天文20年冬期 7
翌日、三木大和と手勢を道中に加え、下呂から高山に向かう。
高山でも高山外記自らが視察の一行に加わった。
高山から進路を東に取り、丹生川沿いを東に進む。
こうして、現在良之の勢力圏である丹生川の尾崎城にようやく一行は到着した。
塩屋筑前守秋貞、千賀地石見守保長の両名が、主を出迎えた。
天文21年2月20日のことである。
「御所様ようお戻りを。まだ雪が厳しかったでしょう」
塩屋が言う。
新暦に直すと3月上旬といったところで、飛騨の場合この時期はまだ山地には残雪が多く、確かに旅は厳しかった。
ただし、下呂では三木家、高山では高山家等に世話になっているため、実際の所、騎乗の良之たちは寒さを除けばさほどつらくは無かった。
御徒たちはさぞつらかったであろうが。
良之は、滝川彦右衛門と下間源十郎、それと軍団長である服部半蔵正種、千賀地石見守保長らに命じ、平湯の射撃訓練場の準備をさせ、一千三百挺の種子島による射撃訓練の支度を急がせた。
これらは、斉藤道三、織田上総介信長、三木大和守直頼、高山外記らの観覧のもと行う予定である。
一行は翌日、尾崎城を出て平湯御所に着。
平湯御殿に着いた一行は、早速良之の政策の見聞に入った。
まずいきなり食堂で彼らは驚いた。
総勢四千人近い在住者の食事を一箇所で作り、住人全員に提供している。
現在この地に居住しているのは圧倒的に独身者が多い。
そのため、米を支給されても食事が難しいのである。
たとえば藤吉郎の母や姉のような居住家族の女手に加え、支配下に入った里の寡婦や若い娘などを集め、四千人の食事を100人以上で煮炊きさせている。
おかずは、味噌汁、漬け物、魚、煮物などで、織田上総介などの目から見てもこの時代の庶民の水準を遙かに上回ったぜいたくなものだった。
「あの、皆さんもよろしければ」
藤吉郎の姉のお智が、おずおずと勧めた。
そこで一行も、この食堂で一食試してみた。
「うまい……」
高山外記と三木大和守は衝撃を受けた。
自分たちが日常食しているものより、むしろ美味い。
これを御所では、人夫たちに提供しているというのである。
「御所様、ここの人夫たちはこの冬、遊んで暮らさせたのか?」
信長が聞く。
「ええ。どうせ春になればまた仕事がありますし、聞いたところだと、ただ飯食らうのは申し訳ないって、雪かきや雪下ろし、建物の修復なんかで随分働いてくれたらしいですよ」
「飯の他に、日当も出したのか?」
「ここに来てもらったのもこっちの都合ですからね」
信長は頭の中で計算する。
銭と飯で併せてひとり百文の人件費が一日に発生する。
それを一冬、180日としても四千人で72000貫。
それを何でも無いようにけろっと出しているということになる。
彼の実家である弾正忠織田家も桁違いの富豪ではある。
だが、彼がもし同じ事をしようとしても、家臣たちの反対や妨害に遭って成し遂げられるか怪しいところだった。
斉藤道三は妙なところに感心している。
「御所様。なぜこの町の建物は長屋の屋根まで銅葺きなんですかな?」
「ああ、藁や茅で葺いていては雪の季節に間に合わなかったんですよ」
良之は、ここに入って家を建て始めた経緯を説明する。
「なるほど、それで一夜城などと言われて居ったわけですな」
「一夜じゃ無いんですけどね」
良之は苦笑した。
「瓦さえ用意するのが難しい状況だったんで、銅にしただけですよ」
良之はこともなげに言うが、普通は銅をこれほどの量、一度に用意することなど不可能である。
「まあそこは、俺は銅座の主でもありますしね」
実際は、京の焼け寺の跡地で大量に仕入れたり、棹銅を各地の市場で買い占めたりして<収納>の中に唸っているからであるが。
食後にそうしてくつろいでいると、やがて滝川彦右衛門が
「準備が出来ました」
と一行を呼びに来た。
