第十九話 鈴の音(1)
「あ〜ん……あっ、あん……う〜ん……あう〜……あぁ……うん?」
知らないうちに、どうしても吐息——じゃなかった——ため息が漏れる。
わたしは、頭を抱えた。
「もう、ダメ……わ、わかんないー!」
そのまま、机に突っ伏した。
顔の下には、予備校の夏期講習で出されたの宿題が広がっていた。
八月、受験対策の現役予備校の夏期講習が真っ盛り。わたしもトモと一緒に通っていた。
わかっていたことだけど、今年の夏は、受験一色になっちゃった。
しかも、わたしの志望学部は医学部だから、やたらとたくさん教科を取らなくちゃいけなかった。
一次は少なくとも5教科7科目。2次試験も大抵、数学、英語、理科2科目。
大学によっては、さらに国語や面接まである。
うー、自分で決めたこととはいえ、きついなあ。ちょっと弱気になるよ。
で、でも、頑張ってるんだよ。うん。頑張ってるんだから、大丈夫。
……だと思う。ていうか、思いたい。
いや、それに、自分で言うのもなんだけど、実はこれでも、結構成績はいいんだから
……信じてないでしょ?
ほんとなんだって。学年で30番ぐらいに入るんだから。えっと、3クラスしかないけど……。
ああ、もう、そんなこと言ってても仕方ないや。
ガバッと顔を起こして、もう一度問題集に向かった。
予備校で出された数学の問題。その応用なんだけど。う〜……ど、どうして解けないんだろう?
さっきから考えてるんだけど、どうも上手くいかない。なんでかなあ?
なんだか、一人でやってると堂々巡りだ。
「あー! もう!」
大きく両腕をあげて延びをした。それから、携帯に手を伸ばす。そして……。
「もしもし、トモ? 今、時間、ある?」
階段を下りて玄関に向かう。途中で台所にいたおかあさんに声をかけた。
「トモのとこに、勉強しにいってくる」
「いってらっしゃい」
おかあさんの優しい声が聞こえた。
わたしは玄関を開けて外へ出る。途端に夏のまぶしい日差しが降り注いだ。
もうお盆も過ぎたのに暑いなあ。
青い空には、大きな入道雲。
今日も、夕立があるのかな?
そう言えば、わたしが医学部を受けたいと告げたとき、おとうさんもおかあさんも反対しなかった。ちょっと驚いていたけれど。
わたしが、なぜそうしたいのか必死に話したら、おかあさんはただ一言
「頑張りなさい」
と言ってくれた。
おとうさんには
「医者という仕事は、たとえおまえが特殊な能力を持っていても、いや、だからこそ、おまえには大変な道かもしれない。だが、自分で決めたのなら、ちゃんと責任を持って頑張るんだよ」
と、念を押された。
うん。おとうさん、わかってる。わたしも、そのつもりだよ。
だけど、とりあえずその前に、難関があるんだけどなあ。
「トモ、ごめん。また、教えて」
家の玄関で、待っていたトモにあいさつする。
「うん。いいよ。今日は時間あるから、他のも一緒にしようか?」
「ほんと?」
「うん」
なんだか、ちょっと、うれしい。
ちなみに、トモは薬学部志望だけど必要教科はわたしとほとんど被っていて、予備校でも同じ教科を取っている。だから、出された問題も同じなんだ。
しかも、こと理数系の教科に関してはトモは抜群に成績がいい。ある意味、科学おたくだからなあ、トモは。
「なんか言った?」
「あ、ううん」
どきっとするなあ。まさか、心を読まれたわけじゃないよね?
「先に、座敷で待ってて」
「うん」
トモの家は、基本的にクーラーが無い。
なので、ふたり人が入ると狭くて扇風機だけじゃ暑くなってしまうトモの部屋ではなく、一階の広い座敷に向かう。
勝手知ったるトモの家。座敷に入ると、大きな窓は開け放たれ、外に日除けのよしずが立て掛けられていた。
そこは10畳ほどの広さの部屋で縁側があり、窓を開けると庭に下りることができるようになっている。
庭はかなり広く、前面にはキャッチボールができるぐらいの空間がある。後方には、岩と木々の配された前栽があった。
「この庭で、よく遊んだな」
不意に、小さな頃トモと二人してこの庭を駆け回ったことを想い出した。
前栽の木々の間でかくれんぼして、時にはその木に登って飛び降りたり、小さな池に石をたくさん放り込んでトモとふたりで叱られたこともあったっけ。
なんだか、今でも小さなふたりが、そこら辺を走り回っているような気がする。
そんなふうに庭を眺めていたら、開け放った窓から気持ちいい風が吹き込んで、鴨居に下げられた風鈴がりーんと鳴った。
ガラスで出来た、少し色あせた風鈴だった。水色の輪が幾重にも重なって描かれている。
「メグ、ちょっと手伝って」
その声に、部屋を振り返ると、トモがテーブルを運んで来ていた。
「こっち?」
「うん。端、持って」
それを窓際の、でも、日陰になった場所におく。
それから、わたしたちは並んで座って問題集を開いた。
「じゃあ、始めようか」
「うん。それでね、トモ、この問題なんだけど……」
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