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天文23年夏 1

本庄繁長、加地春綱、新発田長敦、色部勝長らを含む揚北衆の代表者15名とその従者らが、良之の求めに応じて笹岡城にやってきた。

彼らは口々に、良之の所領没収政策を非難した。だが良之は一切言い訳も反論もせず、ただ彼らの独立を認め、二条家や長尾家からの離脱を許した。

「我らにとって、蒲原津は命綱。この津の譲渡を願い上げます」

新発田長敦がおずおずと申し出た。

「それは出来ません。新たな津を皆さんでお作り下さい。蒲原は治水干拓を行う予定なので、お渡しすることはありませんし、その理由もありません」

良之はきっぱり断る。

新発田にとって、物流の重要拠点である蒲原津は最大の戦略目標である。

過去、数えきれぬほどの回数、新発田は蒲原津を目指して侵攻を繰り返している。

以前に良之が岩瀬港を神保に押さえられた際に軍事力を行使したのと同様の感覚を揚北衆が蒲原津に持っている可能性を危惧した良之は、彼らの貿易用のアクセスを許可する提案を行って、双方妥結した。




良之は揚北衆との会合を終えたあと、蒲原平野と湿地帯、そして阿賀野川と信濃川という、日本でも屈指の水量を誇る河川について見分を行った。


この時代の越後の海岸線は巨大な砂丘が平野を流れる全ての河川の出口を塞ぎ、信濃川の河口へと迂回して大きな湿地帯や池を創り出している。

信濃川から東は、遙か荒川に至るまでの全ての河川がこの天然のダムといえる砂丘に河口をせき止められた。

胎内川は砂丘に沿って流れを東に変えて荒川河口に注ぐ。

それより西の河川は全て、紫雲寺潟、福島潟、島見前潟などに注ぎ込んで、大低湿地を構成してしまっている。


悪い事にこうした河川の水が運び込む砂礫が、さらに豊富に砂丘の砂を供給している。

だが、反対に砂丘の内側の低湿地は、日本列島を弓状に押し曲げている太平洋プレートやフィリピン海プレートの圧力によって一万五千年で150メートル以上も海底に沈み込んでいるのである。

良之の知る新潟平野は、江戸期から昭和まで400年以上もの時をかけて、何代もの人々が必死に治水と干拓に取り組んだ姿だった。


また、三条以北の信濃川は猛烈な水量を誇る暴れ川である。

現在の中ノ口川と信濃川に挟まれた地域は、いつ洪水が起きても、そして川の流路が変わってしまってもおかしくないような場所で、到底安心して稲作が出来る土地では無い。

農業を行うのであれば、それこそ毎日神に祈るように暮らして行かざるを得ない土地である。

そしてその祈りは、高頻度で無情にも裏切られる。


こうした状況は、1922年に大河津分水という放水路による信濃川のバイパス工事が成功して改善するまで、当地の庶民たちを苦しめた。

大河津分水は、津波目から寺泊までの間を弓状に開削して建設された。

河口から徒歩で3キロメートルほどまでは、北にある国上山の山脈が行く手を遮り、工事は難航を極めた。


この分水をもし良之が行おうとするなら、技術的な課題がひとつある。

それは、もし信濃川の水流を全量この放水路で海に放つと、今度は逆に下流部の農業に深刻な水不足を招いてしまうという事である。

つまり、可動堰を本流と放水路双方に敷設し、増水時には放水路から排水し、渇水時には放水路を止め本流に流すという工夫が求められる。




視察を終えて柏崎に戻った良之は、体調不良を覚えた。

身体に発疹が出来、足に富士山のように盛り上がった虫さされの傷が出来ている。

そして、脇の下などのリンパ腺に痛みが有り、40度近い熱が出始めている。

まず、千の魔法治療を受けて苦しい症状を緩和させたあと、良之はこの症状をPCで調査した。


「……ツツガムシ病、か」

越後の風土病である。

信濃川以北の河原沿いに東北地方まで見られる感染病で、リケッチア菌を媒介するツツガムシというダニに食われることで発病する。

比較的予後が悪い。

自覚症状が現れてから初期治療までの時間がものを言う。

治療にはテトラサイクリン系の抗生物質が効果的で、日本では塩酸ドキシサイクリンが第一選択薬に選ばれている。


良之は早速ドキシサイクリン(C22H24N2O8)を錬成し、200mg服用する。

また、随行した全員に自覚症状の有無を確認させ、症状のあるものを自身と同様に、千に治療させた。


また、長尾不識庵以下、土地の支配者たち全員に通達をだし、療養所の医師に治療法を伝授したことを伝える。

不識庵たちは、このツツガムシ病――彼らは赤虫と呼んでいた――の事をよく把握していた。


良之は、感染危険性のあるエリアについて野良仕事のあとの入浴、衣服の恒常的な洗濯の推奨、そして、長袖の衣服の着用など、考えられる予防策を徹底させた上で、自覚症状が現れた時には、療養所に患者を搬送することを通達させた。

幸いにも、良之や随行員の罹患者は早期の治療によって事なきを得た。

それにしても、寄生虫害に病的とさえいえるほどの恐怖感を持つ良之がよりによって感染するとは、皮肉な話だった。

だが、ツツガムシ病に対する強力な対応策が早期に確立できたことは、怪我の功名といえるかも知れない。




甲斐の府中、信濃の諏訪、越後の柏崎にそれぞれ1000の常備兵を配置し、加えて、各郡の首邑に300ずつの警察を配して、織田加賀守信長の率いてきた5000の兵を所属地に帰投させる。


