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フェアリーテイル・クロニクル ~空気読まない異世界ライフ~ 作者:埴輪星人

後日談 春菜ちゃん、がんばる?

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第34話

「今日はまた、ええ天気やなあ」

「ん。今日は多分、水泳の授業がある……」

 澪が水着の件で相談してから一週間後。早朝の畑。

 プール開き以降、雨や水温で延期が続いていた澪の初めての水泳の授業について、スイカの収穫をしながら宏と澪がテンション低く語り合っていた。

「ボク、ずっと春姉の胸を羨ましいと思ってたけど、今回ばかりは心底幼児体型のまま胸が大きくならなきゃよかったのにって……」

「学校指定の水着っちゅう奴は、もっさいデザインの割になんでか妙にぴっちりしとるからなあ……」

 贈答用にもできそうな大玉で身が詰まったスイカをせっせと台車の籠に積みながら、なんとなく遠い目をして語り合う宏と澪。

 基本小柄で細身な澪は、ジャージなしの体操服や水着のような薄着でなければ、よく言えば着やせして見える、悪く言うなら幼児体型にしか見えない体型をしている。

 さすがに体育の授業が何回かあったので、クラスメイト達も澪が制服の時の印象よりはるかに大人っぽい体つきをしていることぐらいは知っている。が、女子はともかく男子は、澪がいい加減比率やカップサイズだけで言えば巨乳カテゴリーの端っこぐらいには分類される、というところまで育ってしまっている事を知らない。

 というのも、澪が最後に参加した体育の授業はジャージ着用の時期で、しかも男女別でバスケットボールの基礎トレだったために、ほとんどの生徒がジャージを着たままで授業を受けていたのだ。

 その後は雨で保健の授業に振替になったり、先週のように女性特有の体調不良で見学、どころか保健室直行だったりで、まともに体育をしていない。

 なので、比率や曲線だけはやたら大人びて色気づいたそのボディラインを、誰が見てもそうと分かる形で男子の目にさらすのは、今日が初めてなのである。

 さらに追い打ちをかけるように、カップサイズが完全にCからDに上がったのは先々週、つまりプール開き直後という妙な間の悪さも見せている。

「そうでなくてもエロリ扱いなのに、あの水着着ると異常にいかがわしくなるのが悩ましい」

「澪の場合、体型もさることながら、普段の雰囲気がなあ……」

「あそこまでぴっちりさせるんだったら、せめてもっと胸とか潰す勢いでぴっちりさせてほしい……」

「普通の競泳水着は、そういう構造らしいんだけどね」

 スイカを小屋に運びながらぼやいていた澪に対して、トマトの収穫を終えた春菜が苦笑しながらそんな補足をしてくる。

「そうなの?」

「うん。私も詳しくは知らないんだけど、競泳の場合、固定どころか体の表面にある一定以上の大きさの柔らかい凹凸は全部押しつぶすぐらいの勢いで締め付けておかないと、水圧でひどい目にあって競技どころじゃないんだって」

「それでうちの学校の水泳部、水着のデザインとか構造が違う?」

「多分そうだと思う。まあ、締め付けるって言っても、サラシで胸潰すとかその程度の範囲で、間違っても大昔の骨格入りコルセットみたいに肋骨とかへし折りかねない勢いで締め付けるような真似はしてないらしいけど」

 段ボール箱何十箱という単位のトマトやスイカ、キュウリなどを小屋に詰め込みながら、学校指定の水着や競泳水着の裏事情について話す春菜と澪。

 余談ながら、この地球の日本の場合、潮見市に限らず全国の小中学校の学校指定水着は、基本的に乳房や男性のシンボルなどを邪魔にならない程度に固定するだけ、というレベルで体を締め付ける仕様になっている。

 間違っても、競泳水着のように可能な限り押しつぶすような構造にはなっていない。

「じゃあ、なんで学校の指定水着はそうなってないの?」

「発育に悪影響が出そうな要素は排除してる、とかそんなところなんじゃないかな? あんまりきつく締めあげるのって、どう考えても体に良くないし」

「まあ、水着なんぞ極論、飛び込みとかで脱げへんようになっとったら問題あらへんからなあ」

「そうだね」

「でも師匠、アルチェムだったらどんな構造でも、飛び込みの時にあっさりポロリしそうな気がする」

「あれは神様でも巻き込まれるレベルやから、どないにもならんで」

 澪の突っ込みに、宏が遠い目をしながら答える。

 アルチェムのエロトラブル誘発体質は、春菜の因果律かく乱体質同様、神々でもどうにもならない種類のものである。いろいろな権能をフルに使いこなして封印をかけても、どういう訳か不可能を可能にしてしまうのだ。

 大正時代などの全身タイツかと突っ込みたくなるような水着でも、アルチェムなら平気で確実にポロリを起こすのである。もはや、呪いという表現すら生温い。

「とりあえず、アルチェムさんは絶対ワンピースでないとだめだよね……」

「ビキニとかだと、絶対上が流される」

「下手したら、いつの間にか全部脱げてるってケースもあるかも……」

「そもそも、アルチェムをプールとか海水浴に連れて行こう、っちゅうんが無謀とちゃうか?」

「「ああ……」」

 宏の厳しい指摘に、検討している部分がどうずれているかを理解する春菜と澪。普通に考えれば宏の言う通りなのだが、なぜかアルチェムに水着を着せる方向で話が進んでいたのだ。

