イタズラは心臓に悪いのです
「はぁ……海は広いなぁ」
水はしょっぱいが、空や海の雄大さには敬服するな。
俺が海に浮かび空を見ていると、いつの間にか浮き輪にお尻をはめてプカプカ漂いながら隣に弘美がやってきた。
「なぁによぉ」
ああ、いつの間にか弘美の顔を見てたか。
「うん……なんかこういう、のんびりしたのもいいよなぁ」
「は? あんたって…枯れてるわね」
「んー…俺、今までがわりと忙しい生活だったからなぁー…。のんびりするだけで、わりと幸せかな」
「バカじゃないの? もっと幸せなことなんかたくさんあるじゃん」
いつものことながら素早い反応だが、言葉は何かをなぞってるように淡々としてる。
なぁ…お前、幸せか?
そう聞きたくなったが止めて、俺はまた空を見る。
「知ってるよ。けど、そのたくさんの幸せにもう一つ『のんびり』があったっていいだろ。気をはらなくていい相手と一緒なんだからよ」
「…気をはらなくてもいいけど、気はつかいなさいよ。あんたはヒロの下僕で、ヒロはあんたのご主人様なんだから」
「りょーかいー。…てかさぁ、あいつらは何処に行ったんだ?」
「………………知らなーい」
ずいぶん間をあけてから、弘美は投げやりに答える。
「そぅか…」
まぁ小枝子が心配っちゃ心配だが、七海がいれば無茶なことにはならないし、俺サイドには口うるさい鬼コーチ(七海)がいないんだしいいか。
「……なー…弘美ーぃ…」
「なに…?」
「お前だって、こういうの悪くないと思うだろー? はあぁ…気持良い…。ずうっと、こうしてたいな」
「……そうね…悪くは、ないわねぇ」
「だろ…?」
少し間伸びした返答に、俺は喉をならすように小さく応える。
本当に…こんな平和で幸せな日々が続けばいいな。
いや、続けていく。
続けていきたい…。
ああ…、暇だ……けど、悪くないよな。
あ…寝そうだ。
「皐月ーーーーーーっ!!!」
紗理奈のどでかい呼び声に俺はおりてくる瞼を無理矢理開けた。
やれやれ、今度はなんなんだよ。
○
「なーーにぃーー!?」
声の方を向くと、水面から10メートルくらい上の崖の端にいた。小枝子と七海も一緒だ。
崖とは言うが、山の少しでっぱった平たい部分てなとこだ。
「いくよーー!?」
「なに」
なにが? と大声で尋ねようとしたが、声にならなかった。
小枝子が
海に
落ちた。
「……え?」
ドボーーンッ!!
水柱が面白いように大きくたつ。
「あ…っ」
助けなきゃ。
助けなきゃ。助けなきゃ、いなくなってしまう。
そんなの、嫌だ。
考える前に体が動く。
頭から水につっこむ。
呼吸ができないからなんだ。
泣いて涙に溺れるくらいなら海水に小枝子と溺れたほうがマシだ。
何もできないと嘆くなら、海に溺れるほうがマシだ。
何も考えてなんかない。俺はバカだから、がむしゃらに体を動かす。
ただ、小枝子に死んで欲しくない。
一度海面に顔をだし息を深く吸い、海面をける。
潜る。潜る潜る潜る。
綺麗な海が、暗くなるまで奥に沈んでいく小枝子を追って潜る。
姿が見えた。
さらに足を動かす。
ドキドキと心臓が
「酸素を寄越せ」と主張するが無視。
ああ…あと少し。
小枝子っ…
ニコリ。
小枝子が
暗闇で笑った。
……………え?
小枝子はくるりと回り、伸ばしてた俺の手を握る。
俺は呆然としながらゆっくりと逆さだった体勢を小枝子と同じようにする。
あがるにつれて差し込む光が増えていく。
光の束が、いくつも小枝子にふりそそいでる。
何が何だか、分からない。
分からないけど…綺麗だ。
小枝子は普段から綺麗だと思ってるけど、こんなに神秘的な美しさを人間が再現できるなんて。
「ぷはぁっ」
二人揃って水面に顔をだし、心臓がバクバクとうるさい。
「はあっ、はあっ…あははっ。あー、きも、ちいー!」
はぁはぁと荒い息をする小枝子は、途切れ途切れにだが「泳げるようになったから、皐月さんを驚かせようと思ったんですけど…皐月さんも泳げるようになったんですね」と言った。
段々と止まってた思考回路が動きだす。
え? つまりなに?
