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フェアリーテイル・クロニクル ~空気読まない異世界ライフ~ 作者:埴輪星人

後日談 春菜ちゃん、がんばる?

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第24話

理解も共感も一切できない思考回路の持ち主を書くのが非常にしんどくて、ものすごく難産でした。
『ごめん……、わたし……、わたし……!』

『いや、ある意味丁度良かったわ。よう連絡くれた』

 天音と志保から許可を取って対応を交代した健一が、半ば本気で錯乱している長井光里をどうにかなだめすかして状況を把握し、ねぎらいの言葉をかける。

 説明が本当であれば、光里はなかなかに切羽詰まった状況にいた。

 もっとも、これが演技で説明が嘘というのであれば、宏たちはおろか天音ですらだましとおせるという事で、神にも通じる相当な演技力という事になるのだが。

『とりあえず、ちょっとこっちまで出てきてくれへんか? 場所は今から送るから、アドレス教えてくれ』

『えっ? あっ、うん。でも、わたしのパソコン、多分覗かれてるで……』

 光里の言葉に、そうだろうなあと頭の片隅でちらりと考える健一。もっとも、同時にある意味好都合だと考えていたりする。覗かれているのであれば、明確に犯罪を行っていることが証明できるのだから。

 宏達の時代のパソコンがいかにセキュリティ周りがすさまじく強固だと言っても、データ通信をする以上どうしても穴はできてしまう。

 使っているソフトとソフトウェア環境次第ではあるが、メールやメッセージ、およびそれらと一緒に送られた添付ファイルぐらいは、やりようによっては横からコピーできてしまうのだ。

 実のところ、メッセージやメールに関しては、一部のとことんまで機能と用途を制限したもの以外では、標準搭載されているソフトがセキュリティ面では最強なのだが、これらのソフトはセキュリティ上の都合でやや使い勝手が悪い。いわゆる生産ラインの安全装置のようなもので、一定ラインを超えるとどうしても操作性や利便性とトレードオフになってくる。

 そのあたりの不便さに我慢できず違うソフトに乗り換えたなどの結果、重要なメールやメッセージなどがダダ漏れになっている事例は枚挙にいとまがない。というよりむしろ、ユーザーの誤操作以外の穴が見つかっていない標準ソフトがおかしいと言えよう。

 AIやプロテクト、ウィルス対策ソフトなどでいくら防御したところで、ユーザーが自分でインストールするソフトに関してはどうしようもない。

 流行り物に飛びついてウイルスを自分からパソコンに取り込んでしまってデータがダダ漏れになっているとか、メッセージソフトでやり取りしている相手が故意に漏らすとか、その類の案件は撲滅されていないどころか、件数を減らすめどすら立っていないのである。

『それ言うたら、この電話もどうせ盗聴されとる。相手が本気やったら、それぐらいやりおる。それやったら、まだこっちで手ぇかければリスク減らせる分、パソコンでやり取りしたほうがましや。俺の特技、知ってるやろ?』

『……うん、せやな。ほな、西岡君を信じるわ。うちのアドレスは……』

 光里からアドレスを聞き出し、専用のメッセージソフトを送り付ける健一。最新鋭の暗号化技術を使ったメッセージソフトで、特定の相手と一対一でのメッセージのやり取りをすることに特化したソフトだ。これでやり取りをした情報はパソコンに保存できないため、後ろからのぞき見でもしない限りは盗むことができない、民間人の大部分にとっては不必要なレベルで防御力が高いソフトである。

 言うまでもなく、一対一でのやり取りしかできない、一対一を複数同時にはできない、やり取りした情報を保存できないという点で、大多数のメッセージソフトに利便性で劣る。

『……今メール送った。まずはメールにつけたメッセージソフト立ち上げてくれ』

『う、うん……。起動したで』

『確認した。ほな、今から地図送るから、そこまで来てくれ』

 念のためにメッセージソフト上で地図を送り、場所を指定する健一。そのやり取りを見ていた宏と春菜が、いきなり妙にハードボイルドな方向に空気が変わったことについていけず、心底困った顔でため息をつく。

「なんっちゅうかこう、いきなりジャンル変わった感じやで……」

「専門的になりすぎて、私達じゃ手を出せないもんね……」

「西岡が頑張っとる内容もそうやけど、それ以上にぼろぼろと向こうさんの犯罪行為が出て来とんのが怖いでな……」

 宏と春菜の言葉に、現在待機中の他のメンバーも渋い顔でうなずくしかない。

 盗聴に脅迫、パソコンへの不正アクセスなど、どんどん積み上がっていく罪状。証拠こそまだ押さえきれていないものの、目の前で行われている明確な犯罪と、ジャンルの問題でそれに直接対応できるのが現在西岡だけであることが非常に厄介である。

 宏にしろ春菜にしろ、少なくとも由香里や志保などの一般的な未成年よりはずっとコンピューターには詳しいが、さすがに現在進行形で中身をのぞかれているパソコン相手に、情報漏れを起こさないようデータをやり取りするような知識も能力もない。

 宏や春菜にできるのは、新品のまだ何も入っていないパソコンに絶対にウィルスの類を侵入させないようプロテクトをかけた上で、怪しいソフトを使わない、遠隔操作で勝手にインストールなどをさせないという運用を徹底する程度だ。達也も真琴も大よそ似たようなレベルであり、自己防衛だけならその程度で十分である。

