第二章 インフィニットクリエイト③
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その後、織戸は白衣の男が運転する車で、結波市の西側にある研究地区へと向かった。
研究地区には、ひときは巨大な建物がある。セントラルタワー。研究員や学生たちからは『セントラル』と呼ばれているこの巨大な施設は、日本における超能力研究の中枢をになっている。
そして、最重要能力者である織戸も、このセントラルの管轄だった。
織戸を乗せた車が、セントラルの厳重なゲートをくぐって、中へと入っていく。
これから様々な実験や検査などを、織戸は受けなければならない。
昨日も、一昨日もそうだった。明日も、明後日も、彼女はここに来なければならないだろう。
それが、織戸神那子の日常だった。
セントラルに到着した織戸は、白衣の男に連れられて70階にある一室へと向かった。
そこにたどり着くまでに、三回以上もIDを確認しなければならなかった。それだけ、セントラルのセキュリティーは厳重なのだ。
「それでは、時間になったら迎えにきます」
白衣の男は、『検査準備室』というプレートがかげられた部屋に織戸を案内すると、すぐに立ち去った。
彼と入れ替わるように入室してきた、小綺麗な女性職員が今日の日程を簡単に説明し始めた。
「……本日の予定は、以上になります」
「検査着に、着替えた方がいいですか?」
織戸の質問に、女性研究員はパラパラと資料をめくって確認する。
「いえ、本日の検査は、簡単なものだけですので、そのままでかまいません。しばらく、このままでお待ちください」
女性職員がわざとらしく笑う。白々しい笑顔だった。
「わかりました」
織戸はイスに座ると、鞄から本を取りだして読書を始めた。
本を読む彼女は、まるで人形のようだった。ときおり、ページをめくるために、手元だけが動くだけで、それ以外は微動だにしない。
女性職員は、少し離れたところで資料を眺めたり、腕時計に目をむけたりしながら、ときより盗み見るように、織戸の様子をうかがう。無機質で、どこか冷たく感じる視線だった。
「……」
織戸は、顔色ひとつ変えずに読書を続けた。
しばらくして、数人の研究員らしき人物が部屋に入ってきた。彼らは女性職員と一言二言話すと、織戸の前にやってきた。
「採血をします」
トレイに乗った、医療器具が並べられる。
器具が金属のトレイにあたって、ガチャガチャと音を立てる。同時に、ガーゼに染み込んだ消毒液の香りが漂ってきた。
「右手を」
織戸が、無言で右手を差し出す。
細く色白な腕があらわになった。そこに、鋭利な針が向けられた。
針の先端が、うっすらと浮かび上がった、か細い血管に潜り込んでいく。すると、器具に取り付けた小さな採血管に、真っ赤な血液が流れ込んでいった。
織戸は、溜まっていく赤い液体を無表情のまま見つめる。
「今日は、二本、貰います」
新たな採血管が取り付けられ、その中も真紅の血で満たされていった。
採血が終わると、研究員の一人が採血管を大事そうにかかえて部屋を出ていく。他の者達は、次の検査や実験に使用する道具をテーブルに並べ始めた。
織戸が、右腕のガーゼをじっと見つめた。よく見ると、ガーゼにうっすらと血がにじんでいる。彼女は検査が始まるまでの間、赤茶けたガーゼのシミを凝視し続けた。
その後、研究員たちは、結晶や鉱物と言った単純な物質から、複雑な工業製品など10点を織戸に複製させた。最後は64GBのメモリーカードだ。
研究員が、複製したメモリーカードをパソコンに読み込ませる。
「おおッ、100%一致だ」
彼らが、声を漏らした。
次に、彼らと入れ替わるようにやってきた40代の男性研究員は、能力を発動させているときの感覚をしつこくたずねてきた。
「どういう感じなのか、もっと具体的に言ってくれないか? ……冷たいの? それとも熱いの? 特に痛みなどは、感じないのかい? それ以外の感覚は?」
この男は、織戸の説明に満足できなかったらしく、しきりに質問を繰り替えした。こんなやり取りが、30分以上も続く。
すると女性職員が、男に時間切れを告げた。
「予定時間を過ぎました。次がありますので、退室してください」
それから、ふたつの研究班による検査と実験を受け、終わった頃には、セントラルに着いてから、4時間以上が経過していた。
その後、織戸は検査準備室で夕食を取った。
テーブルに並べられたのは、白米やわかめの味噌汁、ナスのそぼろ煮、和え物、ツナとコーンのサラダ、輪切りにされたキウイ。栄養バランスを考えた食事だろうが、まるで病院食だった。
そんな夕食を、彼女が黙って口にする。
「……」
白衣の男が、迎えにやってきたのは、ちょうど夕食を食べ終えた頃だった。
それから彼の運転で帰宅する。自宅のマンションに着いたのは、9時前だった。
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「では、明日もお迎えに参ります」
織戸を玄関まで送り届けると、白衣の男は踵を返して立ち去った。
部屋に入って学生鞄をテーブルの上に置いた時、学生証が鳴った。レイからのメールだった。
神那子へ
初登校、どうだった?
