疲れたり喜んでは焦ったりする
「皐月、遅いわよ。そこの段ボールを職員室の隣の用務室まで運んでおいて」
何だかんだで俺が編入して十日以上たった。結局変装の件はうやむやになり追求はされずにすんだ
マジで雑用ばっかやれされて俺が普通より力があると見るやまとめて全部運べなどと、遠慮なくかなり雑用係として定着した
「うぃ〜」
「返事は『はい』よ!」
「フランス語ですよ」
「そうそうムッシュ…ってんなわけないでしょ! 君さ、いい加減なこと言うのやめなよ。会長とか世間知らずだし信じたらどうするのさ」
「信じないわよっ。いいから早くしなさい! あなたの怪力を生かすにはそれしかないでしょ!」
「ぶーらじゃーっす! 七海隊長、筋肉係の私めにおまかせを」
「正しく日本語を使いなさい!」
ツッコむのそこかよ! 俺が筋肉係なのはスルーかよ! つか筋肉係ってなんだよ! 俺の存在は筋繊維か!
「ってありゃ? 弘美さんはどうしたんですか?」
「あれ…あ、呼び出しくらったんだ。職員室だしついでに見てきたら?」
「うぃ」
「皐月! 後でみっちり『授業』しますからね!」
げぇ…7月の何か知らんがイベントがあるから忙しいからって(俺はアンケート用紙をクラス別に分けて配布したり、先生と淑女会の伝書鳩的なことしたりしてとにかく雑用オンリーなのでマジで中身は知らん)油断した…しくったなぁ
授業―それは普通にしたって憂鬱な言葉だが…七海のやつは淑女のための、俺のための特別授業だ
ずばり……めちゃめちゃ厳しい。つか、拷問? なんつーの? とりあえず、うん、七海はSだな
「了解いたしましたぁ…」
とりあえず、俺は3箱の段ボールをまとめて抱えた
…30キロくらいか? 容赦ねぇなぁ。前見えねぇし。ま、顔をずらせば何とか…片手で持つのは…重さは兎も角バランス的に無理だな
「本当に一度で持ち上げたよ」
「相変わらず化物ね…」
うわ! とんだ言われようだな。つか30キロくらいならお前らでも頑張りゃいけ…ないのか? 母さんだってそのくらいできるのに、女の子って弱いなぁ
俺はドアを開けた
「ってこらぁ! 皐月あなたっ…信じられないわ!」
「…?」
何だよ血相変えて…ちゃんと靴は脱いだぞ
「足でドアを開けるなんてっ…選択肢にいれる段階から間違ってるわよ!」
「あ、パンツ見えました?」
「そういう問題じゃないわよ!!」
うるさいやつだな…
○
「いツもありガと、淑ジョ会は仕事が早クて助カるネ」
「いえいえ。クリス先生のお願いとあらばいつでもはせ参上いたしますよ」
ついでにキランと歯を光らせる。つっても眼鏡とそばかすつけた女の恰好だし微妙だが
案の定というかクリス先生はくすくす笑う
クリス先生は本名クリスティーナ・タトゥルでぽっちゃりした英語の先生で、ロシアだかドイツだかのハーフだが顔の作りは東洋で俺より10センチほど身長が低い。笑うとえくぼができて、眼鏡越しに俺を見上げるくりっとした青い目とくるくるの白髪が小動物チックでバリ可愛い
『クリス先生って可愛いですよね。私が男だったら惚れちゃいますよ』
恥ずかしいので英語で言う。何故か英語なら気障なセリフもすんなり言える
「あらマァ…『ありがとう。いつもながらなめらかな英語ね』
『先生だってずっと海外にいたのにペラペラじゃないですか』
『日本語は発音が難しいわ』
『先生の白髪綺麗でいいなぁ。青い目も綺麗だし』
『恥ずかしいわ。よく日本人顔とのギャップでいじめられてたものよ』
『な、許せませんね。もし誰かがいじめたら言って下さいね。私がやっつけてあげますから』
「ふふふ…ありガとネ」
『だって先生のこと好きですから』
『皐月さんは可愛いわね』
「えへへ」
「たあ!」
「っと…何をするんですか」
突然の奇襲にも慣れた俺は振り向き様に片手でそいつの投げてきた堅いもの―辞書をミスなく受け止めた
「もしクリス先生にあたったらどうするんですか」
