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フェアリーテイル・クロニクル ~空気読まない異世界ライフ~ 作者:埴輪星人

ファーレーン編

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第18話

「お二人とも、ひどいです……」

 エアリス主催のお茶会。その席でプリン・アラモードをつつきながら、主催者が宏と春菜に恨みがましく言い募る。

「いや、向こうおった時はしょっちゅう食べてましたやん……」

「ヒロシ様、その口調は駄目です。向こうにいた時のようにお話しください。呼び方もエルでないとだめですよ?」

 宏の反論に更に機嫌を損ねた感じのエアリスが、すねたようにお願いの形をとった命令をしてくる。その言葉に困ったように同席している大神官や侍女に視線を走らせると、二人とも意味ありげににやにや笑いながら頷いて見せる。休憩も兼ねて参加しているマークは、見て見ぬふりでお茶を口に運んでいる。

「……まあ、それでええんやったらかまへんけど……」

 意味ありげに笑っている連中の視線に居心地悪そうにしている宏を、苦笑しながら観察する春菜。ちなみに、このお茶会の参加者、残りはドーガである。この場にはレイナもいるが、彼女は警備として後ろに控えている。現時点ではまだ明確に敵と味方を仕分けしていないため、今回は安全パイでかつ時間の都合がつけられたメンバーだけで集まっているのだ。言うまでも無く、盗聴対策はばっちりである。なお、真琴と澪、達也の三人は現在、それぞれ別の場所でプリンを配っている。

 彼の重鎮の釣りとガス抜き、それに日本人達のおやつばら撒き作戦により、大体の勢力図は確定したと言ってもいい。だが、それでも敵ではない人間全員が好意的になる訳ではない。それに、場の空気に合わせてどっちつかずの態度をとる人間などいくらでもいる。特にエアリスに関しては、先の夜会で評価は急激に回復しつつあるものの、それまでがそれまでだけにまだまだ予断を許さないレベルなのだ。

 なお、この場にいる侍女はそこそこ年配の人で、エアリスに悪い噂がたってから二度ほど彼女と接触した事がある、元々彼女よりの人物だ。カタリナの関係者とはそりが合わず、エアリスがらみの事もあって冷遇されていたところを拾われ、専属に抜擢されたのである。

「呼び出せばいつでも食べられるプリンを持ってくるん後回しにしただけで、そこまですねんでも……」

「エアリス様が怒っておられるのは、それだけではありませんぞ」

 宏のぼやきに対し、穏やかな笑みを浮かべながら釘を刺しに回る大神官。因みに結構な甘党で、一緒に持ち込んだサーターアンダギーもどきのドーナツも、彼一人でかなりの量を平らげている。年の割には旺盛な食欲と、それだけ食べても太らないように鍛えあげられた肉体が、大神官と言う草食系のイメージがある職位とはいまいち一致しない。

「お二人とも城に上がられてからは、初日の夜会の場以外では一度もエアリス様とお会いしていないはずです」

「あ~、そう言えば……」

「割とバタバタしとったからなあ……」

 なんだかんだと真琴達三人はエアリスと接触していたが、単独行動が多かった春菜と戦闘訓練以外は宮廷医や薬師に引っ張りだこだった宏はタイミングがなかなか合わず、この一週間は一度もエアリスと話をしていない。

「お忙しいのは分かっています。わがままを言って困らせることになってしまうのも理解しています。機会が減るのも覚悟はしていました。でも、お二人に会えないのはやっぱり寂しいのです……」

「そう言うてもなあ……」

「私達も、いずれこの国からは出ていく訳だし……」

「分かっています。分かっているからこそ、会えるうちに出来るだけ会いたいのです」

 そんな事を言いながら二人を、正確には主に宏をじっと見つめるエアリス。その瞳に潜むある種の熱を見てとり、思わず内心でため息をつく春菜。

「まあ、出来る限り時間は作るけど……」

「僕の方はともかく、春菜さんは割と厳しいんちゃう?」

「ある程度切ってはいるけど、正直難しい」

 宏の問いかけに、無意識に自身の金糸の髪をいじりながら難しい顔で答える春菜。夜会での活躍に加え、アルフェミナの秘術を授けられた事が知れ渡っている彼女は、今やエアリスと並び、国の中枢で最も注目を集めている人物だ。それゆえにいろいろなところからいろいろな催しに誘われており、体がいくつあっても足りない状態になっている。おかげで宏から完全にマークが逸れたため、最初心配していたような全員参加を言ってくるような催しは綺麗に無くなった。

 これ以上禁書庫に入って、また余計な何かを引っ掛けては拙いと言う結論の元、書庫の調査からは外れているのでちょうどいいといえばちょうどいいのだが、性格上女の武器を駆使するような戦いは苦手なのが不安要素ではある。元々彼女の最大の武器は注意力と機転とはいえ、あからさまなセクハラを何度もされてどこまで我慢できるかは、本人ですら何とも言えないというありさまだ。

 とりあえず、男性しかいない身の危険を感じる種類の催しや、女性主体の茶会などでも胡散臭い人物がいるものはすべて断り、それ以外は地位に関係なく先着順で対応しているが、先着順を徹底してしまっているがゆえに、エレーナやエアリスの誘いを断らざるを得なくなっている。今回は春菜が味方につけた使用人ネットワークを逆利用し、この時間なら空いていると言う確定情報をつかんだ上で強引に予定を合わせて誘ったのだ。

「エレーナ様やエルちゃんを最優先にするのは、私達にとっても王家の皆様にとってもいい事にはならないし」

「それは分かっています。分かっているから、今回はこんな強引な手を使ったのです」

「どっちにしても、もうちょっと時間をかけて吟味して、エルちゃんを誘っても大丈夫そうな人を確定しないと危ないから、それまでは我慢して」

 春菜の言葉に、不承不承と言う感じで頷くエアリス。春菜が自分達のためにがんばってくれていることなど、最初からちゃんと分かっているのだ。

「とりあえず、宏君は都合が付くならできるだけエルちゃんに付き合ってあげて」

「了解。ただ、春菜さん」

「何?」

「気ぃつけや。今一番狙われやすいん、多分自分やから」

 宏の言葉に、真剣に頷く春菜。それぐらいの自覚はちゃんとあるのだ。

「宏君のほうも注意してね。出来れば真琴さんか澪ちゃんと一緒に行動してくれると安心できるんだけど……」

「まあ、春菜さんの存在がデコイになってる感じで、あんまり僕のほうにちょっかいかけに来る人間はおらへんのが救いやな、そこらへんは」

「三級のポーションや万能薬を作る事が出来る、という意味を理解している人間は、相手方には案外少ないようですからな」

 大神官の言葉が、宏の立ち位置を明快に説明している。薬と言うのはその重要性に反して、どうにも地味なのだ。特に、ファーレーンはそこまで製薬のレベルが低くない。流石に学術都市・ルーフェウスを抱えるローレンには一歩劣るとはいえ、国内にいる薬師で五級までは普通に製造可なのだから、低レベルとは口が裂けても言えない。そして騎士団レベルでも基本的に五級の薬があればある程度どうとでもなる以上、三級だの二級だの、材料を揃えるだけで怪我人を量産しかねないようなポーションなど、作れる人材がいても意味が無いと考える人間が多くても仕方が無いだろう。