「でもね、師匠。ボク一度、アルチェムの水着姿は見てみたい。エロ的な意味と好奇心的な意味と両方で」

「ああ、うん。私もちょっと見てみたいかも」

「アルチェムの場合、分かりやすいエロ水着の方が逆にエロくない可能性が」

「ああ、ありそうやな……」

 澪に言われ、なんとなく納得してしまう宏。アルチェムの場合、清楚な外見なのにやたら肉感的で男好きする体型で、ちゃんとした服を着ているのにトラブルで破れたり脱げたりでポロリするからこそ、無駄にエロくなっている部分がある。

 本人の割とかなりポンコツな性格も踏まえると、最初からエロ全開の水着の方が、むしろトラブルも起こらなければ妙なエロさも発散されないかもしれない。

「まあ、アルチェムさんに関してはいいとして、そろそろ今日の収穫は終われそうだけど、澪ちゃんは覚悟は決まった?」

「……ん。もうあきらめて、アウトなレベルのエロリになってくる」

 春菜に問われ、淡々とうなずく澪。一応見学という選択肢もなくはないのだが、体育の出席日数がどうなのかとかそういったもろもろが少々怖いのと、結局病人扱いを拒否するなら避けては通れない事なのとで、渋々ながら覚悟を決めたのだ。

 正直、身長があと十センチ、否、せめて五センチ高ければ、手を出せば犯罪扱いされるレベルのアウトな外見にはならない筈なのに、と思うと切ない。

 今の澪は、本当に切実に身長が欲しかった。

「……師匠、ボクの身長、どうにかならないかな……」

「残念ながら、こっちで神様関係に引っかからんように身長に手ぇ入れよう思ったら、今から研究始めても今年の水泳が終わるまでには多分間に合わんで」

「むう……」

「それに、今はオシロスコープとかユニバーサルカウンターと毎日にらめっこやからなあ。どう頑張ってもそっちまでは手ぇ回らんわ」

「……残念」

 宏に無理だと言い切られ、しょんぼりしながら農具を片付けていく澪。宏の忙しさは割と常軌を逸した状態になりつつあるので、澪もわがままを通しにくい。

「それにしても、師匠。ユニバーサルカウンターって、なんかカウンター系の必殺技みたい」

「ああ、せやなあ」

 澪のボケなのか本気の感想なのか分かりづらい台詞に、苦笑しながらうなずく宏。実際にありそうな技ではあるが、どんな技なのかが非常に想像しづらい。

「ほなまあ、今日の取り分は全部積んだことやし、はよ帰って学校行く支度やな」

「今日も、とれたて野菜でお弁当、だね」

「ボク的には、これ以上突然変異した野菜ができてないことを祈る気分」

「澪、それは洒落ならんから言うたらあかん」

 宏にたしなめられ、何度もうなずく澪。冗談というのは、割とフラグになりやすい。

「じゃあ、先に戻ってる」

「うん。早く着いたら、先にシャワー使っちゃってもいいから」

「ん」

 春菜の言葉を背に、颯爽と自転車に乗って畑を後にする澪。いかに軽トラとはいえ、この後戸締りチェックをしてから畑を出るとなると、距離的に自転車の澪の方が先に藤堂家に到着するのである。

「しかしこう、最近乳の話とか水着の話とか、そういうエロトーク系の話ばっかしとる気ぃすんなあ……」

「澪ちゃんがちょうど第二次性徴が顕著に進んじゃう時期で、相談事とか問題とかもその兼ね合いのものばかりだから、しょうがないよ」

「そのうち、ファムとかライムの関係でもそういう話増えるんやろうなあ……」

「多分、そうなるだろうね」

 性的なネタが増えている昨今の話題に対し、居心地が悪そうに複雑な表情を浮かべる宏。澪が心身ともに大人になってきていることも、居心地の悪さを増幅している。

 これが、せめて澪が普通の体格で、容姿その他から醸し出される雰囲気が普通の年頃の少女のものであればまだましなのだが、残念ながら現在の澪はいろんな意味で普通の範囲から外れている。

 本人の責任ではないが、基本的に清楚で神秘的なくせに、ピンポイントで無駄に発育がよくて妙にエロティックで背徳的な、そのくせそういうタイプにありがちな下品さがない印象の小学生、という存在が身近にいるのは、宏的には非常に精神的な負担が大きい。

「まあ、それはそれとして。そういえば宏君、今日提出のレポートが結構あるんだけど、全部終わってる?」

「一応な。ほとんど片手間っちゅう感じになってもうてるから、合格とれるかどうか不安やけどな」

 大学生活において、切っても切り離せない強敵ともと言える提出物について話しながら、軽トラに乗り込む宏と春菜。試験に関しては、大学一年の前期なんぞ問題にもならないので完全スルーである。

 夏休みは、もうすぐそこまで近づいていた。







「……」

「……」

 その日の放課後のホームルーム。

 潮見二中の二年四組には、非常に微妙な空気が漂っていた。

「以上で、今日の連絡事項は終わり。言わなくても分かってると思うけど、来週の水曜日から期末テストだから、ちゃんと身を入れて勉強しておくように」

 四組担任の池上京香教諭(二十八歳独身女性、担当は保健体育)が、まだ髪の毛が湿っている澪にできるだけ視線を向けぬよう意識しつつ、可能な限り淡々と連絡事項を告げてそそくさと退室する。

 それを無言で見送り、連絡事項をメモしてから、ギクシャクと帰宅準備を始める生徒一同。

 よく見ると全員の顔が赤く、男子生徒が全体的に微妙に前かがみになっている。直前にあった水泳の授業が、いまだに尾を引いているようだ。

 さらにそれを増幅するかのように、澪が普段通りの無表情のまま恥ずかしそうに顔を赤く染めている。濡れ髪との相乗効果もあり、それがまたクラスメイトの罪悪感をそそりつつも、先ほどの水泳の時間に披露された澪の、ある種生々しいエロスを感じさせる水着姿をフラッシュバックさせてしまう。

