俺が『俺』であること
「…皐月ちゃん…」
「…っ、なに?」
俺は情けないことに鼻をすすりながら返事をする。母さんが優しく俺の頭を撫でてくれる
「あのね、皐月ちゃんには幸せになって欲しいの」
「幸せだよ」
「違うの。私以外、特に男の人をいつまでも怖がっていちゃ駄目だと思うの」
「……無理だよ」
だって、怖い。理屈じゃない
俺は小学2年の春に、まだ俺が『あたし』と言っていたころに、変質者に犯された
俺は我ながら可愛い少女だった。みんなに人気もあったし、今と違い心許せる友人もたくさんいた
結局俺は穴という穴を犯されて、5時間ほどいたぶられ遊ばれた俺は、一年近く立ち直れなかった
それだって、母さんが辛抱強く俺を支えてくれたからだ。母さんがいなかったら、きっと今も沈んでた
男なんてみんな性欲の塊なんだ。だから母さんしか信じない
本当はそんな人間ばかりじゃないって、分かってる。だけど裏切られるのが怖い
だって俺を襲った男は、俺が大好きだった教師なんだから
父親になってほしいと、母さんにだだをこねるくらい大好きだった。大きな体に大きな声で、頼もしかった
だけど今となっては恐怖の対象でしかない。大きい男は無条件で怖いし、女は平気だけど昔みたいに簡単に信用はできなくなった
あんなに大好きで優しかった先生が豹変したからだろうが、俺は軽く人間不信になったのだ。特に男に対しては、我ながら酷い
だから俺に友人はいない。男と付き合うなんて冗談じゃない。それに女だって俺は相手を騙してて、バレたりしたくないからやっぱり心は開けない
母さんだけだ。俺が全てを見せられるのは
母さんしか、俺が愛せる人はいないんだ
「ねぇ、男の人は無理でも、小五郎さんはあなたのお爺さんよ? 優しくしてくれるし、あなたを…欲望の対象とは決してしない」
「……そりゃ、そうだよ。だってお爺さんだし」
だから老人と子供なら男でも大丈夫だ。もし爺さんが一緒に住みたいという提案なら、喜んで受けよう
母さんが働く必要もなくなるし。でも、離れたくはない
俺はどうしようもなく我が侭だ。俺が爺さんのところへ行けば母さんも楽だと分かってるのに
「……皐月ちゃん…」
「やだよ。無理なんだ。母さんがいないと駄目なんだよ」
「……分かったわ」
「え…」
「お断りしましょう。本当は皐月ちゃんには他の人に慣れて欲しいけど…まだ早かったみたいね」
悲しそうにいう母さんを見て、俺の胸は痛む
そんなことはない。あの爺さんが相手なら触れることだってできる。家族が増えるなら嬉しい。だけど…母さんだけは、母さんと離れることだけはできないんだ
母さんが俺に元気をくれなきゃ駄目なんだ
「母さん…大好きだよ」
「私もよ」
「違うよ。違う…凄く凄く好きなんだよ。母さんがいれば他に何もいらないんだよ。これって恋でしょ? ねぇ、僕を一番に愛して。僕、母さんのためなら何だってできるよ」
「…皐月ちゃん、別に私は同性愛を否定しないわ。むしろ皐月ちゃんにはそのほうが良いのかも知れない。でもね、私に対する想いは、恋じゃないわ。ただの家族愛なのよ」
「嘘だ…だって、母さんを見ると大好きって気持ちいっぱいで幸せになるし…それに、抱きしめたいしキスしたいもん」
「私だって皐月ちゃんを見たら幸せになれるわよ? でもね、ライクとラブで一番違うのは何か、皐月ちゃん知ってる?」
「え…?」
ライクと、ラブの違い? そんなの好きと大好きの違いみたいなものじゃないの?
「あのね、こんなことは言いたくないけど……恋をしたら、昔あなたがされたようなことをしたくなるものなのよ。たぶん、女の子同士だってね」
「え…な…う、嘘だ! だって…だってあんなの、あんなの全然っ…」
嬉しくない楽しくないただ怖いだけだ
「あの男のほうは、皐月ちゃんに恋してたのかもね」
「そんな…」
恋って、あんなものなの? あんなに醜いの?
「誰かに恋をして、愛することは綺麗なだけじゃないわ。嫉妬したりもするわ。嫌なこともあるわ。だけど、本当は凄く幸せなものなのよ」
「分からないよ…だって、裸になってあんなの…痛いだけだよ。苦しいだけだよ。母さんは、父さんとしたいって思ったの?」
「あなたが生まれたのが、その証拠でしょ?」
「……そ、か」
恋じゃなかったんだ…。でも、そうだとしても…俺には母さん以外愛せない。もしかすると爺さんは愛せるかも知れない
だけど、あんなことをしたくなるようになるなんて思えない。俺は…きっと恋人なんてできない
女が相手だって、裸になること自体が怖いし、あんなことは嫌だ
俺が裸になっても平気なのは母さんの前だけだ
恋だと思ったのに…。俺だってあれが子供をつくる行為で、みんながそうやって生まれるのは知ってる
だけど…子供が欲しいから仕方なくするんじゃないのか? したいからして子供ができるの? 同性では子供ができなくても、あんなことをするの?