 流石にこれが一級ともなると、死んでなければ何でも治るレベルになる。そこまで突き抜ければ、それこそ色仕掛けだろうが冤罪による逮捕だろうがどんな手を使ってでも手元に置いておこうとするだろうが、宏が作ってみせたのは三級まで。現実には一級も作れるのだが、もしかしてと考える人間より実質材料的な意味で作れない三級程度にはこだわる必要が無いと考える人間の方が、王家と対立している集団には多い。更に言うならば、重要性を理解している人間は、藪蛇を恐れて手を出してこない。

 そんなこんなで、呼び出されたのは王族サイドの有力者に一度だけ、それも全員でかつ宏は夜会免除、こまごまとした相談に乗るのがメインの要件だった。それ以降は特に呼ばれる事もなく、現在宏の周りだけは奇妙な無風状態が続いている。

「そうや、忘れとった」

 いきなり話をぶった切って、素っ頓狂な声を上げる宏。

「王太子殿下、どっかで空き時間あるかな?」

「お兄様ですか? 夕食後ならば大丈夫かと思いますが?」

「会うのは構わないと思うが、一体何の用があるんだ?」

 レイオットに何か用なのか、と、小首をかしげて不思議そうな顔をするエアリスとマーク。現在不穏分子を一掃するために、水面下でいろいろやっている王太子殿下。下手に日本人一行と接触を持つとお互いにとって面倒なことになるため、基本的に日が高いうちに顔を合わせる事は一切無い。

 そのレイオットが接触を避けている理由をちゃんと理解しているはずの宏が、唐突に用事がある事を言い出す。その事がエアリスにとって、かなり不思議でしょうがなかった。マークにしても、宏がこの状況で会いたがる、それほどの用事と言うのが思い付かない。

「まあ、大した用事やあらへんねんけど、ポールアックスを打ち直した時に、ついでに余っとった魔鉄とミスリル使うて、長剣一本作ったんよ」

「それを、殿下に献上する、と?」

「まあ、そんなとこや。ただ、前に持ち歩いとった剣を見せてもろた事があって、その時の記憶を参考にバランスとか取ってるから、いっぺん振ってもろて調整せんとあかんねん」

 宏達のチームでは、長剣を扱う人間はいない。いくら材料の残りがちょうどよかったと言っても、わざわざ今更恩を売らなくてもいい相手のためにそんなものを作ろうと思った、その理由がピンとこない宮廷関係者一同。

「作ろう思った理由は、冗談抜きでついでやで。で、どうせ材料貰いもんやねんし、王家に返すんが筋やろう思うてそこそこのレベルのんを作った、っちゅうとこや」

 どうにも納得していない様子の彼らに対し、苦笑しながら理由を再度告げる。

「そこそこの、ですか……」

「そこそこの、やで。最高傑作となると、そもそも素材自体が桁違いやし」

 魔鉄やミスリルを使ってすら、そこそこ。宏の最高傑作という奴は正直想像できないし、したくもない。

「手斧とかツルハシとかを作るんじゃ駄目だったの?」

「どっちも、普通の鉄と魔鉄で採集できる範囲がさほど変わらんねん。そのくせ材料がものすごい微妙に余るし、今後武器としての出番も減るかもしれへんって考えたら、貰うたところに返しといたほうが無難やろ、思うてな。素材として抱えとくにしても、魔鉄なんざ次いつ回収できるか分からへんし」

 実のところ、オリハルコンぐらいまでは、鉱石の段階なら鉄のつるはしで掘り出す事が出来る。あの手の金属は精製して初めて本来の能力を発揮するものであり、採掘にコツこそ必要ながら、鉱石自体はただの岩だ。

 木材にしても、伐採の方法にコツは必要なれど、必要な斧の強さ自体は知れている。ごく一部の鋼をものともしない樹木や特殊な金属でしか伐採出来ない樹木を除けば、基本鉄で全て賄えるのである。

 故に、魔鉄で採集用の装備を作るメリットはほとんど無いのだ。

「まあ、それを作った理由は理解した。だが、それなら別段、今でなくてもいいんじゃないか? わざわざリスクを冒して、兄上と接触する必要を感じない」

「正味な話、僕に届くレベルの噂ですら、なかなか物騒な話がいろいろ混ざっとるし、王族の一番重要なターゲットが少しでもええ装備持っとくんは悪いこっちゃないと思うで」

「……そうじゃのう。黒幕がわしらの想定通りならば、そろそろ物理的な手段に出る可能性も否定できん」

「おそらく、ここまで綺麗に地脈を浄化されてしまった事は、想定外どころの騒ぎではないでしょうからな」

 ドーガと大神官の言葉に、表情を引き締めながら一つ頷く四人。レイオット曰く、あとひと押し。そのひと押しで、「敵」がこれ以上日和見をする余裕は無くなる。そのために、露骨なまでに内部分裂を起こしているふりすらしているのだ。迂闊な動きでふいにしたくは無い。

「ちょっと疑問やねんけど、自分らを手こずらせた相手にしては、あんまりにも簡単にあれこれに引っかかりすぎてへん?」

「そうだよね。こんなに簡単に引っかかるんだったら、もっと早くにけりがついてるよね?」

 宏と春菜の疑問に、微妙な苦笑を浮かべるドーガと大神官。何とも言えない表情を浮かべるマーク。

「これはあくまでも仮説なのですが、瘴気に侵された人間は、それと分からないうちに思考能力や判断力が落ちていくのではないでしょうか?」

「その根拠は?」

「カタリナ様の言動、その変遷を考えると、そう結論をつけた方がしっくりくるのです」

 大神官の言葉に、同意するように頷くマーク。実際、半年前のカタリナはもっと話も通じれば自制心もあった。それが最近では、加速度的に意志の疎通が困難になってきている。

「あと、一気に状況をひっくり返されて、焦っておるというのもあるじゃろうな」

「焦って取り戻そうとすると視野が狭くなって、大抵は余計に深みにはまって状況が更に悪化するものですしな」

 ドーガと大神官の言葉に、ひどく納得してしまう宏と春菜。

「本当に情けない話ですが、正直なところ、この一件で明るみに出るまで、彼らがあそこまで瘴気に浸食されている事には全く気付けませんでした。今にして思えば、もしかしてと思うところはいくつもあったというのに、です」

「まあ、モンスターと違うて、人間はよっぽど行きついてない限り、感知できるほどの瘴気は外に漏れへんみたいやし、それもバルドとかやったら普通に隠せるらしいしなあ」

 宏の言う通り、普通にしているとバルドですらそこらの人間と全く気配が変わらない。理屈は分からないが、エルフなども含めた、いわゆる人間に分類される知的生命体は、発散する瘴気がそれ以外の気配に紛れやすいようなのだ。

 元々、瘴気を感知できるのはそれ専門の訓練をしているか、宏や澪のように極端に感覚が鍛えられているかのどちらである。それだけ感知が難しいものが他の気配に紛れやすいとなると、どう頑張ってもひどく浸食されていることなど分かるまい。

「忙しくて聞く暇がなかったんだけど、最終的に同じことをするんだったら、どうして今の段階で怪しい人を集めて歌を聞かせないの?」

「それが解決につながらないからだ」

「マー君や、その心はいかに?」

「この場でマー君言うな」

 宏の混ぜ返すような一言に眉をひそめながらも、とりあえず宏と春菜に解説してやることにするマーク。

「主な理由は二つだ。一つ目は、瘴気に侵されているだけでは罪にはならないこと。モンスターの大規模討伐やアンデッドの駆除なんかをすれば、それだけで浄化するときに苦痛を覚える程度には瘴気を溜め込むことも少なくないし、土地の状態によっては、ただ暮らしているだけで知らぬうちに侵されていくこともある」

