旅の空 1 -紀州-
出立の別れに、堺の商人のうち魚屋、日比屋、小西屋、天王寺屋などが顔を出していた。
ほかにも手代などをよこす者も居たが、おおかたはさほど関心を持っていなかった。
このあたり、商人の町は合理的なのかも知れない。
「では皮屋さん、あとはお願いします」
「承知いたしました。良い旅を」
武野紹鴎はそういって良之たちを送り出した。
良之は紀州行きが楽しみで仕方なかった。
科学者として、工学技術者として見た時、この時代の紀州は、堺に劣らない輝きを秘めている気がする。
紀州も、必ずしも農業生産には恵まれているとは言いがたい。
分国法で紀伊国と呼ばれる紀伊半島南部地域は、その全面積の8割以上が紀伊山地に占められている。
人は、その山々が織りなす谷に流れる川沿いか、川が海に注ぐまでに、運んできた土砂を積み上げて作った堆積平野で営みを始めた。
やがて、山岳信仰を基点にして寺社が集うようになり、興教大師による新義真言宗の総本山根来寺が、この時代には27万石と讃えられるほどの富と、僧兵1万人と言われる強大な軍事力を持っている。
この根来寺にいる僧兵たちのリーダーが杉之坊、岩室坊、専実坊だった。
このうちの杉ノ坊算長が、津田監物。津田流砲術元祖となる人物だ。
泉州日根野荘から道を南方に変え、根来街道を進むと、やがて小高い峠にさしかかる。
風吹峠を越えると、壮大な根来寺の景観が見えてくる。
400万平米にも及ぶ広大な寺社は、その権力のすさまじさを物語っている。
――これはすごいな。
良之は感嘆した。
本願寺でもそうだったが、この時代の寺社は知性の集積場でもある。
戦国に名を残した武将たちには、それぞれ幼少期から専属の教師ともいえる僧の姿が背後にある。
たとえば織田信長には沢彦宗恩。
たとえば武田信玄には岐秀元伯。
たとえば伊達政宗には虎哉宗乙。
そうした名将を生み出す師。彼らの知性を支えていたのがこうした寺院と、そこに納められた書物や経験だったのだろう。
峠を下って根来寺の寺内に入ると、早速僧兵が2人、駆け寄ってきた。
手はず通り、良之は杉ノ坊算長と面会した。
「杉ノ坊にござる」
「二条三位大蔵卿です」
算長は、随分と尊大な性格の人物だった。
人生を賭けた大ばくちで鉄砲という武器を根来寺や雑賀にもたらした大立役者であり、現在に至っては根来寺1万の僧兵の頂点に立つ惣頭まで登り詰めているからそれは当然のことだろう。
彼らに言わせれば、没落してなんの力も無い、と思い込んでいる京の公卿の若造である。
このころ、すでに算長は50を越えているので、なおのこと良之が青二才に見えて仕方がない。
さらに、良之が九条家とゆかりの深い二条の御所家というのも、算長の心証がとても悪かった。
根来寺は、50年ほど前に九条家の大切にしていた日根野の荘園を武力で奪い私有化しているのだ。
「実は、芝辻清右衛門どのの鍛冶の技を拝見させて欲しいのです」
その青二才が言った。
算長は腹の中であざ笑った。
そのような重大な秘密、誰が見せるものか。
「あいにくですが、芝辻の縁者と里以外の者の立ち入りを禁じております故」
にべもなく断り、
「諸用繁多ゆえ」
とさっさと下がってしまった。
「とりつく島もなかったな」
良之は呆気にとられて見送ってから我に返り苦笑した。
「なんと無礼な」
隠岐大蔵大夫は怒りに顔が血膨れするほど興奮したが、良之には別に珍しいとは思えなかった。
彼が学生の時分にも、特許を持った企業の開発責任者には良く居た手合いだった。
算長から伝手をたどって大伝法院座主にあいさつしたいと思っていたが、そちらの当ても外れた。
やむなく、この日は寺町の宿坊に泊まり、翌日には雑賀荘に下った。
雑賀荘では一転、良之一行は厚くもてなされた。
真言宗の根来寺の足下にありながら、雑賀衆は一向宗寄りなのである。
どうやら、証如が彼ら一行の身を案じ、随分前に手紙を送ってあったらしく、佐大夫と名乗った当主はひどく陽気に歓待してくれた。
早速宿の手配を整え、良之たちを宴に招き、大いにもてなした。
だが、彼には狙いがあってこれほどの歓待をしたのだった。
翌朝。
良之は佐大夫の部屋に招かれた。
近習が襖を開けると、そこには佐大夫が平伏して待ち構えていた。
「どうされました?」
「実は、大蔵卿様にお願いに儀がございまして」
「我が長子孫一の事にござる。生まれついて身体が弱く、常の子のように庭を駆け巡る事すら出来ませぬ。鉄砲の修練をただ脇で見ているだけで、その夜はひどい喘息を起こし、時には心の臟さえ乱れる有様。お聞きすれば御所様は、法主様や法眼様の病まで癒やされた異国の道士を家来にお持ちとか。倅を、見るだけ見てはいただけませぬか?」
なるほど昨晩の大宴会はこう言うことだったか、と良之は思った。
とはいえ、子を思う親の気持ちには嫌な気持ちがするはずがない。
「分かりました」
気楽に受けて、孫一のところへ案内させた。
「孫一」
「父上!」
「ああ、起きんでええ。今日はな、本願寺の法主様を治されたという都のお医者様に来てもらったぞ」
そう言ってから佐大夫は
「二条大蔵卿様とその家司の皆様だ」
と、慌てて言い直した。
「構いませんよ」
良之は苦笑しながら
「孫一殿、始めまして。二条大蔵卿です」
「御所様、わざわざお越し頂き恐縮です」
布団に横になったままで孫一はあいさつをする。
10才ということだったが、確かに様子は悪いようだ。
成長も遅いし顔色も悪い。