ひとまずの所、これまで通りに各領地の代官を従来通りの支配者たちに任せて治安の維持に努めさせる。

また、離農して専従兵になる希望者たちをそれぞれの駐屯地で訓練させ、その後に適材適所で配属をさせるよう指示を出した。


木下藤吉郎には、越後において重大な使命がひとつ加わっている。

コンクリートによる護岸ブロックの量産工場の建設である。

水辺の護岸工事においては、現地に生コンを打つ工法に比べ、堤防や岸壁、河川の堤などにプレキャスト――あらかじめ専用工場で型通りに製造されたコンクリート製の製品を並べることで工事をする方が、環境面のダメージも少なく、工事が天候に左右されないという利点がある。

その上、法面工事が終われば、あとはコンクリートブロックを組み上げるのみで完成するため、圧倒的な工期の短縮が見込める。

信濃川や阿賀野川と言った水量が多く、夏秋の降雨によって毎年のように水害を発生させる河川を御するためには、必要不可欠なノウハウといえる。


「御所様、その、石灰の鉱山にアテはございましょうか?」

藤吉郎が訊ねると、良之は

「うん。前、信濃から越後に抜ける時、姫川沿いを下ったの、覚えてる?」

と言った。

「へぃ」

「あの川の西に、黒姫山という山がある。この黒姫山と、その北西にある権現山の一帯に、良質な石灰鉱床があるはずだよ」


木下藤吉郎は、良之が最初に消石灰生産を始めた時から、この分野を常に一任されてきていた。

平金にはじまり、神岡、岩瀬、そして尼瀬の油井、越中での工事など、良之は原料作りから施工までを全て任せていた。

「藤吉郎、今度の事業にはひとつ条件がある」

「は?」

「今度の親方は一から十まで全部小一郎にやらせて欲しいんだ。もちろん藤吉郎は小一郎が分からない時、困った時には手を貸しても良い。つまり、俺がお前に教えた時と一緒だ。それを今度は小一郎に伝えて欲しい。出来る?」

「……承知いたしました」

藤吉郎には良之の狙いは分からないが、少なくともこれは小一郎にとって大きな機会なのは間違いない。

「あの。このたびの話に当たり、各地からわしの欲しい人足を引き抜いてもよろしゅうございましょうか?」

「もちろんだよ。ただ、引き抜かれては困るって現場の親方に言われるような人材はダメだよ?」

「はい、もうその辺は万事心得てございます」

そうか、相手は木下藤吉郎だった、と良之はうなずいた。

「見込みのある鉱床を見つけたら、山方衆、黒鍬衆、織田殿の軍、全て俺の名前で手配して構わない。石灰工場では丹治善次郎に言っていつも通り発電所を作って。それと、コークスが足りなくなる可能性があるんで、燃料は木材か木炭を使って」

「はっ。どうせ木材の切り出しの事もございます。炭焼き工房も作りましょう」

「うん。あとセメント工場は麓に作ってくれると嬉しいな。じゃあ任せた」

「お任せ下さい」

藤吉郎は、信頼されて任されたことに大喜びで早速あれこれと思いを巡らせるのだった。




旧暦6月下旬に入ると、越後での様々な見分と指示も終わり、良之は富山へと戻った。

御所に戻ると、すでに斉藤道三の娘の美濃殿、そして織田信秀の娘で信長の妹のお市殿が奥に入っていた。

どちらもこの時代では屈指の聡明さを持つ娘たちで、北の方以下、全ての者達と打ち解けていた。

良之はそれぞれと型通りの祝言を挙げ、高炉建設のため藤吉郎配下たちに造成させた海老江の予定地へと向かった。


製鉄業に関しては、広階親方の三男小三太を専任担当に据えているので、良之は海老江に帯同させた。

「やはり、高炉を作るには石炭が足りますまい」

小三太の報告に良之は唸った。

「まあね。それに、鉄鉱石もアテがひとつはずれたんだ」

「新発田の、ですか」

「……電気炉で砂鉄やノロ、それと焼成した鉱石を電気銑鉄にするしかないかな」

アーク炉による銑鉄生産においては、実は石炭はさほど必要としないですむ。

主な用途は還元剤としてのみなので、燃焼のためのコークスは全く不要になるのだ。

また、高炉では使用が出来ないとされる砂鉄についても、電気銑鉄であれば利用可能だ。

砂鉄は、特定産地の高純度なものを除くと、高炉での使用は禁忌とされる。

チタンやアルミ、ケイ素分の多い砂鉄を使用してしまうと、出銑口で不純物が目詰まりを起こすのである。


「ひとまず、砂鉄集めを徹底して殖産しよう。加賀から越後にかけては海岸も川も、本当に砂鉄の宝庫なんだ」

「承知いたしました」

「砂鉄の収集は前にも大規模にやったことあるから、分かるでしょ?」

「はい」

「アーク炉については大丈夫?」

「承知しております。その、黒鉛棒のみは御所様にお作りいただく必要がありますが……」

「了解。じゃあそれ以外の部分は任せる。火力発電が必要になると思うけど……そうだな、砂鉄以外の硫化鉄や酸化鉄の還元用にロータリーキルンを作って、この余熱で発電しようか」

電気炉による銑鉄生産の前段階として、原料をあらかじめ加熱設備などで脱硫・還元などを行う設備、ロータリーキルンを導入することは、効率面から見て重要になる。

ロータリーキルンについては、広階小三太も何度も良之からそのアイデアを見せられているために機構については分かっていた。だが、概念が分かっていても、それが実物としてイメージできるかはまた別の話である。

「……ロータリーキルンは、御所様にお作りいただく以外にございませんが?」

「うん、わかった」


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