「とりあえず、電話が終わるまで下手に動けないわよね……」

「そうだな。っつうか、二駅移動して買い物して戻ってくる、となると、なんだかんだで一時間ぐらいはかかるよな?」

「そうね。それ考えたら、結局ここで待機してた方がよさそうね」

 動くに動けない状況に、諦めてじっとしていることにする真琴。達也の方も、下手なことができないので大人しくしているしかない。

 そんなことを言っている間に、健一は光里との電話を終え、天音との相談を始める。

「とりあえず、そろそろお昼ご飯のこと考えなきゃいけないと思うんだけど……」

 健一の作業を見ていた春菜が、現在の時間を確認してポツリとつぶやく。さすがにまだ昼には早いが、そろそろ段取りはしておくに越したことはない時間だ。

「それもそうだな。最初は、どういう予定だったんだ?」

「宏君が大丈夫そうだったら、食べに出てもいいんじゃないかな、って話だったんだよ。でも、そういう訳にもいかない感じだよね」

「そうだな。だったら、もうちょっとしてから、コンビニかどこかで弁当でも買ってくるか?」

「それでもいいけど、ここは一応ちゃんとした厨房があるから、どんな調理器具があるか確認してから、食材買ってきて料理してもいいかな、って思わなくもないんだ」

「買ってくるのはいいが、このあたりは食材なんか買えるのか?」

「駅が近くだから、大丈夫だと思うよ。規模の大小はあるけど、駅のそばには大抵スーパーがあるから」

 達也の疑問にそんな答えを返す春菜。実際には、必ずしもスーパーの類があるわけではなく、特に地下鉄の駅や地方の駅だと、スーパーはおろか商業施設が駅の売店ぐらいしかないケースも珍しくはない。単線のローカル線に至っては、大多数が無人駅で商業施設どころか人そのものがいないなんて事例もざらにあるが、あえてそこは気にしないようだ。

 まあ、今いるあたりは大阪の都心部に当たる場所なので、駅の近くには大抵スーパーがある、というのはそれほど間違っているわけではないが。

 ちなみに、昨日の夕食と今日の朝食に関しては、天音が手配したケータリングのもので済ませている。この綾瀬研究室大阪出張所は、大きなプロジェクトでも動いていない限りは、土日の休みを含めると月の大体半分は無人になる施設で、今回もその無人のタイミングにぶち当たっている。

 それだけに、厨房設備と宿泊設備はある程度整っていても、今回のような急な利用だと来た日の分とその次の日の朝の分は、どうしても食事の用意は外食か出前、もしくは弁当などを調達することになるのだ。

「……えっと、藤堂さんって料理しはるん?」

「うん。作れるときは自分で作る感じかな」

「そうなんや……」

「って言っても、素人の家庭料理だよ?」

 素人の家庭料理、という単語に、達也と真琴からどの口が言うかという視線が飛ぶ。その視線に気が付いた志保が、達也と真琴に問う。

「実際のとこ、どうなんですか?」

「自分ちで料理する時にごく普通にフランベやったりするのが素人ってんだったら、素人なんだろうな」

「調理師免許とか持ってなくてお店とかもやってないから、プロじゃないっていうのは嘘ではないわね。嘘ではないってだけだけど」

「……うわあ」

 達也と真琴の説明を聞き、謙遜にしても詭弁が過ぎる春菜の言い方に、驚嘆と呆れの混ざった変な声を漏らしてしまう志保。料理が苦手というほどではないが、別段好きなわけでも得意なわけでもない志保からすれば、同い年なのにどうやれば年長者からそんなことを言われるほどの腕を持てるのか分からない。

「まあ、こいつの料理がどうなのかは、実物を食えばわかる。つっても、近くにスーパーがあるならば、だが」

「あ、それやったら、駅からすぐ見える場所に食品スーパーありました」

「だってよ」

「了解。じゃあ、ちょっと買い出しに行ってくるよ。距離と混み具合にもよるけど、多分三十分もあれば戻ってこれると思う。あ、でも、調理器具とか調味料とか確認してから行くから、もうちょっとかかるかな?」

「おう」

「リクエストとか、ある?」

「と言っても、何が作れそうなのかが判断できねえからなあ。特売品使って手早く出来る料理、でいいんじゃねえか?」

「そうだね。じゃあ、適当にお買い得品を見繕って何か作るよ」

 そう言って宏が待機していた部屋に入り、自分のコートと中身を空にしたリュックを取って出てくる春菜。その春菜に、宏が声をかける。

「春菜さん、ちょう待って」

「どうしたの、宏君?」

「これ持っていっとき」

「……ああ、うん。そうだね」

 宏に渡された防犯ブザーっぽいものを見て、何やら納得して見せる春菜。達也と真琴も、確かに必要だと頷いている。

 それを見ていた志保が、不思議そうに首をかしげる。

「住んでるわけでも普段出入りするわけでもないから断言できひんけど、ここら辺り、別にそない物騒な場所やなかったはずやで?」

「別に、治安がどうやっちゅう問題やないねん。このタイミングで春菜さんが単独行動やっちゅうんが問題やねん」

「正直、宏君にこれ渡されるまで、その可能性を完全に見落としてたよ……」

 春菜の単独行動が問題、と言われてますます訳が分からなくなる志保。健一も理解不能という顔をしている。

「よう分からんねんけど、東。藤堂さんが単独やとナンパとかがヤバい、っちゅうんやったら、香月さんか真琴さんが一緒に行けばええんちゃうんか?」

 天音との打ち合わせを終え、指示通りにあちらこちらへメッセージを飛ばして手が空いた健一が、感じていた率直に疑問をぶつける。その疑問に対し、どう答えるべきか考え込んで、説明をあきらめる宏。

 このややこしくて身動きがとりづらい状況で、春菜が単独行動をしようとした。その時点で、一人であろうが誰かが一緒であろうが、間違いなく何かおかしな問題を引っ掛けてくる。その際、どう転んだところで春菜自身は無事に帰ってくるだろうが、それをどう説明すればいいのかが分からないのだ。

 が、食材の調達となると、一人で行かせるのは別の意味で問題がある。その事に気が付いた宏は、健一に答えるついでにその話を振ることにした。

「そういう話でもないんよ」

「まあ、七人分もの食材っちゅうたら結構なもんやから、兄貴か真琴さんが一緒に行った方がええかもしれんのは確かやけど。あ、そうそう。長井光里の顔写真はこれな。中一ん時の奴やけど、春菜さんやったらこれでわかるやろ」

「ああ、それも必要だよね。……うん。整形でもしてなきゃ、これで十分わかるよ」

「荷物持ちに関しては、物理的な戦闘能力考えたら、達也よりもあたしが一緒に行った方がいいわね。あたしにも写真見せて」

「ちょっと状況が不穏やから、加減ミスらんように注意しや」

「分かってるわよ」

 宏の注意にうなずき、これまた上着と中身を空にしたリュックを回収して春菜と一緒に部屋を出ていく真琴。それを見送ったところで、やはり腑に落ちないという表情の健一が問い詰めにかかる。

