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第12話

『こちらスネーク。ただいま潜入目標を視認した』


『そう言うネタはいいから……』


 潜入工作決行当日。真昼間からウルス城背後の森に潜伏していた宏が、自棄が入った口調で、速攻で余計なネタを仕込み始める。因みに、エアリスを連れて潜入することになったメンバーは、宏、春菜、澪の三人。エアリス本人を入れて四人である。四人とも、全身をすっぽり覆うマントを羽織っており、正直言って胡散臭いことこの上ない。しかもさらに胡散臭い事に、エアリス以外の三人は、顔にマスカレードを装着済みである。


『それで、どうなの?』


『まあ、普通に警備があるわな』


 流石と言うか何というか、ウルス城の警備は実に厳重で、まともにやっては侵入などどう見ても不可能である。これが見掛けだけならともかく、見張りについている兵士の練度も士気も高い。異常を察知させずに高い城壁を乗り越えて、さらに廊下や中庭などを巡回しているであろう見張りをくぐりぬけろ、などと言うのはかなりの無理ゲーだ。


 それにそもそも、そういう運動神経を必要とする作業は、宏には向いていない。何しろ、敏捷の値に補正が入るスキルは、旅歩きと隠密上級、後は短剣初級・中級しか持ち合わせていないのだ。隠密上級以外はどれも入る補正は微々たるもので、補正込み百すら遠い彼方である。ぶっちゃけた話、隠密上級が無ければ、このメンバーに入る事すら無かったはずなのだ。


 ではこいつが何故、隠密上級などと言う場違いなものを持っているのか? 答えは簡単。アクティブモンスターに気取られないように採集や採掘をするためである。隠密上級をマスターすると、ドラゴンの背後で採掘作業をしても発見されなくなるのだから、いろいろぶっ飛んだ話だ。


『難しそうか?』


『少なくとも、エルを連れて侵入は無理。一緒に来るのが師匠と春姉だけならどうにかなりそうだけど……』


『だよねえ。と言うか、魔法禁止の縛りは普通に厳しいよ……』


『やっぱり、これは抜け道使うしかあらへんやろなあ……』


『私もそう思う』


『賛成』


 出来るだけ使わずに潜入するよう努力してくれ、と言われて教えられた抜け道。それを使う決断をあっさり下す宏達。敵に抜け道の位置を知られるリスクを避けたい、と言うのは分かるが、その結果として早い段階で見つかっては元も子もない。


『そう言うわけやから、プランAの隙をついて侵入、ちゅうんは諦めるわ』


『了解』


 行動方針を決め、とっとと現在位置を変える。実際のところ、今いるあたりは別に侵入禁止区域でも何でもないため、普通に動いて兵士たちに発見されたからと言って、それ自体は特に問題は無い。この辺にも薬草になるようなものや食材になるようなものはあるので、忘れた頃に、と言うレベルではあるがウルスの住民が採集に来る事はあるのだ。


 方針を決めている間不安そうだったエアリスを、春菜が軽く肩を叩く事で落ち着かせ、その間に澪と宏が索敵を行う。見つかってもごまかしがきく、と言うだけで、やはり見つからないに越した事は無い。


「さて、こっちでよかったっけ?」


「多分そうやったと思うけど……」


「ここ」


 澪が示した場所の特徴を、昨日何度も見た地図と頭の中で照らし合わせる。残念ながら、地図そのものは燃やしてしまっているため、記憶だけが頼りなのだ。


「うん、間違いない」


「確かにこんな感じやった」


「とりあえず、あける」


 そう言って、木の根元に偽装された空間を開放する。出てきた空間は、平均的なファーレーン人の男性が、辛うじて立って歩ける程度のものだった。



「なかなか本格的やな。なんか、冒険者やっとるっちゅう気がしてきたわ」


「師匠、ボク達一応冒険者……」


「まあ、ずっと雑用と屋台と歌のおひねりで生活してきたしね」


「ちゅうわけで、帰ってええか?」


「師匠、往生際が悪い」


 などと余計な軽口をたたきながら、澪を先頭に油断なく進んで行く。


(しかし本気で、何でこんな冒険者っぽい真似しとるんやろうなあ……)


 とりあえず余計なネタを仕込んだりして無理やり気分を盛り上げていたが、正直自分が潜入要員としてここに立っている事については、いまだに納得がいかないものがある宏。一応自分の役目に意識を向けながらも、もはや手遅れだと言うのに、どこでどう間違えてここに送り込まれたのか、どういう反論をしていればこの役から逃げられたのか、そんな今更のような事を何度も頭の片隅で考えるヘタレ男であった。








 事の発端は、前の日にさかのぼる。


「潜入工作? 何でまた?」


 エアリスをどのように神殿に連れて行くのか、その打ち合わせの場でとんでもない事を言い出したレイオットに、何とも言えない顔で聞きかえす宏。因みに、ドーガとレイナは既に他の役目を振られているらしく、その準備のために現在別行動をしている。


「正面からエアリスを連れていけば、前回の二の舞になりかねなくてな」


「そんなんで、この国大丈夫なん……?」


 宏の言葉に、苦い顔をするレイオット。エアリスの不在は、アルフェミナ神殿内部に予想以上のダメージを与えていたのだ。


「とりあえず、潜入工作以外に方法が無いのか、まずは現状を確認した方がいいんじゃないかな?」


「そうだな。確かに、お前達もいきなり城の中にある神殿に侵入しろ、などと言われても納得できないか」


「普通に考えて、そんな真似したら犯罪者やん」


「しかも、ウルス城は部外者が不正な方法で簡単に不法侵入できるような城じゃない」


 宏と澪の言葉は、否定の余地が無いレベルの正論である。それにそもそも、潜入してくれ、はいそうですか、で、何の手引も無しにあっさり成し遂げられてしまうのは、流石にこの国の王族として看過できる問題では無い。


