第一章 ハイスピードフェアリー⑤
超能力を持つ、少年少女たちの青春ストーリー
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ひなたは、人気のない第3体育館のかげに身をひそめながら、ある人物がやってくるのを待っていた。
本来なら教室で授業を受けていなければならない時間帯だったが、その少年はクラス棟の方向からやってきた。
特に周囲を警戒するでもなく、堂々とフェンスへと向かっていく。
(やっぱり、学校をサボるつもりね)
少年はアンダーポイント五人組の一人、風澤望だった。
なんらかの理由で、一週間ほどさぼりを自重していたらしいが、昨日から、また授業を抜け出すようになっていた。
本当は、昨日捕まえるつもりだったが、妙に教室を抜け出すのが上手く、いつ出ていったのかもわからなかった。
そのため、今日は、朝から全神経を集中させて、彼を監視することにした。
すると、二時限目の休み時間が終わる頃に、こっそりと教室から出ていく望に気づいた。
ひなたは現行犯で取り押さえようと考え、こうして先回りして待ち伏せしているのだ。
(まあ、学校を抜け出すんなら、ここしかないわよね。他の場所だと人目につくから)
望が、学園の敷地を仕切るフェンスまでやってきた。
よじ登ろうと手をかけたのを確認し、ひなたは体育館のかげから飛び出した。
「待ちなさい、風澤望ッ!!」
望がビクッと肩を震わせる。声をかけられたことに、かなり驚いたのだろう。
おそるおそる振りかえったその顔は、驚愕で凍りついていた。
ひなたが口元をつり上げる。
「あなたが、こんなところにいる理由を聞いてもいいかな?」
彼女は、ゆっくりと相手の方に向かって歩き出した。
「いやあ……どうしてかな?」
望が作り笑いを浮かべる。そして、あはは、と乾いた笑い声を出した。
はぐらかそうとしているようだが、ひなたには、お見通しだった。
「もしかして騙し通せると思っているの? あなたが、ちょくちょく教室を抜け出していたのを、あたしが気づかないとでも思っていたわけ?」
望の前に立つと、ひなたは縮めた状態の警棒を、手の平で一回転させる。
「あなた、抜け出すときに、学生証を教室に置いて行ってるでしょ? たぶん、学生証のGPS機能で、位置を特定されないようにするためなんでしょうけど、それって確信犯なわけよね?」
彼がばつの悪そうな表情になった。
「ねえ、『運営規約23項』って知ってる?」
「さ、さあ?」
「別に、知らなくてもいいわ。ただ、この取り決めによって、生徒会に色々な権限が与えられているのは、憶えておいて……さて」
ひなたが警棒を持つ右手を胸元にかざし、勢い良く腕を横に振った。
短い金属音が響き、手にしていた警棒が40センチほどの長さになった。任務中は左右に一本づつ、二本使用していたが、今は、右手の1本のみだ。
望の視線が、黒々と鈍い光を放つ警棒に注がれる。
「質問なんだけど、生徒会執行部のあたしに、学校を抜け出そうとしているあなたを、捕まえる権限ってあると思う?」
彼の表情が引きつった。
「な、ない、とうれしいな」
「残念、だね」
ひなたが、満面の笑みを浮かべる。
「それで、どうする?」
さらに問う。ひなたは、あえて挑発するような口調で言った。
「いくら、執行部だって言っても今は一人。あなたは男で、あたしは女。突き飛ばして逃げることも可能かもしれない。もし、これを奪うことができれば、形勢逆転ってこともあるわ」
望の顔の前で、警棒を振ってみせる。手を伸ばせば、奪えそうな距離だった。
だが、それは、ひなたが仕掛けた罠だ。
油断した表情や挑発的な口調、そして甘い囁き。
もしも、望が警棒を奪おうとしたり、反抗的な態度を取ったら、次の瞬間、強烈な膝蹴りをお見舞いするつもりだった。
(さあ、どうするの?)
ひなたの頭の中で、警棒を奪おうとした場合や突き飛ばして逃げようとした場合、またそういった行動に出なかったとしても、反抗的な態度を取ったとして拘束するためのシミュレーションが行われる。
どんな出方をされても、対応できるつもりでいた。
だが……。
「ごめんなさい」
望が深々と頭を下げた。
「え?」
素直に謝られる、なんてパターンは考えていなかった。
シミュレーションにない行動をされて、頭が真っ白になってしまう。
「これから教室に戻る。姫宮先生にも謝るよ」
望は、まっすぐにひなたを見つめてそう言った。
悪意が感じられない。本気でそう言っていると思った。
彼女が呆気に取られていると、望が教室へ帰ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「ん? なに?」
「なに、って、あなた……」
引きとめてはみたが、この後、どうすればいいのかわからない。
望を違反者として拘束する。そのためには……。
「そ、それで、いいと思ってるの?」
口から出た言葉は、少し場違いなセリフだった。
「いいのか、悪いのかは、わからない。ただ、授業をサボろうとした僕を注意しにきたんだから、注意された僕は、授業にもどるべきかなって……それがダメなら、一条さんの言う通りにするよ。どうすればいい?」
ふざけているのではない。その表情は、反省すらしているようだった。
ひなたは、たくさんの違反者を取り締まってきたが、こんな風に言ってきたのは、彼が初めてだった。
ひなたは、完全に混乱してしまった。
どうすればいい? と相手は聞いてきた。
反抗しろ、とは言えない──では、どうする?
