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天文21年春 3

鉱床の採掘、選鉱、そしてそれらを加工する溶鉱炉を作る段階に進めるまでに、いくつかの大きな課題がある。

まず第一は、作業が出来る状態にまで原生林を伐採せねばならない。

伐採した原木は加工され、材木、木炭などに加工される。

次に、藤吉郎が行っている石灰焼成工場と炭焼きなどで発生した白灰を水で洗い、上澄みの水を乾燥させてカリを生産する。

残った灰は、畑の肥料に出来る。

炭焼きで発生する木酢液も蓄積させた。


「あ、そうだフリーデ。君たちの錬金術って、分溜の技術、あった?」

「はい。ありましたが?」

「ちょっと詳しく説明してくれる?」

彼女達の世界では魔法が発達していたため、良之の実感では科学がちぐはぐな形で進化していた。

だが、分溜の技術があったとしたら、良之にとっては大いに助けになる。

フリーデはためらいながらも、錬金術師が行っていた精溜技術を説明する。

「精溜塔じゃ無いか! フリーデ、職人たちを指揮して建造出来る?」

鉛筆で図に書かせた良之が興奮してフリーデの両手を自分の手でくるんだ。

「えっ? あ、は、はい……」

フリーデはいきなりの接触に顔を真っ赤に染めながらも返答する。

「よし! じゃあフリーデ、君は職人たちを指揮して木酢液の分溜塔を作ってくれ! いずれは越後の原油の分溜にも挑戦してもらうから!」

良之にとって、石油の分留は最大の課題であった。

小さな課題としては、彼のキャンピングカーの燃料の問題がある。

ディーゼル車であるキャンピングカーは、エンジンが軽油、発電機がガソリンである。

どちらも現状では入手が難しい。

原油から錬金術で抽出すれば製造は可能なのでさほどの問題でもないが、それよりは、石油製品の入手は工業力を大きく発展させてくれるのである。


引き受けたものの、フリーデは課題の大きさに戸惑った。

ひとまず、彼女はこの時代の職人たちの能力の把握からはじめることにした。

大工、鋳物師、鍛冶師などの工房を廻って、代表者に分溜塔について講義し、感触を得た。

彼女が「割と文明度が低い」と思い込んでいたこの時代の職人たちは、精度の高い仕事が出来る事を知って驚いた。

実際、フリーデの引いた図面に関する理解度は各職人においても高く、およそ三ヶ月ほどで全高10mにも及ぶ試作の分溜塔を建造してしまうのだが、それはまた別の稿に譲る。




平金鉱山や神岡鉱山などに代表される金銀銅、および鉛の鉱石を産出する鉱山には、多くの場合良質な亜鉛鉱も産出する。

にもかかわらず近代まで亜鉛を人類が有効に使えなかった理由。

それは亜鉛がごく低温で――具体的には摂氏900度近辺で蒸発してしまうためである。

この時代、中国では亜鉛の単離に成功していたらしい。

その方法は、亜鉛鉱を高熱で焼き、ガス化した亜鉛を羊毛によるフィルターで再結晶化させる方法だったようだ。


良之の時代には、亜鉛鉱を自溶炉などで発火焼成し、そこに鉛の鉱石をシャワーのように降らせることで気化した亜鉛を再結晶化させる。

そして鉛は液化し、亜鉛が結晶化する温度まで下げると、亜鉛は固化して浮遊する。

この亜鉛を集めて電気精錬でフォーナイン純度にまで高めていた。

良之がこの方法をとろうとする時、大きな障害がある。

温度管理である。


次善の策として、銅―鉛溶鉱炉に排気ガス処理を加え、レトルト製法によって亜鉛を分離する方法がある。

レトルト法は、良之の時代、小中学校の理科や化学の時間に実験室で学ばせているため、おなじみの方法である。

水溶液をフラスコで熱し、蒸気を凝集する水冷の器具こそがレトルトだ。

中国で行われている亜鉛精製もある種、同じ理論で構成されていると言って良い。

この場合、触媒・還元剤として羊毛を利用していることになる。


良之が考えなければならないのは亜鉛収集対策だけでは無い。

鉱石を焼くと一般に、硝酸化物、硫化物、ヒ素、カドミウムなど有害ガスや有害物質が発生する。

ちなみに、ヒ素は615度、カドミウムは767度、亜鉛は900度で蒸発する。

これらを効率よく分離すれば、場合によっては資源として活用できるが、排気ガスとして垂れ流せば、深刻な環境汚染や健康被害の原因になる。


分溜を理解しているという事は、フリーデにはレトルトについても理解があることだといえる。

分溜精溜塔などは、レトルトから派生して進化しなければ得られない科学技術だからだ。


鉱山より金銀銅を産出する際、併せて鉛や亜鉛の鉱石を加えて粗精製するのはコストの面から言っても非常に効率が良い。

特に銅にとっては、南蛮絞りと全く同様の理由から、粗銅の時点で比較的高純度の銅に出来る。

ただし、銅の融点は1084度。前記の汚染物質や亜鉛は全て蒸発する。




鉱石が含む硫黄の酸化反応で自溶炉を作るとなると、さらに大きな問題がある。

吹き込む空気に高酸素濃度が要求されるのである。

酸素の製造は、電気があれば実はそれほど難しくは無い。

高圧、低温下で空気を圧縮冷凍すると、液体空気が製造できる。

この液体空気の融点の違いから、徐々に温度を上げるとまず窒素が気化し、次いでアルゴンなどの希ガス、そして酸素が残る事になる。

液体空気の分溜である。


余談だが、この液化窒素があれば、硝石の生産は科学的に一気に進む。

フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュによって開発されたハーバー=ボッシュ法によって、窒素はアンモニアへと化学合成できるようになったからである。

