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飛騨での内政 2


領地化によって最初に公布された良之による触れには、人糞の堆肥化禁止と肥だめの整備がある。

飛騨の民は、住居のトイレから下肥を浚うと、各集落に作られた肥だめへと捨てていく。

その肥だめで良之は、錬金術で全ての下肥の処理をして歩く。

まず、悪臭の原因であるアンモニアを処理する。

これは、下肥に存在するカリウムとアンモニアを錬金術で硝酸カリウムにしてそのまま<収納>に納めることで終わらせる。

次はメタンチオールや硫化メタン、硫化水素と言った硫黄化合物である。

硫化メチルには二硫化メチルも存在し、アンモニアを含めこの五つが主な腐敗悪臭源になる。

これも錬金術によって硫黄を単離して<収納>へ。

次に、下肥中のリンを消毒剤の石灰中のカルシウムと反応させ、リン酸カルシウムとして単離、<収納>する。

最後に、残った全ての物質を錬金術により圧縮しつつ焼成する。

下肥が完全に炭化したところで<収納>して、一つの肥だめの処理は終了である。


処理した下肥を、今度は村の長に畑の広さを聞いて、化学肥料として頒布する。

もちろん炭化した下肥もだ。

硫黄を除く硝酸カリウム、リン酸カルシウム、そして下肥の炭素および鉄や銅を含む微量に含有された金属。

これらは、畑に必要とされる重要な元素で出来た衛生的で効率の良い化学肥料である。

硝酸カリウムとリン酸カルシウムは、水濡れを禁じて村長の納屋へ。

下肥を焼成した炭化肥料は村長の庭に積んで、村人に自由に使わせるよう指示した。


肥だめのくみ上げのような作業を想定していた従者たちは、呆気にとられながら、良之に従って飛騨の村々を巡って歩いたのである。


良之にとって、これらの作業は可能なら工業化したいものの一つだった。

いずれ、電気と高炉転炉による製鉄、そして旋盤など必須の技術が確立したら、ロータリーキルンなどで処理場を作ろうと固く決めている。


15日以上かけて良之が全部の村を巡り終わった頃には、飛騨にも旧暦4月がやってきた。

いよいよ、畑作のシーズンである。




村々に肥料として下肥を処分した物質を置いてきたが、それでも良之の<収納>には大量の硝石、リン酸カルシウム、そして炭化物が残った。

炭化物は、さらに錬金術で圧縮加工をしてペレット状の燃料にして、藤吉郎に託した。

彼の受け持つ二つの工房、木炭工房と石灰工房では日常的に燃料を欲している。


残った化学物質をみて、ふと良之は思い立った。

それは、とある飛騨の特産品を使った新たな化学工場のアイデアだ。


輝安鉱、この当時の山師は白目などと呼ぶが、この鉱石は飛騨のような鉱物生成プロセスの鉱床では比較的良く産出する。

物質名はアンチモン、もしくは硫化アンチモンである。

このアンチモンを石臼などで粉砕し、赤リン5、硫化アンチモン2、それに接着剤3の割合で混合すると、いわゆるマッチの側薬が出来る。

側薬に対して、マッチの頭の部分を頭薬という。

マッチの頭には様々なメーカーに工夫がある。

だが、いわゆる安全マッチと言われる、自然発火や毒性のガス噴出の無いもっとも近代的な商品についてはほぼ似たような組成になっている。

すなわち、助燃剤である塩素酸カリウムを5、ガラス粉や雲母粉、珪藻土粉末などをブレンドした燃焼調整剤が3、松ヤニと膠を配合した膠着剤に、微量の硫黄を加えた物が2である。

