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北陸大乱 3

翌6日。能登東部の海岸沿いに進軍する二条軍の前に、松波、長、温井の軍使が訪れ、降伏の打診が行われた。

そこで、現当主とその嫡子を富山に送り、ひとまず飛騨や越中について学ばせることで折り合いを付け、さらに北上、七尾城を目指した。

七尾城でも森寺城の惨状を見知った報告がすでに為されていたため、開城して恭順した。

ここで、七尾城の重臣や当主、畠山義綱もまた越中に送られる。

そのまま、織田上総介と良之が率いる二条軍は進路を南西に取り、井田でその日の進軍を終了する。


柴田権六が率いる柴田軍は蓮沼城下にたどり着く。

守護代遊佐氏が開城したため、事前の打ち合わせ通り当主、嫡子、付近の豪族による家臣などを越中に送った後、進路を反転して加賀を目指し西に向かう。


付近の一揆衆は、1200ほどが柴田軍の足止めに出たが、叶わぬとみて金沢御堂まで遁走した。

形勢の不利を悟った松根城は開城したので、柴田軍はこの日、さほどの戦闘も無くここで進軍を終了し、次に備えることとなった。


この日一番激務だったのは丹羽軍だっただろう。

飛騨と加賀白山の間の急峻な山道を30キロメートル近く上り下りをして、加賀南東山中にある尾添城に到着。

籠城の構えを見せたこの城を迫撃砲で攻撃し尽くし、ここで日没となった。

丹羽軍にとってはここを押さえておけば飛騨への進軍が完封できるため、この次の指示まではここを拠点とすることとした。




柴田・丹羽軍の侵攻を受けて、加賀一揆衆は激しく情報が往来していた。

加賀一向一揆をまとめているのは超勝寺や本覚寺を中核とした加賀諸寺の僧侶たちである。

超勝寺の住持は実照。本覚寺は蓮恵。

この2人は、配下の一向一揆が自分らが日頃口を酸っぱくして警告を繰り返した二条家との戦争を開始したことに慌てていた。

そもそもが、能登畠山の守護代であった遊佐氏にそそのかされてのことだったようだ。

それに越中の一揆衆までが加わって、さしたる準備も無く気楽な略奪程度のつもりで、元地侍や国人だった連中が参加したらしい。

その後、わずかな越中一揆衆の生き残りや、能登や加賀一揆衆の生き残りたちから戦況が続々報告されるに至って、加賀一向一揆の拠点、金沢御堂に詰めていた幹部たちは顔面蒼白になった。

そして、白山から飛騨白川に押し入った二曲(ふとげ)右京進とその配下、近隣から略奪目当てで参集した一揆衆およそ3500が全滅したこと、丹羽が尾添城を破滅させ、現地に営陣をしていること、柴田軍も同じく松根城に陣を張り、ここで宿営の構えを見せている。その数、小者や兵站含め、約5000。内、4200ほどの兵が種子島で武装し、さらに40ほどが、噂の迫撃砲を持っているようだった。