さらに言うと、良之にとっては、人糞の使用をやめさせ、化学肥料への移行を促すのに最適な「化学肥料」の生産が可能になる。


技術的課題はある。

この時代、高圧に耐える「継ぎ目なし」容器を作るための工業手法も素材技術も確立していない。

いわゆるボンベ容器は、そのサイズの鋼管を鋳造後切り分け、底部と頭部を熱加工によって作成する。

素材はマンガン鋼かクロモリ鋼が使われ、高圧充填に耐えるよう設計されている。

同様に、ボンベに装填されるバルブも高圧に耐える精度と安全性が要求される。

バルブは一般にはねじ山切りによって接続される。

ネジによる噛み合いによって、漏洩を防ぐのだ。


良之の考察は終わった。

いずれにしてもこの規模の工業化を果たすためには高炉と転炉が必要である。

さらに、鋳造であれ鍛造であれ、まずはその規模の工場を作らねばならない。

技術というのは一足飛びには誕生しない。

一見関係ないように見えても、それぞれの発明や開発は、密接に関係し合っているのである。


良之の見たところ、この時代の鋳物師にしろ鍛冶師にしろ、適切な器具と知識を広めれば、充分に職工としての能力は発揮できるとみている。




排ガスの処理については、ひとまず電気とモーターが無いと話にならない。

前段処理で粉塵をフィルターで漉し、水素ガスを吹き込むことによって窒素酸化物を還元、また硫化水素を発生させ、脱硫を行う。

その後脱硝処理にはセラミックスとアンモニア法によって窒素に還元させ、脱硫処理も触媒と水蒸気によって硫酸となり収集出来る。

最後に、水中に沈殿させた石灰に残った硫化ガスを反応させれば、石灰が化学反応によって石膏に変化する。

この無害化によって、ある程度の安全と、副産物を得るのが良之のプランだった。

いずれにせよ、モーターとファンによる排煙のコントロールが必要になる。




木曽左京大夫義在が、今回到着した6500人の代表として良之にあいさつに訪れた。

「このたびの流民の受け入れ、誠にありがたく」

左京大夫はまず深々と頭を下げる。

「どういう素性の人たちですか?」

良之の問いに、

「まずは武田によって占領され流亡した信濃の国人、豪族。さらに、北条によって流民と化した関東の者達。そして、飢饉や災害によって発生した甲斐の庶民でございます」

と左京大夫は答えた。

いずれも、前々から聞いていた通りである。


「分かりました。まずは本人たちの意向に合わせて仕事についてもらいます。ですが、実際の所現状では飛騨には農家の需要があまりありません」

「なんと……」

左京大夫は暗い顔をする。

この時代、専門技能など早々持っているものではないし、そうした者達は流民化しにくい。

戦で支配者が代わったところで、どの統治者も技能者は重用するからである。

「まず武家ですが。本人たちの希望があれば戦闘専門の銭傭いになってもらいます」

「銭傭いですか?」

「ええ。俺の土地では、武家は全員そうです。所領を与えたりは一切しませんし、新しく加わる国人からも領地は召し上げます。代わりに、領地を持っていた時より多くの銭や食糧を支給します」

この時代、銭傭いはそう珍しいことでは無い。

堺や大山崎と言った商業地にいる傭兵は全て銭傭いだった。

こうした傭兵は、浪人や武家の冷や飯食いの他に、伊賀甲賀と言った特定の地域出身の者や、雑賀衆や九鬼衆と言った傭兵団を組織している一団もある。

「次に文官ですね。領地の代官、出納役、記録係など。戦闘には一切参加させません」

「はあ」

これも現状、そう珍しいことではない。

読み書き算術に強い家臣から、納戸役や代官などが選ばれて、年貢や戸籍を管理している。

「他にも外交担当、商業担当、工業担当などの職があります」

外交担当は分かる。だが、商業担当や工業担当とは珍しい。

左京大夫が確認すると、要するに、飛騨では農産物より工業生産を優先させるため、食糧は他国からの輸入に頼る。

ゆえに御用商任せでは無く、商業の監視や工芸品に対する国営化を進めているという事だった。

「そして、職人層です。まずは皆さん、どうしても畑が欲しいという方には畑を斡旋します。将来が決まっていない人たちで武家にならない人には、まず人足として働いてもらいます。もちろん、食事と給料はきっちり払いますし、住むところも保証します」

「な、なるほど」


6500の流民のうち、半数以上の3500は女や子ども、老人だった。

残る3000のうち、1000が専業兵士、500が帰農し、残りはひとまず労夫として働きながら資金を得ることになった。

女性陣は飛騨の各地に分住して、給食などの業についてもらった。

子供達はまず学校を開設し、読み書きや算術を習わせ、その後に適性に応じて就職させることとした。

年寄りについては、縄や竹細工と言った手仕事を斡旋した。

これらについても、強制では無くあくまで副収入として環境を提供したのだった。


「ところで、左京大夫殿はどうされるのですか?」

良之は聞いた。

「そうですな。わしにも領地はあるにはありますが、ここに連れてきたものへの責任も、御所様への責任もありますゆえ、残って面倒を見ようかと」

「それはありがたい」

つい良之の本音が出た。

「では、この地の代官をお願いします。きちんと給料はお支払いしますんで」

そう言ってさっさと既成事実化して左京大夫に有無を言わせず押しつけたのだった。


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