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フェアリーテイル・クロニクル ~空気読まない異世界ライフ~ 作者:埴輪星人

後日談 春菜ちゃん、がんばる?

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第23話

「……やっぱり俺、いまだに信じられへんわ」

「僕かて、たまに自分が都合のええ夢見てるんちゃうかって疑っとんで、実は」

 二月も半ばを過ぎたある日。全員志望校の前期の二次試験が終わり、翌日には健一が大阪へ帰るというある日のこと。集まった場所と集まった人の顔を見て、健一と宏がしみじみと現状について語り合っていた。

 現在宏達は、「過剰に反応しとる反省しすぎ女」こと松島由香里との面会についての打ち合わせで、関係者一同が天音の研究室に集まっている。場所が天音の研究室なのは内容的な問題に加え、私大である海南大学の前期入試の合格発表と達也の仕事が重なっていて都合がよかったからというのもある。

 なお、現在この場に集まっているのは宏達六人と天音、健一の計八人である。健一は試験帰りで澪は本日は授業が半日だったので、何かをさぼっているという事も特にない。達也と詩織は、仕事のついでという形でそれぞれが勤めている会社の許可を取ってこの場にいる。

 言うまでもない事だが、宏と春菜、真琴の三人はちゃんと合格をもぎ取っている。

「私としては、夢だったらちょっと困るかな。だって、せっかくこんなに宏君の事を好きになれたのに、それが妄想だってことになっちゃうし」

「……なあ、東」

「……言いたいことは分かるけど、僕に言われても困んで」

 のっけから好き好きオーラ全開で真正面から愛の告白を叩き付けてくれる春菜に、砂糖でも吐きそうな様子で宏に苦情を言おうとする健一。それに対し、どうしてこうなったと遠い目をしながらクレームをぴしゃりとはねのける宏。

「藤堂さんって、普段からこんなにダダ漏れなん?」

「学校で自爆してから、開き直ってもうてなあ……」

「なるほどなあ。っちゅうか、この状態の藤堂さんと一緒っちゅうんは、色々大変そうやなあ……」

「幸いにして、うちのクラスは非常に理解があったおかげで、こうなったゴールデンウィーク以降は何事もない感じでやってけたけどな」

 宏の回答を聞き、どことなく同情的な視線を向ける健一。達也のような誰もが認めるいい男ならまだしも、見た目と雰囲気には女にモテる要素が限りなくゼロに近い宏となると、釣り合いやら何やらでうっとうしい目にあいそうである。

 これが宏が普通のヘタレであれば、上手い事やりやがって、ぐらいで済む。もしくは、春菜の男の趣味に残念なものを感じて終わりだろう。普通の男たちの嫉妬や春菜のシンパの女性からの陰口など、春菜にここまで愛されていることからすれば必要経費のようなものである。

 が、それはあくまで、宏が単にごく普通のダサいヘタレであればの話。色々波乱の人生を歩んできて、いまだにその後遺症が完全に抜けたとはいいがたい宏にとって、そのあたりの要素は春菜の愛をもってしても完全にプラスと言い切れない部分がある。

 当然のことながら宏も春菜も一切悪い事はしていないし、そもそも不倫でもない限り、人の恋路に口を挟むなど野暮の極みだ。春菜が人格的に申し分ないだけに、中学時代の友人でしかない健一には文句をつける筋合いはない。

 それが分かっていて、しかも嫉妬だのなんだのといった負の感情を一切持っていなくても、現状を考えると素直に応援も祝福もできない。上手くいってくれれば嬉しいが、不安要素が大きすぎて上手くいくとは思えない。

 そんな健一の複雑な心境を察した春菜が、健一以外に見えない角度で、淡い微笑みを浮かべながら小さくうなずいて見せる。

「……藤堂さんのダダ漏れ具合は置いとこう。今日は松島の話や」

「そうね。とりあえず確認だけど、どういう日程でやる予定? 春休みまで引っ張る?」

「マスコミ方面の事を考えたら、そこまで時間はかけられないから、卒業式までに決着は付けたいかな」

「せやな。それに、松島もそうやけど、他にもやばい感じの連中がちらほらおる。春休みまで引っ張るっちゅうんは怖すぎるわ。そっちの負担も考えたら、大阪に来るんは多くて三回まで、日程も今週来週あたりで一気に終わらせてまいたい」

 真琴の確認に対する春菜の意見、それに同意した健一が大雑把な日程の希望を口にする。それを聞いていた澪が、不思議そうに、というよりは疑わしそうに口を開く。

「ここまでこじれた問題、そんな短期間で解決するの?」

「まあ、解決はせんやろな」

「解決しないんだったら、無理に春休み前にこだわらなくても……」

「っちゅうか、身も蓋もない話したら、解決する必要はあらへんねん。急いでやらんとあかん事は、東はもう無関係や、っちゅう認識を、俺も含めたあの中学出身のアホ全員に叩き込むことや。欲を言うんやったら、主犯グループでも更生できそうなんと豚箱ぶち込んどいたほうがええんとをふるいにかけれたら最高やな」

「……それでいいの?」

「そっから先は、それこそカウンセラーとかそういう人らに頼って、じっくり腰据えてやらんとあかん領域やからな」

 健一の狙いを聞き、そういうものかと納得する澪。

 ちなみに、マスコミは現在、宏達の件に飛び火する手前のところで大炎上中である。大部分のメディアや大物がセンター試験を妨害した記者及び雑誌編集部を全力攻撃し、それに雑誌側が真っ向勝負で反論。どういう訳か雑誌側に賛同する人間も結構出てきているために泥仕合の様相を見せつつある。