「なるほど。浄化という回復手段がある以上、そういう人たちをただそう言う場所にいただけ、そういう仕事をしただけで処罰するのは拙いよね」

「そういうことだ。そんなことをすれば、誰もアンデッドを相手にしてくれなくなるからな」

 納得できる回答に頷いていると、マークがもう一つの理由を告げてくる。

「もうひとつは、連中全員が瘴気に犯されているわけではないこと。残念ながら、素面で今の姉上と運命を共にしようとしている愚か者も結構いるのだ」

「付け加えると、貴族どもは誰が取り返しがつかんほど瘴気に犯されているかはほぼ把握できているがの、文官や使用人のレベルになるとはっきりとは分からんのじゃ。彼らを放置しておいて、有事の際に利用されては目も当てられんし、かと言うて先に排除するのも人数を考えると難しい。どさくさにまぎれて隔離するのが一番現実的でのう」

「瘴気の話がさっきのとおりやったら、素面で狂っとるやつらはともかく、浄化したら使える奴も居るんちゃうん?」

「そういう人間は、とっくの昔にこちらに寝返っている。早い者はお前達が参加した夜会のときに、遅くてもハルナがアルフェミナ様の奥義を得たという情報を流した時点でな」

「その段階でこちらに寝返っておらん連中は、残念ながら浄化したときの命の保証がないらしくてな」

 宏の質問に対するマークとドーガの回答が、今の状況をすべて説明している。

「せやったら、そいつらそのまま粛清したらええやん。それとも、まだ証拠が足らん?」

「これがダールなら、とっくに解決している程度の証拠はあるんだが……」

「ファーレーンでは、先々代のことがまだ風化したわけではないからのう。取り巻きがもう少し少なければ、カタリナ殿下とバルドを強権を持って始末すれば終わりなんじゃが、それをすれば王族の強権行使を大義名分として、正当に反乱を起こしたことにしそうな連中が少なくない」

「かといって、先手を打ってそれをすべて粛清すれば、それこそ国を割った戦乱に突入しかねません。残念ながら、賢明かどうかとはまた別問題で、先々代のことが呪縛となって王家による粛清という行動に拒否感を持っているものは多いのですよ」

 ドーガと神官長の言葉が、今現在の状況の面倒くささを物語っている。言ってしまえば、この国は王家の強権発動に対し、極端なアレルギーを持っているのだ。日本の自衛隊に対する腫れ物に触るような態度や、ドイツのインフレ恐怖症、アメリカの国民皆保険に対するある種病的に見える拒否感などが近いかもしれない。

 外部から見れば明らかにおかしい態度でも、その国の空気ではそれ以外の選択肢がない、というケースは枚挙に暇がない。ファーレーンの場合は、それが最高権力者の手足を縛ってしまっていることが最大の問題なのだ。

「何にしても、近いうちに片がつくだろうとアルフェミナ様もおっしゃっています。あと、今夜から三日ほど、ハルナ様の身の回りに注意せよ、とも」

 エアリスの真剣な表情に、何とも言い難い気持ちがわき上がる春菜。睨まれている自覚はあるが、話がそこまで進んでいたのは予想外であった。

「そうなると、ちょっと厄介かも」

「厄介、ですか?」

「今日の晩、ロアノ侯爵に夕食に招待されてるの。流石にその場で何かをしてくる事は無いとは思うんだけど……」

 春菜の言葉に、厄介の意味を理解して黙りこむ。ロアノ侯爵は彼らが敵だと見込んでいる一派の、それも首魁に近い位置にいる人物だ。断るのも不自然だったために承諾したが、無事に帰れるかどうかが悩ましい。

「ハルナ。エスコート役は居るのか?」

「一応、達也さんにお願いしようかと思ってるんだけど……」

「それなら、私が代わりに行こうか?」

 マークの問いに対する春菜の回答、そこに割り込んで口をはさんだのは、アヴィン殿下であった。

「殿下!?」

「兄上!?」

「お兄様、それは少々問題なのでは……」

 急に表れた長兄に対し、困惑をあらわにしながら反論を試みるエアリス。余りに登場が唐突過ぎて、絶句するしかないドーガと大神官。言っている内容があまりにも危険である事も、二人が言葉を失った理由である。なお、マークは声を上げた直後に言いたい事をエアリスに言われ、とりあえず黙っている。

「エアリス。それは、婚約者がいる身の上で他の女性をエスコートすることに対してなのか、それともわざわざ怪しい動きをしている連中のもとに警護対象である王族がのこのこ顔を出す事なのか、どちらかな?」

「この場合、両方と言う事になるかと思いますわ、お兄様」

「まず、前者については問題ないよ。我が婚約者殿は実に心の広い女性だ。可愛い妹達の恩人が困っている、と告げた所、男なら女性を体を張ってでも守るものだ、というありがたい返事が帰ってきてね」

「……流石はプレセア義姉さまです……」

 ファルダニア次期女王たるプレセア王女の、実に豪快なメッセージ。それを聞いて憧れと感心が入り混じったような表情を浮かべるエアリス。堂々と惚気られて、砂糖でも吐きそうな顔をしているマークの様子に、思わず余計なシンパシーを感じそうになる宏と春菜。

「それでも浮気を疑うようならば、通信具を使って惚気話でもしてやれば一発で黙らせられるだろう」

「……頑張れ、春菜さん……」

「……うん、頑張る……」

 独り身にとって最強の嫌がらせとも思える手段をさらっと言ってのけたアヴィン。人前でいちゃつく事に全く抵抗を覚えないその態度に対し、急に疲れを感じ始める宏と春菜。

「後者についても、それほど心配いらないよ。ロアノは私には手を出せない。私に何かあってファルダニアとの関係がこじれるのは、彼にとっては致命的だからね」

「そう言えば確か、ロアノ侯爵家の主要な取引先は、ファルダニアの商人でしたな」

「ああ。仮にファーレーンとファルダニアの関係がこじれなくても、彼の食事会に私が参加して何か危害を加えられた場合、彼の国の商人がロアノと取引などすると思うかな?」

 アヴィンのその言葉に、苦笑しながら首を横に振るしかない一同。ロアノ家の特産品は乳製品と一部の果実。実際のところ、その程度のものはファーレーン国内を探せば、代替え品などいくらでもある。ただ単にロアノ家のものがファルダニア人の好みにあっているだけの話で、大差ない味のものも無い訳ではない。後は生産量の問題だが、それもファーレーンの農業技術ならば、その程度の余計な需要を満たすぐらいは問題ない。

 要するに、わざわざ王家の不興を買ってまで商売を続ける必要があるほど、重要な取引がある相手ではないのだ。

「そうなると、後は夜中だけの問題やな」

「職人殿には、何か思いつく手があるのかな?」

「春菜さんが今借りとる部屋の入り口にな、ちょこっと細工しようか、思ってんねん」

「入り口に? それだけで大丈夫なのか?」

 アヴィン殿下の問いかけに、ニッと一つ笑って見せる宏。

「侵入防止を考えへんかったら、それで十分やで。単に春菜さんに安全圏に避難してもらうだけやねんから」

「安全圏? ……もしかして、部屋の扉をどこかに繋ごう、と言うのか?」

「まあ、そんなとこや。転移系やと逃げた先がばれる可能性があるから、特定条件で空間を繋いだればええかな、って」

 あっさりとんでもない解決策を言い切る宏。その斜め上の台詞に、今度はアヴィン殿下が額を押さえる。

「本当に、君と話をしていると常識と言うもののありかが分からなくなってくるよ」

「殿下に言われとうないで」

 宏の切り替えしに、にこやかに笑ってごまかすアヴィン。

「二人とも、笑いごとでは……」

「マー君、ここは常識と言うものを投げ捨てる場面だよ」

「兄上が言わないでください! と言うか、こういう場でマー君と呼ばないでください!」

 あっさりいじられて絶叫するマークを、生温い目で見守る春菜。それなりに有能なのは間違いないのだが、まだまだ修行が足りない。

「因みに、避難先は?」

 大声で抗議するマークをしれっと放置して、話を元に戻すアヴィン。その様子に、これ以上はどう対応してもいじられるだけだと判断して、何も言わずに黙っている事にするマーク。

