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天文24年春 4


良之が次々と新製品を開発している調理パン分野は、その普及がめざましい。

特に、この頃では富山の岩瀬港に直接入港する南蛮商人たちにも大好評で、このことが堅調な小麦輸入を下支えしてくれている。

彼らは、良之が提供する各種西洋食――といっても明らかに中世期を逸脱した美食だが――の虜になり、すでにその美味は、インドのゴアにまで鳴り響いている。


二条領は魚もうまい。

すでに、良之は刺身のみならず江戸前寿司も導入している。

江戸前寿司というのは、しゃりにまぶす酢に、意外に多量の砂糖が必要とされる。

この時代の砂糖は高額な輸入品なのだが、慢性的な輸出超過になっている二条領にとって、なんということはない出費なのである。

そもそも、良之が<錬金術>で生み出した宝石の数々は、わざと出し惜しみさせて明や南蛮に売られているし、宗教画家たちが金を惜しまずに顔料を欲しがるため、二条領が出す顔料素材は貴重な東洋からの舶来ものとしてすでに西欧各地で有名になってしまっている。


その上、近頃良之は戦略的に全国に硝石を売り出している。

このことは、特に南蛮商人に対する日本人の奴隷取引を抑止させるための政策として行った。

九州各地の大名や豪族が、住民を対価に火薬を欲しがろうというのなら、その住民は二条領でいくらでも買い取ってやろう、ということである。

言うまでもなく良之が、奴隷などという差別を容認するはずがない。

そもそも、二条領においては全ての分野で人手不足なのである。


良之は、南蛮商人が提示する硝石の価格より2割程度安値で常に硝石をダンピングさせている。

二条領においては、液体窒素からアンモニアや硝石を化学合成するプラントが、すでにフリーデたちの努力で完成しているため、良之の錬金術に頼ることなく量産されている。




作物でいうと、南蛮商人たちに持ち込ませた作物の中では、甜菜も失敗の部類に入るだろう。

前期に収穫された甜菜を絞って糖度を測ってみたが、到底砂糖生産事業が興せるほどの品質にはいたっていなかったのである。

とはいえ、怪我の功名といえるかは分からないが、甜菜は家畜の飼料として、葉も茎も根も充分に転用が可能だった。

そこで、良之は連作障害を持つ作物の輪作時の換金作物として甜菜も推奨し、葉や茎は飼料に、根は汁を搾った残渣を加工して、同じく家畜の餌として提供することにした。


また、温暖な尾張での作付けでもはかばかしくなかったサトウキビについては、良之にはひとつプランがあった。

それは台湾島と琉球王国での産業促進である。


琉球王朝はこの時代すでに明国との間で朝貢貿易を開始しているだけの社会性があるが、台湾については、正史においては後に豊臣秀吉が「高山国」として自身への貢ぎ物を要求したものの、実情は国政に至らぬ集落社会であったため、その実現は果たせなかった。

ポルトガルが支配地として占領するのはこの時代からさらに一世紀以上後であり、現状は、現地の人間と倭寇によって割拠されているような状況である。


良之は、この台湾と琉球において、二条の資本を100パーセント投下して、砂糖のプランテーション化を目論んでいる。

日本においては、四国や南九州においてサトウキビによる製糖は江戸時代に成功を収めている。

だが、現状の国内事情では、良之は一切他家に富や技術を渡すつもりがない。

ひとまずは琉球や台湾に現地視察に行きたい所である。良之は倭寇である五峯に書簡を出し、仲介の依頼をすることとした。


砂糖の安定供給は、住民の幸福度に最も大きく寄与すると良之は見ている。

なんとか二条領全土に行き渡らせるだけの味噌やしょうゆは確保しているのだが、しょうゆについては今後の需要増に対応するには基盤が脆弱なため、赤桐に大工場を任せる予定で準備中である。