「本気で、どういう事やねん?」

「多分やけど、春菜さんらが戻ってきたら分かるわ。正直、どう説明したらええかわからん」

「そうだな。こればっかりは、ある程度付き合いが長くないと理解できんだろうしなあ」

「まあ、なんぞミスって死人出してもうた、とかでもない限り、春菜さんら自身は大丈夫やろうけどなあ」

「むしろ、相手の心配が必要だよな。主に社会的、もしくは超自然的な要素で」

 ますます意味が分からない事を言い出す宏と達也に、どうにもついていけないものを感じてしまう健一。

 とりあえず一つだけ分かったことは、宏と春菜達との間には、余人が割って入れない種類の人間関係が構築されているという事である。

「なんかよう分からへんけど、東君と藤堂さんがものすごい仲ええっちゅうんは理解したわ」

「せやな」

「ただ、気ぃ悪うするかも知れへんねんけど、なんかこう、東君と藤堂さんが、なんでここまで仲良うなれたんかがピンとけえへんっちゅうか……」

「せやなあ。藤堂さんはものすごいええ娘やから、あの頃の女子みたいなことは絶対せえへんやろうけど、それ踏まえても、東と藤堂さんって、明らかにジャンルちゃうっちゅうか」

「そうそう。釣り合いが取れてへんとかそんな印象は一切あらへんし、上手くいってくれたらあたし的にもすごい嬉しいんやけど、何っちゅうか、普通やったら接点一切無さそうな組み合わせっちゅうか……」

「俺らにとってはありがたいんやけど、それだけに一体何があって今の関係になったんかが想像できんなあ……」

 志保と健一の感想に、思わず苦笑を浮かべる宏と達也。これまでの事を知らない人間からすれば、宏と春菜の間柄というのはピンと来なくて当然である。

 それでも、宏のバックグラウンドを知っている、というよりその場に立ち会っているだけに、健一や志保は恋愛感情に関しては春菜から宏への一方通行であることが納得できる分まだましだろう。

 知らない、もしくは理解がない人間から見れば、ダサいヘタレのくせに美女をもてあそんでいる下種と思われても仕方がないぐらいには、恋愛面に関する宏の態度は問題がある。

「なんでっちゅうんは、僕の方が知りたいぐらいやけどなあ」

「俺らからすれば、なるべくしてなった感じだがね」

 当事者でありながら、なぜ春菜が自分に恋をしているのかが未だに腑に落ちない様子の宏に対し、春菜が徐々に恋に落ち、それを自覚するまでの一部始終を見守ってきた達也が肩をすくめながらそう宣言する。

「何にせよ、どっちかが記憶喪失にでもならない限り、今更こいつらの関係が破綻するなんて想像もできない、ってのは同意してもらえると思うがな」

「「それはもう」」

 何があってこうなったかまでは腑に落ちなくても、宏と春菜が別れるところなど想像もつかないことは同意する健一と志保であった。







「……この辺、かなあ……」

 健一との電話を終えた約四十分後、光里は宏達がいる綾瀬研究室大阪出張所付近に到着していた。

「……あかん。この辺普段全く用事あらへんから、全然場所分からんわ……」

 いつも使う私鉄から旧国鉄の環状線に乗り継ぎ、順調に綾瀬研究室大阪出張所の最寄り駅まで到着した光里は、駅を出たところで途方に暮れていた。

 今までに一度も降りたことのない駅だけに、現在位置がうまく把握できない。基本的にオフィス街であるため建物の特徴も似通っており、一本筋を間違えると普通に迷子になってしまう。

 GPSを立ち上げて位置関係を再確認すればいいのだが、それで目的地がばれると相手に迷惑がかかりそうで踏ん切りがつかない。尾行されていれば結果は同じだが、少なくとも先回りされることだけは防げる。

 そういう考えのもと、チョコレート事件の主犯グループおよびその協力者に追い回されながら知らない街を歩き回る不安を胸に、光里は順調に迷子への道を踏み出していた。

「……この感じやと、最初に左右間違えて進んでもうてるなあ」

 恐らくこちらだろう、と直感で選んだ方向に進むこと約五分。うろ覚えの道順に従って曲がり、さらに進むこと五分。記憶にある地図と照らし合わせ、明らかに違うという感じに景色が変わったところで、そう結論を出す光里。無駄足を踏んだが、それを気にしていては始まらない。

「しゃあない。一旦駅に戻るか」

 サクッと今いる道に見切りをつけ、比較的人通りの多い場所を選びながら駅の方へ戻る光里。そのまままっすぐ引き返すと主犯グループと鉢合わせする可能性があるので、ある程度回り道をする方がいい。そう考え、あえて迂回するように駅へと戻る。

「そういえば、確か駅の近くに近くにスーパーあったやんなあ」

 戻っていく最中に、ふとそんなことを思い出す光里。別段スーパー自体に用事はないが、もしかしたらそこで聞けば誰かが教えてくれるかもしれない、と思い至ったのだ。

 この期に及んでなお、GPSを利用しないあたり余計なところで根性がある女だ。もしかしたら、少年院での更生教育の際に、そのあたりが鍛え上げられてしまったのかもしれない。

「……っちゅうか、よう考えたら、助け求めといて手ぶらっちゅうんはどうなんやろう……」

 歩き回って疲れたからか、妙に冷静になって変なところに気を使う光里。まだ不安だの恐怖だのはぬぐいきれぬほど抱えているが、志保の携帯に電話をかけた時のような錯乱するほどの焦りは落ち着いている。

 そもそもの話、警察が相手をしてくれなかった上に警察に相談した直後からずっと繰り返ししつこくいろんな手で脅しをかけられて錯乱したとはいえ、本来全く無関係である志保に助けを求めていること自体がおかしいし図々しいのだ。

 錯乱していてなおその自覚があった光里からすれば、気が付いていなかった時ならともかく、気が付いているのに今更とはいえこれ以上失礼で図々しい真似をするのはどうしても気が引けるのである。

 どうせスーパーに寄り道するのだし、道を尋ねるのに何も買わないのも申し訳ない。迷子になった事への不安と疲労で緊張感を維持しきれなくなった事もあり、光里は気を紛らわせるためにもスーパーで買い物をしていくことにした。