「それで、普通に考えれば、殿下がおじさん達と一緒にエルちゃんを連れていけば済む話だと思うんだけど、何が問題なの?」


「一番大きいのは、別段隠していた訳でもないのに、エアリスの顔がほとんど知られていない、という問題だ」


「そんなん、見たら普通に血縁関係ぐらい分かるやん」


「だからと言って、難癖をつけられない、と言う訳では無かろう?」


 レイオットの言葉に、思わず面倒くさいと呟いてしまう宏。政治の世界では、どれだけ一目瞭然の事でも、決定的な証拠なしではどうとでもいちゃもんをつけられるのである。


「他に厄介なのが、エアリスの人望の無さだ。いまだにあの侍女をスケープゴートにした、などと言う意見が一般的なぐらいだから、どうにもならん」


「それが、どんな問題につながってるの?」


「簡単だ。姫巫女の仕事を放置して、勝手にどこかに逃げだした責任感の無い娘を、今更王族として迎え入れるのは民に対して顔向けが出来ん、などと放言している連中が、それなりの勢力を持っている。それに、下手に正面からのこのこ顔を出すと、顔を知らないのをいいことに、名を騙ったとか言いがかりをつけて処刑しようとする人間すらいかねん」


 レイオットの言葉に、渋い顔をしてしまう一同。名を騙ったも何も、国王と王太子が本人だと断言しているのだから、それ以上の証拠はなさそうなものなのだが。


「姫巫女って、政治的には価値が無かったはずだよな?」


「確かに有事を除いて権力は無いが、それだけに下手をすれば、国王以上の権威を持つ。権威だけとは言えど、自身が姫巫女の後ろ盾となっている、と言う事になれば、家柄に箔がついていろいろと有利に運ぶ。直接的な旨味は無くとも、ごちゃごちゃ口を挟む程度の価値はある」


 どうにも腑に落ちない感じの達也の質問に、裏の事情と言うやつを解説するレイオット。地位と言うやつは、それが単なる飾りでも、いろいろ面倒な責任が生じるものである。この場合、代えがきき平時には何の政治権力も持たない姫巫女といえども、いや、そう言う役職だからこそ、かえって責任が重いのかもしれない。


 そのうえ、先代が改革によって作り上げた新たな統治システムが、この件ではことごとくマイナスに働いてしまっている。先々代の国王が乱心し、一部の貴族と結託して国を無茶苦茶にしかかった。そのトラウマが原点となっているからか、先代が国を立て直してから制定した法は王家や貴族の権限を大幅に制限してしまった。


 そのため、貴族といえども一般人を簡単に処罰できず、王族にしても民に被害を出していない貴族を排除するのは、彼らがどれほど反社会的な言動をしていても、どれほど政治を混乱させていても、それだけでは不可能になってしまっていた。


 さすがに言いがかりでエアリスを処刑することは不可能だが、やり方しだいでは法廷に持ち込まれる危険性もあり、そうなってしまえばエアリス自身はともかく宏たちの扱いはややこしいことになる。さすがに誘拐その他に問われないように全力は尽くすが、その間も汚染は着々と進みかねない。現在のシステムでは、王族といえども数の暴力を完璧に押さえ込むことはできないのである。


「一つ聞きたいんやけど」


「なんだ?」


「エルが姫巫女のままやと、その連中にとって何がまずい?」


「エアリスは末っ子で、当初は誰の注目も集めていなかった。だから、後ろ盾が我々王家以外にはエルンストしか居なくてな。それが神託を受けてとんとん拍子で姫巫女となった結果、ドーガ家の家格が妙に上がってしまっている。そうでなくとも建国以来の忠臣の家系、これ以上力をつけられては面白くない連中の方が多いはずだ」


「うわあ、面倒くさ……」


 はっきり言って関わりあいになりたくない政治関係の話に、思わず心の底からぼやく宏。


「でも、それぐらいやったら、一応王家と神殿の力で押し切られへんの?」


「無理だろうな。神殿の中でも割れている。一度儀式の間に入ってしまえば簡単にけりがつくだろうが、今の情勢では、正面からだとそもそも、神殿に立ち入るためにどれほどの時間を要するか分からない。それに……」


「それに?」


「エアリスを蜘蛛の巣に叩き込んだ男が、神殿の入り口に同じ種類の罠を張っていないとも限らない」


「要するに、裏口からこっそりもぐりこむしかない、と?」


「だから最初にそう言った」


 どうにも覆しようがなさそうな結論に、げんなりしてため息をつく一同。正直、何が悲しゅうて、別段敵の手に落ちた訳でもないはずの城に、その国の姫君を連れてこそこそ侵入せねばならないのか。はっきり言って、面倒なことこの上ない。


「侵入するしかない、っちゅうんはええとして、や。ほんまにその裏口は大丈夫なん?」


「一ヶ所はともかく、もう一ヶ所については、そこが割れているようでは、最初から手の打ちようなど無い。何しろ、お前達につかってもらう予定のルートは、国王と王太子、姫巫女だけに伝わる、いわゆる秘密の隠し通路、と言う類のものだからな」


「……そんなもん、僕らに教えてもうてええん?」


「背に腹は代えられんし、先にあげた三者のうち誰かがいなければ、そもそも通路として使えない物だからな」


 レイオットの言葉に納得し、話を進める事にする。


「潜入するんはええとして、縛りがあるんやったら今のうちに教えといて」


「そうだな。簡単に発見されかねんから、魔法の使用は基本禁止。魔力を発する道具類も、可能な限り持ち込まないでもらいたい」


「いきなりハードル高いな」


 達也の突っ込みに、苦い顔をして頷くしかないレイオット。


「その条件だと、俺は潜入メンバーから自動的に外れるな」


「あたしも、隠密とか潜伏とかの類は苦手だから、今回は留守番ね」


 条件を聞いて、真っ先にメンバー脱落を伝える達也と、ジャンルがあわない事を宣言する真琴。どちらも妥当と言えば妥当なので、素直に頷く一同。


「となると、確定なんは澪か。後は対応能力を考えたら、春菜さんも一緒に行った方がええやろうなあ」


「他人事のように言ってるけど、アンタも行くのよ?」


「はあ?」


 真琴の台詞に、間抜け面を晒しながら聞き返す宏。


「だってあんた、隠密行動はものすごく得意じゃない」


「師匠、ドラゴンの背後で採掘作業できるよね?」


「それとこれとは別問題ちゃうか?」


 無体な事を言い出す真琴と澪に、慌てて疑問を呈す宏。正直、索敵の仕方がアバウトなモンスターと、きっちり布陣を敷いて怪しい奴がいないかを複数の目で睨んでいる城の警備とを一緒にされても困る。