イタズラ?
「はあぁ…っ、あは、でも泳げると気持良いですね!」
爽やかな笑顔の小枝子に、俺はいいようのない感情が浮かぶのを止められない。
「ふざけんな」
「……え?」
口が勝手に動く。
あんなに心配したのに、驚かそうとしただけ?
わざと?
ただのイタズラ?
心配した分だけ、小枝子にムカついた。
本当に、命がけだった。
ただ助けたくて飛込んだんだ。
それが…何だ?
「泳げたんですね」だと?
ふざけんな。
腹の底からせりあがってくる衝動を、吐き出す。
「ふざけんなっ!!!」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。
俺の声に驚いた鳥が飛ぶ音がして、3人がジャブジャブ水音をたてて近寄ってくる。
くらくらする。
なんなんだよお前は。
俺が必死になって、おかしかったか?
滑稽だったか?
「ふざけんなよ! 俺が、俺がどれだけ…っ!」
訳もわからず泣けてきた。
本気で、小枝子が好きで、いなくなって欲しくないんだ。
死んでほしくないんだ。
だから、さっきだって夢中だった。
なのに…なのに、小枝子は…
「皐月、まぁそんなに怒ら…泣いて、る?」
「うるさい!!」
隣に来て驚いた表情で俺の顔に触れようとする紗理奈の手を乱暴に振り払う。
「いたっ」
「皐月。紗理奈が悪いわけじゃないわ。3人で考え―」
「うるさいって言ってんだよっ! …………わりぃけど、しばらく一人にしてくれ」
俺は沖に向かって歩きだす。
さっきはそうでもなかった水が、いやに重くなった。
「皐月さん、あの私…そんなに皐月さんが驚くとは思わなくて…あの…ごめんな―」
「小枝子」
「は、はいっ」
「お前は悪くない。誰も、悪くない。けど、イライラするんだ」
「…ごめ―」
「謝るな! …お前は悪くないよ。悪かったな、楽しい空気めちゃめちゃにして。じゃあ、後で」
何もかもが面倒で、無性に腹立たしくて、何かに八つ当たりしたくて、そんな自分が嫌だ。
嫌だ。
好きなのに。事故じゃなくて怪我もなくて笑ってられるなら、喜ばしいことなのに。
なのに笑えない自分が嫌だ。
冷静に考えれば小枝子が自分から飛んだんだから分かるのに、自分で勝手に混乱して、勝手に怒ってる自分が
どうしようもなく嫌だった。
○
沖に歩いて、いっそ島まで行こうかと思ったが、『小島まで』と七海が言っていたのからは、果たして小島が含まれるのかはわからなかった。
だから岩礁が集まって浅くなっている、岩がところどころ水面から頭をだしてる場所に行き、大きめの岩に座った。
足の下はごつごつしているが概ね平らで、浅瀬に岩がつきだしてる感じだ。
膝も海に触れてないほどの浅さだが、1メートルも進めば足場である岩はなくなり身長より深くなる。
足を軽くあげてピチャピチャと水しぶきをあげる。
冷たくて気持良い。
「…はぁ」
何をやってるんだろう。
バシャン―
勢いよく足をおろす。岩に叩きつけた足の裏が痛い。
乾いた顔に水しぶきが跳ねた。
さっきまであんなに楽しかったのになぁ。
「ちょっとあんた」
弘美が、いた。
浮き輪でプカプカ浮かんでやってきた弘美は、
「よいしょ」と言いながら岩礁に乗り上がり俺の隣に無理矢理座る。
他に頭を出してる岩よりは大きいとは言え、二人が座ると自然に俺と弘美は、腰から肩までぴったりくっつく。
「……」
落ち込んでた気分が一気に変わる。胸がムカムカする。
なんでだろう。弘美がなにかしたわけじゃないのに。
「…一人にしてくれって言っただろ」
疑問でなく、確認させるように言う。
いつもなら、こんな風な弘美からの接触でさえ恥ずかしさと拒否感と、そしてほんの少しの脅えがあったのに。
今は、ただただイライラする。
「あんたがヒロに命令していいと思ってんの?」
「うるせぇよ。じゃあ頼むからどっか行けよ。…今はお前の毒舌、聞きながせない」
「流さなくていい。ってか心から聞け」
「…マジで、頼むから…俺がお前に手をあげないうちに行けよ」
お前が嫌がることなんて何もしたくない。まして殴ったりなんて、嫌だ。
なのに、そうしたいと望む俺がいる。そうして黙らせてやりたいと…。
俺は、なんでこんなに最悪なんだよ。
「いいよ」
「何がだよ」
「少しだけなら、特別に許す」
「……何言ってんだよお前。頭悪いんじゃないの」
訳わからん。
「言ったでしょ? 皐月様はヒロの奴隷なの、下僕なの。分かってんの? それって……他の有象無象より、特別…なんだからね」
「…え?」
トクベツ?
