第二章 インフィニットクリエイト②
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ふたりの登校時間をずらす――その約束通り、望はひなたが部屋を出てから、少し時間をおいて登校した。
学校に到着した望は、そのままC組に向かった。
教室に入った時、彼は周りの空気がいつもと違うことに気づいた。
入学直後のような緊迫感があるのだ。その理由に気づいたのは、席に着いて間もなくだった。
「望。お前、知ってたか?」
鳴島隆人が話しかけてきた。
「え、なんのこと?」
「おいおい、彼女のことだよ」
親友は呆れた表情を浮かべながら、あっちだよ、と目配せをした。
視線を向けると、そこには結波中央学園の制服を着た少女が座っていた。
織戸神那子。
学校を抜け出した時に出会った、あの無表情な女の子だ。
静かに文庫本を読む姿は、公園で話しかけたときと同じだ。
あの時とは、服装が違っていたせいで、指摘されるまで気づかなかった。
「なんだお前も知らなかったのか」
隆人は残念そうに言うと、彼女がここにいる理由を簡単に説明した。
織戸は入学当初からC組に在籍していたが、なんらかの事情により、今日まで欠席していたらしい。
「クラス名簿に名前が載っていたから、同級生の何人かは、知っていたみたいなんだよ……」
「ふーん、女の子のことで、隆人が見落としをするなんて珍しいね」
望が何気なくつぶやくと、隆人が顔を真っ赤にした。
「ズバリ、言いやがった」
彼が大きく肩を落とす。望の言葉に、思いっきり落ち込んでしまったようだ。
「大げさだなあ」
望が苦笑いを浮かべた。
織戸に視線を向けると、彼女は公園で会ったときと同じく、顔色ひとつ変えずに本を読んでいた。
今まで出席していなかった生徒、さらに最重要能力者。嫌でも好奇の視線が集まる。
だが、その顔は無表情のままだ。望が声をかけた時と同じ。
ふと、その顔が寂しそうに見えてしまう。
望はイスから立ち上がると、織戸の席へ向かった。
ほとんど、無意識だった。これからなにをしようとしているのか? 望は、自分でもよくわからなかった。
織戸のそばで立ち止まる。彼女も望に気づいたらしく、一瞬だけ、視線を向けた。
だが、すぐに織戸の視線は文庫本へともどってしまう。
「久しぶり、僕のこと、憶えてる?」
「……」
思い切って声をかけたが、反応はかえってこなかった。
それでも望は、彼女に話しかける。
「織戸さんだよね? ほら、少し前に公園で会ったじゃん?」
「……」
(とりあえず、こっちを見ているってことは、聞いてはいるんだよね?)
織戸は相変わらず無表情だったが、視線は望に向けていた。
「僕は風澤望、同じクラスだったなんて、驚きだよね」
「……」
望はおしゃべりが好きだ。だが、こんなに相手が無反応だと、まともに話が続かない。
ひなたとの今朝のやり取りも大変だったが、これはそれ以上だ。話しかけるのが、つらいと感じるほどだった。
話すのを止めようと思えば、踵を返して席にもどれば済む。だが、そんな考えは微塵もわかなかった。とにかく話しかける。それだけだった。
望自身、どうしてこんなに必死になのかわからなかった。
むしろ、なぜ声をかけたのか?
彼女が、寂しそうにしていると感じたから?
もしくは、可愛い女の子を見ると声をかけずにはいられない、バカな男の性なのか?
また、その他のなにかが、理由だったのかもしれない。
とにかく、理由はわからなかったが、織戸が本を読んでいる姿を見ていたら、無性に話しかけなければと思ってしまったのだ。
(そうだ、本。前もその話だったら返事をしてくれたんだッ!!)