「お前の隠密能力がどの程度かまでは知らないが、可能ならば一緒に行って欲しい」


「せやから、何で?」


「一つは、女ばかり三人、と言うのがいろいろな意味で不安がある事。もう一つは、お前が行く方がエアリスが安心できるだろうと言う事」


 レイオットの言葉にエアリスの方を見ると、取り繕った澄ました顔とは裏腹に、彼女の瞳には縋りつくような光が。その毛並みのいい犬が大人しくお座りをしながら、飼い主に捨てないでと視線で訴えているような様子に、このままごねるのはどうなのだろうか、と言う葛藤が生まれる。


「それにさ、宏」


「なんや?」


「あんた、いい加減そろそろ何か行動しないと、現状単なる引きこもりよ?」


「職人は、工房で作業するんが仕事やん……」


 引きこもり呼ばわりされて、思わず憮然とした顔で反論する。どこの世界に、一国の首都の王城に潜入工作をしに行く職人がいると言うのか。


「なあ、ヒロ。何にしても、ここで行かないって言ってエルを見捨てるのは、いろんな意味で台無しだぞ?」


「師匠、子供の切羽詰まった頼みを断るのは格好悪い」


 達也と澪からの非難の嵐に、どんどん顔つきが渋くなっていく宏。ちらりと春菜の方を見ると、彼女は中立の立場らしく、あえて何かを言うつもりは無いらしい。多分、最後までごねて突っぱねても、彼女は幻滅する事も責めることもしないだろう。それほど長くない付き合いではあるが、それを確信できる程度には深い付き合いをしているつもりだ。


「正直言うとな、僕は物作る以外、これと言ってできる事があらへんから、一緒に行っても足引っ張るだけなんちゃうか、っちゅうんがどうしても不安やねん」


「それは、ボク達が……」


「今回に限っては、エルの人生そのものがかかっとる。頼まれて情に流されて、能力ない人間が格好つけてふらふらついてくんは、正直ええこととは思われへん。元々の立場上、エル自身は今回はどうしても足引っ張る側になる以上、足手まといになりそうなんが二人に増えるんは、単なる自殺行為ちゃうか?」


 宏の思いのほか深い考えから来る正論に、嵩にかかって攻め立てていた真琴たちも、反論できずに沈黙する。この男、過去にいろいろ痛い目を見ているからか、高校三年生の割には不必要に見えるほど深く物事を考えるときがある。今回の場合は、ヘタレと言われずに厄介事から逃げるために、必死になって理論武装したっぽい部分が多分にあるのも事実だが。


「単なる採取やったら、自分一人の問題や。ミスったところで、自分でどうとでも帳尻合わせ出来る。せやけど、今回のはそうやない。はっきり言うて、そんな責任はよう背負わん。能力も無いのにほいほい出て行って、リカバリー不能なミスをやらかすんが、正直言うてものすごい怖い」


 言っている事は単なる責任回避だが、事態の重さや自身の能力・適性などを踏まえた上での意見である以上、ヘタレが責任逃れをしようとしている、と簡単に言うのは流石にフェアではないだろう。


「……ヒロシ様、勘違いをなさってはいけませんよ」


「エル?」


「この場合、メンバーのミスの責任をとるのは、私かお兄様です。そもそも、私がちゃんとしていれば、このような状況になる事は無かったのですから」


 エアリスのその言葉に、とっさに反論しようとする宏。王族であると言うだけで、権力の類を一切持ち合わせていない十歳の子供が、今回の件で出来ることなど知れている。レイオットや国王陛下の責任については否定しないが、当事者であるエアリスは、本来的には守られねばならない存在なのだ。


 だが、宏のその反論は、口に出す事無く止められる。言いたい事を察したエアリスが首を左右に振り、宏の言葉を完全に制してしまったからである。


「子供だから、とか、権力が無い身の上だから、とか、そう言う言い訳は、事実や結果の前には無力です。それに、私自身は今ですら、自分からは何一つ行動を起こしていません。ですからせめて、自分の命を預ける人を自分で選ぶ事と、その結果の責任をとる事ぐらいはさせてください」


「……なあ、エル」


「なんでしょうか?」


「それ、十歳児の言葉やないで」


 宏の呆れを含んだ言葉に、思わず小さく苦笑を漏らす春菜。宏の感想は、そのまま春菜の、と言うよりは、日本人たちの意見でもある。


 確かにファーレーンの子供は、十歳にもなれば相当しっかりしている。そもそも、日本と比べれば普通に生活環境が厳しい上、モンスターと言う洒落にならない脅威が身近に存在する以上、日本人のように平和ボケしていられる方がおかしい。だが、そういう事情を踏まえても、エアリスの精神年齢は成熟している気がする。


 昔からエアリスはこうだったのか、と、確認するつもりでレイオットに視線を向けると、兄であるはずの彼が、普通に驚愕の表情を浮かべている。どうやら、彼が知らないこの短期間の間に、ずいぶん大きな心境の変化があったのだろう。


 子供と言うのは、成長が速いのだ。


「それで、ヒロシ様」


「やっぱり、考えは変わらへん?」


「はい。ハルナ様とミオ様に不満がある、と言う訳ではありません。ですが、私は、やはりヒロシ様に、ヒロシ様とハルナ様に一緒にいていただかないと、どうしても不安なのです。それに……」


「それに?」


「これは単なる予感なのですが、ヒロシ様がいなければ、きっと今回の計画はうまくいかない、そんな気がするのです」


 アルフェミナの姫巫女、その雰囲気を身にまといながら、厳かにとどめを刺しに来るエアリス。流石にそこまで言われてしまっては、これ以上ヘタレた事を言って逃げるのは無理だ。


「……しゃあない、頑張るか……」


「ごめんなさい」


「こういう時は、ごめんやなくてありがとうの方がええで」


 昔、カウンセラーの先生にさんざん言われた言葉。その言葉を借りてエアリスを窘める。無茶振りをしてきたのは確かにエアリスだが、やると決めたのは宏である。それに、誰かに何かをしてもらうのなら、謝るより礼を言うのが筋だ。少なくとも、宏はそう思う。もっとも、自分がそれを出来ているか、と言われると微妙なところではあるが。


「はい。ありがとうございます」


 輝くような満面の笑みを浮かべて礼を言うエアリスに、深く深くため息をつきながらも、少しでも成功率を上げるための算段を立てる。正直、このままでは用意した装備はほとんど使い物にならない。どうやってもごまかしがききそうにないワイバーンレザーアーマーはともかく、エアリスの服と自分達の武器ぐらいは持ち込めるように、何らかの小細工をせねばならない。


