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恋の相手は王子様(あなた)じゃ困る!

作者:山野ねこ
(うそ、うそ、うそ、うそ、うそーーっ!)

 黒に銀糸を縫い込んだだけの、質素な仮面(マスク)。その下から現れた素顔を見て、レリアは心の中で絶叫した。

(うそ、うそ、うそよ! こんなはずじゃなかったのに!)

 混乱するレリアに、目の前の青年がほほえみかける。太陽のようにまぶしい金髪に、夜空の星のように輝く瞳。百人の娘が百人、こんな人と恋をしたいと夢見るような、整った容姿を持った青年。
 だというのに、レリアの足は彼を避けるように後ずさりした。
 未だ仮面をつけたままの招待客たちは、ただならぬ様子の二人を囲むように、息を詰めている。

「どうされました、レリア姫?」

 青年がにこやかに一歩踏み出す。彼女はすかさずもう一歩下がって彼をかわした。娘の非礼に慌てるように、グランツ王が玉座から立ち上がり、何事か言いかける。しかし、それを遮って青年はうそぶくように言った。

「姫、何かご不満なことでも?」
「え、ええ、不満よ。不満に決まってるでしょう!」

 レリアは覚悟を決めて顔を上げると、青年に人差し指を突きつけた。

「だって、恋の相手は王子様(あなた)じゃ困るんだから!」

         ☆

 ――グランツ王国第三王女・レリア姫が青年に人差し指を突きつけた、その瞬間から時計を巻き戻すこと数時間。

 グランツ王国の王城内、豪華絢爛なる大広間で開かれた仮面舞踏会は、多くの貴族たちで賑わっていた。
 今宵は身分の上下のない無礼講。真夜中十二時の鐘が鳴るまで、仮面にその素性を隠した、ひとときの戯れ。この盛大な宴は、来年、建国二百年を迎える王国の前祝いという触れ込みであった――少なくとも、表向きは。
 けれど、主催の国王を初めとして、その臣下たちは、事の経緯を余すことなく知っている。だからこそ、彼らは口を開いたかと思えばため息ばかりついているのだ。
 無論、彼らとて知らずにいられるものならば知りたくはなかっただろう。国王の誕生祭よりも盛大に開かれたこの宴が、レリア姫のわがままを実現したものだということを。

『お父様! あたし、恋がしたいの!』

 王国の税制改革案並びに本国の食料備蓄割合について――厳粛かつ真面目な議題の出された王の会議室。そこに飛び込んだレリアの、これが第一声であった。

『姫さま、ただいまお父上は会議中で――』

 慌てて彼女を止めようとした大臣の老体を思い切りはね飛ばして、レリアはグランツ王の前に駆け込んだ。そして、何事かと言いかけたグランツ王の口を塞いだ。

『いいえ、お父様。あたしの話を聞くまで、何にもおっしゃらないで。だって、あたしなりによく考えた結果なのよ。だから、もし話を聞いていただけないなら、大変なことをしでかすつもりよ』
『……大変なこと、とは何だね、レリア?』
『それは――……それはまた、これから考えるつもりだけど』

 娘の台詞にグランツ王は頭を抱え、皆に出て行くように合図した。ガタガタと椅子が引かれ、大臣たちが――もちろん、姫にはね飛ばされた老臣も――大人しく会議室を出て行く。
 なぜなら常日頃の事例から、彼らはよくわかっていた。王がこの末娘に甘いことも、それからこの場から彼女を追い出すことが不可能なことも。
 とにかく、何事においても彼女は一途で衝動的なのだ。大体、「よく考えた結果」なら、重要な会議中に飛び込んでくるようなこともないだろうし、しでかすつもりの「大変なこと」を話を断られてから考えようとすることもないだろう。
 しかし、大臣たちが反論もせずに素直に会議室を明け渡したのには、もう一つの理由があった。
 それはいよいよ来年の春に迫った、王女の結婚だった。嫁ぎ先は海を越えた()つ国、エルガ公国。その第四王子シリルが相手である。
 もちろん、それは双方の国にとって利益になる婚儀である。けれど、その利益はそのまま当の本人であるレリアには当てはまらない。
 王女とはいえ、やっと十五になったばかりの少女が、一度も会ったことのない王子の元へと嫁ぐのだ。その胸中に不安がないはずはない。
 それでも、レリアは王家に生まれた娘だった。幼いころから婚約者の存在は知っているし、年上の姉たちがそれぞれ慣れぬ土地に嫁いでいったのを見送っている。彼女にもそれなりの覚悟はあった。けれど、どうしても一つだけ、レリアには譲れないことがあったのだ。それが――。