 が、泥仕合になりかけているとはいえ、そもそもなぜセンター試験を妨害してまで取材をしようとしたのか、という話にいつ話題が向かってもおかしくない。なので、攻撃を受けている方が引っ掻き回しに入る前に、解決まではしなくても決着だけはつけておきたいのだ。

「で、日程ですけど、松島はいつでもええらしいですわ。ただ、向こうも付き添いっちゅうことで、河野志保っちゅう女子が同席したいそうです」

「それは問題ないけど、その河野さんっていうのはどういう子?」

「同じ中学出身で、松島の中学時代からの友達です。当時のあの中学では珍しい、中立でかつ冷静やった数少ない女子で、アホなことせんで済んだから違うクラスで助かったって、申し訳なさそうに言うてましたわ」

「……なるほど。冷静で中立、っていうのは本当みたい。その河野さんの目的は、第三者の目から見て松島さんが実際のところどうなのか、っていうのを説明したいっていうところかな」

 天音の確認に、はっきりとうなずく健一。それを聞いた天音が、小さくため息をつく。

「そうだね。まず、明日私と春菜ちゃんでその子たちに会って、今後の予定を固めるよ。場合によっては、東君に出てきてもらわなきゃいけないかもしれないし」

「あ、だったら、あたしもいきましょうか? あたしは現在入試も終わったプー太郎ですし、お金も十分ありますし」

「……そうだね。私と春菜ちゃんの判断だけだとちょっと心もとないから、溝口さんにもついてきてもらおうか」

「男の年長者もいてほしい所だけど、さすがに今日明日すぐ大阪となると、達也は厳しいわよね」

「……そうだな。……いや、代休使えって言われてるから、無理でもないか。ちょっと上司に確認するわ」

 ここは無理にでも休んだ方がいい。その直感に従い、上司に代休を使っていいか確認する達也。事情を説明した後の上司からの返事はというと

「どうやら今回はもう話がついてて、小川社長のプロジェクトのヘルプ扱いになるらしい。大阪行って帰ってくるのは仕事って事になった。で、俺は新年度から礼宮商事に出向って事でかなりハードなスケジュールが組まれてるらしいから、大阪から帰ってきたら今ある仕事全部引き継いで、年度末まで代休取れだと」

「よっぽど向こうに気に入られたみたいねえ……」

「俺、いつまで今の会社の所属なんだろうな……」

 今までのように必要な時だけ手伝う形だと思っていたのに、よもやの出向という事実を知って遠い目をしてしまう達也と真琴。さすがにそこまでの掟破りはしなかろうが、このままでは気が付いたら礼宮商事の所属になっていた、なんてことも有り得そうで怖い。

 待遇だけを言うなら今いる会社より、礼宮商事の方が圧倒的にいい。仕事にしても、恐らくハードさはあまり変わらない。なので、別に困らないと言えば困らないのだが、今の会社に愛着もあれば人間関係にも問題がないので、移籍することには結構抵抗がある。

 何より、今の会社で作った顧客のフォローが、移籍後は難しくなりそうなのが達也的には気になって仕方がない。なので、現時点では、どれほどいい条件を積まれても礼宮商事に移りたいとは思えないのだ。

「まあ、美優ちゃんは無理に引き抜きをかけたり既成事実の積み重ねで移籍させたりとかはしないから、そこは安心して」

「タッちゃんの場合、どっちかっていうとバーターで出してもらってる仕事の関係で、今の会社から売られる可能性を心配しなきゃだよね~」

「実際、礼宮の仕事で中堅以下の社員がものすごい勢いで鍛えられてるから、別に俺居なくてもいいんじゃねえか、って気がしてるぞ正直……」

 達也が美優たちから礼宮関連の仕事を振られるようになって、約半年。その半年でこなした礼宮関係の仕事は大小合わせて数百件に上るが、当然ながらその数を達也一人でどうにかできるわけがない。

 月に二件から三件はある大型案件は担当者として達也がやるにしても、それ以外は同僚や後輩、昇進してから付けられた部下もこき使ってこなすしかなく、一つ仕事が終わるたびにめきめきと成長していく同僚や部下の姿を見せつけられてしまう。

 もっとも、そうやって鍛えられた連中からすれば、揉まれる前から礼宮の社員と対等に仕事をこなし、そんなに根を詰めて仕事をしているようにも見えないのに着実に成果を積み重ねていく達也は、もはや化け物としか思えなかったりするのだが。

(ねえ、天音おばさん……)

(何?)

(達也さんの場合、売られてるんじゃなくて、他の社員に過剰な仕事が来ないように人身御供にされてるような気がしてならないんだけど……)

(……そういうのは、言わぬが花だと思うよ、春菜ちゃん)

 達也の現在の境遇について正確に察している春菜と天音が、こそこそとそんな話をしている。その会話がばっちり聞こえていた宏と澪が、微妙に引いた顔で天音たちと達也を見比べる。