弘美に人差し指をつきつけ叱るとああん? と睨まれた。ちなみにクリス先生には見えないように計算されつくしていて、いまだにこいつの本性は知られていない
「あハは、ふタりは相変わらズ仲イいネ」
「ははは…そう見えんのかよ」
「目ぇ腐ってんじゃないこのパツキン教―」
「わーわーわー! 『クリス先生、お仕事忙しいんじゃないんですか!?』
「ア、ソうだったネ。ありガとさツきサン」
「いえいえ」
クリス先生が職員室に入りドアを閉めてから俺はふぅと息をはく
「弘美さん…いつも言いますけど辞書はないでしょう。私だからともかく、本当に…クリス先生だけでなく誰に当たっても大変じゃないですか」
「うるさい。で? なにしてんの? あたしを迎えにきたの?」
「はい。まぁ、そうですよ。会室に戻りましょうか」
不機嫌な弘美に漢字辞書を差し出すと、2秒ほど沈黙してから頷き受け取った
「…ん。辞書、悪かったわね」
「でも最初よりずいぶん手加減してくれてるんですよね? 重さが減ってます」
「……持ち歩くのに、広辞苑は重すぎたの…」
お前のためかよ。つかある意味俺のために持ち歩いてんのか…頑張らないでくださいマジで
「つかあんたさぁ、クリス先生のこと好きなわけ?」
「普通に好きですよ。可愛いじゃないですか」
「まぁ…そうかもだけど」
「青い目と白髪でぷくぷくしてるとことか、昔近所にいたシベリアンハスキーに似てて…超可愛い!
ボール投げても行きしか走れなくて息切らして、こっちが迎えに行くまで生意気に待ってるんですけど、迎えに行くとしっぽ振ってめちゃ可愛いんです
コロコロ太ってて蹴ると転がるんですよマジで」
犬と言うより新種の生物かと言う可愛さだったなあれは。クリス先生はあのポチ(シベリアンハスキーの名前)を彷彿とさせて仕方ないんだよな
「…あんた、先生を犬扱いって…」
おう! 痛いところを…だが、仕方ないじゃないか。あれだけクリソツなんだぞ!?
「そ、そうじゃないですけど…ねぇ?」
「はあ…あんたって本当に駄目なやつね。礼儀もないし」
「うぐぐ…ひ、弘美さんだって初対面の私を下僕とか言ったりしたじゃないですか」
「は? あんたは存在からしたっぱなんだから当たり前でしょ」
「…マジかよ」
「七海様いたら怒るわよ」
「知らん。つか俺だって猫被りはできるんだし普段はこうでもよくないっすか?」
「知らない。でも半端な敬語は逆にムカつくから止めて」
「へいへい。で弘美さん、何で呼ばれてたんですか?」
「ん〜、体育の授業全部生理で休んだからさぁ」
「ぶっ!」
何もないのに噴いてしまった
弘美はいやそうに眉をひそめて俺から距離をとる
「ちょっ、汚いなぁ」
「いえ…真面目にしましょうよ。サボるにしてもせ…せ、せせせぃ…りとかそういうのはちょっと…ねぇ」
「何照れてんのよ。バッカじゃない? 初潮きたてのガキじゃないんだから」
「……そう、ですね」
俺にはまだ、初潮は来てない
だからだ。俺はどうも自分が女と思えない
たぶん、だからだと思うが俺には女心ってやつがよく分からない
だからだと思うが、俺には恋愛というものがよく分からない
男でなく女の自覚もない俺には、分からない
さっき弘美が俺に『恋愛感情』なのかと尋ねたということは分かってたが、ああ言うしかなかった
だけどいつか、向き合わなければならない日がくる。俺は最近になってそのことに気付いた
そのきっかけは例えば母さんの言葉だったり、小枝子の告白だったりする
「なに? あんたひょっとしてきてないの? はは、んなわけないっか」
「あはは…当たり前じゃないですか」
まだきてないことは知られたくはない。つか、俺が不完全だなんて知られたいわけがない
「だよね。確か15歳までには大抵がくるらしいし」
「…ですよね」
やはり俺は変なのか…
○
「ただいま戻りました」
「遅かったね。あ、二人一緒か。仕事終わるからお茶にしようってさ。あ、皐月はこれ先に職員室に届けてね」
「謹んで辞退申し上げます」
