第三章 エンジェリックウィスパー⑤
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望がイリーナを信じると、彼女と約束してから数日が過ぎた。
二人の仲は、ますます親しくなった。少女はことあるごとに彼のもとにやってきている。
望は、それを悪いことだとは思えなかった。ひなたは反対したが、イリーナや隆人たち、それに取り巻きのクラスメイト、みんな仲良くやっている。
それなら問題はないはずだ──そう考えるようにしていた。
放課後の1年C組では、イリーナとアンダーポイント五人組の他に、数人のクラスメイトが集まって、おしゃべりに興じていた。そのため、教室の一角は少し騒がしいくらいだった。
しかし、その日の望は、みんなの会話に入っていく気持ちになれなかった。一人だけ、黙って彼らの様子を眺めている。
「望、楽しくないの?」
イリーナが望の顔をのぞき込んだ。
よほど暗い表情をしていたのだろう。少女は心配そうな顔をしていた。
「どうして? そんなことないよ」
望が慌てて否定する。そして、取り繕うように笑みを浮かべた。
「ちょっと考えごとしてただけ」
「よかった。イリーナ、ちょっと心配した」
イリーナも笑みを浮かべた。
「あはは、ごめんね」
その後、イリーナは髪の短い女子生徒に声をかけられ、彼女の会話に加わった。望も隆人に話しかけられ、そこで二人の会話は終了した。
親友の話を聞きながら、望が教室のドアに視線を移す。
ちょうど、ひなたが教室を出ていくところだった。
(ひなた、今日もすぐ帰っちゃったな)
最近、ひなたと会話する機会が減った。ちょうど放課後に話をしたあの日からだ。
生徒会の仕事が忙しいのだろう。放課後になると、声をかける間もなく教室を出ていき、帰宅するのもずいぶんと遅い。家にいても、自室にこもってリビングに出てこなかった。
朝も、すぐに朝食を食べ終え、さっさと登校してしまう。
望が休み時間に声をかけようとしても、怖い顔で学生証を見つめている。話しかけられるような雰囲気ではなかった。
それでも、望は何度か話しかけてみた。が、今は忙しいから、と取り合ってくれなかった。
(避けられている……ってのは、考えすぎだろうけど)
だが、二人が少しづつすれ違っているのはたしかだった。
(やめやめ。こんな気持ちじゃあ、なにをしてても楽しくないや)
望が気持ちを切り替えるようと、小さく首を振った。
そして隆人たちが話しているマンガの話題に加わった。
「それじゃあ、あのツンツン頭はどうなの?」
「アイツねえ。確かに一つ前の巻で……」
「あれ、覚醒でしょ?」
「だとしたら、さっきの説明じゃ、ダメだ。つじつまが合わなくなる」
それからマンガの話題は、いつの間にか音楽の話題に趣向を変えた。
イリーナや他の数人も話題に加わり、好きな曲を教え合う流れになる。
「なんか直球な選曲だね。まあ、鳴島っぽいか……それでイリーナちゃんは、どんな歌が好きなの?」
メガネの女子生徒がイリーナに訊くと、周囲の視線が一斉にイリーナに向けられた。みんな、そのことが気になっていたのだろう。
やはり、この場の中心人物は、イリーナだった。
少女は、きょとんとした顔で、有名なアニメソングの名を口にした。望も含め、クラスメイトたちが、意外そうな顔をする。
「アメリカでもやってるの。小さい頃から見ているから憶えちゃった。歌詞は英語だけどね」
へえ、と何人かが声をもらす。
それから、イリーナの歌を聞きたいという話が持ち上がり、いつかみんなでカラオケに行くことになった。イリーナもカラオケに行くのが楽しみだと、うれしそうな顔をしていた。
そんな彼らを見て、望は改めて『イリーナの秘密』はひなたの思い過ごしだったんだ、と感じた。
(みんな、楽しんでいるんだし、これでよかったんだよ)
その後、下校時間を過ぎたので、そろそろ解散しようと言うことになった。
ほとんどのクラスメイトが、別れを惜しんでイリーナと共に教室を出ていく。
望も鞄を抱えて、彼らの後を追う。隆人たちは、すでにイリーナと並んで廊下を歩いているところだった。
その時、ポケットの学生証が鳴った。
取り出して確認すると、織戸からのメールだった。
望さんへ
今日は、突然、学校を休んでしまったので、心配させてしまったようですね。すみません。
体調を崩したわけではありませんので、心配しないでください。
ですが、明日以降も欠席することが決まりました。
理由は、私の保安上の措置らしいのですが、具体的な説明は一切伝えられていません。
考えすぎかもしれませんが、望さんも気をつけてください。
最近、研究所の人たちが、怖い顔で行ったり来たりしています。それに、見慣れない顔の人も多く出入りしているようです。
レイも、当分は望さんをセントラルに来させない、と言っていました。
なにか、よくないことが起きているのかもしれません。
──織戸神那子
PS 私も望さんに会えなくてさみしいです。
今日、織戸は学校を欠席した。
その日、何度目かに送られてきた彼女のメールは、望に不吉な予感を抱かせるのに充分な内容だった。
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終章まで、ほぼ毎日更新していく予定です。