「それで、私と春菜ちゃんは今日のうちに大阪に行っちゃおうと思うんだけど、大丈夫?」

「いつでも行けるように、支度は済ませてあるよ。今からって言われてもいいように、荷物も持ってきてるし」

「そっか。じゃあ、今から鉄道とか手配しちゃうから……」

 そう言いながら大阪までの足を手配しようとした天音に対し、何やら覚悟を固めた様子で宏が声をかける。

「それ、僕も一緒に行ってもうたらあきません?」

「……えっ?」

「予定やったら、教授と春菜さんがOKやっちゅう判断したら、また日ぃ改めて僕と松島さんが面会する予定になってましたよね?」

「うん。東君の負担とか治療に対するリスクを考えて、できるだけ向こうにいるのは必要最低限の時間にしようと思ったんだ」

「それやったら、日程短縮のためにも最初から僕も向こうにおって、OKやっちゅうことになったらその場で面会、でええんちゃいます?」

 宏の言葉に、どうしたものかと顔を見合わせる天音と春菜。実のところ、宏が春菜同様に妙に大きなカバンを持ってきていたのを見て、こういう言葉が出る可能性を想定はしていたのだ。

 宏の考え方も、間違っているわけではない。マスコミ方面を考えるなら、今回の件は入試期間という魔法が効いているうちに解決する必要があり、そのためには日程を短縮できる部分は短縮するに越したことはない。

 問題なのは、その短縮方法だと、宏の心に多大な負担をかけることになることであろう。いかに神になったと言えど、いかに強靭な精神力を持っていようと、心というのは意外と簡単にダメージを受けてしまうのだ。

 それにそもそもの話、宏を公共交通機関に乗せるのは、まだ少々不安がある。

「……まあ、今日から向こうに行くこと自体は、問題ないんじゃないかなって思う。大阪って言っても広いから、宏君の地元に長居しなきゃいいだけだと思うし」

「問題は、私達と一緒に行く、っていう事だよね。新幹線はグリーン車を手配すればいいとしても、途中の駅がちょっと厳しいと思う。特に、新幹線の発着駅になる新大阪駅と品川駅は人が多いし」

「駅に行くまでも、ちょっと怖いかな」

 天音の指摘に、春菜も同意する。

「ねえ、教授。根本的な疑問、いい?」

「何かな?」

「そもそも、師匠の移動はどうする予定だったの?」

「向こうにある私の研究室の出張所のゲートを起動して、それを使ってもらう予定だったんだよ」

「だったら、教授たちが着いてすぐに、師匠がゲートで移動すれば済む気が……」

「うん。それが今日でも明日でも特に問題はないから、こちらとしてはゲートで移動してもらった方がありがたいんだけど……」

 澪の疑問に答えながら、宏を見る天音。その視線に苦笑しながら、思うところを告げようと宏が口を開く。

「ゲートで移動でもええんやけど、いい加減そろそろ都心部の人混みに慣れる訓練したいんよ。それに、電車とか使うんも、いずれ避けて通れんやろうし」

「主治医として言わせてもらうなら、そういうのは大学が始まってからにしてもらいたいかな。いきなり新幹線での長距離移動は、さすがに先走りすぎ」

「やっぱ、あきませんか」

「うん。それに、大阪へ行く目的を考えると、人混みを抜けて公共交通機関を使うことによる負担のケアまではちょっと厳しいよ」

 天音にたしなめられ、肩の力を抜いてため息を漏らす宏。それを見た春菜が、優しい微笑みを浮かべながら宏に声をかける。

「宏君、そんなに焦らなくても大丈夫だよ。移動でまで無理しなくても今回の件は何とかなる、というよりなんとかしなくちゃいけない事だし、大学に入ってからならいくらでも機会はあるし、ね」

「……せやな」

「故郷の近くまで行くっていうだけでも、今の宏君にとっては相当な無理をする必要があることなんだし、そのありのままの姿を見せるだけでも、ここまで立ち直るのにどれだけ頑張ったのかはちゃんと伝わるよ」

「……ここで無理するんは、かえって春菜さんらの足引っ張ってまうか……」

 無理をおして春菜達と一緒に移動しようとした本当の理由、それを見抜かれて大きくため息をつく宏。ここまで言われて無理をしたがるほど、宏は頑固でもなければM気質でもない。

 あっさり同行を撤回し、ゲートの準備が整うのを待つことにする。

「てか、教授。確か教授の場合、テロとか事故とかが怖いから、ゲート使って移動できるところは可能な限りゲート使ってくれって言われてませんでした?」

 いい感じに話がまとまりそうになったところで、礼宮関連や海南大関連の仕事中に聞いた話を思い出し、達也が疑問をぶつける。

 疑問をぶつけられ、そっと視線をそらして何かをごまかそうとする天音。

 それを見た真琴が、何かを察して一つうなずく。

「教授、ひそかに旅行気分で新幹線に乗って移動する機会狙ってたでしょ?」

「旅行気分、ではないよ。さすがに、今回のケースでそんなに浮かれるほど、軽薄なつもりはないよ」

「でも、どうしても新幹線で移動したい、って感じなんでしょ?」

「どうしてもって程ではないんだけど、たまには公共交通機関で移動しないと乗り換えのやり方とか忘れちゃうし、なんとなく私だけ特別にゲートを平時に使わせてもらうのも申し訳ない気分で……」

