉に近付きます。
そして何度も深呼吸をしました。
立ち聞きしたことをバレてしまいますが、勢い良く扉を開けて中に入り、僕は朱雀に言ってやろうと思います。
――――君は僕の『大』親友だよ、と。
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