 胸が大きいとか、誰が見てもエロい体つきをしているとか、そういう意味では澪より圧倒的に上の女子がこのクラスには二人もいる。が、そんな彼女たちをもってしても、脱いだらすごい系の意外性と水着のデザインによる印象の変化と普段の雰囲気とイメージとのギャップ、という特殊な合わせ技には惨敗だったようだ。

「……」

「……」

 このままではいけない、何かフォローせねば。無言のままそう意思統一されている澪以外のクラスメイトだが、意識すればするほどドツボにはまって身動きが取れなくなり、妙な緊張感と変にピンクな雰囲気が高まっていく。

「あ、あの、水橋さん!!」

 この緊張感に耐えられなくなったらしい。微妙に前かがみになっていた男子生徒の一人が、色々割り切って覚悟を決めて立ち上がって澪に声をかけ、右手と右足が同時に出る歩き方で近くまで歩み寄る。

「……?」

「えっと、あの……」

 無表情のまま無言で首をかしげる澪に、一瞬言葉に詰まる男子生徒。明らかにパニックを起こして硬直しかかっている彼を、クラスメイト全員が心の中で必死に応援する。

 その応援が通じたのか、それともテンパりすぎて訳が分からなくなったのか、硬直しかかっていた男子生徒が突然大声で叫びだした。

「水橋さん、ずっと前から好きでした! 付き合ってください!!」

「……えっ?」

「……いや、そうじゃないだろ俺! このクラスになる前から好きだったけど、まともに接点もなかったのに今日このタイミングで告白なんて、どう考えてもエロ目的にしか見えないだろうが! 何やってんだ俺!!」

 盛大に自爆して頭を抱え、混乱している心の中をノータイムでぶちまけながらのたうち回る男子生徒。その様子を見ているうちに、クラス中の緊張感が解けていく。

 深雪の気配を察知し、早く到着してくれと必死に祈っていた澪は、予想外に過ぎる男子生徒の言動に、完全に頭が真っ白になっていた。

「えっと、沢渡君……。多分告白が本命じゃなかったんだろうと思うんだけど、澪ちゃんに何か御用?」

「あ、えっと、プールの時間、エロい目で見ちゃってごめんなさいって、謝ろうって思ってたんだけど……」

「それ、池上先生ですらそうだったからしょうがないんじゃない? ねえ、澪ちゃん?」

「ん。我ながら、あんな終わってるレベルでエロくなって、超へこんでる……」

 隣の凛のフォローに、深々と頷く澪。同性の教師すらエロさで硬直させた自身の水着姿に、そうは見えないながら心の底からへこんでる。男子生徒こと沢渡の自爆のおかげで一気にマシになったが、先ほどまで四方八方から胸の先端あたりに視線が集中していて、とにかく恥ずかしくていたたまれなかったのだ。

 自分ごときでこれなのだから、春菜やクラスメイト女子の日笠さん(Gカップ・同学年一の巨乳)は日頃もっとすごい視線にさらされているのだろう、などといろいろ察するところが出てしまった澪。

 結果、今日の一件で、春菜の胸に嫉妬してさんざん余計な事を言ったことを心底反省していたりする。

 もっとも、今日に限っては、その日笠さんの胸から視線をもぎ取っている事には気がついていないあたり、一般的に貧相だと言われる体型だった時期が長かった澪はその辺が結構鈍感なようではあるが。

「それはそれとして、折角告白してもらったのに申し訳ないけど、ボク、好きな人いるから……」

「えっと、知ってるっていうか、そもそも告白するつもりなかったというか……」

 本人たちにそのつもりはないが、何かのついでのように愛の告白に対する処理を終わらせた澪と男子生徒こと沢渡に、それでいいのかという雰囲気が漂う。

「告白するつもりなかったのに、なんで?」

「いや、勢い余ってというか、いろいろテンパって気がついたら口走ってた感じ。はっきり言って、今までまともな接点もなかったのにこれでOKもらえたら、奇跡を通り越してからかわれてるんじゃないかって疑うなあ、多分……」

「よく知らない相手をからかえるほど、澪ちゃんの人見知りは軽くないから安心して」

「あの、大友さん。それ、違う意味で安心できない気がしないか?」

 とりあえず、明日以降のクラスの空気を少しでも軽くすべく、沢渡を半ば生贄にする感じで話題を振る凛。その意図を察し、どうせすでに道化だと腹をくくって、いじられるつもりで正直に答える沢渡。

 誰も悪くないのに沢渡を生贄にせねばならないことに、なんとなく申し訳ないものを感じてしまう澪。

 もっとも、幸か不幸か澪の表情筋は割と重度の人見知りに負けて、こんな時でも仕事を放棄している。なので、総一郎と凛以外は、誰も澪が申し訳なさそうにしていることに気がついていない。

「まあ、とりあえず、沢渡君の今回のあれこれに関して、あんまりからかったり馬鹿にしたりしないようにしてね。生贄にしたあたしが言うのもなんだけど、傷口に塩刷り込むような真似するのはちょっと趣味が悪いと思うし」

「そうそう。振った澪ちゃんの精神的負担や、そのつもりはなかったと言っても空気変えるために頑張った沢渡君の事も考えて、明日からはいつも通りにしたげてね」

「って、藤堂先輩? いつの間に……」

「池上先生にSOSもらってね。先週澪ちゃんの水着姿見てたし、多分こうなってるだろうって予想ついてたから急いできたんだけど、丁度沢渡君が大声で告白しちゃったタイミングで到着して、ね。さすがに割り込める感じじゃなかったから静観してたんだ」