「工房にするつもりや。あそこは今、そう簡単に侵入できへんようにしてあるし」

「ここより安全な工房とか、すごく皮肉が効いてるね」

「魑魅魍魎がおらん分、安全やからな」

 宏達が借り受けるようになってから一カ月に満たない時間で、あの工房は下手な要塞より強固な防御機能を有する事になってしまった。特定の人物か正規の手段で中に入った存在以外は、澪が仕掛けた職人と罠師のスキルを高度に融合させたあれで何なトラップの数々に迎撃される羽目になるし、そもそも洒落が通じない強度の侵入防止結界が張られているため、そこを突破するだけでも一仕事だ。

 エレーナとエアリスと言う重要人物を預かる羽目になったために必死になって強化した、本来なら既に用済みのはずの防衛システムが、今度は違う形で役に立とうとしているのだから世の中奥が深い。

「何やったら、レイオット殿下とエレーナ姫と、後エルの部屋の扉にも仕込んどくけど?」

「レイオットとエレーナは避けた方がいいだろうけど、エアリスに関しては必要かもしれないね」

「いっそなんか口実作って、春菜さんの部屋にエルが泊まりに行く、っちゅうシチュエーションにしたらどないかな?」

「なるほど。彼らからすれば、排除したい人間が同時に一ヶ所に集まる絶好の状況。罠を疑いはしても、そろそろ後が無くなってきているから、分かっていても食いつくしかないだろうね。おあつらえ向きに、罪をかぶせるのにうってつけの人間がこちらにいる訳だし」

 なかなかに黒い会話をして、方針を固めに走る一同。

「ほな、念のためにドーガのおっちゃんとレイナさんも向こうに飛ぶようにして、春菜さんが今使うてる部屋には、囮として僕が入っとくわ」

「ちょ、ちょっと! 暗殺者が来るかもしれないところに宏君一人って、それは拙くない!?」

「むしろ、僕一人の方が都合ええんちゃうかと思うねん。騎士の皆さんに隠密行動とか無理やろ?」

「それでも、ヒロシ様がするべきことではありません!」

 もはや誰が囮なのか分かったものではない会話を苦笑しながら聞き届け、この後のために席を立つ大神官。突っ込みを入れるだけ無駄だろうと判断し、実務的な問題を列挙してアヴィンと打ち合わせに入るマーク。彼らにつられて、それぞれの役割に戻る一同。そろそろ、本格的な勝負の幕が切って落とされようとしていた。







 エレーナ付きの筆頭侍女・オリアは、自身の心の動きに戸惑っていた。

(どうして、ここまで自分の気持ちをコントロールできないのかしら……)

 エレーナに言われるまでもなく、自分が王宮勤め失格の態度で宏達に接している自覚はある。診察の度に気を引き締め、次こそはちゃんと王女付きの侍女として恥ずかしくない態度を取ろうと意識しているのに、いざその場になると、湧き上がる強烈な憎悪に我を忘れないようにするのが精いっぱいになってしまう。

 確かに、治療の時に置いて行かれた事に関しては、オリアの中で納得がいかない部分はあった。だが、それ自体は痩せはしたものの健康になって戻ってきたエレーナを見た瞬間、どこかに飛んで行ってしまう程度のものにすぎなかった。

 自身に異変があったのは、夜会の翌日にエレーナの主治医として宏を紹介された時だった。生理的にあわない訳でもなければ威張りくさって感じが悪い訳でもない、どちらかと言えば好感を持てる相手だったはずの宏。その彼を見た瞬間、思わず衝動的に殴りかかりそうになった。

 自分でもその信じられない衝動に内心驚きつつも、余計な事をしでかさないように診察の間ひたすら我慢し続けたのだが、正体不明の憎悪を外に漏らさずに済ます事は出来なかった。これは拙いと思い、診察が終わった後に頭が冷えるまでしばらく役目を外してもらおうと言おうとした瞬間、既に心の中では整理がついていたはずの怒りが、理不尽な文句となって勝手に口をついて出てしまった。

(まるで、私の心が私のものではなくなっているみたい……)

 客人達が絡まない事柄は普段通り冷静に、何の問題もなくこなす事が出来る。なのに彼らを、特に宏と春菜の姿を見た瞬間、いわれのない怒りと憎しみが全身を支配し、間違ってもやってはいけない事ばかり頭に浮かんでくるのだ。それをしないように自制するだけでいっぱいいっぱいで、感情が外に漏れないようにする、などと言う事は不可能だった。

 もしかして、知らぬ間に瘴気に侵されているのかもしれない。今までに漏れ聞こえてくる話を総合すると、瘴気に浸食されている人間は、全く自覚症状が無いという。オリアの場合は自分で自分がどこかおかしいと自覚しているが、そういう例外があっても不思議ではない。そう疑って神殿で浄化をしてもらったが、特に体に変化は無かった。何かおかしな呪いの類でもかかっていないか、それも確認したが問題なし。

 二度目の診察の後、言わずとも事情を察したらしいエレーナがしばらく休みをくれたのだが、取れる対応が全て空振りした以上はどうにもならない。このまま戻る訳にはいかない以上、取れる手は辞表を出すか首にしてもらう事だけだ。だが、辞表を出すという行動が取れるかどうか、自分でも全く自信が無い。

(このままだと、大変な事をしてしまう。早く何とかしないと……)

 そんな事を考えながら、見るともなしに部屋の中を見渡す。心の片隅で、もしかしたら部屋の中に何か妙なものが置いてあり、それによってコントロールされてしまっているのではないか、などと言う都合のいい事を考えながら。

 彼女は気がつかなかった。机の上に全く見覚えのない黒い飾り籠が、何の変哲もない籠ですという顔で居座っていた事に。







(どこまでも小賢しい女だな……)

 表面を笑顔で取り繕いながら、ロアノ侯爵は内心で激しく舌打ちしていた。彼らが仕掛けたイメージ操作は、春菜達がばらまいたプリンやシュークリーム、バウムクーヘン、まぜるんばなどの手間がかかる珍しいお菓子類やマッサージチェアなど便利グッズの前に、何一つ成果を上げる事が出来なかった。

 たかがお菓子、されどお菓子、である。しかも、当人達が直接ばらまいて、作り方を教えて、普段出歩けない区域の噂話まで持ち込まれれば、歓迎しない人間はまずいない。そうやって城の隅から隅まで顔を売ってのけた彼らに対して、そう簡単にイメージ操作などできはしない。最近は事務方に使い勝手を追求した非常に手間がかかったペンと計算機、全ての休憩室にマッサージチェアをプレゼントして回っているらしく、その使いやすさや気持ちよさにファンが急増中だとか言っていた。

 そして、もともと近衛や親衛隊は実力主義ゆえ、ワイバーンを仕留められるような人間を下に見る事は無い。それ以前の問題として、城に常備されている材料を使っているとはいえ、効果の高い薬や喉から手が出るほど欲しかった機材をたくさん用意してくれた宏やその仲間を、悪く言う人間など存在しない。