「それじゃあ、あたしに土下座して謝りなさい」
とっさに口にした言葉だったが、土下座して謝りなさい、なんて自分でも驚いた。
普段のひなたなら、こんな無茶苦茶な要求は絶対にしない。
だが、土下座しろと言われて本当にする人間はいないだろうし、反抗的な態度を取らずとも、あから様に嫌な顔はするはずだ。
かなり突飛な発言だったが、これで思い通りの展開になる。
少なくとも、ひなたはそう思っていた。
「わかった」
躊躇なく答えると、望が彼女の前に膝をつく。
(え、うそ……嘘でしょ?)
ひなたの足下で、望が手を突き、頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
(な、なんなの? なんでこの人、こんなことで土下座なんてできるの?)
目の前の出来事が、信じられなかった。
ひなたが青い顔をする。
一方、望は平然とした顔で立ち上がると、膝をはたいて砂埃りを落としていた。
(これじゃあ……あたしの方が、悪者みたいじゃないッ)
はたから見れば、警棒を振り回す少女に土下座させられた少年だ。
周囲にだれもいないため、そんな誤解は起きないだろうが、ひなた本人が、この状況を認めたくない。
「あのさ、ひとつ聞いてもいい?」
「ん?」
「あなたは、プライドって物がないの?」
「プライド?」
望が考え込んだ。腕を組み、首をかしげる。
「土下座しろ、って言われたのは驚いたけど、こうして、サボろうとした僕を止めたのは、僕のためだと思ったからでしょ?」
それは、ひなた側の建前だ。
望にそれ言われてしまうと、ひなたは、そうだと答えるしかない。
「生徒会としてなのか、一条さんがそういう性格なのかはわかんないけど、こうして僕のためにわざわざ来た一条さんが、謝れ、っていうなら素直に謝るよ」
直後に、望は自分のセリフが恥ずかしくなったのか、照れ笑いを浮かべる。
そんな彼の顔を、ひなたは直視できなかった。
なんとか、相手を痛めつける口実を作ろうとしていた自分と、そんな自分を擁護する望。
いったい、どれだけの人が自分の味方をしてくれるのだろう。
少なくともひなたは、自分の味方をしたいとは思わなかった。
罪悪感がこみ上げる。
あたしこそ、ごめんなさい──そんな言葉が、出そうになった。
しかし……。
「それにしても一条さんって『すごい』よね」
たった一言だった。
その一言で、ひなたの理性が揺らいだ。
「生徒会ってこんなことまでするんだなあ、って感心したよ。もちろん、一条さんがやろうと思ってのことだろうから、そう思えるのは『すごい』よ」
まただ、また言った。
他でもない、望のような人間が、それを言うのは我慢できない。
連中が口にする『すごい』は、妬みのこもった言葉だ。
努力もしないクセに、媚びを売ろうと軽々しく口にする『すごい』。
その舌の根も乾かぬうちに、陰口を言い合う。
ひなたの大ッ嫌いな人たちの、大ッ嫌いな言葉。
「あーッ、今のムカついた」
無意識に、そう口にしていた。
ひなたは、左手を腰にあてて、思いっきり相手をにらみつける。
もはや、理性は吹っ飛び、沸き上がる怒りをセーブできなかった。
「え、ええッ?」
望が面食らったのは、とうぜんだろう。
「なんか、気を悪くしたんだったらゴメン」
「別に、謝らなくたっていいわよ。あたしは、あなたを違反者としてカ・ク・ホするだけだから」
ひなたは、警棒をくるくると回しながら、望へとにじりよって行った。
彼が、反射的に後ずさる。
「なに、逃げてるの?」
「いや、別に、逃げているわけじゃあ」
「あら、口答えをするの? 反抗的な態度じゃない。執行部の人間としては、実力行使も辞さないけど……どうしようかしら?」
まるで、悪さをした生徒を叱り付ける女教師のような顔で、警棒の先端を相手にむける。
「一条さん、ちょっと落ち着こうよ」
「充分に落ち着いているわよ。え? なに? あなたは、あたしが私情でこんなことをしていると思ってるの? ねえ? ねえ? ねえ?」
望の胸元を、警棒の先で小突く。
「一条さん、痛い、痛いって」
たまらず彼が警棒を握る。
すると、ひなたは動きと止め、相手の手を見つめた。
「はい、これ奪おうとしたね」
「はあ?」
「運営規約23項により、生徒会役員の権限で違反者を確保します」
警棒を握った手を払いのけ、仰々しく身構える。