この安全マッチが出来る事によって、実はマッチとは、横のやすりのような側薬が燃えるという商品に代わっているのである。

マッチを側薬にこすりつけ、その燃え方をじっと良く観察すると分かる。

まず側薬が摩擦によって燃焼し、それがマッチに延焼するのである。


大昔のマッチはどこで擦っても燃えたものであるが、少なくともこの安全マッチによって、輸送中に自然発火するような商品ではなくなったのである。


この頃、冬期に雪深い飛騨の庶民は、家に籠もって何らかの手すさびによって少しでも銭を稼ぐ工夫を行っている。

その中で良之が感心したのが、爪楊枝だった。

楊枝の原料として、最高級はクロモジの枝を小刀で一本一本楊枝として仕上げた物だった。香りが良く、また、煎じた汁は薬にもされている。

飛騨の人間は、この木の枝を秋口に山から取ってきて、軒に吊して干す。

楊枝としては柔らかすぎる若い幹や葉は、入浴時に湯船に入れて薬湯にして楽しんで居るらしい。

武野紹鴎などもこの楊枝をひどく気に入っていて、茶会の席で菓子に添えている。


それよりは少し落ちるが、白樺やドロヤナギなども楊枝にされる。

良之は、この白樺やドロヤナギという、建築資材には使えない柔らかい木を、マッチの軸に考えている。

飛騨には元々、楊枝を収めるための箱を作る寄せ木職人的な工芸がある。

ヤマナラシなどを用いて小箱などを、やはり冬期に作っては売るのである。


良之が肥だめの処理をしている間に越後から来た原油の精製で、灯油、ガソリン、軽油を錬金術で精製したあと、良之は残りをパラフィンに合成し、最後にカーボンブラックにした。

このパラフィンもまた、マッチ作りには欠かせない物なのである。


良之は再び塩屋を呼び出した。

そして、マッチ作りを教えるので、前のように奉行を1人、山方衆と匠を各一名ずつ呼ぶように指示をした。

塩屋が奉行としたのは、山田弥右衛門という男だった。

良之より若干年上だろうか?