 これが、押しつけがましく物で釣ろうとしているのなら話は別だが、彼らの場合はどちらかと言うと、休憩時間に手土産を食しながらの世間話で出てきた困りごとを、宏や澪がその製造能力で解決して回ったと言う形なのだから、そう言う方向で嫌われる事もあまりない。しかも、渡したものが簡単なものなら、その作り方やメンテナンスのしかたまで伝授しているので、居なくなってもすぐに困る事は無い。

 つまるところ、悪い噂を鵜呑みにする人間は、もともと自分達よりの貴族階級か、それほどちゃんと噂を確認しないタイプの、それも直接面識を持つ機会が無い人間しかいないのだ。それどころか、そんな話をすれば、むしろ馬鹿にされるか軽蔑されるかで、まともに取り合ってすらもらえない有様である。ここまで見事に物欲に屈したのは初めての経験だ。

「それにしても、最近は随分とご活躍のようで」

「とてもお世話になっている割に、大した仕事は出来ていないのが心苦しい限りですが」

 ロアノのお世辞に、そつなく切り返す春菜。食事をする姿にしても、完璧なテーブルマナーを実践しながらも、実に美味しそうに食べてみせる。時折給仕や料理人に声をかけ、食材や調理方法について説明を受け、逆にアレンジについて提案をしているところを見ると、敵地だと言うのに普通に食事を楽しんでいるようだ。嫌がらせに食べるのにコツが必要な料理を何点か混ぜさせたのだが、戸惑った様子も見せずに普通に食べられてしまっては、嫌みを言う事も出来ない。

「そう言えば、ハルナは我が国の正式なコースを食べるのは、これで何度目ぐらいになるのかな?」

 春菜が料理人に提案していたアレンジを、それも美味しそうだとにこにこしながら聞いていたアヴィンが、思い付いたように話を振る。

「そうですね……。今回でようやく五度ほどになります。まだこの国に来てから二カ月ほどですし、そもそも基本的に外食するより、ファーレーンの食材や料理と祖国の料理のいいとこどりをしようと、いろいろ自分達で試す事の方が多かったもので」

 春菜の回答に、所詮は貧しい冒険者か、と蔑むような視線が集中する。その視線を綺麗に無視し、話を続ける二人。

「そう言えば、君達の作るものは、どれも素晴らしく美味しいとエレーナやエアリスが言っていたよ。実際、以前ご馳走になったものも、我が国のフルコースに勝るとも劣らない見事なものだったしね」

「お気に召して何よりです。ですが、やはり正式な格式の高い食事は、私が中途半端に真似をしたものより、味も見栄えも随分上ですね。現状では、ここまでのものはとても」

「謙遜する事は無いさ。正直なところ、私とプレセアの結婚式の時、一品でもいいので君に料理を担当して欲しいぐらいだ」

 まごう事なき本音を告げるアヴィンに、冒険者が厨房を担当することにためらいが無いのであれば、と、どうとでも取れるような返事を返す春菜。

「本当に、そのときに都合が付けば来てくれるかね?」

「冒険者ゆえに先のことは分かりませんので、絶対にと申し上げることは出来ませんが」

「そのときは、どんな珍しい食材を料理してくれるのか、楽しみだよ」

「そうですね。流石にワイバーンはいい加減そろそろやりつくした感があるので、そのときは別の何かを仕留めてきます。ガルバレンジアなんかが美味しいという噂を聞いたことがありますので、そのあたりが食材としてはちょうどいい感じで狙い目でしょうか?」

 さらっととんでもないことを言ってのける春菜に、それはいい、などとのんきに答えるアヴィン。なお、ガルバレンジアとはピアラノークのような所謂フィールドボスの一体で、その戦闘能力はワイバーンを超える。見た目は十五メートルを超える巨大な獅子だがその尾は七本あり、それぞれの尻尾が特殊な能力を持っている。狩る難易度も調理する難易度もワイバーンの比ではないが、日本で言うところの最高級黒毛和牛の最もいいところを超える美味だと言う話を、ゲーム中で何度も聞いたことがある。

 正直言って、ソロで狩るような相手ではない。とはいえ、所詮はフィールドボス。今のチームメンバーで今の装備なら、正面から遣り合っても普通に秒殺が狙える範囲だ。料理に至っては、食材としてのレベルにはそれほど大きな差がないのだから、春菜の手にかかればどんな食べ方でも自由自在である。

 もっとも、戦闘能力的にも調理難易度的にもしゃれにならないガルバレンジアを、ちょうどいい感じで狙い目の食材と言い切るこの小娘の感性には、さすがに動揺せざるを得ない空気が流れている。

「そういえば、やりつくしたといったが、もうワイバーンの肉は打ち止めかな?」

「まさか。十メートル級の生き物のお肉を、私達みたいな少人数で食べきるのはそう簡単なことではありませんよ。ただ、思いつく料理は大体試したので、やりつくした感じがする、と申し上げました」

「なるほど。ならば、あのワイバーンの骨を煮込んでとったスープは、まだ在庫があるんだね?」

「ガラそのものがありますので、まだいくらでも作れますよ」

 ワイバーンの骨でスープを作る、と言うありえない会話に、場が完全に絶句する。ワイバーンを調理できるような料理人は、現在みんな辺境に引きこもっている。栄耀栄華がむなしくなった、とか、いい加減モンスターを調理するのに飽きた、とか、引きこもった理由になんともいえないものが多いのが特徴と言えば特徴だろうか。

 そう。何のことはない。例の冒険者一同は、この国の王族の普段の食事よりも、はるかに高級な料理を食べていたのだ。

「おや、どうしたのかな? ワイバーン料理の希少性には確かに劣るけど、このコースも十分に最高級のものだと思うよ?」

「も、もちろんですとも。ですが、殿下は本当にワイバーン料理を口になさったことが?」

「ああ。初めてご馳走になった竜田揚げと言う料理も、骨でとったスープをベースにした鍋料理も、どちらも素晴らしく美味しかった。あ、ワイバーンだと断定する理由にはならないけど、食べたときに亜龍種の魔力を感じたから、間違いなく一定ラインより強力なモンスターの肉だった」

 アヴィンに言い切られ、それ以上疑問を挟むことが出来なくなったロアノ。五年前の大型モンスター大発生のとき、彼もレイオットもワイバーンを直接目にしている。残骸に触れる機会もあった訳で、魔力を勘違いする可能性は低い。

「私は、今日のお料理は好きですよ。テローナがちょっと工夫するだけで、こんなに上品なお料理になるのは、私としてもうれしい発見です」

「君達が作る、醤油と言う調味料を使ったテローナも美味しいと聞くが、そっちと比べてどう思っている?」

「お醤油を使えば、大体の料理はそれなりの味に仕上げる自信はありますけど、なんと言うかそれだと、私の中ではテローナというよりただの煮込みと言う感じがするんですよ」

 春菜の回答に、なんとなく納得してしまうアヴィン。テローナとはファーレーンの固有種であるシャルプという鳥を解体し、内臓以外丸々一羽分すべて野菜と一緒にコンソメスープで煮込む、この国全土で食べられている郷土料理である。

 郷土料理だけにコンソメスープではなくデミグラスソースだったり、魚介を一緒に煮たりと結構な地域性がある料理でもあるので、醤油やポン酢で煮込んでもテローナはテローナだろうが、日本人的にはビーフシチューを米にかけるのとハヤシライスが別の料理ぐらいには違うものなのだろう。

