天文21年春 1
道三や信長は、隠岐たちに案内されて切り通し道や新築した橋、街道沿いに配備した倉庫町を見て歩いている。
良之は、春になって再び集まってきてくれた金山衆や黒鍬衆に新しい指示を出している。
旗鉾、という地名が丹生川沿いの里にある。塩屋の出身地である塩屋の里より東の上流にあたる。
縁起は古い。
神功皇后が三韓征伐をためらった際、「乗鞍の神」が夢枕に立ち彼女を励ましたという。
皇后はこれを受けて出陣を決意。
戦勝後、このときの旗と鉾をこの地に遣わし、枕頭に立った神に感謝したという。
この地に、足尾鉱山には及ばないものの、当時のアジアでも屈指の銅鉱山が眠っていることを良之は知っている。平金鉱山である。
「川の付け替えでございますか?」
「うん。旗鉾の村のあたりの川を、北の道沿いに付け替えて欲しいんだ」
良之はプリントアウトした周辺図を一同に配って説明する。
「そして、川の南岸に大きく四つ、池にするための穴を掘って欲しい」
図面に良之は、田の字型に四つ、池の絵を描いた。
「みんなは、鉱山を掘ると鉱毒が出たり赤水が出るの、知ってる?」
黒鍬衆はともかく、金山衆は知っていた。
「その水をこの池に流し込んで沈める。上澄みを下の池に流して、さらに浄化するんだ。四つある理由は、こっちの二つが一杯になったら、次にこっちの二つを使うためなんだ」
「その間に干して、こっちの二つの池を浚うのですな?」
「そう」
この平金の鉱山は、書物によると生涯で推定1万トン以上の精製鉱を産出している。
しかし深刻な赤水の被害を周辺流域にもたらした公害鉱山でもあった。
良之はなんとか、その被害を未然に防ぎたいと思っている。
現在神岡の操業を停止させているのものこのためである。
自身がイタイイタイ病の元凶になるのはどうしても避けたかった。
「鉱毒は出ますか?」
金山衆が聞く。
「出る。出ない山なんてほとんど無いんだけど、ここは沢が多いでしょ? 多分掘ると赤水が沸くから、必ず」
開発経験者たちなだけに、金山衆たちは納得せざるを得ない。
「鉱山から赤水が出たら、必ずこの池に流れるようにする。この池で赤水が沈殿したら、上澄みだけを川に流す。そういう仕組みなんだ」
池の建設予定地に住む立ち退かせる住民たちは、塩屋の里に移し新しい畑を開かせる。
そのため、転居を良之が援助し、さらに一年間の年貢の免除を指示した。
掘削を指揮する黒鍬衆の他に、100人ほどの黒鍬衆と木下藤吉郎に、良之はセメントとコンクリートの技術を伝えた。
飛騨には良質な石灰の山地が無数にある。
そうした石灰の産地は、この旗鉾のすぐ近くにもある。
銚子滝と呼ばれる久手川支流南岸の山が、ちょうど石灰の地質である。
良之はこの一帯の伐採を山方に指示、黒鍬衆には作業道を開削させ、さらに山方衆のうち炭焼きの知識がある者達に命じて炭の生産をさせた。
石灰を焼くための準備である。
匠衆には、伐採で開いた作業場に蔵を建てさせた。
また、鍛冶屋や鋳物師たちには、セメント用の工具や鉄筋を作らせた。
その間にも、良之は錬金術で精製した原料を元に藤吉郎たちにセメントについて講義し続ける。
セメント自体は、世の東西を問わず古代からある。
日本の漆喰などは一種のセメント・モルタルに近い素材だ。
エジプトのピラミッドにも用いられている。
山方衆が伐採し、黒鍬衆が整地した山の斜面から石灰岩が現れた。
これを金山衆が指導して人夫たちに採掘させる。
採掘した石灰岩を炭焼きの窯を利用して焼き上げ、何基もの石臼を使って粉砕させる。
ここに良之の持つスラグ由来の二酸化ケイ素の粒を混合し、さらに河原の砂利などを水と共に混合攪拌する。
まずは、この作業場の地面の舗装をさせてみた。
「これは便利なものですな」
金山衆も黒鍬衆も、飛騨の匠までもがその有用性に期待を膨らませた。
実際、コンクリートの多様性は様々な分野において人類の近代化を支え続けた。
土木・建築・治水・インフラ工事。
ここでセメント工法の知識を得た一同は、やがて良之に欠かせぬ技術者となっていく。
炭焼き窯は温度調整が難しい。本来ならロータリーキルンが欲しいところだが、良之は妥協した。
生産されたセメントを、掘削した四基の沈殿池の側面に施工する。