その上衝撃的だったのは、能登の畠山軍が12000ほどの兵で押し出したところで二条軍4500と会戦。

緒戦で潰走して堅牢な森寺城の城郭は灰燼と帰し、8000名もの死傷者を出した。

うち、7000名は間違いなく即死したというのである。

松波、長、遊佐など能登の国人豪族どもは一斉に逃散し、予想では、二条家に臣従するようであった。

この時点で加賀の一向一揆の総動員数は3万。

内1万は各国境線の防衛のため動かせない。

つまり、動員で二条家およそ1万と対峙できるのは2万である。

だが、実照たちはさすがに学識ある僧侶である。

二条家の迫撃砲を前に、一揆衆の粗末な武装など、何の意味も無いことにとっくに気がついている。


物見から帰ってきた僧兵たちによると、能登は完全に制圧され畠山は降伏。

二条家には南北朝以来の錦の御旗が掲げられ、このままでは本願寺は朝敵となるという事だった。

さらに、松根城には、宗主証如による「南無阿弥陀仏」の幟と、蓮淳による「王法為本」の幟まではためいているという。


困り果て、頭を抱える加賀一向一揆指導者たちの許に、救いの主が現れた。

石山本願寺から派遣された下間上野法橋真頼、下間筑後法橋頼照である。

上野法橋は状況を聞くと、全軍の解散を筑後法橋に命じさせ、自身は慌てて能登へと北上した。

「よいか、従わぬものは破門の上、討ち取れ」

筑後法橋は金沢御堂の侍大将たちにそう命じ、併せて加賀全土へと小者たちを走らせ、武装を解除するように命じた。


良之の許に、柴田軍からの草が到着した。

丹羽は狼煙によって白山越えが成功した知らせを送ってきた。

すでに下間上野法橋からの使いが良之の許に到着していたため、松根の柴田軍は堅田に進め待機させ、二条軍との合流を待たせることとした。


翌日、二条軍はさしたる抵抗も受けず津幡に入る。

津幡において一泊。

翌日に、堅田で柴田軍と合流し、そのまま金沢御堂に全軍で入った。


尾添城の丹羽軍もその翌日には金沢入りした。

「上総殿。能登・加賀全土の拠点を選んで、警察300人組織をそれぞれに派遣して下さい。それと、1000人を七尾城、同じく1000人を金沢に残し、兵6000を越前国境の松山城に進めて下さい」

