挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
フェアリーテイル・クロニクル ~空気読まない異世界ライフ~ 作者:埴輪星人

後日談 春菜ちゃん、がんばる?

しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

188/223

第6話

今回、春菜さんは諸般の事情で直接の出番はありません。
出番はないけど、ちゃんと頑張ってます。
 それは、春菜が修学旅行で不在となる六月頭の事であった。

「よっしゃよっしゃ。順調順調」

 不在の間の世話を頼まれていた宏が、朝の畑仕事を区切りのいいところまで終えて満足げにうなずく。普段春菜が畑仕事をするよりは遅い時間ではあるが、それでもまだ普通の学校は始まっていない時間帯である。

 春菜の畑は、初夏の日差しを浴びた作物がすくすくと元気に育っていた。

「今年は梅雨入りがおそなるみたいやからなあ。水やりには注意しとかんと」

 現時点での土の様子を記録し、空模様を確認してからそう呟く宏。異変はその時起こった。

「ん? 転移反応か?」

 畑の片隅、肥料などを仕舞ってある掘っ立て小屋付近に、何かが転移してくる反応が発生したのだ。

 この世界で空間転移なんて行う存在は、宏達を含めても三桁には届かない。その大半は知り合いで、知り合いでない連中とも特に敵対している訳ではない。それに、知り合いなら転移でこちらに来るにしても連絡はあるだろうし、そうでない連中がこちらに来る理由もない。

 首をかしげつつも、特に脅威となる感じでもないため黙って反応が消えるまで待っていると、現れたのは宏達が実によく知る人物であった。

 ただし、こちらの世界ではなくフェアクロ世界の、ではあるが。

「びっくりしたなあ、もう。こんな朝っぱらからいきなり、っちゅうんはどうかと思うで?」

「申し訳ありません……。こちらに来る許可が下りたので、つい気持ちがはやりまして……」

「まあ、そんぐらいは別にええんやけどな、エル。こっちは魔法とか基本的に確認されてへん世界やから、出てくるときは注意せんとあかんで。こんなところ見られたら、大騒ぎで済まんかもしれんし」

「はい……。反省しています……」

 そう、転移してきたのは、エアリスであった。しかもご丁寧に、こちらの世界でも許容されるデザインの、だが明らかにちょっとした余所行きなどではすまない高級感あふれる服を着ている。

 貸し農園にはとことんまで不釣り合いな姿だと言えよう。

 幸いにして、今日のこの時間帯は宏以外に畑仕事をしている人間が居なかったが、もし見られていたら何重もの意味で危なかった。

「まあ、何にしても、よう来たな」

「はい」

「春菜さんは昨日から旅行でおらんし、兄貴と真琴さんは住んどる地域がちゃうから会いに行くんも大変やけど、澪には会えんで」

「そうなのですか?」

「せやねん。まあ、澪もまだ入院中やから、面会時間でないと顔見れんけどな」

 まだ入院中、という宏の言葉に、少し不安そうな表情を浮かべるエアリス。一応澪の事情は聞かされていたが、宏達の帰還からこちらの世界で一か月半たって、まだ退院できていないことが不安になってしまったのである。

「ミオ様のお体、そんなに悪いのですか?」

「いんや。入院中、っちゅうても、今は経過観察とリハビリのための入院やからな。大方治っとんねんけど、まだ介助なしで生活するんはきついから、病院で世話なってんねん。感じとしては、毒抜いた後のエレ姉さんが近いか?」

「それは、かなり厳しい体調だと思うのですが……」

「まあ、今の大変さを例えると、やけどな。澪の場合は最初の頃こそ一級ポーションでもないと治らんような状態やったけど、今は単に寝たきりが長くて体が衰え切ってもうとるだけやから、後遺症やったエレ姉さんとちごてかなりしんどいけど鍛えればちゃんと動けるようになるんよ」

「そうですか……」

 宏の説明を聞き、安堵のため息をつくエアリス。基本的に口数は少ないが、なんだかんだ言って元気に楽しそうに動き回っていた澪を知っているだけに、体が自由に動かせないと聞いていろいろ心配が募っていたのだ。

「まあ、その辺の話はあとでするとして、こんなところで長話するんもあれやから、片づけて僕の家いこか、って……」

「どうなさいました?」

「いやな、僕の家、こっから自転車で十分ぐらいかかるんよ。歩くともっとかかるから、どうやってエルを連れてこかってな……」

「ああ、なるほど。確かにその距離は、少々遠いですね」

「やろ?」

 宏の言葉に、いろいろ納得するエアリス。いろいろ難題である。

 正直な話、エアリスは三十分やそこら歩くのは全然苦にならないが、この世界のルールを全く知らないという点で少々不安はある。

 それに、見たところ宏はここまで自転車で来ているようだ。そうなると、自転車と徒歩で、ということになるが、自転車を押して歩行者に合わせて歩くのは結構疲れるし、かといって自転車に乗って歩行者の速度に合わせるのは非常に難しいうえに押して歩くより疲れる。

 かといって、自転車を用意してもらってというのも、今日のエアリスの服装だと少々厳しいところがある。何しろ今日のエアリスは、余所行きということでお嬢様ルックの基本ともいえるマキシ丈のスカートをはいている。足首が隠れるほどの長さで、しかも上品さを失わない範囲ではあっても飾りがたくさんついていて裾がふんわりと広がるそのスカート、自転車に乗ると主にペダル周りに絡まりかねないという点で少々危険なのだ。

 同じ理由で二人乗りも危険だが、二人乗りに関しては物理的な危険以外に宏の精神にも多大な負荷をかけることになるので、そちらの理由でも選択肢には上がらない。季節的に、お互い着ている服の生地が薄いのもこの場合はマイナスである。

 普通の男なら嬉しいであろう、薄着で発育のいい美少女との二人乗りだが、宏の場合はまだまだ喜べる状態ではない。十分もとなると、吐きはしないまでも、終わった後三十分以上ぐったりするぐらいには神経をすり減らすのだ。