「なんというか、そういうところはやはり料理人なのだね」

「料理人なんでしょうね」

 アヴィン殿下の言葉に、思わずしみじみ頷いてしまう春菜。結局、さすがに国際問題になりかねない相手にちょっかいを出すわけにもいかず、春菜が持ち込んだバウムクーヘンに軽い毒を仕込むと言う予定を慌てて取り下げるロアノ。

 彼は知らなかった。春菜達がばら撒いているお菓子には、すべてかなりのレベルの万能薬が練りこまれており、仕込まれた薬の効能が消えるまでの三日間は、そのお菓子に普通のレベルの毒など何をどれだけ仕込んでも効果が中和されて即座に消えてなくなることを。







「侯爵、お聞きになりましたか?」

「ああ、あのあからさまな罠、ですか」

 アヴィンと春菜が帰るのを見計らって、取り巻きの一人がロアノに声をかける。

「あからさまに罠ではありますが、千載一遇のチャンスでもあります」

 話を持ちかけてきた取り巻きの一人が、妙に前のめりな発言をする。今までの流れを考えると、正直ロアノとしては触りたくないのだが、かといって打てる手もほとんど無い。

「侯爵、例の暗殺者を、ここで投入してはいかがですか?」

「そうですぞ。幸いにして、身代わりに出来そうな人間に当てはありますし、上手くやればエレーナ姫様も表舞台から追い出す事が出来ます」

「さて、そう上手くいくのやら……」

 取り巻きたちの言葉に、顔をしかめながら否定の言葉を告げるロアノ。残念ながら、ここまであからさまに張ってある罠に飛び込んで、自分達が無傷で済むなどと言うおめでたい考えは持てない。そもそも、仮に暗殺に成功したところで、今現在の状況で確実に疑われるのは自分達一派である。

 大体、わざわざ孤立させるように情報戦を仕掛けようとした理由も、直接関係ない人間を巻き込んで自分達へのラインを誤魔化すためだ。それが失敗している以上、リスクの高い行動は避けたい。と言うよりも正直、もうこの一件には関わりたくないのだ。カタリナ達ほど瘴気に浸食されていないロアノの場合、そこまで積極的に春菜やエアリスを排除しに走る動機にも乏しい。今手を引けば少なくとも自身が処刑台に登らされる事は無く、浄化されたところで三カ月も寝込めば動けるようになるレベルとあれば、最適解はおのずと知れる。

 一度ならず敵対する側に回っている以上、さすがに多少立場が悪くなるだろうが、食いつめるほど追い込まれる事もないだろう。何しろ、そこまで決定的に王家に敵対的な行動は取っていないし、領民から見れば彼は善政を敷いている方に入る。今回の動機も王家が憎いからではない。ちゃんとした政治を行い、領地を発展させ、正攻法で税収を増やしているのに今一ちゃんと評価されず、地位の割に扱いが低い印象があった事が不満だっただけだ。カタリナ派についたのも、エアリスの悪評に加えエレーナが倒れたという条件で、誰が見ても最適だと考えるであろう行動をとったにすぎない。

「ロアノ侯爵、この場にいる以上、あなたも一蓮托生なのですよ?」

 どうするべきかと思索にふけっていたロアノを現実に引き戻したのは、いつの間にか現れたカタリナの腰巾着であった。

「一蓮托生、とは?」

「ここまであからさまな罠を仕掛けてくる以上、王家がこの場に居る顔触れを把握していてもおかしくはありません。ここであなた自身が動かなくとも、誰か一人が先走るだけで、それを口実にこの場にいる人間すべてを処分しに動くのは間違いないでしょう」

「……」

 あえて目をそむけていた事をバルドに指摘され、苦々しい顔でにらみ返すロアノ。どう言い訳したところで、エアリスを排除するための活動に手を貸していた事は事実だ。それに、暗殺者を斡旋したのも自分である。それはつまるところ、一度ならず政敵を始末していると言う事でもある。探られれば、そのあたりの証拠も出てくることだろう。

「それに、もはや手遅れですよ」

「手遅れ?」

「ええ。先ほど先走った誰かが、どうやって調べたのかあなたが使う予定だった暗殺者に対して、あなたの名前で仕事を発注してしまったようです」

「何だと!?」

「そう言う訳ですから、覚悟してください」

 バルドがその印象の薄い顔に、うっすらと酷薄な笑みを浮かべる。

「……貴様もただでは済まないはずだが、いいのか?」

「私としては、血がたくさん流れればそれだけでもありがたいのですよ。一人死ねばそれだけ聖なる気がこの地に満ちる。聖なる気が満ちればあの腐った女神も力を失う」

 バルドの狂気に彩られた表情を見て、絶句するしかないロアノ。今までのこの男の行動と矛盾する言葉に、ただひたすら混乱するしかない。

「……だったら、なぜ最初からそうしなかった?」

「簡単です。最良の結果は、私のような存在がたくさん増える事でしたから。そのためには、このウルスを聖なる気で満たし、あの女神の祝福と言う名の呪詛を受け入れられない人間で埋め尽くす必要があったからです。もっとも、あの忌々しい冒険者たちのおかげで、あと一歩と言うところで計画は破綻しましたが」

 実に忌々しそうに吐き捨てるバルド。この男がこういう形で感情をあらわにしたところを、その場にいる人間が見たのは初めてだ。

「どちらに転んでも、明日からあなた達が取れる行動は一つだけです。なので皆様」

 淡々とした口調に戻り、じわじわと追い詰めるように言葉をつづったバルドが、最後の一言を言い放つ。

「兵の準備は、十分ですかな?」







「……疲れた……」

「お疲れさん。何かえらいへろへろやなあ」

「体力的にはたいしたことないんだけど、精神的にものすごく来るよ……」

 王宮内の春菜の部屋。戻ってくるなり著しく消耗した様子を見せる春菜に、あちらこちらにいろいろ仕込みをしながらねぎらいの言葉をかける宏。

「それにしても、本気でお疲れやなあ」

「ん。今日は殿下が居たからましだったけど、それでもいろいろあったからね……」

「愚痴ぐらいやったら聞くで?」

 宏の言葉に、一つため息をもらす春菜。宏がこんなことを言い出すぐらいだから、自分はよほどなのだろう。とりあえず、せっかくだからその厚意に甘えて、軽く愚痴をこぼすことにする。

「あの人たち、なんなんだろうね……」

 思ったより重い声になってしまった自分の愚痴に驚きつつ、たまった鬱憤を吐き出していく。

「いちいちいちいち聞こえよがしに、食べ物で人の関心を買おうなどとはさすがは下賎な冒険者だ、とか、贈り物に品がない、だとか、召使なんぞにすら媚びるしかないとは情けないだとか、言いたい放題いってくるんだ」

 言われた内容は鼻で笑ってもいいレベルの、正直春菜の心にまるで響かないくだらない言いがかりに過ぎないが、いい年した大人がそういうくだらないことに血道をあげているということが、正直死ぬほど面倒くさい上にいらいらする。反論したらそれだけで鬼の首を取ったかのようにくだらない事を囀るのは目に見えており、かといって黙っていれば肯定するだけになる。そういう連中の悪意と言うのは、じわじわとボディブローのように浸透してくるもので、この一週間で春菜の精神は相当やさぐれていた。