 それに、潜入工作用にうってつけの道具も、いくつか用意できるものがある。材料の都合でそれほどの数は無理だが、無いよりはあった方がいいに決まっている。向こうに対する自分達のアドバンテージは、材料と時間さえあれば、いろいろな小細工を用意できる事なのだから。


「せやなあ。とりあえず、決行は明日の昼以降にして。レイっちの指定した条件考えたら、もう一手間準備がいるわ」


「分かった。昼、と言うのはこちらにとっても都合がいい。流石に連中も、真昼間から警備をかいくぐって侵入してくるとは思っていないだろうし、エアリスの無実を晴らすには、黒幕の言動に疑いが行く程度の状況証拠があった方がいいからな」


「了解。ほな、明日早めに昼済ませて、そのまま潜入やな」


 場合によっては、かなりの長丁場になる可能性が高い。出来るだけしっかりした食事を取らなければ、途中でエネルギー切れにでもなれば目も当てられない。


「さっさと準備にはいろか。澪、悪いんやけどポーションホルダー、作っといて」


「了解」


「あと、ワイバーンの翼の皮膜、魔力抜きしといてくれると助かるわ。ちょっと、いろいろ煮込まなあかんことなりそうやし」


 宏の指示に頷くと、早速行動に移る澪。宏達が準備モードに入った事を確認し、軽く挨拶をして出ていくレイオット。彼は彼でやるべき事は山積みだし、そうでなかったとしても、ここにいても出来ることなど特にない。


「ワイバーンの翼の皮膜なんて、なにに使うんだ?」


「ステルスマント、作んねん。流石に、今着とる服ぐらいは持ち込めんとまずいやろ?」


「確かにな」


 ネックとなっていた問題、その解決のためにまたも高度な技術を振るうらしい。本気で、準備時間さえあれば何でもできる男だ。


「まあ、ステルスマント、っちゅうても、魔力探知も含めた探知魔法をごまかせる、言うだけで、姿が見えへんなる訳やないんやけどな。それに、さすがにワイバーンレザーアーマークラスになると、何ぼ頑張っても探知を誤魔化されへん」


「それでも、今回の条件だったら、絶対に必要なものよね」


「せやろ?」


 そんな言葉を交わしながら、そのマントに使うための材料を取り出し、下処理に入る。


「それで、俺達に出来る事は?」


「悪いけど、今のところ特にあらへん。エルの特訓でもやっといたって」


「了解」


 宏の要望を受け、エアリスの指導に移る。工房は、にわかにあわただしくなっていった。








(あかん、やっぱりどない考えても、現状を回避できる手段があらへん)


 昨日の会話を思い出す限り、どうやってもその結論にしか至らない。


「師匠、本気で往生際が悪い」


 明らかに今回のミッションについて後ろ向きな事を考えている宏を、澪が小声でズバッと切り捨てる。


「それぐらいわかっとる。ただなあ……」


「ただ、何?」


「実際にこの場に立ってみると、どないも腰が引けてもうてなあ……」


「師匠がそんなだと、エルが不安になる。しゃんとして」


 ヘタレた事を言っている宏に対して、容赦なくずばずばいく澪。年下にここまで言われるあたり、ヘタレ男の面目躍如、と言ったところか。


「まあ、専門外の事をやらされてるんだし、多少は大目に見てあげようよ」


「専門外、って言うんだったら、春姉もそう。それに、ボク達を助けに来た時は、普通に潜入ミッションをこなしてた」


「あいつらの笊な警備と、ここへの潜入を一緒にせんといてや。それに、あの時は全員一斉にかかってきても、どうとでもなったレベルやし」


 宏の言葉に、不満ながらもとりあえず黙る。余り雑談するような状況でもないし、いつまでもグダグダ言い合うような事でもない。


 そのまま、あまりいい雰囲気とは言えない空気で、地下の隠し通路を黙って歩く一行。わざとらしく迷路になっている道を、記憶力を総動員して間違わないように抜け、仕掛け扉を動かし、実は落とし穴になっている広場を大きく迂回して、ひたすら目的地を目指す。その途中


「……師匠」


「なんや、急に立ち止まって?」


「ちょっとの間だけ、先頭に立って」


「……ええけど」


 澪がいきなりそんな事を言い出す。何とも唐突な言葉に嫌な予感がしつつも、言われた通りに先頭に立ち、五メートルほど進む。罠がらみのスキルが無い宏にも感じられる種類の違和感があり、己を叱咤しながら過剰にビビりつつ、恐る恐る一歩踏み出すと


「なんか今、変な音がしたんやけど……」


 バチリ、と、小さな音ともに違和感が消えた。


「地図から言うと、ここが教会の敷地、その外周の地下」


「ちゅうことは?」


「地上に仕掛けてあったと思われる罠が、地下にまで影響してたんだと思う」


「……要するに、罠があると分かっとって踏み込ませた、と?」


 ジト目で追及してくる宏に、すずしい顔で頷いて見せる澪。因みに、この会話の間、一行は普通に奥に向かって進んでいる。


「あのなあ、どこの世界に、師匠に漢探知を強要する弟子がおんねん……」


「この場合、漢探知じゃなくて漢解除。だって、罠があったのは最初から分かってたし」


 悪びれずにそんな事を言ってのける澪に、どっと疲れが襲ってくる宏。なお、漢探知とは要するに、わざと罠に引っ掛かってその存在を暴露すると言う、体を張った探知方法である。主にシーフやスカウトと言った罠系の職業がいない時に行う、RPGの原型とも言われるテーブルトークRPG時代からの、ある意味伝統的なやり方だ。


「あのさ、澪ちゃん」


「何?」


 余りにもあんまりなやり方に微妙に引きながらも、恐る恐る声をかける春菜。平常モードで返事を返す澪。


「それ、大丈夫なの?」


「解除しちゃったこと? それとも、師匠を壁にした事?」


「両方」


「壁にした事なら大丈夫。元々あれ以外に突破方法が無かったし、師匠みたいなトップクラスの職人は、よっぽどのレベルじゃない限り、魔法系の罠に引っ掛かる事は無い。だって、一般ユーザーレベルの魔法使いじゃ、大魔法をぶつけても発動がキャンセルされるぐらい、魔法防御も魔法抵抗も高いし」


