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北陸大乱 5

京から金沢御所に戻って10日後。

良之は主要幹部を一堂に集めた。


「織田上総介殿」

「はっ」

「従五位下、加賀守に任命します」

「! ……ははっ!」

「斉藤道三殿」

「はっ」

「能登守に任じます。併せて、法橋上人といたします。能登の国司、お願いします」

「過ぎたる光栄なれど、拝受いたします」

「隠岐大蔵」

「はっ」

「正五位に叙し越中守に任じます。大蔵大夫、今後ともお願いします」

「畏まりました」

隠岐は感無量といった表情で良之をまぶしそうに見上げた。

「江馬左馬介時盛。従六位飛騨守に任じます。飛騨国司、よろしくお願いします」

「はっ」

「古川二郎、姓を姉小路に復し、京に上って下さい。侍従、左近衛少将として帝にお仕え下さい。後事は、俺の兄、二条内覧が引き受けますので、良く頼り、支えて下さい」

「ありがたき幸せ!」

「滝川彦右衛門」

「はっ」

「越中介に任じます」

「はっ」

「下間源十郎、加賀介に任じます」

「はっ」

「木下藤吉郎」

「へ?」

「飛騨介に任じます」

「わしが……でごぜえますか?」

「よく頑張ってくれたからね。今後も励んで下さい」

「ははっ!」

「広階美作守、大蔵少輔に任じます。今後も鋳銭、鍛冶、鋳物師の監督、お願いします」

「喜んで」

「塩屋殿。貴殿には能登介を考えているのですが……名乗りより下がってしまいますが、どうします?」

「お受けします」

「では正式に従六位能登介を授けます」

「はは」


こうして、良之は主立った家臣たちに官職を授け、彼らの権威の裏付けとした。

飛騨や越中の旧国人層にも1人1人に官位を授けた。

中には、塩屋のようにこれまで自称していた官職より下がるものもいたが、このたびの叙爵は、公式なものである。




良之は猿倉の猿倉衆――河原衆と呼ばれていた彼らのもとに入り浸り、様々な畜産に関わるアドバイスをしたり、今後必要となりそうな施設や装置についての検討を始めている。

まずは、牝牛を増やして搾乳をさせたり、餌となる雑穀を塩屋に言って買い集めさせたり、野菜の葉などを回させたり、あるいは糞尿を改めて堆肥にさせたりといった手配も行っている。

