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天文23年春 4

天文23年4月20日。

武田家からの先触れを前に、良之は頭を抱えていた。

「武田晴信公、御妹君のお菊御寮人を伴い富山御所へ出立。御寮人を御所様の側室へ」

との伝言が為されたのである。

これに過敏に反応した者達がいる。

「では御所様、我が娘も」

斉藤道三である。

「なれば、我が妹、お市も」

織田信長である。


「三名ともお受けせざるを得ますまい」

相談した隠岐越中守はため息混じりに答えた。

「道三どのの娘さんはともかく、お市殿はまだ7歳でしょ?」

数えで7歳という事は、実年齢は6歳である。

「政略結婚とはそうしたものです」

きっぱりと隠岐に断言され、良之は途方に暮れた。


「それはお受けなさるべきです」

良之は相談を奥の全員に持ちかけた。

北の方であるふ文字殿は即座に返答した。

「武田殿、斉藤殿、織田殿はいずれも日の本に響いた大名のお家。御所様のご威光もさらに高まりましょう」

北の方はそういった。

「あたしも受けるべきだとおもうよ」

越後殿もうなずいた。

「あの、私たちも同意見です」

フリーデが言うと、アイリも同調した。

「世継ぎの問題だけで無く、人質としての面もあるのではありませんか?」

「もちろんさね。でも、主殿の寵を得られれば、それだけお家が安泰だって言う計算もあるね」

越後殿が良之に代わって答えた。

「参ったなあ」

良之は頭を掻いた。

正直なところ、奥に女性が増えるのは、ただでさえもてあまし気味の良之にとっては苦しいのだ。

やさぐれた良之の心を、3人の娘たちの寝顔がいやしてくれる。

「それにしても、たった数ヶ月でこんなに大きくなるんだなあ」

先に生まれた越後殿との長女はお愛。次女のアイリの娘はアリーセ、フリーデの娘はエリーゼと命名されていた。

「……まあ、みんなを飢えさせず食わしていけそうだってのが唯一の救いかなあ?」

「仮に今謀反を起こされて失脚しても、主様が飢えることなどありますまい」

良之のつぶやきを聞いて、背後から越後殿が大笑いをした。




一月頃から、丹治善次郎を選任に良之は電気関連の勉強を続けている。

手持ちの資料や辞書などから電気物理系の知識をかき集め、自身も再勉強中である。

課題は、変電、送電だった。

善次郎は、良之よりよほど柔軟に電気工学を吸収していく。

発電と送電については、すでに良之より多くの知識を持っている。

「しかし御所様。こうして見ますと、やはり鉄柱が作れたところで、運び込み、組み上げる手段がございませんな」

「そうだね。運ぶためのトラック、それが走れる道路。それに、組み上げるためのクレーンなんかがどうしても必要だ。まあ、地中敷設にすればそうした問題は何とかなるにしても、今度は地面を掘る労力と、人が歩けるような地下道が必要になる」

「先行きが果てしなく、気の遠くなるお話ですな」

「うん、おそらくは三代、四代とかけてやっと出来る類いの話だよ。ただ、それを生み出す技術はもう飛騨・越中に作ってるんだから、君たちに頑張ってもらわないと」


善次郎は良之が試作した電流計、電圧計を元に様々な電圧に対応する電圧計を作った上で、変圧器の試作を成功させている。

変圧器は、単純に言うと発電機と同じ思想で作られる。つまり電磁誘導――ファラデーの法則である。

鉄心とよばれる鉄の輪に、一次巻き線と二次巻き線を対面に巻き付ける。

一切の損失を考えず、一次巻き線を100巻き、二次巻き線を10巻きにして100ボルトの電圧を一次側にかければ、取り出せる二次側の電圧は10ボルト、というのが変圧器の原理になる。


「それにしましても、御所様にも苦手とされる分野がおありなのですね」

善次郎は、電気を全く苦手とする良之に改めて驚き、苦笑している。

「こんなことなら俺もしっかり物理をやっておけばよかったとは思うけどね。でも、学生時代に戻っても、やっぱり苦手は苦手のままだと思うよ」

「そのようなものでしょうか」

「うん、それに、どっちにしたって俺1人が何もかもできる訳じゃ無いさ。俺の知識を誰かが吸収して、そして次につなげていってくれないと。俺だって永遠にいきられるわけじゃないんだからね」

「……」

良之の言葉は衝撃だった。

確かに、もし良之がこの世を去ってしまったら、現状ではひどく限られた分野以外の技術は失伝してしまうだろう。

「善次郎も、年内に最低3人は弟子を作って、しっかり育ててくれよ?」

「……心得ました」




前年仕入れたり種を収穫したりした農産物の手配を取ったあと、良之は訪問してきた武田晴信と面会した。

「御所様、お久しゅうございます」

「大膳大夫殿、遠路ようこそ。まずは皆さん、一晩ゆっくり疲れを癒やして下さい」

武田晴信の供は刑部信廉、若年ながら甲斐国郡内の最高実力者である小山田弥三郎。数え年16才。

そして、穴山伊豆守信友である。信友は西八代郡と南巨摩郡の一部――つまり富士川沿いの一帯である河内一帯の支配者で、武田とは何重にも縁を重ねている親類衆筆頭格の家柄である。