 実のところ、自転車をもう一台用意するのはそもそも在庫の問題で不可能だったのだが、エアリスは当然そんな事情を知らない。

「せやなあ……。悪いけど、いっぺん神の城に戻っとってくれへん? 家着いたら呼ぶから」

「はい、分かりました」

 宏に言われ、素直にうなずいて神の城へ転移するエアリス。それを見届けて、抜いた雑草や使った道具を大急ぎで片づける宏。

 片づけを終え、自転車にまたがったところで、春菜の畑の前に一台の車が止まった。大荷物も積める、大型のワンボックスカーだ。

「あら、宏さん。今朝の作業はもうおしまいですか?」

「あ、いつきさん。ちょっと向こうから客が来たんで、ちょうどええ区切りやったしっちゅうことで大急ぎで片づけたんですわ」

 車から降りてきたのは、人型お手伝いロボのいつきであった。

 基本的に、現段階で春菜以外の藤堂家の人たちとは一切面識のない宏ではあるが、畑仕事を共同で行う都合上、ここで最も顔を合わせる機会が多いであろういつきに関しては、春菜から紹介を受けてそれなりに交流がある。何度か宏の家まで車で送っていることもあり、いつきは宏の両親とも面識があるのはここだけの話だ。

 会話や挙動、触れた時の皮膚の感触などは人間と全く変わらないいつきだが、やはりロボだけあってか、女性型でありながら宏にほとんど女性を感じさせない。そのせいか、下手をすれば蓉子や美香を相手にするときより気を許している節がある。

 ちなみに、一番最後に作られたいつきを含む十一人のメイドロボは、社会実験のための特例で運転免許を含むいくつかの免許を取得している。なので、車で公道を走っても犯罪にはならない。

 逆に、ほとんどのことについて日本人と同じ扱いになっているため、一部適用しようがないものを除いて日本の法律に従わなければいけないのだが。

「なるほど。それで、その方はどちらに?」

「移動にいろいろ問題があるんで、一旦神の城に戻ってもらってます。このまま大急ぎで自分ちに戻って、向こうで呼びますわ」

「そんな面倒なことをしなくても、私に連絡してくれれば車ぐらいいくらでも出しましたのに」

「思いつかんかったんですよ」

 咎めるように言ういつきに、申し訳なさそうに宏がそう答える。

 気を許しているとはいえ、所詮顔を合わせるようになって半月未満。こういう時に頼ろうという発想はなかなか出てこないのだ。

「とりあえず、春菜お嬢様に頼まれていたものを降ろしたら、すぐに送っていきます。その方をこちらに呼び戻していただけますか?」

「いや、そらちょっとまずいと思いますわ。こっちに人が来とるんで、下手に転移したらみられて面倒なことになりそうやし」

「そうですか。でしたら、早く降ろしてしまいましょう。手伝っていただけますか?」

「そらもちろんですわ」

 そういって、車に積まれた大量の荷物をどんどん降ろしていく宏。中身は追加の肥料に蔓を巻き付けるための竿、消毒液など、一アールぐらいの畑だとそれなりに大量に必要だが、女性の腕力でも時間をかければ普通に降ろせるものばかりである。

 宏の腕力ならバランスや視界の確保に問題なければ一気に降ろせる重量だけあって、荷物を降ろして納屋に収納し終えるまでに一分とかからなかった。

「お手伝い、ありがとうございます。それでは、自転車を積み込んでください」

「はいな」

「その方を連れて澪さんのお見舞いに向かうのであれば、事前に連絡をください。迎えに上がりますので」

「分かりました。次はお言葉に甘えます」

 荷物を降ろして空けたスペースに自転車を積み込み、助手席に乗り込む宏。宏がシートベルトをしたのを確認すると、いつきは静かに車を出発させる。

 裏道その他を駆使したいつきの運転により、法令違反その他を一切せずに三分ほどで宏の自宅に到着するのであった。







「……これが、ヒロシ様のおうちですか」

 宏により庭へ転移させられたエアリスが、高度成長期以降の日本で一般的な一戸建てである東家を見上げて、実に興味深そうにそうコメントする。

 実のところフェアクロ世界には、高度成長期以降に作られた住宅街にあるような建築様式の建物は存在しない。性質の近い建材が存在しないこともあるが、それ以上にデザインや構造の面で似たような感じの建物が存在しないのだ。これは、宏が改築した各地の工房や携帯用のコテージなども同じである。

 もっとも、これに関しては単純に、高度成長期以降の日本と同じような環境・発達をした地域がなかったというだけで、どちらが優れているとかどういう種類の話ではない。建材や建築技術にしても、基盤となっている技術や発達の方向性はちがえど、レベルだけでいえばどちらもそれほど大した差はない。

 なので、エアリスは純粋に珍しさから東家を観察していた。

「あんまり大きい家やないけど、とりあえず上がってや」

「はい。お邪魔します」

 宏に促され、玄関から屋内に進むエアリス。この時、ウルスの工房にある和室の事を思い出してちゃんと靴を脱いでいるあたり、なかなかに察しの良い娘さんである。

「とりあえず、澪の面会時間まではまだ結構あるから、軽くお茶でも」

「ありがとうございます」

「エルは、朝ご飯は?」

「食べてまいりました」

「そうか」

 エアリスの返事を聞いて、とりあえず熱いほうじ茶とお茶菓子を用意する。まだ八時半も回っていないこともあり、冷たい麦茶を飲むような気温ではないのだ。

「面会時間とか考えたら十時ごろに向こうつくようにしたらええから、大分のんびりする時間はあるで」

「はい。……ヒロシ様、このお菓子は何でしょう?」

「『やがらんこつ』っちゅう、このあたりでよう食べられとるお菓子や。やがらっちゅうこの辺の地魚の骨をダシで煮込んでしっかり味付けした後、固めて煎餅にしたお菓子でな。大人は酒のあてに、子供はそのままおやつにっちゅう感じで割とみんなポリポリやっとんねん」

「なるほど。……醤油のおダシの味と骨自体の風味がよくマッチして、すごくおいしいです。この歯ごたえもなんだか癖になりそうです」

「気に入ってくれたんやったら、よかったわ。エルやったらよっぽどのもんでもない限り大丈夫やとは思っとったけど、やっぱ好き嫌いはあるしな」

「私は、このお菓子大好きです。持って帰っていいのであれば持って帰りたいですし、ウルスで作れそうなら作りたいのですが……」

 そういって、何やら期待のこもったまなざしで宏を見つめるエアリス。その非常にわかりやすい態度に苦笑しつつ、残念なお知らせを口にする宏。

「ウルスやと、味はともかくこの食感にできる骨のある魚がおらんでなあ。それに、今のウルスはまだ慢性的な醤油不足やから、こういうお菓子に回すんはちょっとしんどいと思うで」