 あっけらかんと言い放つ澪の言葉に、全力で引く春菜とエアリス。春菜は知識としては、術者の知力が対象の精神力より一定以上低いと、ランクの低い魔法は当った瞬間にキャンセルされ、全く効果が出なくなる事は知っていた。が、それはせいぜい初級レベルの話で、流石に上級どころか大魔法すらキャンセルされる事があるとは、全く想像していなかった。


 宏達職人がそのレベルに到達している事にも引くが、それを平気で利用して罠に叩き込み、全く悪いと思っていない澪に対しても引く。この娘、なかなかいい根性をしている。


「で、解除しちゃったことだけど、まずかろうがどうだろうが、他に方法無かったし」


「えっと、この通路を守るとか、そういう種類の罠だった可能性は?」


「あり得ないから大丈夫。そもそも、時空神アルフェミナとは、術の系統が違う感じ」


 スカウトとして必要だったために習得した魔術知識で、根拠を明快に断言してのける。


「そこまでわかっとるんやったら、わざわざ僕に漢解除なんざさせんと、自力で解除したらええやん」


「それができるほど、弱い術じゃなかった」


「……そんなもんに、自分の師匠を突っ込ましたんかい……」


 力が抜けた感じで、そんな風にぼやく宏。


「あの、ヒロシ様、お体の方に異常とかは……?」


「まあ、別段何も問題はあらへんから、ぐちぐち言うてもしゃあないんやけどさ」


 まだ本番のイベントに到着もしていないと言うのに、異常に疲れた気がする。だが、脱力している暇もない。


「とりあえず、罠潰してもうた、っちゅうことは、急がんとやばいんやな」


「多分ピンチ」


「ほな、急ぐで」


 グダグダいっても仕方が無い。最近弟子が反抗的なのは、気にしてもどうにもならない。ならば建設的に行こう、と、高い精神力で無理やり気分を切り替える宏。内心では、何で僕がこないな事やらなあかんねん、と、ヘタレた事を愚痴愚痴言いながらも、エアリスの手前表面上は必死になって取り繕うのであった。








「お待ちしておりました。良く御無事で……」


 何とも言えない構造の隠し通路を抜け、神殿内部にダイレクトに侵入すると、そこには立派な衣装を身にまとった老人が待っていた。こういう宗教組織の上層部にありがちな、世俗的な生臭さを感じさせない、厳かな雰囲気を纏った、何とも徳の高そうな人物である。


「ご心配をおかけしました、大神官様」


「お話は伺いました。本当に、本当によく御無事で……」


 感極まったように、言葉を詰まらせる大神官。その手をそっと取るエアリス。彼女にとって、この老人は数少ない、心許せる相手なのだろう。静かに再会を喜ぶ。だが


「申し訳ありませんが、再会を喜ぶのは後ほどでお願いいたします」


 春菜が言いづらそうにしながらも、努めて事務的に声をかけ、その光景に水を差す。こういう時、進んで貧乏くじを引こうとするあたり、地味に苦労性な女性である。


「そうですな。こちらこそ申し訳ない」


 春菜の言葉にすべき事を思い出し、すぐさま行動に移す大神官。その姿を、じっと観察し続ける宏と澪。


『どう?』


『少なくとも、瘴気の類は感じへん』


『心配してるって態度に、嘘は無かった』


 宏と澪の報告に、肩の力を抜いて内心で安堵のため息をつく春菜。総合的に見るなら、この大神官は少なくとも敵ではないらしい。


「一応確認しときたいんやけど」


「何ですかな?」


「うちら部外者が、一緒に行ってしもてええん?」


「何事にも、緊急避難と例外事項と言うものはございます。それに、御神託があった以上、あなた方がこの場に存在することについて、何人たりとも異議を唱えさせるつもりはございません」


 宏の質問に対し、厳かな雰囲気で微妙に生臭い事を言い放つ大神官。こういう立場の人が教義や規則にガチガチでない事はありがたいのだが、流石にそれで大丈夫なのか、という疑問は消せない。


「そもそも、神殿などと言うのは、神が我々に言葉や加護を下さるための場。神官などと言うのは、そのための手続きを代行するためだけの存在。人間が勝手に決めた教義や規則など、元来何の意味もありません。それらが女神の意に沿わぬなら、民が加護を得る妨げとなるのであれば、そんなものは捨ててしまえばよろしい」


 宏達の微妙な視線に気がついたのか、厳かな雰囲気を崩さず、淡々と自分達の組織を否定するような事を言いきる大神官。その信念が、生臭い台詞を吐きながらも、世俗に染まった生臭坊主と言う印象を回避し、組織が硬直化し腐敗するのを防いできたのだろう。


「それで、この後何をするの?」


「浄化の儀、ですな。大神官以下高位神官総員、既に準備は整っております」


「それをすることと、エルの名誉の回復と、どうつながるん?」


「簡単な事でございます。カタリナ様が拒絶され、入る事が出来なかった儀式の間でエアリス様が浄化を行えば、それだけでエアリス様が姫巫女として十分な資質を持っておられることの証明になります。それに、既に地脈への浸食が、エレーナ様が健在でも手に負えない領域に到達しつつあります。この状況を覆す事が出来るのは、エアリス様だけでしてな」


 要するに、本来なすべき仕事をこなせば、それだけで国を救った事になり、十分な功績になると言うことだ。人柄に対する誤解はともかく、姫巫女として失格だと言う烙印は、実績を示せば簡単に打ち消せる程度のものなのだろう。


 大神官に先導され、しばらく質実剛健を絵にかいたような通路を移動すると、大広間のような場所に出る。作りこそしっかりしてはいるが、全体的には簡素な印象の大広間。その北側には、部屋や通路の印象とは正反対の、精緻な彫刻が施された大きな扉が。扉そのものに強い浄化の結界が張られているところを見ると、この向こう側が儀式の間なのだろう。


「つきました。申し訳ありませんが、皆様はここでお待ちくだされ」


「了解」


「どうせ要らん事やらかす奴がおるやろうし、ここで警備の真似事でもしとくわ」


「瘴気を発見したら、問答無用でサーチアンドデストロイ、でOK?」


 宏達の返事に、頭を一つ下げて答える大神官。澪の物騒な台詞が若干気になるようだが、とりあえずスルーすることにしたらしい。そのままエアリスを促し、もう一度一礼して儀式の間に消える。彼らを見送って大広間に視線を戻すと、唐突に何者かが声をかけてきた。