良之が江馬衆から優先的に奉行を割り振っているのは、一つには、他の者達と違い、すでに銭傭いに代わっているからである。

高山や三木の衆は、現状、検地や刀狩りと言った政策のため多忙を極めていることもある。




奉行、山方衆、匠の三者を前に、良之は必要となる全ての薬剤と工程を教え、実際に作って見せた。

まず、軸木の加工である。これは、爪楊枝と同様だが、もっとも質の劣るドロヤナギを使わせた。

これを爪楊枝の原型――つまりマッチには最適な角木の状態に切りそろえさせると、リン酸アンモニウム溶液につけ込み、良く乾燥させる。

次に、この軸木の先端3センチ位をパラフィンに浸し、再び乾燥させる。

この二工程によって、頭薬が燃えたあとのマッチの軸木が、消えることなく燃焼を続けるようになるのである。

そして、頭薬である。

膠を精製して夾雑物を取り、そこに松ヤニと硫黄という燃焼剤、ガラスやケイ素の燃焼調整剤を入れる。

最後に、塩素酸カリウムを加えて、練り込むために適度な水を加える。

これを辛抱強く攪拌し、適切に混ざったあたりで、軸木をこの漆喰のような泥状になった頭薬に浸して、マッチの丸い頭を作る。

これをヒモにくくって軒で干す。

爪楊枝と同じ規格なので、ヤマナラシで作った楊枝箱にちょうどいいサイズである。

この箱の横に、側薬を混合して塗りつける。

双方がしっかり乾いたところで、いよいよマッチの着火実演である。


「おお!」

一同はそのマッチの燃焼に感動した。

この時代の火起こしは、硫黄を塗ったかんなくずや経木に火付け石で着火する不便な物だった。

火縄銃を使う良之の軍にとって、このマッチの開発は有用なだけでなく、戦闘における効率性を大いに高めるだろう。

それだけではない。

もし大規模に生産が出来たなら、庶民の暮らしもまた便利になる。

そして、飛騨に巨万の富を運んでくれるだろう。


マッチ作りは、飛騨や信濃から来た流民衆のうち、主に老人などに担当させた。

そしてこれも、まずは領内に普及させ、次いで、京・堺や博多、平戸などにサンプル品を送りつけた。


石鹸にも、マッチの箱にも、二条藤の紋を焼き印した。

いずれこれらも、二条の技術力を誇る商品となってくれるだろう。




美濃のレンガ職人たちから、耐火レンガの焼成に苦戦している旨の連絡が入った。

窯の温度を試行錯誤しているようだった。

焼成温度が足りなくて脆い物や、焼き上げたあとひびの入ってしまった物などが多発しているらしい。

良之は、失敗作でも良いから納品しろとつなぎを入れた。

それらにも、半額以上の値は付けて引き取らせた。

輸送経路で働く馬借たちに報酬を発生させるためでもあるし、陶工たちの人件費を維持させるためでもある。

それに、良之には錬金術がある。

彼の時代でも実現していない、自溶炉の全面にダイヤモンドで炉壁を作るようなインチキな真似さえ、今の彼には出来るのだった。


この頃、良之には近習が1人増えている。

石鹸の奉行の川上の元小者で、新三郎という。

新三郎は、父親を早くに亡くし、母と妹の3人暮らしだった。

彼らは若干の土地は持っている物の、年貢を納めるような労働が出来ない「村厄介」という存在だった。

村厄介は、名主の指示で村の雑用や他者の畑の繁忙期の手伝いをすることで糊口を凌ぐ。

こうした状況ではたとえ苗字を持っていてもそれを名乗らず、通名だけで暮らしている。

父親は見所のある男だった。

その片鱗を新三郎も持っていて、同年配の村の子どものうちでは、もっとも背が高い子に育っている。

近頃では、他家の畑仕事のあと、必死で自分の畑を再生しようと働き、朝早くから目が利かぬ夜まで野良に出ている。

だが、このくらいの歳になると子どもと言っても社会性を帯びてくる。

彼我の差を理解しはじめるのだろう。

村の子供達は、おおっぴらに新三郎をいじめはじめた。

だが、不幸なことに、そうやっていじめてくる子供達が束になってかかっても、新三郎1人に勝てないのである。

いじめは日を追って、陰湿な方に向かった。

見えないところから石を投げる。

新三郎を雇う親たちに讒言をする。

そうして徐々に新三郎の一家は飢え始めたのだ。

川上はそれを惜しみ、一家を良之に託したのである。


良之は、まずこの少年と似た境遇にあった藤吉郎に託してみた。

藤吉郎も事情を良く察し、辛抱強く学問を仕込んだ。

しかし、ひらがなをなんとか覚えたが、そのあとがいけなかった。

藤吉郎は、この時代では異質なほど理解度が早い。

つまり、新三郎のような教え子が相手だと、焦れてしまうのである。

結果、新三郎も傷つき、やがて放棄した。

「御所様。わしが悪いでよ。新三郎のこと許して遣わさい」

藤吉郎はやむなく、良之に詫びた。


フリーデやアイリに相談してみたが、あまり新三郎は魔法の筋は良くないようだった。

望月や服部ら忍び衆にも声をかけたが、どうにも骨柄が良すぎる。

目立つのである。

見かねた滝川が、この少年を引き取った。

初日に激しくしごき上げ、足腰が立たなくなるまで木刀で打ち据えた。

これでダメなら仕方ないと彦右衛門は思った。翌日、新三郎は来なかった。

だが、その次の朝。

「滝川様、昨日は熱出して動けなんだ。申し訳、ねえ」

彦右衛門が役宅を出ると、地面に座って新三郎は頭を下げていたのである。

みると、一昨日の稽古のあとは紫色に腫れ上がり、白木で自作したらしい杖をついて歩くような案配だった。

慌てて彦右衛門は千に治療を依頼した。


それ以来、新三郎は人変わりがしたかのように素直になった。

そして、常に彦右衛門のあとをついて回り、良く気を利かせて使いを務めた。


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