「そうですか、残念です……」

 宏からの残念なお知らせに、物凄くしょんぼりしてみせるエアリス。よほど気に入ったのか、そのがっかり具合は罪悪感すら感じそうなレベルである。

「まあ、お土産に持って帰る分にはかまへんで」

「本当ですか!?」

「別に高いもんやあらへんし、出るごみも向こうで問題になるようなもんやあらへんしな」

「ありがとうございます!!」

 落とされて持ち上げられたからか、エアリスが先ほどとは打って変わって、宏が引くほど大喜びする。その様子を見て、売店で仕入れるか、などと頭の片隅で考える宏。

 特に問題ないと宏が断定した「やがらんこつ」のパッケージは、よくある安っぽい透明なプラスチックフィルムを用いたものだ。普通に考えると、処分するのにいろいろトラブルが発生する類の物に見えるが、宏達の住む日本に関してはそうではない。

 包装資材とレジ袋やごみ袋に関しては、もう十年以上前に石油由来のプラスチック類は駆逐され、生ごみなどの有機物を特殊技術で加工した生分解性プラスチックフィルムに取って代わられている。土に埋めるか生き物が飲み込んだ場合は普通に分解され無害になるが、それ以外に関しては石油由来のプラスチックフィルムと同じ用途に使って一切問題がないすぐれものである。

 ちなみに、原材料となる生ごみの出どころは主に飲食店や食品スーパーなどの、どう頑張っても毎日食料品の大量廃棄が発生してしまう業種からだ。当初は生ごみが原料ということで忌避感が強かったこのフィルムも、テレビなどで何度も何度も生産工程や安全性を周知した結果、どうにか定着させることに成功している。今では子供が誤って口に入れて飲み込んでも害がない、ということで、今では普通のビニールよりも市民権を得ている。

 生ごみの回収ということで不潔な印象を与えそうだが、現在原材料の回収に関しては、供給元である業者の方で一番最初の加工を済ませたものを一トンいくらのレートで購入する方式になっている。この新技術が低コストで実用化された際に、ごみの減量や食料品の無駄の削減を名目に国が補助金を出して、その手の業者全てに廃棄物の最初の加工のための設備を設置することを義務づけたのだ。

 最初の加工を済ませてしまえば、その時点で土にでも埋めない限りは腐らなくなる。また、加工する際には多少腐っていても有機物であれば問題ない。そのため、回収前に腐って異臭が、などという問題も発生しておらず、逆に発生した生ごみや傷んだ食材をすぐに加工設備に入れることで衛生面が向上したと、業者の側もごみが売り物になる以外の思わぬ副次効果に喜んでいたりする。

 今では各種設備の性能向上やコストダウンもさらに進んでおり、ごみの回収費用が浮く分だけで十分に設備代が償却できるところまで来ている。

 余談ながらこの技術、珍しく天音が開発したものではない。研究室出身の人間が開発者であり、開発したのも就職先でのプロジェクトによるものだ。なので全く無関係とまでは言えないが、基礎技術の確立に関しては一切手を貸していないので、天音の功績とは間違っても言えないものである。

 ノートパソコンが駆逐されているのとスマートフォンがパソコンに取って代わられていること以外、日常の風景は2000年代後半と大差ない宏達の日本。深く掘り下げていくと、日常生活に直接影響のない目に見えない所では、驚異のテクノロジーが大量に紛れ込んでいたりする。

「おっ、なんぞメッセージが来とる。……真琴さんがこっちに来るそうや。病院で合流やな。やっぱり、兄貴はさすがに無理か。仕事やし終わってからこっちっちゅうんはさすがにきついやろうし」

「そういえば、皆様は別々の地域に住んでおられるのですか?」

「出身地がバラバラやからな。治療の関係でこっちにおるけど、澪も本来は兄貴と同じ地域に住んどるし」

「そうなのですか」

「せやねん。ついでに言うと、兄貴が仕事っちゅうところから分かるかもやけど、今日は平日やから本来は僕もこの時間は学校やねん。春菜さんが旅行で不在っちゅうんも、日本の学校には修学旅行っちゅう旅行の行事があって、それに参加しとるからやし」

「そんな行事があるのですね」

 宏の説明を聞き、春菜の不在について納得するエアリス。宏が旅行に参加せず畑仕事などしていたことについては、なんとなく察するものがあったため深く追求はしないことにしている。

 宏が空間投影ディスプレイをごちゃごちゃ操作している件についても、神の城でたまに見かける姿なので完全スルーだ。

「おっ、春菜さんからもメッセージや。なになに? 『そんな重大なイベントに宏君だけ立ち会うなんてずるい』って、んなこと言われてもなあ……」

 文句を言われても困る、などと思いながら、春菜のメッセージの続きを確認する宏。どうやら現在春菜達は京都にいるらしく、今日一日は自由行動のようだ。ただし、いくつかのポイントは絶対に回るように指定されており、さらにそこで関係者から歴史や文化についての解説を聞かなければいけないというシステムになっている。そういう面で、案外自由があるようでないようだ。

 そんな春菜からのメッセージを確認し終え、宏のために初日の大阪でこっそりスーパーで調達しておいたという土産物の一部を取り出して確認する宏。スーパーの袋に詰められた状態で共有ボックスに送られていたお土産の中身は、おにぎり型の煎餅やオレンジ色のフィルムが腸の代わりになっているポークウィンナーなど、関西圏ではおなじみだが宏にとっては懐かしいものばかりであった。

 内容が三都めぐりだったこともあり、二重の意味で参加不能であった今回の修学旅行。そのあたりを気にしていた春菜は、事前リサーチを元に最大限に気を使って、宏の好物でかつ悪い思い出と直結していない、チョコレートが一切絡んでいないものを大量に確保したようだ。

 こういうところの女子力や恋愛偏差値は高いくせに、アピールするとなると途端にポンコツ化するあたり、春菜もなかなか厄介な性格をしている。

 というよりむしろ、恋愛感情に関係なく相手の事を考えて行動したときだけ、恋愛的な意味でも効果的なアピールができるというのが真相であろう。

 どうでもいい余談ながら、今回の修学旅行では、大阪までの交通機関は四年ほど前に全面開通した新型の超高速鉄道を利用している。発進・停車に慣性制御をおこなうハイテク車両で、東京大阪間を停車時間込みで一時間未満まで短縮した車両である。

 現在は運行ノウハウを蓄積している途上であるため運行開始当初から見て倍程度にしか便数が増やせておらず、少々お高い切符となっているのが難点だ。宏たちの通う潮見高校が天音の出身校でなければ、切符代より予約のほうの問題で利用不可能だったであろう。

