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第6話

 池の中は、どこまでも透き通っていた。


『物凄い透明度やな』


『そうだね』


『そろそろ水深百メートルやけど、ようこんな深い池ができたもんや……』


『本当だよ。この深さ、池って言っていいのかな?』


『分からん。でも、岸から見たら池にしか見えんしなあ……』


 壁面で揺らめく水草。その植生の変化を観察しながら、個人モードのチャット機能で雑談を続ける宏と春菜。水中ゆえに声が届かないので、冒険者カードの機能を使っているのだ。


 余談ながら、会話をする時以外はお互い、できるだけ相手の姿を直視せずに視界の隅にとどめるようにしている。双方にとって、互いに相手の水着は少々刺激が強すぎるようで、直視すると意識してドキドキしすぎ、どうにも周囲の観察がおろそかになる。かといって、完全に目をそらすとはぐれかねない程度には、この池は深い。視界の隅なのは、そのための緊急避難的な措置である。


 会話の時も、相手の顔以外に出来るだけ視線を向けないようにしている。正直な話、春菜としては顔を見つめて話をするのもなかなかくるものがあるが、まだ水着姿よりははるかに慣れている。宏に至っては、春菜の顔を見る分には全く動揺する要素が無いので、話をしているときは全く視線が動かない。


 このあたりの事情からも、同じドキドキするでも宏の方にはネガティブな要素の割合が圧倒的に高い事が察せられる点が、覚悟を決めて本命水着を着た春菜に対して憐みを覚えそうになる。


『そういえば、魚も見ないよね』


『狭すぎんのかもしれん。もしくは、綺麗過ぎてあかんのか』


『後は、深すぎて卵を産む場所が難しい、とか』


『せやなあ。浮き草の類も水ん中漂っとる草もほとんどあらへんから、卵産むんは辛いかもしれんなあ』


『壁面だって、水草で埋まってる訳じゃないしね』


 観察しておかしいと思った事を言いあいながら、どんどん潜って行く。水草しか生えていないからか、壁面に張り付いていそうな貝や蟹の類も見かけない。


 そもそもの話、壁面に生えている水草自体が妙に胡散臭いのだが、採取して分かったのは一応ちゃんと植物である事ぐらい。胡散臭くはあるがモンスターの類ではなく、自走したり茎を伸ばして宏達を溺れさせようとしたりもしないため、詳細な調査は後回しにしているのである。


『水深百五十メートル。ええ加減、そろそろ水面見づらあなってきたな』


『いくら透明度高くても、屈折とかあるしね』


『深いとは思っとったけど、ちょっと深すぎへんか?』


『そうだよね。生身で潜らせるにしては、いくらなんでも深すぎるよ』


『やんなあ……』


 いくら潜っても底が見えない池に、そろそろ不安が募り始める宏と春菜。そもそもの話、凄腕のダイバーでも潜って活動できる深さなんて知れている。百五十メートルでまだ底が見えないとなると、底の方は生身の人間の手に負えない深さであろう。


 この世界はファンタジーで、魔法やスキルの存在をはじめいくつか物理法則が異なるが、それでも普通の人間はちゃんと訓練しない限り、十メートルも潜る事が出来ないのは変わらない。こうして水深百五十メートルまで来ている宏と春菜だが、それも水着に水中行動という、水圧と呼吸、浮力の問題をまとめて解決する比較的ランクの高いエンチャントを施しているから可能なだけである。


 恐らくこの先に重要な何かを隠しているのだろうが、陸棲種族では深さ的に絶対に到達できず、水棲種族は島の陸地が障壁になって池に来るのが困難という場所に設定しているあたり、ここに何かを隠したであろう存在は間違いないくいい性格をしている。


『そろそろ二百メートル。水中行動って、限界深度はどんなものだっけ?』


『春菜さんが自分でつけたんやったら、多分腕の関係から三百から四百の間ぐらい、五百は間違いなく無理っちゅうとこやと思う』


『そっか。って事は、あと約百メートル以内にそれっぽいところがなかったら、私はリタイアってことだよね』


『せやな』


 自分の水着の限界と場合によっては一人待機させられる可能性を聞かされ、思わず表情を暗くする春菜。これでは、何のために勇気を振り絞り、覚悟を決めて水着姿になったのか分からない。


『まあ、その心配はなさそうやけどな』


『えっ?』


『底はまだ見えんけど、横穴は見えたで。ほら、あっこらへん』


『あっ、本当だ』


 宏の指差した先、春菜の目測で五十メートルほど潜ったあたりにある横穴を見て、何処となくほっとした表情を見せる春菜。まだ結構な距離があるため大きさはピンとこないが、感覚周りの能力で劣る春菜が見つけられるぐらいなのだから、結構大きい気がする。