「いけないんだあ、部外者がこんなところにいるなんて」


「自分かて部外者のくせに」


 唐突に現れた、少し意識をそらすと顔そのものを忘れてしまうほど印象が薄い男の戯言を、冷たい口調で切り捨てる宏。ワイバーンなんぞ目ではないほどの瘴気をばら撒いている男に、愛想良く接する理由など無い。


 時空神の面目躍如とでも言えばいいだろうか。この神殿内は転移系の道具や魔法は一切無効化される。それはレイオット達が使う転移魔法も同じ事である。女神本人以外は転移が出来ない事を考えると、この男も自分達同様、非正規のルートでこっそり侵入してきたのだろう。この存在感の薄さを考えると、普通に気配を消して、正面から堂々と入ってきた可能性もある。


「神殿に勝手に忍び込むのって、すっごい重罪らしいね」


「要するに、自分かて重罪や、言う事やろ?」


「つまり、君達にお仕置きしても問題ない、って事だね」


 宏の突っ込みを無視し、言いたい事を言って会話を打ち切る男。何をされてもいいように、ステルスマントを脱ぎすてて武器を抜き放つ三人。その三人に対し牽制程度の魔法を放ちながら、こんなところで使うべきではない種類の大規模魔法を準備する男。


「こんな狭いところで、良くそんな魔法を使おうと思うよね……」


 どうせばれているのだから、と、オーラバードの精密射撃で男を牽制しながら、大規模魔法に対して呆れたように漏らす春菜。この場合、前に出るのは宏の仕事であり、下手に春菜が距離を詰めるのは全くメリットが無い。なので、距離があっても使える技で仕掛けるのが、この場合の春菜の役目なのである。


 因みに、男が放った牽制の魔法は真正面から突っ込んで行った宏に全部着弾し、何の影響も与える事無くキャンセルされてしまった。瘴気がたっぷり詰まった闇属性の、本来直撃を食らえば人間としていろいろとまずい事になる類の、弾道がかなり読みづらいタイプの魔法だが、残念ながら拡散しきる前に一人に被弾してしまえば、対集団用の攻撃としては用を果たさない。その上、さらに残念な事に、彼の魔法力では、そのレベルの魔法で宏の魔法抵抗を貫く事は出来ないらしい。


「だって、君達が暴れたんだからしょうがないよ。こちらは単に不審人物を制圧しようとしただけだし、大規模魔法は君達が使うんだからねえ」


「……浅はか」


 妙な軌跡を描く矢を撃ち込みながら、淡々と突っ込みを入れる澪。


「じゃあ、僕がやった証拠がどこに?」


「それ以前の問題」


 澪がなにを言っているのか理解できず、自分の事を棚に上げて頭がおかしい小娘だと判断する男。子供の戯言を無視して、準備が整った大規模破壊魔法を発動させる。膨大な魔力が発生し、世界に牙を向こうとする。


「残念だったね! これで君達が生き延びても、神殿を破壊した犯罪者だ!」


「あなたこそ、残念」


 哄笑する男に対して、もう一度矢を放ちながら冷たく言い放つ。矢を叩き落としながら、言われた事を理解できずに怪訝な顔をする男。そして、すぐにおかしなことに気がつく。


「何故術が発動していない!?」


「師匠を範囲にとらえておいて、あの程度の魔法がちゃんと発動する訳が無い」


「何だと!?」


 普段なら全く障害にならないであろう範囲魔法の欠点。それは、効果範囲内に術の強度を上回るだけの強い抵抗力を持つ存在がいると、それがたとえ端の方でも術そのものが破壊され不発する点である。宏の魔法抵抗を打ち破るには、たとえ彼が装備なしの状態だとしても、最低でもトップクラスの廃人が放つ中級魔法以上が必要なのだ。


「往生せいやあ!」


 驚きのあまり動きが止まった男に、容赦なくスマッシュを叩き込む宏。手斧の背では無く刃の方でやっているあたり、実に殺意が高い。とっさにバリアを張り、そのまま柱に叩きつけられる男。


「まだまだや!」


 もう一度スマッシュを入れて壁に叩きつけ、跳ね返ってきたところに更に叩き込む。比較的連発しやすい初級スキルとはいえ、本来相手を簡単に壁打ちピンポンできるほどスキルディレイは小さくない。こんな真似が成立しているのは、宏がスキルディレイをきっちり体で覚えている事と、相手が大魔法を潰されたショックから立ち直り切っていない事、二つの要素が重なったためである。


「ええい! 鬱陶しい!」


 人を小馬鹿にした態度をかなぐり捨て、苛立ちのままに追撃に割り込んで弾き飛ばす。三メートルほど飛ばされた宏は、だが全くダメージを受けた様子も見せず、姿勢を崩すことすらなく着地する。ぬるいダンジョンが主体だったとはいえ、ゲーム時代に肉壁をしていたのは伊達ではない。敏捷を上げるようなスキルを持っていなくても、普通に弾き飛ばされたぐらいでダウンするほど彼の技量は低くないのだ。


「犯罪者の分際で粘るようだけど、あの王女様にいくら期待しても無駄だよ」


「どうせお前さんがなんぞ小細工しとるんやろうけど、それこそ無駄なあがきや」


 宏の言葉が終わる前に、儀式の間から強い光があふれ出す。


「……貴様、なにをした?」


「簡単な事や。ピアラノークから助けた時、あの子らにかかっとった状態異常、全部まとめて解除しただけや」


 あり得ないはずの儀式の成功。それを見て憎々しげに宏を睨む男に対し、平然と答えを返す。あの時は、エアリスが張った仮死状態になる術以外の存在には気がついていなかったが、どんな状態異常がかかっているか分からない、という理由で、あの時持っていた材料で作れる、最も強力な状態異常解除アイテムを使ったのだ。


「それで、ギャラリーが来たみたいだけど、どうするの?」


 春菜の指摘に振り向くと、僧兵と近衛騎士を引きつれた、幾人かの貴族の姿が。


「遅いなあ。不法侵入者が来ているのに、今まで何してたんだい?」


「儀式の邪魔をしようとしている者がいるという報告を、ついさっき受けたところだからな」


 白々しい言葉を告げる男に、レイオットが平然と答えを返す。


「だったら、早く邪魔ものを排除しなよ」


「そうさせてもらおう」


 レイオットの返事と同時に、動き始めの挙動を一切見せず、ユリウスが男を切りつける。バリアを貫き、肩からざっくりと切り裂いたにもかかわらず、男は平然としている。その行動を見た幾人かの貴族が、レイオットとユリウスに対して非難の声を上げ始め、場が急速に騒がしくなり始める。