 凛の質問に対する深雪の説明に、なんとなく納得した空気が流れる二年四組。どちらにせよ、いろいろ救われた感じではある。

「とりあえず、沢渡君。野次馬した挙句に傍観したみたいな悪趣味なことしちゃって、ごめんね」

「いやもう、流れ的にしょうがないっす。タイミング悪かったとしか言いようがないっつうか、多分俺だっておんなじ状況になったら野次馬っぽい感じで傍観してます」

 このままにしておくとキリがなさそうだと判断し、澪と凛を回収する前に大真面目に沢渡に謝罪する深雪。表情は大まじめだが、あまり大げさにならないようにするため、口調はあえて少々軽めにしている。

 そのあたりの意図を察した沢渡が、これまたあえて軽く応じて話を終わらせる。

「じゃあ、澪ちゃんに凛ちゃん。帰ろっか」

「「はーい」」

 これ以上の長話は無用、とばかりにサクッと澪と凛を回収して離脱する深雪。

「なあ、沢渡。ちょっと相談したいことがあるんだけど、一緒に帰らないか?」

「え? ああ、山手か。そうだなあ。なんとなく相談したいことってのも分かるし、頼んでいいか?」

「ああ。ありがとう」

 その見事な引き際に感心しつつ、今後のために沢渡のフォローに回る総一郎。さっき動くに動けなかった分の埋め合わせだけでなく、かなり儚い可能性ではあっても沢渡の恋が成就するための手伝いをしたい、というのもある。

「とりあえず、沢渡。今後は多分間違いなく俺らと一緒に行動する機会が増えると思うけど、水橋さんと一緒に行動するんだったらかなりいろいろなことに巻き込まれるから、覚悟はいるぞ」

「……今日みたいなのが、そんな頻繁にあるのか?」

「さすがに、今日ほど破壊力があることはそんなに起こらないな」

 早速、今後の事を話し合いながら、教室を出ていく総一郎と沢渡。結局、後日面談を行って話し合った際、澪自身はちゃんと泳げることや、試着の時点であの水着姿が恥ずかしかったことなどを確認。着衣泳以外は出席扱いで見学という方向で学校側と澪が双方積極的な意思をもって合意し、澪の水着問題はどうにかこうにかうやむやのまま終わりを告げるのであった。







「……あれ? 誰か来てる?」

「……この靴と気配。達兄と……、もしかしてエル?」

 夕方六時前の藤堂家。寄り道して未来のもとで軽くアルバイトし、ようやく到着した深雪と澪を待っていたのは、意外な来客と微妙にピリピリした雰囲気であった。

 なお、最近では宏は農作業の絡みもあって藤堂家にいることは珍しくなくなっており、もはや寝泊まりしていないだけという感覚になっているため、既に誰か来ているの内には入らなくなって久しい。

「エル様がこっちに来るって、珍しいね」

「ん。しかも平日の夕方なんて微妙な時間帯。礼儀と常識と良識を備えたエルなら、こんな時間に前触れもなく顔を出すなんてありえない」

「もっと早くに到着してたのかもしれないよ?」

「だとしたら深雪姉、なんでボク達の端末に連絡がない?」

「まあ、そうなんだけどさあ」

 などと言いながら、来客がらみの連絡がなかったかともう一度端末を確認しつつ、靴を脱いで家に入っていく深雪と澪。そのタイミングで、二人の端末にメッセージが入る。

 メッセージの差出人はいつきで、エアリスが緊急事態でこちらに来たという連絡。やはりエアリスが訪れたのはつい先ほどの事で、今ようやく落ち着いて連絡を入れられたらしい。