『ざっと見た感じ、春菜さんの水着やとあんまり余裕のない深さやなあ』


『うん。本当に良かったよ』


『問題は、あの横穴がどういうもんか、やけど……』


『それはもう、入ってみるしかないよね』


『そういうこっちゃな』


 そんな事を言いながら、更に潜っていく事約七十メートル。ようやく横穴に到着する。


『思ったより大きいよね……』


『せやなあ』


『なんかこの池の中だと、ものすごく目測狂うよね』


『目印にしやすいような変化があらへんからなあ』


 目測よりかなり深い場所にあった横穴。その位置関係にぼやきが漏れる春菜。宏の方も、予想通り春菜の水着では余裕がなかった事に、少々渋い顔をしている。


『ざっと見て二十メートルぐらい。この島が全部何者かの手で作られとるんやったら、この大きさにも絶対意味あるはずや』


『うん』


 春菜の目測を大きく超え、大王イカぐらいは余裕で出入りできる大きさだった横穴。その大きさの意味を考えると、あまりありがたくない結論しか思い浮かばない。


『まあ、この程度の穴で出入りできる大きさの生きもんやったら、今まで遭遇したんと比較したら大した大きさやないし』


『ここが水の中じゃなくて、装備が丸腰の水着姿じゃなきゃその結論でいいんだけどね……』


 宏の楽観論とも言えないような言葉に、ため息交じりで突っ込みを入れる春菜。所詮ベースはスパイダーシルクのこの水着、防具としては大した性能は無い。一応戦闘になる可能性も考えて最低限のエンチャントはしてあるが、全裸よりはマシなだけである。


 ビキニにしては露出が少なく妙にかっちり要所要所をガードしているのも、宏に見せる目的だったが故の葛藤の結果以外にも、故意に狙って着崩さない限りは激しく動いてもポロリが起こらないようにする意図があるだけで、防具としての性能を考えた訳では一切ない。


 ポロリしたところで宏には以前にほぼ全裸を見られているし、そうでなくても宏にならいくら見られてもかまわないのだが、他の誰かに見られるのは勘弁願いたい。そんな本音に加え、ポロリ状態の春菜の傍に置いておくと、宏が女性恐怖症をこじらせて精神的に危険な状態になる可能性を恐れた事もあり、ビキニというデザインを維持したまま破損以外で意図せず水着が脱げる可能性を限界まで潰すよう頑張ったのが、今の春菜の水着である。


 だが、あくまでも破損以外で、であり、流石に攻撃を食らって肩ひもがちぎれた、とか、カップの片側を引きちぎられた、とかそういうケースには無力で、布地の面積や厚さ、素材の限界から普段着ている服に比べると耐久力の面ではどうしても劣るため、相手にアドバンテージがある水中で、自分よりはるかに巨大な生物との遭遇は勘弁願いたい。


『どないにしても、春菜さんの水着やとこれ以上潜るんはきついんやから、他に選択肢あらへん。ごちゃごちゃ言うとってもはじまらんし、さっくりこの穴調べよか』


『了解』


 宏の非常に正しい一言を受け、覚悟を決めて宏について横穴に入って行く春菜。島の調査は、佳境に入るのであった。








「船の修理が、予想より長引きそうだ」


 昼食の席。やや深刻そうな表情で、アヴィンがそう切り出した。


「お兄様、それほど船の被害は大きかったのですか?」


「被害が、というよりは材料の問題らしい。船に関しては専門外だから詳しい事は分からないんだけど、私達の船やその同型の船に使う材料は少々特殊なものらしくてね。たかが手すりと甲板の一部といっても、あり合わせのものでという訳にはいかないそうだ」


 アヴィンの説明を聞き、微妙に渋い顔になる一行。金と人手があっても、材料がなければ修理は出来ない。権力者だろうがなんだろうが、その原則の前には無力である。


「材料、か……」


「澪、在庫は無いの?」


「ものによる。ハンターツリーでいいなら、いくらでもあるけど……」


 澪の言葉に、首を左右に振って見せるアヴィン。アヴィンの返事に、やっぱりという表情のアズマ工房組。そんな分かりやすい材料であれば、そもそも最初の段階でアヴィンが在庫の確認をするはずなのだから、予測できない訳がない。


「恐らくハンターツリーのものならあるだろうと思って確認を取ったんだけどね。どうやら違うみたいなんだ。ただ、詳細は教えてもらえなかった」


「なるほど。てか澪、お前船に乗った時に分からなかったのか?」


「造船は中級に入ったぐらいだから、大体の予想しかつけられない」


「そういうもんか……」


「うん。師匠なら手持ちの材料でどうとでもすると思うけど、ボクだと一部分とはいえ、あの大きさの快速船をそういう形でいじるのは無理」


 普段宏と一緒に暴れていたりファム達職員の指導役をしていたりするため忘れそうになるが、澪の生産スキルはよく使うもの以外は高くて中級半ばどまりだ。家具製造にいたっては、趣味も兼ねて空き時間にいろいろ作っている春菜とほとんど差がない。


 しかも造船に関しては元々どうしても使う機会が少ない上、港での仕事を受けて修行するには澪は少々忙しすぎたため、こちらに来た時と全く力量が変わっていない。修業を兼ねるにしても、指導者無しで関わるのは足を引っ張りそうで躊躇われる。


 手すりの方は言ってしまえばたかが手すりなので、大工あたりのスキルで代替えは利きそうではある。利きそうではあるのだが、その大工も澪は上級に入ったところ。相手の船の難易度が難易度なので、特殊な表面処理だの内部の加工だのが必要になるとカバーしきれるかどうかが微妙なところだ。