塩については製塩工場を太平洋側の尾張に建造すべきか検討中である。

だが、砂糖だけは現状、全量を南蛮商人に頼っている。

これは大きなリスクを内包しているように良之には思えて仕方がなかった。




良之にとってもう一つの資源に関する鬱屈は、九州大友家の石炭輸出量が全く良之の要求量に満たないことだった。

おそらく現在の量は、露天掘りで出荷してくる程度の開発量であると容易に想像が付く。

きっちりと鉱山として掘削事業を開始していれば、もっとしっかりした産出量が当然得られてしかるべきである。

なぜなら、三池や筑豊といった、有力鉱山の所在地さえ良之は教えているからである。

高炉の建造を急ぎたい良之は業を煮やしている。

そこで、良之は二条家直轄による炭鉱開発を検討している。


良之には選択肢がふたつある。

大げさに言えば、蝦夷地、つまり北海道はその全島が有力な石炭鉱の宝庫といえる。

それに、貴金属や鉄鉱といった鉱物資源、海産資源、木材資源などの宝庫である。

だが、この段階の二条家であってもなお、蝦夷地の開発は厳しい。

ひとえに冬期の厳寒さ故に、容易に腰を上げられないと良之は思っている。

そうなれば、石炭のもう一つの国内優良鉱である九州を狙う以外にない。

だが、九州は大友が支配している。

となればどうするか。

実は、良之にはしっかりした目算がある。


長崎近辺には小佐々水軍という海賊衆があり、西彼杵半島の西海一帯を縄張りにしている。

その海上拠点の松島の南西に浮かぶのが池島である。

池島。

九州の石炭産出を最後まで支えた海底炭鉱、池島炭鉱の拠点基地があった島である。

海底600メートルの深度まで掘り進められた坑道は、もっとも遠い地点で10km先まで達したという。


良之は、この池島と小母島、大蟇、小蟇島など鉱区にかかる島々を全て、小佐々家から買い取る腹づもりを決め、その折衝を博多の豪商、神屋に依頼することにした。




能登から加賀にかけての一帯が穀倉地帯であることは以前に触れたが、豪雪地帯で冬場の農業が封じられるこの一帯は、出稼ぎによる酒造が古くから盛んであった。

殊に、加賀白山地方の菊酒の歴史は古い。

良之は、秋口頃から加賀の蔵元に資本を投下して、仕込み量を増やさせている。

清酒造りに挑戦するためである。


良之が具体的に指示したのは、いわゆる10石仕込み桶と、その桶を複数置くことが出来る蔵の開発だった。

10石仕込み桶は、良之が介入しなくても30年後には奈良で誕生していたであろう。

奈良は、京の酒造りが麹座と酒造商人が紛争を起こして双方が自滅して以降、日本酒造りにおいてステータスとなった。

良之がかつて京の山科言継にごちそうになった僧坊酒「菩提泉」などはそのトップクラスの銘酒だった。


清酒は鴻池善右衛門によって発明されたという俗説があるが、誤りである。

鴻池が発明したのは、清酒の大量生産法であり、それ以前から濾過のノウハウは確立していた。

ただ、非常に手間のかかるフィルタリングが行われていたために清酒は希少品であった。


清酒生産の工程において、上槽、つまりもろみ酒を布袋に詰めて絞り出し、にごり酒と酒粕に分離する作業がある。

上槽後におり引き、つまり沈殿物と上澄みを分ける作業を経て、濾過が行われる。

この濾過に活性炭を使って浮遊する米の白い微粒子を取り除く手法を導入したのが、鴻池だった。


もちろん良之もまた、この手法を加賀において伝授するつもりである。

また、ガラス職人たちに一升ビンの大量生産を命じている。

そして、山方衆に命じて、この一升瓶が六本納まるケースの量産もはじめさせている。


さらに良之は、酒粕を真空パックに納めた上で、冷蔵倉庫や冷凍庫で保管して商品化することも命じている。

酒粕は、甘酒に使用させたり、魚の粕漬けとして金沢や能登、越中などで高級魚の保存食化に使用させている。

今後は海路、畿内や東海に運び入れ、瀬戸内や太平洋岸の魚にも使わせる予定でいる。


良之が提供した新技術は、発酵菌を加熱殺菌する火入れ設備と、火入れ後の新酒を熟成させる熟成タンクの敷設である。

熟成タンクへの酒の移送はポンプを使用する。

火入れは、温度計の付いた大釜を提供した。


この年の酒造プラントが成功したら、良之は順次、各地の醸造所へ技術を提供する予定でいる。




ところで、越中を支配して以降、ずっと良之が考え続けている冬の味覚がある。

ズワイガニだ。

水深200メートル以上の深海に生息しているため、言うまでもなくこの時代では希少な美味である。

この時代の漁船の能力からすると、網漁はよほど難しかっただろう。

水深200メートルもの地点に碇を沈めて、小さな船で沖合で網をたぐらねばならないためである。

それよりは、カニ籠と呼ばれるカゴ罠に餌を入れて海底に沈ませて、一定時間後に引き上げた方がよほど効率的だったと思われる。

ズワイガニについてはこの時代をさかのぼること40年以上前に、三条西実隆が越前ガニについて日記に記している。

つまり、すでにその味覚は京の公卿さえ知っていたのである。


ズワイガニ自体は、日本海沿岸各地やや太平洋岸でも常陸以北で生息している。

オホーツクやアラスカ沿岸でも豊富に生息する蟹である。

ただし、言うまでもなく乱獲に耐えるほどの繁殖力はないため、日本各地では禁漁期やメスの収穫を禁じる、幼い個体は放流するなど様々な資源保護策を講じている。

冬の入り口から翌春までがシーズンになり、オフシーズンには主にオホーツク産の冷凍物が饗されている。


良之は、新たに放生津に小型漁船用のドライドックを2基作り、沖合底引き漁船の建造をはじめさせた。

深海用の底引きの効率化のため、2隻が協調して底引き網をウィンチで巻き上げられるようにする予定である。


それまではかに籠漁で、上がったカニを身内だけで楽しませてもらう。


鮮度がよければ刺身や寿司、カニシャブなどで食べられるが、日持ちがする素材ではないため、素早く冷凍保存するか茹で上げるしかない。

かつては北洋で盛んに水揚げされたが、冷凍技術が未成熟な時代は、蟹工船と呼ばれる缶詰工場を持つ大型船で、船内でカニ缶詰に加工され、高級食材として珍重されていた。


良之の指示で10杯のズワイガニが富山御所に納められたので、早速良之は側近や奥方たちに、天ぷらやかに玉、茹でがにとして試食させた。

その評価は、改めて言うまでもないだろう。



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