第二章 インフィニットクリエイト⑦
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セントラルの一室には、30畳ほどの大きな部屋がある。
そこに置いてあるデスクやイス、応接用のソファーなどは、どれも一般研究員に与えられるような安物ではない。それ、相応の立場にある人物が、この部屋の主であるということだ。
そんな部屋に、二人の男女がいた。
「……以上が本日の報告です」
「そうかい……わかった。下がっていいぞ」
白衣の男が、頭を下げる。織戸の送り迎えをしていた、あの男だ。
顔を上げた彼が、デスクに座る上司に視線を向けた。
ボサボサの髪にノーメイクの素顔、よれよれの白衣──その目に写る女性は、30代前半だというのに、眉間のしわやまぶたのくまで、実年齢より老けて見える。そして、独特の低い声と人を射抜く鋭い眼光によって、彼女は、単なる研究者や職員にはない、威圧感と凄みを放っていた。
白衣の男が退室するために、ドアへとむかった。
「失礼しました」
最後にもう一度、上司に対して頭を下げ、男は部屋を出ていった。
その後、室内にキーボードを叩く音が響く。だが、しばらくするとその音も止んだ。
彼女が目頭に指を当てる。
ディスプレイから目を離すと、白衣のポケットからタバコを取り出し、緩慢な動作で火をつけた。
ちょうどそのとき、短い電子音が鳴った。
ディスプレイに、メールの受信を伝えるメッセージが表示された。
送り主は織戸神那子。すぐにメールを開いた。
レイへ
レイのアドバイス通り、彼を望さんと呼ぶことにました。
彼は、今日も話しかけてきたのですが、うまく会話ができませんでした。
私は同年代の人と話すが、苦手なんだと思います。
──神那子
PS レイは、思ってもいないことを、口にしたことがありますか?
メールを読み終わった女性は、表情を険しくした。
くわえていたタバコを、吸い殻の山が築かれてた灰皿の中にねじ込む。
メールを閉じると、別のファイルを開いた。
画面に、望の情報が映し出される。
顔写真に加え、能力、年齢、在籍校など様々な事柄が映し出されていた。
彼女が、さらに不愉快な表情を浮かべた。
「単なるアンダーポイントのクソガキってことか? だが、コイツの存在を無視するわけにはいかない。報告通りならなおさらだ」
そう呟いて、キーボードの側に置いてあった携帯電話を手に取り、どこかに電話をかけた。
「ああ、私だ。例の少年だが、監視を強化したい。それと、さらに詳しい情報がないか、調査も頼む。いや、そうじゃない……気に入らないんだよ。こういうガキが。ああ、風澤望の動向に注意するよう、連中にも言っておいてくれ」
電話を切ると、二本目のタバコに火をつけた。
なにかを思案するように、たちのぼる紫煙を見つめる。
しばらくして、タバコを吸い終えると、彼女はメールの返信を打ち始めた。
神那子へ
アタシも神那子と同じくらいの頃は、思ってもないことを口にして、色々失敗したよ。
何度か、それが原因でメチャクチャへこんだりもした。
みんな同じなんじゃない?