そのひらめきに、望は鼻息を荒くしながら、喜々として話しかけた。
「あッ! 今日も本読んでいるんだね。この前とは違うみたいだけど、なに読んでるの?」
織戸の視線が文庫本へと向けられ、また望の顔へともどった。
彼女の小さな唇が、ゆっくりと開いていく。
その言葉を聞き逃すまいと、望は耳をすませた。
「……この本は」
か細い声だ。でも、ようやく応えてくれる。
が――。
「みなさん、おはようッ!!」
勢いよく教室のドアが開き、そこから担任の姫宮先生が現れた。
「すぐにショートホームルームだからねえ。ほらほら、自分の席につきなさぁいッ」
姫宮先生の指示にしたがい、生徒たちが席にもどっていく。
望が視線を戻すと、織戸はまっすぐ教壇を見つめ、唇を硬く結んでいた。
担任が教室にやってきてしまった今、おしゃべりをしていれば注意されるだろう。それに視線を合わせようとしない織戸からは、話をしてくれるような雰囲気ではなかった。
(やっと話ができると思ったのに、たのむよ姫宮先生ッ)
望が心の中で叫ぶ。
その後、自分の席にもどると、隆人が気持ち悪いくらい優しい表情で迎えた。彼は何度も、うんうん、とうなずきながら望の肩を叩いてくる。
「だれがなんと言おうと、俺はお前を尊敬する。やっぱり、すげえ奴だよ。俺の親友ってだけはある!」
ものすごく絶賛されたが、望はなにを褒められたのか、さっぱりわからなかった。
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その日。望は休み時間のたびに、織戸に話しかけていた。
案の定、声をかけてもほとんどリアクションは返ってこなかった。
いちおう、本の話題をふってみたが、彼女が読んでいたのは、またも泉鏡花だった。
「……す、好きなんだね。その作家」
「……はい」
それ以上、話は膨らまなかった。
とはいえ、泉鏡花が著者名だということはわかった。それなら、話題作りのために図書室で借りてみるのも手かもしれない、と思った。
そして放課後。
ほんの少し、隆人や翔太郎と話している間に、織戸が教室を出て行ってしまう。
「ごめん、隆人。僕、先に帰ってるね」
そう言って、学生鞄を抱えて走り出す。
背後から驚いたような翔太郎の声と、隆人のため息が聞こえてきたが、望はかまわず教室を飛び出して行った。
玄関ロビーに着くと、生徒の集団をかき分けながら、先へ先へとすすむ。
(織戸さん、もう帰っちゃったのかな……あッ)
クラス棟のロビーを出てたところで、織戸を見つけた。
急いで上履きを脱ぎ、靴にはきかえて彼女のもとへとかけよる。
「織戸さん」
背後から呼びかけてみたが、聞こえなかったのか、そのまま行ってしまう。
望は、あわてて織戸の隣にかけよると、彼女の顔をのぞき込んだ。
「今、帰るの?」
「……」
やはり、ほとんど反応はない。だが、無視されているわけではなかった。
彼女の瞳は、ちゃんと望に向けられていた。
そのまま、二人並んで校門へと歩いた。
「どうだった学校? ちょっと緊張した? でも、C組ってイイ奴ばかりだから、すぐ慣れると思うよ」
「……」
「男連中に話しかけるのは、抵抗あるだろうから、まずはクラスの女子から仲良くなっていくといいよ」
「……」
織戸は黙ったままで、話しているのは望だけだ。
それは、今日、1日、何度も繰り返された光景だ。
仲がよさそうには見えないが、嫌がってはいないのだろう。どれだけ話しかけても、迷惑です、話したくないです、と拒否されたり、拒絶するような態度をとらなかったからだ。少なくとも望は、そう思っていた。
しかし、もしも織戸が、そんなことを言えない女の子だとしたら……と、そこまで深く考えられないのが、望のダメなところであり、すごいところでもあった。
脳天気な笑みを彼女に向ける。
「たとえば、ひなたとか。ひなたって、ちょっと怖い感じするけど、ああ見えても女の子っぽいところあるし、しっかり者なんだよね」
「……」
「まあ、僕のことは、滅茶苦茶言うけど。見てたでしょ? 今日も怒られちゃった」
「……」
その時、織戸が足を止めた。
「ん? どうかした?」
彼女がじっと望を見つめる。
その唇が、少しだけ開いた。
「……」
だが、開きかけた唇が、また閉じてしまう。
織戸が目を伏せてしまった。
「いいよ」
望が無邪気に笑う。
「べつに、無理にしゃべる必要ないから。これは、僕が織戸さんと話したいから、勝手に話しかけてるだけだよ」
織戸が顔を上げた。
その表情は相変わらず無表情で、望の言葉をどう受け取ったのかはわからない。
だが、なにか思うところはあったようだった。
「……今日は」
ようやく口を開いた。
「……いろいろと」
消え入りそうな、小さな声だった。
望は急かしたりせず、黙ってその言葉を聞いた。
「……話かけてくれて」
「……」
「……あの」
「……」
「あの……ありが」
「お迎えにあがりました」
だが、彼女の言葉は遮られてしまった。
遮ったのは、白衣を着た男だった。メガネをかけた神経質そうな彼は、望をひと目見ると眉間にしわをよせた。
「君……どこかで、会ったか?」
望は、その言葉を聞いて思い出した。
この男は、織戸と出会った日に、望を呼び止めようとした研究員らしき人物だ。
「いや、僕は会ったおぼえは、ないですけど……」
とりあえず、否定することにした。あの日は学校を抜け出していた。授業をサボっていた彼が、ここで同意するのは、藪蛇になると思ったからだ。
「そうか、まあいい……織戸さん、あちらに迎えの車を用意しています」
男が、わざとらしく二人の間に割って入ってくる。
望が男の背中越しに、織戸の様子をうかがうと、彼女もこちらを見ていた。
それに気づいた男が、望をにらみつける。
「失礼……さあ、行きましょう。織戸さん」
そう言うと、男は織戸を連れて歩き出した。
「織戸さん、また明日ッ!」
大声で呼びかけると、織戸が一度だけこちらに視線をむける。だが、白衣の男にうながされ、校門へと行ってしまった。
残された望が、腕を組んで考える。
(織戸さんが、最後に言おうとしてた言葉って……ありがとう?)
ちょっぴり、うれしくなった。
「また明日、だな」
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