 と言っても、このオフィス街に勤めている人たちをターゲットに、仕事帰りに普段使いする食品や調味料、ラップなどの小物を調達する感じの、小規模なスーパーだ。駅の高架下にあるような店よりは大幅に売り場面積が広いが、良くも悪くもどこにでもあるようなスーパーなので、料理用の食材や惣菜ならともかく、手土産になりそうなものというと大したものはない。

 駅に引き返すと決めて一分も経たずにスーパーに到着した光里は、店に入ってすぐその事に気が付いた。

「……あかんやん。普通に考えて、手土産調達するんやったら二駅隣やん。っちゅうかそもそも、わたしの手持ちやと、帰りの電車賃考えたらろくなもん買われへんやん」

 店の規模に加え、自身の所持金の壁にぶち当たる光里。所詮少年院を出て一年未満のフリーターでしかない光里に、そんな大層なお金はないのだ。親は親で自分の代わりに賠償金を払っており、光里に対して小遣いを出せるような余裕はない。

 今のところ、入れている生活費が三万で許してもらえているから小遣いぐらいは手元に残るが、前科持ちの光里はどうしても仕事が長続きしない。光里が悪いケースばかりではなく、前科者であることを理由に周囲から仕事を妨害されたり、それによる損失を理由に首を切られたりがしょっちゅうなのだ。

 樋口真奈美と違い、流石に客のセクハラ痴漢が原因で首になった、などのような不当解雇としか言えないケースはなく、首を切った経営者も申し訳なさそうにしている事の方が多いという違いはあるが、状況的にはどちらも大差ない。

「とりあえず、無難な感じの飲みもん買うていこか……」

 諦めて二リットル入りのお茶とオレンジジュースをカゴに入れ、一番空いている感じのレジに並ぶ。隣のレジで清算している金髪のものすごい美女と普通の容姿だが愛嬌のある女性のコンビに目を奪われつつ、清算を済ませながらレジ打ちの店員に声をかける。

「すいません。ちょっと道に迷ってもうたんですけど、教えてもろてええですか?」

「それなら、あちらのサービスコーナーでお願いします」

「はい、ありがとうございます」

 おずおずと道を尋ねた光里に、申し訳なさそうな笑顔でそう告げる店員。流石にレジで聞くのは他の客にも迷惑かと納得し、精算が終わるのを待つ光里。

 支払いを済ませ、袋詰めまでしてくれた飲み物を受け取って頭を下げると、教えられたとおりにサービスコーナーへと向かう。

「あの、すみません。ちょっと道に迷ってもうたんですけど……」

「あ~、このあたりは似たようなビルばっかやから、分かりづらいですよねえ。どこ行きたいんです?」

「綾瀬研究室大阪出張所、やったかな? 駅の近く何は分かってるんですけど、建物の外観が分から辺で……」

「ああ、はいはい。それなら、駅の三番出口からまっすぐ出て、最初の交差点右に曲がって直ぐですわ」

「あ、ありがとうございます。……やっぱり、最初の時点で曲がる角と方向間違えとったかあ……」

「この辺、ビルとかしょっちゅう変わるから、たまにGPSも当てなりませんしねえ。とりあえず、念のために地図描きますわ」

「ありがとうございます」

 サービスコーナーの親切なおばさん店員に地図を描いてもらい、再びスタート地点へ戻るべく店を出た光里を、

「えらい手こずらせてくれたやん」

「まったく、わざとらしく迷子になって人をまこうとか、どんな教育を受けたらこんな浅知恵ばっかり働く小悪党としか言いようのないような屑に育つのやら」

 ぞろぞろと現れた同年代の女子と、身なりはいいがどうにも印象が悪い男が取り囲んだのであった。







「思ったより手間取っちゃったよね」

「原因の大部分はあんたにあるの、自覚してるわよね?」

「うん、言い訳はしないよ」

 光里がレジに並び始めたのとちょうど同じ時間。光里の隣のレジでは、調子に乗っていろいろ買いこんでしまった春菜と真琴が、何とも間抜けな会話を繰り広げていた。

 本来ならもっと早く終わる予定だった食材調達は、出だしの機材チェックの時点でいきなり躓いていた。

 といっても、使える調理器具が少なかった訳ではない。その逆で、利用頻度に比してやたらと立派な厨房設備があったのが躓きの始まりだったのだ。

 予想外に充実していた調理器具やこの手の施設とは思えないやたら豊富にある調味料の数々にテンションが上がった春菜が、調味料の使用期限を見てできるだけ種類を使おうといろいろ計画を立てはじめたあたりから、当初の手早く、という予定に暗雲が立ち込め始めた。

「それにしてもこのお店、ちょっと珍しい食材が充実してるよね」

「そうね。それに、お菓子類とか冷凍食品、加工食品なんかよりも、生鮮食品が充実してたわよね」

「だよね~」

 現在進行形でレジ打ちが進んでいる買い物かごの中身を見ながら、このスーパーの品ぞろえについてそんな話をする春菜と真琴。山盛りのかご二つ分の生鮮食品プラス米十キロとなるとなかなか時間がかかるもので、両隣のレジは既に二人以上進んでいる。

 そう、かご二つ分、しかも山盛りである。それだけの食品を吟味して調達したのだから、当然最初の予定の三十分では収まっていない。

 何よりこのスーパー、こんなオフィス街の中にあるスーパーとは思えないほど、生鮮食品が充実していた。特徴を出すためか、一体なぜこの店はその方面で頑張ったのか、全国チェーンのスーパーではまず見ないような一風変わった食材が多かったこともあり、結局広くはないが狭いとも言えないスーパーのほぼ隅から隅まで歩き回る羽目になったのだ。

 むしろ、機材チェックで大幅なタイムロスを重ねた上に店を隅から隅まで見て回り、買うと決めた食材を一つ一つ吟味してかご二つ分山盛りにして、まだ一時間は経過していない事の方が驚きである。

「で、これ、どう見ても七人分の一食、なんて量じゃないと思うんだけど、どうするつもりよ?」

「どうせ、最低でも明日の朝までこっちにいるんだから、これぐらいなら十分食べきれると思うけど」

「そういうことにしておいてあげるわ」

 明らかに無計画に買いまわったであろう春菜の言い訳に、あきれた様子を隠さずにそう言う真琴。恐らく今日はもう潮見に帰れないだろうというのは否定しないが、間違いなく買い物の最中春菜はそんなことは考えていなかった。