『お父様、あたし、恋がしたいの』

 レリアは、父王に訴えた。

『一晩だけでいいのよ。お父様がお決めになった婚約者じゃなく、あたしが選んだ人と』

 国王は目を剥いた。

『いっ、一夜限りの恋だと?! 結婚前の娘がそんなふしだらなことが許せると思うのか!』
『まあ、お父様ったら不潔だわ!』

 しかし、レリアは顔を赤くして悲鳴を上げた。まだ少々幼いところのある彼女が意味したのは、国王の考えるような「ふしだら」なことではなく、ただ純粋なる恋愛のことだったのだ。

『あたしは恋がしたいって言ってるのよ! 二人だけに通じる秘密のサインを交わしたり、夜会を抜け出して夜の庭園をお散歩したり……』
『そ、そうか。それなら……』

 国王はほっと胸をなで下ろし――果たして安堵すべきなのかどうか自問する。しかし、その様子を承諾と受け取ったレリアは父王の首に腕を回し、にっこり笑ってこう言ったのだった。

『じゃ、決まりね。どんな宴にするか、一生懸命考えなくっちゃ』

          ☆

「それでは皆様、真夜中の十二時まで、仮面舞踏会をお楽しみ下さいませ」

 白髭の大臣がため息交じりに挨拶をすると、それを合図に楽団はアップテンポな演奏を開始した。同時に、広間はざわめきに包まれ、あちこちに華やかなドレスの花が咲く。
 一夜の恋の相手を探すためにレリアが思いついたのは、参加者全員が素性を隠すための仮面をつけた、仮面舞踏会だった。

(だって、これならあたしが王女だってことも、バレっこないものね)

 レリアは仮面の下でにこりと笑った。
 王女という肩書きは、恋において邪魔なだけだ。今夜のレリアは、名もなき少女。政略結婚などではない、淡い恋を楽しむのだ。彼女はドレスをつまんで、人波を縫うように歩いた。
 王女として、舞踏会には何度も出席したことはあったが、こんなふうに人々に紛れるのは初めての経験だった。物珍しげにキョロキョロしながら顔を上げると、大広間を見渡すことのできる玉座で浮かない顔をしたグランツ国王が目に入った。いつのならば、その隣にレリアも座っている高台だ。
 そこでは外国の大使や来賓からダンスの誘いを受けることはあっても、年の近い若者からの誘いを受けることはほとんどなかった。

(あんなところにいたんじゃ、それも当然ね)

 広間からは、天上のように高い場所にいる父王を見上げて、レリアは肩をすくめる。と、そのとき突然耳に飛び込んできた会話に、彼女はどきりとして振り向いた。

「おい、今夜はこの中にレリア姫がいらっしゃるんだろ?」
「らしいな」
「らしいな、って……お前、姫様と踊る大チャンスだぞ。うまくいけば、王家に婿入りできるってもんだ」

 すでに酒が入っているのか、赤ら顔の若者が大声で笑う。その隣で友人らしき男が呆れたように答える。

「レリア様はご結婚が決まってるだろ? それに、もしいらっしゃったって、お前みたいに酒臭い男を相手にしてくれるわけがないだろ」
「いや、仮面をしても俺の男っぷりは隠せないさ。なあ、そこのお嬢ちゃん。さっきからこっちを見つめてるけど、そんなに俺が気に入ったかい?」
「あ、あたし?」

 声をかけられてレリアは驚いた。けれどそこは取り澄まして答える。

「悪いけど、あたしはあなたを見つめてなんかいないし、レリア姫もあなたのような酔っ払いは嫌いだと思うわ」
「ははっ、こりゃ辛辣だ」

 レリアの答えに、周りからどっと笑いが起こる。彼女も笑いながらその場を離れた。何だかとても爽快な気分だった。顔の半分を隠しただけで、誰もレリアが王女だと気づく者はいない。
 それはきっと地味なドレスに、シンプルな仮面をつけるという作戦も功を奏しているのだろう。