「宏の移動じゃないけど、今回は諦めてみんなでゲートを使った方がいいんじゃないですか?」

「……あ~、うん。向こうの出張所、今日は無人なんだけど、それはどうとでもなっちゃうか……」

 うなずいた後の真琴の怒涛の突っ込みに、いろいろあきらめて大人しくゲート移動を承諾する天音。

「じゃあ、確認だけど、向こうに一緒に行く人で、着替えとかの準備終わってない人は?」

「俺は仕事中だったし行くかどうかも決めてなかったから、さすがに準備なんてしてないなあ」

「あたしは多分今日移動だって思ってたから、準備して来てるわよ」

 今回の件で比較的重要な立場にいる年長組は、きっちり対応が二つに分かれる。それを聞いた宏が、一つの提案をする。

「それやったら、兄貴が準備に帰るついでに、西岡も一緒に移動できるように段取り組んだらどないかな?」

「そうだな。俺たちだけが向こうに行っても、彼がいないと段取りができないからな」

 宏の提案に同意する達也。健一が入試期間に借りているウィークリーマンションは都内なので、ついでに寄り道するだけで処理が終わるのだ。

「お世話になってもうて、ええんですか?」

「というか、世話になってくれないと俺たちが困る」

 ポンポン進む話に困惑し、遠慮がちに問う健一。その健一に、自分たちの都合だから気にするなと笑って告げる達也。

「あ、香月さん。多分大丈夫だとは思うけど、一日短縮することで違約金が発生するんだったら、後で清算するから立て替えて領収書貰っておいてね」

「了解です」

「タッちゃん、ちょっと手間かもしれないけど、先に私を家に送ってくれないかな~? 西岡君の方を段取りしてる間に、着替えとか準備しておくよ~」

「おう、頼む」

 細かいことを決めた後、健一を伴って研究室を出ていく香月夫妻。それを見送った後、澪が己の予定を口にする。

「ボクはお留守番だから、おとなしくいつきさんと畑仕事してる」

「せやな。朝はよからになるから大変やと思うけど、頼むわ」

「ん。畑仕事は大好き」

 達也が戻ってくるまでの間に、そんな感じで不在中の事を和やかに決めていく宏達であった。







「ここ、かな……?」

「地図の通りやったら、そうやろな……」

 翌日の十時過ぎ。鉄道の環状線沿線の某所。地図を見て指定された場所まで来た松島由香里と河野志保は、周辺と比較して大きさ的にはこじんまりとした、だが印象的には妙に立派な建物を前に尻込みしていた。

「お前ら、何こんなところでまごついてんねん」

「あっ、西岡君」

「はよ入らんと、中で東の関係者が待っとんで」

 どうやら違う電車で来たらしい健一が、まごついている女子二人を促す。健一に促されて、由香里と志保が中に入る。

「……西岡君、入試はええん?」

「一応、滑り止めのうち一個は合格しとるからな。それに、本番は国立やから、こんな問題何時までも引きずりたあないわ」

「……東君はどうなん?」

「あっちは彼女とか友達とかと一緒に、本命の海南大学に合格しとる。後は卒業までフリーやから、それこそ大学入るまでにけりつけたいやろな」

「そっか……」

 二重の意味でひどい顔をしている、などと思いながら、由香里からの質問に答える健一。

 顔だちは良くも悪くもない由香里だが、正直今の表情は痛ましくて直視できない。しかも、見るものが見れば、顔に殴られた痕跡が残っているのがはっきり分かる。

 宏の写真を送った後、一度だけ直接会った時はもっとましな、ちゃんと未来を見ている顔をしていた。だが、今の由香里は、自分が追い詰められている事すら理解していないような、どん底にいる人間が妙な覚悟を固めてしまっている類の表情をしている。

「松島と河野は、大学どないするんや?」

「私はそれどころやないから、進学はあきらめるつもりやねん。どこにも願書出してへんし」

「あたしはまあ、頑張れば電車一本のところにある奈良の国立にはいけそうやから、今年は手ごたえ確かめるために受けるだけ受けてみるつもりや」

「なるほどな。……まあ、松島に関して言うたら、多分普通に受験しとったところで、余計な妨害入りおったやろうしなあ……」

 由香里の顔をもう一度確認し、ため息をつきながらそうぼやく健一。どうやらもともとから由香里は進学を考えてはいなかったようだが、仮に進学するつもりであったとしたら、恐らく主犯グループの一部が性質の悪い種類のマスコミと結託して妨害に回ったであろう。

 主犯グループの、それも特に宏への逆恨みが根深い連中からすれば、いい子ちゃんぶっているようにしか見えない由香里が受験に失敗して転落人生を歩むのはいい気味であるし、性質の悪い種類のマスコミにしても、宏の事をきっかけに人生が狂ったという題材は、無理やり火種を起こして大火事に発展させるのに実に都合がいい。

 今回は事前に天音たちが動いてくれたためにそこまではいかなかったが、そういったコネが無く連中の思うがままに進んでいた場合、一般人の反応は妨害に動いたマスコミを非難しながらも、何故か宏を全面攻撃する方向に進んでいただろう。むしろ、そういう印象操作をできる自信があったからこそ、自分たちの入試を妨害しに来たのは明らかだ。

「とりあえず、俺らはものすごく運がええわ。俺らみたいなどこにでも転がっとるガキのために、超大物が動いてくれとるからなあ」

「……そうなん?」

「せやで。会うたら多分、ものすごい驚くと思うわ。っと、この部屋やな」

 超大物、という言葉に不思議そうにする志保に対し、自分の事ではないのになぜかわざとらしくドヤ顔しながらそんなことを言う健一。そこで会話を切り上げ、指定された部屋の扉をノックする。