「にしても、さすがにこれだけ買うと結構な金額になるわねえ」

「あ~、うん。ごめんなさい」

「あたしも止めなかったし、お金は気にしなくていいわよ。こないだ学費のために投機やったら稼ぎすぎてちょっと余っちゃったし、これぐらいは使わないとさすがに申し訳ない感じなのよね」

「学費のために投機やって普通に儲けるとか、ある意味私達よりよっぽど怖いと思うんだ」

 清算が終わり、諭吉さんが三枚ほど飛んで行った合計金額とその出所について駄弁りながら手早く袋詰めしていく真琴と春菜。

 その最中になんとなく出口の方に目を向け、出口近くにあるサービスコーナーで何か話をしている同年代の少女に目を止める春菜。なんとなく気になってよく観察し、表情を真剣なものに変える。

「……ねえ、真琴さん」

「なによ?」

「あの娘、多分……」

「……ああ、なるほど。そうね。なんでこんなところに、は……、あのペットボトルが答えみたいね」

「サービスコーナーなのは、道が分かんないから、とかかな? あの買い物内容的に、それ以外に用事はなさそうだし」

「そうみたいね。地図みたいなもの描いてもらってるわ」

「で、私ちょっと嫌な予感がするんだけど、どう思う?」

「奇遇ね。あたしもあんまりいい予感はしてないわ」

 米と味噌、および若干重量のあるものを真琴のリュックに、キャベツや根菜類などの比較的重くてかさが高い野菜類を春菜のリュックに詰めながら、注目していた少女についてそんなやり取りを進める春菜と真琴。

 できるだけ手に持つ荷物を減らそうとしているあたり、かなりやばい何かを感じ取っているようだ。

「あ、終わったみたい」

「春菜、気づいてる?」

「うん。ちょっと物々しい気配がしてるよね。……ん~、全部で八人、いや、九人かな?」

「それぐらいね。ブザーの用意はできてる?」

「ん、ばっちり」

 そう打ち合わせをしつつ、少し間隔を置いて店を出る。

 店を出た直後に、春菜と真琴は目をつけていた少女こと長井光里が取り囲まれているのを目撃した。

「ビンゴ、みたいだね」

「さっさとあの娘回収して逃げるわよ!」

「うん!」

 まずは証拠を押さえて、とばかりに健一が作り天音が改造した撮影ソフトで状況を記録し、今にも男が光里に触れようとしたところで揉め事に割って入る形で踏み込む。

「そこまでになさい!」

 相手をひるませつつ光里から注意をそらさせるために、軽めのアウトフェースを乗せて叫ぶ真琴。目論み通り一瞬ひるんだところで光里の手を取る。

「逃げるわよ!」

「えっ?」

 余波を受けてすくんでいた光里にそう声をかけ、そのまま一気に走り出す真琴。我に返った相手が二人を追いかけようと走り出す前に、今度は春菜が防犯ブザーを押し、騒音で通行人やスーパーの店員の注意を引く。

「どないしました!?」

 店のすぐ前、と言ってもいいような場所から鳴り響いた防犯ブザーに、慌てて店員が出てくる。

 一応店員に事情説明すべきかと考え、逃げようとした、あるいは追いかけようとした少女たちを牽制していると、近くにいたスーツ姿の男性二人組が警察手帳を提示しながら春菜に声をかけてきた。

「我々はこういうものです」

「一部始終は見てました。ここは自分が引き受けますんで、お嬢さんは彼を連れてお友達を追いかけてください」

「あっ、はい!」

 よもや警官が近くにいるとは、などと相変わらずの妙な引きを誇る自分の運勢に感心しながら、言われた通りに真琴を追いかける春菜。と言っても、目的地は分かっているので、それほど慌てはしない。

 実はこの警官達、ここで合流したこと自体は偶然ではあるが、今回の件に関わったことは偶然ではない。光里は門前払いされたと思い込んでいたが、相談を受けた派出所のおまわりさんはちゃんと大阪府警に事件として話を上げており、府警の方も礼宮関係からの情報と合わせて状況の切迫度合いを認識、すでに動いていたのである。

 光里をつけまわしていた中には、ちゃんと私服の警察官もいた。単に、主犯グループより尾行の類が上手かったので、光里を含む誰一人その事に気が付いていなかっただけだ。

「私らが割り込む前に行動するとか、お嬢さん方は勇敢やなあ」

「もしかしたら、私達に関係がある人かもしれなかったので……」

 出張所に向けて走りながら、私服の警官に軽い事情説明をする春菜。細かい事情説明は落ち着いてから、という事で走るスピードを上げる。

 それなりに中身が詰まったレジ袋を手から下げているというのに、手加減が必要なさそうなスピードで走る春菜の俊足に舌を巻きながらも、同じように足を速める警官。

 十秒もしないうちに追いかけていた男性と少女三人ほどの姿が、さらに五秒ほどでいつの間にか光里を小脇に抱えて走っている真琴の背中が見えてくる。

「お友達も、すごい体力ですなあ……」

「鍛えてますから……」

 そんなことを言っている間に出張所とその前で待ち構えていた宏と達也の姿が見え、思わず全力でダッシュする春菜。追跡していた男たちはおろか真琴も一気に抜き去り、あっという間に宏の前に到着する。