富山御所の料理長に納まった智の本気の酒席で甲斐の客人をもてなすが、酒癖が悪いと聞いていた穴山信友もこの日は随分しおらしかったようだ。


翌日。

正式に一同からの会見が申し込まれ、富山御所の謁見室で戦国大名武田晴信からの臣従申し入れが行われた。

「二条中納言様に言上仕る。それがし源朝臣武田大膳大夫晴信。これよりその所領ことごとく中納言様に返納し、以て、麾下にはせ参じとうございます」

「許します。まずは本年は旧来通りの所領で、検地、刀狩りをお願いいたします」

良之も型通り、上座で武田家からの臣従を受け入れる。

「大膳大夫殿。まずは貴殿に甲斐国司、甲斐守に叙任いたします。信濃は小笠原信濃守を国司に充てますが、これは武田家の権威を奪うことではありません。武田家の家臣が立ちゆくために必要な全ての物資、食糧などは二条が責任を持って提供し、希望する者には二条軍への配備を以て所領に替える報奨を支払いましょう」

「ははっ」

「また、庶民のうち、職の無いもの、厄介の身分で飢えているような者達も、越中・飛騨をはじめとした農商工の仕事を用意いたしましょう。そして、甲斐・信濃にて希望する者達は、二条軍にて引き取ります」

「ありがたき幸せ」

ここまでは、儀礼的な台本のある会見である。

「大膳大夫殿、他に何かございますか?」

良之の言葉に大膳大夫は面をあげ、良之をじっと見つめた。

「されば、ふたつお願いの儀がございます」


「まず、こたびの臣従に際し、それがしが妹、菊を同道いたしております。何卒菊を御所様の側に輿入れいたしたく、伏してお願い奉ります」

「承知しました」

おお、と左右に並ぶ50人近い二条家家臣と武田からの家臣たちが声を漏らす。

前日あいさつに同道した武田信廉、小山田弥三郎信有(のぶあり)、穴山信友の他、馬場、内藤、保科、飯富などの重臣衆も安堵の声を漏らした。

「今ひとつは、何卒再び御所様に甲斐へとお運びいただき、甲斐の奇病の治療をお願いいたしとうございます」


「甲斐の奇病?」

良之は首をかしげる。

「はっ。腹っぱり、と申す病にて、これを患いますと疲労、嘔吐、下痢などにてその身は骨と皮にやせ細り、やがては腹が地獄の餓鬼のように大きく膨れ、死に至る病にございます。何卒、御所様が我が母を癒やされた奇跡のような医術にて、この病、癒やしていただきとうぞんじます」

「分かりました。では、大膳大夫殿の帰路に同道し、まずはその病の事を調べましょう」




せっかく甲斐の重臣などもそろっていることも有り、良之は側室に入る菊御寮人のため簡単な祝言を上げ、急いで甲斐に向かった。

そして、年若い菊御寮人とも初夜は行わず、良之は高いびきで翌朝を迎えている。

とにかくこの時代の女性は、ただでさえ栄養の足りない若年齢で婚姻して出産するため、身体へのダメージが大きい。衛生概念も未発達なため、出産前後の感染症による母子の死亡率は強烈に高い。

「まあ子供のことは数えで18過ぎてから考えましょう」

というのが、良之のスタンスである。

とにかく、この間に良之はキャンピングカーのPCで甲斐の奇病について調べた。


文献に腹っぱりがはじめて登場するのは甲陽軍艦らしい。

「小幡豊後守善光寺前にて。土屋惣蔵を。奏者に(たのみ)。御目見え仕。豊後巳の年。霜月より(わつらひ)積聚(しゃくじゅ)脹満(ちょうまん)なれ共。籠輿(かごごし)(のり)。今生の御暇乞(いとまごひ)と申」

と、甲陽軍艦の品五十七「武田一門逆心」の稿に記載が見える。

小幡豊後は猛将小幡虎盛の嫡男で、このわずか3日後に病死している。49才だった。


甲斐において特異に発生する風土病の腹っぱり。

良之が文献にたどり着くのにそう時間はかからなかった。

日本住血吸虫という寄生虫による感染病である。

土地の人間は「地方病」と呼んだがその語の誕生は浅く、明治期以降と思われる。


特効薬はある。

ブラジカンテル(C19H24N2O2)。

六ヶ月投与で、九割という大きな回復率を示す駆虫剤だ。

良之は早速、富山に在住する錬金術師と医師をかり集め、この薬剤を大量に生成させた。




ちなみに、良之らの出発直前に、加賀と飛騨の境の白山が噴火を起こしている。

良之は織田信長に危険地域の住民の保護と全額二条家持ちでの生活援助を命じている。


岩瀬や直江津で必要になる様々な物資を仕入れ、そのまま一行は、長尾家と武田家によるこの出立に際し、産後2-3ヶ月であるアイリとフリーデ、それに千と阿子を同道させることにした。

甲斐の療養所には、医師として小林新三郎の母を赴任させることにした。

彼女と娘もこの一行に加えている。

護衛は滝川越中介、下間加賀介、望月三郎。

そして、製鉄所の整地にかかっていた木下飛騨介を引き抜いて、弟の小一郎に後事を託した。


こうした準備の後に、武田家の一行と共に、良之の主従も海路直江津に向かった。

そして整備されつつある信越間の物流街道を通って甲斐へと向かった。



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