(他の人たちはここぞとばかりに着飾っているものね)

 考えてみれば、素性を隠すことのできる仮面舞踏会は、女性たちにとって少しでも身分の高い殿方と出会うチャンスであるに違いない。何とかその幸運をつかもうと必死な者もいるだろう。

(もちろん、身分が高ければいいってものじゃないことは、あたしが一番よく知ってるんだけど)

 レリアは小さく肩をすくめた。
 彼女の婚約者は、いわずもがな、身分だけを考えれば申し分ない男性だ。なんたって、夫となるその人――シリル・フランソワ・ド・ジャルジェは、エルガ王の四番目の息子であり、誰もが結婚相手にと望む王子様なのだ。

(でも、あんなやつ……)

 レリアは思い浮かべた王子の姿に、べーと舌を出した。エルガ王国は遠く、彼女はまだ王子に直接会ったことはない。けれど、それぞれの父王が二人の婚約を取り決めた年から毎年、レリアの元にはシリルの肖像画が届くようになっていた。だから、彼女は王子の顔をよく知っているのだ。
 黄金の髪に輝く瞳。その容姿は男性でありながら「美しい」という形容がぴったりで、口元には優しそうな微笑みが浮かんでいる。しかし、それでいて彼は男性らしく、広い肩幅にたくましい体つきをしているのだから文句のつけようもない。
 こんな素敵な人と結婚できるなんて――初め、彼女は嬉しさでくるくると部屋を踊り回った。そして、物言わぬ肖像画相手におしゃべりをした。
 エルガ王国は一体どんなところなのか、どんな暮らしが待っているのか、おいしいお菓子なんかはあるんだろうか、そのお菓子に合うおいしいお茶は? それから――彼はグランツ王国のおてんば王女を、生涯、愛してくれるつもりはあるのか、なんてことも。
 けれど、肖像画は彼女の問いに答えてはくれない。レリアは王子に向けて手紙を書くことにした。
 しかし待てど暮らせど、その返事はなかった。半年後、やっと使者が帰ってきたが、彼が持って来たのは返事ではなく、王子が姫の肖像画を欲しがっているとの伝言と、新しい一枚の絵だった。それも以前とは違うポーズで描かれた王子の肖像画だ。

(なっ……手紙の返事もせずに、また自分の肖像画を送ってくるなんて、どういうことなの?!)

 レリアはむっとして――そのまま絵師に自らの肖像画を描かせた。それは彼女なりに発した王子への怒りのメッセージだった。
 しかし気を利かせた絵師のせいで、できあがった絵の中の彼女は、にっこりと微笑んだものに変わっていた。
 それを見て、レリアは急に悲しくなった。もし王子と結婚したら、どんなに怒っていてもどんなに悲しくても、彼女はこの絵のように常に笑っていなければいけないような気がしたのだ。

(でも、それが結婚ってものなのかしら……)

 初めから二人の意志のない結婚だ。それも仕方ないのかもしれない――そう思って落ち込むレリアに追い打ちをかけるように、社交界の噂が流れてきた。それも、年頃になったシリル王子が、どんなに遊び人かというものばかりが。
 これにはレリアも落ち込みを通り越して腹を立てた。

(いくら国のための結婚とはいえ、この人は誠実さの欠片もないのね!)

 そうして肖像画を見ると、王子の理想的に見えた微笑みはいかにも軽薄そうで、レリアへの優しさなど髪の毛の先ほども持ち合わせていないように見えた。

(手紙の返事もくれずに、自分の肖像画ばっかり送ってきて! きっと、とんでもないナルシストに違いないわ!)

 遊び人のナルシスト王子。レリアはそう結論づけて――以来、一度でいいから本当の恋に落ちてみたい、と切実に願うようになったのだった。

         ☆

「お、お嬢さん、ぼ、ぼくと一曲踊って下さいませんか」

 手持ちぶさたに見えたのだろうか、そのときレリアにおずおずとダンスが申し込まれた。

「あたしですか? あたしでよかったら――」
(あんな嫌なやつのことは忘れて、今夜はとにかく恋の相手を探さなくっちゃ)

 レリアは精一杯の笑顔を浮かべて、声のほうを振り向いた。そこに立っていたのは侍女の使うほうきにしか見えない貧相な男であったが――そんな失礼なことを思っちゃいけないわ、と彼女は自制する。

(恋は姿形で決めるものじゃないわよね)

「ほ、本当ですか!」

 レリアの承諾に、ほうき男は床から十センチも飛び上がった。

「ぼ、ぼく、ダンスはいつも断られてばっかりで……だってぼくってたいていのレディよりも細身でしょう? だから、レディのほうがたくましく見えちゃって、それで遠慮されちゃうんです」
「そ、そうですか……」

(たしかにあたしよりも細そうだけど、それって初対面のレディに言うことなの?!)