「どうぞ」

「失礼します」

 入室を促され、思わず面接の作法に従って部屋に入る健一。それに続いて由香里と志保が室内に入り、そこで待っていた人物を見て絶句する。

 室内には、天音と春菜、それから念のためにと達也と真琴が待ち構えていた。

「おはようございます」

「おはよう。今日は朝からご苦労様。ごめんね、無理に日程あわせてもらっちゃって。さ、座って」

「はい、失礼します」

 天音に挨拶をし、対面のソファーに座る健一。その間も、由香里と志保は驚きのあまり固まったままである。

「物凄い驚いたやろ?」

「……どういう事なん? っちゅうか本物なん? これ、現実?」

「おう、本物の綾瀬教授で、現実やで。綾瀬教授が、東の治療をやってくれはってん」

 健一に声をかけられ、質問に答えてもらってようやく現実を理解する志保。一拍遅れて、由香里が再起動する。

「とりあえず、自己紹介しておこうか。今、西岡君が言ったけど、私は綾瀬天音。海南大学で教授をやらせてもらってるよ。東君の治療も責任者として任せてもらってて、その縁で今回の事に関わることになったの」

「宏君のクラスメイトで、藤堂春菜です。宏君のリハビリを手伝わせてもらってます。写真見たことがあるんだったら多分見抜かれてると思うけど、私、宏君のことが好きなので、親友からもう一歩踏み込んだ関係になるのを目標に色々頑張ってます」

「香月達也。ゲーム内のちょっとした縁でヒロ、っと、東宏と仲良くなってな。いろいろあってこっちの件も手伝うことになった。と言っても、俺とそっちの溝口真琴に関しては、こっちにいる例の事件の関係者をヒロに会わせても大丈夫か、とか、春菜が暴走しないか、とかそういうのを判断するだけで、特に何をするわけじゃねえんだがな」

「今達也から紹介があった、溝口真琴よ。関係に関しても役割に関しても、達也の説明通りね」

「あっ、河野志保です。こっちの松島由香里の友達で、今日は付き添いで来ました」

「……松島由香里です。東君を追いつめたアホな女の一人です」

 由香里と志保が話ができる状態になったと見て、自己紹介を始める天音たち。それを受け、志保と由香里も自己紹介をする。

 その由香里の自己紹介に眉をひそめ、天音たちがたしなめようと口を開くより先に、由香里がこの場についての根本的な疑問を口にする。

「……うちらのやったこと考えたらありがたいどころの話やないけど、なんで綾瀬教授ほどの人が……」

「自己満足に近いんだけど、私も一歩間違えたら東君と同じような状態になりそうだった事があったから、他人事とは思えなくて、ついね」

「……申し訳ありません……。……ほんまに、申し訳ありません……」

「松島さんは悪くない、とは言えないけど、これ以上責められるいわれもないと私は思ってるよ」

「でも……」

 顔面蒼白でうつむき、天音の言葉を拒絶する由香里。その、余りにのっぴきならない様子に、隣で黙って様子を見ていた春菜と顔を見合わせて小さくため息を漏らす天音。

 入ってきたときから色々気になっており、自己紹介の時の言葉で決定的になった判断を後押しするような由香里の態度を見て、天音は少々強引に話を進めることを決める。

「……そうだね。どうしても自分を許せない、っていうなら、一つこっちのいう事を聞いてもらっていいかな?」

「……なんですか?」

「海南大付属病院に、入院して」

「えっ?」

「正直、今の松島さんは、医者としても科学者としてもカウンセラーとしても看過できる状態じゃない。精神的にはもちろん、肉体的にも手遅れになる手前に来てる。殴られてるの、顔だけじゃないでしょ?」

 柔和な笑みを消し、真剣な、どこまでも気づかわしそうな表情でズバリそう指摘する天音。本当ならこんな強硬手段は取りたくないが、穏便に進めるにはあまりに状況も環境も悪い。

「私のやることが気に食わないかもしれないけど、今の松島さんをそのままにしておくと、誰一人幸せになれない。断言してもいい。このままだったら、近いうちにあなたは殺される。それも、殺意無しで面白半分に鬱憤を晴らすためだけに」

「……おばさんも、そういう判断なんだ……」

「うん。正確なところはちゃんと検査しないと分からないけど、多分これ以上お腹に暴行を受けると、内臓のいくつかに致命的なダメージが入りかねない。しかも、間違いなくそれをやってる子たちは、そこまで危険な状態になってるとは思ってない」

「……マスコミも、そっちを報道して普通に犯罪を犯してる人を悪役にすればいいのにね」

「本当に、ね」

 健一の話から予想していた最悪の状況、その手前に追い込まれている由香里を見て、ため息を止めることができない天音と春菜。どう頑張ったところでこれ以上早くは動けなかったであろうが、どうにかならなかったのかという思いは消せない。

「……教授。由香里はそんなにヤバいんですか?」

「正直に言うと、普通に歩けてるのが不思議なぐらいだよ。もしかしたら、今までのストレスで痛覚がマヒしてるのかもしれないけど、そうだとしたら本当に後がない」

 志保の言葉に、一切偽りなく見立てを告げる天音。検査どころか触診もせずに服の上から見ただけで分かるのか、と言われそうだが、いつき達を開発するために散々人体に触れて解析し、その成果を他の医療技術開発にも応用しては治験を繰り返してきた天音が、そのあたりを見誤ることはない。

 春菜にしても、専門知識では天音に大幅に劣るためはっきりとしたことは分からないが、どの程度ヤバいかぐらいは分かる。その二人がこのまま放置すれば確実に死ぬ、と断言するあたり、由香里がどれほど危険な状態になっているかがよく分かる。

(ねえ、おばさん。今なら正確な診断もおりてないし、こっそりポーションとかで治しても薬事法には引っかからないんじゃないかな?)