「……色々言いたいことはあるが、まあ、お帰り」

「ん、ただいま」

 いろいろ呆れた表情を浮かべながらそう声をかける達也に、息を乱した様子も見せず真顔でそう返す春菜。

「どうやら俺の出る幕はなさそうだから、その食材は預かっとくわ」

「ありがとう。お願いね」

「おう。長引くとやばい食材もあるだろうから、冷蔵庫に入れてくるわ。真琴も、それ寄こせ」

「はーい。って言っても、あたしのは基本的に常温コーナーに並んでるようなのだから、やばいのは春菜の袋だけどね」

 そう言いながら達也がレジ袋を受け取ろうとすると、横から出てきた手がすっとその袋をかっさらっていく。見ると、志保と健一が、代わりに荷物を受け取っていた。

「一番出る幕ない、っちゅうか、おったらややこしなりそうなんあたしらやから、あたしらが運んどきますわ」

「リュックも降ろしといてくれたら、中身厨房に運んどきます」

「香月さんは、年長者の男性としてこの場におっとってください。あたしらは未成年やし、真琴さんだけやとちょっと大変そうやし……」

「あ~、そうだな。責任者が戻ってくるまで、あっちのおっさんとお兄さんには俺が対応せにゃならんか」

 志保と健一の言葉に納得し、いつの間にか宏をかばうように立っていた春菜の隣に移動する達也。

 それを見届けると、健一と志保はようやく真琴に降ろしてもらった光里に視線を向けた。

「ほら、長井もその袋よこせ」

「あっ、うん。……っちゅうか、東君こっちに来とったんや……」

「松島の件でな。とりあえず、なんで河野に電話しよう思ったんかはともかく、お前大当たり引いたで。ほんま、よう電話してくれたもんや」

「さすがに状況的に中で落ち着いて、っちゅう訳にはいかんけど、あっちのお兄さんらが守ってくれるはずやから、安心し、な」

 光里をそう労い、袋を回収して出張所に入っていく健一と志保。そこでようやく息が整ったか、追いかけてきた連中が口を開く。

「……どうやら部外者が何人もいるようですが、私が用があるのはそこの姑息で教育がなっていない少年院上がりのお嬢さんと、いじめの標的にされるような人として劣った要素しか持ち合わせていない人間のくせに、いじめを誘発した加害者だというのに被害者面して他人の人生を無茶苦茶にしたお坊ちゃんだけです。この件にかかわっていない方は立ち去っていただけませんかね?」

 いじめられる方が悪い。その理屈をとことんまで追求すればこうなる、という感じの台詞を真顔で一息で言い切った男に、正面で聞かされた達也たちはもちろん、警察手帳を出そうとしていた警官まで絶句して動きを止めてしまう。

「……何、あのサイコパス……」

「……どういう立場の人間かは知らないけど、あんなこと言っててよく今まで社会から排除されなかったよね……」

「……いや、ありゃ多分、普段はもっと言葉を選んで、上手い具合に思考誘導、っつうか洗脳してる口だな……」

 余りにも異様な雰囲気と表情に、いわく形容しがたい薄気味悪さを感じて乾いた声で正直な感想を漏らす真琴、春菜、達也。自分が標的になっているだけに、宏はコメントしようにもできない。

 何が異様かと言って、目の前の男は自分が正しいと信じて疑っていない事であろう。いわゆる狂信者や原理主義者によく見られる、特定のジャンルになると会話は成立するが意思疎通は成立しなくなる類の奴である。

 はっきり言って、利害と面子に配慮すれば交渉が成立する分、まだマフィアやヤクザなどの方が対処しやすい。

 自分が正義だと猛進している人間と逆恨みを深めている人間は、会話が成立してしまう相手としては十指に入るぐらいに対処が難しいのだ。

「あなた方のような常識を理解せず、人権だの人道だのをはき違えた人たちのおかげで、私のような正しい主張をする正義の味方が肩身の狭い思いをするのですよ。まったく嘆かわしい」

「さすがに、犯罪被害者が犯罪を誘発する加害者っちゅう理屈は、立場的にも個人的にも許容できませんなあ」

 乾いた声で感想を漏らしながら、あくまで宏をかばう姿勢を維持し続ける達也たちに対し、あきれたようにかつ苛立たし気に、何様だと突っ込みたくなるような事を言う男。その男の台詞にかぶせるように、ようやく立ち直った警官が手帳を取り出しながら割り込む。

「……警察やって!?」

「なんでサツがおるんよ!?」

 まさかの警官の存在に、一人を除いて泡を食ったように騒ぎ出す追跡者女子一同。その中で一人だけ、宏の顔をロックオンして、ギラギラした目でにらみつけている女子が。

 その女子に気が付いた宏が、深々とため息をつきながら、春菜の横をすり抜けて前に出る。

「……樋口の次は田島か……。満場一致で少年院送りにされたっちゅうのに、まだ自分が正しい思ってんのか?」

「そんなん当たり前やろ。社会の役に立たんくせに人に罪かぶせるような屑をゴミ箱にほろうとしただけやのに、何で犯罪者扱いされなあかんねん」

「理由がどうであれ、暴行も面会謝絶の病室への強引な侵入も普通に犯罪やで。なあ、おまわりさん?」

「せやなあ。こっちは背景事情詳しいは聞かされてへんから何とも言えんけど、話聞いてる限りではそっちのお嬢ちゃんらが過去の事逆恨みしとるっちゅうんと、恐らく少年院に入れられて当然っっちゅうようなことをやらかしとるっちゅうんは分かりますわ」

 見ず知らず、どころか管轄すら違う、間違いなく宏達の間で過去に起こった事件など知らないであろう警官にまで言われ、見る見るうちに鬼のような形相になり顔を赤くしていく田島。

 その顔を見ていた田島のグループの女子が、慌てて田島に声をかける。

「翠、もうやめようや!」

「そうやで! 前々から言おう言おう、思っとったんやけどな、ええ加減東の事なんかにこだわってんと、今後のこと考えんとあかんやろ!?」

「っちゅうかな、あんたとか真奈美とかがそんなんやから、あたしらも同じや思われとんねん! ほんまにええ加減、ええ迷惑やねん!」

 最初の一人はともかく、それ以降はものの見事に責任転嫁をするようなことを言う女子たち。それを見ていた達也が、思わずボソッと突っ込みを入れる。

「逃げてきたこっちの娘はともかく、追いかける側に回ってたお前さんたちに言えた義理じゃないと思うがね」

「あたしらかて、加担しとうて加担しとった訳ちゃうわ!」

「それ、ヒロの時と何も進歩してねえ、って自白してるようなもんじゃねえか? だって、ヒロの時も、お前さんたちは加担したくて加担してたわけじゃねえんだろ?」

 大人の、それも滅多にいないレベルのイケメンからそうばっさり切り捨てられ、言葉に詰まる田島のグループの女子たち。その間にも、田島の雰囲気はどんどん危険なものになっていく。

「宏君……」

「今回ばっかりは、さすがに逃げて春菜さんの陰に隠れる訳にはいかんでな」

「でも……」

「大丈夫や。こんなもん、ビビッて仲間死なせてまうことに比べたら、なんぼのもんでもないわ」

 明らかに顔色が悪く、全身が震えている宏を心配そうに見つめる春菜。病室に侵入して首を絞めようとした女ではないにしても、やはりチョコを無理やり食わせたうちの一人ではある。それだけに、春菜の目にはどう見ても恐怖を抑えきれてはいないようにしか見えない。