佐大夫の話を聞く限り、喘息持ちのようだった。
「アイリ、どう?」
良之はアイリに孫一の部屋で診察を依頼する。
「……確かにひどく弱っています。フリーデの薬と私の治療で試してみたいのですが」
「フリーデの薬?」
「はい。身体に衰弱がありますので、一気に治すのは負担が重すぎると思います」
アイリがフリーデに視線を送ると、フリーデもうなずいて、懐からビンに入ったポーションらしきものを出した。
見たこともないような美しい意匠の透明な薬ビンと、内容物の液体の緑色に目を白黒させながら、孫一は半身を起こして薬を飲んでみた。
飲んだ瞬間に、少し身体の芯に活力がみなぎるような感覚がして、ほっと孫一はため息をつく。
「では、回復魔法を使ってみます」
「これは……」
佐大夫は、孫一に施術するアイリのマナを感じた。
何をどうしているのか全く見当も付かないが、なにか病弱な息子が確かに癒やされているように思えた。
「何日か様子を見たいと思います」
施術後アイリはそういった。
良之が佐大夫に通訳すると、佐大夫は、
「どうぞご滞在下さい」
と笑顔で良之に返した。
「薬草採取?」
フリーデが良之のところにやってきて、ポーションの薬草に使えるものがないか探しに行きたい、といいだした。
「はい。普段私たちはそんなに大量のポーションは持ち歩いていません。こちらの世界に来て、ポーションの購入が不可能になった事もあって、自分たちで作る以外になくなりました。もしかしたら、薬草に使える草が見つけられるかも知れませんので……」
「なるほど。それは大事だね」
良之も、彼女のポーションが孫一に効果があったのを実際に見ているので、いざというときのために、生産できるのならして欲しいと思った。
佐大夫にその旨を頼んでみる。
「薬草摘みなら、ここから東に見える山が良いでしょう」
と、小者を1人案内に付けてくれた。
土地の人間は大日山と呼んでいる里山で、良之にとっては、こうした広葉樹林というのは新鮮に思えた。
彼の育った時代では、人がしっかり手入れをしないでいると、山というのは針葉樹林に覆い尽くされてしまう。
この時代は、里山や入会地というのは、下草刈りをしたり枝打ちをしたり、薪や山菜採りに利用されているため、意外と豊かな植生が見られた。
草に関する知識は全くない良之だが、アイリやフリーデにつきあって一緒に薬草探しに歩く。
やがて、集めた草をひとまとめに袋に詰め、良之の<収納>に入れて下山した。
集めたのはキノコ数種とヨモギやゲンノショウコやオオバコといった薬草だ。
特に、ヨモギには良く魔力が染みていて、良い材料になるとフリーデは喜んでいた。
良之も、佐大夫の屋敷に戻ってから、彼女達のポーション作成を見学させてもらったのだが、何をどうやって成分を抜き出しているのかはさっぱり分からなかった。
ただし、すりつぶして液化したあと、その汁に限界まで魔力を充填していることだけは分かった。
その薬草の持つ薬効は無視していないようだが、それより、その薬効に魔法を上乗せしている印象だった。
「経験則で作っているので、上手く説明は出来ない」
とのことで、ひとまず良之としてはただ見るだけにして、分析はあきらめた。
「ところでそのビン。まだ一杯あるの?」
良之は、薬を小分けにしてるビンが、もしや良い売り物になるのではと思って聞いてみた。
「いえ、もう手持ちはこれだけなのです」
悲しそうにフリーデが言うので、
「じゃあ作ろうか?」
ということで、例によって、スラッグ由来の酸化ケイ素での加工をやってみた。
前回鋳物師の里からもらってかえってきたカラミから、二酸化ケイ素だけを抽出する。
全く混じりけのない二酸化ケイ素を、イメージの中でポーションのビンの形に押し込めて、高熱をイメージする。
二酸化ケイ素がシリカガラスとして整形できる温度は1600-1700度。目の前に置かれたビンを模倣し、次々に抽出したケイ素を投入する。そのたびに溶解して成長し、最後には完成して、ころん、と座卓の上に転がった。
「これは……薬ビンの精製は本当に熟練の錬金術が行っていると聞いたことはありましたが……」
アイリが目を輝かせてその成果を見る。
「いえ、残念ですが私の知る限り、失伝していました。私たちの使っていたのは、本当にガラス職人が作る手製のものです」
「え? そうなの?」
良之は首をひねる。
「ガラス職人のところに行って、ガラスの作り方を勉強するだけで作れるんじゃないかな? 要するに、これがどうやって出来ているのか、その仕組みを模倣するだけなんだよ」
良之があまりに簡単に言うので、フリーデは苦笑するしかない。
その仕組みを知る事自体が、彼女の世界では至難だったのだ。
「どう? 使えそう?」
「はい。とても高精度で、良いと思います」
キャップはゴムなどの密封ではなく、すりあわせの精度で塞いでいるようだった。
そこは魔法の便利さ。良之は真円をイメージして、ぴったりと口を塞ぐビンを創り出した。
一度創ると、頭にイメージができあがる。
その後、フリーデやアイリにも原料のシリカを提供し、全員で生産にチャレンジしてみた。
良之が行うイメージ法を紙に図を書いて説明した。
錬金術によるガラスの鋳型の中で、シリカだけを高温にするイメージだ。
繰り返すうちに、彼女達にも出来るようになっていった。
このビンのおかげで、フリーデの作るポーションは30本ほどストックが出来た。
10本ずつ、アイリと良之にも分けておいた。