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天文22年春 2

良之にとって北陸の冬期は、作業性が落ちてとても厳しかった。

しかも日本にとっても天文年間は小氷河期とでもいえる寒冷期であり、降雪量が多い。

この時期を利用するため、良之は物作り班ともいえる丹治善次郎、木下藤吉郎、フリーデ、アイリ、望月千、山階阿子たちに化学と工業についてじっくりと講義を行った。


閏一月と二月いっぱいをかけてじっくり行った講義によって、フリーデと阿子は有機化学や分子工学的な理解を得、良之と共に、錬金術の触媒による化学合成術を編み出した。

従来は良之以外錬成できなかった抗生物質や医薬品の類いが、錬金術の理解があれば誰にでも錬成できるようになったのである。


また、これらの医薬品錬成用の触媒があれば、アイリや千という回復魔法の使い手たちも医薬品が作れるようになる。

フリーデたちが作るポーションは効果が大きいが、目的に対して製造コストが大きい。

多量の、魔法を含んだ薬草をぜいたくに使うため、風邪や食あたりといった日常の治療薬に使うのはためらわれる。

この新たな技術が開発されたことで、目的別のポーション作りという新しい技術が彼らによって生み出されたのである。




天文22年3月に入ると、いよいよいくつかの工業生産を開始しようと張り切った良之の許に、京の帝から呼び出しがかかった。


良之は千と源十郎を連れて上洛、二条御所で一泊した。

二条家は、位子女王が懐妊していた。

良之は我が事のように喜び、皮屋に命じて、様々な物資を二条家に届けさせた。


翌日、参内。

「良く参った。こたびはそなたを従二位に叙し、中納言に陞爵を行いたいと思うての召喚じゃ。雪深き中の無体、許すが良い」

帝はそう言うと、早速昇進の儀を左右の者に命じた。

そして、人払いをすると、本題を切り出した。


「そなたに、わが娘を娶って欲しい」

「え?」

さすがにあまりにもいきなりな話に、良之は戸惑った。

「昨年末も、皮屋を通じ、そなたより10万両もの入金を受けて居る。また、皮屋を通じ、衣食のこともそなたはよう気遣ってもくれた。まこと得がたき忠臣じゃ。聞けばそなた、その歳で未だ正妻も持たぬと聞く。そこでじゃ、我が子を輿入れし、逢わせ、二条家の正式な猶子と認め、中納言に補そうと思うたのじゃ」

「……ははっ」

どうやら断れる筋合いの話ではないようだった。

「ありがたき幸せに存じまする」

平伏して受ける以外にない良之だった。


後奈良帝次女普光女王。

もし良之が現れなかったらこの後出家し、安禅寺宮となり、わずか25才で亡くなる事になったかも知れない女性だった。この年、16才。


良之の中納言陞爵はそれほど横紙破りではない。

五摂家の二条家の猶子となればなおさらで、昇進条件である参議・左近衛中将を満たした上、現状は名目のみではない本物の越中・飛騨の国司である。

さらに、実情はともかく二条家であれば、女王の降嫁ももちろん問題はない。

問題は、良之が実情は在京していない半独立的な分家であるという事だった。

だがそのあたりは、帝にも、良之にさえ言わない深い考えがあった。


後奈良帝は、将軍足利義藤の良之に対する政治的攻撃に深く立腹していたという。

名指しで攻撃されやむなく二条晴良の関白を散位させたものの、それが二条家の失脚を意図しないこと、帝自身が良之に与える信頼を政治的に明確に表すことを、この降嫁は意図している。