「でもよかった、あなたはそういうことを気にしないタイプの方なんですね。あっ、でも」
「はい?」
「でも、ドレスはもう少し綺麗な色になさったほうがいいと思いますよ。ほら、こうして二人でいても、ぼくのほうがどうしても目立っちゃって申し訳ないから」
「は、はあ……」
「それでもいいなら、ぼくが踊ってあげてもいいですけど……」

 ほうき男が仮面の下から上目遣いでレリアを見る。

(えええ? ダンスを申し込んできたのはそっちじゃないの?!)

 気がつくと、ほうき男がレリアの手を取っている。慌ててふりほどこうとするが、がっちりと接着剤で固められたようで動かない。

(いやっ、こういうときってどうすればいいの!)

 混乱したレリアが、そのままダンスフロアに引きずられそうになったときだった。痛いほど握りしめられていた手がぱっと離れ、反動でほうき男がドスンと尻餅をついた。同時にバランスを失ってよろめいたレリアを力強い腕が抱きとめる。

「大丈夫ですか、名も知らないお嬢さん」

 見上げると、黒に金の刺繍を入れただけの質素な仮面をつけた男が彼女を見下ろしている。大丈夫です、突然の出来事にレリアは口をぱくぱくさせ、胸を押さえた。

「なっ、何をするんだ!」

 立ち上がったほうき男が、顔を真っ赤にして騒ぎ立てた。

「ぼくはその子とダンスを踊るんだぞ!」
「そうですか? 俺の目には、お嬢さんが嫌がっているように見えたんだが」

 レリアをかばうようにさりげなく、男が前に進み出る。

「な、なんだと! 嫌がってるはずないだろう! それはぼくのカノジョなんだからな!」

 ほうき男の言葉に、男はレリアを振り向いた。

「事実ですか?」
「……いいえ。あの、ダンスのお誘いは受けましたけど」

 カノジョ、とやらになったつもりはない。レリアはぶんぶんと首を振る。

「だそうだ」

 男は肩をすくめる。事の成り行きを見ていた人々が失笑を漏らす。と、次の瞬間、何を思ったかほうき男は助走をつけて男に殴りかかった。

「このやろう!」

(こんなところでケンカなんて!)

 レリアは思わず顔を覆った。ドスン、再び鈍い音。しかし、それ以上音は続かず、目を開けた彼女が見たのは一発でのされたほうき男の姿だった。

「そんなほうきみたいな体格で、俺に勝てると思ったのか?」

 呆れたように男が言い――レリアは思わず吹き出した。

(やっぱりあの人、どこかほうきに似てるわよね)

 そうするうちに、騒ぎを聞きつけた警備兵が人混みをかき分けてやって来る。

「まずいな、逃げよう」

 男はそう言うと、自然にレリアの手を取った。

「え、逃げるって……」

 レリアは言いかけたが、思い直して口を閉じ、手を引かれるままにその場から駆け出した。繋いだ手が痺れるように熱いのも、胸の鼓動がやけに大きく聞こえるのも、きっと恋に落ちたせいだと気づいたからだった。

          ☆

 星々のきらめく夜の庭園は、隣を歩く名も知らぬ男に心臓の音が聞こえてしまいそうなほど静かで、レリアは柄にもなくどきまぎしたまま黙って歩いた。
 そのタイミングを失ったままなのか、それとも意識的にか、男は彼女の手を握ったまま離してくれない。呼吸を潜めて、ちらりと彼を盗み見ると、ちょうど彼女の方を向いた男と目が合った。男は彼女を見つめたまま、口を開いた。