「またいろいろ調達してくれたんやなあ」

「いくつか見覚えのあるものが混ざっていますが、ヒロシ様はこれを参考に作っておられたのですか?」

「せやで。やっぱり、食いなれたもん再現したかったしな」

 なんとなく懐かしそうにしながら、とりあえずおにぎり型の煎餅を開けてエアリスに渡す宏。二枚入りの個包装が大量に入ったタイプのもので、味も分量も宏の記憶にあるのと変わらない。ただ、最近リニューアルしたのか、パッケージのデザインが微妙に変わっている。

 差し出された煎餅を食べ、美味しそうに目を細めるエアリス。先ほどのやがらんこつと違い、すでに宏達が作っている煎餅類とそれほど味は変わらないが、それだけに何となくほっとする味わいである。

「他にもいろいろあるけど、こんな時間にお菓子バクバク食うたら昼が食えんなるから、こんぐらいにしとかなあかんな」

「そうですね」

 煎餅二枚とやがらんこつ二枚ほどを食し、お茶を飲み干したところで宏がそう提案する。宏の提案に同意したエアリスが、さりげなくリビングを観察する。

「不思議なものがいろいろありますが、これらはどれも魔道具なのでしょうか?」

「原理はちゃうけど、立ち位置は似たようなもんやな」

「あの薄い板のようなものは何ですか?」

「あれはテレビやな。向こうに似たような概念のがなくて上手い事説明できんから、ちょっとつけてみよか」

 エアリスの質問に答えるために、テレビの電源を入れる宏。丁度そういう時間だったからか、映し出された番組は五分ほどのニュースであった。

 娯楽の中心からはすっかり転落し、主要なニュースの提供メディアとしてもすでに往時の面影はなくなっているテレビではあるが、それでも不特定多数が共有するモニターや高画質・高音質で映画やスポーツ、コンサートなどを見るための受信機としての用途で辛うじて生き延びている。

 主要な用途がそれな上据え置き型のゲーム機すらパソコンやVRヘッドギアに簡単に接続できる事もあり、画質と大きさ以外で生き延びることができなくなったテレビは既に四十インチ以下のものが駆逐されて久しい。

 そんな理由もあり、宏の家に置かれているのも約五十インチとなかなか大きなものである。

 なお、午後三時ごろまでどこの局もワイドショーをしている、というのはあまり変わらない。単純に、そのあたりの時間帯は何を流しても同じなので、コストが安く垂れ流しにしても邪魔にならない番組に偏るところは変わっていない。

 一応昔と違う点はあるが、せいぜいがすぐに指摘が入るレベルの偏向報道や眉を顰めたくなる種類のバッシングをやらなくなっている程度である。

「……なるほど。遠見や過去視の魔道具を高機能にした、という感じの物ですか」

「詳しい説明したらちゃうんやけど、基本的な概念はそんなとこやな。番組表は、っと……」

 エアリスの質問に答えつつ、CMの間に番組表を確認する宏。いい具合に、すぐに始まる一時間枠の音楽系情報番組がYukinaの特集だった。

「おっ。春菜さんのお母さんが出演する番組発見。これにしとくか」

「ハルナ様のお母さまですか?」

「せやねん。春菜さんのお母さんは、こっちの世界ではかなりの有名人でな。これで提供する娯楽系の映像、それも音楽が絡む内容のんにはよう出てくるんよ」

 などと言いながら、番組が始まるのを待っていると、エアリスの膝の上に黒い結構大きな塊が。

「あら?」

「おっ、シャノか。珍しいな、春菜さん以外のお客さんの膝とりに来るん」

 エアリスの膝の上に飛び乗ったのは、宏の家で飼っているオスの黒猫、シャノであった。体重が六キロを超えている大柄でがっしりとした体格をしている、日本の野良猫によくいる短毛種としてはやや長い程度の毛並みの猫だ。

 家族以外では春菜か天音が単独で訪れた時ぐらいにしか姿を見せない猫だが、やけに行儀がよく甘え上手なちゃっかりした性格をしている。

 春菜が天音と一緒に来た日に姿を見せなかったのは、単純に天音と春菜の組み合わせに動物としての本能がビビッて腰が引けていたからである。なので、春菜もしくは天音単独なら普通に全身全霊をもって甘え倒す。

 朝の時間こそ自重しているものの、春菜はシャノにメロメロで姿を見るたびにかまい倒すのは言うまでもないここだけの話である。

「ふかふかでサラサラです……」

「うちのは野良を拾ったから、長毛種ほど毛ぇ長ないけどなあ」

「ひよひよさんやアルチェムさんの狼の手触りも好きですが、この子の毛皮が一番好きかもしれません。猫と触れ合える機会があまりないので、すごくうれしいです」

「そらええんやけど、そいつデカいから重いやろ?」

「大丈夫です」

 そういって、宏に向けるのとはまた違ったうっとりした表情で膝の上のシャノを撫でまわすエアリス。エアリスに撫でられ、ゴロゴロ言いながら気持ちよさそうに目を閉じるシャノ。完全に猫の癒しと遊びの空間に取り込まれている。

 そんなエアリスの様子に苦笑しつつ、そろそろ雪菜の出る番組が始まりそうだとテレビに視線を向けたその時、外から聞こえていた原付バイクのエンジン音が自宅の前で止まる。数秒後、玄関が開く音とともに誰かが家に入ってきた。

「あれ? おかんどないしたん?」

「ちょっと個人のほうの銀行印が必要になってな。大慌てで取りに帰ってきたんよ。それより、そちらにおられる物凄く立派なお嬢様はどなた? えらいシャノが懐いとるけど……」

「あ~、前にちょっと話出たと思うけどな、向こうの世界の娘さんでエアリスっちゅうねん。僕らはエルって呼んでるけどな」

「ああ」

 宏に説明され、何やらいろいろと納得してエアリスの方に体全体で向き直る母・美紗緒。そのまま真面目な表情で深々と頭を下げる。

「宏の母の美紗緒と申します。この度は、うちの息子が偉いお世話になったようで……」

「私達こそ、ヒロシ様には幾度となく助けていただきまして……」

 深々と頭を下げ、丁寧に礼を言ってくる美紗緒に対し、猫を膝に乗せたまま同じように頭を下げるエアリス。春菜の時のような舞い上がった様子を見せない母に、何となくほっとしてしまう宏。

 口調や態度から察するに、どうやら宏の両親は、春菜から向こうの世界での宏の関係者、それもこちらに来る可能性が高く恋愛的な意味で深くかかわる可能性がある人間について、大体のことを聞いているらしい。