輿入れにかかる費用として良之は5万両を帝に献上し、併せて女御たちにもいつもの付け届けの他、諸事万端のためと称し、各人のために金子を提供した。

輿入れの行列は陸路近江から美濃を経て飛騨、越中へと至る事として、その道中は京の二条家の諸大夫たちが警護することとした。

長旅になる。

良之は普光女王の身を案じ、千を遣わし、その身体の健康診断をさせ、千は彼女に回復魔法を使ったとのことだった。


暫し京での政治活動を余儀なくされた良之は、各摂家を回り留守中の御礼などを済ませ、現関白、一条兼冬に面会した。

一条は千による治療を深く感謝し、今後の二条家と良之の後援を買って出てくれた。

千による再診でも兼冬は往時に比べ体力も付き、血色も良いと言うことだった。


京都では重要な政治活動がひとつあった。

それは、粉白粉の有害性の普及である。

京の公卿たちは、良之がもたらした二条の無害白粉より、肌への延性に優れた有害な鉛白白粉を好んでいた。

だが、鉛毒の蓄積によるダメージの蓄積は明らかで、特に多用する女性たち、この時代の公家の女性の健康阻害の一大要因だったのではないかと良之は危惧していた。

京の白粉座については、皮屋から安定して酸化亜鉛による顔料を安定して供給する事を約定し、鉛白については全量を買い上げた。


京での活動を終えると、良之は帝の元に伺候し、暇乞いをした。

「黄門。能登と加賀のこと、聞き及んだ。そなたをその両国の国司に任ずる。名分とせよ」

帝に深く礼を言い、良之は京を立った。


このあと良之は石山に赴き、本願寺法主証如と面会。

加賀や越中の門徒への周旋に深く感謝した。


「やはり瑞泉寺、勝興寺は御所様にあいさつに行きませぬか?」

証如は表情を暗くした。

「ええ。ただまあ今のところ敵対もしてこないので、構いません。ただ法主殿。言うまでもありませんけど、もし攻撃されたら……」

「はい、それは分かっております」

この頃、証如は下間源十郎から、二条家の戦闘力、分けても迫撃砲のすさまじさの報告を得ている。

特に、対姉小路戦の百足城攻撃における火炎弾の威力と飛距離、そして対神保戦の野戦における、十数分で2500もの死傷者を対岸から一方的に出し、2倍にも至る神保軍を潰走させた戦果などを驚きを持って受け止めていた。

だからこそ、加賀や越中の諸寺には証如自ら筆を執り、くれぐれも大恩ある二条家には敵対しないようにと繰り返し連絡をしていた。




翌日、石山より堺へ船で渡る。

「お久しゅうございます、御所様」

武野紹鴎に出迎えられ、良之は彼の別荘に寄宿した。


紹鴎に、五峯がマカオから連れてきた南蛮人のバイヤーたちが、目の色を変えて良之が準備した宝石や顔料を買いあさっているという報告を受けた。

良之は喜んだ。

この時代、明や南蛮商人が狙っているのは、日本の金銀銅と言った金属である。

特にこの時代は日本の銀生産が大きく伸び、国内、特に西日本の相場が安かった。

南蛮人は銀を、明国人は銅を欲していたので、日本からの流出が凄まじかった。


そこに、新たな高額商品をラインアップさせたことによって、幾分かでも流出を食い止めることに成功したといえるだろう。


トーレスからの情報と併せ、五峯に堺を案内されたポルトガル商人たちにとっては、サファイアやルビー、水晶玉や鉛白、カドミウムイエロー、ウルトラマリン、陶試紅、ベンガラと言った顔料は、それこそ大枚叩いても仕入れたい商品群だった。