「君は拒否権があると本気で思ってるのかな? さっさといけばドックフード大盛りにしてあげるから」
紗理奈に無理矢理5センチくらいの紙の束を渡された
「…イエス、サー。喜んでお受けいたします」
いつまで俺はここのペット扱いって言うか、仲間扱いしろとは言わないから人間扱いをしろよ
席につく間もなく俺が出ようとするとちょうどドアがノックされ、俺は視線を七海たちに送り、対応しろとこれまた視線で命令を受ける
「はい、どなたでしょう」
「2年の高田小枝―」
全部を聞く前にドアを開けて一礼する
「いらっしゃいませ。汚いところですがどうぞどうぞ。はい、お紅茶にございます」
「ありがとうございます」
小枝子をいつも俺が座ってる場所に座らせ書類はひとまず机に置き紅茶を入れる
七海の『授業』を受け何度となく怒られたがようやく俺の紅茶いれも様になってきた(それでも七海は文句しか言わないが)
「ちょっと皐月様!」
「ん?」
「あたしにもいれなさいよ」
「は? 目の前にあるだろ」
弘美の前にはオレンジジュースの入ったコップ。紅茶は普通に好きらしいが下手な紅茶よりは断然オレンジジュース濃縮還元100パーセントが好きらしい
つか濃縮還元ってどういう意味だ? どれも同じじゃね?
「うるさい黙れ」
「皐月、口が悪いわ」
「さっさと届けてくれない?」
「……何だよこの状況」
弘美の『うるさい』とか『黙れ』も十分口悪いだろ明らかに
「皐月さん、大丈夫ですか?」
「あ、平気平気。小枝子さんの顔を見たから、元気でました」
俺はにへりとだらしなく笑いながら、机に座って小枝子の顔を見つめる
最近、1週間ほどは雑用に追われすぎて小枝子とはゆっくり話もしていない(授業とか普通に寝てるしな)
…見れば見るほど可愛いなぁ。つか3悪魔と違って癒される。この3人は可愛いっちゃ可愛いが、無駄にエネルギー使うんだよなぁ
「皐月様、はぁやく行ってくれない?」
「……」
行きたくねー。けど一回了承したし、しかたねぇか
「小枝子さん、すぐに帰って来るから待っててくださいね」
「はい」
「この3人は顔はいいですが性格が捻れすぎてるのでいじめられたら言うんですよ? 犯人が分からないように仕返ししますから」
「へぇ、例えば?」
「例えば…? えっと、例えば…寝てる間に忍びこんで裸にして縄でしばって屋上から吊るなんてどうでしょ……う、ははははは、冗談ですよ冗談!」
七海に聞かれて素で答えてしまった。マジでやべぇ
「あなた…性格が破綻してるわね」
「あんたが言うな、あ、いやその…言わないでください」
「あなたって本当に……」
「いやん。ため息つかないでくださいよー」
「うわキモッ。皐月ってそういうブリッコかなり似合わないね」
「素で言わないでください。でもいいんです。今のところ可愛さ担当は小枝子さんで間に合ってますから」
「そんな…」
恥じらいながらはにかむ小枝子はマジで可愛い。癒されるなぁ…
小枝子を見て笑んでからふと、ぐるりと悪魔3匹を見回す。知らず知らずため息が出た
「ちょっ、何そのため息!?」
「失礼しちゃ〜う。つかムカつく」
「あなた…私たちを何だと思ってるのかしら?」
ジロリと七海と弘美が(紗理奈はツッコミはするが特に怒ってはいないようだ)俺を睨み、小枝子がびくついているので小枝子に二人の視線が当たらないような位置に立つ
「悪…ゴホン、あく…悪どいやつらです」
「え、今の言い直した意味あったの? 君ってフォローする気ゼロでしょ」
「ははは…え?」
ぶるぶると俺のポケットが震える。珍しいな。部活が終わる時間より早く鳴るなん…
携帯電話を取り出して、驚愕した
携帯電話を閉じたまま相手の名前が分かる小さいディスプレイには
母さん
と出ていた
「ももももしもひっ!」
いたっ。慌てすぎて舌噛んだ
『はろー、皐月ちゃん』
「ははははははろー!」
『? どうして噛み噛みなのかしら?』
「いやその…なんで電話くれたの?」