「何より腹が立つのが、自分達だって恩恵にあずかってるくせに、薬や道具を作る人を馬鹿にするんだよ? 自分達だけじゃ何も出来ないくせに、地位がなきゃ人に言うことを聞いてもらえるほどの魅力も迫力もないくせに、自分達がどれだけ脆い砂の上に立ってるかも知らないくせに、見た目だけで宏君を馬鹿にするんだよ? 澪ちゃんを生きている価値すらない、なんて事を言い出すんだよ? それもわざわざ直接私に」

 自分が悪口陰口を言われることはまったく気にならない。気にしていたら、この年まで生きてこれなかったのだから当然だろう。だが、自分が評価し尊敬し、どういう形かはともかく好意をもって接している相手を、狭い価値観だけでこき下ろされるのは殺意すら覚える。しかも、その内容が生存権すら否定しているのだから、なおのこと腹が立つのだ。

 そんな感じの愚痴を、時に怒涛のごとき口数で、時にポツリポツリとブツ切れにするような感じで、溜まっていたものを吐き出し続ける春菜。作業の手を止めずに、それでもちゃんと春菜のほうに意識を向けながら、時折春菜の目を正面から見て、一切口を挟まずに愚痴を聞き続ける宏。

「……さよか」

 しばらく春菜の愚痴に付き合い、言いたいことを吐き出し終えたと判断した宏が、万感の思いを込めたその一言で感想を終わらせる。その一言が実に驚くほどの重さを伴っている事には気がついたが、流石に余りに簡潔すぎるその一言に、春菜がどうにもそれはそれで納得がいかないのもある意味仕方が無い。

「さよか、って、それだけ……?」

「いや、春菜さんには嫌な役押し付けて悪いなあ、とは思うてるんやけど、正直自分とは違う意味で悪口なんざ言われ慣れとるからなあ……」

 宏の台詞に、なんとなく毒気が抜かれる春菜。

「慣れてるっていっても……」

「まあ、澪に対しての台詞は正直腹立つし、そんな言葉直に聞かされてる春菜さんにはほんまに悪い、思う。怒ってくれて、ありがたいとも。せやけど、僕とか澪が、そんな役目押し付けてごめんって謝るんもちゃうやろ? せやから、こんな感想しか言えんで悪いんやけど、正直僕には、さよか、としか言いようがあらへん」

「うん、まあ、そうだよね……」

 宏の返事を聞いて、なんとなく頭がクールダウンする春菜。確かに宏の立場では、他の感想を言うのは難しいかもしれない。一緒に怒ってくれるのも嬉しいと言えば嬉しいが、なんとなく宏のキャラとは合わない気もする。

「そもそも連中、自分らが孤立し始めとることにも気がついてへんあたりが滑稽でなあ……」

「孤立し始めてるって?」

「そら普通、たいした能力もあらへん癖に威張り散らして怒鳴り散らしとる連中が、自分らの仕事を便利にしてくれた人間の悪口を触れ回れば、反発するんも当然やろう?」

「それ、どうやって知ったの?」

「レイっちが教えてくれたわ。多分この後、このあからさまな撒き餌に引っかかってくれるやろうから、後は勝手に自滅してくんを眺めとけばええと思うで」

「……宏君も、一緒に向こうに引き上げた方がいいんじゃない?」

 宏の言葉に、流石に心配になってくる春菜。撒き餌に引っかかる、と言う事は、来るのは本職だと言うことだ。いくら宏が人間をやめたレベルで頑丈だと言っても、本職の暗殺者相手に通用するのかと言うのはかなり疑問である。地味にいろいろテンパっていたためにそこまで頭が回らなかったが、愚痴ってすっきりして冷静になってみると、宏にかなりひどい役目を押し付けている事に今更ながら気がついてしまう。

 確かに話が出た時には止めはした。だが、なんとなく暗殺者に殺されるというイメージがわかず、エアリスほど本気で撤回を求める事はしなかった。その自分の薄情さと考えの甘さに、今更ながらに背筋が寒くなる。

「やばい思ったら引き上げられるように準備してあるし、レザーアーマーも着とるし、そこまで心配せんでもええで」

「でも……」

「それに、リスクで言うたら僕の方がはるかにましやで。春菜さんの場合、一歩間違えたらそれこそ名誉棄損やの何やので合法的に処罰されかねへんねんし」

 宏の指摘は、身分制度の厄介な点である。たとえば春菜が言われたような事柄は、庶民と庶民、貴族と貴族の間だと半々の確率で名誉棄損に引っかかるが、貴族が庶民に向かって言い放った場合、そう簡単には罪に問えない。逆に、春菜が同じような事を言い返せば、確たる証拠があれば、たとえそれが売り言葉に買い言葉であっても、情状酌量の余地も認められず処罰されてしまう可能性がある。いくら王族や貴族の特権を大幅に削った法体系といえども、流石に全ての特権を取り上げるには至っていない。

 夜会での会話など、基本的には所詮悪口の言い合いでしかないため、処罰されたところで大した罪には問われないのだが、そこからどういう風に言いがかりをつけて処罰の内容を発展させにかかるか分かったものではない。悪口ごときをそう簡単に反逆罪だのなんだのに出来るほど笊な法でもないが、訴えられるとどうしても一定期間は行動が制約されてしまう。また、名誉棄損の実刑をきっかけに、一日二日ぐらいの短期間身柄を拘束する程度は、今認められている貴族の特権で可能だという事を考えると、春菜が背負っているリスクはかなりのものだと言える。

「そろそろエルが来るころやし、今更の話やから気にせんとさっさ避難してくれると助かるわ」

「……ん、分かった。危ないと思ったら、すぐに逃げてね」

「分かっとる」

 そんな会話を交わした直後に、部屋がノックされる。

「来たみたいやな」

「だね。どうぞ!」

 予定通り、入ってきたのはエアリスとドーガ、レイナの見慣れた三人組であった。宏に促され、挨拶もそこそこに部屋に気配をなじませ、クローゼットの扉を抜けて工房に避難する。

「さて、なにが出るやら」

 相手の油断を誘うため、手斧を片手に気配を殺してベッドの陰に潜む宏。流石にこの部屋の中でポールアックスは振り回せない。

「……来たか」

 そろそろ日付が変わろうかという時間。余程でなければまず分からないであろう気配の揺らぎ、それを感じてレイオット達に連絡を入れ、事態に対応するために身構える宏。音も立てずに窓が開き、何者かが侵入してくる。

(まじかい……)

 侵入してきた何者かの姿を確認し、宏が硬直する。宏にとって一番厄介であろう存在。想定される侵入方法や警備状況から、可能性として無意識に排除していた相手。

 そう、暗殺者は、女性だった。







「……?」

 双方にとって無情にも、宏が仕掛けた罠は正確に作動する。全く無駄のないタイミングで窓が閉まり扉が固定され、空間が世界から隔離される。特定の手段を除き転移系の魔法やアイテムも完全に無効化され、更に霧状に散布された薬品により、毒物での自害も封じられる。

「……」

 自身がひっかけられた事を理解しつつも、特に動揺するでもなく部屋の中を観察する侵入者。噴霧されたものが何かまでは分かっていないが、自分の体に害を及ぼすようなものではなさそうなので、無視することにしたらしい。宏が動揺からわずかに漏らした気配を読み取り、ベッドの陰へ何かを投げつける。

「うわぁ!?」

「……」

 ガタガタ震えながらベッドの陰から転がり出てきた宏を、まるで温度を感じさせない視線で捉える。とりあえず完全に動きが固まっている宏を排除すべく、仕事道具を片手に音も無く背後に回る。