 だが、これを乗り越えなければ先はない、という宏の覚悟も理解できてしまう。ここで宏の覚悟に水を差してしまえば、乗り越えなければいけない過去を一つ、永久に乗り越える機会を失ってしまいかねない。

 もはや傍観者にしかなりえない春菜にできることなど、少しでも宏が楽になるようにと祈りながら、いざという時のために割り込めるよう心構えをしておくことだけである。

 そんな気持ちを込めて、宏の背に片手をそっと当て、反対側の手で宏の手を握る。

 握った手から気持ちが伝わったのか、宏が春菜の手を握り返し、そのまますっと手を離してさらに前に出る。

「もうええわ。どうせあたしは未来永劫犯罪者や。それやったら、クラスメイトが病気で死んでも泣きもせんと喜ぶような人でなしを、これ以上他人に迷惑かけさせんよう地獄に送ったるんがせめてもの社会貢献や。ちゃうか?」

「ほんま、ええ加減にし!」

 衝撃的な発言をした田島に対し、光里が怒鳴りつける。その光里に対し、うるさそうに視線を向ける田島。

「あのなあ! あの時の東君の状況で、クラスメイトの女子のために泣けるわけあらへんやんか! そもそもの話、あんたかてあの当時西岡君とか横山君とかが病気か事故で死んだとして、泣いたりとかせんかったやろうが!」

「あんなカッコつけとか根暗と、麻里を一緒にすんなや! 他のクラスメイトがみんな泣いとんのに一人だけ泣かん奴が、まともな人間なわけないやろ!」

「死んだ娘の事悪く言いたあないけどな、自分の事積極的に泥棒扱いしといて、マッチポンプで悪人に仕立て上げた挙句に許すことで聖女面しとる、しかもその裏でさらにえげつないいじめ主導しながら表では庇うふりしてさらに油注いどった性悪女のために悲しんで泣けるとか、そっちの方が人間としておかしいわ!」

 宏の視点だけでは出てこない情報を聞き、ここまでこじれた理由の一端をなんとなく理解する春菜、達也、真琴の三人。もっとも、理解はすれども宏の扱いに納得するわけではない。

「ほら、やはりいじめの標的になるような人間など、碌な人格はしていないでしょう? これ以上加害者を増やさないためにも、さっさと殺処分してしまうべきですよ」

「それを認めとる先進国はあらへんし、警察官としてそんな国の治安守るんなんか御免や。ついでに言うとな、どんなにきれいな言い訳しようと、今回の件で向こうの彼が殺されたら、情状酌量の余地なく殺人の現行犯や」

 光里と田島の言い争いに対し、唐突に過激で物騒な発言で口を挟む男と、その意見を即座に却下する警官。

「そっちの自分らは、これと同じ意見なんか?」

「そんな訳あらへんやん! あたしらかてあんたの一件のせいで、高校では現在進行形でいじめられとんねんからな! それ認めたらあたしらも殺処分されなあかんやんか!」

「しかもあたしらの場合、それこそ原因は自業自得やねんから余計否定できんやんか!」

 あきれた表情を隠さずに取り巻きの女子一同に宏が聞くと、全員そろって大慌てで否定の言葉を返してくる。ようやく自分たちが加担している相手の言い分が、というより過去に自分たちの行いを自己正当化するために使っていた理屈がどれほど致命的かを理解したようだ。

「せやけど、僕とか松島さんに文句あったんやろ?」

「……そら、いくら自分が悪いっちゅうんは頭では分かっとっても、そこまで関わってへんで賠償金もいらんレベルやのにこんな扱い受けたら、普通文句も愚痴も出るやろ?」

「特に松島なんか、あの子があそこまでの事やってへんかったらマスコミも食いつかんかったやろうし、あたしらが受験妨害されることもなかったんやで。それでセンター試験惨敗したり、そもそも試験受けられへんなった娘もおるんやから、恨まれて当然やんか」

「言いたいことは分かるけどな、それでそこのおっさんにそそのかされて実際に田島と一緒に行動しとんねんから、自分らは中学の時と何も変わってへんやん。しかも、その責任を田島に全部押し付けるとか、やってることがあの頃と全く同じやで」

「「「「……」」」」

 宏にズバリと言われ、言葉に詰まり黙ってうつむく取り巻き一同。これ以上責任逃れのための反論をしても、見苦しいだけだというのは分かってしまったようだ。

 その間にも田島と光里の間の言い争いはどんどんヒートアップし、互いの形相が恐ろしい事になっている。

 最初から直視できないほどおどろおどろしい表情だった田島はともかく、光里の方は殺されると言って泣きついてきた女とは思えないほど猛々しい顔つきになっている。この短期間でここまでの変化を見せるとか、いったい彼女の中で何があったのか興味深い所だろう。

「どう言いつくろったところで、暴力振るった時点でわたしらに正当性なんざあらへんねん! ええ加減にせえや、田島翠石(エメラルド)!」

「フルネームで呼ぶな!!」

 何やらぷつっと切れたらしい光里の一言に、すでに危険領域に達していた田島の挙動がついに一線を超える。

 フルネームで呼ばれて切れるを通り越した田島が全力で光里を殴り飛ばし、背負っていた鞄を降ろして中から瓶とライターを取り出す。

「こら、おっさん! 邪魔すんなや!」

「邪魔などしていませんよ。単に、あなたが進みたい方向がたまたま私が立ちたくなった場所なだけです」

「ああ、もう! 公務執行妨害の現行犯で逮捕や!」

 今にも殴りかかろうとしていた田島を取り押さえようとして、見事に妨害を受けて結局暴行傷害を阻止できなかった警官が、いらだちのままに男を投げ飛ばして抑え込み、後ろ手に手錠をかけて転がす。

 その間にも、田島は瓶のふたを開けて中の布を引っ張り出し、ライターで着火して数メートル先で転がっている光里に向かって投げつける。

 作るだけなら割と簡単に作れてしまう違法な品物の代表例、火炎瓶。密造する場合、恐らくもっとも足が付きにくいであろうだけに、田島が持っていても逮捕までは至らなかったようだ。