 自身の両親がそのあたりの情報をどのぐらい把握しているかについて、なぜかちゃんと把握していない宏だが、これに関しては春菜がこっそり宏のいないところで説明をしていたからである。天音の診察の最中など、宏の両親と春菜が一緒にいて宏がいない状況というのは結構あるのだ。

「それにしても、話には聞いとったけど、実際に会うてみると春菜ちゃんが遠慮するんも分かるわ」

「ハルナ様が、ですか?」

「はい。春菜ちゃん、自分だけ私らに応援してもらうんはフェアやないからって、ものすごい遠慮してまして……」

 宏の母から聞かされた春菜の言葉に、どうにも困った表情を浮かべるしかないエアリス。宏の両親を味方につけたところで、肝心の宏自身が心身ともに将来の伴侶を見つけ受け入れる準備を整えないと意味がない。

 そういう意味では、春菜の配慮はありがたくもあり、そんな遠慮などせずに事を進めてほしくもあり、どうにも複雑な気分になってしまうのだ。

「っちゅうかおかん、春菜さんの時にはえらい舞い上がっとったけど、今日は妙におとなしいやん」

「そら、エアリス様に関しては、春菜ちゃんから事前に話聞いとったからな。それに、前ん時の事は、これでも物凄い反省しとんねんで」

「別に、気にするほどの事やあらへんと思うんやけどなあ……」

「いや、あんたの親やからこそ、そこは気にせなあかんねん」

 もうすでに一カ月以上経っているというのに、いまだに天音から説明を受けた日の事を気にしている母・美紗緒。正直宏としては、舞い上がって日ごろなら絶対しないような言動をするほど両親が喜んでくたことがうれしくもあり有難くもあったので、あまり気にされるのは困る。

 確かに、舞い上がって春菜を巻き込むような形でけしかけてきた事に関しては非常に居心地が悪かったが、それ以外に関しては母の言い分ももっともだと認めるところがあった。

 思春期の男の子的には親のああいう言動はうざく勘弁してほしいものではあるが、親とああいうやり取りをできるというのは、宏にとっても両親にとってもある意味特別なことである。前回ぐらいでは、大阪人的トークとしては行き過ぎとかしつこいというところまでは至っていないのだし、あれ以上続く、もしくは春菜の制止を無視するレベルにならない限りは気にもならない。

 そもそもの話、楽しめないだけで女子と二時間以上カラオケボックスに入って大丈夫になっているのだ。そこまで治っているのに、いちいち細かい事に過敏に反応して、半ば以上は冗談というかネタで言っているだけの軽口もうかつに言えぬ親子関係に戻るなど願い下げだ。

 そういった気持ちを前面に態度に表しつつ、宏は美紗緒の態度についてさらに気になっていたことに切り込んでいった。

「なあ、おかん。折角大分ようなってんのに軽口も叩けんとか、春菜さんもエルも気ぃつこてまうからあかんで。それに、エルに対してそんな改まった態度とると、春菜さんがさらに遠慮せんか?」

「っちゅうたかてなあ、エアリス様って正真正銘のお姫様で、見てわかるほど立派な人やん。あんたみたいに命の恩人で何年も交流あるんやったらともかく、初対面でこの方に対してそこまで馴れ馴れしく気楽な態度とか無理やで……」

「エルの場合、プライベートやとどっちかっちゅうたらぞんざいな扱い受ける方が喜ぶし、そもそもの話僕と話しとるときは普通に素やん。今更取り繕うても一緒やと思うで」

「そら、ここは一応私らの家やし、宏が普通に話しとるから取り繕うほうが不自然やっちゅうだけやで。さすがにここにおんのに直接声かけんのも恐れ多い、とまでは思わんけど、やっぱりかしこまらんとっちゅうんはちょっとなあ……」

「そこを曲げて、お願いします。あまりかしこまられると、認めていただけていないように感じて寂しくなってしまいます……」

 シャノを膝に乗せたまま、切実な表情でエアリスが頭を下げる。それを見て、内心で大いに葛藤しながら、一つの結論を出す母・美紗緒。

「……春菜ちゃんと同じ態度にしてほしい、っちゅうことでええんやね?」

「はい!」

「……ほな、エルちゃん、って呼んだらええ?」

「是非!」

 美紗緒の言葉に、輝くばかりの笑顔で喜んで見せるエアリス。それを見て、うれしくもあり複雑でもある美紗緒。

 大切な息子をここまで好きになってくれて、しかも自分にも懐いてくれる絶世のが付く美少女二人。現時点ではこの二人に及んでいないものの、恐らく将来は同じぐらいの和風美人になりそうな澪も含めて、どの娘も本来ならヘタレで調子乗りな宏にはもったいない女性ばかりである。

 さすがに曲りなりも親なので、彼女たちと宏が釣り合わないとは思っていないが、複数である、という点には申し訳ないものを感じてしまうのだ。

 結論を出すのは宏であり、その結論を全面的に支持するつもりはあれど口を挟む気は一切ないが、それでも一人を選ぶと他の二人に申し訳なく、だが全員となると今の日本の価値観では大層不誠実な気がしてならない。

 親として宏には大層申し訳ないが、宏が自分の息子でなければ、いや、たとえ自分の息子であっても中学時代のあの事件がなければ、正直恐らく全員を選ぶとなった場合、全肯定するのは無理だっただろう。

 そのあたりの自覚があるだけに、どうしても複雑な気持ちにならざるを得ないのである。

「なあ、宏」

「なんや?」

「お母さんはあんたがどんな結論出しても応援するけどな、どうなるにしても、春菜ちゃんらに対しては誠実で無いとあかんで」

「言われんでも分かっとる」

 真面目な表情で釘を刺してくる美紗緒に対し、同じぐらい大真面目にそう答える宏。むしろ、誠実にやっているからこその現状だ。

 そんな真面目な会話を打ち切らせるように、テレビから最近のヒット曲の前奏が聞こえてくる。

「Yukinaさんの出てる番組か。エルちゃんに紹介するつもりやったん?」

「せやで。っちゅうわけで、この人が春菜さんのお母さんな」

「この方がですか? 確かに、春菜様によく似ておられます。……この方も、素晴らしい歌を歌われるのですね」

「そら、基本的に歌一本で世界中に名前を響き渡らせた人やからな。春菜さんも究極のところでお母さんの歌越えられへんっちゅうて、歌手とか考えんことにしたらしいし」

 そこまで話して、歌に聞き入る宏達。曲数を稼ぐためか一曲目はショートバージョンではあったが、Yukinaの歌のすばらしさは十分に知ることができる。

「……よう考えたら、春菜ちゃんと宏が上手い事いったら、この人が宏の義理のお母さんになるねんな……」

「まあ、そうなると決まった訳やあらへんし」

「正直な、お母さん的には春菜ちゃんは大歓迎やけど、この人と親戚づきあいとか、最低限でも手に余りそうなんが不安でしゃあないんよ……」

「さすがに、そらなんぼなんでも気ぃ早いで」

「っちゅうか、今思ったんやけど、仮にエルちゃんと宏が結婚するっちゅうことになった場合、お母さんらは誰にどうやってあいさつしに行ったらええん? 王室とお付き合いとか、たとえ違う世界のんでもようせえへんで?」