「今夜の宴には、王女様が参加しているって聞いたんだけど」
「そ、そうなんですか? あたし、そういうことは疎くって」

 核心を突いた質問に、どきりと胸が鳴る。

「……もしかして、王女様に会いにいらしたんですか?」
「いや」

 しかし、男は軽く否定した。

「俺はあなたに会いに来たんだ」
「あっ、あなたって、あたし? でも、でもっ、仮面で誰だかわからないのに」
「そう? 俺にはすぐにわかったけど。あなたが俺の探してた人だって」
「そ、そんな……」

 耳まで赤く染めてレリアは口ごもった。

(どうしよう、自分が自分じゃないみたい)

 やれおてんば王女だ、わがまま姫だ、とそう嘆かれていたというのに、いまは世界中の誰よりも自分が女の子らしいような気持ちがする。これが恋というものだったら、それを知らなかったいままでの自分は本当の自分ではなかったのではないか、そんな気すらしてくる。
 レリアはぼうっとして男に見とれた。すると、何を勘違いしたのか、男は仮面に手をやり、苦笑した。

「粗末なものしか用意できなかったんだが」
「ちっ違います! あの、その、仮面は素敵ですわ。それから、その金髪も」

 ほのかなランプの光に映し出された、太陽のような色をした髪。美しい髪だ。

「ええ、いままで見た中で一番綺麗な……シリル王子なんかよりよっぽど綺麗な――」
「シリル王子?」

 男が怪訝そうに問い返す。レリアははっと口を閉じた。

(どうしてこんな時にあいつの名前が出てくるのよ!)

 きっとあの忌々しい肖像画が日常的に目に入るせいだろう。自分の頬をひっぱたきたくなる衝動を抑えて、レリアは言葉を探した。

「えっと、その、ええ、シリル王子ですわ。エルガ王国の……きっと有名人だから知っていらっしゃるでしょ? ちょっと容姿が綺麗だからって、それを鼻にかけて王国中の女性に手を出してるって噂の方ですわ」
「国中の? そりゃすごい」

 彼を知らないのか、男は素直に驚いたようだった。それから冗談交じりに言う。

「では、その王子より綺麗な髪だと褒められるのは、光栄だってことだ」
「そ、そうなの。……じゃなくて、いいえ、あたしはあなたのほうがすべてにおいて王子に勝ってると思うわ」
「それは嬉しいが……しかし、あなたは彼をよほど嫌ってるようだ。何か理由でも?」
「り、理由?」

 王子の話題を掘り下げられて、レリアは困惑した。恋に落ちた人と夜の庭園を歩いている、という夢にまで見た場面だというのに、どうしてあの嫌な王子の話をしなければならないのか。時間が経つのは早い。このままではすぐに真夜中の鐘が鳴り、一夜の恋は泡となって消えてしまう。

「だから……王子はどんな美人でもよりどりみどりの遊び人だし、それに手紙に肖像画で返してくるような、とんでもないナルシストだし」
「手紙? それも噂で?」

 不思議そうに聞かれ、レリアは焦った。いくら貴族の女性でも、王子に手紙を書くなんて事はできない。

「ええ、何だかそんな噂を聞いて……手紙を返さないなんて不誠実にもほどがありますわ」
「けど、王子は女性たちの憧れの的?」
「そうよ。しかもあんなに素敵な人だもの。誰だって……」

 言いながら、レリアはシリル王子が婚約者だと告げられたときの高揚を思い出した。あのとき、彼女はあまりの幸せに舞い上がり――それから落ち込んだのだ。そして、その胸の穴を埋めるように恋を願ったのだ。

(あたしが王女で、あいつの本性を知ってるんだって言えたら楽なんだけど……)

 王子の話題から離れない男に、レリアは焦ったが、しかしそんなことは口が裂けても言えるはずがない。そうしているうちに、大広間から最後のダンス曲が流れ始めた。もうじき真夜中だ。恋の時間が終わってしまう。

「お願い、何でもいいから、とにかくあたしと最後のダンスを踊ってちょうだい」

 レリアは男の返事も聞かずに、大広間へ戻った。まばゆいばかりの光の中で、彼と向き合う。しかし、そうして見上げた彼は、何だかシリル王子に似ているような気がした。

(いいえ、違うわ。これはきっと――)

 緩やかなリズムに体をゆだねながら、レリアは思った。彼はたしかに王子と同じ金髪にたくましい体つきをしているが、それは彼女が彼に王子を重ねているだけなのだ。遊び人でもなく、ナルシストでもなく、彼女に好意を向けてくれる仮面の男が結婚相手であったら良かったのに、と。
 曲が静かに終わっていく。名残惜しむようにレリアを引き寄せた男が、ふと耳許につぶやいた。

「あなたは王子のことを――」

(王子を……なに?)