 ファーレーン王家の快速船の場合、少なくとも表面処理は大工の上級で使った事がない技術を使っているので、そのあたりは澪では手の出しようがない。


 いくら総合的には突出した力量を持つと言っても、総プレイ時間も特化の度合いも宏に劣るのだから、澪にできない事は結構たくさんあるのだ。


「とりあえず、ご飯食べた後にでも直接確認してくる」


「そうだな、そっちは任せる。それで、殿下。もし、直接確認して駄目だった場合、修理にどれぐらいかかりそうなんです?」


「四日から五日、という所だそうだ。材料自体は既に手配してあって、三日もあれば届くらしい。この港のドックに在庫がなかっただけで、別の港にはあるらしいからね」


「なら、最悪でも来週には出発できる、と考えていいんですね」


「そうなるね。もっとも、その時点でヒロシ達と合流できているかが問題ではあるが」


 船の修理以外にも、もう一つネックとなる問題。それをため息交じりで漏らすアヴィン。エアリスによるとレーフィアの関係者らしいが、仮にも神の関係者が他の神の巫女が乗っている船を沈めかねないような真似をしていいのか、と疑問に思わざるを得ない。


 少なくとも、エアリスはその事できっちり抗議しているようだし、漏れ聞こえてくる話ではアルフェミナはおろかエルザやダルジャンなどからもレーフィアは集中砲火を浴びているらしい。それを聞くかぎりでは、神々のルールとしても色々問題がある行為だったようだが、ではなぜそれを行った、もしくは止められなかったのか。それもまた気になるところである。


 そこまで考えて、これ以上は自分の領分から外れると判断、思考を切り替えるアヴィン。今は神々の間の糾弾合戦よりも、宏達が合流できるかどうかの方が重要だ。極論すれば、レーフィア及びその関係者らしい巨大イカの事は、神々に任せておくしかない。この場ではそう割り切り、言葉を続ける。


「それで、ヒロシとハルナは、今どんな状況なのかな?」


「取り込み中らしくて連絡がないから正確な現状までは分かりませんが、最後の報告から考えると、島の中心にあったって話の池に潜って調査してる所なんじゃないでしょうか?」


 アヴィンの問いかけに、パーティチャットで確認した現状を告げる真琴。もっとも、真琴達日本人メンバーにしても、池があったから潜って調べてみる、という話しか聞いていない。


 羞恥心その他の問題で、宏も春菜も水着がどうとかその類の話はしていない。していれば、恐らく大いにネタにされる代わりにこの場の空気は大幅に緩んでいただろう。


「なるほど。そこで何か進展があるといいんだけどね」


「ですね。まあ、どう転んでも、今日一日は動きようがないのだけは間違いなさそうです」


 アヴィンのしみじみとした一言に、同じようにしみじみした口調で同意する達也。我関せずといった様子でキャベツを黙々と食べ続ける芋虫だけが、常日頃と何一つ変わらない。


 結局この日は開き直り、港町の観光に時間を費やす一行であった。








 横穴は、非常に長かった。


「また、えらい大規模な……」


「これ、水着に機能をつけてなかったら、間違いなく溺れてるよね」


「少なくとも、アクアブレス一個で足るかどうかっちゅう面では怪しいわな」


 既に二キロ以上は泳いでいるのに、まだ突き当りに出ない。そんな規模の大きな横穴に、色々不安が募ってくる。既に外からの光は完全に途絶え、明かりの魔法が唯一の光源となって久しい。


 そもそも池に潜ってから、既に結構な時間が経過している。水着に施したエンチャントのおかげで問題は無いが、そうでなければそろそろ身体が冷えて命に関わってきかねない。


 それに、水棲種族や水陸両用型の種族でもなければ、普通はこれだけ長時間にわたって水に潜るのは不可能。水深の問題を別にしても、少々の小細工では呼吸がどうにもならないだけの時間、水中を探索している。


 一個で六時間呼吸を維持できる消耗アイテム・アクアブレスなら、まだ持続時間的に余裕はある。だが、引き返すタイミングを見誤ると、途中で効果が切れてやはり溺れる事になりかねない。


 これらの情報を基に考察するなら、漂着者をここに閉じ込めている何者かは、間違いなく宏達のような特殊な存在を求めているのだろうと予測される。


「……やっぱり、微妙に曲がっとんなあ」


「だよね」


「後、さっきまでは上昇気味やったけど、いまは下降気味やな」


「そろそろ、今居る位置が分かんなくなりそうな感じ」


「せやな。どうにも異界化しとって空間自体もねじれとる風情やし」


 色々不安をかきたてる要素を並べたて、困ったものだと話し合う宏と春菜。何が困ったかと言って、そろそろ腹が減ってきたことだろう。


 食事などできるような状況ではないが、それでも腹が減るものは腹が減る。水中で食えるものの開発など考えてもいなかったが、今後の可能性を踏まえるなら用意しておいた方がいいかもしれない。


「……お腹減った……」


「腹減ったなあ……」


 まだまだ地上に出られそうにない現状に、切なそうにお互いの空腹を確認し合う。これが、食事の事など考えられないほど忙しかったり状況が緊迫していたり何かに集中していたりするのなら、そもそも空腹を認識せずに済む。そうでなくても、ゴールが見えていればそこまで我慢するのはそれほど苦ではない。


 今回は終わりが見えている訳でもなく、忙しくもなければ集中が必要でもない。また、変化に乏しい光景が長く続いているので、緊張感とかそう言ったものはむしろ緩んでしまっている。その割に、休憩らしい休憩が取れる環境でもない。