『駄目だった?』
「んなわけないじゃん! 凄く凄く嬉しいよ。でも毎日夜には電話してるし…何かあったの?」
『ないわよ』
「本当に? 僕に隠し事してない?」
『あら、そんなのたくさんあるけど、隠してるから言えないわ』
「いや、そう言うのは隠してる事実ごと隠してください」
『それより今何処にいるの?』
「淑女会室…ぷ、いつ聞いても笑える名前だよね」
『え〜、お母さんはいい名前だと思うなぁ』
「母さんの趣味が悪いんだよ。あ、あと考えた人」
『でね、ママはぁ、小枝子ちゃんたちとお話したいなぁって思ったんですぅ』
「母さん…酔ってる?」
『酔ってないわよぉ?』
「酔っぱらいは皆そう言うんだよ。あ、書類行ってきますね」
俺は机から書類を取ってテキトウに手を振り。呆気にとられてるっぽい4人を無視して俺は部屋を出た
『え?』
「あ、こっちの話こっち話〜。でさぁ素直に聞くけどどうしたの? まさか本気?」
『お母さん嘘嫌い〜』
「ふぅん…? 母さんさ、今何を考えてるの?」
『何だと思う?』
「……僕のこと」
『あたりぃ』
「でも僕のためと言うお題目の…僕の大嫌いな事でしょ?」
『さぁ、どうかしらね』
間髪入れずに返ってきた聞き慣れた甘い声に、俺の胸はずきりと痛んだ
大好きだった。勿論今も母さんのことは大好きで
だけど、1年前には何にもおいて大好きで全て全て何もかもを容認して許して愛しいと思ってた、あの狂おしいほどの想いはもうなくなってしまった
勿論今も愛しているし、母さんのお願いなら何だって聞いてしまうし、母さんのためなら命だって惜しくはない
だけど、だけどだ
この『俺のため』と言う言葉。前も嫌だったけど許して笑えた
だけど、今は笑えない
以前よりずっとその言葉を重く感じる
母さんの考えてることが、全然分からない。昔から分かったことはなかったけど、そのことが最近怖くなりはじめた
母さんが俺から離れてしまうんじゃないか
母さんは、俺を愛してないんじゃないか
そんなバカなことを考えてしまうのは、きっと母さんに触れてないからだ
母さんの笑顔を見れないからだ
母さんの温もりがないからだ
「辛いなぁ」
『え?』
「辛い。凄く、辛いよ」
『……辛い?』
「なんで『カライ』になるんだよ。『ツライ』! 文字でしか分からないボケはやめなさい!」
『わ、分かってるわよ。やぁねほんのジョークじゃない』
「…母さん…ねぇ、一度でいいんだ。会いたいよ」
『………夏休みの前に一度、会えるわ。参観日には必ず行くから。だから、それまでいい子にしててね』
「…ほ、本当?」
『ええ。約束よ』
母さんは約束は破らない人だ。だから来ると言ったら、来る
俺は思わず声が大きくなるのを抑えながらも興奮して電話越しに頷いた
「うん! 絶対だよ! 僕、ずっと待ってるから!」
『いい子ね。じゃあ小枝子ちゃんたちに変わってくれる?』
「ん〜、今から職員室に入るから後でかけさせるように言うよ。番号教えてもいいよね」
『ええ』
俺は電話をきってからガッツポーズをとる
やった。やったやったやった…っ! 母さんが、来る! 会えるんだ!
「やったぁ!」
「あらぁ、どうかした?」
目の前の職員室のドアが勝手に開いたと思ったら、柚子先生が不思議そうに頭を傾げていた
「…え……あ、その…あ! 参観日っていつですか?」
「ん〜? 急にどうしたのぉ? 参観日ね。高等では珍しいかもだけどぉ、うちでは毎学期に2度ずつ行ってるわー
そう言えば皐月さんがくる数日前にしたばかりだったから皐月さんはまだよねぇ
来月頭あたりにあるわよぉ。まだ本決まりじゃないけど、早くとも中間試験が終わってからよ。休みの土曜日になるのは絶対だけどね〜」
ピシリ
時が止まった
試験……やべぇ、全然勉強してねぇ。赤点だらけで進級できなかったら…ヤバいよなぁ
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