「先走りすぎやっちゅうてるやん。そういうことは、その時になってから考えたらええねん」

 えらく先走ったことを言う母親を、そう宏がたしなめる。

 だが、残念なことに、将来のためにということで春菜が東家の工場でアルバイトを始めると、春菜の母雪菜が娘の様子を見に来るという口実でそれなりの頻度で顔を出し、工場の仕事が忙しい時にはバリ取りや卓上ボール盤での作業を素人とは思えない手際で手伝いながら駄弁って帰るという生活を始めるのだが、さすがにこの時点ではそこまで想像できるはずもない。

 結局、どう転んでも近い将来、雪菜とはそこそこ親しい友人という間柄にならざるを得なくなる宏の両親であった。

「で、おかん。結構長いこと駄弁ってしもたけど、戻らんでええん?」

「あ、せやな。はよ判子もって行かんと。この後、あんたらどうするん?」

「澪のところに見舞いに行く予定や。向こうで真琴さんとも合流するし、病院まではいつきさんが送り迎えしてくれるから心配いらんで」

「そっか、ほな大丈夫やな。あんたの行動範囲やとそない使われへんやろうけど、念のために小遣い追加で渡しとくわ。エルちゃんは今日はいつごろまでおるん?」

「特に決めてへんけど、何やったらうちで晩飯一緒に済ませてもらうか?」

「せやな。向こうの事とかもうちょっと話したいし」

「っちゅうことやけど、ええか?」

「もちろんです!」

 宏の提案に、満面の笑みで同意するエアリス。それを見て同じく笑顔でうなずき、大慌てで銀行印を回収して家を出ていく母・美紗緒。

 原付の音が聞こえなくなった後、特に会話もなく次の曲に聞き入る宏とエアリス。結局、番組終了直前にいつきが迎えに来るまで、のんびり歌を堪能する二人であった。







「これが、本場日本のおそば屋さんですか……」

「本場、っちゅうてもこのあたりはそばの名産地やないから、厳密にはちゃうんやけどなあ……」

「でもまあ、このお店はそば打ちが趣味のサラリーマンが脱サラして始めた、ってタイプじゃないし、結構本格的な料理も出てくるからあながち間違ってるわけでもないわよ?」

 お昼時の後半。宏達はエアリスのために、病院の近くにある手打ちそばの店に昼を食べに来ていた。

 このそば屋、一流料亭などで修業した店主が独立して構えた店で、手ごろなかけそばから本格的なそば懐石まで懐具合に応じて一流の味を楽しめるお店である。

 何よりうれしいのは、大学近くにあるだけあって、宏のような高校生でもあまり気後れせずに入れる店構えであることだろう。おかげで、食事時はいつもそれなりに賑わっている店である。

「さて、今日は何にしようかしら。おろしそばも自然薯そばも美味しいけど、そば雑炊定食も捨てがたいのよねえ……」

 案内された席に座ると同時に、メニューを開いた真琴が悩ましそうに言う。

 看護師さんが予約を入れてくれた席は、宏と外国人であるエアリス、いまだ移動の大半は車いすの澪に配慮してか、テーブル席の個室であった。

「ボクはボリューム定食一択」

「せやなあ。僕もボリューム定食でええか。エルはどないする」

「初めてくるおそば屋さんですので、まずはかけそばか盛りそばを」

「両方食べ比べができる小盛のセットがあるから、それにする?」

「そうですね。では、それで」

「じゃあ、あたしはそば雑炊定食にするわ」

 注文も決まったところで、さっさとオーダーを通して色々積もる話に移る宏達。澪のリハビリもあって、病室ではあまり話ができなかったのだ。

 余談ながらボリューム定食とは、選べるそばをメインにそば寿司、小鉢、炊き合わせ、天ぷらの盛り合わせ、だし巻き、茶わん蒸しにミニデザートまでついてお値段驚きの八百円税込みという、本当にボリューム満点で間違いなく赤字じゃないかというサービスメニューだ。

 しかもこの地域の店のお約束で、生徒手帳や学生証など学生であることを証明するものを見せれば、そばのお替り全種類無料という驚きのサービスが上乗せされる。

 さすがに宏はお代わりまで考えてはいないようだが、食欲が向こうにいたころと大差なくなりつつある澪は、当然お代わりを狙っている。

 そば雑炊定食はお値段税抜き千二百円とそこそこするが、そばの実の雑炊にそば寿司と炊き合わせにだし巻き、野菜料理の小鉢一品と低カロリーでボリュームがあり、腹持ちのいい人気メニューの一つである。

 ちなみに、香の物は一品料理以外のメニュー全てにつくため、ここでは省略している。

「そういや、澪。あんたボリューム定食なんて頼んでるけど、もう食事制限は解除されたの?」

「ん、先週のうちに。やっといっぱい食べられるようになって満足」

「そっか、よかったわね。春菜が作ったスペシャルランチは、ちゃんと食べた?」

「食べた。美味しかったし久しぶりだったしで、思わず涙が出た」

 澪の言葉に、思わずしんみりする真琴たち。平日だったこともあり、残念ながら誰もその場には立ち会えなかったが、どうやら澪はちゃんと満足できたらしい。

 食事制限解除当日、前もって春菜から預かっていた出来立てアツアツのスペシャルランチを食べた澪は、静かに涙を流しながら黙々と、だがおいしそうに幸せそうにボリューム満点の料理を完食していた。その様子に、澪の両親やかつての主治医、果ては一緒にリハビリを頑張ってくれている看護師たちまで嬉し涙を流していたのはここだけの話である。

 なお、出来立てアツアツが出てきたことに関しては、天音の超技術ということで誤魔化していた。また、宏達がその話を知らなかったのは、照れくささのあまり澪が口止めしていたからである。できたら自分の口から言いたいという澪の希望をくんで、周りの大人たちはちゃんと秘密を守ってくれていたのだ。