「ちっ!」

 おっさんに妨害され、この場で最も危険な代物に対処できずに舌打ちする警官。もはや投げられた火炎瓶に対処できる手段は彼にはない。

 どう考えても光里に直撃するのは避けられない。数名を除く誰もがそう思った次の瞬間、放物線の天辺付近に火炎瓶が到達したタイミングで何者かが割り込み、火炎瓶を人も建物も存在しない方向へ叩き落す。

「ほんまに、ええ加減にせえや!」

 火炎瓶を叩き落した宏が、田島に向かってそう怒鳴りつける。無意識にアウトフェースを乗せてしまったその怒声に、その場にいた田島以外の大阪組全員が一瞬ひるむ。

 だが、怒りと憎しみが強すぎてもはや正気を完全に失っている田島は、そのアウトフェースすら振り払って宏へと突撃を始めた。

「本当に、いい加減にしようね」

 突撃を開始したはずなのに唐突に景色が逆転し、更に身動きが取れなくなった田島。その混乱している頭にきれいな声が聞こえてくる。視界の隅に長い金髪。

 数秒ほどで混乱が収まり、現状を把握したところで首をひねって自分を押さえつけているであろう女の顔を確認する。

 そこには予想通り、防犯ブザーをはじめとしたあの手この手で邪魔をしてくれた、ムカつくほど美しい外国人女の顔が。

「なんで邪魔すんねん!」

「理由がどうであれ、火炎瓶投げたり人を刺そうとしたりしてる人を取り押さえるのは当たり前でしょ? それに、殴られてケガしてる人に無理をさせる訳にもいかないし」

 抜け出そうと暴れながら憎々しげに叫ぶ田島に対し、取り押さえた金髪女こと春菜が、その美しい顔に悲しそうな表情を浮かべながら、淡々と諭すように告げる。

 その間にもこれ以上余計なことをさせないようにと、宏と同時に動いていた真琴が田島の荷物を回収し警官に渡し、達也が万一のためにと中から持ってきた消火器で火炎瓶の火を消している。

「ええ加減放せや!」

「放したら、誰を殴りに行くの? 宏君? それとも長井さん?」

 この期に及んでまだ攻撃をあきらめない田島に、心底悲し気にそう聞く春菜。どちらにせよ、放してしまえば殺人未遂か、下手をすれば殺人罪が増えるだけである。

 もはや田島との和解は不可能にしても、これ以上被害者を増やせばその家族の恨みが宏に向かいかねない。それ以前に、せっかく反省し更生した光里や、逆効果になったとはいえ体を張って事件を食い止めようとしていた由香里の努力が無駄になるのは看過できない。

「もう放しても大丈夫やで、お嬢ちゃん」

「はい」

 危険物の処理を終え、春菜の代わりに田島を拘束しにくる警官。それを見て、ようやく状況が終息したと判断して力を抜く春菜。

 そこへ、今回の事後処理のキーマンとなるであろう天音が、ようやく由香里に関係するあれこれを終えて大阪出張所から出てきた。

「ごめんなさい。もっと早くに戻ってくるつもりだったんだけど……」

「おばさんじゃなきゃダメだったっぽいし、今回ばかりはしょうがないよ」

「だけど、東君も春菜ちゃんも危険にさらしちゃったし、そっちの長井さんだっけ? に至っては普通に殴られてるみたいだし……」

「そのあたりの治療や事後処理もかねて、皆様には署まで同行願います」

「もとより同行はするつもりですが、その前に長井さんの治療だけ、先にさせてください。女の子なので、顔に跡が残る可能性があるのはさすがに……」

「……そうですね。だったら、その間に応援呼んで現場検証済ませてまいますわ」

 そう言って、携帯とパソコンで応援を呼び出しつつ、色々な処理を始める警官。その間も喚き散らす田島と、訳の分からない理屈でこの場にいる人間全員を非難し続ける男。

「もう、いやや! もうあたし関係ない! あたし何もしてへん!!」

 一連の事態で限界を超えた取り巻きの一人が、事態の収拾と共に緊張の糸が切れてへたり込み、号泣しながらそんな声を上げる。それにつられ、他の女子たちも泣き始める。

「……覚悟はしとったけど、後味悪いわ……」

「……ここまでこじれてる以上、ある程度どうしようもなかったとは思うけど、結局再犯を止められなかったよね……」

「……ジャンルによってはこの後ざまぁ展開になるんでしょうけど、正直それを喜べはしないわよねえ……」

「僕がこっち来とったから火に油注いだ部分あるし、やっぱもうちょい間ぁ見てこっちに来なあかんかったかなあ?」

「いや、ヒロが来てなかったら、確実に松島さんは手遅れになってた。それに、あの様子じゃあいつこっちに来てようがあんまり関係なかっただろうさ」

 泣き続ける取り巻き達と喚き散らす田島、そしてその原因となった宏を延々と非難しこき下ろし続ける男。そんな妙に救いのない、ただただひたすら後味の悪い結果に、どうにも表現しがたい種類の苦い顔をしてしまう宏達。

「これ、多分氷山の一角やねんけど、僕ら何時になったら潮見に帰れるんやろうなあ……?」

「分かんないけど、流石に卒業式には一度帰らせてはもらえる、はず」

「やったらええんやけどなあ……」

「何にしても、私はずっと宏君についてるから。仮に私が代わりに恨まれるようなことがあっても、絶対に宏君の味方のままだから、ね」

「それはそれで申し訳ないんやけど……」

 春菜の一途な気持ちにいろんな意味で申し訳ない気分になりつつ、気分的にも状況的にも昼食どころではなくなってしまったなあ、などとまだ見ぬ冷蔵庫の中身に思いをはせることで、いくらでも落ち込んで行きそうな気持ちにどうにかブレーキをかける宏であった。
今回の、サイコロの神様容赦ねえ! は
命名:田島翠石

名前自分で決めるの嫌で、いろんなランダム命名ツールを駆使して命名。
一発目でエメラルドって出てくるあたり、本気で容赦ねえなあ……。
なお、作者はDQNネームと人格との因果関係は、度合いと環境による、という認識です。
別に、DQNネームの人全員が田島みたいな思考になるとは思ってもいませんので、念のため。
+注意+
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