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ソロモンの鷹
作:水沢玲



三章 ラバウルの鷹


 青空の下に大きな立て幕、フラダンスで迎える可愛い踊り子。そして、花輪とともに投げかけられる黄色い声。
 「ようこそ、ラバウルへ!」



 もちろん、ここはまごうことなき最前線の基地。そんなものが待っているわけはないが、平時ならばそれぐらいはやりかねないだろう、と思わせるほどの熱烈歓迎振りだった。
 飛鷹航空隊の到着には、六空の森田司令らがわざわざ飛行場で出迎え、着任報告に上がった十一航艦司令部では草鹿長官自ら指揮所の前で炎天下に彼らを待っていた。
 しかもなんと陸軍第八軍司令官の今村均大将が大勢の幕僚を連れて訪問、隊員全員に慰撫の言葉をかけるなど、予想もしなかった厚遇を受けたのである。


 「いやあ、俺たちも出世しましたねえ」
 夜には歓迎会と称した宴会が催されるという。なんともはや、としかいいようがない。
 すっかり気分が高揚した斉藤の横で、白井も苦笑いである。
 「ま、角田の親父の判断は間違ってなかったということだ。これだけ歓迎されておいて、相応の働きをしなかったあかつきには袋叩きにされかねんぞ」


 当然、これだけの待遇には理由がある。それも散文的な。
 着任より半日、飛鷹の艦上で聞いていた「ラバウル空の可動機30機内外」という情報が間違っていないことを、白井らはその目で確かめた。
 連日の激戦は、零戦や陸攻の損傷を激増させている。被撃墜機が多くないだけましではあるが、整備員の昼夜兼行の修理も全く追いついていない。
 それに加えて、歴戦に疲れた搭乗員をマラリアやデング熱が襲う。米軍と熱帯風土病との闘いに忙殺される彼らの元へ、突然届いた33機の航空機と新鮮な搭乗員。狂喜乱舞するのもわからないではない。

 本来なら飛鷹の格納庫でただ飯食らいとなっていた斉藤らを、ラバウルの「救世主」として派遣した角田少将の戦略眼は正しく報われたと言えるだろう。


 ようやく煩雑な手続きを終え、暇をもらった搭乗員たちは三々五々散っていった。斉藤も、白井のお供をしてラバウル市街の散歩としゃれ込んだ。

 体格雄偉な白井に、小柄で少年の色濃い顔立ちの斉藤が並んで歩くと、歳の離れた中のよい兄弟のようだ。
 先ほど、それを見た兼子少佐が斉藤を「飼い主の周りを飛び回る仔犬だな」と評し、たちまち猛抗議を受けて市街向けのトラックを一本逃がしてしまったというおまけがついた。


 白井とともに現地人の店をひやかしつつ、椰子の実のジュースを買い込んだ斉藤は、目の前を横切った海軍の下士官に妙な既視感を感じた。
 飛行服に身を包んだしなやかな肢体、小さく整った輪郭には全く見覚えがない。だが、彼が身に纏う雰囲気……獲物を見据えた鷹のような、鋭い視線は、斉藤の体が覚えていた。
 そう、それもつい最近に……
 「……あ!」

 思わず声を上げ、その男を呼び止めるべく駆け出した斉藤を見て、やれやれと言わんばかりに頭をふった白井はゆっくりと後を追った。




 「やっぱりそうだったのかあ!」
 ところ変わって兵舎前の宴会場。
 斉藤は湯のみを抱え、先ほど見つけた男の前に座り込んでいた。
 彼の名は滝克俊。階級は二飛曹、内地より配属されたばかりの、六空の零戦搭乗員である。
 15日のガ島空襲で、本隊より先行して飛鷹戦闘機隊の窮地を救った、あのパイロットだったのだ。

 「君たちがいなければ、我々はラバウルの地を踏むことが出来なかったかもしれん。飛鷹航空隊を代表して、礼を言わせてもらおう」
 いささか堅い謝辞を残して、白井は他の喧騒へ去っていった。士官がいては若い彼らが騒げぬと、白井なりの配慮だったのかもしれない。