(春菜ちゃんたちが自分たちの怪我とかをこっそり治す分にはともかく、今回はちゃんとしたカルテを残しておかないと後々問題になるから、それは禁じ手だよ)

(そっか……)

 まずは死なないように体だけでもと、他の人間に聞こえないようにこっそり春菜が天音に告げた提案は、天音の正論と今後の都合によりあっさり却下される。

 天音の告げた理由に納得し引き下がりつつも、なんとなくこのまま無事にすんなり治療、という流れにはならないような気がする春菜。

「……東君はともかく、私がそんな特別扱いしてもらう訳にはいきません。それに、海南大学まで行くようなお金も入院して治療するようなお金もありませんし……」

「松島さんの治療は絶対に必要な事だから特別扱いでも何でもないし、治療費に関しても本来支払うべき人間に支払わせる予定だから大丈夫、って言っても納得して無さそうだよね……」

 春菜の懸念通り、やはりすんなりと治療を受けるとは言わない由香里。絶対に首を縦に振る気がない由香里を見て、重い吐息を漏らしてしまう天音。

 そんな由香里の態度に、ついに真琴が切れた。

「いい加減にしなさい!」

「!?」

「単なる見届け人だから口挟まないつもりだったけど、もう我慢できないわ。あんたねえ、いつまで悲劇のヒロインぶってんのよ!」

「ヒロインぶっとるわけやない!!」

「ヒロインぶってない人間は、必要だから治療を受けてくれ、って言われて拒否なんかしないわよ! 大体ねえ、死ねばあんたは楽になるでしょうけど、こっちはその後始末とかでものすごく苦労するのよ!? そもそも、あんたが治療も受けずに死んだら、それがあんた自身の意思だったとしても、こっちが悪役にされるって分かってんの!?」

 天音がいかにして納得させようかと悩んでいた言葉を、感情のままにたたきつける真琴。こういうことを勢いで言ってしまうと後で後悔するのは分かっているのだが、それでも言わずにはいられなかったのだ。

「ストップ、真琴。そこまでだ」

「了解」

「松島も、何のためにこの人らがわざわざ大阪まで来てると思ってんねん。この人ら、東から全権委託されとる代理人やねんで?」

「でも……」

「由香里、ホンマええ加減にせんとあかんで。今のはさすがに、あんたのこと同情もフォローもできんわ」

 放置しておくとどこまでもヒートアップしていきそうな真琴と由香里を、周囲が止めに入る。一発怒鳴りつけてすっきりしたからか、あっさり矛を収める真琴に対して、由香里はどこまでも頑なだ。

 どうしたものか、と思ったところで、達也たちの端末に一斉にメッセージが届く。この状況だからこそ後回しにできない相手からのメッセージだと着信音で判断し、由香里と志保以外の全員がとりあえず内容を確認する。

「……教授、どうします?」

「……正直、あまり自信はないんだけど、賭けをするしかないかな。香月さんは、どう思う?」

「他に選択肢があるようには見えませんね」

「……だよね」

 達也の意見に、ため息交じりに同意する天音。ついでに春菜と真琴、更には健一にも視線を送り、意見の一致を見てメッセージに返事を記す。

 メッセージが届いていないがゆえに、いきなりの空気の変化についていけず戸惑う由香里と志保。そんな由香里と志保を置き去りに、状況は動く。

 天音がメッセージに返信をしてから数秒後。奥の扉が開き、宏が室内に入ってきたのであった。







 話は少しさかのぼる。

「……こら、難儀なことになっとんなあ……」

 隣室でモニターを見ていた宏が、天音と由香里のやり取りを聞いて、思わず渋い顔でぼやく。

 入ってきた由香里を見た瞬間からろくでもないことになっているのは察していたが、現実は宏の想像以上にこじれていたのだ。

「勝手に喧嘩して勝手に死んで逃げるとか、冗談やないで……」

 由香里の態度や台詞一つ一つに、心底泣きたくなりながら吐き捨てる宏。心得違いもいいところな台詞も泣けてくるが、それ以上に由香里が本気で言っているのが分かってしまうのが痛い。

 自分の境遇に酔っているところがない、とは言えないが、それだけでここまで行くのはちょっと無理がある。モニター越しでもそう思わざるを得ないほど、由香里の体も表情もぼろぼろだ。

 殉教者のような形で由香里が死ぬ。それを想像するだけで、オルディアによって刻み込まれたトラウマがうずく。別にどうでもいい相手だとはいえ、敵だと思っていない知り合いが直接ではないにしろ自分が関わっている理由で殺される、というのは宏の新たなトラウマを刺激するには十分であった。

 正直かなりしんどいが、これは自分が口を挟まねばどうにもならないのではないか。そう思って腹に力を入れ、メッセージツールを起動する宏。由香里に一言言ってやりたい旨を書いて送信しようとしたところで、モニターの中で真琴と由香里が衝突する。

「本気で、ヤバい感じになっとるなこれ」

 もはや、一刻の猶予もなさそうだ。そう判断し、大慌てでメッセージを送信する。送信したメッセージは、達也と健一がとりなして場が落ち着いた直後という実に都合のいいタイミングで、由香里と志保を除く全員に届く。

 そのメッセージを見てモニターの中で悩んでいる天音たちを、じりじりとした気分で見守ること数分。入ってくるようにというメッセージをもらって椅子から立ち上がると、深呼吸して扉を開く。