 当然のことながら、深雪と澪がすでに藤堂家に到着している事には気がついていない模様である。

 藤堂家は広いため、呼び鈴も鳴らさずに家に入ると、誰も帰宅に気がつかないことがあるのだ。

「緊急事態、かあ……」

「ボク、嫌な予感しかしない……」

 エアリスがいろんな段取りをすっ飛ばしていきなり来るぐらいだ。どう考えてもただ事ではない。

 それがはっきり分かるだけに、本気で嫌な予感しかしない。

 が、うだうだやっていても仕方がない。そもそも、宏と春菜が揃っている時点で、恐らく深雪と澪が到着している事ぐらい把握されている。

 なので、とっとと腹をくくって、一つ顔を見合わせて深呼吸し、普段通りの様子を装ってリビングに入っていく。

 リビングには、その当事者であるエアリスと本日定期検診で産婦人科の詩織以外、全員が揃っていた。

「ただいま」

「おかえりなさい。早かったんですね」

「ちょうど、メッセージ貰ったぐらいのタイミングで玄関だったんだ」

「そうなんですか」

「師匠と春姉なら、気がついてたと思ったんだけど」

「こっちもちょっとエルちゃんの話聞いてて頭抱えてたところで、いつきさんに深雪と澪ちゃんが帰ってきてるって言うの、ちょっと遅れちゃったんだ」

 春菜の反応が遅れるような事態。そう聞いて、分かるほど顔を引きつらせてしまう深雪。

 その厄介事を持ってきたエアリスはというと、現在お手洗いで席をはずしている。

「とりあえず、今後のこと考えたら二人とも無関係っちゅう訳にはいかんから、いっぺん座って落ち着き」

「はーい」

「ん」

 まるで家主のような態度で宏に言われ、やれやれという感じでソファーに腰かける深雪と澪。正面には、いろんな意味でげんなりした表情を隠そうともしない達也の姿が。

「そういえば、達兄はなんでこの時間にここにいる?」

「ものすごくたまたま、って感じなんだが、直帰するついでに届け物頼まれて、早上がりさせてもらったんだよ」

「へえ。論文で忙しい義兄さんがこの時間にここにいるのも珍しいけど、達也さんが早上がりっていうのも珍しいね」

「いろんな意味で気を使ってもらった感じでなあ……」

 気を使ってもらった、という言葉に、思わず顔を見合わせる深雪と澪。春菜の方に視線を向けると、まだ詳しい話は聞いていない、とばかりに首を左右に振る。

「ねえ、お姉ちゃん。なんか、状況と事の経緯が全然わかんないんだけど」

「とりあえず、まずはエルちゃんの話を聞いてからだね。私達も、まだ結論しか聞いてないから」

「春姉、その結論ってどういう内容?」

「先週ぐらいにウルスにややこしい感じの子が異世界から飛ばされてきて、人間関係的にすごい問題になってるんだって」

 春菜のザクッとした説明を聞き、何やら察するものがあった澪が、うわあという感じの表情を浮かべる。

 よりにもよって、全員が多忙でウルスに行けなかったタイミング、というのに運命というか悪意のようなものを感じる。

「ねえ、春姉。その人、中高生ぐらいの女の子だよね?」

「うん、そう聞いてる。正確な年齢はエルちゃんたちも教えてもらってないみたいだけどね。だけど、どうして分かった、って、ああ。私がややこしい感じの子、って言っちゃったからか」

「ん。で、その子、逆ハー的な事やってる、とか?」

「まだそこまでは聞いてないけど、婚約者がいる貴族階級の内一人か二人とは、ちょっと厄介な事になってるらしい、っていうのはさっき聞いたよ」

「……向こうの世界で、まさかのリアルテンプレが発生するとは……」

「あたしも、最初エルから話聞いた時、真っ先にそれ思ったわ」

 春菜にあれこれ確認した澪の正直な感想に、真琴も疲れたような笑みを浮かべて同意する。そこに、ちょうどエアリスが戻ってくる。

「お待たせしました」

「ん。こんばんは、エル。なんだか大変そうだけど、大丈夫?」

「こんばんは、ミオ様。正直、大丈夫、とは言いづらい状況です……」

 澪の挨拶に妙に儚さを感じさせる表情で応じ、深々とため息を漏らすエアリス。最近では、よほどのことがない限り笑顔を絶やさないエアリスがこれだ。なかなかに深刻な事態になっているようだ。

「それで、エルが悪役令嬢呼ばわりされてるって、本当?」

「あたし達はそこまで言ってないでしょう。ってか、まだそこまで話進んでないわよ」

 テンプレに忠実な単語を持ち出した澪に対し、真琴がジト目で一応突っ込みを入れる。テンプレ的な流れを鑑みるに、恐らく高確率で言われてはいるだろうが、話がわき道にそれそうなので、真琴的にはあまり余計なことは言わないでほしい所である。

「実際にそう言われてしまいましたが、もしかして、こちらではよくある話なのでしょうか?」

「物語としては、過去に一世を風靡した。現実にはそんな頭悪いこと誰もしないというか、そもそも高貴な人がいじめするとかそれで断罪されるとか、身分制度的な面で起こりようがない」

「ああ、なるほど」

 澪の説明を聞き、思わず納得するエアリス。エアリス自身、新たな知られざる大陸からの客人である彼女の行動が、どうにも芝居じみたというか物語を無理やりなぞっているだけという感じがして仕方がなかったのだ。

「まあ、聞いた限りではリアルでテンプレやっとるアホが湧いた、っちゅう感じでええみたいやねんけど、具体的な状況はどんな感じなん?」

「はい。まず、一番の問題なのは、身分制度や社会的なシステムをいくら説明しても理解してくださらない、というより、そもそも言葉が通じているのに会話が成立していない、としか言いようがない状況が続いている事です」

「本気でテンプレやなあ……」

「次に問題なのは、すべてご自分の都合のいいように解釈した上で、幾人かの年齢が釣り合う婚約者のいる有力貴族と接触を持ち、婚約者の方との間に亀裂を生じさせていること」

「それはさっきの話に出てたよね」

「さらにその問題をややこしくするのが、どういう訳か高位貴族のご子息が相当数、彼女に共感し同調してしまっている事です。その方々は、まるで瘴気に侵されたかのように話が通じなくなっていまして、かなり深刻な感じで城の空気が悪くなっています」

「「「「「「うわあ……」」」」」」

 エアリスの最後の説明に、思わず揃ってうめいてしまう宏達。このパターン、お約束と言えばお約束ではあるが、カタリナの乱を乗り越えた現在の高位貴族が引っ掛かっているというのがきな臭い。

「ねえ、エル。そこに行くまでに、どうしてその娘を国の中枢から排除できなかったのよ?」

「知られざる大陸からの客人を保護する方針から、少々の事では放り出せないという事情もありますが、その方は日本人なので、迂闊なことができなかったのです」

「俺たちに遠慮しちまった、って訳か」

「はい」

 達也の言葉にうなずくエアリス。皮肉にも、宏達が功績をあげすぎた事が、本来なら排除されねばならなかった人間を守ってしまったのである。

「だが、お前さんは一応世界に名前が通った聖女だろう? それを侮辱されて黙ってるってのも、考えづらいんだが……」

「だからこそ、うかつな真似をしないように止めてしまったのです。その結果として、余計に処罰しづらい空気が出来てしまいまして……」

「あ~……」

「正直、余計な口を挟まなければよかったかもと後悔していますが、何も知らないと分かっている人物が、来て数日しかたたぬ時期に口にした言葉で厳しい処分をしようとするのはさすがに受け入れられませんで……」