ひなたは満足そうに、そしてサディスティックに笑った。
「ほ、本気なの?」
「もちろん、本気よ」
いくら逆上していたとはいえ、さすがに無茶苦茶なのは、ひなたもわかっている。
だが、それを肯定する考え――どんな理由であれ、一度、痛めつければ彼やその友人は大人しくなる。だから、これはクラスのためなんだ――が、彼女の行動を後押しした。
(あなたが悪いのよ、人の話を素直に聞かないからッ)
もちろん、そんなのは言い訳だ。そんな理由で暴力をふるってはいけない。わかっている。だが、あえて考えないようにした。
小さく息を吸い、吐き出す……もう、余計なことは考えない。
ひなたが、ゆっくりと腰を落とす。わかりやすく蹴りを繰り出す姿勢を取った。素人――それこそ望でも気づくように。
仕掛けた。もちろん、繰り出したのは蹴り。
右足が相手の顔へと飛んでいく。
「うわッ」
望が大きくのけぞる。おかげで蹴りは、空振りに終わった……かに見えた。
(かかった、やっぱり素人ね)
相手が大きく体勢を崩したのを見て、ひなたがほくそ笑む。
左足だけで、飛び上がった。蹴りの勢いも手伝って、全身が反時計回りに回転していく。ちょうど望からは、ひなたの背中が見える格好だ。
さらに勢いをつけるため、彼女が上半身をねじりながら左腕を突き出す。
裏拳だ。
態勢を崩している望は、無防備な状態にある。防御のできない今、ひなたの裏拳を食らえば大ダメージを受けるだろう。失神KOの可能性だってある。ここで、警棒を使わなかったのは、せめてもの気遣いだった。
(もらったッ!!)
自分の拳が、相手をとらえる確信があった。
「『エクスクルード』」
望の声だった。
そして、ひなたの裏拳が空を切る。
「ッ!?」
地面に着地すると同時に、ひなたは正面に目を向けた。
目の前にいたはずの望が、2メートルは離れた場所から彼女を見つめていた。
なにが起きたのか理解できなかったが、これが異常事態なのはわかった。
直感でさとった。
目の前のアンダーポイントがなにかをした。
そして、こいつは危険だ、と。
「『ゲット・レディ?』」
叫ぶと同時に、加速しながら飛びかかった。
躊躇なく、警棒を突き立てる。しかし望は、すでにいなかった。
(どこ? 右かッ!!)
右側に相手の気配を感じた。目視で確認するよりも先に、そこへ警棒を叩きつけた。
遅れて視線を向けると、そこに望がいた。驚いた顔で、彼女を凝視している。
そして振り払った警棒が、彼の肩に――触れない。
もう、そこに望はいなかった。
かわりに背後で、気配を感じる。
「!!」
一瞬にして、後ろを取られた。
振り向きざまに、蹴りを放つが当たらない。
軸足を入れ替え、再度蹴りを放つが届かない。
通常なら当たる距離のはずなのに、何度、蹴りを繰り出しても、寸前のところで、相手が一歩下がってしまうのだ。
(それならッ)
飛びかかりながら、警棒を降りおろす。これなら多少、後ろに退かれても問題な――。
「なッ……!?」
当たらなかった。
それどころか、今度は、1メートル以上は距離をあけられた。
(な、なんなのこれ?)
高速移動を駆使した攻撃は、たとえ予知能力で動きを読まれても、回避は不可能のはずだ。
だが、まったく相手を捕らえられる気がしない。
「危ないってば、一条さん」
「ッ!!」
また、背後に回られた。
(うそ、いつの間に?)
瞬時に、真横に飛んで距離を置く。
このまま戦っていても無駄な体力を消耗するだけだ。
少し考える時間が欲しいと思った。
振り向くと、5メートルほど離れたところで、望が困ったような表情を浮かべている。息一つ切らしていない。
ひなたの方は、呼吸が荒くなっているというのに。
「落ち着こうよ、一条さん。それに、暴力は反対だよ」
望が呼びかけるが、ひなたの耳には入らなかった。
(あいつは、なにをしたの?)
真っ先に思い浮かんだのは、先日の予知能力だったが、それは高速移動を駆使すれば問題ないはずだ。
次に思いついたのは、同じ高速移動。それを想定した戦闘スタイルに変えてみたが、自分なら避けられないであろう、角度とタイミングの攻撃を、望はあっさりとかわしてしまう。
考えられるのは、予知能力でも高速移動でもない別の能力か……自分以上に、強力な高速移動の使い手。
(それはない。こいつが、あたし以上の能力者だなんて、そんなの、絶対に認めないッ!!)