「だから…つまりぃ……特別に、慰めてやるって言ってんのよバカ。良いから、言いたいこと言いなさいよ。今さら皐月様なんかこれ以上見下しようがないんだから、どうしたって変わんないよ」
「……弘美…」
何で?
何でそんな優しくするんだよ。
普段は俺にいじわるするしすぐに怒るくせに。
何で…こんな時にはいつも優しくするんだよ。
ずるい。
ずるいだろ。
甘えたくなるだろ。
「ヒロは優しいから、一度下僕にしたやつを捨てたりしないよ」
「…それ……優しすぎるだろ」
どうして、欲しい言葉をくれるんだよ。
俺は、そんなこと言ってもらえる人間じゃない。
けど…
「…いいのか?」
「何が?」
「…甘えても、いいのか?」
「………だからさ、あんたが元気なくてウダウダしてたらさ、誰がヒロのパシリすんのよ」
ああ、もうっ―!
俺は岩からおりて、座りこむ。
降りたと言っても岩礁なのは変わらないので水はへその辺りまでしかない。
「なぁ…」
俺は弘美を振り向く。
俺はこんなにも不安定なのに、弘美はまったく揺るがない視線を俺に向けてくる。
「俺、お前の年上なのに、本当にいいのかな?」
ちゃんと声が出てるか自信はなかったが、弘美は聞こえてたようではぁとため息をつく。
「皐月様言ったじゃん。ヒロには気をはらないでいいって。なら気をはらずに、甘えなさい」
「……気は、気はつかえって言ったじゃん!」
どうしてだか分からないけど興奮して子供のようになる俺に弘美はさらっと答える。
「今だけサービス」
弘美は微笑んで、俺に向かって手の平をだす。
「おいで」
「っ――、くそやろぅ!」
クソ野郎! どうして俺は…こんなにも弱いんだよ!
抱きついた。
華奢で、俺よりずっと小さな弘美。
平たい小さな胸に額を押しつける。
涙が出た。
濡れているのに、弘美の体は暖かい。
「よしよし、皐月様はしょうがない人でちゅね〜」
ふざけた口調に腹立つが、頭を撫でる手にはあらがえない。
「〜、うるさいな」
カツラを外して直接撫でて欲しいけど、そんなことは色んな意味で言えない。
「ねぇ、皐月様、どうしてあんなに怒ったの?」
「…別に」
「別にじゃ分からない。……恐かった?」
「……」
素直になるのは勇気がいる。恥ずかしくて、俺は沈黙を守る。
「ねぇ皐月様」
「……」
「まだ恥ずかしいわけ? こんな―」
弘美は俺の頬に手をあてて無理矢理上を向かせる。
俺は抵抗できないまま、ぼやける視界で弘美をとらえる。
「こんな、泣いてるくせにさ」
「……うるさい。誰にも、言うなよ」
弘美は微笑んで、ゆっくり俺に顔を近づけてくる。
「え?」
俺の頬に唇こすりつけるようにして弘美は唇で俺の涙を舐めた。
生温かいヌメリとした感触と熱い吐息に、涙を忘れて俺は呆然と弘美を見る。
「言わないわよ。秘密にしてあげるから、正直になったら? 恐かったんでしょ?」
「……………うん」
迷ったけど、素直に頷いた。
今なら、弘美相手にだって素直になれる気がした。
本当はここに母さんがいたらなぁと思うけど、弘美でもいてくれることが嬉しかった。
「恐かったんだ」
「小枝子様が、死んじゃうかと思ったの?」
「…うん。だから…助けなきゃ、って…思、たんだ」
段々と熱くなってくる。
止まった涙がまた流れだし、俺のおえつがまじる。