対価がない。

二条家は全く種子島や硝石を求めていない。むしろ、硫黄を大量に輸出しているほどである。


「買い取る商品を選んどくれやす」

紹鴎に言われ、良之は南蛮商人の商品リストを見た。

「コショウ……クミン。ターメリックか」

カレーのベーススパイスである。

他にもショウガ、ナツメグ、コリアンダー、アニス、カルダモン、クローブ、シナモンなどを使用すると、香りの豊かなカレーが出来上がる。

各種のスパイス、それに砂糖の輸入を指示する。

そして、天然ゴム樹脂や椰子の実油などを持ってこられるなら買うと指示した。


良之は、遠里小野に行って油座の親方の相談を受けた後、河原衆から脂を買い取り、船尾に行った。

今回、良之は船尾から広階親方たちを飛騨に移すことを考えている。


船尾は立地的には素晴らしいが、なんと言っても畿内の政情が不安すぎる。

ここに、発電プラントや電気精錬などの工場を建設させる気には全くなれなかったのである。


鍛冶師と鋳物師を移すとなると、せっかくの広大な船尾の銅座が宙に浮く。

そこで良之は、ここに皮屋配下の様々な職人を入れることにした。


大多数の職人は飛騨での最先端の技術習得を望んだが、広階親方をはじめに、数名の職人たちは飛騨への転居に難色を示した。

良之は、ここから数年の飛騨での技術革新を見逃すと後悔するぞ、と一生懸命に説得した。

結局数名の職人は鉄砲鍛冶の橘屋又三郎の街に移住して残ったが、残りの職人衆は全て、家族を連れて飛騨や越中に移住することにした。


ちなみに、ここに滞在させている中村孫作や滝川儀大夫たちは、今まで通り船尾の銅座を維持させるため、兵力をそのまま残し滞在させた。

せっかく作った拠点なので、いずれ活用したいと思っていたのである。


引っ越しに際し、この時代の人間たちが運ぼうと思ったら難儀する大荷物だけ、全て良之が引き受けて<収納>した。

また、南蛮絞りを行っていた現場などでは、錬金術で諸金属を回収した。

移住にあたり、引っ越しにかかる全ての費用の面倒を良之が持つことにした。

もちろん、休業中の日当など細かいところまで全てである。


その後、信太山の河原衆のところに立ち寄り、家畜たちの育成と繁殖に従事してくれている彼らに感謝して、味噌や酒、塩などを差し入れした。


臭いはひどいが、家畜の糞などは良質の堆肥になる。

良之は頭衆に、堆肥の作り方を指導する。

木工所からおがくずを回収したり、山から木の葉などをかき集めてきて、糞と混ぜ合わせて置いておく。

このとき、家畜の寝藁なども加えておき、時々天地を返す。

すると、発酵がはじまる。堆肥発酵が適切に行われると、80度にまで至る高温の発酵が起きる。

この課程で有害な繁殖菌や寄生虫などが死滅する。だが一方で有用なアンモニアなどの窒素分も揮発してしまうため、高温期を終えると切り返しを行い堆肥の攪拌を行い、必要なら水分を与えて保水を行う。

切り返しを行うと、再び堆肥は高温で発酵し、発酵が終わると肥料の温度が低下する。

この頃からが畑に肥料を入れるのに適した堆肥になる。

堆肥の温度が下がったら、また堆肥は切り返し、3度目の発酵を促す。


堆肥作りについては、チャレンジ期間という事で、携わる者達全ての報酬を良之が見る。

このあたりは、皮屋を通じて全て賄われる。

また、完成した堆肥は、遠里小野から菜種栽培を依頼された農家に供給させることにした。

同じ村でも施肥をさせる農家とさせない農家をあえて作り、その効果の差を実験してみる事とした。


畜産の指導員として、平戸の倭寇である五峯に借りている複数の明国人や通訳は、かなり効率的に指導を行ってくれているらしい。

鶏、豚、牛については再び五峯に種になる親を輸入してもらおうと良之は思った。

どうせ現状、輸出過多である。


良之は、信太の里に巨大な入浴場を建てた。

彼らの毎日は激務である。悪臭、高温といった劣悪な環境で辛抱強く働いている。

川から水を引き、手押しポンプで池から組み上げ、薪のボイラーで湯を沸かす。

この湯屋は里の人間は誰でも無料で使える事として、さらに、親方に里の人間分の石鹸も提供した。




堺から紀伊に渡り、雑賀の鈴木佐大夫にあいさつした。

佐大夫には、現在富山で建造中の千石船を運営できる人材の派遣について相談した。

「承知しました」

快く佐大夫は承諾してくれた。


その後、佐大夫と共に湯浅に向かう。

湯浅では、すでに醤油生産に関心が集まっていて、角屋や油屋といった別業種の者達も赤桐右馬太郎の許で修行を開始していた。

良之は赤桐にいって各代表者を呼び寄せて、一同にそれぞれ2万両ずつ与えてさらに製造量を増やさせ、それを堺の皮屋へ納入させることにした。

赤桐右馬太郎には別口で1万両を与えて功績を労った。


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