 つまり、そろそろ疲労と空腹に意識が向かいやすい状態になっているのだ。こればかりは精神力だの実際の肉体の疲労状態だのとは関係ない、ある意味人間として当然の精神活動によるものなので仕方がない。


 逆に、この状況で何も感じなくなったら、いろんな意味で問題がある。


「後どんだけ我慢せんとあかんのかが分からんのが、ものすごい辛いでな……」


「そうだよね……」


「陸の上やったら、妥協点とか切り上げどころとかも見つかるんやけどなあ……」


「水の中だもんね……」


 現状についてぼやきながら、空腹をこらえつつ先を目指す。こちらに飛ばされてから今まで、地味に食事にだけは困った事がない宏と春菜。飛ばされた初日ですら、味に目をつぶるなら熊肉や魚など食べるものはちゃんとあったし、食べられる環境も確保できていた。


 そんな二人が、食糧が十分にあるにもかかわらず、食事しようにも食事できない状況に追い込まれてしまったのだ。その辛さは筆舌に尽くしがたい。


「やっと終点だよ……」


「本気で腹減った……」


 一見小さな水たまりになっている出口から洞窟の中に入り、ようやく一息つける宏と春菜。早速とばかりにポシェットから明かりとテーブルと調理器具を取り出し、着替えなど全て後回しで何を食べるか相談し始める。


 結局、二人が陸に上がれたのは、空腹を感じ始めてから一時間半後であった。


「せやなあ。さっきまで水ん中で身体も冷えとるし、やっぱここはカレーちゃう?」


「悪くは無いけど、できたらスパイスをちょっとこだわりたいから、今回は別のもので」


「ほな、おでんと言いたいとこやけど、あんまり時間かかるんはあれやから、ラーメンにしとこか」


「そうだね。ラーメンなら、割とすぐにできるしね」


 などと言いながら、てきぱきと大量にストックしてあるベヒモスの骨を煮込んだスープとリヴァイアサンのアラで取っただし、ジズの鳥ガラスープを混ぜ、醤油と香味野菜を足して味を調えに入る春菜。だし自体は大量にストックしてあるが、ラーメン以外にも使えるように基本単品で保存してあるため、こういうときはいちいちちゃんと調整しなければいけないのが手間といえば手間である。


「神小麦があったんやから、麺も新しく試作しとけばよかったかもなあ……」


「そういえばそうだよね」


「まあ、今からいちいち打ってられんし、今回は出来合いで我慢しよか」


 二人分の麺をゆでながら、ラーメンの具を準備しつつ宏がぼやく。今回は具も全部神と名がつくもので、海苔ですらリヴァイアサンの身体に生えていた特別製。明らかに、主体であるはずの麺が一番見劣りするのだ。


 出来合いといっても、宏と春菜が小麦をはじめとした素材をきっちり吟味し、粉を挽く所から自分達の手で行った手作りの品だ。きっかけさえあれば神々の晩餐を作る事が出来る、そんな料理人がこだわりを込めて打った麺。それが単なる出来合いなどとは口が裂けてもいえない。当然、麺が自慢の名店のものと比べても勝るとも劣らない、そんな名品である。


 ただ、いくらいい小麦を使ったといっても、所詮は神の冠詞がつかない普通の小麦だ。それ以外がすべて、神々の晩餐に使えるようなものだけで構成されているとなると、どうしても見劣りするのは避けられないのである。


「麺は茹であがったけど、そっちはどない?」


「スープはこんなもんかな。煮卵も完成」


「ほな、トッピングして食べよか」


 結局空腹に負け、完成度を二の次にした麺だけ普通のラーメンを完成させる宏。究極の一杯にあと一歩届かないそれを、待ちきれぬとばかりに口にする。


「……ものごっつ美味いんやけど、なあ……」


「……うん。多分、普通なら文句を言われる筋合いはないんだろうけど、ね……」


「なんちゅうかこう、微妙に惜しい感じや」


「うん。微妙に惜しい感じ」


 一気に半分ほど平らげ、二人の口から出てきた感想がそれであった。


「気にせんかったら気にならんねんけど……」


「でも、明らかにバランス悪くなってるよね……」


「ほんまに、あとちょっとだけ物足りん感じや……」


「うん。多分大抵の人が気にしない範囲だろうけど、麺がほんのちょっとだけ安っぽく感じて物足りない」


 恐らく、日本のラーメン通を百人集めて食べさせて、一人がケチをつけるかどうかの完成度。九十九人は完璧だと絶賛し、けちをつけるかもしれない一人も語彙を尽くして絶賛した後に、欲を言えばと前置きした上で無茶だと知りつつ麺の微妙な物足りなさに言及するだろう、この世界でなければ作る事がかなわない逸品。


 それだけのものを作っておいて納得しない宏と春菜は、この場合飯に対するこだわりが強すぎるのか、それとも完璧なものが作れるのに作らなかった事に納得できない職人気質なのか、判断に困るところである。


「この島から脱出したら、まずは神小麦と神蕎麦でうどんからパスタから蕎麦から全部作らんとな」


「そうだね。これはかなり悔しいよ」


 小豆のように手に入る当てがないものは妥協しても、手に入っているものに関しては妥協する気が一切ない宏と春菜。やはりこの二人は、一杯の乳酸菌飲料のために牛の品種改良と納得のいく名水を探す所からスタートする気質である事を、余すことなく証明してしまうのであった。