「おやおや、乱心したのかい? 不法侵入者はあちらだよ?」


「この場にいる以上、貴様も不法侵入者だ。それに……」


「既に、アルフェミナ様が御神託をくださいましてな。この方々はアルフェミナ様が選んだ代行者。すなわち、神殿の関係者である以上、この場に立っていても咎を受ける理由はありませぬ」


 扉の向こうから現れた大神官が、厳かに告げる。


「へえ? 証拠は?」


「無理をなさらぬ事です、バルド殿。貴殿ほど瘴気に浸食されてしまった存在では、まだこの場において続いている浄化の術は、ずいぶんその身に厳しいはずでございましょう?」


「言いがかりもいい加減にしてほしいなあ。誰が瘴気に侵されているって?」


「いい加減、戯言はやめよ、見苦しい」


 言い逃れを続けようとする男を、後ろから出てきた少女が一言のもとに切り捨てる。


「エルちゃん……?」


 その姿を見た春菜が、戸惑いの声を上げる。顔や髪形、体つきなどは、いつものエアリスと何も変わらない。服装も、ここに連れて来た時のままだ。だが、白銀だった髪も、青色だった瞳も、まばゆいばかりの輝きを放つ黄金色に変わっている。何よりその雰囲気が、いつもの子犬のように人懐っこい少女のものでは無く、神々しい種類の威厳を放っている。


「お待たせして申し訳ない、宏殿、春菜殿、澪殿。御三方のおかげで、無事にこの地の地脈の浄化が終わりました」


「……自分、誰や?」


「宏殿。わたくしの正体など、あえて答えずとも分かっておられましょう?」


 エアリスの姿をした誰かの言葉。その言葉に確信を抱く。どうやら、女神のお出ましのようだ。








「いつまでこの地を汚しているつもりだ?」


「この地を汚してるのは、あんたの方じゃないのかい?」


 出てきた女神に対してひるむ様子もなく、盗人猛々しい言葉をぶつける男。その言葉を眉ひとつ動かさずに聞き流すと、周囲をぐるりと見渡す。


「ふむ。地脈の浄化こそ終われど、瘴気の駆逐はまだまだと言うところか。なれば、わたくしの力をもって、もうひと仕事して行きましょう」


 女神の視線に委縮していた数人の貴族が、その言葉にびくりと震える。その様子に頓着する事無く、再び強い浄化の光を放つ。


「ぎゃあああああああああ!」


「やめろ! やめてくれ!」


「私は悪くない! 悪くないんだ!!」


 光を浴びた数人の貴族たちが、突然苦しみ始める。その様子を思わず唖然とした様子で眺めていると、女神がさらに言葉を紡ぐ。


「さて、これ以上は我が巫女の体がもちません。宏殿、後を頼みます」


「ちょい待ち、何で僕に頼むん?」


 宏の慌てたような問いかけに対し、女神は意味深にアルカイックスマイルを浮かべ、一切の答えを返さない。


「それでは、宏殿、春菜殿、澪殿。真琴殿と達也殿にもよろしくお伝えください。いずれ時が来れば、全てを伝えることもできましょう」


「せやから、何でエルの事を僕に頼むねんって」


 宏の質問をきっちりスルーし、何とも予言めいた意味深な事を言い置いて、わざわざエアリスの体から霊体を引き揚げる演出をして、女神が去っていく。言い伝えと寸分たがわぬ姿の女神が消えるとともに、場を覆っていた神々しい空気が雲散霧消する。


「何や言うだけ言うて、どっか行ってまいおったで……」


「何だったんだろうね、一体……」


 やるだけやって後始末を押し付けていった女神に、唖然としながら開いた口が塞がらない感じのコメントを漏らす宏と春菜。その二人の様子を、困ったように微笑みながら見つめるエアリス。


「まあ、何にしても、御苦労さん」


「これで、エルちゃんのお仕事は終わりだよね?」


「はい。無事に瘴気を浄化する事が出来ました」


 エアリスの言葉通り、一国の王城とは思えないほど蓄積された瘴気が、きれいさっぱり払われている。瘴気などと言うのは日常生活でも発生するものである以上、何もしなければいずれまた先ほどのように人間の生活に支障が出始めるほどに蓄積されてしまうのだが、正規の姫巫女が再び大手を振って出入りできるようになった以上は、そうそう以前のようにはなるまい。


「確かに、再びこの地は穢されてしまったが……」


「うわ、まだ生きとった!」


「また往生際が悪い!」


 声が聞こえた方を見ると、半ば人の姿を放棄した男が、天井近くの梁の上に立ち、憎々しげに宏達を睨みつけていた。女神の浄化により痛手を受け、人の姿を維持しきれなくなったらしいが、むしろあれで死なないあたり、本当に往生際が悪い。


「だが、その穢れた巫女を浄化すれば、再びこの地を浄化する事が出来る」


 そんな事を言いながら、なにがしかの魔法を発動させる。嫌な予感がしてエアリスに駆け寄ろうとする宏だが、相手の方が一瞬早い。エアリスの足元に広がった闇が彼女を飲み込み、次の瞬間には男の腕の中に送り込まれてしまう。


「さて、巫女よ。今度こそ正しき神の使徒となれ!」


 仰々しい言葉とともに、掌に呪いとしか思えない濃密な瘴気を集め、エアリスの胸元に送り込もうとする。瘴気の塊がエアリスに触れる直前、パチリと小さな音が鳴って塊がかき消される。神官衣と懐剣、そして下着による三重の防御機能を打ち破るには、いささか出力が足りなかったようだ。なお、彼らは最後まで知らない事ではあるが、宏が死にかけながら作った下着で無ければ、エアリスが無事で済んだかどうかは非常に微妙なラインだった。澪の言う通り、三割の影響は決して小さくなかったのである。


「ダンシング……!」


「エル! それは今切る札やない!」


「エル! 浄化! 最大出力!」


 懐剣の特殊機能を発動させようとしたエアリスを宏が制止し、すべき事を澪が指示する。澪の言葉に反射的に従い、最大出力で浄化を発動させるエアリス。発動した浄化術は、瘴気をかき消されて動揺している男を直撃し、隅々まで焼き払う。