 聞き返そうとしたとき、男が仮面に手をやった。そして、止める暇もなく素顔を人々の前に晒した――。

         ☆

 レリアはその素顔を愕然として見つめた。仮面を外したその人は、間違いようもないエルガ王国の婚約者、あの肖像画のシリル王子だったのだ。
 人々がどよめく中、シリルは何事もなかったかのようにレリアの仮面を取った。そして、彼女を抱き寄せようとする。

「だめよ!」

 レリアは彼を拒絶するように叫んだ。しかし、彼はひるまなかった。

「言っただろ。俺はあなたが好きだ。仮面をつけた何百人から、あなたを見つけられるほどに、毎日あなたが送ってくれた肖像画を眺めて過ごした。俺に微笑んでくれるあなたを」
「嘘!」
「あなたが舞踏会を開くと知って、グランツ王国まで足を運んだんだ。他の男をあなたに近づけるわけにはいかないから」

 真剣な顔でシリルが言う。

「そっ、そんなの関係ないわ! 恋の相手は王子様(あなた)じゃ困るのよ!」

 レリアは呪文のように同じ台詞を繰り返した。そんな彼女に困惑したように、シリルは目を細めた。

「どうして? あなたは今夜俺と恋をした。本来なら許されざるべき恋を、未来の夫としたんだ。安心はしても困ることはないだろう」
「だめよ」

 しかし、レリアは強硬に繰り返した。

「あなたじゃ、だめなのよ」
「だから、なぜ」
「だって」

 衆目を忘れて、レリアは叫んだ。涙を流そうだなんて思ってもいないのに、熱いものが頬を滴った。

「あたしはあなたのことが好きじゃないの! あなたと恋なんてできないの! でも、あたしは王女だから、だから恋なんてできなくてもあなたの妃になるしかないの! だから……!」

 レリアは泣き崩れた。地味な色のドレスが枯れた花のように床に広がった。シリルはその傍らにかがみ込んだ。

「レリア姫。俺が遊び人だというのはただの噂だ。身持ちの堅い美貌の男を、ご婦人方は嫌うものでね。それから……」

 シリルはため息をついて続けた。

「手紙を返さなかったのは悪かった。俺はとんでもない悪筆で……その、失望されたくなかったんだ」
「そっその代わりに、肖像画を送ってくるなんて、ナルッ、ナルシストじゃない!」

 レリアがしゃくり上げる。シリルは眉間にしわを寄せた。

「それは……まあ、否定できないところではある」
「やっぱりっ! だから、あたしはあなたが嫌いなの! 大っ嫌いなの!」
「それは違うね」

 すると、シリルは初めて強引に彼女の顎を引き上げた。仮面で隠されていた美貌がレリアを正面から見つめた。

「俺の噂がどうであれ、あなたが恋に執着するのは、誰かに望まれたいからだ。こんな色気のない政略結婚ではなく、乞われて妃になりたいからだ」
「そうよ、当たり前じゃない!」

 恥も外聞も忘れて、レリアは泣き濡れた。
 一目見たときから、シリルのことが好きだった。けれど王子は軽薄で、浮き名はグランツ王国まで流れてきた。そんな人を夫としても、愛のある結婚生活は決して送ることができないだろう。彼女は愛を知らぬまま、みじめな一生を終えるのだ。

「だってそんなの嫌だもの! そんなの、絶対に嫌なんだもの……!」

 再びわんわんと声を上げて泣き出したレリアを、シリルはいとおしそうに目を細め、それからそっとその泣き顔を覗き込んだ。

「……おてんばそうに見えて、案外まじめなんだな。どうして俺に一度も会いもせずに、そこまで思い詰めることができるんだ」

 一瞬、あたたかなくちびるがレリアの頬に触れた。それから息が苦しいほど強く抱きしめられる。

「俺も見た目よりも一途なんだってことを、これから時間をかけて教えてやるよ」

 熱い吐息が耳にかかった。同時に、十二時を告げる鐘が大広間に響き渡った。

【完】

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