良之は雄鶏を何羽かつぶしてもらい、さらに卵を50個ほど分けてもらって<収納>に保存して富山御所に戻った。

鶏ガラはスープとして煮出させ、鶏肉は唐揚げにして城内の者達に振る舞った。

卵は、だし巻きや卵ボーロ、カステラ、どら焼きなどにして一同に試食してもらった。

良之は割と器用なところがあり、中学生頃からインターネットのレシピサイトを見て料理をして初見で成功させるようなところがあった。


「御所様、これは大層美味しゅうございます」

ふ文字殿はカステラがお気に入りのようだ。

フリーデやアイリは、どら焼きと緑茶に妙にはまっている。

お虎は、相変わらず鶏の唐揚げがお気に入りである。

千や阿子はどの料理も全て合格点らしい。


「素材の卵はもうじきコンスタントに供給出来そうだね。肉の方はなかなか難しいけど、それでも来年の夏くらいまでには供給体制が整いそうだったよ」

良之は、猿倉衆のがんばりについて報告した。


卵については、江戸初期以降は人々の口に供されるようになった。

その理由は単純で、

「無精卵は孵化しない」

と気がついたためだった。

良之もまた、その倫理観を利用して無精卵の生産を振興した。

肉食を受け入れたがらない層であっても、卵や牛乳、それにチーズなどは

「命を奪わない」

という理由で受け入れやすかった。

二条家中では、公家出身層を中心に根強く忌避感が残っていたが、牛乳と卵、バターやチーズを使った洋菓子は幅広い人気を博すことになる。


雪の季節になった。

良之は、数ヶ月かけていくつもの食肉加工を研究している。

塩漬け、生ハム、燻製などにはじまり、ミンサーを使ったソーセージ作りにもチャレンジしはじめている。


問題は腸詰めのケーシングである。

ケーシングというのは、家畜の腸を洗浄後に発酵させて腸の外周の丈夫なコラーゲン繊維だけを残した物である。

この皮を残して発酵させた組織を洗い流し、塩漬けにして保存してから水で塩抜きして用いる。

洗浄については水圧を用いて解決したが、発酵プロセスには試行錯誤が強いられた。

腐敗させないよう工夫するのに手間取ったのだ。

だが、同じコラーゲンである革製品を生産する猿倉衆たちの努力でノウハウ化に成功した。


良之のミンサーはオーソドックスな手回し式のものだ。

中にらせん状に回るシャフトを入れ、手で回して素材を金型に押しつける。

スクリューコンベア、と呼ぶ。

金型には挽肉のサイズ通りに多数の穴が開けられていて、その穴からミンチになって肉が出てくる仕組みである。

このミンサーで2回肉を挽いて、それにスパイスやハーブ、塩コショウを加えよくこね上げ、腸詰め機でケーシングに封入して、両端を持ってひとつずつこよって成型する。

その後一旦陰干しして表面の湿気を取り除き、燻製チップでいぶし上げる。

これがソーセージの作り方だ。


ソーセージは、二条領でも比較的食肉に抵抗を持たない層に人気が出たが、何より興奮したのは南蛮人たちだった。

彼らの故郷の味なのである。


冒険商人ルイス・デ・アルメイダは、いち早く二条領に目を付けた最初の冒険商人だった。

ポルトガル人である彼は、良之が試供品として提供したソーセージと生ハムに興奮し、高額で取引を約束した。

対する良之の要求は、インドや明からの家畜の輸入、材料であるスパイスやハーブの輸入である。


アルメイダからは、遠洋航海中に食べられるような保存性の良いサラミやベーコン作りも依頼された。

船乗りたちは主に樽詰めの塩漬け肉などでタンパク質を補給するが、やはり少しでも旨いものが喰いたいと考えるのは当然のことなのだろう。


ベーコンの場合は、豚バラ、いわゆる三枚肉の部分を生ハムと同様の塩漬け処理をしたあとでじっくりと塩抜きを行い、ソーセージ同様に燻製処理を行って製造する。

塩漬けと塩抜きの間に、塩、ハーブ、スパイスとウイスキーを使った漬け汁で風味付けを行うこともある。

ソミュール法、またはピックル法と呼ばれる加工法である。

古くは、飽和塩水が用いられ、肉の奥まで塩分を染み込ませる工程だったが、ここでコショウやローレル、セージ、ローズマリー、タイムなどをブレンドした香り付けも行われるようだった。

塩抜きは流水で行い、乾燥後に燻製が行われる。


アルメイダには、製造をして見る代わりに各種乾燥ハーブとそれらの種、ブドウの種、ブランデー、ワイン、ウイスキーなどの輸入を依頼した。


燻製のチップに関しても様々な素材を良之は猿倉衆と試してみた。

楢、ブナ、白樺や桜などだ。

良之の手持ちの資料には松、杉、ヒノキといった素材は燻製に使うと香りが強すぎてうまくないというのは参考資料にあったので、広葉樹で香りの攻撃性の低い素材を探してはいろいろ試すことになった。


ソーセージなどの日持ちを良くするため、殺菌のためのボイル加工法を取り入れることになったが、今度はボイル後の加工が必要となる。

そこで良之は真空加工を用いたレトルトパウチ、つまり真空パックを開発することにした。


真空パックマシンの構造は実は単純だ。

食材を袋詰めして機械にかけると、袋の内部を真空引きし、袋と食材が密着したところで加熱して袋を溶かして接着するだけである。

加熱は電熱器で行う。良之の時代では、大手家電メーカーが家庭用の普及製品さえ開発していた。


ただし、素材の袋には工夫が要る。

ポリエチレンやポリプロピレンでは、袋自体に酸素透過性があり、せっかく真空パックにしても内部で酸化が進んでしまうのだ。

そのため、こうしたレトルト加工に用いられる素材としては、酸素透過性の低いポリ塩化ビニリデンやナイロン樹脂製の袋が採用されることが多い。

さらに、食品としてレトルト食品を名乗るためには、アルミ箔による光線の遮断されたパックが条件付けられる。


余談だが、ポリ塩化ビニリデンは開発当初、酸素透過性の低さや耐湿性などが軍用に期待された。

薬莢や火薬などの保存や運搬用途で用いられることになったこの素材を、開発者の妻であるサラとアンの2人が、ピクニックで食品を包んで運ぶのに使った。

この技術者たちはそれを見て、食品保存への有用性に気づかされ、その2人の名前から「サラン」という商標名を付けて販売されることになった。

これが「サランラップ」である。


レトルトパウチに使うラミネート包装材は阿子たちに開発を依頼し、ソーセージの改良は猿倉衆に任せ、良之はレトルトパウチャーの製造にかかった。

食品を袋に入れて真空引きして口を加熱溶着させれば良い。ここまでどの技術も良之は錬金術で創り出していたため、それらの製造には問題がなく、3回ほどの試作で完成させた。

レトルトパウチャーの使い方を猿倉衆に教え、加工製品全般を最終工程でレトルト処理することで、日持ちのする美味しい加工肉、加工乳製品と言った食品群が、二条領から出荷されることになっていく。


畜産のもう一つの柱、乳牛からの搾乳のために、真空ポンプを使ったミルカーを製造する。

ミルカーの消毒にはエタノールが必要になるし、使用後のバケット洗浄には次亜塩素酸ナトリウムが必要だ。

搾乳機のうち乳牛の乳に当たる部分をティートカップという。

この部分は牛にけがをさせないよう、柔らかいシリコンゴムで成型し、真空引きの負圧によって自動化するのである。


牛や馬の革に加え、良之は豚の革の生産も指示した。

豚革は牛革より軟性で、その割に重さも軽く、強い。

豚の革は西洋では宗教的禁忌が関係して、この時代ではほとんど利用されていない。

聖書に「死んだ豚の皮に触ってはいけない」

と記されているからである。

豚皮は、靴の素材として優秀である。

良之は、可能であれば、軍用靴を開発し、普及させたいと考えている。

だが、靴の生産については、職人の育成からはじめなければならないので、実現までには時間がかかるだろう。


このように、良之は猿倉衆たちと、畜産、酪農、食肉、皮革加工などの技術を研究した。

猿倉衆にとっては、もう良之への尊敬は絶大で、特に越中において一切の偏見を受けることの無い状況は驚異でもあった。

それをもたらしてくれた良之に対する忠誠心も強く、非常に重労働である彼らは、一層励んで働いた。


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