演習場の雪は見事に掻き上げられ、1300人の銃兵が整列して待っていた。
第一隊の指示は服部半蔵。第二隊は千賀地石見、第三隊は望月三郎が指揮を執る。
「じゃあ第一隊から順に一斉斉射で。打ち終わったら各隊早合にて装填。各隊3回の射撃を見せて下さい」
良之の指示で全隊準備を始める。
「撃てぇい!」
彦右衛門の号令によって、三隊三回ずつ、計9連射の実演が終わった。
これには、道三や信長、高山外記、三木大和らは声さえ失った。
道三は、紛れもなくこの公卿を中心に戦争のあり方が変わることを悟った。
信長もまた、源平の昔から今に至るような合戦など何も意味をなさないことを理解していた。
一騎打ちなど、しているいとますら無かろう。
彼ら2人の従者たちもまた、この凄まじい武力に相対し、言葉さえ見つけられずにいる。
明智、竹中の2人は、歴戦の男どもだ。
道三の許で美濃統一戦を必死に戦ってきた。当然、現実の戦場というものを知り尽くしている。
だが、信長に従ってきた若い者達には、今ひとつその認識が足りない。
川尻は歳も上で織田信秀に従軍した経験もあるが、丹羽、池田、前田あたりは、その凄まじい轟音に驚き、鉄砲という新技術に興奮こそしているが、その重大性にまで思いは至っていないだろう。
深刻なのは高山や三木だった。
彼らは当然、撃った銃兵では無く、撃たれて砕け散っている的の方に自分たちを幻想した。
「なるほど。あれを見た江馬や塩屋が戦わず御所様に降った意味が分かった」
青白い顔で高山外記は三木大和守にいった。
鉄砲の演習を閲兵し、その後平湯の母屋に宿を与えられた外記は、大和守の部屋を訪ねていた。
「わしはな大和殿。御所様に降るよ」
「外記殿。それはまだ早かろう!」
「大和殿も本当はおわかりだろう? あの種子島の銃口を向けられれば、わしらは終わりじゃ」
「……」
三木大和のこぶしは固く握られ、震えていた。
もう一息だった。
すでに高山の地は調略によって手に入れたも同然だった。
ある家には嫁を、息子を、親族を跡取りや政略でいれ、さらに真綿で首を絞めるように広瀬や高山外記や姉小路の領地を孤立化させてきた。
降れば良し、降らねば滅ぼす。
その準備も万端だった。
大義名分として姉小路右近衛中将の家督さえ継げれば、そこから彼の輝かしい飛騨攻略が始まるはずだった。
だが姉小路右近衛中将はついに、三木大和守の圧力に屈することは無かった。
頑迷にも、中将は三木の子との縁組みを拒んでさんざんにののしったのである。
そのため、三木はじっくりと高山の国人や土豪を取り込んでいった。
もう一息でその調略も終わるところだった。
それを一気に、二条大蔵卿にひっくり返されたのである。
高山外記が帰ったあと、入れ替わりに斉藤道三入道が三木を訪ねてきた。
「……これは、入道様」
「つらいところじゃな、大和殿」
どっかと胡座をかいて道三はいった。
「あの種子島、一挺いくらかしって居るか? 通しで考えたら30両だそうじゃ。つまり、御所様は39000両を支払って居る。兵士や職人どもには一年で15万両を払って居る」
道三は天井を仰いだ。
「わしも、これでも美濃の蝮と言われた男よ。それなりの自負もある。が、あの男は今少し手の届かぬ高みに居る気がするわ。わしはな、大和殿」
天井から三木大和守に視線を戻し、道三はいった。
「もし御所様が美濃を欲したら、せがれには戦わず臣下に降れと言おうと思う。あれは、それほど恐ろしい御方じゃ」
35万石以上を領した梟雄が、1万石を領した男に告げた。
現実問題として、この時点での美濃の総動員数は3万人近くあるだろう。
対して今の良之は5000あるかどうかである。
だが、その3万をもってしても道三は、勝てるか自信が持てなかった。