「そりゃまあ、しょうがねえ。つうか、ある意味じゃそれがお前さんの役割、みたいなところがあるからなあ……」

 エアリスが止めに入った、という事情を聴き、強く出られなかった理由を大体納得する達也。他のメンバーも同じであるようだ。

 いくらなんでも、ほんの少し処分を保留にしただけでここまでおかしなことになるなど、予想するのも難しいだろう。

 そもそも、垂らしこまれた連中が、電波娘の言葉に同調してしまったこと自体が予想外にもほどがあるのだ。

「アルフェミナ様とかは……、まだ無理か」

「はい。それに恐らくは、ですが、そもそも根本的に、今回の事例ではよほどでない限り、アルフェミナ様をはじめとする神々が干渉することはないかと思われます」

「せやな。ファーレーン自体がいきなり周囲巻き込んで滅亡する、とかそのレベルにでもならん限り、よその世界から紛れ込んできたアホが国の中枢かき乱す程度の事で、神様がいちいち干渉してられんわな」

 アルフェミナが動かない理由として、舞台装置としてのルール以外に大体どこの世界でも共通する神々のルールを口にする宏。

 このあたりのルールに関しては、別に明文化されたものでも強制力があるものでもないのだが、守っておいた方が後々面倒がない類の物である。

 なにより、たとえ暗黙の了解の類であっても、必要もないのに踏み倒せばそれを口実にいろいろちょっかいをかけてくる連中がいるのは、人の世も神の世も変わらない。

 なので、アルフェミナも舞台装置としての制約がない事でも、このルールに従ってほとんど手を出すことはしないのだ。

 そもそも世界より上位の存在であるアルフェミナには、本来舞台装置としての制約自体守る必要がない点に関しては、世界の成り立ちにかかわってくることなので突っ込んではいけない。

「とりあえず、エルが緊急事態やっちゅうてわざわざこっちに避難してきたんはまあ、納得できたわ。ただ、うちらに解決できるかっちゅうと微妙やなあ」

「そうだね。特に私と真琴さんと澪ちゃんは、同性だから話が通じないだろうし」

「僕も、多分モブ扱いであかんやろうなあ……」

「てか、実質的に達也ぐらいしか話になんないんじゃない?」

「勘弁してくれよ……」

「真琴姉、真琴姉。心の健康管理ってことで、バーストを借りてくるっていう手もある」

「さすがにそれは最終手段じゃないの?」

 どうせ話し合いは通じない、という前提で、いきなり極端な話をする宏達。それを聞いていたエアリスが、疲れ切った表情を隠そうともせずに新たに出されたお茶を飲む。

「てか、お姉ちゃん。その人が本当に知り合いじゃないのかって、確認しなくていいの?」

「別にエルちゃんに確認しなくても、そもそもこの日本から飛ばされた人じゃないのはほぼ確定してるし」

「え? そうなの? どうやって?」

「いま、この世界とエルちゃんたちの世界って、完全に時間軸が同調してるからね。いくら権能を封印してるって言っても、その気になれば自分たち以外に向こうに行った人がいるかどうかの痕跡を調べるぐらいはできるし、無断でそれを調べたからって文句言ってくるような神様もいないしね」

「時差とかないの?」

「それも含めて調べたからね。ここ一世紀ほどだと、フェアクロ関係で飛ばされた人以外は終戦直後まで遡らないと存在しないから、まず間違いなく私達の関係者じゃないよ」

「未来人ってケースは?」

「そこまで行くと、逆に関係なくない?」

 微妙に割り切りを感じさせる春菜の意見に、思わず妙に納得をしてしまう深雪。確かに、これから知り合うかもしれない相手と言われても、関係者だとは思えない。

「まあでも、何兆分の一ぐらいの確率だけど、何の痕跡も残さずにトリップするケースもあるにはあるから、実際に向こうに行って確認してみないと、本当に私達の日本と関係があるかどうか断定はできないんだよね。確率的にまず間違いないとは思うけど、エルちゃんはもう完全に私の身内だから、その確率が怖いというか」

「せやねんな。っちゅうか、アルフェミナ様はその辺確認してへんの?」

「あの方が来られた際の時空の乱れに手を取られておりまして、まだそこまでの確認はしておられないそうです。ヒロシ様たちが行き来するときと違い、知られざる大陸からの客人として新たに誰かが来られる際は、どうしても時空も因果律も派手に乱れますので……」

 アルフェミナが手出しできない、恐らく最大の理由であろう事情を口にするエアリス。

 生きたままで偶然に異世界トリップするというのは、基本的に世界レベルの大事故だ。当然、環境的にもいろいろおかしなことになってくる。

 帳尻合わせのためにアルフェミナが忙しくなるのも、無理もない。

「まあ、どう転んでも明日すぐにってのは厳しいわね。達也は普通に仕事だし、さっきも言ったように女性陣は今回使い物にならないから、スケジュール的にどうとでもできるあたしと春菜じゃ何の解決にもならないどころか、十中八九状況を悪化させるだけだし」

「いくらスケジュール的にどうとでもなるっちゅうても、そこまで融通効かんで」

「そもそも、宏君をこういうことにかかわらせたくないな、私」

「そうね。そもそも、宏が何言ったところで取り合ってもらえないでしょうし、モブだなんだ言われて罵詈雑言浴びせられて無駄にダメージ受けるだけでしょうしね。結局、動けるにしても、辛うじて達也が明後日の土曜に、ぐらいよね」