これは、心理学を学んだ者としてのアドバイスなんだけど、第一印象で失敗しても気にしちゃだめよ。
むしろ、第一印象は悪いほうがいいの。
そこから、ちょっとイイところを見せるだけで、相手には、かなりの好印象を与えられるのよ。知ってた?
神那子は、同年代の子と関わる機会が少なかったから、色々大変だろうけど、アタシがついているから安心して。なんだって教えちゃうわよ。
それじゃあ、またメールするね。
──レイ
PS うん、もう大丈夫みたいだね。でも、アタシのおかげじゃなくて、神那子が強くなったからだよ。やったじゃん。
織戸は、メールを読み終えると学生証をテーブルに置いた。
クローゼットの前に移動すると、制服を脱いでハンガーにかける。スカートも、しわがつかないように制服と一緒に吊るした。
そしてクローゼットから、ストライプ柄のパジャマと下着とバスタオルを取り出し、バスルームへと向かった。
熱いシャワーを浴び、体を洗った。
バスルームから出ると下着を身につけ、パジャマに袖を通して、部屋に戻る。
テーブルに置いた学生証を取ると、織戸はベッドに腰掛けて、メールの返信を打ち始めた。
レイへ
失敗したかどうかはわからないけど、やっぱり戸惑いました。
前に、公園で同年代の男の子に会った、という話をしたと思いますが、クラスメイトにその男の子がいたんです。それが、一番驚きました。
彼もそれを覚えていたようで、すぐに話しかけてきました。
でも、なにを話せばよいのかわからず、うまく会話できませんでした。
ですが、その後も彼は、何度も声をかけてきて──。
そこで織戸は手を止めた。
画面から目を離して、なにかを考えるように、制服をかけてあるクローゼットを眺める。
しばらくして、メールの続きを打ち始めた。
ですが、その後も彼は、何度も声をかけてくるのです。
戸惑いました。明日も彼は、声をかけてくるかもしれませんが、どう接すればいいのかわかりません。
──神那子
PS 彼の名前は、風澤望と言うそうです。たぶん、相手をどう呼べばよいのか、わからなかったから、上手く話せなかったんだと思います。
メールを送信すると、学生証をテーブルに置いた。
その後は、読みかけの文庫本を読み始める。
レイから返信がきたのは、本を読み終え、眠りにつこうとしていたときだった。
神那子へ
相手の呼び方は、悩むよねえ。アタシも時々悩む。
苗字か下の名前か、「さん」を付けるか付けないか。
大人になると、よけいにそんなことで悩んじゃうのよね。
でも、神那子の場合は、クラスメイトなんだし「望さん」でいいんじゃないかな?
あ、ごめん。それだけなんだ。
──レイ
織戸は、しばらく画面を見つめて黙っていたが、意を決したように口を開いた。
「望、さん」
聞き取るのがやっとな、微かな声だ。
もう一度、彼女が口を開く。
「望さん」
今度は、はっきりとその名を口にした。
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終章まで、ほぼ毎日更新していく予定です。