あの鉄砲がどれほど連射できるのかは分からない。だが、あれと野戦をすれば、総崩れをするのでは無いかと道三は思う。
まだ良之がこの地に御所を建てて、半年に満たないのである。
あれが二年、三年と時を経て、力を蓄えたら一体どうなるのか。
「大和殿。貴殿は運が良いのやも知れん。あれと戦うなら歴史に名が残る。従うなら、黄金の日々を見ることになる。わしはうらやましい。もう10年若ければ……」
「道三殿であれば、どちらを選びましたか?」
やっとの思いで大和が絞り出した言葉を聞いて、道三は目を閉じる。
「……わからぬ。が、戦ってみたくはあった」
そう答えた。
信長の興奮は、与えられた客室に下がっても収まらなかった。
「お犬。あれはすごかったな!」
すごいとしか言いようが無かった。
信長も実際は鉄砲というものを知っていたし、撃ったこともある。
だが、一発撃ったあと、次弾を装填させようと渡したあとでぐずぐずと弾籠めのことをやっている職人に愛想を尽かして去った。
こんなものが戦の役に立つか。
そう思っていた。
だが、今日見た1300人の鉄砲隊は、3隊に別れそれぞれが発砲後に弾籠めを行い、一糸乱れぬ隊列で9連射した。
信長の配下たちはその統制に驚いていたが、彼自身は、その弾籠めの速さこそがこの軍のキモだと見抜いていた。
良之は9連射でやめさせたが、あの速さであれば、戦場ではどれほどの敵を討ち取るのか想像すら付かない。
「わしはな、鉄砲というのはしょせん猟師の道具と思うておったが、あれは違う。弓や槍と同じで、今後は戦で使う武具じゃ」
「はあ、さようでございましょうか?」
犬千代は煮え切らない。
「そちはどう思う?」
焦れた信長は、池田勝三郎に水を向ける。
「戦場で使うには高額すぎましょう」
勝三郎の知識のもとは津島商人である。
日本に硝石が産出しないと知った南蛮商人たちは、ここぞとばかり高額な金額をふっかけてくる。
一説には、同量の砂金まで要求されたこともあるという。
「そういえば御所様は一体、どこから硝石を工面して居るのであろうな?」
良之の配下である滝川彦右衛門に聞いたところによると、彼らは毎日種子島の修行をしていると聞く。
もはやよほどの量の硝石を消費してきたことだろう。
「なんでも、煙硝倉には硝石が山のように詰められていると聞きます」
丹羽五郎左が言った。
「わしも撃ちたいものよ」
信長の興奮は収まらない。
「行けませぬぞ若。種子島なぞ、足軽の扱う武具でございます」
川尻与兵衛が慌てる。
「ふん」
信長は鼻を鳴らす。
「あれがそんな安い武具かよ。見ておれ与兵衛。いつかあの種子島が、全ての戦を左右する時がきっと来るわい」
信長はそう言い捨てると、犬千代を伴って、平湯の温泉に浸かりに出て行った。
その頃の良之は。
小者たちと総出で、一冬の間放置された鉛玉拾いにいそしんでいた。
せっかくの貴重な鉛である。
良之は、土や木、土手にめり込んだ鉛を錬金術で収納し、藤吉郎が指揮する小者や子供達が集めてくる鉛も同様に受け取っては収納していた。
「これは結構重労働だなあ」
今回の閲兵が彼らに与えた衝撃など知らず、藤吉郎たちと暢気な午後を過ごすのだった。
翌日には高山外記や三木大和、彼らの配下たちは帰途についた。
だが、結局信長の主従たちは一同そろって射撃訓練に参加していた。
意外にも信長は的当ての腕も、早合の装填も一番早くマスターして、なかなか上達しない犬千代や与兵衛をからかっていた。
道三とその臣の明智兵庫頭、竹中道祐は、良之の家司、隠岐大蔵大夫によって御所内の物資を紹介されていた。
どの蔵にも物資が所狭しと詰め込まれていたが、一番驚いたのはその多彩な食料だった。
これは、良之の道楽だと隠岐は渋い顔をしたが、
「そのおかげであれほどの食事が出来ることを感謝したほうがいい」
と道三にたしなめられて青くなっていた。