 滝は今年で17歳。斉藤も同年であり、まして零戦乗り同士、一脈通じるものがある。
 話は弾み、遠征軍につきものの故郷の話となった。
 「そうか、瀬戸内海は気候が穏やかだよな」
 「まあな。冬もそれほど寒くはならないし、すごしやすいほうかもしれないな」
 「いいなあ……」
 斉藤はうらやましそうに相好を崩した。
 「千葉は夏は暑いし冬は寒いし、俺みたいなのにはいづらいんだよな」
 寒がりで暑がりの斉藤は軽く肩をすくめて見せた。
 もっとも、4千メートルの上空に上がれば零下の極寒に襲われる零戦に乗っている斉藤である。いまさら地上の寒さに不平をもらす必要はないようにも思われるのだが。
 「だが、故郷はなかなか離れられまい。これもいることだしな」
 「は?」
 小指を立てた滝の意図がつかめず、首を傾げた斉藤は、数瞬の間をおいて顔を真っ赤に染めた。
 「な! ば、ばか言え! そ、そんなやついねえよ!」
 「ほう? では、『まだ』ということか?」
 空中での数十分の一も器用さを発揮できない斉藤を見て、滝はいたずらっぽく目を細めた。その顔から猛禽類の鋭利さは消え、残ったのは17歳の少年に相応の笑顔だった。
 「お、お前はどうなんだよ!」
 「いるよ」
 あっさりと返され、言葉に詰まる斉藤の前に、一葉の写真が差し出された。
 そこには15、6ごろの少女が写っていた。ややふっくらした顔つきは生気にあふれ、いかにも元気そうだ。
 防空訓練の際に撮ったようで、モンペに防災頭巾という味気ない服装でありながら、その写真からは花のような可憐さがにじみ出ていた。
 「吉岡雪子と言うんだ。家が隣同士でな」
 「ふうん、かわいいな」
 「そうか?」
 そっけない答えを返しながらも、滝の表情はどことなく誇らしげだった。

 「で、斉藤、お前はどうなんだ?」
 不器用ながらも必死にごまかしていた斉藤だったが、滝の執拗なまでの追及に、ついに洗いざらい白状してしまった。

 「……名前は里見真紀で、小学校で同級生だったんだ。家も同じ町内で」
 「ふむふむ、それで?」
 「いや、それでもなにも……うん、係とかよく一緒になって、それでよく話すようになって……なんか、いつの間にか……そんな、ことに……」
 哀れ斉藤、頭の先まで真っ赤にして沈黙してしまった。もっとも、それは気恥ずかしさだけではなさそうだ。
 しどろもどろになるたびに湯呑みをあおり、中身を入れ替えること3度。どちらかと言えば酒に強いとはいえまだ未成年の斉藤の体からは、酒精がぷんぷんと漂っている。

 「……で? なぜ告白しなかったんだ?」
 さすがに懲りたか、椰子ジュースを湯呑みに注ぎ、口に含んだ斉藤は、滝の発言にたちまち噴き出してしまった。
 「な、なぜって……」
 椰子ジュースで咳を呑み込み、呼吸を整えてから、斉藤は聞き返した。
 「真紀さんがどう思っているにせよ、お前は好きなのだろう? 出征のときなら充分可能だったろう。なぜしなかったんだ?」
 好奇というより、滝は純粋に尋いてきた。

 斉藤は考え込んでしまった。そう言われると、自分でもわからない。
 別に理由などない、というのが本当のところだ。機会さえあればしていたかもしれない。実際、予科練を卒業し帰郷した際に、斉藤は彼女を呼び出し、言うつもりだったのだ。
 それをなぜ躊躇しまったのか。
 「……これから戦場に出るんだぜ? いつ死ぬかわからないやつから『好きだ』なんて言われたって、迷惑なだけだと思わないか? 下手なしこりが残るくらいなら……」
 「……なるほど、そういう考え方もあるか」
 とりあえず自分の理論を整合させると、斉藤は空になった湯呑みを放り出し、草むらに寝転がった。意識が薄くなり、自慢の平衡感覚がおぼつかなくなっていた。

 「それにしても、どうせなら写真くらいもらってくればいいものを」
 という声に答えようとしたが、舌がうまく回らない。瞳に写った南海の星たちがぼやけ、暗闇に溶け込み、やがて暗闇すら感じられなくなった。


 もし相思相愛であったとしたら、何も言わないまま戦死でもすれば余計に負担をかけるのではないか。
 だが、斉藤も滝もまだ17歳の少年である。彼らの卓越した視力をもってしても未来はいまだ遠く、現在を見るのが精一杯だった。

 今、言えるのはこれだけである。

 「死ぬわけにはいかないな」

 ラバウルの星空に包まれながら、いつしか2人の若鷲は眠りについていた。












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