「結局俺かよ……」

 真琴の言葉を聞き、心底嫌そうに達也が言う。そのまま、深く深くため息をついてから、渋い顔で思うところを口にする。

「エルが困ってるんだから、何とかするために動くこと自体はやぶさかではないんだが、な。正直、その系統の問題は、しばらく触りたくねえ……」

「あの、私が妙な話を持ち込んでしまったために解決をお願いしたような状況になっていますが、本来なら皆様に協力していただく必要がある事ではない、と申しますか、私達だけでどうにかすべき問題ですから」

「だけど、エル達だけでどうにかできるのであれば、とっくにどうにかしてるはず」

 澪の指摘に、申し訳なさそうにうつむくエアリス。ここに逃げてきている時点で、何を言っても説得力はないのだ。

 自力での解決は不可能。それは認めざるを得ないが、かといって、全面的に解決してもらわねばならないほど、解決能力に欠けているわけではない。

 ネックになっている要素だけどうにかできれば、後はファーレーンの法体系で十分対処できるのである。

「そういえば、達兄。さっき、いろいろ気を使ってもらった、みたいなこと言ってたけど、何があった?」

 そのネックになっている、宏達の知り合いかもしれないという点だけどうにかしてもらえれば、とエアリスが告げる前に、澪が達也の状況について率直に質問を飛ばす。

 その質問を受けて達也が口を開いてしまったため、結局エアリスは本当に頼みたいことを口にする機会を逸してしまう。

「今年の新人に、厄介なのが居てなあ……」

「厄介なの? 具体的には?」

「判断能力も作業能力も下手すりゃ幼稚園児並みだってのに、人の話を聞く気も仕事を覚える気もなくて、そのくせ擬態と人に罪をかぶせるのと上司に取り入るのだけは異常に上手い、男を漁ることだけは真剣に全力投球する女。どうにも、目をつけられちまったみたいでなあ……」

「うわあ……」

 達也のボヤキに、思わず絶句する澪。そんな澪とは裏腹に、春菜と真琴が遠い目をしながらうなずいている。

 宏が実験と論文で忙しいおかげで上手い具合に遮断できているが、そこそこ仲良くしているグループにそういうタイプの女が紛れ込んでいるのだ。

 そうでなくても、最近の宏はデータ取りや実験のために最初から作業服で登校することが多く、ひそかに女子の注目を集め始めている。そのため、どうやってその手の毒女を排除するかは、頭の痛い問題となっている。

「正直な、極論すりゃ四則演算すらまともにできないってレベルでもいいんだ。覚える気があってちゃんと人のいう事さえ聞いてくれりゃな。基本的に入社直後の新卒の能力なんて、度合いの差はあるにしてもまず使い物にならないレベルだし、こっちも後々ちゃんと仕事を覚えて戦力になってくれることこそ期待してても、入社一年目二年目の時の能力なんて期待してねえんだから」

「四則演算できないって……」

「いるんだよ、実際に」

「いるんだ……」

 達也からの衝撃的な情報に、エアリスを除く全員の顔が驚愕に染まる。

 逆に、識字率が低い世界に住むエアリスからすれば、それが驚きになるという事が驚愕の事実なのだが、話がそれるためここでは置いておく。

「はっきり言っちまえば、入社当時の能力が小学生レベルだろうが幼稚園児レベルだろうが、別に大した問題じゃないんだよ。仮にそのレベルな上に物凄く物覚えが悪かったとしても、真面目で覚える気と根性があって社内に不和を招かない人柄をしてれば、どうとでもなるんだよ」

「そうですね。結局最後にものをいうのは、そういう人柄の部分だと私も思います」

「でも達兄。今の厳しい労働環境とかコスト競争だと、そういう人を長々と使う余裕ってないんじゃ?」

「なんだかんだ言って、ちゃんとした性格の人なら、任せられる仕事ってのは結構あるんだ。それに、物覚え悪いなりにいろいろ工夫する人も結構いるから、気がついたら忘れたころに結構優秀になってたりするしな」

 達也とエアリスの意見に、澪が素朴な疑問をぶつける。その疑問に対し、社内のベテランや自身の同期、後輩など幾人かの顔を思い出しながら実態を説明する達也。

 それでも澪たちがいまいち納得できない様子なので、さらに補足することにする達也。

「そもそも、新人教育ってのは、どんなにダメな人間でも最低限仕事ができるように鍛え上げる、ってのを目的として実践するもんだ。ヒロの家の工場みたいにそこまで教育に手を割けない規模ならともかくな、うちぐらいの会社だったら、入社一年二年の連中が使い物にならないってのは、教育を投げる理由にはならねえんだよ」

「でも、春姉や師匠みたいにいきなり実践で即戦力になるような人も……」

「ヒロとか春菜は例外だし、それだって完全に畑違いなうちみたいな会社だったら、入社して一カ月程度は戦力とまではいかないだろうさ。現実問題として、春菜は事務はともかくそれ以外じゃ、ヒロの工場で戦力になれるほど仕事できてないだろ?」

「……うん、残念ながら。事務で戦力になれてるのも、単に仕事量が少なくて自由裁量に任せてもらえたからだし」

「それが普通なんだよ。根本的な話として、学問と労働ってのは完全に別もんだ。大学まででどれだけ優秀だったっつっても、経験のない事をいきなりパーフェクトにできるようなやつはまずいない。正直、ヒロや春菜のレベルなんて、いたらそれだけで大騒ぎになるぞ」

 そこまで言って、話がそれていることに気がつき、ため息とともに話を戻す。

「まあ、そういう訳だから、能力的な事は、割とどうでもいいんだ。が、仕事する気も覚える気もなく、叱られてものらりくらりと逃げ回りながら誰かのせいにして人間関係をぐちゃぐちゃにするタイプだけは、社員教育じゃどうにもならん」