「……どこまでも小賢しい!」


 ついに完全に人の姿を放棄した男が、先ほどまでのふざけた態度をかなぐり捨てて吠える。不安定な梁の上ながら、既に上手く距離を取っているエアリスを睨みつけ、一気にけりをつけようと躍りかかる。


「エル!」


「はい!」


 男が動く直前に発せられた宏の掛け声。それを聞きつけて躊躇なく梁から飛び降りるエアリス。一拍遅れて男の攻撃が空振りする。既に着地地点に待機していた宏が、余裕を持ってエアリスをキャッチし、懐から何やら取り出す。キャッチした宏の顔を、熱を持ち潤んだ瞳で見つめるエアリス。


「とりあえず、この子はもうてくで~!」


 大神官とレイオットに目配せし、二人が頷いた事を確認したところで、その取り出した何やらを発動させる。次の瞬間、転移が発動した訳でもないのに、目の前から四人の姿が完全に消える。いつの間に回収したのか、脱ぎ捨てられたステルスマントも無くなっている。使ったのは盗賊神の切り札と言う名の、職人たちの間では通称ハイパージャマーと呼ばれている使い捨てアイテムだ。最大三十秒とごく短時間ながら、ありとあらゆる探知を無効化するアイテムで、それこそ今のように目の前で使ってすら、そして触っていてすらその存在を認識できなくなる恐ろしいアイテムである。


「どこだ!? どこに行った!?」


「安心しろ。彼らは私の知り合いだ。時が来れば、姉上とともにこの場に戻ってくる」


「もしかして、あの連中が!?」


 自分達の味方である貴族の一人が発した問いかけ。それに応えずに周囲を見渡す。


「とりあえず、彼らを迎え入れる準備をせねばな。さしあたっては、逃げたあの悪魔を探して仕留めるところからか」


 レイオットが、この後のことを指示する。先ほどエアリスが飛び降り男の攻撃が空振りした瞬間、男に向かって兵士達が攻撃を仕掛けていたのだが、確かな手ごたえとは裏腹に、爆音と閃光が収まった後には、何者かが突き破ったと思わしき窓があるだけで、男の姿はどこにもなかったのだ。


「御意」


 レイオットの言葉に、その場にいた人間全員が跪き同意を示す。こうして、ファーレーン王国は、部外者の協力によって、当面の危機を脱する事が出来たのであった。


 なお、神殿の敷地内から脱出するまでの間、成り行きでそのままエアリスを長時間抱え込んで逃げ回った宏は、と言うと……


「ひ、ヒロシ様!?」


「エルちゃん、今近寄っちゃダメ!!」


 特殊転移石で逃げ帰った工房の片隅で、己の吐しゃ物にまみれながら土気色の顔で、やばい感じの痙攣を繰り返していたのであった。








 なお、蛇足ながら、今回ドーガとレイナが何をしていたかと言うと……。


「わしらもずいぶん甘く見られたもんじゃのう」


「全く、たかがこの程度で神殿に侵入できると思っているのは、さすがに認識が甘くは無いか?」


 存在が割れている可能性が高いとある隠し通路の前で、敵側の勢力と思われる怪しげな一団を始末していたのである。下手に大勢でガードすればかえって藪蛇になるため、レイオットは単体戦闘能力に関しては国内屈指のこの二人に役割を振ったのだ。


「まあ、それでも、ヘルハウンドごときではなく、ケルベロスを呼び出した事は評価してもいいじゃろうて」


「たった三頭、それも碌に制御も出来ていないようでは、全く意味はありませんがね」


 目の前で物言わぬ躯になっている三頭のケルベロスと、ついでに始末されてしまった召喚師と思われる人物十人ほどを見ながら、ぬるいと言わんばかりのコメントを残す二人。その様子に辛うじて生き残った一人が、怯えながら逃げを打とうとして、突如黒い炎に包まれる。見れば、ケルベロス以外の他の死体も、全て燃え尽きている。


「口封じか。段取りのいい事だ……」


「どちらにせよ、我々が捕らえてもまだ引き渡すのは難しい。むしろ手間が省けたと考えてよかろう」


「そうですね。それより、この死体をどうしましょうか?」


「持ち帰れば、何ぞの素材が採れるかもしれん」


「相当ズタズタにしてしまいましたが、大丈夫でしょうか?」


 レイナの指摘に、ぬう、と言う感じで考え込むドーガ。因みにケルベロスは、平均をとるならワイバーンよりも手ごわいモンスターだ。基本的には地獄系のダンジョンにしか存在せず、大抵出てくるダンジョンでは最弱クラスの生き物ではあるが、それはむしろ、他のモンスターが桁違いに強いだけである。


 馬より巨大な三つ首の犬の死骸を見上げながら、片手で振りまわせるとは思えない大きさと重量の槍で自身の肩をぽんぽんと叩き、やりすぎたか、と微妙に後悔するドーガ。因みに、反対側の手には全身を覆えるほどの、これまた洒落にならない大きさのタワーシールドが握られている。老いたりとはいえ堂々たる体躯を誇る彼が持てば、ほとんどの者がその威圧感だけで逃げ出したくなるだろう。しかも、動きに全く無理が無い。


「久しぶりに暴れたもんじゃから、少々はしゃぎ過ぎたようじゃな。まあ、持ち帰ればどうとでもするじゃろう」


「そうですね。皮と肉と骨、後は牙と爪ぐらいしか素材が分からない私達がどうこういっても、意味はありませんし」


「そうと決まれば、適当な大きさにばらして鞄に突っ込むぞ」


 ドーガの指示に頷き、とりあえず部位ごとに分解するレイナ。なんだかんだ言って、この辺の考え方はすっかり染まっている二人であった。

この手のネタの天丼は基本。

前回と違って今回は自業自得。

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― 新着の感想 ―
[一言] >大魔法をぶつけても発動がキャンセルされるぐらい、魔法防御も魔法抵抗も高いし 人 間 絶 縁 体
[一言] それらが女神の意に沿わぬなら、民が加護を得る妨げとなるのであれば、そんなものは捨ててしまえばよろしい 工作員の破壊工作を真に受けて本物の巫女姫を蔑ろにする愚民どもに女神様の加護を受ける価…
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