「しもた!」

 飛び出したときに手斧を落とし、大いにあせる宏。あってもなくても大差ないとは言え、状況的に武器があるのとないのとは違う。殺意すら持たぬ、単なる障害物を見るような目を向けてくる女にトラウマを刺激され、雰囲気に呑まれていつも以上に破れかぶれに突っ込んでいく。

 そんな抵抗とすら呼べない抵抗を軽くいなし、あっさり背後からしがみつく暗殺者。ほぼ全身を皮鎧で覆っている宏を確実に仕留めるなら、背後から喉を切るのが一番だという判断だが、彼に対してはまた違う効果を見せる。

 何ともいえぬ女体の柔らかさ、それも春菜にこそ届かないがなかなかのサイズを誇る二つのふくらみが、在りし日にあったとある事件の記憶を呼び覚ます。宏にとって運が悪い事に、彼女が身にまとっている服は、潜入工作に特化した全身タイツのようなもので、肌の感触を阻害する機能は皆無に近い代物だった。

 女体の柔らかさにパニックを起こし、それまで以上に激しくジタバタ暴れようとする宏に手を焼きながらも、さっと喉を仕事道具で掻っ切る暗殺者。本来なら、それで終わるはずなのだが……。

「……?」

 ジャイアントリザードの表皮を紙のように切り裂くはずの彼女の得物は、宏の喉を浅く切り裂いたに過ぎなかった。確かに手ごたえはあったのだが、喉から血が出るどころか、見た目には傷が入ったかどうかすら分からない。

 この時点で彼女は悟った。この相手は、暗殺者にとっては致命的な存在だと。

「……」

 それでも、彼女は与えられた任務をあきらめるつもりは無かった。いや、薬で自我の大半を殺されている彼女には、あきらめると言う概念が存在していないのだ。

 ナイフが駄目、毒もこの皮膚の強度では無理だろう。後頭部を殴って撲殺できるほど可愛らしい存在なら、喉を切った時点で終わっているはずだ。ならば、首を締めればいい。幸いにも、自分は相手の背後を取っている。即座に結論を出し、誰であろうと阻止できぬであろう手際で仕事道具からワイヤーを取り出し、手早く首を締め上げようとする。

「やめて! 触らんで!! 離れてえな!!」

 女性恐怖症によるパニックのせいか、ものすごい力で暴れる宏。首が絞まっているはずなのに、まるで影響を受けた感じがしない。予想通り、彼女の腕力ではこの相手を完全に絞め殺すのは難しいようだ。ならば、お互いの体重を利用すればいい。そこまで考えたところで、双方にとってさらに不幸な状況に陥る。

「ひゃん!?」

 暴れていた宏の足が、彼女のかなり微妙な場所をかすめたのだ。今まで完全に無言だった彼女も、初めて体験するその感覚には、思わず声を上げてしまう。意外と若い、可愛らしい声だ。その妙に色っぽい声を聞いた宏がさらにパニックを加速させ、これまで以上にじたばたと暴れ始める。それが、さらなるピンチを招くとも知らずに。

 密着状態の人間が二人いて、一方がワイヤーを持った状態で下手に暴れるとどうなるのか。それもそのワイヤーの長さが、人一人を吊り下げるのに十分な長さがあるとすれば?

 そう、絡まるのである。猫がじゃれに行った紐に絡まって、身動きが取れなくなるあれと同じだ。先ほどの接触で思わず首に巻きつけてあったワイヤーを緩めてしまったのが運のつき、元々宏が暴れていたせいであちらこちらに半端な状態で巻きついていたワイヤーが、本格的にどうにもならない形で絡まり始める。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「んっ! あん!」

 ワイヤーが絡まる事で密着度合いが上がり、ますますパニックがひどくなって暴れ、更にワイヤーが絡んでやばい感じに密着する。その悪循環を繰り広げているうちに、宏と彼女の体はついに、人にお見せ出来ない感じで固定されてしまった。その過程で宏の手足が彼女の性的な意味で敏感なところを何度もかすめ、本人が全く意図していないにもかかわらず、その体をじらすように責め立てる。

 そもそもここまで密着すると、暴れると言っても小さくもがくぐらいのことしかできず、互いに相手に対してダメージを与えるような動きはほとんど不可能になる。彼女の方も、無意識にダメージを減らすよう動いているのだから、互いに大けがをするような事態にはなりようが無い。結果として、宏は無意識のうちに、ひたすら中途半端にあちらこちらを触りまくるような感じになってしまった。

 本来、彼女達にはこういった攻めは通用しない。人格とセットでその手の感覚を消すために、特殊な薬で体質をいじられているからだ。身体能力と学習能力の増強と引き換えに、人としてどころか生き物として無くしては拙いものを根こそぎ消滅させる、そんな薬。彼女はその薬により、使い捨ての暗殺者としては破格の能力を身につけていた。

 だが、この薬、時間が過ぎれば感覚周りを消す効果は消え、反動でかえって敏感になるという副作用がある。その薬の効果を、噴霧されていた万能薬が根こそぎ消してしまったのだ。背後を取って首を切った時点でこう言った反応が無かったのは、吸引と言う本来とは違う摂取方法をとったため、薬が消えるまでに時間がかかったことが原因である。そして、スタミナポーションとの住み分けのためか、万能薬は基本的に副作用の類には効果が無く……。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「ひゃっ! んあ!?」

 結果としてやばい感じで吼えながら暴れる宏に、敏感になった体をじらすように責め立てられ続ける暗殺者。二人の体がもはやどうにもならないほど絡まりあった時には、既に彼女の体は入ってはいけない種類のスイッチが入り、すっかり出来上がっていた。少しの動きですら思わず甘い吐息を漏らす彼女とは裏腹に、そろそろ精神が限界を超えかけ、顔色がなかなか危険な感じになり始めている宏。暴れる力もずいぶんと弱くなり、もはや痙攣している、という表現の方が近くなっている。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「も、もっと……」

 偶然目があった時、思わずそんな事を口走る彼女。顔を隠す覆面は、暴れもがいているうちに既にどこかに行ってしまっている。出てきた顔はある意味予想通り意外と幼く、せいぜい十五かそこらと言うところだ。そんな少女からの危険な言葉を聞いた宏の心がついに限界を超え、あっさり意識を手放す。時折ぴくぴくと微妙に痙攣する体が、彼の心がどれほどピンチかを物語っている。物語っているのだが……

「んっ! んん~!」

 そう。宏が気絶したところで、彼の手足が彼女の敏感で危険なところに接触しているという状況は変わらないのだ。むしろ、痙攣していると言う事は、彼女にとって事態は何一つ良くなっていないのである。

「あっ!」

 宏が気絶した後も、もぞもぞとポジションを変えていた暗殺者は、脱出より先に今までで一番気持ちがいい位置取りを発見してしまう。今までに経験した事の無いその感覚にすっかり虜になりながらも、所詮気絶した人間が不随意反応を示しているだけの物足りなさに、ひたすら悶々とする羽目になる彼女。結局、打ち合わせ通り十分後に突入したレイオット達にあっさり投降し、あまり人様にお見せできない種類の顔で洗いざらい情報をぶちまけてしまうのであった。

 なお、余談ながら、素直に避難する振りをして工房に移動後、アルフェミナと結託してタイミングを見てドーガを送り込むことで介入しようとしていたエアリスだが、宏の状況が初潮も来ていない様な子供にはとてもお見せできないと判断したアルフェミナの裏切りによって、その目論見は完全に不発に終わったことを記しておく。
これ、R-15の範囲に収まってるのだろうか……。
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