まずは鉄骨を打ち込み、木板で形を組み上げ、そこに混成したコンクリートを流し入れた。
また、漆喰塗りの左官を指導し、池の床面にもコンクリートを流し込んだ。
一通りの工法を教えたあと、残りを全て藤吉郎に指図させ、与力として江馬右馬允を付けた。
新兵器開発は、良之にとってずっと頭に引っかかっている課題だった。
鉄砲は強い武器ではあるが、いくつかの欠点がある。
最大の欠点は、現状では雨天時には無用の長物となることである。
それに、いかに破壊力が強かろうと、貫通力にも限度がある。
守りに適した武器ではあるが、攻城戦には使いにくいのである。
「お呼びでしょうか?」
「おう、源十郎殿もか」
先に来ていた滝川彦右衛門が下間源十郎にほほえみかける。
「2人には、今から渡すものを作って欲しいんだ」
良之は、プリントアウトしたロケットエンジン――子ども向けの教育玩具の方だが――の設計図を手渡した。
また、ロケット弾の概要図を一緒に渡す。
「なんですこりゃ?」
「火箭、ですか?」
さすがに本願寺で育った源十郎は博識だった。
「そう。唐や宋の時代には震天雷とか神火飛鴉とか言われた武器だけど」
震天雷は水滸伝にも登城する。
地軸星轟天雷の凌振。
彼は火薬に通じ、砲兵を指揮して攻略戦に活躍した。
炸裂弾などもこの物語には登場するので、少なくとも宋朝末期には、中国にはこうした火薬兵器が実在したのだろう。
実際、戦国期には焙烙玉という火薬兵器が存在した。
史実では織田の水軍がこれによってさんざんに焼き払われ、九鬼の鉄甲船が誕生するきっかけとなった。
火箭。現代のロケット花火の大型のような武器だったと思われる。
直進安定性に欠き、横風に脆く精密射撃が難しい。
故に、後部に長い棒を付けているのである。
良之の図には、紙飛行機のような羽根が描かれている。
これも現代兵器に共通である。現代においてもロケット兵器の直進安定性には難があるのは変わらない。
電子兵装が一般化し、ロケット兵器にはカメラセンサーや推進コントローラが取り付けられるようになった。
目標を自認し飛翔するのである。
「鉄砲鍛冶や鋳物師、木工師と相談して、10町くらい離れてもあたるようにして欲しい」
そんな風に頼んだ。
「火薬は今使ってる煙硝で行けるはずだ。頼んだよ」
突然のことに滝川も下間も困惑したが、頼まれてしまったものは仕方が無い。
良之は神岡に移動すると江馬、塩屋、服部、千賀地を呼び出し、猪谷までの道の検分を行った。
雪解けを迎え、前年の切り通しで作られた道は若干のぬかるみはあるが、それでも良之が飛騨に着いた頃に比べれば、格段に道路として進歩している。
神岡から猪谷へと至る街道を越中東海道と呼んでいることは以前にも触れたが、この街道は、高原川という神通川支流に並行して付けられている。
自然の地形をうまく活用して付けられているが、やむなく川や支流を越えなければならない場所には、立派な橋が架けられている。
猪谷手前で、黒鍬衆たちによる拡幅工事と遭遇した。
良之は一同を労うと先を急いだ。
高原川が宮川と合流する一帯。
東岸は東猪谷、青岩は蟹寺と呼ばれた。
土地の人間は、かんでら、と呼んでいる。
ここは、越中からの荷が東は神岡、西は白川へと別れる三叉路で、物流の要衝でもある。
人が長い時をかけて慣らしたのであろう平地はあるが、惜しむらくはこの集落は水利が悪い。
畑作に適した沢が無いのである。
良之はこの蟹寺に城郭を築かせようと考えている。
蟹寺を構成する地盤は固く、高原川と宮川の合流点であるにもかかわらず侵食されていない。それどころか、山と呼ぶに近い岡がそそり立って岬のようにそびえている。
古来ここに住んだ住人たちにも開墾されていないところを見ると、よほど固い地盤なのだろうと良之は思った。
「どう思う?」
まず、江馬と塩屋に良之は聞いた。
「場所は申し分ありませぬが、水に難儀しそうですな」
塩屋が言う。
「なんのための城ですかな?」
江馬が訊ねる。
「一つには、うちの荷物を守るための監視所だね。もちろん、神岡を守るための砦でもある。どちらにしても、最大で5000から1万が拠れる拠点にしたいところだね」
「1万でございますか?」