特に神那子は、今まで大人に囲まれて過ごしてきたから、他の子とくらべて、そういう傾向はあるかもね。
でも、心配するほどのことじゃないと思うな。
また、なにかあったらメールしてね。
──レイ
メールを送信してウインドウを閉じる。
次にテキストデータを表示させた。画面に、『複製能力の研究と最重要能力者・織戸神那子の今後』と題された文章が映し出される。
まだ書きかけなのか、「織戸神那子の複製能力が、世界に及ぼしかねない混乱は、甚大な」という部分で止まっていた。
彼女が、文章の続きを打ち込んでいく。キーボードを叩く音が、部屋中に響いた。
セントラルには、一般の研究員が立ち入れない一室がある。
所長室。
そこで、織戸神那子に関する文章を作っている女性の名は、桐島麗子。
桐島は、セントラルの所長を勤める人物だった。
セントラルで働いている者で、彼女の名前を知らない者はいない。
しかし、桐島が『レイ』という名で、織戸のカウンセラーを勤めていることは、あまり知られていなかった。
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今日の望は、元気がなかった。
いまだに、織戸にいわれた言葉を引きずっていたからだ。
──同情されるのは好きではありません。
昨日、織戸が口にした言葉は、望の胸に深く突き刺さっていた。
「はあ」
いつもの望なら、朝から暗い顔でため息をつく、なんてことはしないだろう。だが今日に限っては、登校中になんどもため息が出てしまった。
そんな望が、クラス棟のロビーで上履きに履き替えているときだった。
ちょうど、織戸がロビーに入ってきた。
お互い、相手の存在にはすぐに気づいた。
「「……」」
昨日であったなら、なにも考えずに挨拶ができたのだろう。
だが、今日の望は、織戸に声をかけることができなかった。おはよう、そう口にすればいいだけなのに、それができない。
あの時の言葉が、頭の中をぐるぐると回り――そして、彼女から目をそらしてしまった。
そのまま、逃げるように教室に向かった。
それから授業が始まるまでの間、望は隆人たちの話を上の空で聞いていた。織戸のことが気になって、落ち着かないのだ。だが、教室にいる彼女を見ることもできない。
授業が始まってからは、ずっとうつむいたままで、まともに授業を受けられなかった。
「はあ」
今日、何十回目のため息をついた。
「どうした?」
そう言って、声をかけてきたのは隆人だった。
隆人は、両手に学内ストアで買ってきたパンやおにぎりを抱えていた。
望は隆人の昼食を見て、もう昼休みになっていることに気づいた。
親友が、望の隣に腰を下ろした。
「ほれ」
隆人が総菜パンとリンゴジュースのパックが差し出た。
「お前、昼飯買ってないだろ?」
そう言って、今度はおにぎりをひとつ、放ってきた。
望が慌ててそれをキャッチする。
「おっと……ありがとね。隆人」
「おごりじゃないぞ、あとでキッチリ回収するからな」
隆人が、買ってきた焼きそばを食べ始めた。
望が教室を見回す。
「そういえば、翔太郎たちは?」
「食堂で済ませるって」
「そうなんだ」
「……なんか、あったのか?」
焼きそばを頬張りながら、隆人が訊いてきた。
「え、なんで?」
「今日のお前、なんか変だぞ」
「そう……だね」
望がジュースのパックにストローを刺す。
口に含むと、甘酸っぱいりんごの味が、口に広がっていった。
「ねえ、隆人。僕って偽善者かな?」
「偽善者ってか、バカだな」
即答すると、隆人は牛乳パックを開けて豪快に胃袋へと流し込んだ。
望は、バカ、と言われて、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「バカが考えても無駄だろ? バカなんだから」
さらに隆人は、バカ、を連呼した。
バカは、なにをやっても上手くいかない。バカは、空気が読めない。バカの考えは、浅はか。バカは、相手のことを考えられない。バカは、後先を考えない。そもそも、バカは考えていない。
隆人以外の人に、ここまで、バカ、と連呼されれば、いくら望でも怒ったかもしれない。
だが、淡々と自分をこきおろす親友の言葉は、なぜか心地よかった。