「長いね……」


「これやから、異界化しとる空間っちゅう奴はなあ……」


 歩いても歩いても何処にも行きつかない道。体感で恐らく十キロほど歩いたあたりで、久方ぶりに宏と春菜が言葉を交わす。


 真っ暗な、しかも全く景色に変化のない道をずっと歩かされている疲労。肉体的にはともかく精神的にはなかなか大きな負担となるそれは、確実に二人の口から言葉を奪っていた。


 もっとも、二人の口が重くなるのは、それだけが理由ではない。普段、お互いに相手がいる場所では絶対しないような露出度の高い姿。手に持ったランプと灯りの魔法しか光源がない、暗い道。それらの相乗効果により、普段と違う妙にアダルトな雰囲気になってしまい、言葉が出て来ないのだ。


 特に、この島に流されてから思春期をこじらせ気味な春菜は、このアダルトな雰囲気にあてられてあり得ない期待をしてしまい、それを間違って口に出さないように意識をそらすのに必死で、とてもではないが気の利いた話題など出せる余裕はない。その空気にあてられ、そっち方面にまで色々過敏に警戒している事が、宏の精神的な疲労の原因なのが救われない話である。


 とは言え、そのあり得ない期待という奴が、いまどき中学生どころか下手をすれば小学生でもそれぐらいは普通にしているレベルの、春菜の歳と立場ならもう少し先を望んでも間違いなく誰も文句を言わない内容だったりするのはご愛嬌、という事になるだろうか。


 もっと正確に言うなら、相手が宏でさえなければ、春菜が自身の恋心を自覚して具体的な行動に出た時点で、最初のデートまでにはまず間違いなく実現しているし、それを見ても誰も破廉恥だのなんだのとは絶対言わない程度の事である。


 むしろ、同じ状況に陥った場合、澪が期待する内容の方がよっぽど倫理的に問題があるぐらいで、このあたりの見た目や実年齢と男女付き合いに求める内容の逆転現象は、関係者にとって非常に頭が痛い問題になりそうだ。


 そもそも、澪が期待するような事柄は、年齢がどうであれ倫理的には大抵駄目出しされるという点については、ここではあえて触れない事にする。


「……空気の流れが変わったな。多分、部屋かなんかあるで」


「……そっか。もしかしたら、終点かも」


「……可能性としては十分やな」


 洞窟そのものに加え春菜の挙動も警戒していた宏が、ようやく状況の変化を察知する。その内容に、少し表情を引き締める春菜。思春期をこじらせ色ボケした思考に頭を占拠され気味ではあっても、流石にこの状況下で新たな展開があると言うのに、色ボケしたままという事は無い。


「恐らく敵対的なもんは出てけえへんやろうけど、注意は必要やな」


「できたら着替えたいけど……」


「コテージどころか、蚊帳もアコーディオンカーテンも出せんからなあ……」


「姿隠しもキャンセルされるし、ね……」


 未知の何かが出てくるため、せめて服ぐらいは着たい春菜。羞恥心や防御力の問題もあるが、何よりそろそろ宏の警戒を解きたい。


 だが、安心して着替えるための準備をしようとすると、どう言う訳か全ての手段が潰されるのである。バスタオルを羽織ってポンチョのようにし、その下で着替えようとすると何故かホックをはずしたあたりで必ずバスタオルがはだけ、ではお互い相手を見ないようにと約束して距離を置き、明後日の方向をむいて着替え始めると殺気のようなものが発生してお互いを注目するように仕向けられ、その状態でなおも目をそらそうとすると落石だったり地震だったりで、相手を見ざるを得ない状態に持ちこもうとする。目隠しをしたところで致命的な部分が露出したタイミングで必ず外れるので意味がない。


 割り切って水着の上から普段着を着ようとすると、今度はサイズ自動調整が機能しなくなって袖が通せなくなる。上にパーカーなどを羽織ろうとすると、袖を通し終わる前に色々致命的なものがポロリする。


 自分が見られるのは問題ないからと春菜が途中まで強行した感じでは、どうやら隠さなければ着替えそのものはできそうな感じだった。宏が部屋の隅でガタガタ震えていなければ、恐らくそのまま強行したであろう。


 残念ながら、トップスを外して自作の勝負下着のブラ(清楚系だが相応にアダルトなデザイン)を着たあたりで宏が完全に逝っちゃいそうになったため、流石に勝負下着よりはましだろうと諦めて水着に戻したのだが、水着に着替える時はタオルで隠して着替えても妨害が入らなかった。


 要するにここにいる間、水着と全裸以外になるにはそれ相応の覚悟が必要らしい。


 なお、念のために補足しておくと、春菜が着替えを強行する際、ちゃんと宏の合意は取っている。外した瞬間とつける瞬間だけでも目をそらせば、後は姿勢や挙動である程度致命的な部分は見られずに済むよう動けると踏んでの行動だったが、やはり相手はそんなに生易しくなかった。結局ばっちりトップレス状態になるところから勝負下着をつけようとしている所まで凝視させられた宏が、いろんなプレッシャーに耐えられず部屋の隅でガタガタ震え始めたので慌てて水着に戻ったのが、その時の一連の流れであった。