土地の規模から言うととてもそれだけの城は作れないだろうと江馬は見た。
「それはもちろん、猪谷も勢力下に収めたらいいよ」
簡単に良之はいった。
猪谷は、水量が盛んな季節にはここまで上り舟がやってくる。
反対に、飛騨から切り出した材木は筏舟として越中に下って行く。
神通川水運の基点になれる土地だった。
水量が足りないと楡原から猿倉あたりで荷揚げし、その後陸路で猪谷を経て越中街道を東西に別れる。
この土地は、食料や生活必需品のかなりの部分を輸入に頼ろうとしている良之にとって、まさに生命線なのである。
越中や飛騨の武家がこの拠点に進出していないのは良之にとって幸いだった。
さっさと軍事拠点化するに限ると良之は考えている。
蟹寺、猪谷の百姓たちは、この降って湧いたような築城騒ぎに皆驚いた。
だが、城主は京のお公家様であり、飛騨への品々を守るための築城だという。
さらに、やけに金払いが良く、炊き出しの飯も豪華だ。
この土地の人間たちは皆、畑作の傍ら人夫として小遣い稼ぎをしたし、娘たちも炊き出しを手伝うと、食料や給金がもらえるのでこぞって参加した。
地元の寺社にも寄進をしたりと大盤振る舞いなこの新しい城主を歓迎した。
彼らにとって問題は、年貢だった。
この時点では、越中は能登守護畠山氏の所領である。
ただ能登畠山氏は本来河内畠山氏の家来筋で正当性が弱かった。
そのためご多分に漏れず家内に権力争いが渦巻き、越中の支配など出来る状況では無かった。
そこで台頭してきたのが越中守護代神保氏である。
この一帯は神保氏が代官として年貢を取っている。
寒村という事もあり五公五民で賦役や銭によって不足分を補っていたようである。
この村の者達は、当然、良之が治めた場合、賦役なしで人夫には報酬がある上、四公六民であることを知っている。
だが、良之にとってこの地を奪うことは神保との対決を意味している。
彼にとっては魚津や富山岩瀬湊からの荷が安定して飛騨に届けばそれで良く、全く領有などは頭に無かった。
良之は、猪谷までの飛騨街道の普請も命じた。
飛騨国内で越中街道と呼ばれる道は、越中に入ると飛騨街道と名を変えるのである。
併せて、猪谷の船着場の整備なども黒鍬衆に行わせ、塩屋に、二条家の倉町を普請させた。
塩屋筑前守はこの頃から、二条家の商業面の責任者を任されることが増えていく。
すでに旧領地は江馬の嫡男、右馬介が代官として着任している。
実質上、江馬も塩屋も領有権を国司である良之に返上しているため、領民にはさほどの混乱は無かった。
良之は塩屋に、蟹寺と猪谷での二条家の倉町建設の指揮を取らせると同時に、富山岩瀬港においての株取得と、六十棟以上にも及ぶ巨大な倉町建設を命じている。
「そんな規模で必要なのですか?」
塩屋はさすがにその規模に驚いた。
「うん。たとえば、堺や京、敦賀からの荷物は船便で届くでしょ? 直江津からは草水、平戸からは丹が届くし、博多からは石炭が来るようになると思う。それをどうするかはまだ決めてないけど、上り舟や人力で神岡まで運ぶにしたって、船便の量とは比べようが無く輸送量が弱いでしょ?」
海路で運ばれる積み荷は1回の量が多い。
それを飛騨に運び込もうと思えば、大変な人海戦術が必要となるだろう。
「もし法外な値を要求されましたら?」
「そしたら対岸の草島あたりに新しい湊を開いて構いません」
その返答に塩屋は暫し考え込んだ。
「いっそ、はじめからその線で行かれたらどうでしょう?」
塩谷の商人としての勘は、その方が結局安く付くと告げている。
だが良之は首を横に振る。
「よほど法外な事を言われなかったら、岩瀬を使って下さい」
良之は、自分だけで無く岩瀬の商人たちにも利を与え、運送業に乗り出して欲しいと思っている。
わざわざ対立して、彼らを締め出したり敵視させたりする必要は無いのである。
そこにまで考えが至らないのは、豪商として一代で成り上がった塩屋の限界なのかも知れないし、良之と塩屋の目指しているゴールの違いかも知れなかった。
塩屋には与力として望月三郎を相役に付けた。
近頃では三郎は、妹のお千から魔法を習い、<収納>や回復魔法を使い出している。
多額の金を動かす際、この時点で彼は最適だった。