「俺…、は…本当に、小枝子にぃ、死、死んでほ…しぃくなかったぁ! だか、らあ、溺れ…てもい、いいいから! 助けた、か、た…のにぃ!」
「そう。小枝子様に文句言わなきゃね」
「〜。違う。俺、が悪かった。あんなの、自分で、おり、たような、ものなのに、気付、かな、かた」
我ながら聞き取りにくい発声に弘美はそっか…と優しく俺の頭を撫で続けている。
「ごめっ、ごめんん、あと、少し…このまま」
「いいよ。泣いたって甘えたって、いいよ。皐月様だもん、しょうがないよ」
「う…ううう」
そして俺は、泣いた。
○
「……」
「……」
「……………弘美」
「なに?」
「…あの、離れてくれないか? あ、俺の顔は見ないで」
「は? あんたから抱きついてきたんじゃん」
「〜〜、そ・う・だ・け・どっ…今更ながら…ひっっじょ〜に恥ずかしいから顔があげれないんだよ」
かなり時間がたってからだが泣きやんだ俺は正気に戻り、どれだけ恥ずかしいか理解した。
ってか、時間をまき戻せるならまき戻したい! うわぁ…よりにもよって弘美かよ…。
最年少でファザコンの……ちびっこ。たぶん150もない、140半ばくらいの、ちびっこ。
20センチくらい身長が下の、ちびっこ…………はぁぁ…俺はなんて情けない男なんだ。いや、女だけどでもそんな問題じゃない。
「てか上からでも髪がキャップにまとまってるから赤い耳が丸見えって分かってる?」
「っ……弘美」
「だからなに?」
「この事は、絶対に誰にも言うなよ」
「だから言わないって」
「約束だからな。絶対の絶対だからな」
「約束約束。分かりましたよ。ほら指切りでもしますか〜?」
あーもうムカツク!
俺は子供かっての! そりゃ…子供みたいに泣いたけどよ。
「敬語使うなよキモイ。あ〜…でもマジな話……ありがとう。弘美がいてくれて、助かった。追いかけてくれてありがとうな」
今ちゃんと言わないと、後ですっきりしないしな。
段々おさまってきたがまだ赤いままの顔を上げて照れ隠しに曖昧に笑いながら礼を言うと、弘美は少し視線を上に向けてそっけない態度だ。
「別に。大したことじゃないわよ」
「お前はそうでも俺には違うんだよ。うん、お前がどう思ってるかなんて知らないけど、俺、お前のこと好きだな」
「は…」
「でも我が侭はともかく、暴力だけは勘弁して欲しいけどな」
「…うるさい!」
俺の肩に置かれてた弘美の手が俺の頬を左右に引っ張る。
「ははへ(離せ)」
「ふん、皐月様は下僕なんだからヒロのストレス解消にも付き合うのは当然でしょ」
弘美の手を掴んで無理矢理離させる。
「ストレスから俺を蹴ったり殴ったりするのかよ。俺は人間サンドバックかっての。」
一応、俺お前の先輩だからな?
まぁ言ったって意味ないだろうから言わないけどよ。
「てか体動かすなら学園にはちゃんとスポーツジムみたいな部屋があるだろ」
名前は何だったかな…毎日のように利用してたんだが………たしか花の名前の『〜〜の間』みたいな感じなんだが…名前なんかどうでもいいか。
「うるさい。んなのヒロの勝手でしょバァカ」
弘美はさっきまでの優しさは何処に言ったのか、はたまた白昼夢だったのかと思わせる暴君を発揮して、年相応な無邪気な笑顔を浮かべた。
あー良かった…。ずっとあんな風に微笑まれたら、俺の心臓がもたないっての。
○
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