「…無理だよ母さん。僕は女が相手だって裸を見られるのは怖いんだ。女は可愛いし綺麗だけど、相手から触れられると俺の醜さが知られそうで恥ずかしいんだ。俺から触れられても相手からは触れられないんだ。絶対に、裸になりたいなんて思わない。恋なんて…できないよ」
男が怖くてたまらなくなったって恋はしたかった。誰も信用できなくても母さんと父さんのような関係には憧れた
だからかも知れない。ただ一人頼れる大好きな母さんに、恋をしたつもりで、満足しようとしてたのかも知れない
「でも……家族は、やっぱり欲しいよ」
勿論今でも大好きだけど、父さんより誰より俺だけを愛してほしいけど、でも、『恋』がまやかしだと分かったからかな?
少しだけ、大人になろうと思ったんだ
「皐月ちゃん…、分かってくれたのね?」
たとえ『恋』ができなくても、母さんに対するように誰かを『愛する』ことはできる
もう一度だけ、信じてみよう。まだ男は無理だけど、あの爺さんは嫌いじゃないから、だから、もう一度だけ、話をしよう
だって母さんと離れるのは無理だけど、だからってせっかく会えた『家族』なのにこれっきりなんて寂しすぎる
「母さんとは離れたくない。だけど、あんなに躍起になって追い返す必要はなかった。だって、父さんの父親なんだから」
会ったことのない父親
だけど、母さんが愛した唯一の男なら、俺が信用するのに十分だ
○
「……」
「皐月ちゃん?」
「どうした皐月?」
うつ向く俺の顔を二人が覗きこむ。俺は興奮して赤くなっている顔をあげる。この際涙目なのも認めよう
「…だって…こんな、こんなにうまく行くなんて…」
理想としては3人でいれるなら良かった。家族が出来るのは大賛成だし、母さんに苦労させたくないし
でも、爺さんは頑固そうだし無理だと思った
だけど…まさかただの誤解で簡単にとけて、こんなうまい話があるなんて…
「夢、みたいだ」
俺は爺さんが今更来たことに怒ったけど、そもそも父さんは家を継ぎたくなくて家出していたから行方なんか知らなかった
ただ死ぬ少し前に、わざわざ他県へ言ってから手紙を出したらしい。そこには幸せそうに笑う二人の姉弟、ならぬ母さんと父さん
そして生きていると知った爺さんは行方を探したが分からず、やっと父さんの勤め先が分かったころには俺たちは引越していた
俺が男になると言い出した小学3年の時に母さんはならばと、誰にも知られないように、俺が女だなんて知ってるやつが誰もいない場所に、とここに引越したのだ
だから今まで俺に会いにこれなかった
それに爺さんが母さんに冷たかったのも、爺さんからすれば引越したのは俺を爺さんと合わせないためと思ったらしく、それに女の俺が男として生活してるので怒っていたらしい
だが俺が男として生きている理由も全て分かった爺さんは、母さんに土下座した
そして母さんに自分の養子にならないかと言ったのだ
母さんには親はいないし、元々父さんと結婚していたらそうなるのだからと爺さんは言った
夢みたいだ
何度だっていうよ。夢みたいだ
だって、母さんと爺さんと一緒に暮らせるんだ。しかももう治安や生活費を気にしなくていい
爺さんの豪邸で住もうと言うのだ。母さんに働かずに何なら大学に行くかとまで爺さんは言った
「夢じゃないさ。今まで辛い思いをさせてすまなんだ。これからはワシがお前らを守ろう。皐月、優希。ワシの家族になってくれるか?」
「はい、有り難うございます……お父様」
「お爺さ…お祖父様? あの…私は…」
「敬語はいらん。家族じゃろ」
「じゃあ…爺ちゃんって呼んでもいい?」
「ああ!」
爺ちゃんは嬉しそうに顔を皺だらけにして笑った
俺はゆっくりと爺ちゃんに手を伸ばす
「爺ちゃん…僕は…爺ちゃんの家族になりたい。爺ちゃんを愛したいよ…」
爺ちゃんの手をそっと握る。皺だらけだけどゴツゴツした大きな手にちょっとだけ、怖い。でも…普段男のクラスメートたちに触れるのに比べたら、何てことない
「皐月…」
「爺ちゃん、今は…無理だけど…いつかキスできるくらい爺ちゃんを好きになりたいよ」
「ああ…ゆっくりせい。ワシはずっと待っとる」
「…うん!」
こうして俺は、新しく家族を手にいれた
次の日には爺ちゃんの家に引越したし、今の学校は止めた。元々未練はなかった
爺ちゃんは無理に学校に行かなくていいから、人間になれろと言ってくれた
バカみたいに大きい家に俺らは住むことになった。使用人がたくさんいたけど、俺のために女の人ばかりにしてくれたし、最低限のボディガードなどの男は俺の半径5メートルより近付かないようにしてくれた
そこまでしなくてもと思ったけど、心遣いは凄く嬉しいし、それにどの男も異様にゴツいから、クラスメートたちに接するようにはできないと思うから、助かる
「爺ちゃんっ…」
出会って半年がたつころ、俺は何とか爺ちゃんに抱きつけるようになった
未だに母さんの前じゃ『僕』だけど、爺ちゃんには普通にしてる
勿論母さんにバレてるのは知ってるけど、何となくこのままがいいと思う
「なんじゃ皐月?」
「爺ちゃん、大好きだぜ」
爺ちゃんは笑った。爺ちゃんは優しすぎるくらいに優しかった
会社では厳しいらしいけど、忙しいのに毎日一緒に朝食を食べてくれる姿からは想像できない
まだ少し抱きつきかたがぎこちないかも知れないけど、俺、もっと頑張るから
だから、待っててくれよ。爺ちゃん
○
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