 ちなみに、食事制限解除前から、達也や真琴、澪の両親などはこのそば屋には何度か澪を連れて食事に来ている。食事制限があってもかけそばやおろしそばなら問題ないと言われていたため、気分を変えるためにたまに連れ出していたのだ。

「だとしたら、エルがこっちに来たタイミングって、案外丁度良かったのかもね」

「まあ、どうせそのあたりはアルフェミナ様が裏で糸引いとるやろうけどな」

「ヒロシ様、正解です」

 宏の鋭い意見に、思わず苦笑しながら肯定の言葉を告げるエアリス。先週ぐらいからやたらと今日の転移を推していたため、訝しく思いながらも休みを取れるように頑張ったうえで従ったのだが、来てみるとちょっと気を回しすぎだろうというタイミングだったのはいろいろ思うところがなくもない。

「それにしても……」

「……ミオ様?」

「エル、ちょっと見ないうちにまた大きくなってる気がする。背丈もだけど、胸部装甲も」

「あたしも、向こうで久しぶりに顔見た時には同じ感想を持ったわ……」

「こっちはむしろしぼんだのに、ずるい……」

「あんたはまだ、将来性があるからいいじゃない。あたしなんて、今更どうやったって大した差なんてつかないのよ?」

「……その話はそこまでにしてんか?」

 男として居心地が悪いほうに会話が流れそうになるのを、頑張って止める宏。条件反射の問題で、微妙に顔色が悪い。

「あ~、ごめんごめん。でも、胸の話は置いとくにしても、肉体的な年齢に関しては、澪とエルはちょっとややこしい感じになってるわよね」

「ん。ボクが一年半以上巻き戻ってるから、同い年で同学年になってる」

「それ言い出したら、僕とか春菜さんもレイっちと同い年になっとるし、ノーラとかレイニー、ジュディスなんかともほとんど歳の差なくなっとんで」

「本当に、時間軸のずれが絡むといろいろややこしい事になるわよねえ」

 いろいろややこしくなっている年齢周りの話に、思わず遠い目をする真琴と澪。それだけ向こうで過ごした時間が長かったということだが、なんとなく胸中に複雑なものはある。

「まあ、その話は置いとこう。なんか、すごい年寄りくさいほうに話題が進みそうやし」

「そうね。このままだと、ライムがすぐに思春期に入りそうだとか、そういう方向に話が進みそうな気がしなくもないし」

「ん。賛成」

 なんとなく地雷原になっていそうな年齢の話題、それを避けることで意見が一致する宏達。地雷の方向性がレディに歳を聞くのは、とかそういう方向ではないあたりが彼ららしいといえばいえる。

「そういえば、ミオ様の入院は、いつまで続くのでしょうか?」

「まだ未定。とりあえず最終的には親がこっちで家を確保するのがいつかだけど、どっちにしても今週いっぱいは自動的に入院継続」

「まあ、まだ車いす無しはきついみたいだし、そこはしょうがないわよ」

「ん。でも、頑張れば一時間ぐらいは立ち歩きできるから、もう少しで車いすから解放されると思う」

「今週いっぱいっていうのは、そのあたりの関係よね?」

「ん」

 四年の寝たきりで筋力が落ちるところまで落ち、しかも体が起こせるようになってから一カ月未満とは思えない驚異的な回復を見せる澪。フェアクロ世界で鍛え上げたステータスの影響があるとはいえ、驚異的すぎて主治医代わりになっている天音の方が心配になるのも無理はない。

「とりあえず、多分来週からは念のためのリハビリ以外は特に制限なしの検査入院扱いになるから、外泊とかもしやすくなると思う」

「そっか。だったら、来週、はちょっと急すぎるから、再来週に向こうに顔出し、って感じね」

「ん。今月中には、春姉の知り合い探しに行ける、はず」

「そっちも早くどうにかしないといけないわよね」

 澪の治療の順調さに内心喜びつつ、なんだかんだ言ってまだまだいろいろ予定が詰まっていることに気が付いてややうんざりしそうになる真琴。それぞれの生活があるので完全に前と同じは不可能だが、それでも以前のように気楽に思い付きで色々なことに挑戦できる環境が整うには、終わらせなければいけないことが結構沢山ある感じだ。

「ハルナ様の知り合い、ですか?」

「ええ。具体的に誰とは聞いてないんだけど、例の事件でウルスに飛ばされた春菜を保護するために、あの子の知り合いがそっちに行ってるらしいのよね」

「で、本人は自力でこっちに戻ってくる能力ないうえに、うちらが邪神やってもうた影響で環境が変わって、リンクが途切れて回収できんなってもうたらしいんよ」

「なるほど。それで、その方を探しに行かなければいけない、ということですか」

「ん、そういうこと」

 そこまで話したところで、注文していた料理が同時に運ばれてくる。

「おっ、来たみたいやな。すんません、並べ終わったら写真お願いしてええですか?」

「はい、分かりました。カメラをお願いします」

「あ、カメラはこれ使ってください」

 料理を並べている店員にそう声をかけ、写真撮影を頼む宏。カメラ代わりのパソコンを渡そうとした宏を手で制し、高機能高画質の最新型コンパクトデジタル一眼レフカメラを差し出す真琴。宏の中学時代の友人に送り付ける写真を撮るため、ひそかに家電量販店で使い勝手を吟味して購入してあったものだ。

 ついでに向こうで写真を撮りまくって、漫画の資料にしようという目論見もひそかに持っているのは、全然秘密になっていないここだけの秘密である。

「それでは撮りますよ。はい、チーズ」

 店員の合図に従い、笑顔で写真に写る一同。店員の方も実に手慣れており、そばがのびるどころかてんぷらをダシに浸しても崩れすらしない時間でベストショットを撮影してのける。

「さて、のびないうちにさっさと食べましょう。写真送ったりするのはそのあとでね」

「せやな。いただきます」

「ん、いただきます。エルはそれで足りる?」

「多分。ですが、最近ちょっと食べる量が増えている気がしまして……」

「成長期だから、当たり前よ。足りなかったら、追加注文すればいいわ。あ、ちょっと雑炊食べる?」

「そうですね……。せっかくですので、お言葉に甘えます」

 無事写真撮影も終え、余計なことをせずにさっさと食事に移る一同。そばはスピード勝負なのだ。

「ああ、せやせや。今日の晩な、エルがうちで飯食っていくんやけど、真琴さんもどない?」

「そうね。折角だからお邪魔するわ。確か宏の家のあたりって、十分ほど歩けばコインパーキングがあったわよね?」

「あったなあ、そういえば。っちゅうか、真琴さん今日は車かい」

「ええ。平日は乗らないからって、許可が下りたのよ。ガソリン代とか高速代は出さなきゃいけないけどね」

「むう、師匠と真琴姉だけずるい」

「心配せんでも、外泊が解禁になったら春菜さんとかエルと一緒に呼ぶがな」

 一流の腕で作られつつも気取ったところのない美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、今日の晩についてそんな打ち合わせをする宏達。まだ外泊までは許されない澪が文句を言うが、こればかりはどうしようもないとスルーである。