「身内にそういうタイプがいたら、お姉ちゃんと違って一日持たずに殴るかハブるかする自覚があるわたしが言うのもなんだけどさ。教育で何とかなりそうな気がするんだけど、どうにもならないの?」

「昔ならともかく、今はどうにもならん。ちょっとでも意に添わなければパワハラだセクハラだモラハラだってあっちこっちに訴えまくってな。擬態が上手いから、その都度騙される上司が出てきて大問題に発展して、正当な指導の範囲だって納得してもらう頃にはいろいろうやむやになって当の本人はまったく反省せずに終わる」

「……クビにできないの?」

「出来たらとっくにしてるだろうさ。人事の目をごまかせるぐらいだから、そういうところだけは異様に能力があるんだよ。それに、まだ入社三カ月の新卒だから、刑事事件でも起こさない限りはそうそうクビにできないってのもある。試用期間だからいつでもクビにできるってのは建前だけの話で、実際にはああいうタイプを切るにはそれこそ裁判を覚悟しなきゃならん」

 達也の置かれた世知辛い話に、労しそうな表情になってしまう一同。

「一応な、上手くいけば近いうちに今年の教育係からは外してもらえるかもしれないから、できたらその結果が出てから対応したい。っつうか、そうでないとさすがに精神が持たない……」

「あ~、それはちょっと、無理させられないわね……」

「そもそも、あの方が皆さまとは一切関係のない人物だと証明していただければ、タツヤ様に無理をしていただく必要すらなく解決する問題ですので……」

「それ証明するために、一度は接触したところを見せておかなきゃいけないんじゃないかしら?」

「それは……」

「まあ、そういう訳だし、かといってあたし達女性陣だとろくなことにならない予感しかしないし、そんな女に宏を接触させるのはエルも嫌でしょ?」

 真琴の突っ込みに、渋い顔をしながら申し訳なさそうにうなずくエアリス。一人の女性としても、国レベルで恩を受けた身としても、できる事なら宏と例の女の接触は絶対に避けたい。

 だが、宏ほど切実ではないだけで、達也にだって接触などさせたくない。

 そのエアリスの気持ちを汲んで、達也が苦笑しながら口を開く。

「とりあえずな、俺自身はそういうやつの対処にゃ慣れてるから、あんまり気にしなくていいぞ。今回は間が悪くて、今までにないレベルでの地雷案件とタイミングが被っちまっただけだからな」

「それでも、タツヤ様の負担になってしまうのは変わりませんし、そもそもそれだけの相手となると、そう都合よく事が運ぶとは……」

「新人に関しては、最悪礼宮のヘッドハンティングを受けるぞ、って脅してるから、十中八九どうにかなる。妊娠してる嫁を抱えてる相手に浮気と離婚を迫ってきたってだけでも、本来は十分担当を変えなきゃいけない事例だからな」

「正直、私的には、なんでそれでまだ達也さんが担当させられてるのかが不思議でしょうがないよ……」

「なかなか証拠が押さえられなかったからな。しかも、さっきも言ったように何かあるとセクハラだパワハラだモラハラだと騒ぐから、余計に対処に手間がかかってなあ」

 驚愕の新事実に疲れた顔でそう漏らす春菜に対し、本気で苦い笑みを浮かべながらそう補足する達也。わざとか素かはともかく、話が通じない相手に対処するというのは難儀なものである。

「そういう訳だから、早けりゃ来週に、遅くても八月にはけりつける予定だから、悪いがそれまで待ってくれ」

「私達のせいで妙なことになってしまい、本当に申し訳ありません……」

「新人の件はエルにゃ全く関係ないし、電波娘が飛ばされてきたのは不可抗力ってもんだ。さっきも言ったが、そんなに気にすんな」

 そう言ってエアリスを慰めながら、疲労を隠せない様子の達也。

「……なあ、春菜さん、真琴さん」

「何、宏君?」

「何かアイデアでもあるの?」

「アイデアっちゅうか、この絡みの全部にけりついたら、エルも含めてみんなでドライブがてら一泊の温泉旅行でも行かへん?」

 あまりにお疲れの達也の様子に、宏からそんな提案が出てくる。

 その宏の提案に、全員の目が輝く。

「いいわね!」

「だったら、宏君の負担にならないぐらいの人出でかつ、車で簡単に行ける距離の穴場的温泉地を探しておくよ」

「よし! あのくそ新人と対決する気力がわいてきた!」

「ん。ボクも、気合入ってきた」

「いいな~。わたしも混ぜてほしいな~」

「さすがに深雪は受験生やからあかんで。このメンバー全員で、っちゅうんやったら、澪の受験終わるまで我慢し」

「あの、本当に私もご一緒させていただいてよろしいのでしょうか?」

「ん。むしろ、エルが来なきゃボクは頑張れない」

 なんだかんだ言って、全員余程お疲れだったらしく、宏の提案でものすごくやる気が上がる一同であった。
ユニバーサルカウンターとかオシロスコープとか出てきて、ようやく理系大学生らしくなってきた今日この頃。理系、それも工学系だったら切っても切れない間柄ともいえる機器なのに、小説とかでは案外出てこないんですよね、この辺の単語。

なお、なろうでは流行り廃りを通り越して一ジャンルとしてほぼ定着した感がある悪役令嬢ざまあネタ、今回は久しぶりに澪に余計なことを語らせたかったのと変なネタ思いついたのでチョイスしたものの、ボリュームが妙に膨れ上がったせいで、入れようと思った澪の余計な語りが次回に先送りになってしまいました。

無念
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