 直接自分の目で見た由香里は、更にのっぴきならない雰囲気を纏っていた。

「……えっ?」

「久しぶりやな、松島さん、河野さん」

 思ったよりは何も思わないものだ。久しぶりに直接対面した由香里と志保に対し、そんな感想を持ちながら努めて軽い感じであいさつをする。

 もっとも、宏が何も思わなかったのは、あくまで直接顔を会せたことに対してだけ。由香里が発散する破滅する寸前としか称せない空気に関しては、近くで浴びるだけでも色々消耗する。

 因縁があったとかなかったとか関係なく、女性がそんな空気を発散している場に居合わせているというのは、恐怖症こそほぼ脱していても女性全般が苦手なことには変わりない宏にとって、非常にきつい環境なのだ。

「あ、東君なん? なんで?」

「なんでもくそも、松島さんほっといたら、僕にまでとばっちりがくるからに決まっとるやん。もしかしたら悠長なこと言うてられへんことなるかも、思って昨日のうちに一緒に来とったん、大正解やで。ゲート移動ですぐやっちゅうても、緊急時以外にゲート使うんは教授が一緒やないととあかんから、向こうで待っとったらこういう時にすぐに対応できんし」

 予想外の事態に言葉が出ない由香里に代わって、なぜここにいるのかを問う志保。その問いに対する宏の答えに、由香里が反応する。

「……私、また迷惑かけてもうた……?」

「まだ、迷惑っちゅうところまでは来てへん。けどな、あくまで、まだ来てへんだけや。正直な、反省もしてへん、犯罪者やっちゅう自覚もない連中と勝手に喧嘩して松島さんが死んだところで、僕のしんどさも松島さんの罪も軽くなるわけやあらへんで」

 言いたくない、口にするのもしんどい。そんな雰囲気を漂わせながらも、これは言うべきだと気合を入れて絞り出す宏。

 予想通りきつそうな様子の宏を見て、春菜が立ち上がって宏の前に出ようとする。それを手で制して、宏が言葉を続ける。その宏を支えるように寄り添い、背中にそっと手を当てながら気づかわしげな視線を向ける春菜。

 その春菜の視線に大丈夫だと視線で返し、これだけは言わなければならないと一つ大きくため息をついてから、宏が続きを口にする。

「そもそもの話、いくら当時敵やったっちゅうても、松島さんがそういうふうに罪償おうとした挙句に逆恨みした連中に殺された、っちゅう話聞いて、僕が平気やと思うん? ざまあみろ、っちゅうとでも思うん? どんだけ、僕はえぐい人間なん?」

 そう思われる自分が心底情けない。そんな雰囲気をにじませながら、切実な思いを由香里に訴える宏。宏の言葉を聞いて、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受ける由香里。

「正直な、これ以上あの事件に足引っ張られたないねん。せっかく、何とか誰も死なんと終わったのにやで、今更死人出るとかすごい嫌やねん。ええ加減、許してええ相手は許してもうて、とっとと区切りつけてまいたいねん。死なれてもうたら、許すこともできひんやろ?」

「……ごめん……」

「謝る相手は、僕やあらへんで」

「……うん。せやけど、迷惑かけたから……」

「そう思うんやったら、ちゃんと体治して、もっと建設的な償いの仕方してや。教授の方には、そのあたりどないするかっちゅうプランはあるみたいやし」

 由香里にそう告げ、天音に視線を向ける宏。宏の視線を受け、小さくうなずく天音。

「詳しい事は診察と応急処置が終わってから話すね」

「あの、入院して治療っちゅうんはありがたく受けさせてもらいますけど、どうしても海南大付属病院やないとあきませんか?」

「緊急の処置に関しては、設備的な問題で海南大付属病院が一番いいの。それに、東君と同じで一度こちらの関係者と物理的に距離を置く必要もあるから、ご家族の皆様には移動に負担をかけることになるけど、最低限関東の病院には移す必要があるんだよ」

「……そうですか」

「ごめんね。こればかりは、必要な事だから。その代わり、お見舞いと手続きのためにかかる交通費は、私の方で出すから」

「あ、いえ。よっぽど長期化するんでもなかったら、別に関東の病院に行くんは問題ないんです。お見舞いに関しても、別に来んでええで、で済ませればええ訳ですし。ただ、東君と同じ病院は、お互い気まずいっちゅうか……」

「……ああ……」

 由香里の懸念を聞き、いろいろ納得する天音。もはや宏の方はこれで手打ちにするつもり満々だとはいえ、今後も関わり合いになりたいほど許しているわけではない。言ってしまえば、良くてせいぜい卒業後に違う進路へ進んだ同級生、程度の間柄にしかなれないので、一緒の病院で顔を会せる可能性があるのは確かにお互い気まずかろう。

「そのあたりは、あとで考えておくよ。まずは検査して必要な処置を済ませてから、ね」

「……はい。お世話になります」

 天音の説明を聞き、納得した様子で一つ頭を下げる由香里。その後、志保と健一に向き合ってもう一度頭を下げる。

「志保、西岡君。いろいろありがとう。ぎょうさん心配も迷惑もかけてもうてごめんな」

「ええねん、ええねん。あたしかて、由香里の立場やったら同じことしたかも知れへんし」

「俺かて、この件ではええやり方出来とった訳やあらへんから、松島の事よう言わん」

 由香里の謝罪を素直に受け入れ、話を終わらせようとする志保と健一。それを見た宏が、春菜の隣の空いている席にへたり込む。

「……正直、むっさ疲れたわ……」

「お疲れさま。ごめんね、あんまり役に立てなくて」

「いやいや。正直春菜さんらがクッションになってくれとって助かったわ。いきなり松島と対面しとったら、お互い何言うとったか分からん」

「でも、結局私、いただけだったような……」

 そう言って落ち込む春菜の背中を、軽くポンと叩いて元気づける宏。

 自分でも意外だったが、あの情けなさを覚える台詞を口にする際、春菜が寄り添ってくれた事が随分と力になっていたのだ。

 正直、あれがなければ最後まで言う前にくじけていたかもしれない。それぐらい、自分が松島の死を何とも思っていないと思われたことは、ミスで春菜達を全滅させた宏のトラウマを刺激していたのである。