「……明かりが見えてきたな」


「外なのかな?」


「いんや、部屋そのものが光っとる」


 結局、先ほどの二の舞を恐れて着替えは考えず、水着姿のまま先に進む。徐々に強くなっていく光。広場となっている空間に出た時には、外にいるのと変わらぬぐらい周囲が明るくなっていた。


「……神殿、かな?」


「まあ、ありそうな話ではあるな」


 かなりの広さを持つ広場、その中心に建つ地中海あたりの遺跡にありそうな建築様式の建造物を見た時点で、ようやくここでの調査のメインは終盤に来たと理解する宏と春菜。その表情が何処となくほっとしているように見えるのは、気のせいではない。


「恐らくレーフィア様関連やろうけど、わざわざ脱出不能にしとる理由は分かるんかいな?」


「当然、説明する気はあるけど何か?」


 宏の独り言に、妙にさわやかな男性の声が応じる。声の方に視線を向けると、そこには……


「半魚人?」


「っちゅうことは人間枠で考えた方が、無難やな」


 分かりやすいぐらい見事な半魚人がいた。一般的なファンタジーにおいて、いわゆるサハギンとかギルマンと呼ばれている種族である。


 すらっとした尾びれにぴちぴちでぷりぷりながら引き締まった胴体、配置の問題で何処を見ているかがいまいちわかりづらい眼球。おそらく、手足が生えていなければかなりの高級魚であろう、だが宏や春菜の知識では元の世界で同じ種類の魚がいるかどうかが判別できない形状の青魚。胴体部分から生えている手足はなかなかにマッシブだが、その手に持っているのはトライデントや銛ではなく、なにがしかの書物。それが、神殿から現れた彼であった。


「人間枠?」


「前に、こっちの半魚人はヒューマン種とかそういうくくりでの人間なんか、それともモンスターなんかっちゅう話しとった事があってな」


「とりあえず、魚類とか普通のモンスターみたいに文化とか知性とかをあんまり感じさせないならモンスター枠でいいんじゃないかな、って話をしてた事があったんだ」


「ふむふむ。モンスター枠だったらどうなってたのかな?」


「食材にできるかどうか検討しとったやろな。わざわざ自分から喧嘩売ったりはせんけど」


 非常に正直に会話の内容を告げた宏と春菜に、器用にも人間にも分かるように微妙に表情を引きつらせてみせる半魚人。普段なら宏はともかく春菜は相手に対して失礼な話を展開しないのだが、今回はここまでに非常に長い道を歩かされて精神的に疲れているからか、割と容赦なく黒くて失礼な話をしている。


「でまあ、そこら辺は置いとくとして」


「食材は十分あるんだし、わざわざ会話で意思疎通できる相手を食べる必要はないしね」


「君達にとって、食材かどうかの基準はそこなのかい?」


「何か問題でもあるん?」


 色気もセンスオブワンダーもあったものではない宏と春菜の言動に、顔が引きつるのを止められない半魚人。


 こちらの世界に飛ばされて一年強。宏も春菜も、既に見た目で食える食えないを判断する時期は過ぎている。人間に分類できる種族を食う事にはかなり抵抗があっても、単に人型をしているだけでは食えない理由にはならないのだ。


「……これ以上、そのあたりの話を掘り進めるのは、色々と危険な気がしてきたよ」


 宏と春菜が、食事に関してはかなり独特の神経をしている事を悟り、これ以上この話を続けるのはやめることにする半魚人。意思疎通できる以上は食わないと断言しているから大丈夫だろうが、万が一食われたりしたらたまらない。


「それで、話を戻すとして、君達がここから出られない理由、だったね?」


「そうそう。私達を出したくない理由とか、あるのかなって」


「君達を、というよりは、この島に漂着してきた、本来資格を持たない存在を、というのが正解だね」


「資格?」


 半魚人の言葉に、真剣な表情で問い返す春菜。最近そういう話ばかりだったが、資格がないのに漂着してきた人間を外に出さない、というのは穏やかではない。


「ちょっと抽象的な言い方だけど、陸で暮らせて水と共存できる存在以外は出入り禁止なんだ。でも、どうしても事故とかで入って来る者はいるから、せめて出られないようにしておこうって事で、こういう仕様になった」


「共存って、今までの事を考えると、ようするに水中でも地上と同じように活動できないとダメって事?」


「そういう事だね。そのための試験が、あの池だ。あと、水着を要求してるのも、そのあたりに関係しているんだ。本来水の中にいる種族は、基本的に服とか身につけないのが普通だからね。ただ、陸の人間は基本的に服を着る文化だって事も知っているから、その妥協点として水の中で活動するための服を着ろ、って要求をしたんだ」


「なるほど。そのためにあそこに不自然な石板を置いてあったんだ。で、この神殿に到着すれば、資格を持ってるってことを証明できたことになるの?」


「もちろん」


 半魚人の明快な答えに、安堵のため息をもらす。とりあえず、この島からの脱出は可能そうである。


「仮に、普段身につけてる装備で池に入ろうとしてたら、どうなってたの?」


「入れはするけど、この神殿にはたどりつけないようにしてたんだ。だから、恐らく池の底まで潜ってそのまま引き返す事になっていただろうね」


 かなり酷い条件設定に、深く深くため息をつく宏と春菜。わざわざ水着に着替えたことが無駄ではなかったのはいいが、もし調査として普段の装備で水に入って居たら、かなりの無駄足を踏まされていた事になる。