他でもない、望が自分以上に高速移動をうまく扱えるだなんて、考えたくもなかった。
その可能性だけは、絶対に否定しなければならない。そうしなければ、ひなたの中の大切ななにかが壊れてしまう。
「『ゲット・レディ?』」
ひなたが、再び加速する。
今回は警棒で地面の小石を弾いて、望がどう対処するかを観察した。
(あなたが、あたし以上だなんて……)
飛んできた小石を避けるため、彼が50センチ横に移動した。が、それは移動と呼べるような速度ではなかった。
ひなたの目を持ってしても、どんな風に移動したのか見えなかったのだ。
(認めないわッ!!)
間髪入れずに、望へ殴りかかる。いくども警棒を叩きつけ、拳を突きだし、鋭い蹴りをお見舞いする。もちろん加速しながらだ。
しかし、当たらない。
(なんで? なんで当たらないの?)
わけがわからなかった。こんなことは、初めてだった。
(どうして? どうして、こんなヤツに……あたしが、こいつより劣っているって言うの?)
さらにひなたは、自分のスピードを加速させていく。
だが、正確にコントロールが可能な速度を、すでに越えていた。
右手は警棒を持っているだけで精一杯だった。
(そんなわけないッ、そんなわけないッ、そんなわけ……)
気付けば、背後を取られていた。
「わぁああッ!!」
悲鳴にも似た声を上げ、右腕を滅茶苦茶に振り回す。
限界を越えた高速移動で、自分が拳を突き出しているのか、蹴りを放っているのかすらわからない。警棒も、いつの間にか落としていた。
「当たれ、当たれ、当たれえッ!!」
ひなたは、完全に平常心を失っていた。
「そんな風にしたら、一条さんの方が怪我しちゃうよ……しょうがないなあ」
気の抜けた声がして、望の姿が消えた。
「!!」
ひなたの体が宙に浮く。
一瞬、なにが起きたのか理解できなかったが、そのまま盛大に転倒したことで、足を引っかけられたのだと悟った。
「ごめん、だけど落ち着いて……よね。一条……さん」
急に望が言葉を濁し、視線をそらす。
何事かと、ひなたが顔を向けると、彼は伏し目がちな表情で、こちらを見ようとしない。
時々、こんな顔の男子を見ることがあった。
それは、女子のスカートがめくれて、偶然その下着を目にした時のような……。
「きゃッ」
とっさに足を閉じる。その時、らしくない声まで上げてしまった。
かーッ、と顔が赤くなる。
「み、見たでしょッ」
ほとんど、叫び声だった。
「見てない、見てないよッ。一条さんの縞パンなんて……あッ」
望の表情が引きつる。自分の失言に気づいたのだ。
ひなたの顔が、ますます赤くなった。怒りと羞恥心が、頭の中をぐるぐると回っていた。
(こんなヤツに、こんなヤツに、こんなヤツに、こんなヤツにぃ!!)
大嫌な望。もしかしら、自分以上の能力者かもしれない。嫌だ。認めたくない。こんなヘラヘラしたヤツが、自分より優秀な能力者だなんて、許されない。大嫌い。しかも、パンツ見られた。
(……最低)
せめてもの抗議に、相手をらみつける。
だが、望は少し驚いただけで、すぐに心配そうな顔をした。
(なによ、その顔)
その意味を理解できたのは、彼が申し訳なさそうに、こう言ったからだ。
「ごめん、謝るよ。まさか泣いちゃうとは思ってなかったから、だから、あの」
「はあ? 泣くってだれが……」
声を出してみて、それが泣き声だったことに驚いた。
そして火照った頬に、ぼろぼろと涙が流れていることに気づいて、愕然とした。
(あたし、泣いてる? それも……こんなヤツの前で?)
失態に次ぐ、失態。こんなにも、惨めな気持ちになったのは始めてだ。
必死に止めようとしても、流れ落ちる涙は、後から後から溢れ出し、まったく止まってくれない。
「絶対に、許さないッ!!」
どうにか絞り出した言葉は、そんなかっこわるいセリフだった。
「え? ちょっと、あの」
望が、おろおろと取り乱す。女の子を泣かせてしまったのに加えて、それを許さないと言われてしまったのだ。無理もない。
「あなたのこと、絶対に許さないんだからッ!!」
ひなたは、転がっていた警棒を拾い上げるとかけだした。
「一条さんッ!!」
背後から呼び止められたが、わき目もふらずに走り去った。
行くあてなどないが、とにかく、彼の前から一秒でも早く、逃げ出したかった。
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