「厄介なんは、これで終わりやないっちゅうことやねんなあ……」

「さすがに、次は宏君の出番はない、はず」

「せやったらええんやけど、結局僕の問題やから、僕が自分でケリ付けやんと区切りはつかんやろうしなあ……」

 そう言ってため息をついたところで、先ほどまでとは違う意味で顔色が悪かった由香里が、ソファーに腰かけたまま体を丸める。

「由香里!? 大丈夫!?」

「……綾瀬教授の言う通りやったわ。……なんで私、……今まで普通に歩いたりもの食べたり、……できとったんやろ……」

「教授!」

「分かってる。すぐに向こうに運び込むよ。香月さん、西岡君、担架お願い」

「了解!」

「分かりました!」

 志保に返事をしたのち、声にならない声で痛みや悪寒などに耐える由香里。それを、いつの間にか用意されていた担架に手早くかつ丁寧に横たえる達也と健一。

 由香里が担架に横たえられたのを見て、海南大付属病院の緊急処置室への携帯用ゲートを開く天音。既に連絡がついていたからか、向こうでは医者と看護師が数人待機していた。

「……由香里、大丈夫かなあ……」

「向こうにおる先生らは腕もええし、あっちは今日本で一番、どころか下手したら世界で一番設備が整っとる病院や。なんで歩けてんのかが不思議なぐらいっちゅうても、痛みがなかったらなんとか動ける程度のダメージやから、今やったらまだ死ぬことはないはずやで」

「……それやったらええんやけど……」

「っちゅうか、河野さんは他にやることあるで」

「やること?」

「松島さんの着替え、用意したらんとあかんのちゃうか?」

「あっ」

 宏にそう告げられ、由香里が着の身着のままで向こうに行ってしまったことに思い至る志保。

「どないしよう。この時間、由香里の家誰もおらんわ……」

「ってか、松島さんの家ってここから近いの?」

「中学時代から引っ越してへんかったら、こっから乗り換えやら何やかんやで一時間近くかかったはずやで。女子の家なんざいったことあらへんから、正確な住所は知らんけどな」

 違う意味でおたおたし始める志保に対し、真琴が割と重要な事柄を確認する。その質問に宏が答えたことに一瞬怪訝な顔をする真琴だが、公立中学の場合は学校が同じなら地元は同じになるとすぐに気が付いて納得し、とりあえず取るべき行動についてアイデアを出す。

「だったら、お金立て替えてあげるから、近くで買ってきたら? 着替えって言っても今回の場合、上は病院からの貸し出しになるから、必要になるのは下着だけだし。この辺は大阪の中心部なんだし、下着ぐらい買える場所はいくらでもあるでしょ?」

「あっ、そうですね。二駅行けば繁華街やから、下着ぐらいいくらでも売っとる!」

「どうせしばらくは入院なんだから、安い使い捨てをたくさん用意しましょ。あの子のサイズは分かってる?」

「はい!」

「じゃ、あたしは土地勘無いから、案内お願いね」

 そう言って、真琴が宏が待機していた部屋に入って自分のコートを回収、由香里の着替えを調達しに出ようとしたところで、志保の携帯が鳴る。

「誰やろ……。えっ? なんで長井があたしに電話なんか?」

「長井って誰よ?」

「長井光里っちゅうて、例の事件の主犯グループの一人です。電話番号消すん忘れとって。少年院から出てきたっちゅうんは噂で聞いとったんですけど……」

「出てもらっていいかしら。できれば、全員に聞こえるように」

「はい」

 真琴に説明している間にも、しつこくしつこくなり続けている志保の携帯。それをハンズフリーのスピーカーモードに設定して受ける。

「もしもし?」

『河野さん、助けて! こんなこと言える筋合いやないんは分かってんねんけど、このままやったらわたしも松島さんも西岡君も東君も殺される!!』

「っちょ、ちょうまち! どういう事なん!?」

 あまりにも切羽詰まった声で物騒なことを訴えてくる長井光里に、目を白黒させながら大声でそう返してしまう志保。その様子と、ある程度予想していたとはいえ急すぎる展開に、渋い顔をしてため息をつく宏と春菜。

「……なんかこう、どこまでも祟りおる感じやなあ……」

「……ああいう事件は、加害者だろうが被害者だろうがちゃんとケアしないとろくなことにならないって、よく分かるよね……」

「……ほんまにもう、バレンタインっちゅうんはろくなことあらへんわ……」

「……今年は過ぎちゃってるけど、ね」

「……でも、時期的には似たようなもんやで」

「残念だけど、私達の間ではバレンタインは永遠に中止だね……」

 要領を得ない説明に四苦八苦しながら状況を把握しようとしている志保。天音からいろいろと指示を受けて戻り、ほんのわずかな不在時間の間にのっぴきならない雰囲気が漂っていることを察して、なにがあったと怪訝な顔をしている達也と健一。

 そんな関係者を見ながら、とりあえず今度からバレンタインは絶対関わらないと心に決める宏と春菜であった。
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