「ここで着替えを許さん理由は?」


「神域の中枢なんだから、その程度の防衛システムはあるって事。因みに、堂々と着替えた場合、一部例外を除いて、着てるものが完全に破損してたから」


「で、そこまでして、資格のない連中をこの島に閉じ込めたい理由は何なん?」


「そりゃあもう、ここがレーフィア様の神域だからに決まってるじゃないか。ここには貴重なものがたくさんあるんだから、海と本当の意味での共存ができない連中に解放するなんてとんでもない」


「明らかに動物とかの痕跡があったっちゅうのに、島にこれといって動物らしい気配がなかったんはなんで?」


「君達は新しい神と、半ば神になっている人間だからね。ルールを適用すべきかどうかが分からないからとりあえず暫定的に閉じ込めはしていたけど、わざわざ他の連中のように排除のために動物達にちょっかいを出させるのは、リスクが大きすぎて避けるべきだと判断したんだ」


 またしても神だのなんだのと人間扱いしてもらえない状況に直面し、先ほどとは違う種類のため息を深く深く吐き出す宏と春菜。正直、自分達としては、飛ばされてきた時と何が変わったとも思えないのに、神とか眷族とかそっち方面の連中は口をそろえてそういう扱いをしてくる。


 そろそろ、誰かに人間として扱ってほしいものだ。


「で、僕らはもう出れるん?」


「ああ。空からでも海からでも、ご自由に。ただ、島の特性上、神以外で転移できるのはアルフェミナ様の眷族か巫女、あとは何故かやたら強力な転移能力を持ってるアランウェン様の眷族ぐらいだけどね」


「その話聞いてると、僕まだまだ人間やん」


「今はできないってだけで、そのうちできるようになるよ。神域の守護者として保証する」


「保証されても困んで」


 どこまでも人間扱いしてもらえない事に、いろいろがっくりくる宏。


 厳密に言うと、まだ宏は条件を満たしただけの人と神の間をふらふらしている存在で、春菜に至っては王手はかけていてもまだ詰みまでには何手かかかるといったところなので、本当ならここまで人間扱いされないいわれは無い。無いのだが、残念ながら春菜はともかく宏は完全に時間の問題なので、眷族だのなんだのからすれば同じようなものである。


「あとね、今なら転移陣さえ用意すれば、そこがダンジョンの中だろうが完全に閉鎖された神域だろうが、簡単に脱出できるはずだよ。新神様は、そういう権能を持っているし」


「……せやなあ。確かにできそうや」


 言われて陣を張れそうかどうか手持ちの材料で確認して、本当に問題ない事に気がつく宏。クレストケイブの鉱山ダンジョンの時に、ダンジョンの中に転移陣を張ろうとしてもできなかったため、ほぼ同じ仕様である神域の類も不可能だと思い込んでいたのだ。


 ついでにいえば、今までは転移陣を設置する場合、オルテム村の時のように全く新しく設置する場合はもちろんの事、ルーフェウスの工房などで行ったように既存の転移陣に新たな行き先を追加する場合でも、いちいち転送石などで移動して双方の陣に直接手を入れる必要があった。


 なのに今では、宏が自分で設置したものに行き先を追加する場合限定ではあるが、新しい方の陣だけを触れば普通に転移陣として機能させる事ができるようになっている。


「おかしいなあ」


「何が?」


「ウルスに戻らんでも、陣の接続ができそうやねん」


「えっ?」


「大霊窟ん時にはできんかったんやけど、何でやろうな……」


 色々と厄介な感じがする宏のカミングアウトに、なんとなく渋い顔をしてしまう春菜。宏がどうなろうと付き合い方を変えるつもりはないが、それとは別問題で本人が嫌がっている方向に一直線に進んでいる感じなのは、正直ありがたくないことこの上ない。


「まあ、転移陣張れるんやったら、転移陣でウルスに戻ればええとして、ここに張ってもなあ……」


「大丈夫。ここから地上まで、わざわざ池を通らなくても簡単に行き来できるから」


 宏の懸念を察してか、半魚人が神殿の中に案内する。そこには転移陣らしきものが。


「ここを通れば、島の中心からちょっと外れたあたりに隠してある作業小屋に行けるんだ」


「作業小屋? そんなもんあったん?」


「池から南東に三百メートルぐらいの所にね。君達は北の作業道から入ってきたから、多分分からなかったと思うよ」


「また手の込んだ真似しとんなあ……」


 神域を守るためとはいえ、管理の仕方にまでひたすら手の込んだ真似をしている事に思わず呆れる宏。確かにここには貴重なものが生えているのだろうが、どうせ帰れないであろうたまたま流れ着いた人間から隠すだけなら、ここまでする必要がないのは間違いない。


「まあ、そういう事やったら、ありがたくここ使わせてもらうわ」


「どうぞどうぞ。あ、あと、今回の件について、我々レーフィア様の眷族からのお詫びの品を持ってくるよ」


「お詫び?」


「うん。この島に流れ着く発端となったレーフィア様の巫女の粗相と、この島に二日も三日も閉じ込めちゃったお詫び。巫女の粗相については、またレーフィア様自身が挨拶に行くって言ってたから。本当は今ここに顔出して土下座するつもりだったらしいんだけど、まだ巫女が捕まってなくて来れないそうでね。申し訳ないけどそういう事で」