「結論は……バカは悩むな。意味がない」
そう言い切ると、隆人は梅おにぎりにかじりついた。
「うまいッ、なにこれ? こんなに、うまい梅おにぎり食ったのはじめてかも。なんで、もっと早く買わなかったんだよ、俺。ほら、望も食べてみろよ」
隆人にすすめられて、望もおにぎりに口にする。たしかに、おいしかった。でも、はじめて、というのは言い過ぎかもしれない。
とはいえ彼に、バカは悩むな、と言われてすっきりしたのはたしかだ。
変に考え込むから、口も利けなくなってしまったのだ。
これは、同情かもしれない。これは、偽善かもしれない。相手は、迷惑かもしれない。傷つけるかもしれない。そして──また、あんな風に言われるかもしれない。
結局、自分が傷つきたくなかっただけで、自分のために悩んでいたのだ。
(それならいっそ、自分の好きにしたほうがマシじゃん)
今日、始めて、望はプラス思考になった。
総菜パンにかじりつくと、いつもよりおいしく感じた。自然と、望の顔が笑顔になった。
「なに、それ美味いの? 俺にも食わせろよ」
隆人には、笑顔の望が、よっぽど美味しそうに惣菜パンを食べているように見えたのだろう。そう言って身を乗り出してきた。
しかたなく望が差し出すと、隆人は一口で3分の1以上を食べてしまう。
「食いすぎッ!」
「まあまあ、だな」
「貰っておいて、まあまあ、かよ」
見ると、隆人も笑っていた。
いつもの二人。だから、いつもの調子で彼に聞く。
バカなのは、充分に自覚していたから、わからないなら素直に訊こうと思った。
いつも、そうしているように。
「たとえば、さあ。落ち込んでいる女の子がいるとするじゃん? その子を元気づけようと思ったら、どうすればいいと思う?」
「落ち込んでいる女の子? ……ちなみに、その女の子は可愛いのか?」
「え? あ、うん。可愛いよ。すごく可愛いと思う」
「そうか、それじゃあどうにかしなきゃな」
隆人が、うーん、と腕を組む。
例え話であったが、彼は真剣に考えてくれた。
「落ち込んでいる理由やそれをどうこうしようだなんて、考える必要はないだろうな。本人の問題だから、お前がどうにかできることじゃない。だから、単純にその子を楽しませればいいよ」
「楽しませる?」
「その子の好きそうな話題があるなら、そういう話をふるとかだな」
「好きそうな話題かあ」
真っ先に思い浮かんだのは本だ。
織戸はいつも本を読んでいる。都合よく、彼女が好きな作家も知っている。
その本を探しに、放課後にでも図書室に行ってみようと思った。
「もし、それがわからないんだったら、適当に、女の子が好きそうなところにでも、連れてけばいいんじゃないか?」
「女の子が、好きそうな場所?」
「あー、ちなみに、俺にその場所を聞くなよ。これでも彼女なんて、一度も作ったことのない童貞様だぞ。知るか、そんな場所ッ!」
なぜか、隆人が怒りだした。
二つ目のおにぎりを握り潰しそうな勢いで、力強く叫んだ。
「そんなの俺が知りたいわッ、つーか、その前に、彼女の作り方を教えてくれ。アレ、どうやったらできるんだ? 中学の時とか、森下とか山田とかッ。アイツら、どうやって彼女作ったんだよ。もしや魔術? そうか魔法か、魔法なんだなッ!」
「りゅ、隆人、落ち着いてッ」
望が止めようとしたが、隆人は聞く耳を持たず、さらにヒートアップしていった。
「これが落ち着いてられるかあッ! どうすれば、そんなことができるんだッ。だれか、教えてくれ! 2万までなら、なんとか工面するからッ!」
イスから立ち上がり、隆人は高々とおにぎりを天井に突き出した。
その行動になんの意味があるのか、望には理解できなかった。
とはいえ、そんな風に騒いでいると……。
「望ッ!! あなた、また騒いでるのッ!!」
ひなたの怒鳴り声が教室に響いた。ちょうど、彼女が教室に戻ってきたところだった。
「いや、僕じゃなくて……」
「すみません。急にコイツが騒ぎだして、俺からもよく言っておきますので」
隆人が深々と頭を下げた。
「ええッ? 隆人?」
「望、何度も同じこと言わせないでよ」
「えッ、ええーッ」
なぜか、望のせいにされていた。
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