「とりあえずお替り、肉そば」

 どうしようもないとはいえ、この場にいる人間で自分だけハブられることにぶーたれつつ、定食の大半を平らげてお代わりを要求する澪。すっかり向こうにいた頃の食欲が戻っている。

 ちょうどお冷の確認に来ていた店員がお代わりを受け付け、厨房に向かう。

「解禁されてそない経ってないのに、大丈夫か?」

「もう一杯ぐらいは余裕、というか、食べないと筋肉が戻らない感じ」

「さよか。まあ、かも南蛮に肉そばやから、たんぱく質っちゅうんは分からんでもないか」

「ん、そういうこと」

「……ごちそうさまでした」

 宏達がそんな微妙な会話をしている傍らで、じっくり味わって食べ比べていたエアリスが満足と感嘆が入り混じった表情で、静かに両手を合わせて食事の終了を告げる。その表情にほんのわずかに、自身の未熟を知れたことに対する感謝が含まれているあたり、間違いなくエアリスはこのメンバーで一番のそば通である。

「エル、それで足りる?」

「欲を言えば、もう少し欲しいかな、という気もしていますが……」

「せやったら、僕もお代わりするからちょっと食うか?」

「ん、だったらボクの分もちょっと分ける」

「ありがとうございます」

 宏と澪の申し出をありがたく受け入れることにし、笑顔で感謝の言葉を告げるエアリス。澪ほど劇的に食うわけではないが、それでも成長期の体には具材のないそば一玉分では少々足りなかったのだ。

 もっとも、その心遣いも、とある人物のおかげですぐに必要がなくなる。

「お代わりお持ちしました」

「あら、大将じゃない。どうしたのよ、このかきいれ時に?」

「いやね、澪ちゃんがお代わりしたって聞いてちょっと様子を見に。丁度ピークも過ぎて手が空いてたからな。で、澪ちゃん、そんなに食べて大丈夫かい?」

「ん。リハビリが大変だから、食べても食べても足りない感じ。特に肉」

「そうかいそうかい、そいつはよかった! その食欲なら、退院も近そうだ。本当によかった!」

「ん」

 自分の事のように喜ぶ大将にそう返事し、エアリスの分を少しだけ取り分けた後、ちゃんと食事できる幸せをかみしめるように美味しそうにお代わりのそばを食べ始める。

 その様子を自分の事のようにうれしそうに見守っていた大将が、取り分けたそばの行方を見て納得したようにうなずく。

「そっちの外国のお嬢さんは、どう見てもそれじゃ足りんだろう。遠慮した、って感じでもないから、もしかしてそば自体の味を試してたのかい?」

「はい。私は日本風のおそばが大好きで、自分でも時々手打ちで作っています。ただ、こちらに来たのが今日初めてで、本場のおそばを食べるのも今日が初めてなので、どのような味なのかをじっくり味わうのにこのメニューを選びました」

「へえ、外国の人なのにそば通なんだな。うちのはどうだった?」

「私が打つものは所詮素人の手習いだと、自分の未熟を痛感しました。やっぱり、おそばというのは奥が深いです」

「いやいやいや、うちのそばはそんな大層なものじゃないからな。そばなんて、食ってうまくて腹が膨れればそれでいいんだ」

 大げさなことを言うエアリスに、若干嬉しそうにしつつもそう返す大将。そば好きには何故か食通ぶった食べ方をする人間が結構多く、また店主の方もつられてか妙に求道者的な態度で偉そうにいかめしくしている人間も結構いるが、ここの大将はどちらかと言えば自分がそういう態度をとるのは嫌いなタイプである。

 とはいえ、本気の言葉で褒められてうれしくない訳もなく、また、澪をはじめとした同席している人間が本当にうまそうに自分の料理を食べていると、厳しい修業時代に頑張ってよかったと心から思える。良くも悪くも根っからの庶民派料理人で、純粋に安くてうまい物で客に喜んでもらいたい大将であった。

「まあ、何にしても、飯食いに来て腹ペコで帰るってのはいただけないな。澪ちゃんがちゃんと食えるようになったお祝いもかねて、新作一品と甘いもんでもおごるわ」

「さすがにちょっと、それは申し訳ないんやけど……」

「中高生が変な遠慮なんかするなって。それに、甘いもんはともかく一品の方は新作って言ってもまだ試作の奴だからな。悪いと思うんだったら意見くれや」

 そういって厨房に引き上げる大将。数分後、澪が二杯目を食べ終わった頃に全員に和風のデザートと新作料理が出てくる。

「へえ、そばのダシで食べる揚げ物か。って言っても、あたしの舌じゃ麺類のダシと天つゆの違いってそこまでしっかりとは分かんないんだけど」

「……ん、衣に揚げたそば砕いたのが入ってるっぽい。そのまま食べても美味しいけど、揚げそばの香りとの相性がいいからダシに浸した方が美味しい」

「天ぷらとまたちごた感じで、悪くはないでな」

「そうですね。まだ調整の余地はありそうですが、とてもおいしいです」

「せやな。このままでも十分金出せるけど、ダシをもうちょい濃くするとか、揚げるんやのうて焼くとか、そういう方向で脂っこさを減らせばもっとうまなるかも」

 出された試作品についてそう率直な感想を言い合い、さらに大将から出されたどの具材が一番おいしかったかとかそのあたりの細かい質問にも正直に答える。それをメモすると、有難そうに礼を言って厨房に引きこもる大将。この試作品が新メニューに正式に昇格するのは、翌月の事となる。

 この時の話を詳細にレポートにしたものを真琴と澪の双方から送りつけられ、さらにエアリスと真琴を交えた東家での夕食風景まで見せつけられた春菜は、楽しい修学旅行の最中にもかかわらずレアなイベントにハブられた事に何とも言えぬ運の悪さを感じてしょんぼりすることになるのであった。
出番ない割に存在感を発揮してる春菜さんの、フェアクロ始まって以来最大級のorz案件でした。
今回一番悪いの、間違いなくアルフェミナ様です。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