 そう言って神殿の奥に行った半魚人が持ってきたのは……。


「もしかしてこれ!」


「小豆やん!!」


「新神様の出身世界にある物とはちょっと違うけど、食材としては同じだから」


「ちょっとちゃう、っちゅうんは?」


「これね、ある種のスライムのコアなんだ。何故か栽培できるけど」


 半魚人の言葉に、思わず絶句する宏と春菜。小豆が出てきた事とその衝撃の正体で、レーフィアの巫女の粗相という言葉が完全に吹っ飛ぶ。


「栽培する場合は、基本的に土に埋めて水あげるだけで大抵育つから」


「色々と衝撃的な食材は見てきたけど、今回が一番衝撃だったよ」


「あ、注意事項が一つ。栽培したら豆の莢からスライムがぼとぼと落ちるから、それ仕留めて回収してね。一匹で十粒ぐらい取れるから」


「やっぱりモンスター系の作物なんだ……」


 注意事項を聞き、どこか遠い目をする春菜。栽培した際の収穫作業の面倒くささに、今からうんざりしそうである。


「スライムの状態で放置しとったら、どないなるん?」


「分裂で勝手に増えたはず」


「ほんま、とことん正体不明の生態しとんなあ……」


「ただ、そのスライムが何かの形で死んでコアだけになっても、そう簡単に植物としては育たなかったと思う。まあ、住んでるのが基本水の中ってのも理由だろうけど」


 更に半魚人からこまごまと小豆の生態を教わり、ついでに神の冠詞がつくスパイス類も各種数十キロずつ譲り受けて、転移陣を設置してさっさとウルスに戻る宏と春菜。


「……なんか、色々あったけど最後の小豆で全部吹っ飛んだ気ぃせえへん?」


「そうだね。まあ、無事合流できそうだから、それで良しとしようよ」


 慣れ親しんだ工房に戻ってきた所で気が抜けて、思わずそんな言葉が漏れる。


「あら、親方、春菜さん。もう、ファルダニアに到着なさったのですか? それに、その姿は……」


「あ、違うの。ちょっとトラブルがあって、私と宏君だけ一旦こっちに戻ってきたの。水着なのは、そのトラブルの関係。急いで達也さん達と合流しなきゃいけないから、すぐにここを出るよ。ファムちゃん達にはあいさつしないけど、みんなによろしく伝えておいて」


「慌ただしいて悪いんやけど、後頼むわ」


「そうですか、お気をつけて」


 転移室から出てきた所でレラとばったり遭遇し、状況を軽く説明してそのまま工房を出る宏と春菜。これ以上知り合いとあって時間を食うとまずい、とばかりに転移魔法で東門外の草原、それも時間帯的に絶対人がいない場所に移動、さっさと神の船を取り出して空の旅に入る。


 余談ながら、結局水着は、神の船の中で着替えた。転移室の中では着替えなどできず、工房の自室に移動するとテレスやノーラに遭遇する可能性があり、そうなるとちゃんと説明しないと話に尾ひれはひれがついて広まりそうなので、面倒を避けたのだ。


 レラはそのあたりに対して妙な勘繰りをせず、また服装などの余計な情報をわざわざ口にはしないので、こういうときは色々ありがたい。事実、今回も宏と春菜がちょっとしたトラブルで一旦戻ってきた事は伝えても、その時の様子や服装などは口にしておらず、ファム達も余計な勘繰りはしていない。


「カレー粉と小豆関係、どっちから先手ぇ出す?」


「まずは晩御飯にカレー粉かな? でも、おやつにイチゴ大福とかも捨てがたいんだよね……」


 三十分ほどの空の旅の間、そんな相談をする二人。結局、小豆の発見でたまりにたまっていた餡子への欲求が爆発寸前である事を自覚し、大福に羊羹、ぜんざいといった和菓子作りを優先する事に。合流までの間ちょっといじっておこうと台所に入った春菜が、この小豆も神の冠詞を持つ食材である事に気がつくのだが、ここではとりあえず置いておく。


「ヒロ、春菜!」


「師匠、春姉!」


「良かった! 無事に出てこれたのね!」


「心配掛けてごめんね。色々あったけど、ちゃんと無事に脱出できたよ」


「ただ、その色々の大半は、最後に神域の守護者から貰うた小豆とその生態で吹っ飛んでもうた感じやけどな」


「ヒロシ様とハルナ様がご無事なら、細かい事はこの際どうでもいいです」


 一通り再会を喜び、


「池から上がって着替えようとしたら、どうやってもお互いの着替えシーンを観察する羽目になったのは参ったよね」


「結局、ウルスでて神の船乗るまで水着やったしなあ」


「何よそれ……」


 池に潜ってからの話で呆れたり渋い顔をしたりと忙しい一行。


「で、船の様子はどないなん?」


「ちょっとした破損程度なんだが、修理に使う材料がなくてな。お前達が無事戻って来てくれたのに悪いんだが、もうちょっと出発までにはかかりそうなんだ」


「さよか。ほな、明日にでもちょっと確認するわ」


「おう、頼む」


 互いの現状報告を終え、翌日からの行動を決めて眠りにつく宏達。結局宏が船の修理を始めるより早くプレセアがよこした迎えが到着し、この後はファルダニアまでは特に大きな問題も無く到着できるのであった。

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