「承知しました」

「上野法橋殿。治安維持のため加賀全土から、今後専従兵士になれるような人材を選んで集めて下さい。侍大将たちも召し抱えますんで、そのまま残して下さい」

「承りました……御所様、その。処罰のことなどは?」

上野法橋は青白い顔を浮かべて良之に恐る恐る問いかけた。

「処罰? いえ、そういうのはひとまず必要ありません。それより、くれぐれも治安の維持と、一揆衆の跳ねっ返りが無いよう良く監視して下さい」

「は、それは一命を賭して」

「千、彦右衛門、三郎は俺と一緒に越前に行く。残りのものは上総殿の指揮の下、各自よく働くように。では解散」

「ははっ」


こうして、おそらくこの当時の日本の人口1200万人の1000人に1人の命が消えるという空前の死傷者を出した北陸大乱は、二条家の圧勝という形で幕を下ろした。

二条家側の死傷者は最終的に、丹羽軍の出した150名ほどに終わったが、この死傷者に良之は衝撃を受けた。

これが、良之がこの後開発するアサルトライフル生産の原動力となっていく。


それはさておき、良之には一刻も早く解決せねばならない課題が発生している。

国境を越え加賀の一部を占領し、今もなお虎視眈々と加賀侵攻をもくろんでいる越前の朝倉家対策である。


良之は小者たちに朝倉家への書簡を持たせて先触れに走らせ、織田上総介と共に前線の松山城へと向かい、返書を待った。


松山で返書を待つ間、良之は縁のある大名家に事の次第を包み隠さず認めて送り、さらに京の帝にも報告書を送った。

殊に、今回の大乱を裏で演出したのが征夷大将軍・足利義藤であること、反抗的な加賀の一向一揆は、本願寺主導で鎮圧していること。

それに、石山本願寺が、加賀の沈静化に献身的に取り組んでいることなどは明確に伝えた。


越前朝倉家からの返書を受け、良之は供に望月三郎、千兄妹と滝川彦右衛門を引き連れて小者100名と共に越前入りをした。

越前一乗谷までは約40km。道中で出迎えたのは生きる伝説ともいえる宗滴・朝倉金吾入道である。

この時代において一向一揆に打ち勝ち、さんざんに追い散らした上、この時期には加賀にまで侵攻を進めていた名将である。


「御所様、お初にお目にかかります。宗滴にございます」

「二条中納言です。あの? 宗滴殿。申し訳ありませんが、俺の医者の診察を今すぐ受けていただけませんか?」

良之は、宗滴の風貌に驚いていた。

往事はよほど強い武将だったという事だったが、良之が見る限り、状態はかなり悪い。

良之は、遠慮する宗滴に対し半ば無理矢理に千の治療を施し、さらにポーションも服用させる。

「おお……なんと」

厳しい老将の表情がふっと緩んだ。

見る見る間に目の周りの黒い隈が消え、頬にも若干の赤みが戻ってきた。

「胃・肺・膵臓などに癌がありました。よほどおつらかったでしょう」

千が良之に所見を耳打ちした。


元気になった宗滴によって案内された良之主従は、そのまま当日中に一乗谷へと入った。


翌日。

朝倉家の居館一乗谷城にて、当主左衛門督朝倉義景の応対を受けた。

この時、宗滴77歳、義景は20歳。

良之から見ると、自分よりよほど貴族然とした御曹司である。

「御所様、こたびの御戦勝誠に喜ばしく、また、金吾入道殿の病の加療、一方ならぬご恩と厚く御礼申し上げます」

「急の訪問、誠に申し訳ありません」

良之も返礼する。


「それでは、今後は御所様が加賀国司として加賀をお治めになられると?」

義景の質問に、良之はうなずき、

「まだ加賀全土を把握できておりませんが、遅くとも来年いっぱいで、加賀の武装を解除し、一揆を解散させるつもりで居ます。これには、石山の本願寺の協力もありますので、今後は越前へのご迷惑はおかけしないで済むでしょう」

と答えた。

ちら、と無念そうな顔を浮かべた宗滴に対し、義景はほっとした表情でうなずいた。


宗滴に言わせると、ここが加賀制圧、朝倉家への編入の好機だった。

それを、あっという間に本願寺さえ服従させたこの公卿の手腕である。

宗滴にとっては、取り損ねた思いがあるのであろう。

「御所様、つきましては当家が門徒衆より切り取りし加賀領、まとめて御返納いたしたく存じます。心苦しいのですが、ひとつだけお願いの儀がございます」

義景は、宗滴を治療した望月千を所望した。

「申し訳ありませんが、千は当家にとって必要な人材。お譲りするわけには参りませんが、武田や織田の御家中にも、療養所という医院を作り、そこに医師などを派遣する約束になっています。御当家にも、そうした施設を作っていただけるのでしたら、医師の派遣はお約束できます」

「なんと……かたじけない」

その条件で朝倉家は充分なようで、宗滴も義景も喜んで療養所建設を約束した。


また、これまで経済封鎖していた越中と加賀の街道を整備し、鯖江からの陸路などについての通行も再開されることとなった。


「御所様は今後、門徒衆とはどうおつきあい為されるのですか?」

宗滴がふと問いかけた。

「そうですね。俺は宗教については全く口出しする気はありません。ですが、宗教が武力を抱えて蟠踞することは一切禁じるつもりです」

「ほう、まさに王法為本でございますか?」

「ええ。もめ事は警察という治安組織に任せることで、住人たちの武装や私闘を禁じるつもりです」

良之は宗滴に、二条領における司法制度について詳しく話した。

国司直属の奉行所を設け、人間社会における争議は全てここで裁定する予定だと告げる。

「そのようなことを……可能なのですか?」

「そうしなければ、いつまでたっても人を殺して解決しようという世の中が変わりませんから」

良之の答えに、宗滴は心を打たれて何度もうなずいた。


朝倉家に対しては、どうしても依頼せねばならない一件がある。

足利将軍家とゆかりの深い朝倉家に対し、良之は、二条と足利に関する限りにおいて、中立であって欲しいと依頼した。

今回良之が畠山を討ち、加賀を平定した裏には、足利の策謀があった事を率直に語った。

その上で、足利から依頼があっても、決して動じないようにくれぐれもと依頼したのである。

中立であってくれる限りにおいて、二条家もまた、朝倉との交流を深め、資源や物資の買い付けなどについて、美濃のように便宜を図ることを約束する、と伝えて、検討してくれるよう頼んだのである。



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